百年と一日

柴崎友香(2020):『百年と一日』筑摩書房,185p.1,400円.

 

ある日,柴崎友香さんが大阪府立大学で地理学を学んでいたという情報を目にしたことがある。どこに掲載されていたどんな情報だか忘れてしまったが,ちょっとネットで調べてみてもその真偽は分からなかった。私は基本的に現代小説はあまり読まないし,特に日本の作家は読まない。しかし,柴崎友香さんはそのデビュー作『きょうもできごと』で知っていた。とはいえ,原作を読んだのではなく,行定 勲監督の映画によってだ。この映画は京都を舞台にしていて,妻夫木聡を始め,今でも活躍する魅力的な男女の俳優が出演していた。何気ない日常という表現ではなく,とりとめのない様子が描かれ,私の好きな映画,愛おしい作品。
しかも,その後結婚することになる妻の書棚に『きょうのできごと』の文庫版(別の作品かもしれないが,新居に移る時に妻の蔵書をかなり処分してしまい,今は見当たらない)があり,読むことになった。まあ,妻と知り合ったきっかけが共通の友人だが,彼は当時は日本映画のマニアで,行定監督の『ロックンロールミシン』や松岡錠司『バタアシ金魚』,山下敦弘『ばかのハコ舟』『どんてん生活』などの話を熱く語られていたので,まあ,そういうつながりができても不思議ではないが。ともかく,そんなこんなで,柴崎友香も『その街の今は』など,地理的要素がありそうな作品を読んだりしていた。とはいえ,コアなファンになったわけではなく,『寝ても覚めても』が映画化された時は観たりしたが,2014年に『春の庭』で芥川賞を受賞していることも知らなかった。まあ,この年は長女が生まれた年なので,その辺の情報に疎かったということにしておきましょう。
最近はtwitterで彼女をフォローしていることもあり,彼女の関心の広さに驚いている。まあ,彼女は1973年生まれで,デビュー作が2000年だから少し遅咲きではあるが,本作が作家生活20年周年ということで,円熟味を増した作家だと考えれば,その博識と感心の広さは驚くべきことではない。ともかく,本作の出版を記念して方々でイベントが開催されているので,きちんと読んで,作者の生声を聴いてみたい(とはいえ,オンラインですが)ということで,読んでみた次第。そのイベントはもう終了していて,リアルタイムで視聴はしなかったので,後で視聴するつもりだが,作家本人の詳しい話を聞く前にこの読書日記は書いておきたい。

  1. 一年一組一番と二組一番は、長雨の夏に渡り廊下のそばの植え込みできのこを発見し、卒業して二年後に再会したあと、十年経って、二十年経って、まだ会えていない話
  2. 角のたばこ屋は藤に覆われていて毎年見事な花が咲いたが、よく見るとそれは二本の藤が絡まり合っていて、一つはある日家の前に置かれていたということを、今は誰も知らない
  3. 逃げて入り江にたどり着いた男は少年と老人に助けられ、戦争が終わってからもその集落に住み続けたが、ほとんど少年としか話さなかった
  4. 〈娘の話 1〉
  5. 駅のコンコースに噴水があったころ、男は一日中そこにいて、パーカと呼ばれていて、知らない女にいきなり怒られた
  6. 大根の穫れない町で暮らす大根が好きなわたしは大根の栽培を試み、近所の人たちに大根料理をふるまうようになって、大根の物語を考えた
  7. たまたま降りた駅で引っ越し先を決め、商店街の酒屋で働き、配達先の女と知り合い、女がいなくなって引っ越し、別の町に住み着いた男の話
  8. 小さな駅の近くの小さな家の前で、学校をさぼった中学生が三人、駅のほうを眺めていて、十年が経った
  9. 〈ファミリーツリー 1〉
  10. ラーメン屋「未来軒」は、長い間そこにあって、その間に周囲の店がなくなったり、マンションが建ったりして、人が去り、人がやってきた
  11. 戦争が始まった報せをラジオで知った女のところに、親戚の女と子どもが避難してきていっしょに暮らし、戦争が終わって街へ帰っていき、内戦が始まった
  12. 埠頭からいくつも行き交っていた大型フェリーはすべて廃止になり、ターミナルは放置されて長い時間が経ったが、一人の裕福な投資家がリゾートホテルを建て、たくさんの人たちが宇宙へ行く新型航空機を眺めた
  13. 銭湯を営む家の男たちは皆「正」という漢字が名前につけられていてそれを誰がいつ決めたのか誰も知らなかった
  14. 〈娘の話 2〉
  15. 二人は毎月名画座に通い、映画館に行く前には必ず近くのラーメン屋でラーメンと餃子とチャーハンを食べ、あるとき映画の中に一人とそっくりな人物が映っているのを観た
  16. 二階の窓から土手が眺められた川は台風の影響で増水して決壊しそうになったが、その家ができたころにはあたりには田畑しかなく、もっと昔には人間も来なかった
  17. 「セカンドハンド」というストレートな名前の中古品店で、アビーは日本語の漫画と小説を見つけ、日本語が読める同級生に見せたら小説の最後のページにあるメモ書きはラブレターだと言われた
  18. アパート一階の住人は暮らし始めて二年経って毎日同じ時間に路地を通る猫に気がつき、行く先を追ってみると、猫が入っていった空き家は、住人が引っ越して来た頃にはまだ空き家ではなかった
  19. 〈ファミリーツリー 2〉
  20. 水島は交通事故に遭い、しばらく入院していたが後遺症もなく、事故の記憶も薄れかけてきた七年後に出張先の東京で、事故を起こした車を運転していた横田を見かけた
  21. 商店街のメニュー図解を並べた古びた喫茶店は、店主が学生時代に通ったジャズ喫茶を理想として開店し、三十年近く営業して閉店した
  22. 兄弟は仲がいいと言われて育ち、兄は勉強をするために街を出て、弟はギターを弾き始めて有名になり、兄は居酒屋のテレビで弟を見た
  23. 屋上にある部屋を探して住んだ山本は、また別の屋上やバルコニーの広い部屋に移り住み、また別の部屋に移り、女がいたこともあったし、隣人と話したこともあった
  24. 〈娘の話 3〉
  25. 国際空港には出発を待つ女学生たちがいて、子供を連れた夫婦がいて、父親に見送られる娘がいて、国際空港になる前にもそこから飛行機で飛び立った男がいた
  26. バスに乗って砂漠に行った姉は携帯が通じたので砂漠の写真を妹に送り、妹は以前訪れた砂漠のことを考えた
  27. 雪が積もらない町にある日大雪が降り続き、家を抜け出した子供は公園で黒い犬を見かけ、その直後に同級生から名前を呼ばれた
  28. 地下街にはたいてい噴水が数多くあり、その地下の噴水広場は待ち合わせ場所で、何十年前も、数年後も、誰かが誰かを待っていた
  29. 〈ファミリーツリー 3〉
  30. 近藤はテレビばかり見ていて、テレビで宇宙飛行士を見て宇宙飛行士になることにして、月へ行った
  31. 初めて列車が走ったとき、祖母の祖父は羊を飼っていて、彼の妻は毛糸を紡いでいて、ある日からようやく話をするようになった
  32. 雑居ビルの一階には小さな店がいくつも入っていて、いちばん奥でカフェを始めた女は占い師に輝かしい未来を予言された
  33. 解体する建物の奥に何十年も手つかずのままの部屋があり、そこに残されていた誰かの原稿を売りに行ったが金にはならなかった。

