【読書日記】コールリー『生物学の歩み』

コールリー, M.著、日高敏隆・金谷春夫訳(1957)『生物学の歩み』白水社,147p.,650円.

 

大分前に読み終わった文庫クセジュの一冊。原著の出版年は分からないが、ともかく日本語訳も1957年なので、科学史の進展においても限界があると思うが、私の認識の甘さを痛感させられた本ではあった。とはいえ、読後大分経っているので、詳細には語れないことをまずご了承ください。
私は地理学の歴史を趣味として、大学院時代に学ぶようになった。本格的な地理学史は英語だけでなく、むしろ英語よりもドイツ語、フランス語が必要になるので、とても私にその資格はない。なので、日本語訳のみで勉強していた身だが、非常勤先の講義では、それを題材としてやってきている。化学や物理学についてはあまり踏み込んで学んでいないが、天文学や生物学はそれなりに勉強したつもりでいた。生物学に関してはリンネ関連の本を読んだし、ビュフォンに関してはそこそこ厚い本を、ダーウィンに関しても社会ダーウィニズム関連ではあるが、科学史というより思想史の文脈で学んできたつもりだった。しかし、当然それだけではなかったことを、この薄い一冊でも思い知らされた。

著者まえがき
第一章 ギリシャ科学と生物学
第二章 ルネッサンスと古代科学の復活
第三章 十七世紀および十八世紀における近代生物学の誕生
第四章 十九世紀から現代への生物学の飛躍
 1 形態学
 2 生理学
 3 遺伝の科学、遺伝学
 4 進化
結語

まず、この本では生物学の源流の一つとして医学をとらえている。古代ギリシアでは、ヒッポクラテスやガレノスを挙げている。これはなかなか興味深い。もちろん、現代的感覚では、医学はまさにヒトという一つの生物種に関する生物学だから何の違和感もないのだが、キリスト教的世界観の根強いヨーロッパでは、人類とその他の動物とは別次元であり、だからこそ医学と生物学は別々に発展し、そのつながりが見出され、主張された進化論をもってこの二つが合流するという私は浅はかな理解を持っていた。しかし、本書において進化論は最後に出てくるのであって、生物学の歴史はそれまでに長い変容の経過がある。
第二章のルネッサンス期にはアラビア医学の影響についても記しているし、医学・生物学にとって重要な解剖という技術も教会との闘いがあった。そして、血液循環。ハーヴィーの発見は1628年だが、それも先人による一世紀の前史があったという。そして、医学と並行して、植物学と動物学の進展。
第三章の冒頭ではデカルトが登場する。私は日本語訳だがデカルトの多くの著書を読み、彼が「近代哲学の父」と言われるゆえんについて考えたが、ここでも、デカルトを医学と植物学、動物学を統一するひとつの契機となったと位置付けている。ルネッサンス期の解剖学に続いて、17世紀は顕微鏡の発見によって観察の領域で大きな進展があった。精子の発見と生殖の理解の進展につながる。
第四章冒頭には「いわば十八世紀は生物学にとって、のちに十九世紀が次第に足並みを早めてたどっていった大道の路傍を耕したのだといえよう。」(p.57)とあり、「「生物学(biogogie)」という言葉が、十九世も初頭の1802年、フランスではラマルク、ドイツではトレヴィラヌスによって同時につくりだされた。」(p.57)という。この言葉によって植物学と動物学が同列に扱われるようになり、方法論として形態学と生理学が登場する。そう、形態学はのちに社会学にも(またある意味では地形学にも)使われるようになるもので、ゲーテによる言葉でもある。この辺りは地理学者フンボルトとの関連で、ゲーテの植物形態学については私も学んでいた。ここで、海洋動物学の進展もあったという。そう、リンネとの関係では、やはりヨーロッパ列強による大航海と植民地支配によって、地球上に広がる生物多様性の発見が生物学(当時は博物学か)の発展に寄与したことは間違いない。それから何といっても、この辺りはフランスのビュフォンだが、化石の発掘=古生物学の発展はのちの進化概念へと結びついていく。
そして、本書で改めて認識させられたのが、「十九世紀は「細胞」という概念を得、それによってついに動物・植物にわたる全生物の構成単位にまで到達した。これは「生命」を理解するうえでまず最初の収穫であった。」(p.73)とあるように、細胞の発見はあまりに重要だ。それは化学でいうところの原子の発見に近いといえよう。もちろんそれには、天文学の発展にとって天体望遠鏡の技術が重要であるように、顕微鏡の技術の発展が欠かせない。その後の話は高校の生物学でも学ぶような内容なので割愛しよう。生物体を構成する基礎的な組織とそこでやり取りされる物質にまで考察が及んでいく生理学の進展があれば、おのずから遺伝学や進化論まで導かれていく。ただ、本書刊行以降の話に少し触れておけば、生物学はゆるぎない唯一の学説のたどり着いたわけではなさそうだということだ。進化論も完ぺきではなく、現代でも真面目に疑っている研究者もいたりする。まあ、科学なんてものは観察可能な諸事実を合理的に説明することのできる一つの解釈に過ぎないともいえよう。

| | コメント (0)

【映画日記】『映画ひみつのアイプリ まんかいバズリウムライブ!』『パリに咲くエトワール』『劇場版名探偵コナン ハイウェイの堕天使』

2026年3月14日(土)

立川シネマシティ 『映画ひみつのアイプリ まんかいバズリウムライブ!』
娘の希望で観に行った映画。娘もちょっと期待外れっぽかったが、アニメのミュージカルといったらいいのか、ストーリーはほとんどなく、一か月たってから思い出そうとしてもほとんど思い出せない。一般的なミュージカルはセリフにリズムを載せるというものだが、この映画はほとんどが歌を歌うシーン。歌と歌のつなぎを物語風にしているにすぎない。ただ、私の隣りに座った少女は楽しそうに一緒に歌っていた。まあ、こういう映画があってもいいかな。
https://aipri.jp/anime/aiprimovie/

 

2026年3月29日(日)

