「エスニック」とは何か

青柳まちこ編・監訳 1996. 『「エスニック」とは何か――エスニシティ基本論文選』新泉社,221p.,2500円.

エスニシティ関係の図書をAmazonで購入しようとすると頻繁に「この商品を買った人は...」に登場するのが本書だった。まあ,基本論文を翻訳したものであるのなら読んでおくべきだと思い購入した次第。収録されている論文は以下の通り。参考までに原著出版年を併記しておきました。

はじめに

序章 「エスニック」とは(青柳まちこ)

第1章 エスニック集団の境界(1969,フレドリック・バルト)

第2章 さまざまなエスニシティ定義(1974,ゼボルド・W・イサジフ)

第3章 都市におけるエスニック集団(1977,エドゥイン・イームズ,ジュディス・G・グールド)

第4章 部族からエスニシティへ(1978,ロナルド・コーエン)

第5章 キリスト教でもユダヤ教でもなく(1982,アニヤ・P・ロイス)

エスニシティ関係の人類学文献リスト

あとがき

実際手にして分かりましたが,本書は人類学におけるエスニシティ論文を集めて翻訳したもの。そして,訳出された論文は1969年から1982年と,マーカス・フィッシャー『文化批判としての人類学』出版年である1986年以前に書かれたものばかりであり,この頃にエスニシティ概念を取り込んだ人類学の議論にはほとんど批判的観点がないことに驚かされる。

社会学におけるエスニシティ研究は,マイノリティ研究であり,マジョリティのナショナリティに対するマイノリティのエスニシティというのが私の単純な理解だったが,この頃のマイノリティの定義ナショナリティと対概念どころか類似概念とされていることに驚く。

第1章のバルトの論文では,「境界」という概念が主題になっているが,地理的境界とはほとんど関係がなかったり,社会学的境界と理解したとしてもあまり議論が深いとはいえない。第4章だけは多少読み応えがあった。コーエンによれば,この頃の人類学におけるエスニシティ概念の導入は,それまで使われていた部族(おそらくtribe)に代わって新しい概念が導入されることで,これまで人類学は調査者と被調査者は基本的に別世界の人間であり,場合によっては前者が後者を差別的なまなざしでとらえており,まさに植民地主義の枠組みで理解されていた。そういう意味では,ポストコロニアルな転回は少しずつなされたのかということも感じられる。

まあ,ともかく刺激のある読書ではなかったが,逆に当時の人類学の状況を少しでも垣間見れた気もします。

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境界政治地理学

岩田孝三 1953. 『境界政治地理学――わが国,国界藩界に就いての政治地理学研究』帝国書院,239p.,350円.

都道府県名の地名研究を進めているつもりがだんだん深みにはまっている気がする。まあ,これまで日本の地理学をきちんと学んでこなかった私にとってはいい機会だとは思うが,どの時点で踏ん切りをつけて論文として出すかの判断が難しくなってきた。

本書は先日読んだ林 正巳『府県合併とその背景』で境界紛争に関する議論においてかなり大きく依拠していたのが本書。著者には本書の前に『国境政治地理』という本が1938年に出ているどうだが,とりあえず購入できたのは戦後出版の本書。

1. 政治地理学に於ける境界の意義

2. わが国の国界並びに藩界の展望

3. 藩界を中心とする諸種の紛争問題

4. 特殊の地形に依拠する藩界の問題

5. 特殊の地形によらない藩界の問題

6. 国内地方行政区界に関する政治地理的問題

巻頭には日本における境界標となってきた,明神,関址,峠,道祖神,神社などの写真が2ページに12枚掲載されていて,続いて地方ごとに藩界図が掲載されている。東北地方から九州地方まで7枚。これがまさに私が欲しかった地図だが,藩の領域がこのように地図に描けるほど明確に定められていたのかという疑問を抱きながら,旧国や藩の境界は全域に渡って明確に定められていたわけではないことを示す根拠を探しながらの読書になった。

岩田孝三氏の文章は,地政学がらみで少しは読んだことがあったが,本書は今日にもきちんと伝えるべき研究成果だと思う。米国やドイツの政治地理学の議論を踏まえ,日本の歴史地理学的領域に踏み込んで,日本全国に目配りしながら,境界標という非常にローカルな状況を論じながら,また今日ではあまり問題とされない,国内の境界紛争について論じる。

