【映画日記】『ノー・アザー・ランド』『秋が来るとき』『今日の空が一番好き,とまだ言えない僕は』

2025年515日(火)

吉祥寺アップリンク 『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』
なんとか映画館で観ることができた。パレスチナ人バーセルとイスラエル人のジャーナリストでバーセルの下でヨルダン川西岸地区の村マサーフェル・ヤッタの状況を告発するユヴァルらが自ら被写体となりつつ監督も務めるドキュメンタリー映画。ちょうど202310月のガザをめぐる状況の直前までが本編の撮影時期。
観てからすっかり時間が経ってしまったので,詳細は語れないが,ともかく考えさせられることばかりの作品。イスラエルによって次々とパレスチナ人の民家が破壊されていくこの村は,乾燥地域で,それでも厳しい自然環境のなかで必死に生きている人々の村。なぜわざわざこんな場所を政治的にも厳しい環境に置いていくのか。イスラエルの言い分からすると,ここはイスラエルの軍事施設が立地するから,あなた方は出ていってくれということ。もし本当にそこに軍事施設ができたとしたら,そこで行われる軍事演習はパレスチナ人を虐殺するための訓練なのだろうか。幾重にも恐ろしい。これは21世紀を生きる人間ができることなのか。
しかし,この作品を観ていて,なぜか私は日本の状態を想起した。日本では最近能登半島で地震が起こった。あまりにも遅い復興で,「棄民政策」とも呼ばれた。この間も日本では行政サービスの縮小が進み,地理的には市町村合併により,また介護医療の報酬引き下げなどに起因して高齢者ばかりの過疎地が蔑ろにされてきた。昨今の米不足も,地方での零細農家が米作を続けられないような状況へと思い込み,生きたいのであれば別の場所にどうしろといっているようだ。まさにパレスチナで起こっていることも地続きで,人々を管理しやすいようにひとところに集め,誰も住まなくなった辺鄙な土地には軍事施設や原子力発電所などを何の気兼ねもなく立地させることができる。コンパクトシティなどとさわりのよい言葉ではあるが,人々が自由に選択できる居住権や移動の権利などは次々とはく奪されていくのだろうか。
https://transformer.co.jp/m/nootherland/

 

2025年61日(日)

立川キノシネマ 『秋が来るとき』
フランスの映画監督,フランソワ・オゾンの監督作品。デビュー作の『焼け石に水』から好んで観ているが(途中イマイチの作品もあり,全ては観ていない),本作は観てよかったと思える作品だった。オゾン監督作品のミューズともいえるリュディヴィ−ヌ・サニエも加齢をそのままに出演していて,なかなかの存在感。ネタバレをしてしまってはつまらない作品だが,もう上映はしていないと思うので,ネタバレします。オゾン作品はどちらかというと本質的,あるいは抽象的な社会批判を含む作品を作ってきたように思うが,本作は具体的な社会的問題を扱っている。主人公はリュディヴィーヌ演じる女性の母親役なのだが,売春婦をしていた過去があり,それが故に娘から嫌われている。そのことを知らない孫は祖母になついているのだが,娘にとってはそれも気に入らない。主人公の女性には同じ町に住む親友がいて,彼女も売春婦仲間である。彼女が亡くなった時に,葬儀に集まった大勢のかつての仕事仲間たちのシーンが圧巻である。売春婦が誇れた職業ではないのは承知の上で,主人公は女手一つで娘を育てるためにやむを得ずに職業選択をし,それでもそこで仲間ができ,引退してからは社会のなかでひっそりと暮らし,娘からは疎んじられ,最愛の孫にも頻繁には会えない,そんな一人の高齢女性の生きざまを描いた作品。
https://longride.jp/lineup/akikuru/

 

2025年624日(火)

立川キノシネマ 『今日の空が一番好き,とまだ言えない僕は』
とても評価の高い,河合優実さんだが,24歳でありながら,メイクをしない,笑わない役どころの出演が多いように思う。とはいえ,私が彼女の演技をしっかり見たのは『PLAN75』だけであり,『佐々木,イン,マイマイン』や『線は,僕を描く』に出演していたことは今から思い返しても印象は残っていない。いずれにせよ,メイクをしない,笑わない映画俳優という存在は,かつての宮﨑あおいのようで,どうにも気になってしまう。そして,恐らく言われていることではあると思うが,山口百恵に似た雰囲気を持つ河合優実さんの作品はできるだけ観ておきたいと思うと同時に,本作はメイクもしているし,キレイ目の女子大生を演じているというのも貴重かもしれないと思い,見逃さないようにした次第。
主演の萩原利久さんは『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』の印象が強い,なかなか両義的な雰囲気を持った俳優だと思う。しかし,前半で圧倒的に存在感を発揮していたのは,萩原さん演じる主人公のバイト友だちを演じる伊東 蒼さんは素晴らしい演技だった。特に出演最後の長回しのシーンは,本当に素晴らしく,映画としてはそこまで長いセリフにすると冗長すぎてマイナスの効果があるようにも思うが,それが故にリアリティがあるように感じた。そして,ストーリーの展開は単なるラブ・ストーリーではない展開になり,後半はノーメイクの優実さんが登場し,そこからの演技が素晴らしかった。とにかく,今後の活躍が楽しみな二人の俳優の演技がみられた非常に貴重な作品だと思う。
https://kyosora-movie.jp/

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【映画日記】『片思い世界』『劇場版名探偵コナン 隻眼の残像』『マインクラフト/ザ・ムービー』

2025年415日(火)

立川シネマシティ 『片思い世界』
清原果耶,杉咲 花,広瀬すずという夢のような若手女性俳優の共演という作品。なんとか,見逃さずに済みました。もちろん3人の演技は魅力的なのだが,オリジナル脚本を是枝裕和監督作品『怪物』の脚本家,坂元裕二が手掛けており,これが素晴らしかった。ネタバレをしてしまうと面白くないので,これ以上は書かないが,最後の最後まで楽しませてくれる。冒頭に書いた三人の名前は私の好きな順で書いたのだが,実は広瀬すずさんは『ちはやふる』以降ちゃんと演技を観たことがなかったが,若いにも関わらずさまざまな作品の重要な役どころを経験してきただけに,なかなか深みのある演技を見せてくれた。でも,やはり思い切りのよい清原果耶さんの存在感が大きいかな。
https://kataomoisekai.jp/

 

2025年419日(土)

府中TOHOシネマズ 『劇場版名探偵コナン 隻眼の残像』
今年もやってきました名探偵コナン映画。今回は毛利小五郎の過去の人間関係が中心となる物語展開。今回はコナンの推理が中心ではなかったような印象だが,しっかりと考えられたストーリーはさすがだ。ただ,客席には心なしか成人女性の姿が少なかった気もする。まあ,公開間もない日だったので,子連れが多く,往年の女性ファンはそこを避けているのかもしれない。
https://www.conan-movie.jp/2025/

 

2025年427日(日)

