オリンピック,メガイベント関連文献(英語編20)

Ponsford, I. F. (2011): “Actualizing Environmental Sustainability at Vancouver 2010 Venues,” International Journal of Event and Festival Management 2 (2): 184-196.
こちらも地理学者による論文で,2010年バンクーバー大会を扱っています。環境的な持続可能性がタイトルに挙がっていますが,環境地理学的な視点を有する貴重な論文かもしれません。前半は組織の話で人文地理学的ですが,後半は冬季大会の施設建設だけでなく,競技開催や施設の維持管理という点でも環境への負荷があるという議論をしています。前に紹介したChappelet2008)でも冬季大会の環境への負荷は,開催が山岳リゾートから都市へと移行するのに伴って,氷が自然状態で作られない温度とか,雪が必要量降らないとかの問題が指摘されていましたが,氷や雪を維持するために塩を使ったりしますが,それが環境への負荷になります。バンクーバー大会では組織委員会内に,環境管理チーム(EMT)を設置し,環境への影響を監視します。単に施設が建設されるとか,大会後に利用がなくなるというこれまでの観点ではなく,施設のライフサイクルを考慮した上での環境への配慮,そして大会実行時に排出される廃棄物も含めて,広い観点から考察されています。

 

Liao, H. and Pitts, A. (2006): “A Brief Historical Review of Olympic Urbanization,” The International Journal of the History of Sport 23 (7): 1232-1252.
以前にもPitts and Liao2013)という同じ著者たちの論文を紹介しましたが,この2006年の論文は引用されることが多く,論文投稿に間に合わせて読んでおいてよかったと思う内容でした。とはいえ,タイトル通りオリンピック大会の歴史を概観するものです。まあ,Essex and Chalkleyの論文とどこが違うかと問われると困りますが,都市がオリンピックによって,「オリンピック都市」化するという議論は面白いですね。そして,都市内における競技施設の分布の類型をしており,Kasens-Noor2016)や白井(2017)と同じような試みで,地理学的です。1964年東京大会は「都市内多角配置」という分類で,1980年モスクワ大会と1992年バルセロナ大会と同じ区分です。

 

Dickson, T. J., Benson, A. M. and Blackman, D. A. (2011): “Developing a Framework for Evaluating Olympic and Paralympic Legacies,” Journal of Sport & Tourism 16 (4): 285-302.
この論文は,Preuss2007)が提示した「レガシー・キューブ」の考え方を発展させ,その概念的なものをより具体的に,測定可能なものを提示しようとした試みです。まず,オリンピックのレガシー研究を1986年から辿っています。確かに,IOC自体がレガシーを主張するのは1990年代ですが,オリンピック研究論文ではけっこう古くから使われている概念です。27もの論文を検討しています。2008年には『スポーツ史国際雑誌』で特集が組まれ,6本の論文が寄稿され,そのうちの1本はPreussGrattonと書いた共著論文です。レガシー研究の多くは夏季オリンピック大会を対象としており,冬季大会が少なく,パラリンピック大会については1つしかないといいます。しかし,レガシーで批判的に論じられるのは冬季大会が大きく,また広い意味での社会にレガシーを残す可能性を有するのはバリアフリー,ユニバーサルデザイン,インクルーシブなどの意味でパラリンピックによるものだといえます。それはさておき,この論文では,エクセルでも作成機能がある「レーダー・チャート」でレガシーを数値化する試みです。それを「レガシー・レーダー・フレイムワーク」と呼び,図化されたものを「レガシー・レーダー・ダイアグラム」と呼んでいます。6つの評価項目に対してリッカート尺度を用いて05までの評価点を付けます。ただ,このダイアグラムは個々の施設ごとに作成されるものではなく,インフラストラクチュアや都市再生,社会資本といったレガシーの種類ごとに作成されるものとして例が示されています。つまり,数値で計測する手法とは言え,非常に複雑で,レガシーの複雑さを表現したものにすぎません。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編19)

Brown, L. A. and Cresciani, M. (201): "Adaptable Design in Olympic Construction," International Journal of Building Pathology and Adaptation 35 (4): 397-416.
オリンピック競技施設の大会後の利用を論じたものはそこそこあるが、この論文は建築物のスケールで、持続可能性や適応性(adaptability)の観点から論じている。最後の方で、あくまでもヨーロッパで開催された大会に限定すると書いているが、事例としては2012年ロンドン大会の水泳競技施設(ロンドン・アクアティクス・センター)と室内自転車競技施設(リー・バレー・ヴェロドローム)、および1960年ローマ大会のパラツェット・デロ・スポルトとパラッツォ・デロ・スポルト(名前が似ていて区別がつかない)の合計4施設。2012年ロンドン大会では、新設する施設であっても、オリンピックに必要な座席は仮設にし、大会終了後は取り外して収容人数を減らすということをやっていた。この水泳競技施設も、最大は17,500人を収容したが、仮設撤去後は2,500人となっている。各競技について、いつからオリンピックの種目になったのかという詳しい説明があり、自転車に関しても、いつからどのような理由で室内施設となったのかが説明される。その一方で、大会後どのように適応性を高める工夫がなされたのかについては分かりやすくは説明されていない。この自転車施設に関しては、建築構造的に、室内空間が48のコラムに分割できるということで市民の要求にあった形での利用がされるようだ。しかし、その改修には総額1億ポンドかかるとかかれていたりする。1960年ローマ大会は57年前の大会だが、掲載された施設内部の写真を見る限り、美しい建築物である。オリンピック村の近くに建設されたパラツェット・デロ・スポルトは、選手たちのトレーニング・ジムとして利用された。採光に関して難点もあった建築のようだが、現代建築の遺産と位置付けられる。パラッツォ・デロ・スポルトは現在はポップやロックの音楽コンサートとしても利用されるような多目的施設となっている。こちらも夏場の室内気温が問題であり、ガラス張りのファサードに赤外線防止シートが貼られた。ヨーロッパでは2014年に「ヨーロッパ・アリーナ協会」なる組織が作られ、おそらく全ヨーロッパ・ツアーを行うようなアーティストのために各国で会場を提供するようなものだと思うが、この施設もそこに属しているとのこと。最後に、さらなる研究として、ヨーロッパで開催されたオリンピック大会のデータを収集するような計画が書かれています。

 

