新自由主義(ハーヴェイ)

デヴィッド・ハーヴェイ著,森田成也・木下ちがや・大屋定晴・中村好孝訳 2007. 『新自由主義――その歴史的展開と現在』作品社,395p.2600円.

 

最近私は近年の都市論について勉強している。先日紹介したサッセン『グローバル・シティ』もその一環だが,それより有名になってきたリチャード・フロリダなども読んでいる。その議論はクリエイティヴ都市論などとも呼ばれている。こうした動向は日本の社会学者がけっこうきちんと紹介しているのだが,その文脈で,英語圏地理学者による「都市の新自由主義化」という議論があるらしい。こちらは日本語ではまだきちんと読めるものはないのだが,もちろんそのベースとしてハーヴェイの新自由主義論があるということで,読むことにした。日本語訳は400ページ近い大著だが,原題は「新自由主義の簡単な歴史」ということになっている。まあ,実際日本語版の帯にも「21世紀世界を支配するに至った新自由主義の30年間の政治経済的過程とその構造的メカニズムを世界的権威が初めて明らかにする」とあるように,歴史といっても英国のサッチャーと米国のレーガン辺りからの話にすぎない。

第1章 自由とはこういうこと
第2章 同意の形成
第3章 新自由主義国家
第4章 地理的不均等発展
第5章 「中国的特色のある」新自由主義
第6章 審判を受ける新自由主義
第7章 自由の展望
付録 日本の新自由主義(渡辺 治)

最近,作品社から翻訳の続くハーヴェイものとしては,本書が読むのが初めてだが,これまで私が読んだハーヴェイものとはかなり異なった印象を受ける。確かに,ハーヴェイは博学でさまざまな知識が自由自在に駆使されて論が展開するのだが,本書は私が生きている時代の歴史ということもあるが,時事ネタのオンパレード的な感じで,学術的な重厚さや地理学的な雰囲気が前半ではほとんど感じられない。まあ,それは翻訳本の想定の雰囲気にもよるのだろうけど,やはり矢継ぎ早に出版されるハーヴェイの最近の著作はこういう感じなのかもしれない。

とはいえ,やはりその議論は適切で,思わず納得させられてしまう。本書は新自由主義を扱ってはいるが,特に政治の側面からアプローチしていて,論旨は明確である。しかし,彼の得意とするところの「地理的不平等発展」に関しては,第4章の目次から期待されるほど学ぶことは多くなかった。

私にとって学ぶことが多かったのは中国に関する説明である。素朴に,私はなぜ社会主義国の中国がこれほどの経済成長を遂げたのかということについて知識がなく,その点では基礎的な歴史的知識を得ることができた。そして,第4章以降は徐々に読み応えのある内容になってきて,読後の達成感はかなり得られた。新自由主義に関してもう一冊翻訳されている『ネオリベラリズムとは何か』も読んでおきたい。付録の日本に関する議論もためになった。

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保育・子育て支援の地理学

久木元美琴 2016. 『保育・子育て支援の地理学――福祉サービス需給の「地域差」に着目して』明石書店,220p.2800円.

 

先日,三輪律江・尾木まり編『まち保育のススメ』という本を読んだ。この本はクレヨンハウス発行の雑誌『クーヨン』で紹介されていたもの。育児をしている身としてはとても勉強になったし,地理学的にも興味深かったので,書評を書こうと思っている。しかし,一方で地理学にも最近保育に関する研究書が出版されているので,それを無視して書評を書くこともできない,ということで読んでみた次第。とはいえ,著者の研究論文は身近にあって読むこともできたのに,なぜか読んでこなかった。著者は私よりかなり年下で,本書が明石書店から出ていることもあり,多少の嫉妬心も含めて読んでみた。

はじめに
1
章 子育て支援と地域
2章 保育をめぐる地理的諸相
3章 都心は「子育ての場」となりうるか?①――都心大企業による企業内保育所の意義と限界
4章 都心は「子育ての場」となりうるか?②――湾岸部タワーマンション居住者の「保活」
5章 保育サービス不足地域における行政の役割
6章 大都市圏郊外における子育てNPOの役割――「ジェンダー化された空間」の保育資源
7章 ローカルなニーズ,ローカルなサービス①――地方温泉観光地の長時間保育事業の取り組み
8章 ローカルなニーズ,ローカルなサービス②――工業都市川崎の地域変容と学童保育
9章 地域に即した子育て支援に向けて。