府中TOHOシネマズ 『マインクラフト/ザ・ムービー』
私の子どもたちも任天堂スイッチでやっているゲーム,マインクラフト。数年前まで購読していた『コロコロコミック』にも漫画が掲載されていたし,子どもたちはYouTubeのゲーム実況でも好んで観ているので,馴染みのゲーム。とはいえ,私のような世代にはちょっと理解不能なゲームなので,私自身は関心がなかったが,娘が日本語吹き替え版で,子どもたちがよく観るYouTuberが声優として参加しているということで観ることになった。とはいえ,前半の現実世界での展開があまり子ども向けではなかった。まあ,ジャック・ブラックが主演だからある程度予想はできたが,むしろ1980年代のアメリカン・ハードロックや,ゲームでいえば日本では高橋名人が活躍していた頃の世代を喜ばせるような仕掛けがあったりする。ようやく後半になって娘は楽しめるようになったようだ。残念ながら,YouTuberの声の出番はちょっとだけだったが,まあ作品としてはそんなもんかな。
https://wwws.warnerbros.co.jp/minecraft-movie/

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【読書日記】志位和夫『Q&A共産主義と自由』

志位和夫(2024):『Q&A共産主義と自由――『資本論』を導きに』新日本出版社,149p.,900円.

 

日野市議会議員選挙の候補者となり,落選はしたものの30年近く勤めてきた会社を辞めて,本格的に日本共産党の活動をするようになったので,党の基本的な文献は読まなくてはならなくなった。本書の基となるYouTube動画は観た記憶があるが,昨年の総選挙から日本共産党が前面的に押し出すこととなった「共産主義と自由」というテーマに関しては,やはり書籍化された本書を読んで,改めて党の方針を頭に入れておく必要があるということで読んだ。読後の感想としては,やはりオンラインゼミという形式で,しかもQ&A形式であるということからさらっと読めてしまうところがいい点でもあり,短所でもあるかもしれない。

はじめに
序論──資本主義はほんとうに「人間の自由」を保障しているか?
Q1 「社会主義・共産主義」のイメージが変わるお話になるということですが?
Q2 「資本主義」や「社会主義・共産主義」とは経済の話なのですか?
Q3 そもそも資本主義はほんとうに自由が保障された社会なのでしょうか?
Q4 貧富の格差の拡大はどこまできているのでしょうか?
Q5 気候危機がとても不安です。危機はどこまできているのでしょうか?
Q6 社会主義への新しい注目と期待を感じます。世界ではどうでしょうか?
Q7 「『資本論』を導きに」が副題ですが、どういうことでしょうか?
Q8 「人間の自由」と未来社会について、日本共産党大会で解明がされました
第一の角度──「利潤第一主義」からの自由
Q9 そもそも「利潤第一主義」とはどういうことでしょうか?
Q10 「利潤第一主義」は資本主義だけの現象なのですか?
Q11 「利潤第一主義」はどんな害悪をもたらすのですか?
Q12 資本主義のもとでなぜ貧困と格差が拡大していくのでしょうか?
Q13 「あとの祭り」の経済とはどういうことですか?
Q14 どうすれば「利潤第一主義」をとりのぞくことができるのですか?
Q15 「利潤第一主義」から自由になると、人間と社会はどう変わるのですか?
Q16 「生産手段の社会化」と「自由」は深く結びついているということですね?
Q17 「生産手段の社会化」と「自由」を論じたマルクスの文献を紹介してください
第二の角度──「人間の自由で全面的な発展」
Q18 ここでの「自由」の意味は、第一の角度の「自由」とは違った意味ですね?
Q19 「人間の自由で全面的な発展」とはどういう意味かについて、お話しください
Q20 「人間の自由」についてのマルクスの探究の過程をお話しください
Q21 搾取によって奪われているのは「カネ」だけでなく「自由な時間」ということですね?
Q22 今の日本で、働く人は「自由に処分できる時間」をどのくらい奪われているのですか?
Q23 『資本論』では、「人間の自由」と未来社会について、どういうまとめ方をしているのですか?
Q24 第一の角度の自由と、第二の角度の自由の関係について、踏み込んでお話しください
Q25 「自由に処分できる時間」を広げることは、今の運動の力にもなるのではないですか?
第三の角度──発達した資本主義国での巨大な可能性
Q26 「利潤第一主義」がもたらすのは害悪だけなのでしょうか?
Q27 資本主義の発展のもとでつくられ、未来社会に引き継がれるものをお話しください
Q28 「高度な生産力」の大切さはわかりますが、生産力って害悪をもたらす面もあるのでは?
Q29 「経済を社会的に規制・管理する仕組み」とはどういうことですか?
Q30 「国民の生活と権利を守るルール」も未来社会に引き継がれていくのですか?
Q31 「自由と民主主義」についてのマルクスの立場、未来社会になったらどうなるのかについてお話しください
Q32 人間の豊かな個性と資本主義、社会主義の関係についてお話しください
Q33 今のたたかいが未来社会につながっていると言えますね?
Q34 旧ソ連、中国のような社会にならない保障はどこにあるのでしょうか?
Q35 発達した資本主義国から社会主義に進んだ例はあるのですか?
当日寄せられた質問から
当日の質問1 「生産手段の社会化」と協同組合との関係について知りたい
当日の質問2 恐慌を起こさない資本主義がつくられる動きがあると聞きます
当日の質問3 社会主義・共産主義に到達するために最も必要なものは何でしょうか?