立川シネマシティ 『パリに咲くエトワール』
こちらも娘の希望で観に行ったが、私も期待していた作品。こういう史実を組み込んだエンタテイメントを娘には数多く見せていきたい。この作品は1912年から始まる物語だが、娘が驚いていたのは、この時代の女性の扱いだった。この映画は希望のある話ですが、女性ってだけであれもこれもダメってのはひどい!というのが娘の感想でした。もちろんそこも重要ですが、この映画から学ぶことはとても多く、それでいながらちゃんとエンターテインメントとして仕上がっていて、不穏な時代を描いていながらもある意味でのハッピーエンドとなっていて、見終わった後の爽快感がありました。そして、緑黄色社会の楽曲がとてもいいエンディングでした。ただ、上映冒頭で、緑黄色社会のテーマ曲の、この作品の映像を用いたPVが流れたのは少し残念でした。このPV自体はとてもいいのですが、少しネタバレというか、全編の映像がパッチワーク的に用いられているので、本編上映前に観るべきものではないと思いました。
https://sh-anime.shochiku.co.jp/parieto-movie/theater/

 

2026年4月12日(日)

府中TOHOシネマズ 『劇場版名探偵コナン ハイウェイの堕天使』
こちらも娘が楽しみにしていた作品で、金曜日の上映開始から2日後の日曜日に観ることになりました。近くのTOHOシネマズでも上映回数がとても多いので、ありがたい。とはいえ、私たち父娘が中央に座っている左右背後に、男子中学生(?)高校生(?)十数人の集団が取り囲んでしまった。まあ、上映開始後は静かになりましたが、あれだけの上映回数にもかかわらず、これだけの集客とはさすがだ。
コナンの劇場版は5年ほど見続けていると思うが、今回のはとても良かった。とかく映画版はテーマが大きくなり、設定に無理があったり、演出が派手になったりするが、本作ももちろん無理もあるし派手なシーンもあったが、ストーリーがしっかり組まれていて、よかった。来年もなかなか楽しみな内容になりそうだ。
https://www.conan-movie.jp/2026/

| | コメント (0)

【映画日記】『超かぐや姫』『映画ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城』『劇場版転生したらスライムだった件 蒼海の涙編』

2026年2月21日(土)

新宿バルト9 『超かぐや姫』
娘がどこからか見つけてきて、Netflixで観たアニメ映画。彼女史上最高の映画だといっていたが、それが期間限定で劇場公開することとなり、観に行った。身近な立川ではすでに全回満席で、これから予約が始まる新宿の劇場にかけた。三日前の午前0時から予約開始ということで、母親に予約を取ってもらうことになったが、これがなかなか大変で、何とか取れたのが、朝8時台の回。早起きして観に行った。
子どもの客はほとんどおらず、男性が中心。上映時間も2時間前後あり、よく作り込まれたアニメ映画。確かに娘が好きになるのもよく分かる。しかし、近年のアニメ映画に少なくないが、私のような年齢の人間にはついていけない情報量の多さがあり、それぞれの要素が有機的には結び付いていないような印象もあるが、まあそれでも十分に楽しめる作品。
https://www.cho-kaguyahime.com/

 

2026年2月27日(金)

府中TOHOシネマズ 『映画ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城』
公開直後の土日は予定が立たないため、公開初日の夜に息子と娘と3人で観に行った。ここのところ「新」をつけて、旧作映画のリメイクが制作されている。息子に「お父さんは旧作をリアルで観たのかな?」と尋ねられたが即答する記憶の自信はなかった。しかし、新作を観てみると、少しずつ記憶がうっすらとよみがえる。「のび太の恐竜」は旧作をしっかり覚えていたので、新作にはかなりアレンジがきいている(というよりは別作品だ)と思ったが、今回はかなり旧作に忠実な印象。さて、子どもたちはいつまで一緒に観に行ってくれるのだろうか。
https://doraeiga.com/2026/

 

2026年3月7日(土)

立川シネマシティ 『劇場版転生したらスライムだった件 蒼海の涙編』
最近子ども2人と3人で映画を観に行く機会は減ってしまったが、珍しく2週続けて3人で観に行った。いわゆる「転スラ」はだいぶ初期の頃から息子が好きになって、娘もそこそこ好きになった。劇場版は今回2作目。一作目は息子が友達と観に行ったが、今回は3人で観に行った。
息子に言わせれば、本作は原作にはないオリジナルストーリー。今回の準主役はゴブリンのゴブタ。ドラえもんに続いて、海底の国が舞台。転スラの全体的な世界観はよく理解していないが、全世界にお互い独立したさまざまな社会が存在しているという設定は、18世紀前半に書かれた『ガリヴァー旅行記』の系譜にあるように思う。さらにいえば、シラノ・ド・ベルジュラックの『日月諸国諸帝国』は17世紀中葉。大航海時代にヨーロッパが自らの知らなかったさまざまな社会を知ることとなり、さらにはそれらを植民地化して、全世界が一つの近代世界システムへと飲み込まれて各社会の独立性と独自性とが徐々に失われていく時代にそうした多様な社会の並存が描かれたのかもしれない。そして、グローバル化の最終段階において、せめて想像の世界でそうしたあり方が夢想されている、と理解すべきか。
https://movie02.ten-sura.com/

| | コメント (0)

【読書日記】歌川 学『スマート省エネ』

歌川 学(2015)『スマート省エネ――低炭素エネルギー社会への転換』東洋書店,179p.,2,200円.

 

フリーの編集者をしている日野市内の日本共産党員からいただいたもの。本書を含む「科学と人間シリーズ」を手掛けているとのこと。著者は以前、日野市のデータセンター建設問題に関する学習会で講演もしていただいた方で、独立行政法人産業技術総合研究所主任研究員。私は今、『最新図説 脱炭素の論点2025-2026』(旬報社、2025年)という500ページ超の本をとある勉強会で読み始めたが、その本の共同執筆者の一人でもある。月刊誌『地平』がデータセンター問題を特集した時にも執筆していた。

はじめに――低炭素社会への転換、技術的に大きな可能性
第Ⅰ部 エネルギーの環境負荷と化石燃料・原子力依存のリスク
 第1章 各種エネルギーの特徴とエネルギー効率・CO2排出の実態
第Ⅱ部 温暖化対策へ二つの手法と削減見通し――削減対策技術とその適用
 第2章 根本的な省エネ対策技術
 第3章 低炭素エネルギーへの転換――自然エネルギーと燃料転換
 第4章 持続可能な低炭素社会への余裕をもった道筋――無理なくCO2を削減する
第Ⅲ部 地域・産業・家庭での省エネ・温暖化対策
 第5章 省エネ・温暖化対策計画をどう実効的に立て実行するか
 第6章 省エネ・自然エネルギー普及による経済・雇用・地域社会づくり――対策がきりひらく豊かな将来
おわりに

