石の叫びに耳を澄ます

板垣雄三 1992. 石の叫びに耳を澄ます――中東和平の探索』平凡社,443p.3200円.

 

サイード『パレスチナ問題』の日本語訳につけられた一枚の地図は本書から取られたものだった。いわずとしれた日本におけるパレスチナ研究の第一人者は長らく東京経済大学にいたということもあり,直接の関わり合いは全くないものの,そこで非常勤をする身としてきちんと読んでおきたかった1冊。

遭遇のおどろき
概念化
構造をとらえる
移りゆく視点
 Ⅰ パレスチナ民族主義の出現 1967年:6日戦争~
 Ⅱ 挑戦を受ける国際政治 1970年:黒い9月~
 Ⅲ 国際政治主体として自己主張するPLO 1973年:10月戦争~
 Ⅳ アラブの殺し合い,PLO封殺の照準 1975年:レバノン内戦開始~
 Ⅴ 重包囲下のパレスチナ人 1978年:キャンプデービッド合意とイラン革命~
 Ⅵ PLOに退路はあるか 1982年:レバノン戦争,そしてイ・イ戦争の転機~
 Ⅶ 奈落の底に活路を求める 1985年:アンマン合意,キャンプ絶滅戦争~
 Ⅷ 中東和平への前進 1988年:パレスチナ独立宣言=PLOのイスラエル認知~
 Ⅸ ラクダは針の穴を通り抜けられるか 1991年:湾岸戦争,そして中東和平国際会議~

前半は比較的新しく書かれたものだが,「移りゆく視点」は1967年からほぼ書かれた順に並べられ,出版年の1992年に発表された文章までが収められている。サイードの『オリエンタリズム』を早くに出版した平凡社から出されている。
本書を読んで,日本でも早くからパレスチナ問題については著者によって訴えられておりながら,その正当な主張は日本社会のなかでまともには受け入れられていなかったようで,著者のもどかしさを感じられる。サイードの『イスラム報道』などで知るほど,日本における中東報道,イスラム報道は基礎があるわけではないため,欧米の状況とは異なり,まさに日本では他人事としてまともに扱われなかったというのが正直なところだろうか。
ともかく,著者の視点は非常に鋭く,自身がパレスチナ人であるサイードともひけを取らないように私には感じる。確かに,本書はまとめて執筆されたものではなく,一つ一つの事柄を一から丁寧に説明しておらず,私のような著者は知識不足で消化不良の個所もあるし,また複数の媒体に発表された文章が収録されていることもあり,重複している箇所もある。しかし,なによりも学術書でないことが著者の感情というか,憤りを強く感じさせる文章となっていて,刺激的な読書であった。単著としての学術書は少ないようだが,学術論文でも探して,継続的に読んでいきたいと思う。

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地図の進化論

若林芳樹 2018. 『地図の進化論――地理空間情報と人間の未来』創元社,239p.1800円.

 

著者は私の大学院時代の指導教官。日本の地理学における認知地図研究の第一人者。地理学にとどまらない地図学という領域があるが,認知地図研究が地図学に位置づくかどうかは分からないが,いずれにせよ広義の地図に関わるということもあり,最近国際地図学会という組織での活動もされているとのこと。認知地図研究については,1999年に『認知地図の空間分析』という著書でまとめたこともあり,その後は地図全般に関心を広げ(もちろん,以前から共同研究という形も含め多方面の研究成果があります),その成果を一般書としてまとめたのが本書。

序章 いまどこ・いまここ・ここはどこ
第1部 地図の今昔
 第1章 地図の起源を訪ねて
 第2章 地図の万華鏡
 第3章 地図の読み書き
第2部 地図を通して知る世界
 第4章 「地図が読めない女」の真相
 第5章 頭のなかにも地図がある
 第6章 空間的思考と地図
第3部 地理空間情報と人間
 第7章 デジタル化が変えた地図作り
 第8章 それでも世界の中心は私
 第9章 デジタル地図の未来予想図
 終章 進化する地図と人間の未来