読後少し経ったこともあり,こうして目次を眺めてみても,この質問に対して,一つ一つ何も見ずに私が答えられるかというとそうでもない。なので,本書の詳細についてここで説明することは諦めます。まあ,薄くて安い本ですし,YouTubeで動画視聴もできる内容なので,ここでは私の想うところを書きたい。
私は今回の選挙で,自身の肩書を「人文地理学研究者」とした。地理学者相手には「独立研究者」などといっていて,この「研究者」という表記にある程度のこだわりを持っている。まあ,大したことではないが,Twitterには以下のように書いた。「学者というのは大学や研究機関に所属して学会を中心に研究をする人。研究家は所属に限らず,学会ではなく出版会を中心に研究をする人。そして,研究者は大学や研究機関には属さないが,学会を中心に研究をする人。」私は多少出版社が出す雑誌や書籍でも執筆の機会があったが,継続的にはなく,当然収入も生計を立てられるほどではない。大学の先生でも出版会で活動されている方もいるが,そうした収入がなくても大学からの給料で生計は立てられる。学会を中心にというのは,執筆の場が主に学会が発行する学術雑誌ということになり,執筆活動が収入にはならない。そして,学会誌というのは査読制度を持っていて,書きたいように書けるわけではない。また,自分の分野やテーマでこれまでどんな研究がなされていたのかということを網羅的に把握した上で,自分の研究のどこが目新しいのか,説得的に示さなければならない。そういう意味において,志位和夫議長のような立場を私は「マルクス研究家」と呼ぶのが相応しいと思っている。とはいえ,志位さんの文章をすべて読んだわけでもないし,日本共産党も『前衛』や『経済』という雑誌を出版していて,それらもしっかり読んだことはないので,偉そうなことは言えないのだが。これらの雑誌がどれだけ学術雑誌に準じているかは確認しなくてはいけないとは思う。例えば,青土社の『現代思想』や岩波書店の『思想』などは極めて学術雑誌に準じていると思うからだ。
まあ,この私の考えは今後また日本共産党の書籍を読むことでアップデートしていきたいとは思う。いずれにせよ,本書でいえば,志位さんはマルクス周りの文書を丁寧に読んではいるのだが,では他のマルクス研究者が同じ文書をどう扱ってきたかについては問うていないということと,私の理解では,今回マルクスの文書から志位さんらが導き出した「共産主義と自由」というテーマは,現代日本での文脈において,「日本共産党の存在は,ソ連や中国を想起させ,また自由主義経済である資本主義の対極にある共産主義はやはり自由という観点でも対極にある,という理解を打ち破ろうとする発想」だと考えている。つまり,日本共産党が描く未来社会は,「共産主義には自由がない」という理解とは異なっている,ということを強調して,昨年の総選挙の際にそれを訴えの最前線に用いようと決定したのだと理解している。つまり,これまでも日本共産党は資本主義経済の下で一般的な労働者は自分が提供している労働力に対して対等な賃金は支払われず,資本家に「搾取」されているという理解を示してきた。つまり,対等な賃金を支払わせるのが労働闘争だと。それに対し,今回は奪われているのはお金だけではなく,時間も奪われているのだと主張している。つまり,労働者が苦しんでいるのは低い賃金だけでなく,長時間労働であると。場合によっては,時間当たりの賃金が低いために長時間労働をして時給が少しでもアップする残業代を賃金として加算することでなんとか生計を立てられるということだ。であれば,単に賃金アップ=時給の増額だけでなく,残業しなくても生計が立てられるだけでの賃金=日本共産党のかつてのスローガンの一つ「8時間働けば普通の生活を送れる」というもの延長線上として「自由に使える時間」の獲得を政策の前面に押し出すという意味だ。マルクスの言葉では「自由に処分できる時間」としているわけだが,まあ,この政策は非常に優れているとは思う。労働以外の時間ができれば,人々は何をするだろうか。私たちが望んでいるのは,趣味に使う,勉強をして自分を高める,さらに高度な労働のための技術を学ぶ,地域活動に使う,ボランティアに使う,家族のために使う。しかし,この資本主義社会が続く限りは,さらなる収入のための労働に充てる,株式などの投機に充てる,購買の浪費に充てる,ただひたすら時間の浪費をする,そんな人々も多いと思う。やはり,この「自由に処分できる時間」が有効に使用されるためには社会のあり方そのものの変容が必要のようにも思う。
そして,同時にこの「自由」の意味をもっと深く議論する必要があるようにも思う。

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【読書日記】吉見義明『従軍慰安婦』

吉見義明(1995):『従軍慰安婦』岩波書店,238p.,780円.

 

日本軍の従軍慰安婦についての本は,朴 裕河『帝国の慰安婦』についで2冊目だが,本書を読んでさらに分かった気になってしまう。それくらい,私の貧しい想像力では思いもしない衝撃的な内容が本書には網羅されている。でも,本書は1995年時点の日本で書かれた新書だし,まだまだこのテーマは奥が深いのだろうと想像してしまう。とはいえ,本書でもそれ以前に書かれた書籍についても言及されているのでこのテーマについて知るべきことはまだまだ多いと思うし,本書以降に研究が進んだ側面も大きいと思う。


I 設置の経過と実態――第一次上海事変から日中戦争期まで
II 東南アジア・太平洋地域への拡大――アジア太平洋戦争期
III 女性たちはどのように徴集されたか――慰安婦たちの証言と軍人の回想
IV 慰安婦たちが強いられた生活
V 国際法違反と戦犯裁判
VI 敗戦後の状況
終章

本書は本当にこのテーマについてコンパクトに整理されていて,それをさらに私がまとめるというのも気がひけるというか,知りたかったら本を読んでください,の一言しかない。
旧ユーゴスラビアなど1990年代以降の比較的最近の戦争でも兵士による侵攻地での性暴力がまさに,戦術の,あるいは一種の攻撃として重要なものであることが示された。当然,第二次世界大戦のなかでも世界中の多くの戦地で兵士による現地住民への強姦は多く確認され,日本軍による慰安所の設置はそうした個人的な犯罪を軍組織としてなくしていくという目的によるものだということが理解できる。ということもあり,本書では他の国の軍隊はどうだったのかをしっかり示し,似たような施設は他の国にもあったことが示されている。しかし,その一方で国際法の次元で,そのようなものがいつからどのような形で禁じられ,各国の批准状況に照らし合わせた作業も行われている。そうした国際比較をしても日本軍の慰安所は特殊でひどいものであることが示される。
さらに,一概に日本軍による慰安所といっても,アジア太平洋戦争で日本が侵攻した場所は数多く,それらも一律に同じではないので,地域による違いも論じられているし,また,各地の慰安所で集められた女性についても各地の状況でさまざまであることも示され,そういう意味では非常に地理学的想像力の豊かな書であるといえる。そしてその日本軍の特殊性を支えているのが,日本特有の男女観,性に関する価値観にある。当時であれば,性交の経験のない若い兵士も多かったわけで,死ぬ前に女くらい抱いておけ的なノリや,兵士としての士気と精力とを同一視する見方など,いわゆるマスキュリニティの度合いと精力とを,兵士としての能力と結びつけるような価値観,認識が強かったといえる。もちろん,それは現代社会でも息づいていて,今では少なくなったものの,エロ談議で盛り上がる体育会系男子や,会社の男性同士で性風俗店やキャバレーなどで絆を深めるようなホモソーシャルな関係などは日本人的な精神風土といえるかもしれない。
そして,本書は戦後の状況にも配慮しているところがぬかりない。敗戦後の日本では,連合軍の兵士が駐留することとなり,自分たちがやってきたことを同じように外国の兵士もやるだろうと想定している。つまり,日本国内の女性たちが性暴力の被害に遭うという想定だ。その被害をなくすために,外国兵士を相手とする慰安所を積極的に設置したのだ。これは短期間で閉鎖されたようだが,結局,大きな戦争で負けても自分たちがしたことを反省していないが故に,根本的に変わっていないように思う。
そもそもが日本政府は自分たちの戦争加害を反省していないし,研究者がこれだけの本を書いても,第二次安倍政権以降従軍慰安婦を否定しようとする勢力が増している。一方で,特に沖縄県での米兵による性暴力が相次いでいて,この場合は日本側は被害者にはなるのだが,ともかく根本的な解決に向けて日本政府が本腰を入れていないということが一番の原因だと思う。

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【読書日記】雑誌『地平』2025年3月号

『地平』地平社,2025年3月9号,248p.,1,100円.