やはり出版年からして,掲載されている地図が地形図そのままで,主題図にはなりえていないという欠点はあるものの,境界標に関する現地調査,歴史資料の検討,文献調査といった多角的なアプローチとなっている。最近翻訳の出たコーリン・フリント『現代地政学』で境界に関する章の翻訳を私が担当した。そこでボーダーとフロンティアの違いなど改めて認識したり,川や分水嶺といった自然物による境界の恣意性などについても改めて考えさせられたのだが,本書では既にそうしたことについて論じられている。

最後に,冒頭に書いた,江戸時代の国堺や藩境が明確に定められていなかったということについての根拠はきちんと確認することはできなかった。とはいえ,「江戸時代の藩界については,現在の行政区画のように地域的広がりを明確に辿ることは殆ど不可能で,飛地,入会地がきわめて多く,そのためにむしろはっきり何藩何村の境界はどの範囲であると線をもって画する事の方が間違いを起こすことになるのである。然しそもそもの「国」「クニ」の語源は「分界」すなわち「クマリ」から出たものであるという説も強いので,われわれの祖先が境界に無関心だったとは決していえない。」(p.17)という記述に出会うことができた。

まあ,あるものについて論じるのは容易だが,ないものを証明することは難しいということだ。

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文化としての他者

ガヤトリ・C・スピヴァック著,鈴木 聡・大野雅子・鵜飼信光・片岡 信訳 1990. 『文化としての他者』紀伊国屋書店,438p.,3996円.

おそらく20年くらい前に購入し,読み始めてみたものの,途中で断念した本。社会学の講義でちょっとフェミニズムの話をするのを機会に読み直すことを決意。ようやく読み終えることができた。

第一部

1 刃としての文字=手紙

2 フェミニズム的な読みの発見――ダンテ-イェイツ

3 フェミニズムと批評理論

第二部

4 説明と文化――雑考

5 解釈の政治学

6 国際的枠組みにおけるフランス・フェミニズム

7 〈価値〉の問題をめぐる雑駁な考察

第三部

8 マハスウェータ・デヴィ作「ドラウパーディ」

9 マハスウェータ・デヴィ作「乳を与える女」

10 副次的なものの文学的表象――第三世界の女性のテクスト

再読し始めて,なぜ断念してしまったかが分かった。第一部は批評理論に関するもので,私にとっては比較的馴染みのあるはずだった。しかし,予想に反しその内容は親しみがなく,再読しても結局理解には達しなかった。むしろ第二部の方が読みやすく,なんとか読み終えることができた。

それにしても,スピヴァックの文体はやはり率直さという意味でフェミニズム的なのだろうか。議論の本題に入る前に,なぜその本題について語る必要があるのか,またシンポジウムの場での報告だったりすると,その場の雰囲気や自分の役回りなどについて詳細に報告しているのだ。場合によってはその本題がなんだったのか分からなくなり,それに付随する事項の方が重要になったりする。

訳者あとがきにも書いてあったが,本書はスピヴァックの思想的源泉を明確に意識しながら読むことができる。スピヴァクはデリダの『グラマトロジーについて』の英語翻訳者だが,その訳者による序文は『デリダ論』として平凡社ライブラリーから翻訳出版されている。それから,フロイト−ラカンの精神分析。こちらは直接というよりは精神分析派フェミニズムの検討からきているように思われる。

7章では思いの外,マルクスの概説のような記述が続く。私がこれまで読んできたような思想家は,マルクス,フロイトといったビッグネームに対しては一定の距離を置いて,彼らの思想を現代においてどう乗り越えていくかという批判的観点が常にあるような気がする。あるいは,マルクスとフロイトというある意味相容れない思想をどう結び付けていくかというのを現代的な論点としているが,スピヴァクはこうした思想家に対する批判的な態度はあまりみられない。逆に現代社会の女性の扱いや自分が参加している学術会議のあり方に対しては非常に厳しい批判的態度で臨んでいる。まあ,そういう意味でも独特な文体となっている。