指導教官としての付き合いは6年に及びましたが,今から思うとそんなにお互い深く知りあうような関係ではなかった気がします。そんなながらも,自分の研究にはとても厳しく,多方面で知識と関心は有しながらも,それを安易には公言しない,という印象はとても強いです。ということもあり,私の専門的研究についても,多少の議論はしても高圧的な指導はありませんでした。
そんな彼が一般書を書くということがどういうことになるのか,興味を抱きながら読み始めた次第。タイトルからして,彼らしくない雰囲気があるのですが,こうして目次を書き出しても,思い切ったタイトルをつけているような気もします。副題のある地理空間情報とは,GIS(地理情報システム)を含めたものですが,地理学が期待を込めて進めている新しい技術に対してはかつてから批判があり,批判GISなど呼ばれているが,もちろん著者はその動向にも詳しい。また,それも含めて広く批判地図学という動向もあるわけだが,本書ではそういう批判的な意見には全く触れていない。本書が一般書である以上,積極的に地図の新しい技術を社会の中で活用していくというスタンスに貫かれている。
とはいえ,第4章のタイトルにもある通り,一時期話題になった『話を聞かない男,地図の読めない女』というような書籍に対して,著者の学術的見地から,確かにそういう側面はあるがそれだけではなく,事態はもっと複雑であるということを主張する。私が個人的に気になったのはこの大胆なタイトルだが,「進化論」という表現に対しては特に細かい議論はなかった。私の息子は,最近デュエルマスターズというカードゲームや,今更ながらポケットモンスターにはまっているのだが,そうした子ども向けマンガ(アニメ,ゲーム)では「進化」というワードがよく使用されている。本来の生物学的進化とは突然変異も大きなきっかけの一つだが,数世代かけて達成されるもので,基本的には個々の進化が人間によって同時代的に観察されたわけではない。しかし,そうした作品では,個体が進化を遂げるのだ。それは本来昆虫などによくある「変態」だと思うのだが,まあそういう意味合いで使われている。本書のタイトルもそういう一般的な理解に依存しており,また副題にある「人間の未来」という意味合いについても,ポスト・ヒューマン論のようなものを受けているわけではない。著者は地図というものが人間の生活に欠かせないものであり,その形態が変化することは,人間の生活の一側面が大きく変わり,またその技術進歩が人々の地図への依存度をより高め,それが故に地図を扱う地理学の活躍する可能性が未来に向けて広がっている,そんな楽観的な方向性を見出すことができる。

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是枝・河瀨

2018610(日)

府中TOHOシネマズ 『万引き家族
カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した是枝作品。たまたま,この前の水曜日に4ヶ月ぶりに美容室に髪を切りに行ったが,そこで是枝監督作品特集を上映していた。最近は毎年のように作品を発表している是枝さんで,すべてを観られているわけではないが,注目はしている。私が映画を観るのはなんと3ヶ月ぶり。映画も観ず,髪も切りに行けず,そんな3ヶ月間でした。
ともかく,妻が事前に購入していたムビチケを渡してくれて,「観に行ってくれば」ということで,身近な府中で観られるのも嬉しい限り。カンヌ効果で府中でも一番大きなスクリーンでの上映で,お客さんも年配層を中心によく入っていました。リリー・フランキーに安藤さくら,樹木希林とこの主題にしてこの役者。ちょっと反則気味なところはありますが,まあ,『誰も知らない』に対比される,是枝作品の汚の部分が強調された作品。彼は決してそれが特徴というわけではない。『ワンダフルライフ』は名作だが,『空気人形』なども彼の持ち味を生かした作品で,美の部分が強調されている。
私的に「おっ」ときたのが,後半部分。この家族の息子が捕まってしまい,病室を訪れる警察官。扮するのは高良健吾と池脇千鶴。『きみはいい子』の共演コンビだ。はじめは警察官ではなく,児童相談所の職員かなんかだともっといいなと思ったが残念。まあ,ともかく見ごたえのある作品でした。

2018617(日)

新宿ピカデリー 『Vision
2
週続けて,重いテーマを扱う監督作品です。今度は河瀨直美。彼女の作品もできるだけ観るようにはしているが,今回はそんなに観たいという感じはしなかった。しかし,美波ちゃんが出演しているということで,観ることにした。その美波ちゃんの登場場面が多い前半はとても良い。物語設定がしっかりしていて,展開していく。美波ちゃんの役どころは,ジュリエット・ビノシュ演じるフランス女性が舞台である,奈良県吉野の山への訪問に通訳として同行している女性。なんともフランス語が流暢だ。映画サイトのプロフィールを読むと,なんと美波ちゃんは今,パリを拠点にして活動をしているとのこと。そりゃすごい。
このフランス人女性はこの地に,ある薬草を追い求めている,その名も「Vision」。ここからどうやら怪しくなってくる。現地の日本語名があって,欧米ではVisionと呼ばれているというのならいいのだが,ともかくその植物は普遍的にその名前というところが怪しげだ。ジュリエットと永瀬正敏が結ばれるあたりから神秘的な雰囲気を帯び始め,河瀨監督の持つ一面であるスピリチャルな世界へと誘われていく。そんな作品。

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Spaces of Neoliberalism

Brenner, N. and Theodore, N. eds. 2002. Spaces of Neoliberalism: Urban restructuring in North America and Western Europe. Malden: Blackwell.