あとがき

もう10年前の本ではあるが、10年くらいでは日本のエネルギー政策は大きく進展していないことが分かる。薄い本で日本のエネルギー事情が大まかにわかる本だ。タイトルに「省エネ」とあり、副題には「脱炭素」ではなく、「低炭素」とあるように、エネルギーに関して理念的に「かくあるべき」を示すよりは、現実的に「なにができるのか」をさまざまな選択肢とともに情報提供している本。省エネといっても、一般家庭での努力というのは日本社会が消費しているエネルギー量からすればわずかなもので、とはいえ塵も積もればで無駄ではないのだが、生活を圧迫するような形で無理してやってもしょうがない。やはり産業部門での省エネが効果的で「スマート」だという主張。第4章のタイトルにあるように「無理なくCO2を削減する」ということだ。
再生可能エネルギーへのシフトについても同様で、この種の本が掲げがちな「脱炭素」ではなく、「低炭素」を掲げている。また、脱原発を強く謳っているわけでもなく、しかし、原子力の危険性についてはさらっと記載している。また、最後に再生可能エネルギーへの転換という政策・対策の効果についても、ドイツを引き合いに出して、ここはそれなりに強調している。しかし、全般的に文章が「スマート」に書かれていて、納得はできるものの、深く印象付けられたり、切迫感をもって省エネ、低炭素への転換を進まなければならないという意識にはなりにくい本でもある。

| | コメント (0)

【読書日記】ダバシ『イスラエル=アメリカの新植民地主義』

ダバシ, H.著,早尾貴紀訳(2025)『イスラエル=アメリカの新植民地主義――ガザ〈10.7〉以降の世界』地平社,303p.,2,500円.

 

私は訳者の早尾さんが勤める大学で非常勤講師をしている。今年度の春学期、大学へと向かう道すがらで何度も早尾さんの姿を見かけた。しかし、彼の著書も訳書もちゃんと読んだことがなかったので、なかなか声をかけられずにいた。本書の著者は『ポスト・オリエンタリズム』の著者でもあり、早尾さんの訳で2017年に翻訳が出ており、早尾さんのことを知る前にこの本のことは知っていたこともあり、まずは新しい本書を読むことにした。
なお、出版社のサイトから目次をコピーさせていただいたが、本書は『ミドルイースト・アイ』というウェブニュースの連載から、2023107日以降のものを翻訳出版したもの。日付を書き加えたが、1ヵ月12回の執筆で、1年半の経過を執筆順にたどることができる。

1 欧米はいかにイスラエルを「再発明」しているのか 2023.10.28
2
 イスラエルのプロパガンダ主要10点を論駁する 2023.11.12
3
 「川から海まで」のスローガンを取り戻す 2023.12.2
4
 米国の大学キャンパスにおけるパレスチナ支援活動を弾圧するシオニストの努力が無駄に終わる理由 2023.12.20
5
 イスラエルの対ガザ戦争にはヨーロッパ植民地主義の歴史全体が含まれている 2023.12.29
6
 ガザのおかげでヨーロッパ哲学の倫理的破綻が露呈した 2024.1.18
7
 対ガザ戦争は、パレスチナ解放神学と福音派シオニズムの対立を浮き彫りにする 2024.2.5
8
 評論家たちはいかにフランツ・ファノンの遺産を歪曲しているか 2024.3.5
9
 ヘーゲルの人種差別的哲学がヨーロッパのシオニズムに与えた影響 2024.3.15
10
 米国大統領選:バイデンとトランプは殺人コインの表裏である 2024.4.3
11
 フランチェスカ・アルバネーゼを恐れるのは誰か? 2024.4.10
12
 イランの反撃はイスラエルに警告を与えたが、焦点は依然としてガザにあるべき 2024.4.25
13
 欧米はパレスチナの教育に対するイスラエルの攻撃に直接責任がある 2024.5.9
14
 米国大学キャンパスにおける抗議運動――エドワード・サイードは、この瞬間を大切にしたことだろう 2024.5.20
15
 ヒラリー・クリントンは大学キャンパスの抗議という潮の変わり目がもつ倫理的な力を理解できない 2024.6.10
16
 ガザでのジェノサイドは国外イラン人の反体制派の終焉をいかに決定づけたか 2024.6.27
17
 老化したバイデンとリベラル帝国主義の危機 2024.7.9
18
 ドナルド・トランプ暗殺未遂はアップルパイ並にアメリカ的だ 2024.7.17
19
 バイデンと同じくカマラ・ハリスはイスラエルの大量虐殺に全面賛同している 2024.8.8
20
 コリー・ブッシュが人種差別と植民地主義の勢力に立ち向かった 2024.8.22
21
 ハイファの隠された歴史が、静かで美しいパレスチナ映画のなかに姿を現す 2024.9.11
22
 なぜイランはイスラエルに報復してこなかったのか? 2024.10.1
23
 タナハシ・コーツはいかにしてリベラル・シオニズムから脱却したか 2024.10.17
24
 米国大統領選挙で、なぜ有権者はファシズムと大量虐殺的シオニズムのどちらかを選ばなければならないのか? 2024.10.31
25
 ニューヨーク・タイムズ紙は、反ユダヤ主義を報じても、ジェノサイドには触れない 2024.12.5
26
 ジミー・カーター、歴史の流れを変えたピーナッツ農家 2024.12.30
27
 ガザ・ジェノサイドの余興――テルアビブで『ロリータ』を観る 2025.1.18
28
 仮面は外され、そしてトランプとイスラエルは地球を不動産に変えた 2025.2.10
29
 イスラエルとアメリカの蛮行が歴史の負け組にあることを示す四冊の本 2025.3.10
30
 マフサ・アミーニーの抗議はイラン政権と反対派、双方の失敗を露呈した 2025.4.2
31
 トランプが異常なわけではなく、外国人嫌悪はアップルパイ並みにアメリカ的なのだ 2025.4.21

