【読書日記】中村隆之『第二世界のカルトグラフィ』

中村隆之(2022)『第二世界のカルトグラフィ』共和国,217p.,2,500円.

 

著者のことはTwetterで知った。いつも品のいい投稿で、刺激的な書籍を紹介してくれる。時折原著も出てくるが、その多くは日本語訳があるもので、有用な情報を得ることのできる投稿が多い。中村さんは早稲田大学の教員で、エドゥアール・グリッサンという作家・思想家の紹介者でもあり、フランス語圏文化を専門としている。フランス語圏といっても、かつての植民地としてのカリブ海とアフリカであり、私がこれまで関心を寄せてこなかった領域でのポストコロニアル批評といっていいだろうか。そのうち著書を読みたいなと思っていたのだが、ある日の投稿で本書に言及し、地理学者として書名に魅力を感じ、最近はほとんど使わないようにしているAmazonで急遽取り寄せることにして。
とはいえ、読む機会はなかなかないだろうなと思っていたが、柏に行く用事があり、電車移動のお供に持参することとした。なんと、往復の電車で十分読み切ることができた。

0 第二世界は存在する
第I部 場所
 1 反復される川の記憶
 2 カリブ海の移動と交流
 3 アフリカの魂を探して
 4 アメリカのニグロ・スピリチュアル
 5 ファトゥ・ディオムの薄紫色
 6 レザルド川再訪
 7 レイシズムのアメリカ
第II部 境界
 1 絶対的暴力の牢獄
 2 分からなさの向こう側を想像する
 3 岩手県の幻冬小説
 4 文明のなかの居心地悪さ
 5 アパルトヘイト終焉期を撮る
 6 テロルという戦場
 7 ディストピア小説に映し出される近未来
第III部 生
 1 ジャン・ベルナベ(一九四二―二〇一七)
 2 パスカル・カザノヴァ(一九五九―二〇一八)
 3 フランソワ・マトゥロン(一九五五―二〇二一)
 4 ヤンボ・ウォロゲム(一九四〇―二〇一七)
 5 東松照明(一九三〇―二〇一二)
 6 ジャック・クルシル(一九三八―二〇二〇)
 7 コレット・マニー(一九二六―一九九七)
第IV部 交響
 1 アナキズムと詩的知恵
 2 口頭伝承と神話的思考
 3 フランス国立図書館と作家研究
 4 ニューカレドニアの民族誌
 5 震えとしての言葉
 6 野生の思考と芸術
 7 詩人たちの第二世界
あとがき 第二世界の地図作成のために

「第二世界」とは常識的には、第一世界=資本主義的先進社会、第二世界=共産主義・社会主義社会、第三世界=それ以外の旧植民地国、後進国という図式におけるものだが、本書では違う。「第三世界」についての言及はあるが、「第二世界という言葉は、20世紀のこうした集団的夢を思い起こさせなくもない。」(p.7)と述べて、第二世界=社会主義陣営だとは書かない。続けて、「第二世界とは、そんな普通のわたしたちのための不屈のヴィジョンだ」と述べ、「逆説的であるけれども、わたしたちは、第二世界を探しに遠くまで出かける必要はない。その〈場所〉は実はとても身近なところにある。書棚のなかに埋もれた本たちもまたそうした〈場所〉なのだ。」(p.7)などと書いて、第二世界に関する説明はそれ以降、ほとんどなくなってしまう。書名を構成するもう一つの言葉「カルトグラフィ」はどうだろうか。わたしの記憶では本文中にほとんど出てこないと思う。そして、あとがきが「第二世界の地図作成のために」と題されている。「カルトグラフィ」とは通常「地図学」を意味するが、「グラフィ」だから地図を作る実践=地図作成のことでもある。そもそも、この本は『図書新聞』での連載が基になっていて、その連載につけられたタイトルは「感傷図書館」だったとのこと。図書館という〈場所〉を構成する世界各地の作者が描いた作品。図書館という海のなかを漂うように作者の地理的属性とその作品に描かれた場所を、グローバル・スケール=植民地が作り出した非対称的な関係性の網の目を意識しながら読んでいく、そんな批評の在り方を名づけたものだと理解した。第二世界とはそうした作品鑑賞・批評の中から浮かび上がる、現実世界と一体になりつつ、作者たちの理性を基礎とした理想社会=将来に希望を抱かせる社会のことを「第二世界」と呼んでいるように思う。
なお、本書の読書からわたしが得られたものはあまり多くはない。こういう読書は久しぶりな気がする。類書としては谷川 渥『幻想の地誌学』を思い出す。こちらは旅をするのは歴史の海だが、意図するところはかなり類似しているように思うし、また作品自体が著者の博識に支えられ、読者は次から次へと情報の嵐に巻き込まれる感じ。本書もちょっとわたしは知識が追い付かず、わくわくするもののそれが満たされないまま漂っているような感覚。まあ、いずれにせよ本書の著者は他にも著書や訳書が多いので、追って少しずつ読んでいきたいと思う。