 

サッセンによるグローバル・シティ論以降の日本の都市社会学者によって取り上げられることの多かった、英文地理学雑誌『Antipode』の特集号が単行本になっていたので、読むことにした。編者の一人ブレナーは、「リスケーリング論」においてもそうした都市社会学者に注目されている。ブレナーに関しては、翻訳された論文も2編ほどあります。この読書日記でもハーヴェイのネオリベラリズム論は紹介したが、主にネオリベラリズムについては国家の戦略として語られることが多い。もちろん、地理学者ハーヴェイの場合は空間や不均等発展などについても論じられているが、本書は副題にもあるように、都市に着目したネオリベラリズム研究だといえる。

序文:「新しいローカリズム」からネオリベラリズムの空間へ(ブレナー, N.・セオドール, N.
1部 ネオリベラリズムの都市化:理論的論争
 1 「実在するネオリベラリズム」の都市と地理(ブレナー, N.・セオドール, N.
 2 空間のネオリベラル化(ペック, P.・ティケル, A.
 3 現代都市におけるネオリベラリズムと社会化:対極、補足、不安定(ゴフ, J.
 4 新しいグローバリズム、新しいアーバニズム:グローバル都市戦略としてのジェントリフィケーション(スミス, N.
2部 都市と国家の再編:道筋と矛盾
 5 リベラリズム、ネオリベラリズム、都市統制:国家論的視野(ジェソップ, B.
 6 英国の都市政策の論理を発掘する:「危機管理の危機」としてのネオリベラリズム(ジョンズ, M.・ウォード, K.
 7 「都市は死に、ネットが生き延びる」:ネオリベラルなアジェンダに対するヨーロッパ都市間ネットワークを利用する(リートナー, H.・シェパード, E.
 8 都市から価値を抽出する:ネオリベラリズムと都市再開発(ウェバー, R.
3部 権力、排除、不正義の新しい地理
 9 ヨーロッパにおけるネオリベラルな都市化:大スケールの都市開発計画と新しい都市政策(スウィンゲドウ, E.・モラート, F.・ロドリゲス, A.
 10 「常識の」ネオリベラリズム:カナダのトロントにおける進歩的な保守的アーバニズム(キール, R.
 11 都市起業家主義から「報復都市」へ?:グラスゴー再生の空間的不正義について(マクロード, G.

例のごとく、1冊読み終えるまでに時間がかかってしまい、各章をきちんと紹介することはできません。
1
章はなかなか刺激的で、なぜブレナーが注目されているのかがよくわかります。ネオリベラリズムはよく知られるように、1980年代から英国のサッチャー政権、米国のレーガン政権によって推し進められたもので、日本でも中曽根時代あたりに萌芽がみられ、小泉政権によって進展させられた、主に国営企業の民営化を中心とする政策である。もちろん、これはそのイデオロギー自体がグローバル化に乗って世界に拡散され、資本主義経済のグローバル化を促進させる(資本主義自体の延命)役割を果たした。

1章のタイトルにもある「
実在するネオリベラリズムActually Existing Neoliberalism」という表現がなるほど,と思った。新自由主義という意味合いにおいて,ネオリベラリズムは一つのイデオロギーだが,実際に私たちが見て触れることができる実在物として現れる。そして,多くの場合それが都市において顕著である。グローバル化と手を取り合って実現するネオリベラリズムは,例えば都市間競争のような形で,国内と都市間や都市-農村間よりも,世界都市,あるいはグローバル・シティ間の競争が基本で,国家の枠組みよりもグローバルな舞台が前提となる。こういう事態がリスケーリングと呼べるのかもしれない。例えば,オリンピックの開催都市は,まず国内での候補都市を決め,一方で国際オリンピック委員会としてはアジア,北米,南米,ヨーロッパなどと地域ブロックでの連続開催がないように考慮しつつ,となると大小のスケールが入れ子状に決定されるといえる。それはある程度のスケール秩序に基づいた公平性などが考慮されるわけだが,そうした公平性とは無縁な資本主義の自由経済に基づく事象はスケールの論理を飛び越える。そういう事態をネオリベラリズムに力を借りたグローバリズムは行使することができる。
この「実在するネオリベラリズム」という概念をもう少し具体化したのが8章で論じられる「建造環境」だともいえる。この概念もハーヴェイによるものだが,一定の継続力を持って土地に固定された建造物は投資の目に見える表現である。もちろんこうした建造物は永続するわけではなく,維持や管理,更新の必要が訪れる。それらを維持するか発展させるか,放置されるか,巨大な建造環境が造られるのが都市であり,維持,発展,放置は都市の持続,発展,衰退と結びつく。
とはいえ,完全に市場原理でグローバル化が進展しないというのがネオリベラリズの特徴だともいえる。だから,国家論で知られるジェソップが本書にも寄稿し,多くの論者に一定の影響を与えている。市場経済への政府の介入という点では,レギュラシオン理論も一定の影響を与えているようだ。ウォーラーステインの世界システム論の対抗馬として登場したように私は記憶しているが,双方とも2000年付近に影響力を失ったように思えて,結局レギュラシオン理論を学ぶ機会を逸していたが,なんとなくネオリベラリズム論の先駆的な存在だったのかもしれない。今更ながら学ぶ意義を感じた。
この読書日記でも紹介した『ジェントリフィケーションと報復都市』のニール・スミスも寄稿している。スミスはジェントリフィケーション研究だけでなく,もちろんそれとも関連するが,スケール論についても一定の評価のある議論を展開しているため,本書にも不可欠な寄稿者である。11章はスミスの「報復都市」論を詳細に検討したものであり,非常に読み応えがあった。グラスゴーの都市再生を事例に論じられている。ジェントリフィケーションという現象はとかく社会的正義のようなものを無視して推し進められるものだと理解されるが,本章は「ポスト正義の報復主義」という概念を用い,正義という概念自体が意味合いを変えているという。
6章では英国の都市政策を,7章ではEUとドイツの都市間ネットワーク,9章のヨーロッパにおける大規模都市開発プロジェクト,10章のトロントなど,事例研究も多いが,本書にはほとんど地図は掲載されておらず,事例といってもそのものの説明は乏しく,理解は難しい。読みながら傍線を引いた,「ネオリベラリズムとは...」という文章だけ抜き書きしても学ぶことは多いはずだが,読後何がしっかりと私の頭の中に残ったかと問われると判然としない。まだまだ私の英語読解能力が足りていないようだ。