目次はこんな感じで,短編集というか,面白い形式。元々は「はじめに聞いた話」というタイトルで『ちくま』に連載されていたものだという。
先ほども,私は基本的に日本の現代小説は読まないといったが,私が苦手なのは,そのままドラマ化,映画化できそうな脚本的小説である。第三者的視点で状況が説明され,その場にいる登場人物の会話でほとんどが構成されるような小説。おそらく,日本の現代小説がそういうものばかりではないのだが,なにせ読んでいないのだからよく分からない。まあ,いってしまえば読まず嫌いなんですね。
本書は短編集であり,1つの話が10ページ以内であり,短編につけられたタイトルがやたらと長い。構成からして典型的な日本の現代小説とは異なっている。これが,本書を読もうと思った最大の理由。もちろん,この33編の短編のなかには脚本的なものはある。しかし,いわゆるセリフが一つも出てこないものもある。面白いのは冒頭の話のように,登場人物を名前で呼ばないお話が多いということだ。とはいえ,冒頭の話の「一年一組一番」には青木洋子という名前が与えられているが,もっぱら作品中では「一組一番」なのだ。場所や時代についても特定を拒む設定が多い。最近,地理人を名乗る今和泉隆行なる人物の『「地図感覚」から都市を読み解く』なる本が話題だ。なんとなく,私は読めていないのだが,この本では空想上の都市を想定し,その地図を作成しているとのこと。もちろん,サザエさんやドラえもんのように,読者が再現できるような細かい舞台設定がなされているフィクションは多い。しかし,それなりの機能を備えた都市を,その機能を果たす施設同士の配置をつじつまが合うように行うという作業はなかなか難しい。『百年と一日』に登場する舞台もそんな感じ。しかも,もちろん日本語で書かれ,登場人物は日本語で話すのだが,舞台が日本とは限らない。そして,時代設定も同様なのだ。この作品には戦争が何度か登場する。日本の小説で戦争といえば太平洋戦争のことだが,この作品では違う。今日世界で起こっている内紛のようなものもイメージさせるし,また「この国では」「あの国では」という表現があり,登場人物が国境を超える設定もよく出てくる。ある意味グローバルな作品。とはいえ,実在する国名を想起するようなそれではなく,かといって実在性を捨象した抽象的なお話というわけではない。一つ一つの出来事はまさにその辺で起こっている,かといって実際に目で見たかというとそうではなく,ごく親しい人が目撃したものを伝聞している,そんな感覚なのだ。私たちの世代は経験していないような日本の昭和の懐かしい風景を思い浮かべるような設定も多いが,一方で民間人の宇宙旅行の話があったり,SFチックな設定もある。
ちょっと大げさないいかたをすれば,私は本書を読みながら,ボルヘスを想起した。ボルヘスの短編はそのずばぬけた想像力で世界史スケールの馴染みのなさの中で,抽象的な人間性へと考察が及ぶ作品なので,まあ本作と似ているというわけではないが,性質が違いながら似ているのか,似ていないけど性質が一緒なのか,まあそんな類似性を感じました。一方で,本作の目次を見ると,4編ずつ挟んで,〈娘の話〉と〈ファミリー・ツリー〉が1から3まで続いている。こういう構成はカルヴィーノ『マルコ・ポーロの見えない都市』を思い出す。柴崎さんが評論的な文章を書いているかどうかは知らないが,恐らく世界文学については相当知識があり,本作はそうした影響下にあるのではと思う。本作に散りばめられた短編はそのまま長編へと展開できるようなものも少なくなく,本作はこれから私たちが読むべく作品の素描,作家のネタ本的なものなのかもしれない。私は小説を書いたことはないが,小説と研究論文(ないしは研究書)とは似たところがあり,発想は瞬間的に思い浮かぶが,その骨格を肉付けしていく作業に時間がかかる。色々調べて事柄同士の結びつきに齟齬がないようにする必要がある。そういう意味でも,この作品はそうした発想が詰まっている。とはいえ,短編だからといってその調査=肉付けが簡単に済むというわけでもない。そういう意味でも,この作者の力量に感服する一冊である。
ところで,吉祥寺にある古書店「百年」がある。数年前に系列店「一日」を出店していたのを思い出した。まあ,この二つの言葉の組み合わせは決して突飛なものではないが,作者はこの古書店を知ったら驚くだろうか。

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五輪と万博

畑中章宏(2020):『五輪と万博――開発の夢,翻弄の歴史』春秋社,242p.1,900円.

 

7月30日に発行されていた本書を私は知らなかった。たまたまtwitter情報で,柴崎友香さんが,新刊の『百年と一日』の出版記念で本書の著者とトークイベントをするということで,その組み合わせに興味を持って,オンラインだしと思ってイベントを視聴してみようと思った次第。それならば,やはり本は読んでおかなくては。今更感のあるタイトルですが,著者は民俗学者とのこと。現代美術研究者の暮沢剛巳さんが『オリンピックと万博』を出版したことにも驚いたが,それでもデザインの側面からということであれば十分納得できた。では,民俗学者がどんな観点から五輪と万博を論じるのか,それは興味があった。

はじめに 「幻想」の情景
Ⅰ 1940東京五輪・東京万博
 1 駒沢という郊外
 2 代々木の昔と競技場
 3 紀元2600年の五輪と万博
 4 開催返上へ
Ⅱ 1964東京五輪
 1 戦後日本と東京の再生
 2 選手村とその他の問題
 3 開催準備
 4 外苑・代々木・駒沢の競技施設
 5 東京の変貌
 6 祭典の内外
Ⅲ 1970大阪万博
 1 大阪万博への道
 2 千里丘陵の開発
 3 未来都市は出現したか
 4 万博の「反響」
Ⅳ 1996世界都市博
 1 マイタウン東京
 2 新都庁舎と「ハコモノ」
 3 臨海副都心開発
 4 世界都市博覧会
 5 開催中止へ
Ⅴ 2020東京五輪
あとがき

大阪万博の年に生まれた私より,著者は年上だった。1964年東京五輪の時が2歳,1970年大阪万博は小学校二年生で大阪に住んでいたという。まあ,それは記憶があるかないかの違いだが,「この本では,土地の記憶といったものをできるだけ叙述してみたい」(p.v)とある。五輪や万博といったメガ・イベントはそれなりの規模で開発が進むということだが,開発によって様変わりしてしまった土地の以前の姿を紐解きながらこの巨大イベントについて論じるということらしい。であれば,民俗学者として独自のオリンピック論になるのでは,と期待をしながら読み進める。
こうして目次を打ち込んでみると,このページ数の本にしては盛りだくさんだ。冒頭は駒沢の話から始まる。他のオリンピック本でも駒沢にあったゴルフ場を競技会場にという話はあったが,1889年の町村制施行によって6つの村が合併して駒沢村になるという歴史から紐解かれ,期待が高まります。代々木についても豊臣秀吉の時代まで遡り,古い写真を散りばめながらの展開に,想像力がかきたてられます。
ただ,1964年東京五輪の説明辺りになってくると,すでに知った話が次々と出てくるという印象に変わっていきます。Ⅱに入ると,今度は大阪万博の会場になった千里丘陵の歴史の話になり,この辺りは私も知らないことが多く,また楽しめます。
さて,著者が本書を執筆するきっかけがもう一つありました。Ⅳ章のテーマである世界都市博覧会といえば,当時東京都知事を務めていた鈴木俊一だが,本書は彼を中心に組み立てられているともいえる。著者は日本の養蚕民俗に関する研究をしていたという。私も大学時代に玉川上水辺りを巡検し,東京西方のこの辺りで養蚕が盛んだったと学んだ。鈴木俊一の実家は昭島の蚕業講習所だったという。鈴木は1964年東京五輪の際に副知事をしており,その後大阪万博の際に大阪に移り住み,事務総長を務めていたという。そして,その後東京都知事となり,世界都市博覧会を推進するのだ。ということで,Ⅳ章の前半ではこの鈴木の半生を描きつつ,1980年代の東京臨海開発から世界都市博覧会へと説明が展開する。丸の内から新宿への都庁の移転の話も詳しく説明され,新旧都庁を設計した丹下健三,彼も東京オリンピックと大阪万博に関わったのは暮沢さんの著書でも論じられていた。まあ,ともかく西新宿の歴史についても説明されます。お台場についても歴史を紐解き,最終章へと向かいます。しかし,こちらはまだ開催前ということもありますし,あまり重厚な記述は望めません。土地の歴史,記憶という観点から2020東京五輪,2025大阪万博を考えるのは読者の役割でしょうか。