イスラエルとパレスチナの問題はエドワード・サイードの著作を好んで読んでいた1990年代から関心を寄せているつもりだった。しかし、それをオスロ合意までの歴史的問題として理解していたつもりになっていた、ということは以前もどこかで書いたと思う。それがまさに10.7でイスラエルとパレスチナの問題は終わったものではなく、むしろ強度を増して進行中で、もうどうしようもないところまできてしまったと感じる。そして、本書にあるように、それにはアメリカ合衆国の存在があまりにも大きい。
私は本当に本書などを最近読むに至って、自身の認識の甘さを思い知らされることになった。アメリカ合衆国は直接的な植民地支配はフィリピンなど限られた場所にしか展開しておらず、政治的な植民地支配ではなく、一時期「アメリカ文化帝国主義」論が盛んになったように、第二次世界大戦後に経済的、文化的に帝国としてふるまっていたと理解していた(ネグリとハートの『〈帝国〉』はまだ読んでいない)。しかし、それはこれまで私も知っている史実からも明らかのように、19世紀における欧州の政治的帝国主義とは異なるかもしれないが、圧倒的な軍事力をもってまさに帝国としてふるまい、植民地主義の思想で他国に介入してきたことが理解できた。それは本書刊行後のトランプ大統領の振る舞いによって誰の目にも明らかになってきたことではあるが、ちょうど第二次トランプ大統領が選出される大統領選挙を挟んで書かれている本書からは、それがトランプ大統領個人の問題ではないこともよく理解できる。いずれにせよ、正義や良心、正しさが通用しなくなったこの世界で、どのように圧倒的な武力を伴ったこの権力に地球市民が立ち向かっていくのかが問われている。

| | コメント (0)

【映画日記】『ジ・エンド』『白い花実』『在日ミャンマー人』

昨年末から映画日記が滞っていました。数は少ないものの、なかなか刺激的な映画ばかりです。

2025年12月22日(月)

この日は別件で午後から新宿で用事があった。しかも、午前中は特に用事がなかったので、都心でしか観られない映画が観たいということで、閉館のニュースを聞いていたシネマカリテで鑑賞することにした。

新宿シネマカリテ 『ジ・エンド』
ティルダ・スウィントン主演の奇妙な映画。核戦争か感染症の蔓延か、人類の滅亡危機のなかで、地下生活を営む家族の物語。地下の人工洞窟を生活空間としているとはいえ、入念に準備され、文明的な生活を維持している。そこに黒人の若い女性が突如現れ、表面的に秩序を保っていたこの家族に亀裂が生じ始める。ミュージカル仕立てになっており、深刻なテーマ(ディストピア)ながら美学的に完成された美しい作品に仕上がっている。そして、ある種のユートピア的結末。
https://cinema.starcat.co.jp/theend/

 

2026年1月3日(土)

立川キノシネマ 『白い花実』
年始にも一人で自由にできる時間があり、立川に日本映画を観に行った。こちらも非常に美しい作品。そして、複雑な人間関係や、大人の社会や組織の問題などが描かれている。人間の本質に切り込む作品だといいたいところなのだが、どうしてもキャストの外見の美しさや演出も含めて説得的でないと感じてしまう。そういう感覚自体が私自身に宿っているルッキズムなのかもしれないと思いつつも、なんとなくもやもや感が残る鑑賞でした。
https://www.bitters.co.jp/kajitsu/

 

2026年2月7日(土)

私は翌日告示される日野市議会議員選挙への立候補が決まっていて、さらには翌日投票日を迎える総選挙でも一日本共産党員として選挙活動をしていた。連日の活動では疲弊してしまうので、週一日は休むことになっており、この日は吉祥寺に出かけて映画を観ることにした。吉祥寺の街は騒然としていた。この選挙区の自民党候補者の応援に、小泉進次郎が来るというのだ。総選挙の結果は自民党の圧勝。武蔵野市でもこの盛り上がりなのだから仕方がないと思いつつ、有権者の心理は理解できていない。

吉祥寺アップリンク 『在日ミャンマー人』
ミャンマーの軍事クーデターのことは知っていたし、フォローしているInstagramのアカウントでも日本でのミャンマー支援活動については頻繁に情報が流れてきていたが、事実関係や、そうした活動をどのような人が、どのような思いでやっているかについては全然知らなかったので、非常に勉強になった作品。
日本政府がクーデターを起こしたミャンマー国軍側に立っているという話は報道で目にしていたが、日本ミャンマー協会など日本とミャンマーの深い関係を知ることができる。また、ミャンマーのために活動している日本人、両国の関係改善のために活動しているミャンマー人、技能実習生として日本で生活している多くのミャンマー人、それぞれのより具体的な姿が見えるのがドキュメンタリー映画の存在意義だと感じる作品だった。
なんと、上映後は急遽監督による舞台挨拶があった。土井敏邦監督の過去作品もチェックしておきたい。
http://doi-toshikuni.net/j/myanmar/

| | コメント (0)

【映画日記】『映画キミとアイドルプリキュア♪』『杜人』『ズートピア2』

2025年9月23日(土)

府中TOHOシネマズ 『映画キミとアイドルプリキュア♪』
すっかり映画を観られなくなってしまった。この映画日記はだいたい3本の映画を観たら、まとめて書いて、アップするようにしているが、2本目を観た時点で、1本目が1ヵ月前の作品になってしまった。そうなったら、正直もう前に観た作品は覚えていない。
当然、こちらの作品は娘と一緒に観に行ったもの。今回はとある島を舞台に世界中のアイドル(とそのファンたち)が集結して音楽フェスティバルが開催されるという設定で、アイドルプリキュアたちも招待される。しかし、その島は謎の生物体に侵食されるという危機に瀕していて、プリキュアたちがそれを救うという物語。まあ、有体の展開ではあるが、2本目に観た作品と環境をテーマにしている点では共通している。プリキュアにおける悪は、誰の心にも潜んでいるものが顕在化したもので、最終的にはそれが浄化されて解決するというストーリーになっている。こういうストーリーはプリキュアファンの子どもたちの心に何を残すのだろうか。
https://2025.precure-movie.com/

 

2025年10月25日(土)