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【読書日記】ラトゥール, B.著『地球に降り立つ』

ラトゥール, B.著,川村久美子訳(2019)『地球に降り立つ――新気候体制を生き抜くための政治』新評論,238p.,2,200円.

 

また、読み終わってからすっかり時間が経ってしまった。ラトゥールは言わずと知れたアクター・ネットワーク理論の発案者であり、英語圏地理学でもその議論がされた当時は数冊しか翻訳本がなかったが、いまやほとんどの著作が日本語で読める。しかし、私は読む機会をことごとく逸してしまっていた。もう本格的に学術書は読めない立場になってしまったし、特定の著者の著作を片っ端から読むという時間もない。
しかし、本書はたまたま古書店で見つけ、そしてラトゥールの著作としては手ごろなサイズで、そして何よりも地球変動対策は私が政治家としても取り組みたいと思っているテーマなので購入することとしたし、読む機会にも恵まれて読むことができた。読む機会というのは、地方議員となった私はその生活のほとんどを市内で過ごすこととなり、市内での公共交通がバス中心のこの市では、ほとんどの移動を自転車で行うこととなり、電車での移動でじっくり本を読むという機会が圧倒的に失われてしまったのだ。ということで、月に一度くらいの頻度の都心への外出の際に読んだという次第。

日本の読者の皆さんへ
1
 政治的フィクションという仮説――規制緩和と格差の爆発的増大と気候変動の否認は同じ一つの現象である
2
 米国がパリ協定の離脱表明を行ったおかげで、私たちはどのような戦争が幕を切って落とされたのかをはっきりと知るようになった
3
 移民の問題はいまやすべての人にとっての問題となった。それが新たな邪悪な普遍性をもたらす。すなわち、誰もが足下の地面を失うということだ
4
 プラスのグローバリゼーションとマイナスのグローバリゼーションとを混同しないように心がけなければならない
5
 グローバル主義者の支配階級は連帯の重荷のすべてを少しずつ投げ捨てていくことに決めた。それはどのように決められたのか
6
 共有世界の廃棄は認識論的譫妄状態を引き起こす
7 第3のアトラクターの登場が、ローカルとグローバルの二極に分断された近代の古典的組織を解体する
8 トランプ主義が発明されたおかげで、第4のアトラクター「この世界の外側へ」の存在を知ることができた
9
 私たちがテレストリアルと呼ぶアトラクターを見出したことは、新たな地理政治的組織を確認することにつながった
10 なぜ政治的エコロジーの成功は、賭金に見合う成功に一度たりとも結びつかなかったのか
11 なぜ政治的エコロジーは、右派/左派の二分法から逃れることがそれほど難しかったのか
12 社会闘争とエコロジー闘争をうまくつなげるにはどうすればよいか
13 階級闘争が地理‐社会的立場間の闘争に変わる
14 ある種の「自然」概念が政治的立場を凍結した。そのメカニズムの理解を、歴史を通る迂回路が可能にする
15 右派/左派を二分する近代的視点によって「自然」は固定されてきた。その呪縛を解かなければならない
16 「物理的対象からなる世界」は「エージェントからなる世界」が備える抵抗力を持ちえない
17 クリティカルゾーンの科学は、それ以外の自然科学とは持っている政治的機能が異なる
18 生産システムと発生システムのあいだに生じる矛盾が増大している
19 居住場所を記述する新たな試み―フランスで実施された苦情の台帳づくりを一つのモデルとして
20 旧大陸を個人として弁護する
訳者解題 架空の物質性の上に築かれた文明