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ネオリベラリズムとは何か

デヴィッド・ハーヴェイ著,本橋哲也訳 2007. 『ネオリベラリズムとは何か』青土社,198p.1900円.

 

ハーヴェイの近著に『新自由主義』という訳本があるのに,なぜ本書もあるのかという素朴な疑問から読むことにした。原著タイトルでいえば,『新自由主義』が「新自由主義の簡単な歴史」であり,本書は「新自由主義の空間」。そして『新自由主義』が400ページ近いのに対し,本書は200ページ以内。つまり,『新自由主義』はその歴史(といっても20世紀後半からのものだが)を扱った解説書であり,本書はその地理(空間)を扱った講義を基にする本であるという違いであった。本書の基となったのは2004年にハイデルベルク大学の地理学会で行われた,19世紀の地理学者ヘットナーにちなんで行われたもの。
以下に目次を示すが,実はネオリベラリズムに直接かかわるのは3つある大項目のうちの最初の1つにすぎない。もちろん,ハーヴェイによる現代史で,ネオリベラリズムは大きな比重を占めるので,後半の話にももちろん関係してくるのだが,本文にネオリベラリズムの言葉はあまり出てこない。そういう意味では,この構成は『ニュー・インペリアリズム』とよく似ている。

ネオリベラリズムと階級権力の再生
 ネオリベラル的転回
 ネオリベラルな国家
 移植,拡散,転回
 中国という独特なケース
 達成――略奪による蓄積の再興
 ネオリベラリズム内部の矛盾と対抗勢力
 新保守主義的な対応
 別の選択肢
地理的不均等発展の理論に向けた覚え書き
 議論の構造
 社会的プロセスが「生活のネットワーク」のなかに物質的に埋め込まれていること
 略奪による蓄積と価値切り下げ
 時空間における資本蓄積
 社会的闘争の政治的力学
 追記
空間というキーワード

『新自由主義』では,その歴史がレーガンやサッチャーなどの具体的な名前を挙げて,順を追って説明されていますが,本書ではその理念的なことがある程度抽象的に語られている印象があります。とはいえ,本書が空間に特化して論が展開されているかといえば,『新自由主義』にも「地理的不均等発展」と名付けられた章もありますし,国家の議論もあります。本書が空間や地理に限定して論をしているかというとネオリベラリズムに関してはそうともいえず,最後の「空間というキーワード」という項目があるということにすぎません。
本書にはネオリベラリズムの定義のような記述があったので,引用しておきましょう。「要するにネオリベラリズムとは,あらゆるものが金融化され,資本蓄積の権力の中心が所有者とその金融機関に移り,資本のその他の部門が衰退することだ」(p.28)。また,こんな記述もありました。「NGOも多くの場合,国家が社会的寄与活動から撤退した空白に乗りこんでいたのであった,それがNGOによる民営化プロセスとも言えるものとなり,さらに国家の社会的活動からの撤退を加速することとなった」(p.61)。
地理的不均等発展に関する章では,『ニュー・インペリアリズム』で登場した「略奪による蓄積」の議論がでてきます。ハーヴェイの訳されていない1996年の『正義,自然,差異の地理学』なども参照しながら議論が展開され,なかなか魅力的な議論です。続いて,「空間というキーワード」に移りますが,ハーヴェイは『地理学基礎論』で展開した,絶対空間,相対空間,関係空間という三つ巴がいまでも有効だと論じ,これに対してルフェーヴルが『空間の生産』で展開した,空間の表象,表象の空間,物質的空間の三つ巴とのマトリックスを提示した議論はなかなか面白いです。また,こうした理論を実際の史実で検証したのが『パリ モダニティの首都』であるということですから,やはりこちらも読まなくてはなりませんね。

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ニュー・インペリアリズム

デヴィッド・ハーヴェイ著,本橋哲也訳 2005. 『ニュー・インペリアリズム』青木書店,236p.2800円.