 

創刊号以来で購入した『地平』。今回は特集3「データセンターという怪物」を読みたくて購入した。現在,私が住む日野市で巨大なデータセンター建設計画が進んでいて,開発業者の好き勝手はさせないと市民団体が立ちあがって,勉強会を開催した。その際の講師が,本誌に寄稿している歌川 学さんだったのだ。講演の際に使われたレジュメは手に入るが,やはり活字で読める文章は置いておきたい。そして,もう一人の寄稿者はデータセンターがこのAI時代の社会に必要なのかどうなのかという全体を状況について知ることができると思った。
また,特集1も非常に魅力的だ。長崎の黒い雨訴訟について取材して書籍も出版した小山美砂さんが,ソビエト連邦時代に核実験場になった,現あじぇるばいジャンのセミパラチンスクの取材をしていることは知っていたので,その報告が読みたかった。また,特集2についても,治安維持法100年などといわれており,日本共産党員として知らなければいけないことがあると思う。

News In-Depth
 小寺隆幸:本質的問題は消えていない──学術会議法人化法案のまやかし
 吉田明子:電気代はなぜ高騰したか──日本最大の発電会社JERAの不正とエネルギー政策
 木口由香:ミャンマー 「春の革命」を理解する
特集1 原子力の終活
 松久保 肇:虚飾の原発──求められる原子力産業の終活
 佐々木 寛:原発と対峙する新潟の市民──その歴史的文脈を概観する
 池内 了:柏崎刈羽原発を動かしていいのか
 まさのあつこ:フクシマ“廃炉”は可能なのか
 小山美砂:セミパラチンスクの乾いた風に耳を澄ます
 今中哲二:核融合発電という蜃気楼
特集2 生きている治安維持法
 荻野富士夫:そもそも治安維持法は「悪法」だった
 伊藤智章:もの言う自由を守るために──大垣警察市民監視事件
 近藤ゆり子:市民vs 公安警察
 青木 理:日本の公安警察2025(第1回)四半世紀の変容
特集3 データセンターという怪物
 歌川 学:巨大データセンターと立地地域──脱炭素への逆行
 ロイス・バーシュレイ:隠されるAIのコスト
注目記事
 安田純平:シリアに平和は実現するか
 八尋 伸:ルポ 解放されたシリアの収容所
 会田弘継:トランプ2.0政権始動──内部抗争兆す新右派
 ハミッド・ダバシ、解説=早尾貴紀:ニューヨーク・タイムズ紙は、反ユダヤ主義を報じても、ジェノサイドには触れない
 小林美穂子:「人権」が忌避される世の中で―ある自治体の市民と市長の取り組みからの考察
 笹山尚人:「労使自治論」の危険性
好評連載
 小林美希:ルポ イバラキ(第3回) メディアのチェック機能はどこへ?
 尾崎孝史:ウクライナ通信(第9回) 軍用車の墓場と化した国境地帯
 小笠原 淳:第三者の記(第3回) メディアと警察
 樋田敦子:ルポ 消えたい子どもたち──生きたいと思える社会へ(第3回) 終われないヤングケアラー
 栖来ひかり:台湾・麗しの島だより(第9回) 皇民化政策の名残とどう向き合うか
 今福龍太:いくつものフォルモーサへ(第2回) わたしの風景、あなたのためだけの
 石田昌隆:Sounds of the World(第9回) ソウル・フラワー・モノノケ・サミット
書評
 原口昇平:私たちが壁でなくなるために──ガザに関する、宛名を削除した書簡

まずはNews In-Depthとして掲載された三つの記事。日本学術会議の問題は継続的に考えたいし,JERAの問題はもっと広く知らせたい。TOHOシネマズに行けばあの過大広告をまだ垂れ流していて,JERAサンデーもやめていない。ミャンマーの問題もなかなか知る機会が少ないので,貴重な記事。この雑誌は本当に特集以外にも読みどころ満載。
さて,特集1。期待した小山さんによるセミパラチンスクの取材記は想像した以上に衝撃的な内容だった。この旧ソ連の核実験場は四国ほどの大きさで広島型原爆1,100発ものエネルギー量の核実験が,1949年から40年間にわたって456回も行われたという。閉鎖されて34年が経過するが,日本国内の平均的な放射線量の23倍の放射線が測定されているという。小山さんはこの地に住む家庭を一軒一軒訪ね歩き,過去の記憶や現在の生活の状況,そしてこれまでの政府の対応などについて丁寧に記載している。
池内 了さんは九条の会の世話人ということもあり,自然科学者としてさまざまな側面で発言されている方だということは知っていたが,2018年に新潟県原子力発電所事故に関する検証総括委員会の委員調査をされていたとは知らなかった。そして,その背景を知ることができるのが佐々木さんの記事で,池内さんの論考からは,こうした人がそうした要職に就くことの苦悩を知ることができる。今中さんという原子力の技術専門家による記事を入れているところも素晴らしい。知らないことが沢山あります。
データセンターを論じた特集32つの記事だけで少し寂しい感じはするが,知りたいことは知ることができました。治安維持法に関する特集2は知らないことが多かった。大垣市の風力発電をめぐる市民監視の問題は『しんぶん赤旗』でも報じられていたので,当事者とそれを報じた記者による記事を興味深く読んだ。また,公安警察に関しては連載という形で青木 理氏の連載の初回も掲載された。彼が,2000年に講談社現代新書で『日本の公安警察』を出していることも知らなかったし,未だに公安警察の実態を整理した貴重な本だという。この本を出した当時,青木氏は共同通信社の記者であり,現在はフリーのジャーナリストであって,公安との関りは変化した前提で書かれている。
注目記事も世界情勢に関わる興味深いものばかりだったが,私が非常に関心を持ったのが小林美穂子さんの記事だった。小林さんはつくろい東京ファンドの方で,群馬県桐生市の生活保護問題で地平社から著書も出しているが,今回は国立市の人権政策に関するものだった。国立市といえば,最近市長選挙があり,日本共産党も支援した若い市長が現職を破って当選したばかり。こういう構図では,現職市長がいわゆる自民党への逆風から革新市政の誕生と思いがちだが,人権政策に関してはかなり先進的な自治体だったというのだ。確かに,国立市といえば景観条例や大学文化都市というイメージがあり,また人口規模の割には毎週国立駅前でパレスチナ・スタンディングなども行われるなど市民の政治意識も高いように思う。そういった意味でも,自治体にはそれぞれ複雑な事情があるということの認識の重要さを再確認した。
いずれにせよ,毎月とはいわないが,今後も本誌には注目しなければならない。

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【読書日記】高松平藏『ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか』

高松平藏(2016):『ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか――質を高めるメカニズム』学芸出版社,187p.,1,900円.