最初に訳者解題から触れるのもなんだが、この訳者解題が非常に親切で、読後長い時間が経ってしまったが、印象として残っている訳者解題から書きたいと思う。訳者の川村久美子さんは環境社会学を専門とするので、本書の訳者としてはふさわしいわけだが、実はラトゥールの『虚構の「近代」』の訳者でもあり、2008年というラトゥール本のなかでも初期の頃に訳されたもの。ラトゥールの訳者は固定されていないなかでも、川村さんの訳が一番多いようだ。そういう意味では、ラトゥールを読む一冊目としてはとてもいい選択だった気がする。
さて、訳者解題にもどるが、本書は前面的にアクター・ネットワーク理論が出てくるわけではない。そういうなかで、この訳者解題はラトゥールの研究者としての足跡をごく簡単にたどり、当然アクター・ネットワーク理論の解説もあり、その全体像のなかで本書を位置付けるという意味で非常に勉強になった。とはいえ、訳者解題だけで60ページ近くあるので、簡単に読み返すことはできないが、機会があったら振り返りたいと思う。まあ、ともかく内容に関しては大して書けない読書日記ですのでご期待はなさらずに。
私でも知っていたアクター・ネットワーク理論の特徴としては、複雑系の流れにはある思想だと思う。ただ、とはいえこれまでは人間主体とそれ以外の物質的客体との区別は取り払われず、アクターといえば人間主体であった。訳者解題でもJJ・ギブソンの文献が挙げられているように、アフォーダンス理論(私はギブソンも読んでいないわけだが)の影響下にもある。アフォーダンス理論では人間主体の意思決定が人間の心理のみに由来するのではなく、その人間が身を置いている周囲の環境からのインプットが重要であるという主張であるから、そもそも人間の意思決定とはその人を取り囲むさまざまな物質に由来するといってもよい、ということでラトゥールのいうアクターは人間主体に限定されず、主体と客体の区別はなくなるということであり、客体である物質により注目すべきだということだ。こう考えると、近年の物質性への注目もその流れにあるのかなとも思う。
ということで、本書についていえば、究極的な物質の集合体としての「地球」を人類社会は大事にしないといけないという前提に立っている。なお、本書の原著は2017年に出版されたもので、米国トランプの第一次政権においてパリ協定を離脱したということが大きな話題として取り上げられている。ラトゥールは2022年に亡くなっているので、第二次トランプ政権とその後の世界については知らない。先にも述べたように、私はラトゥールの研究書を読んできたわけではない。しかし、本書が純粋な研究書ではないことは分かる。目次からも分かるように、本書は社会の本質的な問題を抽象的な次元で論理を積み重ねるようなものではなく、今日的に起こっている社会の表層的な出来事を題材とし、一章が短く、次々と展開している。視野は全世界的なスケールで展開し、視線は将来に向けられている。まさに晩年の仕事としてふさわしく、これまで下記の事例の研究から理論を生みだし、その理論を用いて将来を論じるというのが本書ということだろうか。しかし、ヨーロッパで暮らしてきた知識人として、本書は欧米社会に向けて書かれているように思われる。
なお、本書はグローバルスケールで議論が展開されているとはいえ、意外にも「地理」という言葉が頻出することに驚いた。「いまや、気候変動こそが地理政治的問題の核心であり、それが不公正と不平等の問題に直結していることに誰もが気がついている。」(pp.16-17)の「地理政治」は太字になっている。原著との対比ができないが、地理政治とは地政学のことだろうか?しかし、他の数か所では「地政学」という訳語も登場するのだ。13章の表題にも「地理-社会的立場の間の闘争」なんて表現もある。「階級闘争は地理的論理に依存するのだ。」(p.98
なお、ラトゥールには本書と関連する著作として『ガイアに向き合う』があり、本書でもラブロックの『地球生命体――ガイアの科学』への言及がある。その関連で、19世紀ドイツの地理学者、アレクサンダー・フォン・フンボルトへの言及もあるのだ。また、後半には「テレストリアル(地上との絆に縛られた存在)」(p.133)という語も頻出し、地理学との深い関連を感じながら読んだ。しかし、久しぶりに読む難解な書であることは間違いなく、これ以上わかったふりをして解説を書くことはやめておきたい。いずれにせよ、ラトゥールが思いのほか地理学と親和性のある思想家であることは分かったので、今後も新しいところから読んでいくこととしたい。