 

この読書日記でも紹介したように,最近のハーヴェイものは『新自由主義』をまず読んだ。それとは別に『ネオリベラリズムとは何か』を読んだのだが,そのなかで「略奪による蓄積」の話が出てきたので,本書も読むことになった。出版順として,同じ訳者によるものだが,こちらを先に紹介しておきたい。
訳者の本橋哲也氏は英文学研究者で,これまでもシェイクスピアものの本などここでも紹介している。日本の英文学研究者は魅力的な人が多く,高山 宏がその代表格だが,その関心は19世紀末にあるといってよい。それに対して本橋氏の関心はもう少し前の時代で,特に植民地主義への関心が強いといえる。そういう意味では,「新しい帝国主義」と名付けられた本書に関心を持つのはよくわかる。しかし,この役は評判が良くなかった。『ネオリベラリズムとは何か』を読んだ時にはそんなに違和感を抱かなかったが,本書はどうなのだろうか。

ペーパーバック版への序文
序文
1章 すべては石油のために
2章 アメリカの権力はいかにして伸長したのか
3章 資本の呪縛
4章 略奪による蓄積
5章 強制への合意
あとがき

ハーヴェイの本にしては薄いこの2冊(本橋氏による翻訳本)はいずれも講義を基にしたもの。本書はオックスフォード大学の地理環境学科で行われた「クラレンドン講義」だという。2003年の2月に開催されたと書かれている。2001年の9月11日がいわずと知れた同時多発テロの日。アメリカはその報復として2003年3月からイラクへの軍事攻撃を開始した。その直前にハーヴェイはなぜアメリカがイラクという国を標的とし,1年半後にその軍事作戦を開始したのか,そこを明らかにすることがその講義の目的だったという。
よって,第1章は現代的な課題に取り組んでおり,私には非常に読みにくい内容であった。第2章に入ると,本書のタイトル通りの帝国主義論の現在が説明される。節のタイトルを列挙すれば,「ブルジョア帝国主義の興隆,1870-1945年」「アメリカ合州国のヘゲモニーの戦後史,1945-70年」「新自由主義的ヘゲモニー,1970-2000年」といった具合に,わたしたちが世界史の問題として学ぶ帝国主義がアメリカを中心とした現代の問題として,そして近年では中国も重要な位置を占めるようになるのだが,その辺りが説明される。ちなみに,「合州国」という訳語は確か本田勝一が使った表現だったと思うが,本橋氏はこの2冊で共通してこの訳語を使用している。他にもレーガン大統領を「リーガン」などと故意に通例とは異なった訳語を使用している。
第3章はこれまでハーヴェイが行ってきたマルクス資本論の地理学的解釈が展開される。かなり基礎的な地理学理論の紹介が含まれていることもあり,地理学者になじみの訳語が使われておらず,この訳本への批判はその辺にあったのだと思う。まず,「場所の理論」と訳されているのは恐らく
location theoryであり,一般的には「立地論」と訳される。そして,その主たる研究者の呼び方も,「アイザード」が「イザード」,「レッシュ」が「ローシュ」などとなっている。しかし,パリの大改造を行った「オスマン」が「ハウスマン」と英語読みにされているのは,ちょっと意外であった。古典的な地理学理論に訳者が通じていないのはしかたがないが,ベンヤミンなどは読んでいないのだろうか。ハーヴェイ自身も『パリ モダニティの首都』という本を書いていて訳書も出ているのに。まあ,その辺りは既に誰かが指摘しているだろうから,この辺にしておこう。
なんといっても,本書のクライマックスは第4章だ。この「略奪による蓄積」というのは,以前人文地理学会で行われたセッションで,原口 剛氏によって説明されていた時にかなり衝撃を覚えた。私はかなりウォーラーステインの世界システム論に説得されていた。それによれば,植民地時代から(三角貿易を通じて)外部を取り込みながら全世界に成長してきた資本主義世界経済は,現代に至り,外部を持たないほどに膨張し,20世紀の後半にはその構造的な危機を迎えていたという。しかし,この「略奪による蓄積」(本書によれば,この概念はハーヴェイのオリジナルではなく,ローザ・ルクセンブルグの説だというが)が通用する限り,資本主義は生き延び続けるものだと思える。サッセンの『グローバル資本主義と〈放逐〉の論理』を読んでもやはり資本の論理は非常に悪質なやり方で財を一握りの人びとの手にかき集めているという事実を理解できる。
そして,訳者あとがきでも強調されているが,第5章のタイトルに使われている「合意」という概念はグラム氏によるヘゲモニー概念を本書が採用していることにもある。この辺りが非常に難しい。本書ではアメリカ合州国こそが「ならず者国家」であるという論調でその悪事を暴き出しているが,それにはどういう主体を想定できるのだろうか?大統領という人物はもちろん重要だが,人物自体が交代しても根本的に自体が変化することはないという。そもそも,個人はそんな悪事をできるのだろうか。もちろん過去にヒトラーのような人物もいたが,それはかなり稀有な存在のように思う。人間は集団となるときにそういう悪事を引け目もなくできるようになるのだろうか。そして,ヘゲモニーという概念を「合意」という概念と結びつけるのは,そうした悪事が一方的にある主体からある主体(
subjectではなくobject)へと強制されるものだと単純にはいえず,合意という形で積極的とはいえずともその苦渋を受け入れているともいえるのだという。