目次の通り,全9章からなる博士論文がベースとなっている。そして,事例研究である3章から8章まではすでに発表されている学術論文がある。なのに総ページ数が220ページということで,書籍としての書き直しをかなりしているということが分かる。確かに,1,2章は学術的な読み応えがあり,3~8章はそれに沿った事例がコンパクトに並べられていて読みやすくなっている。9章はある種の提言ではあるが,事例では分からないような大風呂敷を広げることもなくまとめられている。

保育に関する研究や一般書はそれこそ非常に多いので,そういう意味においても「地理学」という観点を分かりやすく提示するという点において,本書はとても成功していると思う。著者は東京大学の地理学教室で学んであり,本書で提示されている地理学的な視点や方法は非常にオーソドックスなものである。保育や子育てに関してナショナルな視点,すなわち日本全国と都道府県における違い,場合によっては市町村レベルでの違いを示し,それを分類する。都市と農村や大都市と地方都市など。大都市は都心と郊外などに分類し,それぞれが抱える問題を居住者の年齢構成,家族構成,就業状況,その時間的推移などの「地域的背景」を確認し,本書のテーマである保育・子育てに関する指標である,待機児童数や保育施設の分布などと関連させて分析する。その総論を受け,論じる事例をいくつか抜き出し各論として論じていく。

各論として選ばれたのは東京都心,東京23区のなかでも保育サービスが不足しているといわれるいわゆる「下町」,名古屋都市圏郊外のニュータウン,地方温泉観光地,工業都市としての川崎と,多岐にわたる。しかし,これらの事例は,東京都市圏郊外で子育てをしている私のような読者にはいずれもなじみのないものである。一方で,『まち保育のススメ』は横浜市を中心になっていて,私のような読者にはなじみのあるものだが,ある意味ではこれも特殊の事例を一般化しているといえる。まあ,本書の後半の章タイトルが占めるように,保育や子育てに関してもローカルなニーズに対応するローカルなサービスが提供されているというのが実情であろう。

本書の事例は選ばれた地域についても気になるは気になるのだが,さらに指摘しておかなければならないのは年次の違いである。各章の調査は,著者がこれまでのキャリアで積んできたものであり,発表された論文は一番古いもので2006年である。そして,各調査ではアンケート調査がなされており,基本的にやり直して再新時点に合わせることは難しい。しかし,アンケート実施年が2003年7月と書かれているものを目にすると「えっ」と思ってしまう。保育・子育ての環境は刻々と変化しており10年前となると,それこそ保育園児だった子が中学生になってしまう。また,7章までは基本的に未就学児を対象とした「保育」だったのに対し,8章のみは「学童」が対象になっている。私の住んでいる自治体では,学童に関しては「保育」という言葉を使わずに「育成」という言葉を使う。まあ,この言葉にはしっくりはこないが,やはり言葉の使い分けは必要だと思う。

本書を読んで,残念だった気持ちと安心した気持ちが共存した。日本の地理学では福祉分野の研究がけっこう盛んのようにみえる。本書もその流れに位置づけられるのだが,まだ保育や子育てというテーマに関してはまだまだだということが確認できた。というのも,介護や障がい者というテーマとなると実感がないので,研究から知ることの方が大きく進んでいる感じがするのだが,保育に関しては自分の経験があるため,その経験外で本書から学んだことはもちろん多いのだが,まだまだこんなことも調査・研究,考察できるのではと思ってしまう。ともかく,書評を考えている『まち保育のススメ』とは対照的だということが分かったので,書評する意義は十分に感じた読書でした。

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グローバル・シティ

サッセン, S.著、大井由紀・高橋華生子訳 2008. 『グローバル・シティ――ニューヨーク・ロンドン・東京から世界を読む』筑摩書房,477p.,円.