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【映画日記】『金子文子』『オールド・オーク』『急に具合が悪くなる』

本当に久しぶりの映画日記です。こうして記録を観ると、1ヵ月に1本しか観られなくなっていますが、この3ヵ月はかなり濃い作品を観ていることが分かります。

2026年4月20日(月)

渋谷ユーロスペース 『金子文子 何が私をこうさせたか』
1903年に生まれ、1926年に獄中で自死した女性。朝鮮人朴烈と一緒に虚無主義/無政府主義運動に身を投じる、というところまで、そして朴の膝に座った写真を知ってはいた。個人的に無政府主義=アナキストには関心があったので、金子文子についても知りたいとは思っていたが、浜野佐和監督の手により映画化されるという情報が、確かTwitterで流れてきて、製作費をクラウドファンディングで募っているということで、だいぶ前に少額だが出資していた。当時はクラウドファンディングのサイトから頻繁にニュースが流れてきたが、完成・上映開始の情報は何度もは来なかったので、観られるかどうか半ば諦めていたが、何とか観ることができた。以前にも獄中死した日本共産党員、伊藤千代子を描いた映画『わが青春つきるとも』があったが、どうしても似たような雰囲気にはなってしまう。
ただ、本作は金子文子を演じるのが葉菜葉だったというところが大きかった(伊藤千代子を演じた井上百合子さんもとても良かった)。まあ、これだけの人物なので、本作は見どころも多く、十分楽しめた。個人的には洞口依子の出演が嬉しかった。若かりし頃は独特の雰囲気を醸し出す俳優さんだったが、こうして加齢して落ち着いた雰囲気の演技をされている姿を見られたのはよかった。
https://kanekofumiko-movie.com/

 

2026年5月5日(火、祝)

新宿武蔵野館 『オールド・オーク』
ケン・ローチ監督作品。本作は、『わたしは、ダニエル・ブレイク』『家族を想うとき』に続く三部作ということで、私はこれら2作も観ていて、自分ではケン・ローチのファンだと思っていたが、改めてWikipediaを確認すると、鑑賞した作品は決して多くないことが分かった。1969年の『ケス』をシネ・ヴィヴァン六本木かどこかの再上映で観た時の衝撃が強く、すごい監督がいるもんだと思った。その後、岩波ホールで1995年の作品『大地と自由』を観ているが、当時の私には難しく、『ケス』の監督の作品だと認識していたかどうかは分からない。その後、1998年の『マイ・ネーム・イズ・ジョー』、2002年の『SWEET SIXTEEN』、2004年『やさしくキスをして』、2006年『麦の穂をゆらす風』(キリアン・マーフィー主演)と観てきたが、その後の作品は観たかどうかさだかでない。
まあ、いずれにせよ、観るたびにうなってしまう、作品を世に出し続けている監督であり、私のイギリス像を形成する最も重要な情報源かもしれない。本作は、かつては炭鉱で栄えたが、閉山後すっかりさびれてしまい、空き家になった住宅に支援団体が次々とシリア難民を送り込んでくる。すっかり高齢になった元鉱夫(の息子?)たちは主人公が経営しているパブ「オールド・オーク」に入り浸り、難民たちへのヘイトを繰り返す日々。日本映画でも同じような演出の映画が作れそうだが、多分それをみると、やりすぎだと思うだろうが、英国の観衆にとっては、これがリアルなのだろうか?前二作と比べて、希望の持てるラスト、というのは『しんぶん赤旗』での映画評通りだが、正直な感想としてはちょっと過剰演出な気もする。
https://oldoak-movie.com/