 

本書の帯には著者の肩書を「ドイツ在住ジャーナリスト」と,「10万人の地方都市エアランゲン。全国平均2倍のGDP=経済力と小さく賢く進化し続ける創造力はいかに生み出されるのか。」と書かれている。私が日野市議会議員補欠選挙に立候補してほしいという要請があった後にブックオフで見かけたのが本書。自分としてどんな政策を打ち出すべきか考えていた時だったので,参考になるかなと思って購入して早速読んだ。日野市は19万人弱の人口だったので,それより小規模な都市でどのようなまちづくりがなされているのか,知りたかった。
ドイツといえば,地理学者にとってはクリスタラーの中心地理論で知られるように,一定の距離を保って独立した存在として発達した都市がイメージできる。ドイツでなくても,古くはローマ帝国がヨーロッパ中に侵攻していく過程で随所に陣を張り,それが広場となった。そして,その侵攻の経路を使って商人が物資を運び,広場で定期市が開催される。日本でも宿場町があったように,商人のような人が徒歩で移動する距離ごとに中心地ができて発展していく。
日本でも原理的には同じはずなのだが,やはり平坦でない地形上の理由なのか,例えば人口10万人のエアランゲンに対して日野市は20万人弱の人口を有する。しかし,日野市は東京大都市圏のなかで行政区画を引かれた一地方自治体にすぎず,日野市という行政界に社会としてのまとまりはないし,また他市と比べて中心性もない。日本の場合(私の場合は特に関東地方しか知らないわけだが)はなんだかんだで鉄道駅を中心に商業地が発達し,鉄道駅は,特急停車駅,快速停車駅と階層化され,それぞれが商業地の規模に対応しているといってよいと思う。日野市の場合,京王線では高幡不動駅,JR中央線では豊田駅がそこそこの規模の駅。とはいえ,高幡不動は高幡不動尊と多摩動物公園への乗換駅,多摩都市モノレールの乗換駅という観光地と乗降客数の規模はあるものの,不動尊への参道も規模は小さいし,駅ビルが日野市のなかでは比較的大きいという程度。豊田駅も駅の近くにイオンモールがあるだけであり,JR中央線やモノレールでアクセスも良い立川駅や,京王線でアクセスのよい聖蹟桜ヶ丘駅や府中駅,京王八王子駅まで足を伸ばせば数段豊かな商業施設群を利用できる。私は車を使わないのでイオンモール多摩平の森がどのくらいの集客を持っているのかは分からないが,日野市を独立した「都市」とみなすのはかなりの無理がある。
さて,それを前提としたうえで本書から何が学べるのか。

はじめに――400年間「最新」であり続けるまち
1章 ドイツのまちの捉え方
2章 クリエイティビティのエンジン
3章 コンパクトシティのアクティビティ
4章 まちと成長する企業の戦略
5章 コミュニティをしなやかにつなぐインフラ
6章 パブリックマインドが生まれるしくみ
7章 まちを誇るメンタリティ
8章 競いあい磨かれる,まちの価値
おわりに――お喋りな都市に宿る創造性

前半は,本書のタイトルにある「クリエイティブ」という言葉を特に意識なく読み進めた。もうすっかりなじんでしまっている言葉だと思っていたからだ。前半はとても面白かった。1章では,「2 まちを捉える鳥瞰的思考」と題して,この都市の統計調査の充実さを紹介している。さまざまな項目の調査を行い,この都市の状況を知り,課題を発見し,その解決に努める,というわけだ。そして,その解決は経済分野にとどまらない。ドイツはエコロジーの発明の地でもあるが,現在も環境意識の強い国である。経済最優先にならないように,環境へも配慮しつつ,市民社会のことも考える,そうした風土があるのだという。
2章はドイツにおける移民の多さ,そしてそれが故の「人口流動をまちの活力に」と論じている。そしてエアランゲンでは企業の社会的活動が活発だという。そして,市民も余暇時間をボランティアに費やし,ボランティアを組織として受け入れる「フェライン」という存在を本書では強調している。19世紀に増えてきたといういわゆるNPO団体で,この都市に740の団体があるという。日本の町内会のような地縁組織ではなく,それぞれテーマを持った関心で結びついた人々の団体だという。
3章はタイトルに「コンパクトシティ」を掲げているが,脱クルマ社会を目指し,自転車交通を優先するまちづくり,都市農園の人気,その都市の歴史を知る仕組みがしっかりしている,という内容だ。日本のコンパクトシティについてはあまり情報を持ち合わせていないが,新しい情報技術を最優先にしたスマートシティ的なものとの結びつきが強い気がしてあまりいい印象を持っていない。3章の民間企業の役割はなかなか日本で真似するのは難しい気がするが,4章で論じられる「コミュニティ・インフラ」としてのスポーツクラブ,協会,ローカル・メディア,祭りは十分に真似できる可能性があると思う。6章ではドイツらしい再生可能エネルギーの話題もあるが,いわゆる郷土愛的なプライドやメンタリティはなかなか難しい気もする。
後半は個々の記述が短く,物足りなく感じてきてしまったが,8章でついにクリエイティビティ論のリチャード・フロリダの名前が出てきてしまった。まあ,署名に「クリエイティブ」があるので,当たり前だとはいえるが,「都市間競争」の話に行きついてしまうのであった。これはやはりどうしても新自由主義的な発想との親和性が強く,一方で私が希求するようなさまざまなものを地産地消に変えていって,自動車交通に頼らない社会のあり方としてのコンパクトシティとは似て非なるものだと考える。とはいえ,本書から学べることも多く,コンパクトシティ論以外にもウォーカブルシティとか15分都市構想,自転車都市など,これまでちょっとうさん臭さを感じていてちゃんと読んでこなかった議論をしっかりと読んでいきたい。

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【読書日記】今里悟之『長崎平戸の宗教地誌』

今里悟之(2024):『長崎平戸の宗教地誌――キリシタン・カトリック・在来信仰』九州大学出版会,279p.,5,400円.

 

同じ年生まれの地理学者である著者はある意味で私の憧れ的存在である。論文を出し始めたのは私の方が早かったが,研究ノートや短報,書評などで本数をかせいでいた私とは異なり,着実に論説や総説を重ね,前著は2006年に大学院時代を含む初期の論文をまとめて発表している。その後も民俗学や農村社会学という地理学以外の学会誌でも論文発表を重ね,本書の基となっているものは2010年以降の調査に基づいた,英文3編を含む8編の論文であり,当然一冊の本として全面的に書き直されて装丁も美しい一冊の本として結実している。
なお,同時期に地理学の書籍を多く扱う古今書院から,「シリーズ日本の地域誌」の1冊として『平戸の島々はなぜ宗教が多彩なのか』も発表している。

序論
第1章 日本農村のキリシタン・カトリック・民俗宗教
第2章 平戸におけるキリスト教の分布と伝播
第3章 宗教分布と集落空間構成の地形的条件
第4章 集落空間の内部構成と宗教景観要素
第5章 キリシタン信仰組織の編成原理と空間構造
第6章 民俗的境界の領域性と社会地理的条件
第7章 農山漁村の宗教多元性と日本宗教の構造
結論