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2020年の地理学関連文献04

和田 崇(2020)「地域活性化手段としてのスポーツ――日本におけるスポーツの地理学的研究のレビューから」地理科学,第75巻第1号,19-32頁.
イギリスにはジョン・ベイルという地理学者が「スポーツ地理学」を提唱してずいぶん経つ。このブログでも以前,彼の翻訳書『サッカースタジアムと都市』を紹介したが,近年はオリンピック研究も手掛けているので,無視できない存在。しかし,日本では『経済地理学年報』の特集号で掲載された福田珠己さんのランニングに関する論文でベイルに言及したくらいで,日本ではスポーツ地理学はほとんどない。しかし,今回和田さんは先日紹介したアジア大会の論文も含め,スポーツツーリズムの分野に手を付けたということで,この論文は日本の地理学でスポーツ関連の文献を整理している。確かに,スキーやマリンスポーツ,ゴルフなど自然資源を開発して整備するスポーツは地域開発や地域活性化という主題で,日本でも地理学の研究は行われてきた。そんな,日本的なスポーツ地理学研究を踏まえた上で,この先の展開が期待されます。

 

川添 航(2020)「在留外国人の社会関係形成・維持における宗教施設の役割――茨城県南部におけるフィリピン人を事例に」地理学評論,第93巻第3号,221-238頁.
著者は筑波大学の大学院生。比較的近い場所をフィールドに丁寧な調査を行っています。日本に住む外国人の実態は知ろうと思えば社会学を中心に多くの研究や,研究以外でも多くの資料があると思う。地理学でもエスニシティというテーマの研究は日本でも比較的盛んで,この論文もそこに位置づけることができよう。とりあえず,宗教施設が鍵になる研究ということで読んでみたが,カトリック教会に通うきっかけとか,よく聞き取りできています。単に施設が重要ということだけでなく,やはり信仰心が外国で暮らすものにとって精神的なよりどころになっていることがよく分かります。

 

佐藤廉也(2020)「森の知識は生涯を通じていかに獲得されるのか――エチオピア南西部の焼畑民における植物知識の性・年齢差」地理学評論,第93巻第5号,351-371頁.
著者は私と同年代で,地理学というより人類学を専門とし,長らくアフリカをフィールドにしている。しかしなぜか,コンスタントに地理学雑誌にも論文を掲載し続けていて,この論文でも古いものも含めてしっかり地理学者の上の世代の文献が引用されている。この論文では,1992年から調査に入ったエチオピアのマジャンギルという民族集団のK村で,2002-2009年にかけては450人の年齢推定を行い,その結果を利用して2016年に行った植物名および樹木同定のテストをこない,その結果を年齢と性別とで分析したものである。この社会は焼畑を基本としながらも現金収入減としては蜂蜜の採取をしており,狩猟・採取の側面を持つ。徐々に近代化の影響もあり,学校や定期市が開設され,定住化が進む。そういう変化の中でも,生業に関わる植物に関する知識はその性的分業や加齢に伴う労働形態の変化に対応しながらも獲得・蓄積されていくという。

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都市が壊れるとき

ジャック・ドンズロ著,宇城輝人訳(2012):『都市が壊れるとき――郊外の危機に対応できるのはどのような政治か』人文書院,233p.2,600円.

 

オリンピック研究を地理学的観点から行うために,都市研究の文脈で位置付けたいと思っていた。一通り,日本語訳のある都市研究を読んできたが,なんとなくこれまでの系譜とは違ったものとして,本書が目に留まった。フランスの社会学者で「都市問題」を掲げているので,カステルの系譜だといえないことはないが,1970年前後のルフェーヴルの都市論との接続の方が自然かもしれない。とはいえ,本書副題にあるように,その問題は現代の郊外にある。私には1995年のフランス映画『憎しみ』の記憶が強く残っている。出演したヴァンサン・カッセルはその後売れっ子俳優になり,いまだにコンスタントに映画に出演している。英国の『トレインスポッティング』は1996年とのことだが,怒れる若者ども的なテーマとしては共通しているが,コメディタッチの『トレインスポッティング』に対し,『憎しみ』はドキュメンタリーとも思えるほど生々しかった記憶がある。『トレインスポッティング』主演のユアン・マクレガーもいまだに活躍している俳優という点では共通している。そして,『トレインスポッティング』が白人中心だったのに対し,『憎しみ』の主要登場人物の名前がサイードだったことは,ちょうどその頃『オリエンタリズム』を読んでいたので,アラブ系だと想像しながら観ていた記憶もある。
随分わき道にそれているが,本書は郊外の大規模住宅団地がもたらした問題を中心においている。『憎しみ』の舞台もまさに団地である。私も首都圏に建てられた住宅都市整備公団による団地で育ったが,日本の状況とはずいぶん違う。とはいえ,日本でも空き家が多くなった団地に外国人が住みついているという話はよく聞くが,やはりフランスとは随分状況が違う。残念ながら,本書の本文に団地の写真は掲載されていないが,表紙の一枚の写真だけは団地を写したものである。日本は5階建てのものが主流だが,写真に写っているのは15階建て程度の巨大な集合住宅であり,建築的には先日観た韓国映画『はちどり』の状況と近いのかもしれない。
団地が造られた経緯は日本もフランスも似たようなものかもしれない。本書によれば,公害の大規模住宅団地は1945年から1975年にかけての高度経済成長の「栄光の30年間」に建てられたものだという。日本の団地もそうだったが,近代的な生活様式の基礎となる大量の住宅が提供され,フランスでもそれを「都市の近代化」と呼んでいたらしいが,197年代半ばにはその「肯定的な見かたが驚くほど脆く崩れていた」(p.20)という。本来は団地には中流階級が住んでいたが,社会住宅団地のイメージが否定的なものになり,中流階級はさらに外側へと住居を移した。この郊外のさらに外側をperi-urbainと呼び,「外校外」と訳している。その大規模な社会住宅団地には移民が住みつき,貧者が残され「捨て置きrelegation」される。中流階級は「外郊外化」するだけでなく,ジェントリフィケーションに伴って都心回帰もする。この辺りのプロセスを明らかにするのが本書の目的ではなく,あくまでも序章と第一章で述べられているだけで,実態としてはひどく単純化しているようにも感じるが,フランス社会の状況に疎い私のような読者にとっては分かりやすい。本書の目的は,このような「郊外の危機」,そして「壊れゆく都市」に政治がどのように対応していくのか,ということである。

序章
第一章 都市問題――都市を分離する論理の出現
第二章 都市に対処する政策――社会的混合の名における遠隔作用による住居対策
第三章 都市を擁護する政策――移動性を促し,居住者の実現能力を高め,都市を終結するために
結論――都市の精神

訳者は本書が決して難解ではないとして,むしろ本書をドンズロの研究のなかで位置付けることを,決して短くはない訳者解説で論じている。しかし,法律や政策というものに疎い私はあまりきちんと理解できなかった。目次は上記のとおりであり,単純化すると,第二章で現在行われている政策を批判し,第三章でありうべき政策を提示する,という展開となる。フランスでは学者が政治家になり,理論が政策に活かされるということがあるため,政策にもそれを支える哲学がある。とはいえ,学者にも体制派と反体制派といるから,必ずしもその哲学が万人にとって理想的な社会を生み出すわけではない。戦後は上述したように,大規模住宅団地計画が推し進められたが,それを著者は「反都市」と呼ぶ。まあ,英語でもcounter-urbanizationと呼んでいたから同じか。
1983年から始められた都市政策は,社会的混合という哲学だったという。団地の一部を取り壊し,戸建て住宅を建てて,中流階級を呼び戻す。1997年にはこうした流れが都市再建や都市再生という,日本にも流入してきた考え方に分岐していく。当初は住民を中心にした政策が住居の改良へと進むという。社会的混合といいながら,それぞれの街区が分割され,差別も生んでゆく。1991年の都市基本法により,フランスでは居住者20慢人以上の都市圏にある居住者3500人以上の都市的市町村は,少なくとも20%以上の社会住宅を供給することが義務付けられた。これは日本に比べればいい政策のようにも思う。私も都営住宅や市営住宅,あるいは都市再生機構の団地への居住を考えたこともあるが,立地が非常に限られていて,本格的に検討するにはいたらなかった。とはいえ,フランスの上記市町村の規模などもよく分からないし,この20%という割合も実際にはどの程度なのか,実感がわかないが。そして,著者によれば,20%に満たないばあい,罰金を支払うらしいが,あえて罰金を選ぶ市町村があるとか,この罰金の支払いもいい加減とか,そんなことが批判点として挙げられていた。第二章の後半ではルフェーヴルの「都市への権利」やフーコーの統治権の議論を用いて,この政策について検討する。