第三部は10章で「副次的なもの」と訳されているが,これは「サバルタン」のことである。8章と9章はベンガーリー語(訳本ではこう表記されているが,ベンガル語のことか?)という,スピヴァク自身の母国語の小説が翻訳されている。また,10章はそうした文学作品をポストコロニアルな文脈で解釈する方策をいくつか検討している。

原文で読んでいない私が偉そうにはいえないが,1990年に翻訳された本書には訳語に問題がありそうだ。フランス語の単語の最後の子音を発音しないってのは私でも知っているが,エレーヌ・シクスーの名前を「シクスース」と表記していたり,多くの日本語訳文献を示してくれてはいるが,ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』が抜けていたり(弟であるペリー・アンダーソンの『古代から封建へ』は挙がっている)。それから,本書は全訳ではなく,いくつかの章が文章の問題から訳出されていません。

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オスマン帝国

鈴木 董 1992. 『オスマン帝国――イスラム世界の「柔らかい専制」』講談社,254p.,800円.

また持参した本が読み終わってしまい,急遽外出先の書店で新刊で購入。今,アブー=ルゴド『ヨーロッパ覇権以前』を読んでいるが,これを講義用にまとめるには,私の世界史の知識が足りないので,一般書で補足しなくてはと思っている。幸いというか,最近の流行というか,世界史をヨーロッパ以外の地域に焦点を当てる歴史研究が多く出ているので本の選択には困らないだろうと思ったが,あまり大きな書店ではなかったので,かなり悩んだ挙げ句,かなり前に出版されたものになった。

序 「トルコの脅威」の虚像

1 戦士集団から国家へ

2 コンスタンティノープルの攻防

3 イスラム=共存の知恵

4 イスラム的世界帝国への道

5 「壮麗者」スレイマンの光輝

6 「組織の帝国」の伝説

7 人材吸収・養成のシステム

8 超大国の曲がり角

まあ,結果的には私の知識のなさが勝っていたので,本書からも学ぶことは多かった。そもそも,別の講義でサイードのパレスチナ論の話をしているが,パレスチナについて調べている過程で,オスマン帝国が20世紀まで存続していたことを知り,驚いたくらいの私ですから。

本書の記述はちょっと私には苦手なタイプ。まさに歴史小説っぽい。歴史小説ってのは,史実に基づきながらも,近代小説のように,主人公のことを俯瞰しながら観察するような視点で描かれる。しかし,歴史的資料ってのは,いくら有名人でも,個人の一挙手一投足が分かるような形で残されているわけではない。そういう意味でも,歴史小説はフィクションなのだ。

まあ,本書は講談社現代新書の1冊だから,これでいいんだと思う。研究者が読むには,文献も示されていないことなど,不満が多いが,一般向けとしても,今後の読書案内として日本語で読める平易な本を紹介してくれたらよかったと思う。

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朝晩は寒くなりました

2016年10月1日(土)

映画サービスデーに何観ようかと考え,そろそろワイシャツも新調しなくちゃというのもあって,いつもシャツを買っている「鎌倉シャツ」のある新宿を選択。そのなかで,他の候補もありましたが,映画そのものよりも志田未来ちゃん主演ということで本作を選択。

新宿シネマート 『泣き虫ピエロの結婚式

まあ,予告編でストーリーは分かってしまう,お涙頂戴物ではありますが,志田未来ちゃんが主演するところを観ておきたいということで,観ました。役どころはピエロ(正確にはクラウン)ということもあって,非常にくどい性格の女性を演じます。まあ,子役出身な訳ですからもう俳優歴も長いわけですが,やはり主演となると力が入るのでしょうか。そのがんばり具合が初々しく感じます。といっても,もう23歳なんですね。まあ,観ておいてよかったと思える映画でした。ちなみに,結婚式のシーンは調布の京王多摩川駅すぐにある「アンジェ」という庭園で撮影されています。

2016年10月9日(日)

府中TOHOシネマズ 『グッドモーニングショー

日本映画ではあまり報道ものってのがなく(でも,まあ米国くらいか),本作の予告編を観た時に,観ておきたいと思った。主役が中井貴一ってのもいいし,時任三郎とのコンビってのもいいですね。長澤まさみちゃんも出ているし,という感じでちょっと楽しみにしていた。