 

仲の良い地理学者、荒又美陽さんの科研費メンバーに「協力研究者」として加えてもらった。課題は「ポスト成長期のオリンピックに関する地理学的研究―メガイベントを通じた都市変容分析」というものであり、私の担当として、とりあえず近年の都市論の推移を把握することが要求されている。ということで、サッセンのグローバル・シティ論をきちんと読んでおこうと思い、読み始めた。

その前に、手元にあった『現代思想』のサッセン特集をきちんと読んでみた。サッセンは思いの外、地理学研究に精通していて、『労働と資本の国際移動』という翻訳もされた著書があるように、移民研究も手がけている。今年翻訳が出た『グローバル資本主義と〈放逐〉の論理』を読む前に本書を読んでいこうと思った次第。

 第1章 本書について
1部 グローバル化の地理学と構図を読み解く
 第2章 分散と新しい形の集中
 第3章 対外直接投資の新しいパターン
 第4章 金融業の国際化と拡大
2部 グローバル・シティの経済秩序
 第5章 生産者サービス
 第6章 グローバル・シティ――脱工業化時代の生産の場
 第7章 グローバルとシステムをつくるもの――ネットワークと階層
3部 グローバル・シティの社会秩序
 第8章 雇用と所得
 第9章 経済再編――階級と空間の二極化
むすびに
 第10章 新しい都市のレジーム?
エピローグ
別表A-D

目次を見ても驚くのは,彼女がかなり「地理学」という語を多用していることだ。もちろん,ハーヴェイやソジャ,スミス,スコットといった地理学者の文献が登場するだけでなく,なんとクリスタラーの名前も出てくることに驚く。特にクリスタラーを意識して,第7章のテーマは「都市システムの階層」となっている。しかし,それより驚いたのが,彼女の夫がリチャード・セネットだということ。世代的にはだいぶ離れているような気もしますが。

さて,前半は,というか後半までけっこう私には読みにくい。とはいっても,翻訳は素晴らしく,読みにくいというのは内容のこと。第3章が「投資」で第4章が「金融」ということで,私の苦手分野なのです。しかも,これまで私が馴染んできた都市論といえば,難しい思想書を駆使して論を組み立てる類のものが多かったのに対し,本書はきちんとしたデータを整理,提示し論を組み立てるということです。文献を参照するのはそうした経験的な研究成果であって,都市思想ではないという点は,ある意味新鮮で,だからこそ都市社会学の人に非常に評価されているのかもしれません。ただ,もちろん「投資」や「金融」がグローバル・シティにとって最重要の要素であることは私もわかります。本書の初版は1991年であり,翻訳書は2001年に出された第二版である。その10年間のデータが更新されていることは当たり前だが,初版に寄せられた批判に対する回答も巻末に収められている。そこでも述べられているが,投資や金融という,グローバル化に特有の場所によらない社会関係の在り方を,著者はあえて都市に埋め込もうとしているところに特徴がある。それが第1部である。

第2部の中心は「生産者サービス」である。サービス業というのは小売業を代表とする消費者を相手にした商売であるが,生産者を相手にしたサービスがグローバル・シティには顕著だという。これも,やはり場所を強く意識していることが分かる。多国籍企業の本社などが集中する大都市にはそういう生産者が経済活動を行う際に必要なサービスを提供する企業も集中するということだ。まあ,なんか私が書くと当たり前のことを書いているだけのような気もします。ちなみに,期待した第7章は,それほど地理学研究的な都市システムの話には展開していなくて残念。

読み応えがあったのは第9章です。ここは,彼女の得意分野でもある移民の話を含んでいるということもありますが,その前段というか,この議論を効果的にするために,投資や金融,生産者サービスに関する長々とした説明があったような気もします。そして,移民だけではなく自国の下層労働者についても,これまで論じられてきた両者の単純な関係だけではなく,詳しく議論がされています。日本の日雇い労働についても調査しているようで,詳しいエスノグラフィックな記述もあります。

「エピローグ」における初版に寄せられた批判に対する応答も非常に読み応えがあります。そこでちょっと気になったのは,本書ではグローバル・シティをとりあえず,ニューヨーク,ロンドン,東京の三都市としています。そして,この三都市に関するデータの比較をしているわけですが,それ以外のグローバル・シティ候補都市について同じようなデータの比較をした上で三都市が選ばれたのか,あらかじめ決め打ち的にデータがそろえられたのかということです。地理学者がやりそうなのは前者でありますが,作業としてはかなり膨大になると思います。まあ,本書は量的なデータでグローバル・シティの条件を探すような研究ではないので,そういう必要はないとは思いますが。

 

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沖縄とベトナム

2017年8月19日(土)