七生公会堂 『杜人』
私は今、日野市にある北川原公園で2年前に始めたおまつりの実行委員として活動している。その委員の一人が紹介してくれた映画上映会。そのおまつりの関連で、先日落川交流センターという日野市の施設にお話をうかがいに行った。今、そこを運営するのはNPO法人の「おちかわの里」。そこで勤務している男性に話を聴いたのだが、その方のことは以前から知っていた。日野市では「プレイパーク」が定期的に2ヵ所で開催されている。プレイパークとは、草木のしげる公園にロープなどを張って綱渡りやブランコなどの手作り遊具を設置して、あとは子どもたちの好きなように遊ばせる。大人たちは子どもの遊びには干渉せずに、時には一緒に遊び、万が一の場合に備える、そんな遊び場の提供。昔だったら子どもたちだけでやっていたようなことではあるが、個人的には現代の日本社会では子どもたちを屋外で遊ばせるにはこれが最善だと思う。私も子どもが小さい頃に何度か遊びに行ったけど、うちの子どもたちには馴染まなかったようだ。ただ、この落川交流センターでは、餅つきや流しそうめんなど、季節ごとの行事があり、それと併せてプレイパークも実施しているので、その後も何度か訪れたことはあった。
その落川交流センターにおけるプレイパークが本作に登場するという話をうかがっていたが、本当に最後の最後、本編というのではなくエピローグに映像だけという扱いだった。それはともかく、非常に興味深い内容だった。主人公の矢野智徳さんが、杜人になる経過を語るシーンで、北九州の生まれだが、大学は東京都立大学に進学して地理学を学んだと語っていた。そう、まさに私の出身大学、出身学科。そして、私も学んだ堀 信行さんが登場する。いやあ、と思いつつ、都立大地理学科を卒業してこんな変わった造園家になる人がいるんだとひどく感心する作品だった。ともかく、彼のような仕事は資本主義の経済システムでは厳しいと思うが、このような仕事がまさにありうべき労働の姿ではないかと思った。あらゆる労働がこうなったとき、社会主義・共産主義の実現ということになるのだろうか。とはいえ、労働賃金や労働時間という概念自体が量的に計測できないような労働の形になるのかもしれない、と考えるときに、その実現がさらに困難なものにも思えてくる。
https://lingkaranfilms.com/

 

2025年11月17日(月)

府中TOHOシネマズ 『サンリオピューロランド Miracle Gift Parade グランドフィナーレ ライブ・ビューイング』
サンリオピューロランドは独身時代に一度、そして結婚して家族4人で一度行ったことがある。その家族といったときにパレードを観て感心したのだが、私自身はその後行こうとは思わなくなった。一方で娘は今年年間パスポートを購入し、母娘で月に1度はでかけている。今回10年間続いたパレードが新しいものに入れ替わるということで、その最終日のようすをTOHOシネマズのライブ・ビューイングで上映するというので観に行くこととなった。最終日は月曜日の平日だったので、当然学校があるのだが、最後の最後は生中継ではなく、録画で夜上映するというので、こちらを観に行った。私はパレードというのは何種類かあって、それを交互に上演していると思っていたが、同じものを毎日やっているとのこと。よくまあ、毎月のように行って、これを観ていて、さらに最後のものは録画でも観たいというのだから驚きだ。しかも、普通の映画より数倍高い値段設定。子ども料金もない。私は好き好んで観ようと思わないものだが、その概要は観ながら思い出した。「闇の女王」なるものが登場し、幸せいっぱいのカラフルでファンシーなサンリオキャラクターたちの世界から色彩を奪い去って、失意の底に陥れる。それを観客のライトの応援も得ながら、色を回復していくというストーリー。よくはできているとは思うが、私にはついて行けません…
https://liveviewing.jp/sanrio-puroland35th/

 

2025年12月21日(日)

府中TOHOシネマズ 『ズートピア2』
本作の主要登場動物に蛇がいる。娘は蛇が苦手だが、1作目が面白かったので、今回は蛇を克服しても観たいというので観に行った。この手のポピュラーなシリーズ映画は前作を観なくても十分に楽しめる内容にはなっているが、けっこう展開が早くてついて行けない個所もあった。しかし、なかなか奥深い設定で、『マイ・エレメント』と同様に、動物の種の違いを人種や民族の違いになぞらえて、多文化共生社会を推進する映画だといえる。最後の最後で、次回作を仄めかすような演出もあった。1作目は基本的に哺乳類、今回は爬虫類や両生類、次回は鳥類なのだろうか。
本作では、ウェザー・ウォールというのが登場し、動物たちがウェザー=気象条件を人工的(人ではないが)につくりだすことによって生まれたのがズートピア=ユートピア的動物園、ということになる。エリアごとに気象条件を作り出し、その気象条件に適した動物種を住み分けさせるという方法だ。人間になぞらえれば、人種ごと、民族ごとに住み分けをして、人種・民族の混合をしないようにすれば、余計な争いごとはなくなるというような発想になる。特に、本作は哺乳類のオオヤマネコがズートピアを作り出し、爬虫類や両生類に適した環境を縮小させ、ついにはなくしてしまうというジェノサイド計画を、主人公のウサギとキツネのコンビが止めるというストーリー。結局は登場人物が動物であるということもあり、多文化共生がこの社会の目標ではなく、あくまでも住み分けを前提としての各地区の面積確保というところが目標になっているようだ。ここから、この作品を観る人間たちはどんな教訓を得るのだろうか。
https://www.disney.co.jp/movie/zootopia2

| | コメント (0)

【読書日記】志位和夫『Q&A いま『資本論』がおもしろい』

志位和夫(2025)『Q&A いま『資本論』がおもしろい――マルクスとともに現代と未来を科学する』新日本出版社,165p.,1,100円.

 

日本共産党の志位議長は、ここのところ継続的に学生向けのオンラインゼミを行っており、第2回目の『科学的社会主義Q&A学生オンラインゼミで語る』の出版が2022年に、第3回目の『QA共産主義と自由』が2024年に書籍として出版されており、いずれもこの読書日記で紹介している。本書はその第4回目のオンラインゼミということで、下記に示したように、29の質問に答える形で行われ、今回も書籍化された。『QA共産主義と自由』が青色の表紙なので「青本」、そして本書は赤色の表紙で「赤本」と称され、今年7月に参議院選挙が終わったこの時期に、全国の党員はこの青本、赤本をテキストに学習を進めるよう、指導されている。
ということで、私は周りの党員より購入する時期が遅くなってしまったが、読むのは2日くらいで読み終わってしまった。なお、このオンラインゼミのようすはYouTubeでも配信されている。3時間にわたる動画であるが、私の場合は事前にこの動画を視聴していたので、すらすら読めたということになる。また、一方ですでにこの読書日記にも紹介しているように、日本共産党の出版社である新日本出版の『新版資本論』の1冊目はすでに読み終えて、今2冊目に取り組んでいるし、また新日本出版の古典選書の一冊であり、『資本論』のエッセンスが詰まっているという『賃労働と資本/賃金、価格および利潤』も読んでいるので、特に「2、どうやって搾取が行われているのか?」は比較的理解が容易だったともいえる。