しかし,冒頭で本作がフジテレビの制作で,『踊る大捜査線』シリーズの君塚良一監督ってのを知った時(事前に知らなかった...),ちょっと期待は薄れた。なんだ,フジテレビの舞台裏をちょこっと見せます的な映画か,と。まあ,そこそこ予想は的中し,思ったよりも面白くはなかった。ただ,犯人役の濱田 岳君は素晴らしかった。シリアスとコメディのどっちともつかない犯人役をそれこそ汗だくになって演じていました。そして長澤まさみちゃんはもう一人の女性キャスターを志田未来ちゃんが演じることで,対照的な「ちょっと老けぶり」をさらけ出していてよかったと思う。でも,主人公の妻役を吉田 羊さんが演じ,2人には20歳の大学生の息子がいるって設定はちょっと無理があったような気もする。

まあ,報道ものであれば,報道関係団体とは無縁な立場で作らないと意味はないと思う。

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英国地図製作とシェイクスピア演劇

勝山貴之 2014. 『英国地図製作とシェイクスピア演劇』英宝社,287p.,3200円.

本書は出版当時から気になってはいたものの,高くはないけど安くはないので,保留状態にしていた。Amazonで少し安く出ていたので購入。早速読みました。帯に「福原記念英米文学賞受賞」とあります。これがどのような賞かは分かりませんが,ともかく一定の評価を得ているのでしょう。

シェイクスピアそのものは5,6冊しか呼んでいませんが,シェイクスピア関係はけっこう読んでいます。本書でもいくつか登場するスティーヴン・グリーンブラットの他,フランセス・イエイツ,テリー・イーグルトン,本橋哲也などを読んできました。それはある意味,地理学とは関係のない興味で読んでいたわけですが,本書はシェイクスピア研究の方から地図学に接近しようというのですから,読まないわけにはいきません。

序章 地図の解釈学

第一章 アイルランド地図の誕生と『ヘンリー六世・第二部』

第二章 イングランド地図の成立と歴史劇――『ウッドストック』,『リチャード二世』,『ヘンリー四世』二部作

第三章 キャムデンの地誌『ブリタニア』の出版と『リア王』

第四章 ブリテン地図と『マクベス』

第五章 二つのロンドン地図と『コリオレイナス』

第六章 新大陸の植民地地図と『テンペスト』

さて,著者の地図への興味はJ.B.ハーレー氏の研究を読んだことから始まるという。序章はハーレー氏の地図研究の概要がかなりを占めています。著者は1958年生まれの同志社大学教授とのことですが,留学経験もあり,参照されるシェイクスピア研究も英語が中心で,日本語の研究や日本語された研究書などにはほとんど言及していないので,しかたがありませんが,私も参加したコスグローブ・ダニエルス編『風景の図像学』にもハーレーの論文が収録されているのは知らないようです。また,日本の地図研究の第一人者,長谷川孝治氏の仕事も参照されていないし,若林幹夫『地図の想像力』もなく,かなり日本の研究者とは距離を置いている様子。

しかし,本書の内容はなかなか興味深い。基本的にはどの章も,前半に地図の話があり,後半にシェイクスピアの話がくるという展開で,はっきりいうと,前後の関係性はあまり密接に詰められはいない。しかし,第三章では16世紀のキャムデンによる地誌書『ブリタニア』に関する記述もかなり詳細で,本書の出版年に出した私の論文にも反映したかった。

第四章,第五章における歴史記述は私にとってけっこう難解で,取り上げられるシェイクスピア作品も読んでいないので,理解が追いつかなかった。

基本的にイングランド,ブリテン,アイルランドという範囲で話が展開する第五章までに対し,第六章は植民地政策の話に展開し,面白い。本文でも書いているように,『テンペスト』を植民地時代の文脈で解釈するのは,グリーンブラットや本橋哲也が行ってきたことだが,本橋氏の名前をさらっと挙げただけで,こうした一連の研究を一掃する。これがなかなか説得的で,17世紀初頭の英国の植民地政策について詳細に調査することで,英国の植民地政策はまだ初歩的な段階にすぎなかったという。そういうなかで,『テンペスト』を植民地主義的まなざしの典型のように解釈するのはやはり無理があるといい,当時の具体的な植民地の段階に即して,『テンペスト』を読み直そうという本書の試みはなかなかだ。