第三章のタイトル「都市を擁護する政策」ってところがそもそも理解が難しい。ただ,副題「移動性を促し,居住者の実現能力を高め」ってところは何となくわかる。しかし,副題最後の「都市を結集するために」ってところがまた分からない。ともかく,著者は第二章で批判した「社会的混合」のあり方,同じ地区に社会住宅を作り,また中流階級を住まわせるべく戸建て住宅を用意し,後は大規模住宅団地に残された移民や貧者なのだろうか,そういう地区割で行政としては様々な属性の人たちが混合しているように見え,その実は差別がはびこっているようなものに対し,「移動性」を強調する。移動性の一つの具体例は公共交通の利便性である。もう一つは引っ越し。
なんとなく,うまくまとめる自信がなくなってきたので,それらしい箇所の引用でお茶を濁そう。「それにしても,いったいなぜわたしたちは住民参加について,ほとんど実質のない実践を土台にして,かくも理論的な敬意の念を示すのだろうか」(p.160)。「都市は,家族的ないし共同体的な被膜の外に出た人間身体にとって,もう一つの身体=団体として保護をもたらすものである。都市とは,ひとたび個人が最初の帰属から解き放たれたとき,別の帰属へと自由で流動的なしかたで結びつけ直す手段であり,そのようにして空虚や不確かさという恐怖を抑制する手段であり,その恐怖を行き来したり離れたり戻ったりしたいという欲望へと変換する手段なのだ」(p.197)。「都市はただ壊れているだけだ。だから別のかたちに作り直すことができる。都市の分解から生じた諸形態をもとにして,それら断片としての形態を結びつけ直すことによって」(p.203)。

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ここ一週間で観た映画3本

2020年912日(土)

立川シネマシティ 『宇宙でいちばんあかるい屋根』
清原果耶主演映画,といっても私はこの女優を知らない。とはいえ,京王電鉄のCMに起用されていて,ホームには大きなポスターが貼ってあるので顔は知っていた。といっても,動画では見たことがなく,ポスターの静止画だけだ。ネットでは彼女の演技などが高評価で書かれていることが多く,特に本作では共演の桃井かおりが太鼓判を押したとか。最近の若い俳優にはすっかり疎くなっている私だが,この映画は書店でも原作の映画化ということで見かけたので,観ることにした。
桃井かおりをはじめとして,贅沢な配役の本作。両親を吉岡秀隆と坂井真紀,生みの親を水野美紀,書道教師を山中 崇が演じる。そんな配役でいい加減な演技はできませんね。私から見た清原果耶の演技は顔の表情がとても丁寧に作られている。自然体というよりは映画的に記号化された表情を無理なく形にしているというべきか。ともかく,一般人にはできない表情だ。優等生タイプの俳優という印象。ストーリーはやはり日本の小説的だと思うが,映画化される素材としては私が好きなタイプ。特に本作に関しては,屋根にこだわった原作のモチーフをドローンなどを駆使した映像で見事に描いている。日々屋根の下で日常生活をおくる人々の姿を,かれらが立つことのできない鳥の視点,神の視点で描くのだ。ただ,一つ気になったのは,主人公が実の母親の名前を知っていて,彼女が書道家だと知って書道を始めたのか。映画では語られないが,原作小説ではその辺りが丁寧に書かれているのか,気になる。というか,それ次第で彼女の行動をどう理解すべきかは大きく変わってくる。監督は2014年に『オー!ファーザー!』でデビューしたという藤井道人というが,伊坂幸太郎原作のこの映画を残念ながら私は観ていない。いずれにせよ,監督や俳優,今後も活躍するだろうからひそかに楽しみにしたい。
https://uchu-ichi.jp/

 

2020年915日(火)

立川シネマシティ 『はちどり』
珍しく1週間に2本映画を観る。しかも,同じ映画館で。この映画は韓国映画だが,予告編ではできの良い長男を溺愛する家庭でぞんざいに扱われる中学生の妹が,ある女性教師(本編を観ると塾の講師だと分かる)に出会い,救われるというか,危ない関係に発展して...的な展開だが,実際に観るともっと淡々と女子中学生の日常を描く作品。自国の映画やドラマを観るのと,他国のそれを観るのとはやっぱり見方が違うのは確かだが,どうしても日本のものが不自然に見えてしまうのはなぜか。ともかく,演技をしているという感じがせず,かといってドキュメンタリーのような感じはせず,やはりフィクションなのだが,自然に見入ってしまう素晴らしい作品。こういう韓国映画,好きなんですよね。しかも,監督は本作が長編初作品だという,女性の監督キム・ボラという。次回作も楽しみにしたい。
https://animoproduce.co.jp/hachidori/

 

2020年919日(土)

調布シアタス 『映画クレヨンしんちゃん 激突!ラクガキングダムとほぼ4人の勇者』
子どもが2人とも観たいといっていたので,3人で観に行きました。最近は息子の野球のスケジュールが土日休日を埋めてしまうので,3人で出かける機会もなかなかない。この日は野球が午前中のみだったので,それに合わせられる時間で上映している調布まで。
クレヨンしんちゃんの映画は一度,多摩映画祭で見てはいるが,ロードショー中に映画館で観るのは初めて。もちろん,親子連れが多いのですが,親も楽しみにしている雰囲気で溢れています。細かいこと抜きで,本当に楽しかった。クレヨンしんちゃんの映画にどんな人が関わっているのかは知らないが,本作は京極尚彦という人が共同脚本と監督を務めている。多摩映画祭で観たのは「新婚旅行ハリケーン ~失われたひろし~」だったが,それより格段に脚本が面白かった。やはり脚本家や監督によって違うのだろうか。Wikipediaによると,アニメ映画で監督は2作目(1作目は『ラブライブ!』2015年)で脚本とともに務めるのははじめてらしい。今年10歳になる息子がクレヨンしんちゃん映画を今後観たいというかどうかは分からないが,今後も楽しみにしたい。
https://shinchan-movie.com/

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ホストタウン関連文献01

今年はじめに、東京オリンピック・パラリンピック競技大会に関する調査・研究として、ホストタウンに関する調査を始めた。
ホストタウンとは、まさに和製英語で、世界のオリンピックにそういう用語はない。オリンピックは世界各地で持ち回りで開催されるため(オリンピックに限らず多くのスポーツ競技の国際大会がそうであるが)、アスリートたちは競技当日のコンディションを最善に持っていくために、開催国で事前のキャンプを実施する。まだ詳しく調査はしていないので、その経緯ははっきりとは分からないが、1998年長野冬季オリンピック・パラリンピック競技大会で採用された「一校一国運動」のひそみに倣って行われるものではないかと想像している。とはいえ、オリンピックに限らず、各競技の国際大会などの際にすでに同様の事業が行われていて、ホストタウンという言葉は以前からあったのかもしれない。
まあ、それはともかく、私は「日本のオリンピック研究」と大それたタイトルで論文を発表したのだが、その時点ではホストタウンに関する学術研究はほとんど見つからなかった。しかし、本来の2020年東京オリンピックの開催日を過ぎ、なんとなくまた文献検索をしてみたら、けっこうな数の論文が発掘された。しかも、2018年とかそんな日付のものも少なくない。なぜ以前は見つからなかったのか、不思議だが、とにかくそれらを一通り読まなくてはならない。ということで、読んだものから紹介していきたいと思う。

 

金岡保之(2019)「トーゴ共和国のホストタウンに宮崎県日向市」産学官連携ジャーナル、第15巻第6号、18-19頁.
これは論文のようなものではなく、2ページの「レポート」という種別に寄せられた報告である。著者の専門はよく分からないが、宮崎大学地域資源創成学部の教員であり、日本トーゴ友好協会を設立したということもあり、宮崎県日向市にある東郷町と語感が似ているということで、ホストタウン事業に登録したという経緯が説明されている。ホストタウンには女性アスリートモデル事業なるものがあるようで、それにも乗っかっている。ホストタウンの登録、締結には、現地の人を招聘して締結を行ったり、事前キャンプの場合にはトレーニング施設の視察を行ったりすることがあるが、トーゴからも5人を招待し、さまざまな交流事業を行ったらしい。しかし、詳しい日付が書いていないのが残念。