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3月の映画はあまり収穫なし

201831(木)

立川シネマシティ 『デトロイト
映画の日にお休みをして観に行った。暴動に関する史実というのは文字で読んでもあまりピンとこないので,映画で観てみようと思った次第。全般的に当時の記録映像も交えた展開で,前半はドキュメンタリー感があり,いい感じだった。しかし,徐々にストーリー性が濃くなっていきます。あるモーテルで起こった事件を中心に後半は展開します。それも確かに白人警官による理不尽な黒人いじめにはすぎなく,裁判沙汰にもなり,そこも丁寧にたどってはいるのですが,このデトロイトという都市で起きたという必然性があまり感じられない事件のように思いました。映画では,なぜデトロイトに黒人が集まったのかという歴史的経緯と合衆国におけるこの都市の位置,南部との関係などにも言及があったと思いますが,少し物足りなく感じた作品でした。

2018311(日)

府中TOHOシネマズ 『映画ドラえもん のび太の宝島
今年のドラえもん映画は主題歌を星野 源が担当していること,娘の方も関心を示したということで,家族4人で観に行きました。巨大なポップコーンを持って,席に着いてからは子どもたち2人がそれに夢中。映画自体のストーリー展開は前回同様非常に忙しく,一気にスケールの大きな話まで展開します。この辺り,かなり無理があるように感じます。どの年齢くらいになるとこの物語についてこれるのでしょうか。終盤は星野源の挿入歌とともに,お涙頂戴シーンが登場し,夫婦で涙していました。まあ,観終わった後にすっきりするようにうまくはできていますが,その後に何が残るかというと,やはり映画版第1作の『のび太の恐竜』は偉大だったと思ってしまいます。

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都市は人類最高の発明である

グレイザー, E.著,山形浩生訳 2012. 『都市は人類最高の発明である』NTT出版,484p.3,564円.

 

最近の読書日記で、原著が1961年に出版されたジェイコブズの『アメリカ大都市の死と生』、2002年に出版されたフロリダの『クリエイティブ資本論』を紹介した。
本書もその系譜に連ねることができるもので、著者の「謝辞」の表現を使えば「通俗書」である。最近の読書は、謝辞や訳者あとがきのようなものを先に読まず、1ページ目から読むようにしているので、気づかなかったが、著者にとって通俗書は一つのチェレンジだったようだ。それまでは、基本的に学術論文を発表の場としていたらしい。そのせいか、本書はまさに通俗書となっており、そういう意味でジェイコブズやフロリダと共通した雰囲気を持っている。いろんな事例が次から次へと登場し、それらが都合の良いように著者の主張を補強しているのだ。
ところで、これも1ページ目から読んだために気づかなかったが、学術書を煩雑なものにしている注釈が本書では巻末にまとめられている。しかも、ふつうは「1)」などと本文に示されているのだが、それがないのだ。巻末に該当するページの該当する文章が抜き出されていて、それに文献が省略形で示されている。詳細な文献表はそのまた巻末にまとめられているのだ。一方、本文では「ある研究者によると」とか「などといわれている」ような書き方で、この注釈に気づく前は「なんていい加減なんだ!」と思ったが、ともかく煩雑な注。

日本版への序文
はじめに:われら都市生物
1章 バンガロールの産物は?
2章 なぜ都市は衰退するのだろう?
3章 スラムのよいところ
4章 貧困者住宅の改善方法
5章 ロンドンは豪華リゾートか
6章 高層ビルのすばらしさ
7章 なぜスプロールは拡大したか?
8章 アスファルトこそ最高のエコ
9章 都市の成功法
結論:フラットな世界に高層都市