新宿テアトル 『海辺の生と死

満島ひかり主演ということでチェックしていたが,それ以外にも観たい要素はあった。原作者である島尾ミホは島尾マホの祖父である。島尾マホは自身が高校生の頃に漫画家としてデビューした後,さまざまな雑誌でエッセイを書くなどの活動をしている女性。その父親が写真家の島尾伸三。彼女が娘マホを幼い頃に撮影した『まほちゃん』という写真集が印象的で,随分以前から所有していた。島尾伸三の奥さんも潮田登久子として写真家である。以前,水戸の茨城県立美術館まで,家族展を観に行ったことがある。トークショーに合わせていったのだが,その際の司会というかゲストがホンマタカシだった。

さて,作品だが,舞台は沖縄の離島ということになっている。モデルとされているのは加計呂麻島ということだが,さすがの私も知らない。撮影は奄美大島を中心に行われたらしい。満島ひかり自身沖縄県出身だが,作品ウェブサイトのプロフィールにそのことは示されていない。方言や歌において,出身地は活きているのでしょうか。まあ,ともかく彼女ならではの存在感のある配役でした。地元の子どもたちを使ったと思いますが,その生き生きとした姿もいいですね。

 

2017年8月26日(土)

新宿武蔵野館 『草原に黄色い花を見つける

米国アカデミー賞の外国語映画部門でベトナム代表として選ばれた作品とのこと。1980年代後半が舞台となっています。比較的貧しい農村に住む子どもたちを中心とした映画。前半は子どもたちの生活を淡々と描いていて,ちょっと退屈しますが,後半からは物語が展開していって,なかなかの脚本。子どもたちの想像と,大人社会が作り上げる差別と隠ぺい,ちょっと『ギルバート・ブレイク』などの作品を思い起こさせる雰囲気があります。タイトルも直訳に近いですが,なかなかいいですね。

 

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文学の思い上がり

ロジェ・カイヨワ著,桑原武夫・塚崎幹夫訳 1959. 『文学の思い上がり その社会的責任』中央公論社,297p.1350円.

カイヨワを読むのは初めて。そして,本書はカイヨワの著書として初めて翻訳されたものとのこと。2012年に『コミュニケーション科学』に掲載したオースター『ガラスの街』論で,『創世記』のバベルの塔にこだわっていたが,その後古書店で発見した『BABEL』という名の本書。邦題に「バベル」は採用されませんでしたが,表紙と背表紙にはしっかりアルファベットで書かれていたので,手にしたものです。

最近,新しい書籍のために書棚を開けようと,いくつかの本を処分しました。よくAmazonのマーケットプレイスで購入するネット書店に引き取ってもらったのだが,二束三文だった。今回は思い切ってアラン・ロブ=グロエの小説をいくつか処分したのに,購入するときはかなり値がしたものが全く評価されなかったのは残念。あの書店には二度と売らない。本書はそんななか,書棚から発掘されたもの。もう,私の書棚には未読の日本語の本はほとんどない。

プロローグ
Ⅰ 文学死にひんす 文学ついに死す
Ⅱ 文学の諸問題
第一部 公的な領域,権力争い
第二部 内的な領域,人間の描写
第三部 言語の領域,言葉の使用
第四部 文学の領域,書くという職業
Ⅲ 人間のために

さて,本書の目次はかなり詳細に章構成が分かれているために(全部で42章),ここではおおまかにしか転記しなかった。「文学の思い上がり」というタイトルにあるようなことが,原題の「バベル」にもつながるわけだが,本文で論じられる文学者(文学研究者のことではなく,作家のこと)の意味合いは少し違う。決して文学作家が自分のなしている事業を偉大なものとみなしていると著者が論じているわけではなく,むしろ文学者は自らの行為を恥じ,自信を持っていないという論調で冒頭はつづられている。

なかなか漠然とした内容で,地名研究やグローバル・シティなどについて勉強中の今の私にはかなり読みづらかった。でも,久しぶりにこうした文章もある意味刺激的で読みごたえがあった。特に2の第一部でのテーマ,文学における「公的な領域」については,国家の役割などが論じられて面白かった。やはり文学研究は奥が深いですね。まだまだ読むべき本は多く残されています。

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地名の歴史学

服部英雄 2000. 『地名の歴史学』角川書店,244p.2600円.