 

青山雅己・山口志郎・山口泰雄(2019)「PMBOKProject Management Body of Knowledge)を用いた代表チーム事前合宿におけるステークホルダー・マネジメントプロセス:兵庫県・淡路島のケーススタディ」スポーツ産業学研究、第29巻第1号、25-37頁.
この論文の事例はホストタウンではないが、全般でホストタウンの説明を端的に整理してくれていて助かる。ホストタウンの起源は、この論文では2012年ロンドン・オリンピックにおける事前合宿の成功によるものとしている。当然、2020年東京オリンピック大会のホストタウンを事後的に評価することはできないから、この論文では2017FIFA U-20ワールドカップ韓国大会に向けたイングランド代表の合宿を事例にしている。ステークホルダー・マネジメント研究の文脈で、さまざまな理論を援用し、要は事前合宿が成立するまでのプロセスをたどっている。基本的にはその中心人物へのインタビューから当時のことが復元されているという内容だが、なかなかこういうことは表立って語られることは少ないため、勉強になる。

 

久保雄一郎・松井陽子(2020)「2018平昌大会事前キャンプ地選考における意思決定プロセスと選定要素に関する研究:北海道美深町におけるエアリアル種目を対象に」スポーツ産業学研究、第30巻第1号、55-67頁.
この論文も冒頭でホストタウンについて簡単に整理している。この論文は実際の調査対象をオリンピックの事前キャンプとしている。また、ホストタウンを事前キャンプという文脈に位置づけていて、またスポーツツーリズム研究とも関連付けている。ホストタウンは日本の一市町村が、一国・一地域と結びつくものだが、この論文での事例は特定の競技に特化していて、受け入れ側は日本の一自治体だが、キャンプをした選手は複数国にわたる。その辺りの事情はホストタウンとは異なる。国際大会での事前キャンプにおいて重要なことをこの論文は教えてくれる。それは時差と移動による疲労の解消である。この論文で対象としているのはエアリアルという特殊な競技であり、おそらく競技人口もそれほど多くない。この事例でも日本を含む4ヶ国で33名という規模のキャンプであった。そして、このキャンプ地となった美深町はこの競技の強化・振興事業を行っているということで、かなり特殊な事例ではある。そして、成功事例であり、調査・研究者がアスリートたちと同じ時間を共有するという努力もあったが、見事な説明となっている。

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2020年の地理学関連文献03

今年出た『空間・社会・地理思想』にも興味深い論文が多く掲載されています。

 

橘 セツ(2020)「英国東部サフォーク州オーフォード・ネスにみる20世紀軍事景観の遺産化と自然化をめぐる文化地理学――ナショナル・トラストによる景観管理に着目して」空間・社会・地理思想,第23号,53-67頁.
著者は英国に留学経験があり,指導教官や同僚だった研究者と共著で英語雑誌の論文も持っています。しかし,日本語の地理学会誌にはあまり論文がありません。所属する大学の紀要には毎年のように書いていて,この雑誌に掲載するのは珍しいです。英国景観の歴史地理学的な研究が専門です。この論文も継続的な研究に位置づけられますが,読んでみると,やはり学会誌には掲載できないような内容です。この長いタイトルで分かるように,かつては軍事施設が集中していた土地をナショナル・トラストが購入し,観光資源化しています。まずは,その案内書に掲載された見学道のルートに従って,著者が撮影した写真を掲載しながら主要なポイントを解説します。続いて,その敷地内にありながらも海岸浸食によって倒れてしまう危険にある灯台の話に移ります。ナショナル・トラストはこの灯台の購入は見送り,その行く末について説明されます。続いて,ガイドブックの表紙のイラストを分析し,このオーフォード・ネスの位置付けと,灯台の意味を分析しています。後半では,この場所をめぐる研究をいくつか紹介しています。やはり,研究素材の提供の域を出ず,研究論文の水準に達しているとはいえません。

 

ベルク, A.著,荒又美陽訳(2020)「北海道のイメージ(『稲と流氷――北海道の植民地化と文化変容』所収,第7章)」空間・社会・地理思想,第23号,103-121頁.
オギュスタン・ベルクは日本の研究をしているフランスの地理学者ですが,その著書の翻訳のほとんどは地理学者以外が行い,日本では地理学以外でも広く知られています。この論文タイトルにも説明がありますが,日本に留学していた時に書いた博士論文で,1980年に出版された書籍の一章です。訳者はフランスへの留学経験があり,その際にベルク氏にも指導を受けたということと,北海道出身ということもあります。著書ということはありますが,注釈が少なく記述の根拠にあたることは難しいですが,1980年に出版された北海道研究とは思えない斬新さがあります。また,風土論で知られるベルク氏ですが,こんなに批判的な内容を含む彼の文章を読むのも新鮮です。北海道をかつての日本にとっての異国であり,植民地支配と末に国内に組み込んだという理解は今日では珍しくなく,外国人による研究としてもテッサ・モーリス=スズキ氏の著作がありますが,時間軸としてはそれよりだいぶ早い時期です。また,私はこの本全体を読んでいませんが,タイトルからして北海道で稲作が行われていた,ということを強調したいということが分かります。この章のタイトルは「イメージ」とありますが,私の読んだ感じでは,北海道という土地には様々な人が関わっていて,その属性によってこの土地に込めた想いや他の人にどう伝えるかという,政治的な意味合いも込めたところを明らかにしようとしているといえる。特に私にとって興味深かったのは中ほどで議論されている地名の問題である。アイヌ語と地名というのは地名研究でも大きな課題ですが,場所名詞学(toponomastique)という造語(訳語も造語です)を用いて非常に興味深い議論をしていて,和人たちの暴力が地名に込められていることを知らせてくれます。それ以外にも議論は多岐にわたっていて,一読で簡単に整理はできませんが,再読したい文章。

 

ノヴァック, D.著,松井恵麻訳(2020)「ジェントリフィケーションにおけるアート活動――創造性,文化政策,そして釜ヶ崎の公共空間について」空間・社会・地理思想,第23号,181-198頁.
City & Society』誌に2019年に発表された英語論文の翻訳。この雑誌は知らなかったが,この種の論文が『空間・社会・地理思想』に翻訳されるのは当然と思い読み始めるが,次に掲載されている文章と併せて読まないと意味がない。冒頭で著者は「その当時,私はフェスティバルゲートと呼ばれる大きな商業施設の中にあった音楽のパフォーマンススペースで働いていた」(pp.181-182)とある。この論文には日本語文献も引用され,インタビューも行っている。当然,ある程度日本に住み,日本語能力のある研究者だと思って読み進む。しかし,この訳文には細かい箇所を訂正する訳注が40もつけられていることが気にかかる。訳者は大阪市立大学の院生ということで,釜ヶ崎に関する知識があるから当然かとも思ったが,そうではないようだ。詳しくは次に紹介する上田氏の論文の紹介で論じたい。
日本の地理学には釜ヶ崎研究の継続的な蓄積がある。山谷のことはあまり知らないに,釜ヶ崎のことはある程度知っている。かつて,日雇い労働者街だった,正式な地名とはなっていない「釜ヶ崎」は現在は労働者の高齢化に伴って変容しつつあり,その変容の担い手に「アート」的なものが関係している。この状況を,著者は欧米のジェントリフィケーションにおいて,まずきっかけになったのがインナーシティの廃墟にアトリエを設けて活動を始める若く貧しいアーティストたちがいる。この状況と日本の状況については私も気になっていた。日本でも若きコンテンポラリー・アーティストたちはいるが,貧しき頃かれらはどこで活動していたのかと。もちろん,東京でのジェントリフィケーションの一事例でもある渋谷の宮下公園では,状況は違うがアーティストたちの活動がある。それはかつて段ボールハウスが列をなしていた新宿の地下街でもだ。かれらが立ち退きいあっているのを真っ先に支援したのがアーティストたちだ。段ボールハウスを芸術作品に仕立てたり,また現在反オリンピック運動をしている「反五輪の会」のいちむらみさこさんもホームレス・アーティストだ。しかし,そこにはアーティストがジェントリフィケーションに加担しているというよりは,抵抗しているという図式が見える。この論文で取り上げているのは「ココルーム」という施設であり,表向きはカフェだが,詩や音楽,パフォーマンスといったアート活動の拠点になっているという。設立当初は行政から支援を受け,財政的に厳しくなると宿泊施設の経営に乗り出したり,とその活動に著者は企業家精神を読み取る。一時期,その代表である上田さんは注目され,国内外のイベントに招待されたり,2014年には文部科学大臣新人賞を受賞したりしたという。こうした活動を,都市の創造性や新自由主義的な企業家精神の文脈で論じている。といっても,上田さんのことをジェントリフィケーションの担い手とみなしているわけではなく,彼女の活動はそれへの抵抗ともみなそうとしている。