展望もなかなか興味深い。つまり,シェイクスピアの作品は英国に限定されるわけではないからだ。しかし,その際に本書と同様に地図のみに興味を限定するのではなく,第三章で地誌を取り上げたように,より広い意味での地理学的な想像力のなかでシェイクスピア解釈が展開されれば,私のような読者にとっても興味ある研究になると思う。

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デマの心理学

オルポート, G. W.・ポストマン, L.著,南 博訳 1952. 『デマの心理学』岩波書店,268p.,360円.

随分前に購入して,他の「岩波現代叢書」といっしょに書棚に収まっていた一冊。おそらく,タモツ・シブタニ『流言と社会』を読んだ頃に,社会心理学に興味を持って買ったものと思われる。最近は通勤で,それこそ2,3往復で1冊を読み終えてしまうので,未読の本はあまりなく,ようやく本書に手を伸ばした。

ということで,本書の選択はかなり消極的なものだったが,最近少しずつ心理学の本を読むようになっているので,結果的には得るものが多かった読書でした。

序文

第一章 戦時のデマ

第二章 デマはなぜ流れるか

第三章 証言と想起

第四章 デマの実験

第五章 実験の結果――平均と強調

第六章 実験の結果――同化

第七章 実験の結果――結び

第八章 歪みの基本型

第九章 社会におけるデマ

第十章 デマの分析

附録 戦時デマの予防ならびに抑制を行う機関についての規約

先日読んだ『ことばともの』にも米国の戦時中のプロパガンダの話があったが,本書は戦時中に流れるデマ(原著はrumorだから,噂ですね)についての分析がけっこう頻出する。本書の原著の発行年はなんと訳書には明記されていないが,序文の日付が1946年となっているので,そんなところでしょう。

本書における実験とは,伝言ゲームの伝わり方。何が正確に伝わって,何が選別され,何が歪曲されるのか。これが人種差別(あるいはステレオタイプ)の問題と絡まり合ってなかなか興味深い。私の都道府県研究にも相通じるものがあると思う。

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府県合併とその背景

林 正巳 1970. 『府県合併とその背景』古今書院,251p.,1500円.

都道府県名の研究を始めることになって,今更ながら日本史の基礎知識の欠如を補おうとしている。まあ,ともかく日本の地方自治制度にとって,廃藩置県から府県境界の画定までの歴史が重要なのは分かるんだけど,一筆書きの境界で連続的な地理空間を取り囲んで,なんらかの行政領域にしたというのがいつからなのか,そしてそれを支える空間観や思想がいつから生じたのか,ということはなかなかはっきりと分からない。

そんななか,地理学者の喜多祐子さんの最近の仕事は非常に興味深い。彼女は以前から絵図の研究をしているが,領域という主題がかつてからあって,最近は江戸から明治にかけての境界決定の経緯を,残された図的資料から明らかにしようとしている。そんななかで引用されていたのが本書。地理学専門出版社である古今書院から出ているのに,私は知らなかった。

早速Amazonで調べると,なんと11,000の値がついていた。ちょっと諦めていたが古書店が共同でネット通販をしているサイトがあって,そこでは4,000円になっていた。でも少し買い渋っていると,後日2,100円で扱っているお店を発見。しかも,現在の勤務地である神保町にある古書店ではありませんか。早速仕事帰りに購入。

第一部 現在の府県域成立の背景

 第1章 廃藩置県の展開

 第2章 都道府県域確定への過程

 第3章 都道府県成立に関連して

第二部 府県境界について

 第4章 府県境界の実態(その一)

 第5章 境界の標識(その二)

第三部 府県境界をめぐる紛争

 第6章 府県境界紛争の実態

第四部 不自然な府県境域の残存

 第7章 出入り境域

 第8章 対岸飛地

第五部 現行の府県域はこのままでよいのであろうか

 第9章 領域をめぐる府県改正論

書名からすると,廃藩置県によって日本全国300余りの府県が誕生したわけだが,半年余りでその数は70程度になる。すなわち,旧国を基準に府県の統廃合が行われたのだ。本書はその歴史的経緯をたどるものと想像された。しかし,最近また話題になっている「道州制」というのは戦後間もなく盛り上がりをみせたものの,本書が出る頃にはすでに下火になっていて,本書はそうした議論を改めて検討するために,府県境界の確定の歴史を辿ろうというものだということが分かった。