はじめに
ゼミナールを始めるにあたって
1
、『資本論』とはどのような本なのか?
Q1
 新入生歓迎運動で対話をしていると、「『資本論』を読んでみたい」という声が、けっこう返ってきます。海外ではどんなふうなのでしょうか?
Q2
 『資本論』はどのような本なのか。その特徴についてお話しください。
Q3
 マルクスは、『資本論』をどうやって書いていったのですか?
Q4
 今回のゼミナールの進め方についてお話しください。
2
、どうやって搾取が行われているのか?
Q5
 まずお聞きしたいのは搾取の問題です。この問題を考える前提として、いまの日本で本当に「搾取」ということが行われているのかどうか。ここからお話しください。
Q6
 どうやって搾取が行われているのかについて、お話しください。
Q7
 マルクスが『資本論』で行った搾取の秘密の「謎解き」とはどんなものですか?
Q8
 そもそも労働者とはどういう人たちを指すのですか? いまの日本では、労働者はどのくらいの搾取がされているのですか?
3
、労働時間を短くするたたかい(「自由な時間」を拡大するたたかい)の意味は?
Q9
 資本家は、どうやって搾取を拡大していくのですか。『資本論』ではどのような解明がされているのですか?
Q10
 そもそも労働時間はどのようにして決まるのですか?
Q11
 「資本の魂」という話がありましたが、マルクスが『資本論』を書いた19世紀のイギリスでは、資本はどういう「吸血鬼」ぶりを発揮したのですか?
Q12
 いまの日本でも過労死や「サービス残業」—「ただ働き」はひどいですね。
Q13
 労働時間短縮=「自由な時間」を増やすことは、みんなの願いです。その大切さについて『資本論』でマルクスが訴えたことをお話しください
Q14
 労働時間短縮は、まさにいまの日本の課題でもありますね。
4
、生産力の発展が労働者にもたらすものは何か?
Q15
 資本家が搾取を拡大していく方法として、「労働時間を長くする」という方法をお話しされましたが、それ以外にはどういう方法があるのですか?
Q16
 「生産力」の拡大ということが言われました。そもそも「生産力」とはどういうものでしょうか? 「生産力」の拡大というと、環境破壊という悪いイメージもありますが。
Q17
 資本主義のもとでの生産力の拡大が、労働者にもたらす害悪について、『資本論』ではどういう解明がされているのですか?
Q18
 いま言われた多くの問題は、そのままいまの日本の大問題ですね。
Q19
 資本主義の発展のなかで未来社会の要素がつくられてくると言われましたが、どういうことでしょうか?
Q20
 『資本論』では、環境問題についても突っ込んだ言及があると聞きましたが?
5
、貧困と格差拡大のメカニズムは?
Q21
 21世紀のいま、貧困と格差の拡大は、どこまできているのでしょうか?
Q22
 『資本論』では、貧困と格差が拡大するメカニズムをどのように解明しているのでしょうか。
Q23
 「産業予備軍」という話は、いまの日本にもつながる話ですね?
6
、社会の変革はどうやっておこるのか?
Q24
 社会の変革はどうやっておこるのですか? 『資本論』でマルクスが出した結論について、お話しください。
Q25
 社会を変えるには、客観的な条件とともに、主体的な条件が大切ということですね?
Q26
 『資本論』では、ここで、未来社会がどんな社会になるとのべているのですか?
7
、社会主義・共産主義で人間の自由はどうなるか?
Q27
 昨年のゼミは、『Q&A 共産主義と自由—「資本論」を導きに』にまとめられ、みんなで学習してきました。どういう点に力を入れてまとめたのか。ポイントを説明してください。
8
、『資本論』をどう学び、人生にどう生かしていくか?
Q28
 今日は、『資本論』第一部のあらましをお話ししていただきましたが、『資本論』をどうやって学んでいったらいいでしょうか?
Q29
 『資本論』を人生にどう生かすかについて、最後に一言お願いします

当然のように、日本共産党で長らく委員長を勤めた志位さんが出版する本は、党内部では基本的に称賛される。私は党歴が浅いので偉そうなことは言えないが、歴代の委員長は数多くの著作を発表している。日本共産党は科学的社会主義を党の理論的支柱とし、その科学的社会主義は単なる経済学や政治学の理論ではなく、社会変革のための運動も含むものであるがゆえに、聖書のような一冊の書物に集約はされていないが、「科学的社会主義」(まあ、マルクスの『資本論』が聖書のような存在と言えるかもしれない)を日本共産党は心のよりどころにしているといえる。
世界を見渡してもこういう政党はあまりないと思うが、少なくとも日本においてはこれほど徹底している政党は他にない。とはいえ、私は曲がりなりにも学術の世界に身を置いたものなので、日本共産党のこうしたマルクスに対する態度をまるごと受け入れるのは難しい。もちろん、マルクスのような19世紀の古典に直接あたることは非常に重要だと思う。日本共産党も『資本論』を聖書として扱っているわけではない。その辺りは以前紹介した不破哲三さんの著作のなかでもマルクスを神聖化しないように戒めている。しかし、なんだかんだいって学術の世界では、マルクスの古典を読むのは、その後のマルクス主義の文脈で「読み直す」というのが基本であり、またマルクスの真意を読み取る的な目的もやはり違和感を抱かざるを得ない。
まあ、それはともかく本書は初めてマルクスの思想、資本主義分析に触れる者にとっては学ぶことが多いだろう。目次に示したように、そもそもマルクスが生きたヨーロッパはどんな世界でどんな時代だったのか。そのなかで『資本論』はどのような意図で書かれたのか、本書は『資本論』の第1部のみを扱っているが、そこではどんな主題が扱われているのか、経済理論としての『資本論』とマルクスが参加していたインタナショナルを中心とする社会運動との関係はどのようなものか、そしてそうしたマルクスの教訓を現代社会にどのように活かしていくのか、という事柄が分かりやすく解説されている。
とはいえ、マルクス主義に先に接した私が一番魅力的に感じた「物象化論」にはほとんど触れていないのが残念である。以前紹介した斎藤幸平氏の『大洪水の前に』でも物象化論はかなり重要なものとして論じられていた。資本主義システムの浸透によって、人間の社会関係の在り方が根本的に変化させられた、というのがマルクスの商品論の重要なところで、まだ私は『資本論』のさわりしか読んでいないので、正確かどうかは分からないが、そうした社会思想的な意味合いについては、マルクス以降のマルクス主義者によって豊かに展開されるようになったのかもしれない。そういう意味で本書は、論の展開上、物象化論には触れず、搾取の仕組みに議論を集中させ、搾取を是正する過程で、労働時間の短縮と賃金の上昇という、日本共産党の政策に結び付け、さらには搾取をなくすという究極的な目標に向かって、資本主義から社会主義・共産主義へという未来社会への道筋を示す、という構成にしている、といえるのかもしれない。

| | コメント (0)

【読書日記】加藤直樹『九月、東京の路上で』

加藤直樹(2014)『九月、東京の路上で――1923年関東大震災ジェノサイドの残響』ころから,215p.,1,800円.