Chappelet, J-L. (2008): "Olympic Environmental Concerns as a Legacy of the Winter Games," The International Journal of History of Sport 25 (4): 1884-1902.
著者はスイスの行政学の研究者で、フランス語のオリンピック本も何冊か出している。この論文は環境の観点から、オリンピック冬季大会の歴史を概観したもの。第1回の冬季大会は1924年のフランス、シャモニーで開催された。はじめの40年間は1932年の米国レイクプラシッドでの開催はあるが、スイスやドイツ、いずれもヨーロッパ・アルプスで行われている。持続可能性という点では、現代の見本になるようなもので、今日では迷惑施設になりつつある、ボブスレーやルージュなどの競技は氷を固めただけのコースで行われていた。米国レイププラシッドで開催された1932年大会は初めて環境問題が生じた大会だとされている。国立公園内を開発するための法律を整備し、地元の活動団体が建設反対運動を行った。1936年の夏季大会は悪名高きベルリン大会だが、同年に同国で開催された1936年ガルミッシュ=パルテンキルヒェン大会も巨大な施設をつくったという。1928年のサンモリッツは、1948年大会も開催しており、既存の施設を利用している。ただ、その後は徐々に山岳リゾート地から、都市での開催が出てくる。それは冬季大会もが規模を拡大してきたことによるものであり、IOCも規模の大きな都市を選ぶようになってくる。この時期の最後の大会である、1968年グルノーブル大会では、施設上の問題がいくつか生じてくる。ボブスレー会場が日照の問題で、競技が夜間に行われたり、ジャンプ会場が強風にさらされ、トレーニングが中止になったり。その他いくつかの施設では標高が低いために、氷や雪が確保できなかったりした。
1970
年代から1980年代は政治生態学的な問題が生じる。1970年代には日本も公害問題が深刻化したが、ローマ・クラブによる1972年の『成長の限界』が出された。ちょうどその都市の1972年札幌大会は、招致活動の主要人物がボブスレー選手であり、Hokkaidou Comprehensive Development Instituteなる組織の長だった人物だという。札幌はさまざまなインフラ整備で利益を得ていたといい、選手村から35km圏内に施設を収めたコンパクトな大会だった。この頃からボブスレー施設は人工物となり,「白い巨象」となりつつあります。1980年レイクプラシッド大会では,ジャーナリストによる環境に関する明晰な分析なども発表され,オリンピックと環境の関係について,関心が高まります。1984年サラエボ大会は冬季大会の社会主義国初の開催になりますが,政治的問題も加わってきます。1990年代になると,IOC自体が持続可能性などを主張するようになり,大会開催都市に環境への配慮を求めるようになる。そういった意味でも1994年のリレハンメル大会はグリーンな大会をめざした最初のものになります。1998年長野大会の記述もあります。子どもの参加(動員?),平和,友好のプロモーションが前面に押し出された。ボランティアの制服などでリサイクル材が用いられた。2000年以降の大会では,より環境の主張が強くなる。2006年トリノ大会では委員会がISO14001を取得するなど,環境基準が進展しますが,2014年ソチ大会では後退したといいます。

 

Chen, Y. Qu, L. and Spaans, M. (2013) :"Framing the Long-Term Impact of Mega-Event Strategies on the Development of Olympic Host Cities," Planning, Practice & Research 28 (3): 340-359.
オランダの建築分野の研究者によるもの。けっこうオーソドックスなオリンピックの都市へのインパクト研究。そして、批判的な視点というよりは成功事例を選んでいるところが、社会学や地理学の研究者とは異なるのかもしれない。ということで、1992年バルセロナ大会と2000年シドニー大会が対象。標題に長期的インパクトとあるように、メガイベントによる社会へのインパクトをいくつかの軸で捉えています。一時的-永続的、直接-関節、短期-長期、単一の結果-多元的な結果。バルセロナは開催が決まった当時、経済的な危機に陥っていたという。危機からの回復のために、オリンピック開催を活用し、都市イメージも改善するという目標を立てている。結果的に、1992年バルセロナ大会は、後に「バルセロナ・モデル」といわれるように、成功事例として捉えられ、もう27年が経過していますが、国際的な観光都市として、近年の京都のように、観光客であふれていることが問題視されているくらいである。バルセロナではよく知られるように、市内に競技施設を4箇所に分散させた。オリンピック村の建設は荒廃した湾岸の工業地帯を活用したものだった。公共と民間の提携により開発は行われ、1980年代後半には東京の湾岸でもよくやられましたが、ポストモダンのこじゃれた建築物がウォーターフロント再開発の象徴になっています。もちろん負のインパクトについても記されていて、特にそれは住宅であり、貧しい人向けの住宅が不足したということ。また、この時代にはまだ環境への配慮という点では足りないところが多く、またそうした少数の反対意見を吸い上げるようなことはなかった。

 

Smith, C. J. and Himmelfard, K. M. G. (2007): “Restructuring Beijing’s Social Space: Observations on the Olympic Games in 2008,” Eurasian Geography and Economics 48 (5): 543-554.
この論文は2008年北京大会を取り上げていますが,どうやらこの雑誌での特集のようです。同じ号に掲載されたFeng, Jian, Yixing, Logan and Wu4人による「北京の社会空間の再構築」というタイトルの論文に対する「アメリカ人地理学者によるコメント」といっています。この4人は表記から見るに中国人かそれに近い人々です。読んでいないのにいい加減なことはかけませんが,日本語で読んだオリンピック論文でも,中国人が北京大会について書いたものは,やはり中国以外のメディアがこぞって北京大会を批判するのに対し,それを擁護するようなものが多い印象がありました。なかには,近代ヨーロッパを基礎とする近代オリンピック思想に対し,そろそろそれとは違ったし思想を加えて転回させる必要があるというもっともな主張もあった。おそらく,Feng, Jian, Yixing, Logan and Wuによる論文は北京大会の成功と北京という都市にもたらした恩恵を強調していたと思われ,Smith and Himmelfardによるこの論文は北京大会の負の側面を強調しようとするものだと思われる。とはいえ,住民の移転や立ち退きに関してはCOHREによる調査に依拠していたり,この2人は本格的にオリンピック研究をしているわけでもなさそうです。ともかく,大気汚染をはじめとする環境問題,公共交通を含めたインフラストラクチュア,そして移転と立ち退きという3点から,北京大会がもたらした負の側面を論じています。

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日本映画3本

2019年922日(日)

府中TOHOシネマズ 『アイネクライネナハトムジーク』
妻が子どもを連れて出かけてくれるというので,事前に前売り券を買っていた,公開したての作品を観た。もちろん私の目当ては多部未華子さんですが,相手役が『君に届け』と同じ三浦春馬君というのも嬉しいキャスティング。原作が伊坂幸太郎というのもいいですね。しかし,この原作が曲者だった。予告編ではこの2人がメインという感じなのだが,それぞれの登場人物の心情を描くという意味で,多部未華子の登場シーンはあまり多くはなかったのだ。そこだけが残念だった。
一方の三浦春馬は出ずっぱりで,改めていい俳優だな,年齢を追うごとにそれ相応の演じ方ができるようになっているように感じた。相変わらず美しい貫地谷しほりさんとか,高校生役の若き俳優たちも輝いています。うがった見方をすれば,個々人の悩みには触れながらも人生の輝かしい部分だけ描いているような気もしますが,フィクションだからそれでいいような気もします。
https://gaga.ne.jp/EinekleineNachtmusik/

 

2019年929日(日)

立川シネマシティ 『おいしい家族』
2
週連続で1人で映画を観ることができました。いくつか魅力的な作品はありましたが,板尾創路はあまり好きでないものの,若手の女性監督(ふくだももこ)のオリジナル脚本ということに惹かれてこの作品を選択。浜野健太も俳優としては結構好き。ところで,主演の松本穂香という女優は,予告編でも別の主演作品をやっていたり,最近人気のようだ。しかし,残念ながら私にはその魅力は分からなかった。確かに,最近では少し珍しいはっきりとした顔立ちで,化粧は映え,すっぴんでもいける,という外見の魅力は分かります。演技も下手というわけではないし。個人的な好みですかね。それはともかく,この作品では非常に控えめな演技で,先立たれた妻の洋服を着るという設定の板尾創路は,親戚のおばさんの言葉「似合っているから別にいいんじゃない」というセリフがそのままで,とてもいい。そして,対照的な浜野健太のくどい演技が,この離島の風景,社会とコントラストをなし,素晴らしい作品。そういえば,撮影には新島を使っているようだが,調布飛行場から飛行機路線もありながら,映画では船で移動しており,設定的には『天気の子』とダブっている。東京の離島を取り上げる映画ってそう多くはないと思う。そこがこの映画の肝でもある。女装をする高校の校長先生。それに反発するが実はあこがれていたことが最後に分かる,男子高校生。狭い閉鎖的な社会でありながら,さまざまな異端的人間を偏見なく受け入れていく地元民と,そういう寛容さを学んだはずの東京で暮らす主人公とのコントラストを描いている。
https://oishii-movie.jp/

 

2019年102日(水)