あとがきには「平戸市教育委員会学術専門幹(当時)の萩原博文先生には,大半の現地調査に同行いただき,松田隆也氏(現・平戸市副市長)と植野健治氏(現・平戸市総務課班長)にも大変ご多忙の中,数度にわたり案内と同席を賜った。」(p.270)とある。
序論,および第1章は本書のテーマに関連するこれまでの研究史が丁寧に辿られている。このあとがきの冒頭に登場する萩原さんの文献も1980年代からのものが多数挙げられていて,本書の研究がそうした先人たちの延長線上にあることが分かる。他にも宗教学や民俗学,社会学の研究者がこのテーマを長らく扱ってきた。「このテーマ」なんてわかったような書き方をしているが,本書を一読しただけでその詳細を把握したわけでもないし,ざっくりと説明できるほどその本質を掴めたわけではない。なので,いつもながら私の頭に残った断片を私なりに再構成した形での紹介になることをあらかじめご了承願いたい。端的にいえば本書のテーマは「キリシタン」だ。この言葉は,例えば「イギリス」や「ドイツ」といった国名のように,日本独自の表現だといえる。元はもちろんキリスト教徒のことだが,日本史におけるキリスト教の伝来は歴史の授業でも学ぶように非常に地域的な特徴がある。その辺りの常識もない私のような読者に親切な説明が本書にはないのだが,ともかく,歴史で習う人物としてはフランシスコ・ザビエルという16世紀スペインの宣教師だ。Wikipediaを読むと,1550年に平戸に来て宣教活動をしているという。いずれにせよ,ヨーロッパからポルトガル人が作ったアフリカ大陸を迂回してインド洋に入り,マラッカ海峡を通過して中国に至るルートで日本を訪れれば,自ずから九州の南西岸にたどり着くわけで種子島に鉄砲が伝来したり,長崎に出島が作られたり,ということでキリスト教も九州地方に伝播したということだ。そして1614年に江戸幕府がキリスト教を禁止する。そのことによって,日本におけるキリスト教は弾圧され,地下活動化する。その辺りの歴史についても本書にはしっかりと説明されている。その地下活動としてのキリスト教を,これまでの研究者は「潜伏キリシタン」「かくれキリシタン」「隠れキリシタン」「カクレキリシタン」(pp.4-5)などと時代や研究者によってさまざまに表現されてきたという。まあ,いずれにせよキリシタンというのがこの時代の日本独自のキリスト教信仰を示す言葉として定着している。しかし,この離島においてはキリスト教信仰が禁じられても連綿と生き続けてきたというのが興味深いものであり,その姿は日本の在来宗教(在来信仰)とないまぜになってきたということを知ることができる。また,ここでいう在来信仰というものも一枚岩ではない。日本古来の信仰といえば神道だが,これはいわゆる宗教と呼ぶようなものではないために,しっかりとした形を成したのは明治以降の日本という近代国家の軍国化に伴うようなものだといえる。日本にとって仏教徒は元来外来宗教だが,やはり神道よりは宗教としての形がしっかりしていたからか,時代によってはかなり強い勢力だったようだ。いずれにせよ,どんな宗教も信仰も,人々の生活と密接に結びついていて,農事暦に従った季節ごとのイベントや,豊作の祈祷,収穫のお祝いなど共通した事項に対して,宗教ごとの特徴を持った形をとる。
と,ここまで書いていたところで,日野市議会議員補欠選挙に立候補することとなり,1ヶ月以上この読書日記を放置することとなってしまった。本書については詳細に語りたかったのに,大分記憶が薄れてしまい,詳細な読書日記は諦めざるを得なくなった。ということで,書きたいところだけ端的に書いておきたい。本書はタイトルにあるとおり,地誌学を前面に出している。それは,本書のテーマは従来宗教学や歴史学でなされてきたことであり,そこに地理学からの新しい観点を与えるとしたら,詳細な調査による島内の地域的差異を,その自然条件やさまざまな地理的条件から明らかにするという意味での「地誌学」だということになる。地誌学に関する議論は日本の地理学でも古くからあり,第1章で整理されている。英語圏の地理学では1980年代に「新しい地誌学」という流れがあり,日本の地理学でも森川 洋さんをはじめとする広島大学の方たちによる議論があるが,本書ではそこにはほとんど触れていない。その点について著者に確認したら,そこに踏み込むと英語文献も大量に整理しなくてはいけないということで断念したとのこと。また,第5章では類似した観点から「社会地理学」の語も登場する。こちらも私が知らなかったことではあるが,日本の地理学でも古くから議論があり,その動向については整理されているが,本書で社会地理学を引き合いに出す理由と地誌学との関係については正直説明不足だったように思う。ただ,第3章では「基層としての自然地理」という節もあり,島の地形や植物地理的な性質と,第2章でキリスト教の伝播経路と歴史的背景を16世紀および19世紀について整理しており,まさに総合的な地理的理解=地誌学を実践する書であることは間違いない。
そして,冒頭に書いたように,この調査を著者一人で行ったわけではないようだが,対象としている複数の集落に関しては全戸の悉皆調査を行っており,驚愕に値する。そして,地誌学の方法論の一つとして「地域区分」が挙げられており,そうした社会地理学的な悉皆調査に基づいて地域区分がなされ,それぞれの特徴が記述されている。また,第4章はこれまでの著者の研究と同様に,宗教景観要素の分析が行われ,第5章ではその空間構造が,そして第6章では領域性概念によって,より社会地理学的な分析が行われている。第7章では,タイトルにあるように,「農山漁村の宗教多元性」という結論が示され,長崎平戸では,16世紀に伝来して長い歴史のなかで潜伏せざるを得なかった「キリシタン」と19世紀に改めて伝播した「カトリック」が,それ以外の日本にある「在来信仰」と混合した宗教的社会が出来上がっているとまとめている。本書で私が初めて知った事実としては,ヨーロッパにおけるキリスト教も,日本の在来信仰と同じように,元々あった地元の信仰と交じり合い,地方によって複雑な形態を持っていたこと,そしてそれは時代によって変容したということだ。まあ,考えてみれば当たり前というか,本書でいう「在来信仰」も固定化された神道でもなければ仏教でもない,基本としては豊作祈願や雨乞いのような住民の日常的な生活や生業と深い関係にあるのだから,そうした事情は世界共通のようにも思う。いずれにせよ,やはり考えさせられることが多い読書だった。

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【映画日記】『知らないカノジョ』『アノーラ』『映画ドラえもん のび太の絵世界物語』

2025年31日(土)

府中TOHOシネマズ 『知らないカノジョ』
以前娘と二人で観に行った,プロジェクトセカイの初音ミク映画を,娘がもう一度映画館で観たいと言い出した。以前にも何作品か,そうやって再び二人で観に行ったが今回は断った。ただ,彼女も少し大きくなったので,同じ時間帯に同じ映画館で私が別の作品を観,彼女は一人で観る,ということで一緒に出掛けることにした。そういう制限付きだと観る作品はかなり妥協しなくてはならないなかで選んだ作品。
中島健人の主演作も観たことはないし,歌手が歌手役で出演するというmiletの存在も気になった。監督が三木孝浩というのは私にとってはさほど魅力ではないが,まあ外れはないだろうとも判断。歌手が映画で歌手を演じるというのは,『月とキャベツ』の山崎まさよしや,『タイヨウのうた』のYUI。『カノジョは嘘を愛しすぎてる』の大原櫻子など,いずれも魅力的な作品で,やはりこういう場面での音楽の力ってすごいなと思い知らされる。本作もmiletの歌声もメロディも,女性シンガー好きの私にはとても魅力的だったし,その表情も素敵だった。そういう意味で,あまり期待はしていなかったが,十分楽しめる作品だった。中島健人も泣きざまが素晴らしかった。なお,本作の音楽担当はおそらくmiletのプロデューサーなんだろうけど,なぜかエンドロールに亀田誠二の名前があって気になった。Wikipediaをみたら彼は椎名林檎なども手掛けていたようだが,私にとっては広沢タダシと矢野真紀のプロデューサーである。どうやら俳優として出演していたようだが,どこにいたのか。
https://gaga.ne.jp/shiranaikanojo/