 

2023年91日、私は東京都庁の前にいた。関東大震災から100年目のこの日、都庁前で「小池百合子、東京都知事は関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送れ」デモに参加したのだ。関東大震災100年ということで、東京都の「東京都人権プラザ」で開催された企画展で飯山由貴さんの映像作品『In-Mates』が上映中止となったことを受けて、東京都の人権に対する姿勢、そして関東大震災の朝鮮人虐殺についての小池都知事の理解などに対して抗議するという意味でも、単に100年ということ以上に大掛かりなデモだった。
その頃は、この飯山さんをめぐるすったもんだに関するNoHateTVなどのYouTube番組をよく見ていたが、なかなか関東大震災の朝鮮人虐殺に関する書物を読むところまではいけていなかった。本書についても、そうした番組でも本当に基本的な文献として触れられていたのに、入手することもしていなかった。今年に入って、またまた古書で見つけ、そんなに安い値段にはなっていなかったが、状態も良かったので購入しておいた。これまた読む機会がなかなか訪れなかったが、今年(2025年)の91日は意を決して、両国にある横網町公園で開催される関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に参列することとしたのだ。そして、まさに読むのはこの日だろう、と久しぶりの電車での遠出となることもあって、本書を往復の電車で読むこととなった。

まえがき 新大久保の路上から
年譜
本書に登場する事件の現場地図
凡例
1章 19239月、ジェノサイドの街で
2章 19239月、地方へと拡がる悪夢
3章 あの9月を生きた人々
4章 90年後の「9月」
参考文献一覧
関東大震災の朝鮮人・中国人虐殺をもっと知るためのブックガイド
あとがき

本書は私が普段読んでいるような、そしてそうした日常的な読書から想定するような構成ではない、とても凝った作りになっている。巻末の著者プロフィールには本書が初の著書であるとあるが、肩書に「ジャーナリスト」という言葉はない。「フリーランス」とは書かれているが、安田浩一さんのように、ジャーナリストと多少活動を狭めるのではなく、もっと広く「ライター」というような位置づけなのだろうか。ともかく、本書は綿密な取材に基づいたルポルタージュとはいいがたい。しかし、読者のことをよく考えて構成されていて、そしてこの事柄、関東大震災時に起きた朝鮮人等に対する虐殺に関して、それほど知識がない読者に対しても、また私のようにある程度知識を持っている読者に対しても興味深く読めるような、そして多くの学びと気づきを得られるような本となっている。また、一度読んですっと頭に入るような形での「読みやすい」構成になっているとは必ずしもいえない。とはいえ、読みにくいわけではなく、読むたびに味わえる、なんとも不思議な構成だというのが私の印象である。
1章はおそらく、関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺に関する具体的な資料を手に、その出来事が起こった現場を訪れ、当時のようすに想いを馳せながら現在の風景を眺める、あるいはその事件にかかわる痕跡を見出す、そういうフィールドワークを基に執筆されていると思われる。そして、それを192391日から時系列的にたどっていくような構成で配置している。場所としては、92日の品川警察署前から始まり、旧四ツ木橋付近、神楽坂下、亀戸駅付近、千歳烏山、3日に入って上野公園、東大島、永代橋付近、4日に入って京成線・荒川鉄橋上、亀戸署といった具合。
2章では、それが地方に広がる様子を同じようにたどっている。94日熊谷、5日江東区旧羅漢寺付近、6日寄居警察分署、9日池袋、12日逆井橋、など。第3章は朝鮮人虐殺を当時記録したものを、文学者や子どもたち、ノンフィクション作家、国会議員などの言葉・絵画表現などをたどる。そして、第4章は現代のようすを伝えている。一つには「ほうせんか」のような、この出来事を市民の手で明らかにし、風化させないような活動。一方では、この現代において同様の朝鮮人差別を行う人々。そして、2005年の米国でもハリケーンという自然災害において黒人に対するヘイトクライムが発生してしまう。最後の文章は「「非人間」化に抗する」と題されている。まさにこの一言に尽きる。人権の問題はもちろん難しい問題だが、究極的に単純化すれば、他人を自分と同等の人間とみなす、ということに過ぎない。もちろん、なかには自分の命を粗末にする人、自分の存在を肯定できない人もいるが、自分が傷つけられたり卑しめられたりするのが嫌だという人は、他人が自分と同じ人間存在であると考える以上、その他人を傷つけたり卑しめたりはしないはずだ。

| | コメント (0)

【読書日記】ヴァンダン『地図とデータで見る移民の世界ハンドブック』

ヴァンダン, C. W.著,太田佐絵子訳(2022)『新版 地図とデータで見る移民の世界ハンドブック』原書房,177p.,2,800円.

 

先日紹介した『地図とデータで見る気象の世界ハンドブック』と一緒に購入したもので、同様に非常勤先の授業で用いた。そこでも書いたように、通年で担当している「人文地理学」を春学期は日本地理、秋学期は世界地理でやろうとしている。基本的に日本の地理学における人口地理学は国内問題を扱っているのでどうしようかと考えたが、素直に考えたら人口地理学とは地域ごとの人口の増減、および人口移動を扱う学問なので、世界的な人口移動といったら移民となる。移民研究を人口地理学だという人はあまりいないが、素直に考えれば移民研究は人口地理学だと思う。という、個人的な理屈で、秋学期は移民問題を扱うことにした。いずれにせよ、移民問題は社会科学全般として間違いなく重要な分野であり、また地理学においても、一般的には社会地理学に含まれるが、重要であることは間違いない。
以前から読みたいと思っていたのは、本書に挙げられているそれほど多くない参考文献のなかで、さらに少ない日本語訳のある文献のひとつでもある、コーエン, R.著,小巻靖子訳『移民の世界史』東京書籍、だったがおそらく読むのもそうたやすくはないと思い、この原書房のシリーズを読むことにした。

はじめに
さまざまな移住、要因と展望
ヨーロッパ、世界のおもな移住先のひとつ
激動する途上国――アラブ世界、アフリカ、アジア
新世界――移住の地
未来に向けた政治的課題