大学が始まりましたが,後期は午前中の東京経済大学だけ。数年前までは国分寺から戸塚まで移動して2コマをこなしていたが,その分の給料が減り,家計が厳しいので,午後は会社に出勤しようかとも考えていたが,妻が正社員に転職するというので,自分のために使おうと思う。とりあえず,伸び切った髪を切るために調布に行くので,ついでに調布で映画を観ることにした。なお,通っている美容院は西調布に引っ越した時から行っているので,もう10年近くになる。その頃は,鏡の下部に埋め込まれたモニターにDVDから上映される映画を観ながらの散髪でしたが,最近はJASRACの取り立てが厳しいらしく,上映はやめてしまった。世知辛い世の中です。

調布シアタス 『宮本君から君へ』
時間的な制約で,選んだ作品はこちら。予告編は観たが,あまり積極的に観たい感じではない。池松壮亮も何となく好きになれない俳優。ただ,蒼井 優ちゃんが体を張って頑張っている作品なので,観てあげることにしましょう。タイトルからなんとなくは感じていましたが,観始めて改めて『モーニング』に連載されたマンガが連載ということを実感しました。痛くてとても観ていられない雰囲気。それを見事に実写で表現しています。まあ,それだけでいいでしょう。ちょこっとだけど,久しぶりに松山ケンイチの姿を観られたのは嬉しかった。
https://miyamotomovie.jp/

 

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オリンピック,メガイベント関連文献(翻訳論文編2)

ボイコフ, J.著,鈴木直文訳(2016):反オリンピック,(所収 小笠原博毅・山本敦久編『反東京オリンピック宣言』航思社:133-156).Boykoff, J. (2011b): “The Anti-Olympics,” New Left Review 67: 41-59.
ボイコフの文章で初めて読んだもの。再読しました。2010年バンクーバー大会の話ですが,冒頭ではオリンピックのために作られた特別条例に講義するサイトスペシフィックアートが紹介されています。この条例はなんと,オリンピックの祝祭的雰囲気に反するプラカード,ポスター,横断幕を禁止するものだという。「国際オリンピック委員会(IOC)は多国籍企業ともグローバル機関ともつかない存在になっていて,国家機関,国際機関,各スポーツ連盟,スポンサー企業の結合した巨大な構造のど真ん中に腰を据える」(p.135)という。クーベルタンを社会進化論者だといい,差別的発言を引用する。IOC会長だったブランテージは「シカゴの不動産王」(p.136),サマランチはファランヘ党員であり,フランコ主義者だという。バンクーバー大会では,多くの反オリンピック運動が起きた。この論文で挙げられているものはオリンピックのみに反対している団体とは限らないが,「ノーゲームズ2010連合No Games 2010 Coalition」「コミュニティへのインパクト連合Impact on Community Coalition」「誰も違法ではないNo One Is Illegal」「反貧困委員会Anti-Poverty Committee」「正義の流れStreams of Justice」「女性の力グループPower of Women Group」「盗まれたネイティブの土地でオリンピックを許すなNo 2010 Olympics on Stolen Native Land」「ヴァン・アクト!Van.Act!」「ネイティブ若者運動Native Youth Movement」,こうした団体が「オリンピック抵抗ネットワークOlympic Resistance Network」を形成したという。抵抗の対義語は支配だから,抵抗された主催者側は支配者然としなければならない。ということで,かれらを取り締まる警備体制が強化される。『ファイブ・リング・サーカス』といえば,トムリンソンとファネルによる翻訳された著書ですが,同じタイトルの著書を持つオリンピック批評家,クリストファー・ショーがしつこい嫌がらせを受けたことが記されています。反対運動の面白い事例として写真付きで説明されているのは「オリンピック・テント村」です。やはり活動の拠点があるのは大きい。先ほどの「反貧困委員会」はかなり過激なデモを行ったようで,こちらも写真付きで紹介されていますが,こうした支配-抵抗関係の抵抗側の複数の活動団体が連合を組む時の注意点も論じられています。お互い立場も主張も違うわけですが,やはり仲違いをしてはいけません。また,バンクーバーでは反対運動のなかからメディア自体も生まれ,メディアを通じた活動というのも面白い。

 

コーエン, P.著,小美濃 彰・友常 勉訳(2016):ありがとう,でももう結構―オリンピック協約の贈与と負債―,(所収 小笠原博毅・山本敦久編『反東京オリンピック宣言』航思社:162-210).Cohen, P. (2013): “Thanks But No Thanks: Gift and Debt in the Olympic Compact,” In Choen, P. : On the Wrong Side of the Track?: East London and the Past Olympics, London: Lawrence and Wishart.
訳者による解説によると,著者は文化地理学者だという。残念ながら,私は知らない。この文章は『トラックの裏側?』というタイトルの著書の1章だという。かなりの分量で,内容的にもあまり地理学者らしくはない。人類学者マルセル・モースをはじめとする贈与論の観点から,2012年ロンドン大会を素材にオリンピックに関して議論したもの。冒頭に,2012年大会の開催都市がロンドンに決定した際の組織委員(招致委員?)が発した言葉が「ありがとう,ロンドン」であったというのが,タイトルの由来。オリンピック競技大会の主催者側がその開催都市の住民に対して例を言う。このことの意味を深く問い詰める論文。オリンピック大会の招致競争において,開催都市の住民の支持率が大きな影響力を持つとはよく言われるが,支持してくれたことに対する礼ということが一つある。支持率に応えるべく主催者側は素晴らしい大会(祝祭)を市民に提供する。こうした象徴交換や,実際に税金を費やして開催するこの祝祭によって,雇用創出などの経済効果をもたらすといえば,実際の貨幣交換が行われる。そして,それだけではなく,ここで問われるのが「モラル・エコノミー」だという。「対等な者同士の相互的な贈与関係」であり,「双方に負債を生じさせて友好や協約を固める」(p.165)ことだという。中盤ではボランティアの話もあります。ボランティアの精神とはもともとはキリスト教の施しの精神と類似したものだという。施しとは感謝するものにしか与えられないという指摘が非常に興味深い。イスラームの聖典コーランにも「施しは貧民のみ,それ以外は交換である」(p.177)とあるらしい。「贈与交換と慣習的なコミュニズムのモラル・エコノミーが,今日の資本主義とその債務危機を救済するために動員される」(p.179)。新自由主義化した現在の「グリーン資本主義,倫理的な経営文化の展開,企業の社会的責任の明記,厚生経済など」において,「商品があたかも贈与品のように取り扱われ,贈与品が商品のように扱われる」(p.180)。オリンピックで叫ばれる「レガシー」は相続として論じられる。相続とは血のつながりだけで与えられる贈与だが,良く知られるように相続をめぐってさまざまな問題が生じる。遺産の相続だけでなく,負債も相続されるのはオリンピックと一緒だ。終盤でようやく2020年ロンドン大会の分析に入っていく。まずは市場イデオロギーについて。競争原理の資本主義経済はオリンピック競技大会で戦われる「勝者がすべて」という規範と価値観の参照モデルになっているという。2012年大会では,レガシー評価委員会なるものも設置して,大会後のレガシーを評価している。それに関しては,日本では金子氏による研究があり,また阿部 潔もレガシーとは偶有性がなせる業であり,それを事前に計画することは意味がないといっているが,この論文でも同様にレガシー評価の無意味さを指摘する。ともかく,読み直してみるとなかなか本質的な議論が多く,この文章が収録された本自体を読む必要を感じた。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編18)