さて、本書は内容的にもジェイコブズとフロリダと似通っている。しかし、実はフロリダは文献表には登場せず、本文に一度だけ登場する。「あるビジョンは都市学者リチャード・フロリダが広めたもので、芸術やオルタナティブな生活様式への寛容性と、おもしろくてエキサイティングな都心を強調する。」(p.342)しかし、このページには注釈はない。そして、フロリダの考えに対しては「私だって都市文化はよいものだと思うが、美的な介入では都市の基本のかわりには決してならない」(p.343)と、文化的な側面よりも経済的な側面を強調し、フロリダ以降流行っている「創造的政策」を暗に批判している。ジェイコブズには基本的に賛辞を与えているが、ジェイコブズが主張していた低層な住宅が街路を魅力的なものにする、という考えには否定的な意見を示している。それは第6章のタイトルにもあるが、著者は基本的に高層ビルをよいものと考えているからだ。ジェイコブズも人口密度が人々の交流を生み出し、いい効果があることを主張しているが、高層ビルという極度な人口密度も著者は認めている。
そして、ジェイコブズやフロリダと根本的に違うのは、スラムや貧困地区を否定的にとらえていないところだ。というか、ジェイコブズやフロリダはそういう大都市の負の側面についてはあまり正面切って論じていない。すでに読書日記にも書いたように、フロリダも地域格差については論じている。しかし、本書では単なる階級としてだけでなく、貧困者の集住地区という空間的側面に対して向き合っているのだ。そして、ジェイコブズとフロリダ同様、本書の基礎はアメリカ合衆国にあるのだが、ムンバイやバンガロールといったインドの都市、リオ・デ・ジャネイロのスラムである「ファベーラ」、中東のドバイなど、欧米以外の都市についてもかなりのページを割いて解説をしている。また、都市だけでなく、インドと中国の動向についてもきちんと目配せをしているのは、本書で「グローバル化」という言葉は頻出しないが、21世紀を論じるのに当然の観点として、本書を貫いているのは好感がもてる。
そして、訳者山形氏による丁寧な「あとがき」がやはり有用である。とはいえ、彼の訳者あとがきとしてはすこし物足りなく感じるが。本書の主張に対する根本的な批判を忘れてはいない。この批判はフロリダの理論にも向けられていると思うが、ただ高層化して人口密度が高まれば、人々が出合いイノベーションが起こるわけではない。

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世界都市の論理

ノックス, P. L.・テイラー, P. J.編,藤田直晴訳編 1997. 『世界都市の論理』鹿島出版会,204p.3600円.

 

編者のノックスといえば,日本でも訳書『都市社会地理学』で知られ,テイラーも訳書『世界システムの政治地理』で知られる。ということもあり,本書も出版当時に知っていたが,当時は特に「世界都市」には関心もなかったので,購入しなかった。しかし,最近サッセンを読むようになり,また一方ではアブー=ルゴド(本書ではアブルゴッドと表記されている)『ヨーロッパ覇権以前』も読んだりして,本書への寄稿者の豪華さを今更実感し,中古で購入することにした。

序文
1部 導入:世界都市,その理論と文脈
 1 世界都市研究の課題と方法(ノックス, P. L.
 2 世界都市研究の到達点:この10年間の展望(フリードマン, J.
 3 世界都市と領域国家:その相互性の隆盛と衰退(テイラー, P. J.
 4 世界都市における集中と中心性について(サッセン, S.
2部 システムのなかの都市
 5 グローバル・マトリックスのなかの都市:世界システムからみた都市システムの地図化に向けて(スミス, D. A.・ティンバーレイク, M.
 6 世界都市,多国籍企業,都市階層:アメリカ合衆国の事例(ライアンズ, D.・サーモン, H.
 7 交通と世界都市パラダイム(省略)
 8 世界都市仮設:周辺からの省察(サイモン, D.
 9 カリブの都市システムとグローバル・ロジック:マイアミの事例(グロスフォーゲル, R
 10 シカゴ,ニューヨーク,ロサンゼルスの比較:世界都市仮設の検証(アブルゴッド, J. L.
 11 反周辺地域における“グローバル化”(省略)
3部 世界都市における政治と政策:その理論と実践
 12 世界都市の再定義:文化的理論/社会的実践(キング, A.
 13 地球-地域関係の理論化(ボールガード, R. A.
 14 世界都市の消滅と地域政治のグローバル化(スミス, M. P.
 15 世界都市と地球社会(省略)
 16 世界都市の環境問題(省略)
 17 世界都市の経営と管理(省略)
付録 世界都市仮設(フリードマン, J.