 

2025年32日(日)

調布シアタス 『アノーラ』
この日も時間的な制約があり,立川で観るかといういくつかの選択肢の中から選んだ場所と作品。セックスシーンの多い作品だということは事前に知っていた。最近はそういう作品を観ることは少ないので,久し振りになんとなく観てみようと思った次第。しかも,なんとなくで米国映画ではなくラテンアメリカの作品だと勘違いしていた。上映開始直後に,本作がカンヌ映画祭でパルムドールを受賞したことは知ったが,観終わった後,本作が米アカデミー賞の作品賞や主演女優賞を受賞したことを知った。主演のマイキー・マディソンという俳優がどんな人かは知らないが,本作は日本でありがちな「体当たりの演技」という表現では到底釣り合わない,ちょっと演技としてはやりすぎなのではないかと思ってしまうが,それほど作中人物そのものに見え,その上である意味で魅力的な人間に映っていた。こういう映画表現をどのように評価したらよいのかは私自身で語る言葉を持たないが,刺激的な映画鑑賞であったことは間違いない。
https://www.universalpictures.jp/micro/anora

 

2025年39日(日)

府中TOHOシネマズ 『映画ドラえもん のび太の絵世界物語』
ここのところ毎年観に行っているドラえもん映画。中学生になった息子は主題歌を目当てにいったりいかなかったりだが,今回は素直に,しかも父娘と3人で観に行くことになった。エンディング曲は私も名前は知っているあいみょんによるもので,ゲスト声優としてはサンドイッチマンの2人が出演しているが,その他脚本やタレント声優など客寄せパンダ的な要素は少ない。本作は絵画芸術をテーマにしていて,オープニングや冒頭では世界の名作を用いた教養的な要素も大きく,そこには東京芸術大学が協力しているらしい。そんなこともあり,かなりしっかりと作り込まれた脚本で大人にも十分楽しめる作品だった。
https://doraeiga.com/2025/

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【読書日記】朝日新聞取材班『ルポ 大阪・関西万博の深層』

朝日新聞取材班(2025):『ルポ 大阪・関西万博の深層――迷走する維新政治』朝日新聞出版,271p.,840円.

 

ついに大阪・関西万博の開幕まで1ヶ月となった。2020東京オリンピックの時もそうだったが,私の周囲では中止を訴える声が日に日に大きくなるのに,準備は着々と進み予定通り開催されてしまう。そうでありながらも朝日新聞社がこの時期に記者たちの手によるこういう本を出版してくれたことはとても嬉しい。そして,この目次だけではよく分からないが,これまで2冊出ている反万博本が論じなかったこともしっかり記録しているのはさすが新聞社と思う一方で,最終章で両論併記的に賛成・推進派の意見を載せながら,それにコメントしないというのも面白いといえば面白い。

はじめに
第1章 維新混迷
第2章 膨らみ続けた経費
第3章 海外パビリオン騒動
第4章 舞洲が招いた危機
第5章 万博への直言
おわりに

ということで,目次だけでは分かりにくいので,多少各章について説明していきましょう。やはり本書は新聞記者によるものなので,常に最新の情報を入手しながら記事にしていくので,それを編集した本書も基本的には時系列的に説明がなされているように思う。
第1章は大阪万博の発案から,舞洲での開催計画,博覧会国際事務局(BIE)総会での開催決定,そしてその後。こうした経緯について,当然ではあるがその10年は維新の会自身の推移とも連動している。1970年万博に関わった堺屋太一は維新創立者の橋下徹とも関係が深く,2013年にその辺りの人物の発案が発端だという。維新の会も橋下から松井へと代表が移っていく過程で,舞洲開催計画が持ち出され,また元は自民党の大阪府議会議員だった松井は安倍や菅とも関係が深く,IRも含めた大阪臨海地区利用としての万博を国家事業として認めさせていく。はじめは難色を示していた関西経済界も安倍・菅による国家事業としての方針に前向きになっていく。そんな感じで,BIEでの開催国競争では,相手がフランスだったが,大阪の計画の方はその都度都合に合わせ,会場もテーマも変更していく。本書には書かれていないが,今は大屋根リングで知られる会場内計画も申請時と今では全く違ったものに変更されているという。もちろん,維新の会は万博だけのために政治をしてきたわけではない。大阪維新の会という地域政党は大阪府と大阪市という二重行政を廃止するという党是を掲げて躍進し(この党是自体は二度の住民投票で棄却されていて,受け入れられているわけではないが),日本維新の会という国政政党としても一定の支持率と議席数を日本全国で獲得してきた。しかし,それが近年は低迷してきているという。それも万博だけが理由ではないが,万博に関する混乱は明らかに維新の低迷状態の重要な要因となっている。
第2章は続けて,その万博の混乱の問題を「経費」という点を中心にまとめている。まさに経費は数値として分かりやすいもので,一般的な報道もここに集中しているので,詳細は不要だろう。
第3章は,おおまかには知っていたものの,詳細に記録されていて,私にとっては本書から一番多くの情報を得た。万博とは万国博覧会の略称で,万国=世界中のさまざまな国が出展するイベントである。計画ではこれまでの万博同様多くの国の出展が計画され,その国の財力などに応じて独自でパビリオンを建設するタイプや,日本が箱モノを用意してそのなかで展示を行うタイプなどがあるが,さまざまな時期で,その建設の進み具合が話題になっていた。報道では国の数が示される程度で,別の本ではオリンピックの不祥事で万博にはこうした国際イベントを一手に引き受けてきた電通がいないためにこの手の不手際が多いと論じていたが,本書では各国の事情なども含め詳しく記述している。
第4章は主に西谷文和さんたちの本などで詳しく論じられていた,夢洲という埋立地自体に起因する問題なので,こちらも詳細は不要だろう。
第5章は冒頭にも書いたように,大手新聞社らしい内容で,両論併記というか,実際に万博開催に関わっている人を含む関係者へのインタビューを掲載している。せっかくなので一人ひとり書いておこう。
シンガーソングライターの嘉門タツオ:熱狂的な万博ファンだが,今回の万博には疑問も持っている。
大阪経済大学教授の下山朗:万博の経済波及効果を計算した人物。
大阪府・市の商店街振興団体の千田忠司:万博外のインバウンド客受け入れについて。
インバウンド旅行会社のアン・カイル:外国人への万博アピール・情報提供について
ノンフィクションライターの松本創:ここでも紹介した『大阪・関西万博「失敗」の本質』の編著者。
関西大学教授の岡田朋之:万博研究者にレガシーについて尋ねる。
イベント会社社長の澤田裕二:万博のプロを自称する人物。
翻訳家の池田香代子:デモクラシータイムスのMCの一人でもあるので,批判的な意見は熟知している。ここではSDGsについて。
愛知万博の市民参加イベントのプロデューサー中野民夫:大阪万博にも市民参加イベントを期待。
NPO法人理事長の村木真紀:性的マイノリティーの権利という観点からの大阪万博。
在日コリアン3世市民活動家の金光敏:多文化共生という観点からの大阪万博。
重度心身障がい者を支援する中西良介:障がい者の観点からの大阪万博
まあ,いろんな人たちが大阪万博に対してどんな意見や期待を持っているかを知ることができるという点では貴重な内容だと思う。

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【読書日記】小林エリカ『女の子たち風船爆弾をつくる』

小林エリカ(2024):『女の子たち風船爆弾をつくる』文藝春秋,395p.,2,500円.