Allen, J. and Cochrane, A. (2014): "The Urban Unbound: London's Politics and the 2012 Olympic Games," International Journal of Urban and Regional Research 38 (5): 1609-1624.
オリンピックに関連する都市再生事業には民間企業を含め、さまざまな組織が関わっているため、オリンピックの効果は都市内で収まるものではなく、境界を越えていく、ということが主題のようだ。2012年ロンドン・オリンピック大会を事例としながらも、具体的な説明と同じくらい、学術的な議論が展開されているため、なかなか論旨がつかみにくい。ハーヴェイやマッシィのような地理学者による場所論を用いながらも、コックスのスケールや領域性の議論も展開している。オリンピック開発に関わるさまざまな組織について説明がある。米国ワシントンのアナコスティア川のウォーターフロント再生事業を手掛けた人物や、シドニーのオリンピック公園開発に携わった人物などが、イースト・ロンドンのオリンピック開発に関わっているという。なお、このオーストラリアの会社レンドリース(Lend Lease)は日本法人もあるらしい。
http://www.lljpn.com/index.html
イースト・ロンドンでは住民の転居が行われ、選手村建設のために住居は取り壊された。その選手村は、カタール資本の不動産に売却される。こうした事例は近年の場所論で説明される。アッシュ・アミンの議論も登場するが、領域的な場所ではなく、政治的影響力が移動可能な形式のネットワークとして、結びつきの政治という状況を呈する。バスケットボールのトレーニングセンターはODAOlympic Delivery Authority)によってレイトン湿地に計画され、「レイトン湿地を救う」という団体が反対キャンペーンを行っている。他にも芸術を用いた抵抗運動が行われていたようです。また、アートを中心とした活動も、オリンピック開催時期に実践されていたようです。とはいえ、アンチ五輪という運動というよりは、オリンピックとともに日常生活を送るというようなメッセージのようです。Wikipediaで調べると1996年に設立された市民団体「London Citizens(現在はCitizens UKに改称)」の活動も紹介されています。この団体はODAとの取り決めで、契約者には労働者に対してロンドン生活水準賃金(LLW)を約束させた。また、この団体が活動支援をしているイースト・ロンドン土地トラストという団体も設立し、イングランドで初めての都市共同体の土地トラスト組織だという。まあ、そんな感じで2012年ロンドン大会をめぐっては、開催側もさまざまな組織をアウトソーシングして、また草の根市民グループもいくつかあり、交渉を行うことで自らの権利を主張している。そうした組織・団体はさまざまな規模で、ルーツを持ち、領域的な行政区画の政策に限定されない、スケール横断的な政治が行われる。

 

Ivester, S. (2017): "Removal, Resistance and the Right to the Olympic City: The Case of Vila Autodromo in Rio de Janeiro," Journal of Urban Affairs 39 (7): 970-985.
米国の社会学者による、2016年リオデジャネイロ大会のファベーラの移転を扱った論文。タイトルにあるように、ルフェーヴルの「都市への権利」概念を中心とする考察。とはいえ、ルフェーヴル自体の文献は引用がなく、近年の地理学・社会学の文献を参照しています。私はちょっと前にルフェーヴルの『都市への権利』を読み直し、またハーヴェイによる「都市への権利」論が掲載された『反乱する都市』も読んでみたが、正直言ってこの概念は理解できていない。しかし、この論文では非常に分かりやすくこの概念を定義している。つまり、「都市生活を楽しむ権利、この権利の定義において空間の使用の重要性を強調すること。この権利の基礎と表現としての自己管理」、また「都市への権利は都市居住者の二つの原則的な権利、すなわち参加participationの権利と専有appropriationの権利を含むように洗練される」(p.972)とある。こんな常識的な定義がルフェーヴルのいわんとすることなのだろうか。とはいえ、リオデジャネイロ大会に関する議論は非常に興味深い。中盤では反オリンピック運動の事例がいくつか紹介される。そして、リオデジャネイロの説明に入るが、数あるファベーラのうち、この論文ではヴィラ・アウトドローモが選ばれている。まずは、ここの歴史が概観される。市の西部、ちょっと内陸に入るが、湖畔にある地区。この地区を含むバーハ・デ・チジューカという地域は、1980年代から中流階級のための高層住宅が建設され、レジャー施設や商業施設が開発され、2000年から2010年の間にも人口は倍増している。一方で、低所得者向けの住宅は無視され、低所得者たちは未利用地に勝手に自らのコミュニティを建設した。当初、この地域の建設に関わる労働者も含む低所得者たちは、長距離をバスによって通勤していたが、そのうち近くに住み着くようになり、その後家族を呼び寄せる。ヴィラ・アウトドローモは湖岸にあり、1970年にはF1のサーキットが建設されるが、その周囲に作られたファベーラである。建設労働者やブラジル北部からの移住者によるコミュニティが建設される。元々は湖の漁民たちによるコミュニティがあり、それは1987年に組織化され、コミュニティ内には自動車修理工場やバー、大工、美容室、小さなレストランなどもあった。リオの他のファベーラとはかなり異なっている。1980年代にはこの辺りに音楽フェスを開催する「Rock in Rio」なる施設もあり、にぎわっていたという。1993年からは段階的にこのファベーラの撤去が進み、2007年のパンアメリカン大会、そして2016年にはオリンピック公園として開発されるようになる。住民の組合は市役所の前で抗議活動をするなどし始める。2009年には新しい市長がヴィラ・アウトドローモを含む123のファベーラを撤去することを決める。行政は英国の建築会社にオリンピック公園の設計を委託する。2010年になると、ヴィラ・アウトドローモの地区はメディア・センターとオリンピック・トレーニング・センターになると説明される。その行政による計画(city's plan)に対抗するように、住民たちは近隣の大学の専門家に依頼し、民衆の計画(Popular Plan)を作成する。それによれば、市の計画が全世帯の移住を要求するのに対し、500世帯が残留し、82世帯だけの移住によって成立するという。移住にかかる費用に関しても、市の計画が1世帯当たり63,000レアル(約216万円)であるのに対し、民衆の計画では500万レアルと80倍の金額が試算される。この計画は英国やドイツの大学で受賞し、賞金も得ている。その賞金の一部を住民の声を伝える報道に用いたという。結局、この計画は採用されず、移転を強いられた住民には以前より狭い住居が与えられ、コミュニティは分断された。ほとんどが移転したとはいえ,在留した20世帯については建て替えられた新しい住宅が同じ地で提供された。元々500世帯がひしめき合っていた土地に50戸の住宅である(30世帯はどこから来たのかは不明)。

 

Fussey, P. (2015): "Command, Control and Contestation: Negotiating Security at the London 2012 Olympics," Geographical Journal 181 (3): 212-223.
Fusseyは以前紹介したCoaffeeとともに、ゴールド夫妻『オリンピック都市』に「セキュリティ」を執筆している社会学者。この号の『Geographical Journal』は「メガ・イベントのセキュリティ化」という特集を組んでいる。Coaffeeと同様に2012年ロンドン大会を扱っていている。民族学的調査と40人のセキュリティ専門家に対する半構造インタビューと20人のセキュリティ計画者への追加インタビューから構成される。主に、フーコーの議論に依拠しているが、なかなかすっきりと理解できない。ロンドン大会直前の反対運動と逮捕者の事実がいくつか示される。オリンピック村建設に伴って破壊されたクレイズ・レーン地区の住民や、以前にも別の文献で出てきたバスケットボール・トレーニングセンターの開発地となった湿地における「レイトン湿地を守る」などの活動家、開会式前日の182人のサイクリストが参加した「クリティカル・マス」(自転車を使ったデモ行進のようなもの?)でも大量の逮捕者が出たとのこと。アディダスの低金銀労働に抗議するためのメッセージを集合住宅の壁に投影したりと、さまざまな反対運動が展開され、警察がそれらを取り締まる。オリンピックのセキュリティをカフカの『城』になぞらえて、何が起こるか分からないものに最大限の備えをすることの愚かしさが示されます。
主要なターミナル駅から競技施設までの「グレー空間」についても論じられます。ターミナル駅や空港などはイベントでなくても警備対象で、イベント施設はまたそうですが、その間をつなぐ経路でもセキュリティは重要ですね。と、ここまでわかったように書いていますが、正直言って久し振りに知らない単語の多かった論文。最後にはG4Sという民間の警備会社(といっても日本の警備会社を想像してはいけないかもしれません。最近は軍事的なものまで民間委託される時代ですから)の不備について書かれているが、詳細は不明。ただ、「ほとんどの警備員はオリンピックにはかかわりたくないといっている」(p.221)という従業員のインタビューはなんとなく納得。結論でも書かれていますが、「警備と監視の実践は、場所の偶有性に形付けられ、また形付ける」(p.222)というように、状況によって要求される警備の量や質が、契約後に変更されるようだ。