 

上田假奈代(2020)「現場のわりきれなさと,(あまり)現場にいない言葉たくみな人――大阪・釜ヶ崎で喫茶店のふりをするアートNPOココルームを研究者はどのように語るか」空間・社会・地理思想,第23号,199-205頁.
その当事者である上田さんにも執筆の機会を与えています。こういう人の文章を読むと,こういう現場に調査に入っていない私のような研究者でも,いろんなところに書き散らしていることを恥ずかしく思います。彼女によれば,ノヴァック氏のことは当然知っているが,彼女は英語ができない,ノヴァック氏は日本語を話さない,でコミュニケーションといえば「ハロー」だそうである。インタビューも録音機を持った翻訳者が訪れ,録音をして立ち去るのだそう。彼女の元へは日本でも卒論学生や院生が話を聞きに来る機会が増えているというが,多くの研究者は最終的に論文なりを公表する段階で内容を上田さんのところに確認しに来るが,ノヴァック氏はそうではなかったという。まあ,この文章はノヴァック氏への個人攻撃ではなく,多かれ少なかれ同様のことはよくあるのだという。一方で,上田氏は日々の活動で精一杯で,自分のことを他人がどのように書いているのかを逐次チェックするわけではない。当然,自分の活動を,研究者が位置づけるような意図を持ってやっているわけではなく,また非常に謙虚に日々を生きている,そんな印象をもつ誠実な文章である。

 

中川 真(2020)「大きな力と対峙するアーツマネジメント」空間・社会・地理思想,第23号,207-213頁.
著者は以前はサウンドスケープ論の紹介者として有名になったが,音楽=アートということで,最近は大阪市立大学に所属してこのような研究をしているようだ。この論文は,ノヴァック氏の立場と上田氏の立場を両方理解できるような,とはいえどちらかというとアカデミックな立場に近い形で書かれている。この2本の論文に続いているので,もう少し具体的な各論を期待していたが,ある程度差しさわりのない総論で,エルゲラ『ソーシャリー・エンゲイジド・アート入門』(フィルムアート社,2015年)に依拠して,アートが重要なんだと訴えている。

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2020年の地理学関連文献02

吉沢 直・綾田泰之・山口桃香・武 越・李詩慧・浅見岳志・封 雪寒・張 羚希(2020)「鹿行南部におけるスポーツ合宿の特性と地域間連携の可能性」地域研究年報、第42号、77-92頁.

本誌は筑波大学人文地理学研究室の巡検報告書である。しかし、しっかりと調査されて、まとめられており、私のホストタウン研究にも役立つ論文である。位置づけ的にはスポーツツーリズムをキーワードに挙げているので、文化地理学に含めるのは難しいかもしれない。ただ、私のホストタウンの調査では、受け入れ自治体がスポーツ施設を持っているか否か、人数の多い団体の合宿を受け入れる宿泊施設があるか否かというのが大きいので、こうした取り組みの実態を知ることができたことは大きい。
この論文で調査されているのは筑波大学からほど近い、茨城県の沿岸部。3エリアを設定していますが、その一つがアントラーズのある鹿島エリアです。ということもあり、スポーツ合宿といってもサッカーがメイン。もともと工業地帯であるこの地域では、以前から工場施設の整備が行われる時期に修理工が宿泊する施設を必要としていたという。それは季節的に限られるため、閑散期の需要を促進する目的でもスポーツ合宿が誘致されたという。1つのエリアは宿泊施設が競技場も併設しており、もう1つのエリアは公共的なスポーツ施設が充実しているという。そこでは、行政が大きな役割を果たし、また東京にあるエージェント企業が合宿団体を手配するという。また、競技施設と宿泊施設を併せ持ったこの地区では、サッカー大会も開催され、また近年では外国のチームの合宿もあるという。論文的には地理学を意識して地域連携の難しさを指摘しているが、スポーツ合宿の実態が把握できたことで十分な成果だと思う。

 

水谷裕佳(2020)「地理的境界と展示活動――ワイキキ水族館における環境と文化の展示を事例として」境界研究、第10号、23-43頁.

冒頭に現在のワイキキ水族館についての概説があるが、前半はハワイの長い歴史が語られている論文である。入植以前の考古学的な歴史から、1778年のジェームズ・クックの上陸、入植が進むハワイ王朝では、1848年に法改正がなされ、土地の私有が認められる。1898年に米国領となり、ハワイ州となるのは1959年。当のワイキキ水族館は米国で2番目の水族館として1904年に開館している。その後ハワイの観光化が進む。米国にとって特異な自然環境が旅行先として宣伝され、また東洋諸国への玄関口ということも強調されるという。そういうこともあり、日本からの移民も多いが、中国系移民がワイキキで養魚池を経営していたという。後半ではオアフ島の環境保護活動と文化復興活動についても考察される。
そうした経緯と文脈で、現代のワイキキ水族館の機能と役割が論じられる。全般的な水族館の歴史が辿られ、ワイキキ水族館では、形骸化したエンタテイメント的な展示ではなく、陸上要素を取り入れ、ハワイの環境や文化を展示する教育的目的を持っている。最後に境界に関する議論がある。まずは、展示における陸と海との境界である。続いて、観光客と住民との境界であり、それはあるていどワイキキ水族館が位置する観光地区と居住地区という空間的な意味合いもある。また、論文では明白に書かれてはいないが、アメリカとアジアという境界もあるのかもしれない。

 

太田原潤(2020)「ヤマアテによるコヨミ認識の一様相――沖縄県久米島町のウティダ石のもつ意義を中心に」非文字資料研究、第20号、105-124頁.

著者は考古学者のようだ。この論文は久米島の見晴らしの良い高台に据えられた石の民俗学的意味を探るものである。物質性の研究にふさわしい素材で、自然-人間関係を論じているという意味では地理学にとっても興味深い研究である。この雑誌を発行している神奈川大学歴史民俗資料学研究科の院生ということだが、2000年から考古学関係の雑誌に既に何本も論文を発表しており、普通の経歴の院生という訳ではなさそうだ。このウティダ石と呼ばれる石は、漁業者が海上での位置を知るために用いられているといい、その方法を「ヤマアテ」という。まずは季節的な「コヨミ」がある。季節によって移り変わる日の出の位置が重要となる。続いて、海から見た風景の目立つ箇所とウティダ石との関係で位置を定める。
この論文の中では、このウティダ石がいつからこの位置にあるのかを考古学的な観点から考察する。続いて、久米島で採用されている暦の考え方を、琉球王国の中国との関係、日本との関係の歴史の中で考察する。また、太陽の動きについても現地観測だけでなく、コンピュータによるシミュレーションも行い、確認している一つの物質としての石について、多角的に考察し、その民俗的な利用を考察する興味深い研究である。そこに、「そこから見える景観に非文字資料としての資料性」(p.122)としているところに、物質と地理という関係を見出すことができる。

 

中井次郎(2020)「都市生活者のウェルビーイングを前提とした生涯スポーツの再考について」大阪大学教育学年報、第25号、23-35頁.