 

風船爆弾については他の本の読書日記でそこそこ書いたと思うので,繰り返さない。風船爆弾の縮小模型が展示されているという,神奈川県登戸にある明治大学登戸研究所資料館にようやく行く機会が訪れたので,本書を読むことにした。結局行く当日までに読み終わらず,行きの電車の中でも読みながらだった。ただ,登戸研究所資料館で,本書の刊行と,それに併せてか分からないが,資料館での少女と風船爆弾をテーマにした特別展を記念して,資料館の館長である山田 朗氏と本書の著者である小林エリカ氏の対談をYouTubeで視聴した氏,また別のYouTubeチャンネルで,白井 聡氏と島田雅彦氏がやっている番組に小林エリカ氏がゲスト出演したものも視聴していた。著者は漫画家でもあり,本書でもさまざまなイラストがあしらわれている。著者は小説家でもあり,本書は創作物だが,書かれていることはほぼ史実に基づくものであり,248に及ぶ注釈と,小さい文字で8ページに及ぶ参考文献リストがつけられていて,さまざまな史料の断片をつなぎあわせた創作物である。

プロローグ
第一章 昭和十年― 1935-
第二章 昭和十七年― 1942-
第三章 昭和二十年― 1954-
エピローグ

付記
参考文献リスト
謝辞

目次を書いたように,日本の戦前から戦後にかけて年ごとに構成されている。章とは別に「一」から始まる区分があり,「八十八」まである。これはプロローグの書き出しに「この街は,あの震災から十二年目の年を迎える」(p.8)とあり,1923年の関東大震災の12年目を「一」とし,「わたしは,小学校一年生になる。」(p.8)とあるように,登場人物の年齢とその年代設定がはっきりされている。そして,この区分はその88年後の2022年まで,一年ごとに物語は推移する。「八十七」には2021年に開催された東京オリンピックのことが記されている。「二」の書き出しは「春が来る。わたしは,小学校二年生になる。桜の花が咲いている。」(p.34)という調子で,登場人物の少女たちが一年一年学年を上がり,歳をとっていきながら進行する。少女「たち」と書いたのは,特定の一人に名前を付けて具体的に描く作品ではないからだ。少女たちは東京にあった複数の学校の通う同年代のお互いに知ることもない子どもたちで,しかし同じ場所で同じ時期に同じ風船爆弾の生産に携わり,また散り散りになり同じ日本という国で戦後を迎え,人によっては間もなく亡くなり,人によっては現代まで生き延び,そうしたさまざまな人生を送る女性たちの半生を,記録に残った史実をフィクションのなかでつなぎ合わせ,結び付け綴った,そんな作品。
作中で「わたし」と語られるのは,東京にあった幾つかの学校,雙葉学園,跡見学園,麹町学園の児童,生徒たちである。それぞれの学園には児童・生徒・卒業生などの直接の声を含む記録が残されていて,それらが本作品を構成する重要な要素となっている。一方,語り手ではない「少女たち」も登場する。「わたし」にとっての憧れの的である,宝塚少女歌劇団の団員たちである。本作は,名もなき東京の学園に通う「わたし」たちと,有名で戦中の暗い社会を照らす光のような存在である「少女たち」は直接交わることはないが,間接的に関わり,また同じ戦争という時代を生き,形違えど日本という国が起こした戦争に加担させられていく。戦争が終わったらそれで誰もに幸せな生活が戻ってくるわけではなく,そうした女性たちの青春がまさに戦争によって形作られたわけで,その記憶を持ち続けながら戦後の日本社会を生き延びたのだ。
本作品は戦時下の日本社会全体を描くものではないが,日本では国家総動員法という法律に結実していた,この近代戦争の「総力戦」という形ですべての国民が巻き込まれた戦争の姿を,「少女」という非常に限定された属性を持つ人間を取り上げ,日本軍が行ったさまざまな戦略のうち,「風船爆弾」というかなり特殊なものに主点を合わせて描いた稀有な作品である。
宝塚少女歌劇団の「少女たち」は戦時下にさまざまな海外公演をしている。一つは日独伊三国同盟の友好の使者としてドイツやイタリアに公演に出かけているのだ。そして,日本の植民地や戦地に近いところでの公演。「慰安」というと戦時中に兵士の性の奴隷となった従軍慰安婦をすぐに想起してしまうが,文化的な次元でも戦地の兵士たちを慰安する存在として少女たちが利用されたという。この史実は全く知らなかった。
さて,メインは風船爆弾だが,その直径10mにも及ぶ風船は,上質な和紙を用い,その和紙をこんにゃく糊で貼り合わせたということは知識として知っていた。本書はその過程を一つ一つ丁寧に辿っている。上質な和紙を作ることができる産地は日本中にあるが,特に関東圏では埼玉県の小川町には作者が取材に行っているとのこと。こんにゃく生産についても群馬県の下仁田にも行き,コンニャクイモを自宅で栽培もしたという。食用としてのこんにゃくは日本の食卓から消えた。
「わたし」と「少女たち」は,爆弾風船を媒介しても結びついていく。少女たちが華々しい姿で公演を行っていた劇場は戦局が激しさを増すと軍に接収され,その広い空間を使って日本各地で生産された和紙とコンニャクイモと「わたし」たち若い女性たちが集められて,風船の貼り合わせが行われた。これまで,個別の「わたし」として実際に知り合うこともなく,作者という神の目から眺められていた女の子たちが同じ場所で出会っていたことが知らされる。この劇場を使った風船爆弾の作業だけでなく,戦時下には授業の一部が奉仕活動としてさまざまな場に清掃などで駆り出されていたことも丁寧に記述されている。
そして戦時下の記述の分量に引けを取らない形で記述されている戦後の話も重要である。そもそもが,自分たちが何を作らされていたのかを知らされなかった女の子たちが,戦後そのまさに青春の一時期の経験をどのようにその後の人生で消化していったのか,風船爆弾について知らされた時どう思ったのか,その経験を胸の奥にしまった人,家族にだけは話した人,家族を持つこともなかった人,それぞれ想定される(もちろん史実に基づくものも)さまざまな女性の人生を描く。時には同級生の集まりで,自分の子どもの保護者の集まりで,さまざまな形で経験を共有したり,文集という形で言葉として残したり,戦争を経験した一市民の戦後の人生の一端についても考えさせられることが多い。
ともかく,本書は小説という形式を最大限に活かして,断片的に残された史実を集約し,大手の出版社から比較的安価で入手しやすい形で活字として残したという意味で,非常に大きな意義を持つ作品だと思う。

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