ここまで何冊か地名研究本を読んできたが,とりあえず本書で最後にしたい。地理学は鏡味完二と山口恵一郎のものを,千葉徳爾は地理学者だが,柳田国男の地名研究を受けた民俗学的な地目研究と位置付けたい。また,鏡味明克は鏡味完二の息子だが,本職は言語学で,単著はまさに言語学的な地名研究である。論集『日本地名学を学ぶ人のために』(2004)は最新の地名研究書であり,さまざまな研究者が寄稿しているが,本書は歴史学の立場から書かれたものである。千田 稔『地名の巨人 吉田東伍』と同じ角川叢書の1冊である。

序 章 地名の解釈法
第一章 地名の史料学
第二章 地名を歩く
第三章 歴史地図の読解
第四章 地名による歴史叙述
終 章 地名の調査と保存

帯に「歩き,み,ふれる歴史学」とあるように,本書の著者は歴史学者でも郷土史研究者に近いのだろうか,フィールドをとても重視している。本書に関しても以下のようにある。「本書では地名を二つの視点から考えたい。第一には歴史学的アプローチ。…もう一つは地誌的なアプローチである。」(p.3)そして,「地名の多様性・歴史性・地域性を語ってみたい」(p.32)という。

第二章のタイトルにあるように,気になる地名のある土地に出向き,老人に話を聞く。そう,著者は単にその地域にのみ残る史料を探し出すということだけではなく,今もその土地に住む老人から記憶を引き出すという仕事をしているのだ。ある意味では民俗学の仕事に近い。そして,一方では「景観復元」のような言葉もよく使い,歴史地理学に近いところもある。

本書の難点としては文献が巻末などに文献表としてまとめられておらず,本文中で言及されていること。さらに,その言及に関しても著者名と書名のみの提示となっている(雑誌論文の場合はもう少し詳しい)。さすがに,これまで読んだ地名研究本とは異なった視点だったが,私の関心に対して得るところはあまり多くなかった。

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観光映画2本

2017年7月26日(水)

この日は私の47歳の誕生日。しかし,水曜日であり,早稲田大学は授業があった。例年は誕生日の週には夏休みに入っていたが,半期15回の授業がかなり徹底されるようになり,14回だった東京経済大学も,1回少ない分の補講が要求された。もちろん,給料はそのために増えるわけではない。しかし,この日の授業は午後だけなので,新宿で午前中に映画を観ることにした。しかも,水曜日は武蔵野館系列やテアトル系列はサービスデーで1000円,あるいは1100円。

新宿シネマカリテ 『逆光の頃

最近,高校生の学園ラヴ・コメディは非常に多いが,地方の高校生を中心に据える映画は『うん、何?』以来か。2008年公開の『うん、何?』といえば,主演の橋爪遼氏が逮捕されるというニュースがあったが,あの映画では非常に素朴な演技で好印象だったがゆえに非常に残念。
こちら,『逆光の頃』は京都が舞台。若いキラキラした少年少女(高校生は青年?)が,非常に美しく撮影された今日との風景の中を移動する,まあそれだけの,いわば観光映画。相手役の葵わかなを松本 潤との噂の葵つかさと間違いて,ちょっとよこしまな期待を抱いて観始めたが,葵わかなが登場するなり,この体でAV女優はないだろうと勘違いに気づく。わかなさんはNHKの朝ドラ次期主演に決まっている女優さんとのこと。

 

8月4日(金)

この日は日本地理学会の研究グループの研究会があり,会社を休んで午後から八重洲に行く。せっかくなので,午前中に有楽町付近で映画でもということで,時間を調べると,1本だけ間に合う作品がありました。久しぶりに日比谷シャンテですが,ここもTOHOシネマズになっていますので,たまっていた6ポイントで無料鑑賞。

日比谷シャンテ 『ボンジュール,アン

ダイアン・レイン主演作品ですが,それより驚いたのは,エレノア・コッポラという名前の監督が,フランシス・コッポラの奥さんだということでした。『地獄の黙示録』に関するドキュメンタリー映画を共同で監督したことはあったようですが,単独のフィクションとしては初監督とのこと。主人公は映画プロデューサーの妻で,カンヌ映画祭でカンヌに来た後,撮影現場に移動する夫には同行せず,夫の仕事仲間のフランス人の運転でパリまで行くというストーリー。行く先々で美味しいものを食べ,美しい風景を見るというこちらもフランスの観光映画。 

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新・地名の研究

千葉徳爾 1983. 『新・地名の研究』古今書店,266p.2200円.