ということで,目次に示したように,第三部以降は既に明治の20年代以降長らくかわらずに続いている都道府県において,問題となっている紛争をとりあげ,それを見直す方策をたどっている。ある意味私にとっては,この後半部分は興味はない。かといって,前半における本書の意義が薄れるわけではない。

府県数の推移については大島美津子氏の歴史研究が明らかにしていますが,本書は第2章で全都道府県(沖縄は返還前)についてその都道府県域の確定経緯を概観しています。また,都道府県境界の特徴などについても詳しく,網羅的な情報が整理されており,便利です。ただ,私が歴史研究を読む限りではあまり評価の高くない宮武外骨『府藩県制史』に多くを依っているところは気になります。また,境界に関しては政治地理学者の岩田孝三氏による『境界政治地理学』という本があるということを知り早速購入。

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ことばともの

ロジャー・ブラウン著,石黒昭博訳 1978. 『ことばともの――言語論序説』研究社出版,349p.,2800円.

先日,トゥアンの『個人空間の誕生』を読んでいた時に参考文献になっていたのが本書。『言葉と物』といえばフーコーの名著だが,同じタイトルの本が原著で1958年に米国で出ていたとは。この頃の米国(カナダも含む)から出ている本はある意味で魅力的なものが多く,本書も掘り出し物ではないかと思い購入。私がこれまで読んだのは。

ケネス・バーク『文学形式の哲学』(原著1966年)

ハヤカワ『思考と行動における言語』(原著初版1939年,第三版1972年)

ブーアスティン『幻影の時代』(原著1962年)

マクルーハン『人間拡張の原理(みすず書房は「メディア論」)』(原著1964年)

きちんと調べて挙げてみると,フーコーの『言葉と物』も原著は1966年だからあまりかわらないか。ともかく,上記の作品たちは,著者も研究者なのか批評家なのかあまり区別がないし,学問分野を限定してない広い関心で,素朴な視点から書かれているところが初学者にも読みやすく,それでいてけっこう突っ込んだところまで書かれているという印象。ともかく本書の目次。

序論

第一章 ことばの分析

第二章 文学の歴史と読み方についての争点

第三章 指示と意味

第四章 音声象徴と隠喩

第五章 言語指示の比較心理学

第六章 初めてのことばの遊び

第七章 言語相対論と決定論

第八章 進歩と病理

第九章 説得,表現,宣伝

第一〇章 心理学における言語的指示

第一一章 結論

本書は翻訳で2段組み,350ページ近くあり,かなり読み応えのある本でした。著者の専門は心理学。言語心理学なる分野を確立すべく,言語という対象に取り組みます。上記の目次では分かりにくいですが,第一章は音声学,音素論とことばの「音」についての議論が続きます。第二章もフレーゲを思い出すようなタイトルですが,前半の中心はことばの「音」についてなんですよね。音声学はソシュールの『一般言語学講義』やクリステヴァも音素の分析をしているように,言語学の基礎的なところなんだけど,かなり読むのは苦痛。でも,我慢して読んだ甲斐があって得るものはあった。

本書は人間以外の動物や子どもを対象とした言語研究を取り上げ,紹介している。言語とは人間のみが持つ能力という前提ではなく,どこから言語が始まるのか,という素朴な疑問に答えようとしている。そのためにも「音」の検討が必要だったのだ。言葉は音を聞いて学ばないといけない。音を言葉として認識するのがはじまりだ。本書では,狼に育てられた少年の話や,人間の言葉がわかる馬の話など,現代の研究者はあまり関心を寄せない大衆的な話題についても大真面目に取り組むことで,その素朴な問いに答えようとする。