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オリンピック,メガイベント関連文献(日本語編3)

稲葉奈々子(2015):東京オリンピックと都営霞が丘アパート.寄せ場 27: 61-75
国立競技場の南側に約300戸の霞が丘都営アパートがある。戦前からある「旧霞」と1947年に建設された「新霞」とがあり,いずれも1964年東京オリンピックの際に,新しく建て替えられた都営アパートへの住み替えか,建て替え時の移転かをさせられた。2013年にオリンピックの開催地が東京に決まるが,それ以前に2019年ラグビーのワールドカップに向けて,国立競技場の建て替えが決まっていたようで,この霞が丘都営アパートの住民には20127月の時点で移転の通知がなされている。その後,2013年にオリンピックの開催が決定し,住民に対して新宿区内のいくつかの都営アパートが移転先として提示されたが,論文執筆当時当時約230世帯が住んでおり,2013年の早期移転に100世帯が応じたという。201411月には東京都住宅局が移転の説明会や「意向調査」を行った。自治会の合意をもって全住民の合意とし,移転計画が進行する。20152月には移転を希望しない住民有志が都に要望書を提出する。
この論文は,著者が20146月に住民に対して行ったアンケートの結果と,アンケート回答者のうち,インタビューに応じた10名の方のライフストーリーが説明される。アンケートはポストが閉鎖されていたもの以外への全戸に投函され,43世帯の回答を得ており,回答率は24.7%とされている。このアパートは2DKの間取りでほとんどの世帯が高齢の夫婦世帯か一人世帯かである。移転を促された別の都営アパートは1DKが多く,荷物を処分しなくてはならないことや,そもそも高齢で引っ越し作業や新しい土地での生活の不安などが転居をとどまらせる大きな要因であった。また,ライフストーリーの聞き取りからは5080年間その土地で暮らしてきたことから生じるふるさと意識が大きいとされている。この論文で引用されているいくつかのインタビューは「反五輪の会」が行ったもののようだ。そして,都が行った意向調査には「転居しない」という選択肢はなく,また当時の舛添知事の定例記者会見での応答など,不誠実な対応もかれらに怒りと憤りを感じさせたという。なお,現在アパートは取り壊されている。

 

阿部 潔(2001):スポーツ・イベントと「ナショナルなもの」――長野オリンピック開会式における「日本らしさ」の表象.関西学院大学社会学部紀要 9086-97
まず,メディア研究者である著者はオリンピックをメディア・イベントとして捉え,自らの研究テーマの一つであるナショナリズムに関して論じる,というのが大きな目的である。対象は1998年長野大会の開会式であるが,開会式のテレビ放映を詳細に検討するようなメディア研究ではない。開会式はどういうものであったのかという事実を前提とし,それをめぐっての,主催者側の発言,開会式を批判するさまざまな人の意見(それらは各種雑誌などで発言され,メディアであるとはいえる)を検討し,開会式で表現される記号内容を検討するというもの。ある意味,古典的な記号論的メディア分析といえよう。近代オリンピックの始まりからして,世界中の多くの人が参加し,国対抗で競技が行われるという意味で,コスモポリタニズムとナショナリズムが共存しているのがオリンピック。開会式においても,それは新旧大会でいわれてきたことだ。まあ,それを1998年長野大会の各論として,日本のナショナリズムとして例証したのがこの論文。開会式のプロデュース側も,それを批判する論者も,結局日本のナショナリズムを否定するよりも擁護しているところは同じであるということを確認し,グローバル化によってナショナリズムが消滅するというかつての幻想を否定するという,ありがちな結論にはなっていますが,こういう基礎的な研究は必要です。

 

阿部 潔(2016b):先取りされた未来の憂鬱――東京2020年オリンピックとレガシー.小笠原博毅・山本敦久編 『反東京オリンピック宣言』航思社,40-58
阿部は同じ年に所属する大学の紀要に書いた論文タイトルを「東京オリンピック研究序説」としているように,2020年東京オリンピックに関する研究を着実に進めている。この論文では副題にあるように,組織委員会が2016年に公表している「アクション&レガシー・プラン中間報告書」を丹念に分析している。この中間報告書では,1964年東京大会のレガシーだけではなく,返上・中止になった1940年大会にも触れているという。1940年大会については戦時期のことでもあり,研究では批判的に語られ,公的にはあまり言及されていなかったが,ここにきて,戦争の記憶を消し去ったうえで,來田も指摘しているように,3つの大会に共通する「復興」というスローガンのみが,2020年大会との連続性のために利用されている。これを阿部は「歴史認識・解釈の修正主義」と呼ぶ。1964年大会についても,その過度な開発・高度成長に伴って生じた負の遺産である「公害」には全く触れないという。この中間報告には①スポーツ・健康,②街づくり・持続可能性,③文化・教育,④経済・テクノロジー,⑤復興・オールジャパン,世界への発信,の5本柱がある。それらには政策的な目標があり,①医療費の削減,②エネルギー・観光負荷の抑制,③ナショナリズムの高揚,④セキュリティ技術を通じたテクノ・ナショナリズム,⑤総動員体制,日本の観光資源化。当然,こうしたプラン=計画は市民参加的なものではなく,政府主導のものである。とはいえ,スポーツや文化を盾とすることで,戦時下のような国民への政治的強制ではなく,国民が自ら楽しみをもって自主的に参画するものであることが演出されている。しかし,その達成するところは経済的なものが主である。ここにも阿部はやはりナショナリズムの変容を読み取っている。最後にレガシー概念の語源を示す。この語はもともと「宗教的な権威と使命のもとに派遣された人物(特使)が,その赴任地において果たすべき営為(ミッション)であった」(p.55)という。最後に長くなるが,著者なりの本書表題に関わる引用をしておこう。「2020年東京オリンピックに向けて作り上げられるレガシーは,あらかじめ「先取りされた未来」の姿を描き出そうとする。だが,偶有性に満ち,不確実でもある「社会」を自ら引き受ける勇気を持ち続けようとするならば,私たちはレガシーに潜む暴力に抗い,それを断固として拒否する意思と自由を示さねばならない」(p.58)。

 

西山哲郎(2015):範例的メディアイベントとしての2020 東京オリンピック・パラリンピック大会の行方について.マス・コミュニケーション研究 86: 3-17
冒頭でまず,1964年東京大会が,テレビ時代の到来を早め,国民のほぼ全員に同じ映像体験を提供したことに成功したメディアイベントだったとする。そして,2020年までに生じている「長期的な情報空間の変化」(p.4)に目を向けるべきだという。中盤では,2020年東京大会の問題をうんぬん語り,2012年ロンドン大会が模範例になるだろうという。一例として自転車文化の活性化を挙げている。日本選手の障がい者スポーツでの活躍を論じ,「そういう意味で「国威高揚」ができるなら,2020東京オリンピック・パラリンピック大会は,真の意味で豊かな社会を日本に実現する機会として利用できるだろう。」(p.10)と書いているが,その真意が読み取れない。メディアコンテンツの話は「最後に」とされてしまう。メディアイベントにおける歴史的な新聞社の役割を指摘し,テレビ時代には広告代理店が,インターネットとスマートフォンの時代にはどうなるのか。リアルタイム性を議論している途中で,なぜかオリンピックの放映権料の話が挿入され,テレビ以外の多様なメディアで今後どうなるのか,結論がないまま終わってしまう。