文化地理学を標榜しておきながら,千葉徳爾を初めて読むというのはお恥ずかしい話。ちなみに,書名の「新」はやはり柳田国男『地名の研究』を意識したもので,千葉自身による2冊目の地名書というわけではない。本書も著者が19411982年まで書き溜めていた地名に関する文章を集めて編集されたもの。私は日本の地名研究が1970年代後半に盛り上がりを見せ,1980年代前半には一通りの成果が出そろって,それ以降の発展があまり見られないと考えているが,本書もそこに位置づけられそうだ。本書は出版社からのすすめにより作られたものだという。既出論文から成るが,かなり手は加えられたものらしい。

はしがき
第一章 地名とは何か―その研究法
第二章 海の地名と山の地名
第三章 社会的地名としての単位集落呼称
第四章 自然的地名と社会的地名―石見中部高原の地名と土地制度
第五章 カイトについて―三河地方の歴史的小地名
第六章 水田地名と生活
第七章 山岳地の小地名
第八章 壱岐島における触集落
第九章 二,三の地名研究の試み
第一〇章 古代地名の統計的考察

千葉徳爾は地理学者であり,民俗学者でもある。特に地図の専門家である山口恵一郎にとって,地名とはまず地形図に掲載される公的な地名であるが,千葉にとっては地図にも載らない,その土地の住民の通称を現地調査によって聞き取ることを地理学的な(そして民俗学的でもある)地名研究としている。よって,本書が対象とするのは,私の対象外である「小地名」であるのだが,それが故に学ぶことも多い。

まず,著者は自らが関わる対象を小地名に限定し,「土地の状態との関係がはっきりしない広域の地名についても,まったく論じていない」(p.4)としている。さらに,地名の種類を「地点名称,地域名称,広域名称と,その階層秩序に応じて,それぞれに,地名をつけて土地を区分している」(p.17)と分けている。広域地名に関しては,「標準化して付近地名を総括代表するような地域名に上昇していくような性格」(p.94)としており,柳田国男の地名観と類似している。武蔵野という広域地名に関しても,「武蔵の国に存在する広大な原野を指すに止まって,どこからどこまでといったはっきりした境域が定まっていたわけではない」(p.208)としている。広域地名の研究に関しては,「小地名の中から政治権力が行政的な公称地名を選定して,特定範囲の総称として利用させる傾向をもち,広域地名の発生的な考察を試みる場合には,より小範囲の原地名の位置とその原意味を明らかにする必要」(p.219)を認識している。

この政治権力の行為を歴史的資料からきちんと特定するのは難しいかもしれないが,地理学的課題として今日であれば十分に成立すると思う。

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地名の研究

柳田国男 1968. 『地名の研究』角川書店,316p.240円.

ついに読みました。柳田国男の『地名研究』。ちなみに,本書はもともと古今書院から昭和111936)年に出版されています(私の母親の生まれた年か)。しかも,断片的に本書に収められたのは日本地理学会の学会誌『地理学評論』に掲載されていたものもあるということは知っていた。古今書院は今でもある出版社だが,地理学が中心でたまに人類学の本も出したりするが,柳田国男の本を出しているというのが多少不思議だった。その謎も読んだら解けました。初版あとがきを書いている山口貞夫は地理学者だが,彼が柳田国男の地名に関する文章を集めて編集し,出版したということらしい。『地理学評論』に掲載された文章も,日本地理学会が招待した講演での内容を収録したものだという。

柳田国男は郷土研究会なるものを主宰していて新渡戸稲造なども参加していた。確か,ここには幾人かの地理学者も参加していたと思う。そんなことから,柳田は民俗学の立場からも地名に関心を持っていたし,地理学者とのかかわりも生まれたのだと思う。

自序
地名の話
地名と地理
地名と歴史
地名考説
大唐田または唐千田という地名
アテヌキという地名
和州地名談
水海道古称
初版あとがき(山口貞夫)
解説(大藤時彦)