この論文は具体的な調査に基づくものではなく、文献を駆使した総論である。2019年ラグビー・ワールドカップ、2020年東京オリンピック、2021年ワールドマスターズゲームズという日本で続いて開催される。スポーツ・メガ・イベントを契機に、スポーツを活用した都市生活者の健康を維持する方策を考えるという背景を持っている。メガ・イベントに伴う都市開発、ジェントリフィケーションにも配慮しながら、ウェルビーイングに結びつく生涯スポーツについて考察している。文献としては物足りなさを感じながらも、なかなか興味深い論点もいくつか提示されている。まず、私のホストタウン調査でもあったが、生涯スポーツの起源について、「1988年に設置された文部省生涯スポーツ課」(p.24)との記述があった。ここに、子どもの体育と高齢者の生涯スポーツとが結びつくのだ。また、この論文ではスポーツを創造都市とも結びつけている。そして、この想像都市概念の起源としてルイス・マンフォードを挙げているのも新鮮。そして、都市の創造性がとかく経済と結びつきやすいところを、ここでは創造都市ではなく、ウェルネスシティへと方向展開しようというのだ。今日の日本社会で高齢化が進展するなかで、今日のいわゆる身体的なスポーツ(ウォーキングまで含め、意図的に行う運動のこと)ではなく、生活に伴う移動を重視する必要があるという。著者はこの問題があくまでも都市特有なものである、という捉え方はしない。農村での考察も可能だという。

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2020年の地理学関連文献01

分かる人にはわかるかもしれませんが、とある事情で、2020年に発表された特定分野の文献調査をすることになり、書籍だけでなく、雑誌論文についても簡単な解説文を記録として残していきたいと思う。

岡野 浩(2020)「都市生体と文化編集――アクターとしての「メタセコイア」と「てりむくり」」都市と社会、第4号、146-175頁.
この論文は著者が手掛けてきた数多くの研究と、大阪を中心とする調査報告書シリーズを総括する内容で、特別寄稿されたものである。
主要なテーマは「都市の創造性」である。都市の創造性を発掘するために、その都市に属するさまざまな「モノ」をアクターとしてそのネットワークを考察するという意味においても、この論文を支えるのはキーワードにもある、アクター・ネットワーク理論である。とはいえ、特定の理論に基づいて調査結果を用いるような実証研究ではない。大阪の歴史をたどる時にはアフリカにおける人類の誕生から、というスケールの大きな話で、さまざまな理論だけでなく、日本文化論や自然史など、話題がコロコロ変わりながら論が展開します。
一部はフーコーにも基づき、彼の考古学という言葉をうまく利用して、地質学的なメタファーで都市を解明しようとします。また、著者の活動は単なる調査・研究にとどまらず、一つの運動実践を志向しています。「市民知」という言葉も用いていますが、本稿のタイトルでは植物のメタセコイアと建築技術の「てりむくり」ですが、地域に存在する自然物から技術、さまざまな事物を知の対象とし、市民とともにその歴史を紐解き、その活動自体が新しい知を生み出していくというところに、「都市の創造性」を求めているようです。

小栗宏太(2020)「ホラー映画と想像の地理:香港南洋邪術映画を題材に」言語・地域文化研究、第26号、493-509頁。
香港という特定の都市で制作される映画の特定のジャンル(ホラー)に、特定の地域が特定の役割を持って描かれるという事態を、サイードの「想像の地理」概念を使って論じている。冒頭では、人類学者の逸話として、特定の「呪われた場所」に関する言い伝えの事例をいくつか挙げている。1970年代半ばから1990年代の返還前の香港映画で、「南洋」すなわち東南アジアが呪われた場所として描かれることが多かったという。一つには、返還前の香港が、東洋(中国)と西洋(英国)との二面性を併せ持つことから、香港映画は西洋の『エクソシスト』と中国のキョンシーものの影響下で、西洋でも東洋でもない南洋を表象の対象として、「他者」として描いたといえる。香港映画では、呪術の恐怖を「降頭」と呼ばれ、映画のジャンルとしても「降頭片」と総称されるという。そうした映画の決まったストーリーは香港の主人公が東南アジア諸国に渡航し、渡航中や帰国後に体調不良等不思議な現象にあうという。主人公を助ける人物が原因を究明するために渡航先を訪れ、解決する。
このことの原因として、既存の文献からいくつかの理由を明らかにしている。一つ目は戦後香港の映画業界が東南アジアと強いつながりを持ち、ロケが容易であったこと。二つ目は東南アジア色を導入して消費を喚起すること。三つめは本稿社会の東南アジアへの偏見である。

和田 崇(2020)「1994年広島アジア競技大会の無形遺産――一館一国運動の25年」E-Journal GEO、第15巻第2号、175-188頁.
日本の地理学で本格的にスポーツ研究を手掛けようとしている著者の実証研究。スポーツ地理学を人文地理学のどこに位置づけようとするとやはり文化かなと思い、地理学に限らず、オリンピックものも含め読んでおこうと思う。著者の和田さんは本当にさまざまな方面に関心を持って、しかもそれを一定数の論文として、きちんとまとめていく稀有な地理学者。アジア競技大会についてはオリンピック研究のなかでも重要だと思っていたが、今のところ日本語で読める本格的な研究は見つかっていない。そんななか、身近な地理学者からこうした研究が出てきたのは非常に喜ばしい。本稿でもしっかりとオリンピック・レガシーの文献調査もなされていて、勉強になる。そしてなにより、著者のすごいところは、実証研究論文の場合はほとんどオリジナルな調査を行っているということ。本稿では、25年前のことであるにもかかわらず、公民館へのアンケートや聞き取り調査を行っている。私もきちんと認識していませんでしたが、1994年に実施された一館一国運動は、有名な1998年長野オリンピック冬季大会に行われた一校一国運動のモデルとなっているということ。日本では1980年代から国際化、異文化交流などということが叫ばれるようになり、1990年代前半のこの運動はその流れにあるとも理解できる。基本的には行政側の企画なのだが、実際の運動としては草の根レベルの市民が主体となって行っている。私が調査している2020年東京オリンピック大会のホストタウン事業でも、同じように受け入れ自治体が相手国・地域の文化を知るところから始まり、相手国・地域の料理を作るとか、在日外国人を招待して講演を行うとか、同じような実践が行われている。ということで、私のホストタウン研究にも大いに役立つ論文です。

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ドラえもん・サバイバル!・おしりたんてい

2020年86日(木)

立川キノシネマ 『グレース・オブ・ゴッド』
コロナ騒動になる前は,一人の時間を作って映画を観に行くときは,まず吉祥寺のアップリンクをチェックしていたが,さらに私の行動範囲は縮まり,最近は立川が多くなった。しかも,シネマシティよりもキノシネマを利用するようになってきた。いくつか候補作品はあったが,フランスの監督フランソワ・オゾンの最新作を選んだ。
オゾン監督がゲイであることはよく知られている。また,教会の聖職者が幼い男児に手を出すというありがちな主題だが,事実を基にした映画ということで,この主題を今のオゾン監督が同映像化するのか,興味を持った。前半の中心人物を演じるのはメルヴィル・プボー。彼の作品はけっこう観ているが,最近スクリーン上で見ていなかったので40歳台で子どもを持つ父親役を演じる彼の姿は非常に平凡に見えた。本作の面白さは,中心人物が変わっていくところだ。教会で起こりがちな児童への性的虐待,そのものを訴えていくことにはならず,本作においては結局,特定の一人の人物の罪を追及するということだが,プボー演じる男が,遠い過去の記憶を掘り起こす。かつて自分に性的虐待をしていた神父が今も健在であるという事実を知り,行動を起こす。なかなか周囲はその件を認めようとしないが,さまざまな事実を集め,警察に告発する。そこまでで一旦彼の役割は終わる。しかし,その後の警察の捜査で幾人もの被害者がやはり遠い過去の記憶を呼び起こす過程で少しずつ運動が広がり,またプボー演じる男にまでたどり着く。
そういう,時間が経過するなかで,一つ一つの過去が,現在の人間の関係へとつながっていき,古い社会の体制を変えていくというダイナミクスを目の当たりにすることのできる素晴らしい作品。
https://graceofgod-movie.com

 

2020年811日(火)