移民の話は以前、別の大学で社会学の講義を担当した際にも取り上げていたが、その時から心がけていたことは、移民という現象はグローバル化によって登場したものではないということ。いわゆるグローバル化とはコロンブスの大西洋横断に始まる、ヨーロッパ列強による植民地支配をベースにしていると私は考えている。植民地支配もそれ以前からあったものだが、近代以降の問題としてとらえている。しかし、移民自体は民族大移動も含めて近代以前からあるもので、時間のスケールは変化したが、人類史において移動というのはかなりの規模で行われてきた。コーエンの図書は書名からして、そうした歴史も踏まえて移民を考えるものだと思うが、本書は残念ながらそうではなかった。
とはいえ、目次からも分かるように、移民地誌ともいえるような構成で、地域別の問題を丁寧に扱っている点で学ぶことが非常に多かった。まず、前半は世界的な移民の状況とその原因について説明する。国際移民の要因と題して、いくつか挙げている。まずは経済発展と政治危機、次いで人口動態と急激な都市化と題し、貧富の差と連動して人口の増減の地域的偏りがある。さらには環境要因として温暖化の影響で居住地を離れざるをえない人たちも移民となる。また、数としては限られてはいるが、人身売買や密入国斡旋の問題も一つの単元をとって説明する。難民と避難民についても一つの単元。そして、私が知りたかったことは「ディアスポラとトランスナショナルなネットワーク」と題して、中国とインドからの世界中への労働移民について一つの単元で説明している。個人的にはこの問題を「ディアスポラ」として扱うには違和感があるが、とはいえこの問題の理解は非常に浅いので何とも言えない。本書では、「中国系ディアスポラ(華僑)」と表記され、5000慢人という数字が挙げられ、「歴史の古い」(p.30)とされるが、この数字がどのくらいの歴史的期間で推計されたものかは分からない。そして「インド系ディアスポラ(印僑)」は3700万人とされる。本書ではその歴史の説明もないし、別の表現では「クーリー(苦力)」と表現されると思うが、その言葉も使われていない。なお、Wikipediaによれば、「苦力(クーリー、くりょく、タミル語: கூலி、英: coolie)は、19世紀から20世紀初頭にかけての、中国人・インド人を中心とするアジア系の移民、もしくは出稼ぎの労働者。」と説明されていて、比較的歴史の浅いものとされている。Wikipediaの参考文献では「ディアスポラ」とタイトルにあるものもあるので、私の理解が誤っているようだ。一冊くらい本格的な著書で学ぶ必要があるようだ。ともかく本書では、分布図が掲載されているので、それは頭に入れておきたい。なお、この単元の最後に、「トルコ、マグレブ地域、ロマ」についての若干の記述もある。続く単元は、留学生と頭脳流出、そして観光、巡礼、陽光を求めるシニアたち、という単元があるのも面白い。そして前半は環境移民で閉められている。
地域別の説明はヨーロッパから始まり、「世界のおもな移住先のひとつ」と表現される。ヨーロッパで移民の話と言えばEUのことを知らなければならず、その過程で定められたシェンゲン協定だが、協定を結んでいる国々のメンバーとEUのメンバーが完全に一致しているわけではないということは知らなかった。そして、この各論は国別の説明に入り、ドイツ、フランス、イギリスとアイルランド、地中海ヨーロッパ、東ヨーロッパ、ロシアとそれぞれの抱える事情が説明されている。
続いて、アラブ世界、アフリカ、アジアと移る。アラブ世界の説明で用いられている地図は、なぜかアラビア半島が一部しか含まれておらず、アフリカ大陸北半分とヨーロッパが入っている。中近東ということで別の単元があるので、ここでは移住というものが特定の地域単体の問題ではない、複雑な問題であることを意識させる。アフリカ大陸全体の難民送り出し国と受け入れ国の地図が掲載されているが、お互いに難民を出しているし受け入れてもいることが分かる。国内も地域によって安定している場所と不安定な場所があるのだろうか、この地図からは判断できない。また、東西南北それぞれ接している国との関係は異なることがよくわかる。中近東についてはクルド人やイスラム国など、国境を越えた存在が移民・難民にとって重要なので、国内の差異も意識した地図になっている。そして、トルコやイスラエルについても別単元として詳しく説明されている(データと地図は詳しいが文章はそれほどでもないのがやはりこの本全体を通じての印象で、残念ではある。)アジアについても、「中国、インド、パキスタン」、「東南アジア」と別れている。アジアにもロヒンギャという国境を越えた難民となる民族が説明される。それから、アジアで興味深いのは労働移民が本国にもたらす「仕送り」の存在だ。歴史的な移民の多くは、本国を捨て、文化や習慣は移住国でも維持するものの、本国との関係が希薄になる場合が多い。しかし、現代の東南アジアから排出される移民の多くは(日本で働く東南アジアの人々も典型的だが)本国に住む家族や親類に送金することがベースとなっている。
続いて南北アメリカ大陸とオーストラリアの章だが、「新世界――移住の地」と題されているのが興味深い。移民大国であるアメリカ合衆国については、まず全国の出身地分布が掲載されている。そして、今日の状況だが、「警察の暴力に対する抗議運動」の分布図が載っているのがすごい。今日の移民問題とは関連性は薄いと思うが、人種差別と移民排斥運動とは地続きだということか。同様に移民の国であるカナダは、英国のみならずフランスからの移民も多く、多文化主義の政策がとられていることでも知られ、また数的には思ったほど多くはないが、移民の受け入れもある国である。
続く中央アメリカもまさにコロンブスがたどり着いたという意味で移民の地域であると同時に、黒人奴隷貿易の中心でもあり、今日においても人の流れは絶えない。南米大陸の移民の流れも複雑で、経済発展も遂げながら貧富の差も激しく、移民の排出も受け入れもあり、隣国同士でも流れがあるという。オーストラリアについては、「世界の十字路にある歴史」(p.146)と表現される。ニュージーランドと人の流れの特徴は多少異なるが、よりよい住環境を求めて日本からの移住も少なくない。
最終章では、グローバル・シティの議論あり、アフリカの都市化の議論は非常に興味深い。日本の技能実習制度も基本的には二国間協定だといえるが、移民政策の主要なものとして二国間協定を挙げている。東南アジアの事例で登場した海外送金の問題も世界地図で示され、グローバルな現象として把握されている。移民政策は一つのガバナンスとして、気候危機もんだなどとともにグローバル規模で国際社会全体で取り組まなければならない課題であり、その一例として新型コロナウイルスのパンデミックの例も挙げられている。
なかなか説明文が不十分なところは否めないが、読者に対してボールが投げられたという感はある。読者は問題視式をもって、さらなる学びを進めていく必要があろう。

| | コメント (0)

«【読書日記】斎藤幸平『人新世の「資本論」』