本書は「地名考説」が中心で,ここに55の文章が含まれている。それこそ郷土研究会が出していた雑誌『郷土研究』に掲載された文章をはじめ,『民族』や『土俗と伝統』,『考古学雑誌』,そして『歴史地理』などに掲載された文章から成っている。個々の文章は個々の地名に関する各論であり,「地名の話」から「地名と歴史」までが総論と位置付けることもできるが,じゃあ,そこで少し抽象的な議論がなされているかというとそうではなく,やはり民俗学ってのはそういうものなのかなと思わざるを得ない,雑駁な文章である。まあ,元が講演なのだから当たり前か。

そして,いまでも民俗学的な地名研究がそうであるように,小地名が彼の関心の中心である。とはいえ,それが故に広域地名に関しても一定の考えを持っていて,地名の本質は小地名で,非常にローカルな状況からその名前が付けられるが,その後必要になる広域地名は小地名から採用されていくというものである。

この角川文庫版は,古今書院版の出版以降に発表された地名に関する文章も収録されており,それが「大唐田または唐千田という地名」以降の4つの文章である。特に個人的には「和州地名談」には柳田の地名観が色濃く反映しているようにも思う。一読できちんと理解できたわけではないので,再読したいと思う。

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ニッポン 旅の絵本

田中 薫 1978. 『ニッポン 旅の絵本』伝統と現代社,197p.1500円.

人名間違いで随分以前から手元にあった本。同じ出版社の同じシリーズで,中川浩一『旅の文化誌』という名著があったため,間違えて購入したもの。田中 薫とは地理学者でもいて,『地学写真』という著作がある。私は写真の研究もしていたから,「地理写真」を提唱していた石井 實氏の文章も読んでいたが,そのなかに田中 薫氏の名前があり,覚えていたのだ。

本書の著者は出版当時,毎日新聞社出版局に勤務しながらイラスト・ルポを書いているという人物。せっかくなので,最近旅行記をいくつか読んでいたが,その現代日本版として読むことにした。この人はイラストも描くということで,絵になる風景を求めているということで,目次にあるように一定のテーマがあり,ピンポイントで旅行をしている。

Ⅰ 西洋館のある町
 1 函館〔北海道〕
 2 神戸〔兵庫県〕
 3 長崎〔長崎県〕

Ⅱ 街道を行く
 1 七ヶ宿街道〔宮城県〕
 2 木曽路〔長野県〕
 3 吉備路〔岡山県〕

Ⅲ 蔵と民家と
 1 喜多方〔福島県〕
 2 川越〔埼玉県〕
 3 高山〔岐阜県〕
 4 今井町〔奈良県〕

Ⅳ 城跡のある町
 1 上田〔長野県〕
 2 小浜〔福井県〕
 3 津和野〔島根県〕
 4 萩〔山口県〕

著者は新聞社勤務ということで,休日が土日なのかはわからないが,本書によると大抵の旅は23日程度の一人旅だという。しかも,遠距離は仕方がなく空路を用いるが,目的地が決められているとはいえ,その道中も楽しみたい人らしく,鉄道やバスでの旅を好んでいる。そして,お目当ては比較的狭い範囲期ということで,最寄り駅につくとレンタルサイクルを借りていることが多い。確かに,私が高校生の時に行った修学旅行でも,奈良でレンタルサイクルを借りている。最近も都心でビジネス用に活躍しているレンタル(シェア?)サイクルを見かけるが,マイカー所有(免許取得)率の低い時代には観光の主たる手段だったのかもしれない。なお,著者は徒歩も得意なようで,時間に余裕があるときは結構な距離を歩いている。

私は旅好きではないが,スタイルとしてはこの著者の旅に非常に共感できるので,しかも味気ない写真ではなくイラストなので,モノクロ印刷の書籍でも十分に楽しめる旅行記だった。ちなみに,巻頭には口絵としてかなりの枚数のカラーイラストも掲載されている。

著者が訪れる場所は,目次からもわかるようにいわゆる古き良き時代の日本を感じ取れる場所が多い。でも,著者の語り口はそれほど強くはない。自分自身がいっとき通り過ぎるだけの旅人であることに対する謙虚さがある。しかし,文章の書き方は現代に入り,かなり一般的な旅行記のスタイルを踏襲しているといえる。このスタイルがどのように獲得されるのか,なかなか実証は難しいテーマだとは思うが興味を惹かれる。

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