府中TOHOシネマズ 『のび太の新恐竜』
コロナ騒動で公開日が延期する前に前売り券を購入していた。いつかいつかと待ち続けて,ようやくですね。土日は混み合うことが予想されたので,息子の夏休み期間だったので,私と娘の保育園を休みにして観てきました。映画館も一席ずつ空けているので,家族で行くときは不便。ポップコーンは一人前でも親子三人でちょうどよいのに,一席ずつ離れたら難しいです。ジュースもいつもはケチって子ども2人で1つなのですが,11つにし,ポップコーンは持参したビニール袋に分ける。
さて,今回も川村元気さんの脚本だったので,あまり期待はしていませんが,恐竜者というドラえもん映画の原点に立ち返るテーマなので,一方では期待したりして。ということで,今回はかなり良かったと思います。いわゆる敵だと思われた存在がすぐにそうではないと分かり,人間同士で争うシーンがなかったのがよかったのかもしれません。しかも,大胆な進化の仮設(学問的にはありえないが)がオチだったりして,むやみにドラえもんの道具に頼っていない所もいいですね。
https://doraeiga.com/2020/index_pc.html

 

2020年820(木)

渋谷東映 『人体のサバイバル!/がんばれいわ!!ロボコン』
息子の小学校は夏休みを16日に短縮しているので,なるべく一緒にいられる時間を作りたいと思った。この日は夕方から研究者のZoom会合があったので,午前中は息子と出かける。博物館などいろいろ提案したが,好きで読んでいるサバイバルシリーズの映画がやっていたので,渋谷まで出かけた。
こちらも数日後に観ることになる『東映まんがまつり』と同様,短編集。タイトルにあるように,ロボコンが1本目,2本目は「スプリンパン」という娘が喜びそうな乙女チックなCGアニメでとても短い。ロボコンはもちろんオリジナルは私の世代ですが,どんな内容だったかは全く覚えていない。よって,今回のがオリジナルに似ているのかいないのか,まったく分かりませんが,とにかくハチャメチャくだらない。幼い子どもはこういうので喜ぶのだろうか。
とりあえず,他の2作品に対して,「人体のサバイバル!」に割かれた時間が長かったのはよかった。とはいえ,原作を読んでいた息子によればかなり詳細な部分がカットされているとのこと。また,原作とは違う展開もいくつかあったという。小さくなって人の体のなかで旅をするという展開はかいけつゾロリでもあったが,こちらではなんと脳の中まで行ってしまうところがすごい。なかなか楽しめる作品でした。
https://survival-robocon.jp/

映画の後は昼食がてら,息子を連れて渋谷の街を少し散策。まずは渋谷東映からほど近いところにオープンしたばかりの宮下公園。私が渋谷に来るようになった30年前。そのころから渋谷東映はあったはずだが(ビルに入っていたのがビックカメラだったかどうかは覚えていない),まだタワーレコードもなく,この方面に足を延ばすことは少なかった。ただ,宮下公園の近くに大盛堂書店があり,当時としては珍しく,複数階に及ぶ書店で, 25千分の1地形図を揃えていることもあり,大学生の頃にはよく利用していた。その手前に山手線の線路をくぐる小さなトンネルがあり,そこを抜けると宮下公園だったが,当時からホームレスが住んでいて,近寄りがたい雰囲気があった(実際にその先の公園に足を踏み入れたことはなかった)。それからずいぶん経って,タワーレコード(私がかつて利用していた頃のタワーレコードは東急ハンズの近くにあったが)ができ,その先を右折して山手線をくぐった先にはcocotiというビルができ,その上階にシネアミューズという映画館(現在はヒューマントラストシネマ)ができ,またさらに青山通りまで行くとイメージフォーラムがあり,よく通うようになった。ということで,明治通り側からは宮下公園の近くを頻繁に通るようになり,時には歩道橋から公園に足を踏み入れることもあった。こちら側は開放的なので,近寄りがたい雰囲気はなかった(時代も少し経過していますが)。大学院生になって本格的に社会科学に首を突っ込むようになり,それ以前は多少敬遠していた現実社会の社会問題や政治的な側面にも関心を持つようになり,宮下公園で起こっている問題も知るようになった。先ほど書いたタワーレコードの先の山手線をくぐる道の北側が先にフットサルコートになったようだ(なお,この場所は公園だった認識はない)。
長くなってきたので,宮下公園の歴史は割愛します。とにかく,最近はこの新しくオープンした商業施設をめぐって,twitter上でいろんな情報を目にしていたので,行ってみたかった場所。なお,私がtwitterでフォローしているのは「反五輪の会」だが,宮下公園の動向についてリツイートしている。それによれば,この商業施設は屋上を今まで通りの渋谷区立宮下公園と称している。しかし,オープン当時は入り口に警備員を常駐させ,いかがわしい人を立ち入れないようにしていたという。「いかがわしい人」とはひどい表現だが,つまりホームレスの人々やかれらを支援する社会運動家,そういう人たちのことだ。そもそも,ここ宮下公園は渋谷をデモ行進して代々木公園に集まり,さまざまな政治集会を行っている人々の集結する場所となっていたという。
私たちが行った時は警備員が2人いましたが,特に威圧的な雰囲気はありませんでした。商業施設内のカフェを併設した書店で息子と2人で昼食を取り,その後息子が書店で立ち読みをしている間に一人で屋上に上ってみました。
屋上はまあ,最近の商業施設の屋上によくある感じのベンチが置いてあります。そして,一番南側にスケートボード場が,次にビーチバレーコート,それに隣接してボルダリング施設がありました。いずれもフェンスがあり,鍵が閉まっていました。どういう場面で使うものか分かりませんが,いずれにせよ公的な公園とはとても呼べないものになっていました。北の方に移動すると管理事務所があり,その室内でも何かできるようになっているようです。

 

2020年823日(日)

府中TOHOシネマズ 『東映まんがまつり』
息子は昨年から野球を始めた。今年の前半は活動自粛で,大会も延期されたので,最近は毎週末野球の予定で埋められている。この日は午後からの練習ということで,朝一に観たがっていた映画を観に行った。昨年から復活した「東映まんがまつり」。「おしりたんてい」がメインで,昨年から引き続きの「りさいくるずー」に加え,今年は「仮面ライダー電王」「ふしぎ駄菓子屋銭天堂」という4本立て。冒頭の「ふしぎ駄菓子屋銭天堂」は非常に正統派の漫画で面白い。原作を読んでみたい。続いては「まんがまつり」というのに実写の仮面ライダー。まあ,元祖は石ノ森章太郎の漫画だからいいか。もうすっかりギャグになっていて面白い。着ぐるみ(?)の気持ち悪さはもう敵味方の区別がつきません。「りさいくるずー」は仮面ライダーを受けてのものになっていて,これがまた面白かった。そして,最後の「おしりたんてい」も安定した面白さを維持していますね。テレビアニメの回数もかなり重ねていると思いますが,アニメーションのクオリティが高いです。とはいえ,最近のアニメはすごく丁寧で,ある意味では「北斗の拳」とか,回を重ねる度にアニメの質が落ちていくような時代ではないんですね。
https://www.toei-mangamatsuri.jp/

 

2020年828日(金)

立川キノシネマ 『海辺の映画館:キネマの玉手箱』
またまた一人で観るときはキノシネマを選択。いくつか観たい作品はありましたが,今年になってなくなった大林亘彦最新作を観に行く。20年ぶりに監督が尾道に帰って来た,と謳っているが,実のところは空想的すぎて戦時期の尾道は少し想像できるものの,現実感はあまりない。晩年の彼の作品は独自の表現に達していて,横尾忠則的フォトモンタージュならぬシネモンタージュというべき手法。映画の最新技術的にはもっとこなれた滑らかな画面を作れるのだろうけど,あえてゴツゴツした画面で観る者に訴えかける。そして,なによりも本作の出演者の豪華さ。個人的には成海璃子さんと,TOHOシネマズの冒頭でしかなかなかお見かけしない山崎紘菜の出演が嬉しい。ちょい役では,中江有里や寺島 咲などの登場も嬉しいですね。3時間近い大長編でしたが,大林監督の最後の作品を観られて良かった。
https://umibenoeigakan.jp/

 

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