 

西村 弥(2018):東京オリンピック開催準備における政府間関係・組織間関係に関する考察.明治大学政経論叢 86 (34): 43-74
2020
年オリンピック・パラリンピック競技大会は20139月に開催都市を東京に決定した。20141月には東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会が設立された(20151月に公益財団法人に移行)。201310月には政府内にも2020年オリンピック・パラリンピック東京大会推進室を設置した。20157月には「平成三十二年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会特別措置法」が成立し、201510月には文部科学省の外局としてスポーツ省が発足する。著者は政治学で博士を取得し、行政学を専門分野としているようだが、この論文では「集権・分権/融合・分離」モデルを援用するという。
まずはオリンピック憲章から関わる諸組織の権限について確認している。実際の大会開催は開催国のNOCが運営するが、オリンピック競技大会に関するすべての権利はIOCが所有するものとされている。あらゆる側面においてIOCは最高権限を有している。権限の観点からは、オリンピックにおけるIOCJOC、組織委員会の関係は「集権・分離型」と整理される。ここで面白いのが、オリンピック関係組織と開催都市(東京都)という自治体との関係を論じる前に、オリンピックを招致するという行為における民主的正当性の有無を確認している点である。これは「地方自治法等で想定されている自治事務といえるのかどうかという点についても疑問が残る」(p.54)としている。20117月に石原都知事が立候補の意思表明をJOCに提出したとされる。9月には招致委員会が発足するが、東京都議会が正式に決定するのは10月になってからだという。ただ、結論的には手続き上は問題ないとされ、それ以上は論じられていない。東京都内に設けられた「オリンピック・パラリンピック準備局」の定員は265人、一方NPO法人である組織委員会の職員は11,33名だという。それらの多くは他の機関、団体からの出向者でまかなわれ、34%が都職員、民間企業から31.3%、地方自治体から18.4%、国から3.4%、その他12.9%だという。大会時には7000名規模に拡大される予定だという。都と組織委員会との関係は「分権・融合型」だという。上記した国のオリンピック・パラリンピック推進本部は、関係機関や関係団体に対して意見や協力を提供するのみだという。大きな権限は有していない。また、新たに設置されたスポーツ庁に関しては、庁内に「オリンピック・パラリンピック課」があるが、実質的な役割はない。ちなみに、スポーツ庁の定員は120名である。と、ここまで興味深い事実を確認しているが、結論としては「集権・分権/融合・分離」モデルでの分類を確認することで終わってしまっている。

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オリンピックのすべて

パリ―, J.・ギルギノフ, V.著,桝本直文訳・著(2008):『オリンピックのすべて――古代の理念から現代の諸問題まで』大修館書店,399p.2,500円.

 

本書も先日紹介した『オリンピック教育』とともに、最近存在を知った訳本。日本のオリンピック研究者としては有名な桝本直文が訳している。そして、ただ訳しているだけではなく、日本の状況である第4章と、自らの専門である映画に関する第13章を書き足しているのだ。「訳著者あとがき」には「原著の章と差し替えてある」(p.387)と書かれているが、原著からどの章が除かれることになったかは書かれていない。

序章
1章 オリンピズムという理念
2章 古代のオリンピック
3章 近代オリンピック競技大会の復興
4章 日本のオリンピック・ムーブメント(桝本直文)
5章 オリンピックとメディア
6章 オリンピック・マーケティング
7章 オリンピック大会の経済的・環境的インパクト
8章 オリンピック大会の開催
9章 オリンピック大会の政治学
10章 スポーツの倫理とオリンピズム
11章 薬物とオリンピック
12章 スポーツ、芸術、オリンピック
13章 オリンピックと映画(桝本直文)
14章 パラリンピック
15章 オリンピック教育――オリンピックの祝福

本書はこれまで私が読んだなかでなかった内容がいくつか含まれている。まずは、古代オリンピックについて。オリンピアの遺跡は、1766年に英国人が発見し、1829年にフランスの考古学者たちが訪れたとされ、本格的に発掘調査が始まったのは1875年だという。その調査に基づき、紀元前に行われていた古代オリンピックの内容が解説されている。私的には特に興味はないが。
4章は訳者の桝本氏による日本の事情についての説明だが,自らが関わっている日本オリンピック・アカデミーでの仕事を活かしたような内容であり,あまりアカデミックな文献は参照されておらず,詳しいのはオリンピック教育について。前半は圧倒的にオリンピック推進派の著書だと思っていたが,オリンピックがもたらす負の側面にもしっかり向き合っています。第58章の経済的側面や,第9章の政治的側面はそこそこ有体の記述ですが,第10章はこれまで読んできたものよりもかなり突っ込んでドーピングなどに関連した話が論じられています。この章を読むと,冒頭でオリンピズムに関して詳しく解説していた意味が分かります。まず,第10章では暴力について,スポーツに必然的につきまとう攻撃性と暴力との関係が論じられます。第11章では薬物について,基本的な薬物反対派の意見を挙げながら,それらがいかに根拠がないかを論証しています。とはいえ,決定的な批判意見は出しておらず,暗に「ルールはルール」というIOCの立場を意味のないものとしています。第12章の文化・芸術へのこだわりもやはりクーベルタンの理想を汲んでのものですが,かといってクーベルタンの思想を理想化しているわけではありません。この章に乗じて桝本氏は第13章を加筆し,全大会の記録映画について論じています。これはありがたい。特に,多くのオリンピック公式記録映画を手掛けていながら日本ではあまり知られていないバド・グリーンスパン監督の作品を詳しく紹介しているのはありがたいです。オリンピック研究は非常に蓄積があり,パラリンピックまで含めてしまうと収拾がつかないので,あまり読んでいませんが,本書では分量的に多くはないものの,丁寧に記述されており,その本質を理解するのに役立ちます。著者の2人はこれまで知りませんでしたが,最近読んだ英語論文の中で本書が引用されていて,そこそこ読まれている本なんだなと確認しました。

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今日は久しぶり一人の休日

2019年94日(水)

吉祥寺アップリンク 『メランコリック』
久しぶりに一人で行動。どこで何を観るか,とりあえず最近お気に入りの吉祥寺アップリンクの上映作品を調べると,『火口のふたり』も上映していたが,迷った末,もう少しマイナーな作品を選択。皆川暢二という俳優が演じる,東大卒でありながらさえない人生を送っている男が主人公。ど近眼眼鏡をかけてまさにさえない男を演じているが,眼鏡をはずすとかなり男前,そしてこの作品のプロデューサーでもあるという。監督は田中征爾というが,こちらも初長編作品だという。たまたま行くことになった銭湯でバイトを募集していて,働き始めると,その先頭で夜中,殺人が行われていたという展開。床屋で殺人が行われたというアメリカ映画『スウィーニー・トッド』を思い出す。主人公が初めて銭湯に行ったときに,吉田芽吹という女優が演じる高校時代の同級生と再会し,さりげなくアタックされて付き合うようになってしまうところとか,かなり不自然な物語展開もありますが,そこそこ楽しめる作品。個人的には最後のシーンがとても良かった。
https://www.uplink.co.jp/melancholic/

 

2019年916日(月,祝)