本書は国際シンポジウムの記録であり,各章の分量は決して多くない。しかし,明確なヴィジョンを持っており,今の私が読むにはちょうどよい内容であった。本書にも付録として収録されている,フリードマンの「世界都市仮設」という論文は,社会学者の町村敬志が編集した『都市の政治経済学』(日本評論社,2012)にも訳出されているもので,原著が1986年だが,本書はこの論文が提示する仮説をその後10年かけて検証してきた研究者の報告ということになる。
実は私も勘違いしていたのだが,「世界都市
World City」という表現はフリードマンのオリジナルではなく,1970年代辺りから,幾人かの人が提示していた概念であり,またサッセンの「グローバル・シティ」も幾人かの人が使用してる。ただ,もちろん各人によってその意味する内容が異なるため,漠然とその概念について議論するよりも,本書のように誰の概念化を明確にして議論することが有用だと思う。
フリードマンの世界都市概念はグローバル化における都市システムというものを強く意識しており,ウォーラーステインの世界システム論を意識しつつもそれを乗り越えようとするアブー=ルゴドのような研究者と,移民研究を出発点とするサッセンを結びつける。地理学でも,世界システム論を用いて政治地理学を復活させたテイラーがこの辺りから新しい局面に入っていくことも確認できる。
ともかく,世界都市という概念がグローバル化によって世界各地にある都市がネットワークで結び付けられるように,世界都市という概念が世界各地の専門分野も異なる研究者たちを一堂に会し,結び付けているということに意義があろう。そして,いくつかの章が省略されているのは残念だが, 8章の周辺地域や9章のカリブ海周辺,11章の半周辺地域などは,西洋世界中心的なこの概念と対象としての世界都市の偏りにも目配りされているといえる。
ただ,残念なのが翻訳である。私は訳者の労力があってこそ,翻訳本が日本の読者に提示され,多くの人に,さほどの労力をかけることなく読むことを可能にしているため,そういう苦情はいわないようにしているが,本書はかなりの難点がある。しかも本書は1997年という早い時点で出版されているので,細かいことはいちいち書かないが,最大の難点は文献である。本書を通じてその議論のベースとなっている研究を知りたいと思っても,その情報は断片的にしか示されていない。ある程度は会議の記録という側面から原著の問題かもしれないが,そこだけは残念である。

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グローバリゼーションの時代

サスキア・サッセン著,伊豫谷登士翁訳 1999. 『グローバリゼーションの時代――国民国家のゆくえ』平凡社,221p.2,000円.

 

本書はサッセンの著作としてはコンパクトなものであり、公開講座の内容を基にしている。ちょっと前に読了したもので、細かい内容はきちんと思い出せないが、やはり刺激的な読書体験だった印象だけは残っている。原著のタイトルは「Losing control?: Sovereignty in an age of globalization」となっていて、「主権Sovereignty」がテーマになっている。また、序章には本書の内容が、「グローバル経済における統治(ガヴァナンス)と説明責任(アカウンタビリティ)」とをテーマにしたものであることが記されている。

日本語版への序論
序章
第一章 近代国家と権力の新しい地理学
第二章 経済的市民権について
第三章 新しい秩序の試金石としての移民

内容をきちんと覚えていないので、チェックをしたところを読み返すことで、少し思い出してみたい。以前は鉛筆を常備して、気になるところに傍線を引いていたが、最近はやめてしまった。せいぜい、ページの隅を折っておくくらいだ。
ということで、まず78ページ。「主権と領土は、いぜんとして国際システムの鍵となる特徴である。しかし、・・・わたしは、主権は脱中心化され、領土は部分的に脱国家化されてきた、と主張してきた。」とある。サッセンは別の本で、企業による他国の土地購入の話を書いているので、それと関連するのであろう。
114
ページも同様の記述に私は関心を持ったようだ。「多国籍企業とグローバル市場が現在享受している権利の国境を越えた網の目は、この変革の次の段階、すなわちかつて国家〔による支配〕であった国際領域の民営化であるのか。」
最後、129ページ。経済のグローバリゼーションは、国民経済を脱国家化し、それとは対照的に、移民は、政治を再国家化する。・・・移民や難民のこととなると、北アメリカ、西ヨーロッパ、日本のいずれの国においても、国民国家は、自国の国境を管理する主権国家の権利を主張する際に、〔国民国家の〕過去のすべての栄光をもちだすのである。」
明治学院大学で今年度までエスニシティをテーマとする社会学の講義を担当していた。学生の多くが、「日本では移民といってもピンとこない」なんていっていたが、なぜだろうか?私の住む東京都日野市にはかなり外国人が住んでいる。確かに、日本政府は移民や難民の政策には積極的ではない。しかし、一方で外国人観光客の受け入れに関しては非常に積極的で、それは日本での外国人移住も見据えたものとしか思えない。日本人口は減り続け、いろんな将来の予測において、高齢化する日本人を支えるために外国人に頼らざるを得ないということが明言されている。果たしてこの国はどうなるのであろうか。

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