それはともかく,本書では心理学者あるいは言語学者がいう「カテゴリー」という概念を理解することができた。一般的にカテゴリーというと,多数ある物事を分類するという上からの発想だが,本書では「範疇」と訳される。意味合い的にはさほど変わらないのだが,下からの発想だと理解できる。子どもがある動物の絵を見せられて「これは犬」と教えられる。他の絵本だと多少絵柄が異なるけど,それも「犬」。道ばたで出会った飼い犬についても「犬」。こうして犬をみる経験を積み重ねて,新しく出会った犬の絵や実物を見て,子どもはそれを「犬」だと理解する。これが範疇である。それは抽象のどのレベルでも通用する。つまり,ことばを通じたものの認識とは,違いで物事を区分する上からの思考と,類似で物事を束ねていく下からの思考で成り立っているといえます。

しかし,本書は第九章に入って,急に広告の話や人種差別,戦時中のプロパガンダなどの話に転じてしまう。確かに,時代的には戦後や商業主義の台頭などでそうしたものが社会で要請されるのだと理解されるが,ここまで細かい話を丁寧にしてきたのに,随分おおざっぱな話題を最後に持ってきてしまったという印象。

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思考の誕生

ピアジェ, J.著,滝沢武久訳 1980. 『思考の誕生――論理操作の発達』朝日出版社,240p.,880円.

地理教育の分野で子どもの地理的認識の発達という研究分野があるが,そこでピアジェを参照する研究者はけっこう多い。それはピアジェが子どもの発達心理についての研究のみならず,「景観問題」といわれる空間認知に関する研究があるからだという。まあ,そんなことでたまたま古書店で見つけ,安価だった本書を購入した。朝日出版社のエピステーメー叢書もけっこう集めているし。

本書はフランス語で出版された著書の翻訳ではなく,著者の講演録を訳者が集めて一冊にまとめたもの。内容は下記の通り。

思考の科学

関係の認識論

知覚と知能における運動の役割

数学の構造と知能の操作の構造

子どもの数の発生

知能の誕生

冒頭の講演から,自伝的な内容で始まる。子どもの頃から生物学に関心を示し,神童ともいえるように,成人になる前から学術雑誌などに論文を執筆していたという。その後,心理学的な領域に関わるようになるが,本人の関心は一環して「認識論」にあるという。また,数学に関しても一定の素養があるようで,4章のタイトルにもありますが,本書でもけっこう数学の話が出てきます。なお,この4章に「構造」という語が出てきます。私が唯一持っているピアジェの本は,クセジュ文庫『構造主義』ですので,そういえばピアジェは構造主義者でした。

本書から学ぶところは予想以上にありました。でも,一方では発達心理学的な意味での理解はあまり進まなかった気もします。まず,ピアジェについて知らなかったことが多かったのは当たり前ですが,本文を読むよりもむしろ訳者あとがきのなかで,訳者はピアジェをデカルト・ニュートン的な近代的空間観のオルタナティブとして位置づけています。相対性理論のアインシュタインとの交流もあったり,数学のなかでも位相数学的空間(トポロジー)の主張など,子どもの空間認識によって近代的空間観を乗り越えようとしたということらしい。

本文のなかでは,まず2章の「関係の認識論」。最近私が認識論にちょっとこだわっているというのは書いていますが,ピアジェの研究関心の中心に認識論があるということ,そして具体的な彼の認識論の一つとして「関係」という論点で議論されています。本書でよく登場するのが,子どもは同じ重さの粘土をこねて形が変わると,体積や重さが変わると認識するという話。丸い状態から細長くすると,ある子どもは長さが長くなったから重くなるといい,ある子どもは細くなったから軽くなるという。集合論や外延と内包の議論などもあります。

もう一つは5章の「子どもの数の発生」。これは私自身が自分の子どもと接しているときの経験と照らし合わせて「なるほど」と思った次第。子どもは早くに数を数えられるようになるが,それがすなわち数を理解したことにはならないという。数というのは抽象的な概念で,頭のなかだけで計算できるようになると数の理解に達したといえるらしい。つまり,目の前にある事物の数を数えるとか,指を折って足し算をするとかいう行為はけっして数を理解しているとはいえず,物と視角に依存した行為ということになるらしい。ともかく,数というものの本質について考えさせられる。

まあ,ともかく難解であると同時に刺激的な読書でした。

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