府中TOHOシネマズ 『天気の子』
今回はあまり積極的に観たいと思っていなかったが,4歳の娘が観たいというので,あまり乗り気でなかった8歳の息子と3人で観に行くことにした。上映開始からかなり経っていますが,まだ14回の上映で,私たちが観た11時台の回もほぼ満席でした。本作もそこそこヒットしているようですね。今回もネタバレでいきます。
息子が乗り気でなかったのは,拳銃が出てくるシーンがあること。案の定,はじめのシーンでは「だから観たくなかったんだよ」とシートに顔をうずめていました。幸い,主人公は銃を捨てて,物語は進行したので,そのまま見続けましたが,まさかの再び銃の登場。息子は号泣しながら悶えていました。かわいそうに。観終わった後私も本作における銃の存在について考えましたが,あのアイテムは必須条件だったのでしょうか?単に盛り上がりを作るためだけだったような気がします。改めて息子の感受性の強さを感じましたが,彼には悪いことをしました。銃が登場した2回目のシーンでは娘ももらい泣きをしてしまいましたが,『ライオン・キング』に続いての長編映画を,今回はトイレに立つことなく,観ることができました。子どもたちの記憶にどんな形でこの作品は残るのでしょうか。
さて,私の評価ですが,観る前にちょっとした評論文を読んでしまいました。相手役の女性の描き方が男性の欲望の反映だというもの。まさにそういう感じはありましたね。主人公を中心とした予定調和的な印象は否めません。ちなみに,今回は山本二三さんも参加しているようですね。気象に関する知識や,今回は古い神社に伝わる人柱の話は,『言の葉の庭』の時と同じように,古い日本文化への参照ということでしょうか?そして,近年のゲリラ豪雨や異常気象といわれる将来的なものへとつなげていく視点は,右翼化が進む現代日本に必要とされるものかもしれません。そういえば,外国人労働者やLGBTのような視点は全く欠如していますね。今回も舞台は『言の葉の庭』以降監督がこだわっている新宿・代々木付近で,今回はオリンピックも近いということで,千駄ヶ谷も含んでいて,建設中の新国立競技場がこれ見よがしに登場していました。それにしても,最後のシーンはよく考えると現実味がない。東京では3年間雨が降り続くとある。これは局地的なものであり,元々のゼロメートル地帯や,何らかの形での液状化や地盤沈下が起こるということはあり得るので,東京湾付近の一部が水没するという可能性はあると思う。しかし,映し出された上空からの風景は,明らかに海水面が上昇した場合の状況だ。局地的な雨が海水面を上昇させるわけではない。
https://tenkinoko.com/

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オリンピック教育

ナウル, R.著,筑波大学オリンピック教育プラットフォーム・つくば国際スポーツアカデミー監訳(2016):『オリンピック教育』大修館書店,285p.,円.Naul, R. (2008): Olympic Education. Aachen: Meyer & Meyer Verlag und Buchhandel GmbH.

 

読んでも読んでも出てくるオリンピック文献。筑波大学は体育系というのを東京師範学校の時代から持っていて、現在でもオリンピック研究者を輩出している。実際に2010年から監訳者となっている組織が付属学校でのオリンピック教育の実践を行っているとのこと。そんなことでドイツの研究者による英語の研究書が翻訳されていた。オリンピック教育はけっこう重要だが、地理学的観点からはちょっと遠いのでどこまで首を突っ込むか悩んでいたが、英語論文をあまりフォローしていないこともあり、日本語になっているものは読むことにした。

序論
I部 オリンピック競技大会-オリンピック教育-オリンピック教育学
 第1章 オリンピックとオリンピック教育
 第2章 オリンピック教育とオリンピック教育学
 第3章 国際オリンピック委員会によるオリンピック教育推進のための5つの段階
II部 オリンピック教育の歴史
 第4章 オリンピック教育の父と祖父――19世紀
 第5章 オリンピック教育の父と子たち――20世紀
III部 オリンピック教育の推進
 第6章 国際オリンピック委員会
 第7章 国際オリンピック・アカデミー
 第8章 国内オリンピック・アカデミー
 第9章 高等教育委機関とオリンピック研究センター
IV部 オリンピック教育の教育学的概念と教授法
 第10章 各国の体育カリキュラム
 第11章 オリンピック教育の教育学的概念
 第12章 オリンピック教育を行うための教授学的アプローチ
V部 オリンピック教育の評価研究
 第13章 オリンピック教育と教師・生徒のオリンピックに関する知識の評価
 第14章 オリンピックの理念とスポーツ活動での達成動機の評価
 第15章 オリンピック教育の普及プログラムと教授法の評価
結論

II部で分かるように、オリンピック教育とはクーベルタンが発案したオリンピズム(オリンピック理念)と深く関係しており、文化プログラムと同様に、スポーツ競技大会の付属物ではない。むしろ、クーベルタンはスポーツ競技を手段として、目的は教育的な側面にあった、ということは事前に知っていた。本書の前半では、そのことの詳細を知ることができる。まず、そういう訳で、クーベルタン自身は「オリンピック教育」という言葉はほとんど使わなかったという。むしろ、教育(education)ではなく、教育学(pedagogy)という語は使われていたようだ。第II部ではその歴史として、クーベルタンが英国のパブリックスクール、特にアーノルドの教育に影響を受けていたというのは、本書でも言及されているマカルーンの『オリンピックと近代』に詳細が書かれているし、有名な話である。本書では、それをさらに深堀し、またドイツの研究者であるという利点を活かし、ドイツのグーツムーツという人物が18世紀末に発表していた考え方にさかのぼることができるという。とはいえ、本書の探求はその起源探しではない。アーノルド流のスポーツを使った教育法というのは英国の独占物でもなければ、19世紀の発明品でもないということが示されている。そして、第5章では、クーベルタン以降の人たちが、その考えを現代に伝えている様子が、またドイツも含め辿られる。
III部では、オリンピック教育に関わる組織に関する説明となっている。本書の冒頭では、一般の人々にはあまりなじみのない「オリンピック教育」という言葉が、招致をめぐる賄賂やドーピング問題などと関連付けられる悪いイメージがあると書かれている。ということもあり、関連する組織としてアンチ・ドーピング機構(WADA)が挙げられ、その他にオリンピック・ミュージアムと重要なのが、国際オリンピック・アカデミー(IOA)である。この組織も歴史的には前身となる組織がいろいろあるが、この組織は1961年の開設とされている。その役割は、オリンピック研究や教育の国際センター、国際フォーラムの場、各国のオリンピック・アカデミー(NOA)との協力、などとされる。ということで、第8章は各国のオリンピック・アカデミーが説明される。1978年に設立された日本オリンピック・アカデミーは初期の設立である。日本については、開設後あまり活動が活発でなかったが、1998年の長野冬季大会以降、活動が活発になり、特に「一校一国」運動が有名になった。NOAはアジア、アフリカにも存在する。第9章では、オリンピックに関する学術研究を行う大学のオリンピック研究センターが示される。日本では筑波大学と高知大学が挙げられている。高知大学は知らなかった。前田という名の研究者がいることになっているが、特定できず。主要な研究者の名前が掲載されているが、私が読んできたオリンピック研究者の名はない。各大学のオリンピック研究センターが発行している雑誌などの情報も得られなかった。
IV部では、各国での体育カリキュラムが議論され、それとオリンピック教育との関連が論じられる。オリンピックの理念は全人教育であり、本書の言葉を用いれば、オリンピック教育とは人生哲学である。ということで、突き詰めればオリンピック教育は学校における体育という教科に限定されるものではないが、実際には限定されるのは仕方がない。p.193には興味深い表が掲載されている。オリンピズムに関わる教科領域には、スポーツでの努力、社会的行動、道徳的行動、オリンピックの知識という4つの領域があり、それぞれについて、性質・行為・態度という項目に対して、規範と価値観が示されている。オリンピック教育は体育・スポーツ教育とも関連し、やはり体を動かすこと、ゲームのルールを学ぶことを通して、規範を身につける。それを社会的行動や道徳的行動につなげる。オリンピック教育=スポーツ教育ではないから、オリンピックに関しては、クーベルタンに関すること、オリンピック憲章に関すること、また過去の大会に関することや開催都市に関することを知識として学ぶことも要求される。第V部は資料として興味深い。オリンピック教育を実施しているヨーロッパでは各国で、日本では中学生にあたる年齢の男女に対して、オリンピックの基礎的な知識に関するアンケートを実施している。その国別差異や、年齢、性別の差異について結果が報告されている。他にも、好きなオリンピアンや嫌いな選手、オリンピック・チャンピオンになりたいかなど、面白い質問がある。どうやら日本でも、岡出(おそらく岡出美則という研究者)という研究者が国際的なシンポジウムで長野でのアンケート結果を報告しているようだが、日本での報告は見つからない。
ともかく、本書を通じてオリンピック教育に関する幅広い知識を得ることができる。しかし、Lenskyjのような批判的な議論は全く参照されておらず、また体育・スポーツ、とにかく体を動かすことに抵抗がある人、また身体的な問題から体育・スポーツに関われない人、そういう人はあらかじめ除外されていることは否めない。

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〈東京オリンピック〉の誕生

浜田幸絵(2018):『〈東京オリンピック〉の誕生――1940年から2020年へ』吉川弘文堂,281p.3,800円.

 

オリンピック関係の文献を探しているときに突如見つかった著者の論文群。しかも、その一本は私が非常勤講師をしている東京経済大学の紀要『コミュニケーション科学』に2010年に掲載されたものだった。どうやら、東経大の博士課程を修了しており、現在は島根大学法文学部に勤めている。彼女の博士論文はミネルヴァ書房から2016年に『日本におけるメディア・オリンピックの誕生:ロサンゼルス・ベルリン・東京』として刊行されている。ただ、彼女の研究はグローバルな視点を有しているが、あくまでも歴史的研究であり、論文は読んだが、この高価な著書はまだ読んでいない。一方、本書は一般の書店でも売っていて、発売当初に中身をみていた。こちらも歴史的研究がメインながらも、やはり2020年大会をにらんでいることが分かったので、読むことにした。本書に著者略歴が書かれており、学部は成城大学を出ており、修士で英国のラフバラ大学に行っているということが分かり、なんとなく納得。失礼な言い方だが、東京経済大学だけでここまでの研究者が育つとは思えない(優秀な研究者はとても多いのですが)。

プロローグ――三つの東京オリンピック
1章 オリンピック招致運動前史――西洋のスポーツ・イベントと日本
2章 「東洋」初のオリンピック開催へ
3章 〈東京オリンピック〉の残像
4章 戦後の国際社会への復帰とスポーツ
5章 〈幻の東京オリンピック〉の実現――「世界の祭典」を開く日本
エピローグ――1964年から2020年へ

実は、本書を読み始めて納得したことがある。何度も書いているが、私は今国内外のオリンピック研究を読み漁っているが、きりがないので、2000年以降に限定して読んでいる。1964年東京大会にまで手を広げると収拾がつかなくなると思ったからだ。しかし、研究というのは継続的に行われるもので、ある時点の研究は過去の研究を参照する。そういう意味でも、過去の重要な研究があればその存在に否が応でも気づかざるを得ないはずだ。しかし、1964年大会後に記された目立った研究にはあまり見当たらない。本書によれば、1964年東京大会に関しては、各論的なものはあるものの、総論的な研究はさほど多くないのだという。そして、1940年の幻の東京大会を含めて、複数の東京でのオリンピックを検討する作業は実はあまり踏み込んでなされていないという。本書はそれをメディア研究の観点から行おうとするものである。
プロローグでは,近年の日本語で読めるオリンピック研究を概観し,国際化とグローバル化について議論している。著者によるオリンピック研究の面白いところは,常に日本のオリンピックとの関りを題材にしながらもそれをしっかりグローバル化の視点でとらえていること。地理学者はそこにこだわってしまうが,彼女は必然的にそこに目が行くというところは,地理学が学ぶことは大きい。第1章は1908年ロンドン大会に初めて日本人記者や文化人が参加し,新聞を通してそれを日本に報道したところから,2012年ストックホルム大会に選手が参加し,1940年大会に東京が立候補するまでの経緯を,歴史的資料を丹念にたどることで明らかにしている。とはいえ,日本は19世紀末にもオリンピックを新聞記事にしたことがあるという事実もしっかり示されている。また,論文ではなかなか紙面を示すことは難しいが,本書は要所で紙面の画像が掲載されていて,当時の雰囲気を知ることができるのも嬉しい。日本人がそもそもオリンピックが何なのかを理解することは容易ではないことが丹念に示される。こういうところはメディア研究の強みだ。本書は単なるメディアの調査だけではなく,それ以外の歴史資料もしっかりと押さえていることに特徴がある。帯に「「国際」と「グローバル」をキーワードに,連続性を読み解く。」とあるように,オリンピックが国内で完結するイベントではもちろんなく,だからこそ国外に向けられた目,国外から向けられた目を常に意識して,常に意識していたことが分析されている。そして,帯の「連続性」というのは冒頭にも書いたように,返上した1940年大会と1964年大会だが,第2章で1940年大会の返上までが整理され,第3章は返上後の動向,第4章は戦後の状況と1964年招致までが整理される。1940年大会の返上後,日本各地で聖火リレーをまねたイベントが行われたことは既に著者の雑誌掲載論文で読んでいたが,それ以外にも国際学童オリンピックなど,国内でも体育大会が盛んになった。また,1936年ベルリン大会の記録映画の日本での上映について語られたり,歴史資料の調査を楽しんでいる著者の様子が伝わるような記述が続き,読者までもがこの時代の疑似体験をしているようだ。戦後についても,さまざまなオリンピック読本や教科書に記載されるオリンピックなど出版物におけるオリンピックが整理される。1964年大会の聖火リレーについてはいくつか研究があり,そこそこ知っていたが,本書には当時作成されていた聖火リレーコースの地図が掲載されたりして,より現実味を持って理解できる。1964年大会時もやはり小中学生向けの教材など,かなり多くの出版物を通してオリンピックが宣伝されていることが分かる。テレビ中継については,著者の別の論文でも別の大会についても詳しく論じられているが,本大会に向けてCMがどうだったとか,現在のように事前の特集番組がどうだったのか,その辺も知りたかった。大会が始まると,こぞって小説家をはじめとする文化人が開会式をはじめとする大会評を新聞を中心に発表していたことがこの時代の特徴でもある。それはもちろん,肯定的なものだけではなく,否定的なものもあった。特に,アジアで開催された初のオリンピック大会であったのに,アジアからの参加国が少なかったという点を指摘する意見は少なくなかったようだ。それはもちろん,戦争の影響によるところが大きい。オリンピックに合わせて数多く制作された音楽作品についても語られる。これは現代も一緒ですね。しかも,1940年大会と1964年大会の大きな違いは戦中と戦後であるにもかかわらず,1940年大会のために制作された,戦時中を強く意識した楽曲が何の反省もなく蘇るなど,いかにも日本らしい。1964年大会でも芸術展示が行われた。
結局,2020年大会についての議論はエピローグまで持ち越されるが,思いのほか著者が熱く語っていることに驚く。最後の言葉を引用しておこう。「2020年東京オリンピックを経て,日本社会とその首都東京,そして19世紀末に人類が編み出したスポーツ・イベントは,一体どこへ向かうのだろうか。」(p.260

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