 

2026年6月25日(木)

府中TOHOシネマズ 『急に具合が悪くなる』
濱口竜介監督作品。Wikipediaをみると、1978年生まれで決して最近出てきたわけではない。私が彼の作品を知ったのは2018年の『寝ても覚めても』だが、主演二人の不倫騒動で柴崎友香原作であることすら話題から遠のいてしまった作品だったが、私のなかには何かが残った。ということで、2021年の村上春樹原作の『ドライブ・マイ・カー』を観たわけだが、この作品で一躍有名になり、同じ年の『偶然と想像』も観た。『偶然と想像』の映画日記にも書いたが、圧倒的な精緻な作品制作が評価されるべきだが、私はその完璧さにどこか不満を感じてしまう。
ということで本作だが、主演のヴィルジニー・エフィラと岡本多緒がカンヌ映画祭で主演女優賞を受賞したということで、また話題となった。とはいえ、3時間を超える作品で観られるかどうか不安もあったが、なんとか観ることができた。しかも、久しぶりに夫婦で観ることとなった。予備知識は、哲学者と人類学者の対談本が原作であるということくらいだったので、長塚京三が一人芝居の俳優を演じるということには心躍った。長塚演じる男の孫で、自閉症の少年を演じる黒崎煌代も注目すべき作品であった。
3時間を超える上映時間を長くさせているのは2人の主人公の対話である。これを抜いて2時間程度の通常上映時間の映画としても一級品だが、原作は読んでいないが、女性二人の哲学対話が本作の真骨頂であり、同時にそれを映画独自の脚色としての2人がそれぞれ高齢者介護と演劇という実社会に見事に結び付けているのが本作の最大の魅力である。そして、2人の対話は多岐にわたるのだが、対話のクライマックスはマルクス主義的解釈による資本主義社会批判であるといえる。だからこそ『しんぶん赤旗』でも大々的に取り上げている。映画では日本人女性がソルボンヌで哲学を学び、フランス人女性が早稲田大学で人類学を学んだという設定だが、人類学にしても哲学にしても、マルクスを読むことは避けられない、そんな発言すらあった。
長塚さんの一人芝居もとても良かった。『ドライブ・マイ・カー』でも劇中演劇があったが、この手法は本当にこの監督の魅力である。長塚さんのフランス語も素晴らしく、また日本語とフランス語の使い分けもこだわりがありつつ自然でよかった。女性二人の日本語とフランス語(二人とも両方を使える)の会話もはじめの頃は日仏まじりあってとても自然だったのだが、後半からマリーはフランス語、真理は日本語になっている。長塚さんのセリフのなかに「感情を込めるときは母国語で」とあったので、二人の会話も遠慮して相手に合わせることを終わりにした時点からお互いに母国語を使う、という暗黙のルールに変わった、と解釈できないことはない。とはいえ、些細な日常会話については日仏入り混じった方がよかったかな、とおせっかいな感想です。
それから、やはり私自身は濱口監督作品にもう少し遊びが欲しいと感じる。美しいものだけでなく汚いものを、整ったものだけでなく乱れたものを、画面に映し込んで、その価値基準をフラットにするような作品になったら、私もより濱口作品を好きになるかな、と思う。
https://www.bitters.co.jp/soudain/

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【読書日記】コールリー『生物学の歩み』

コールリー, M.著、日高敏隆・金谷春夫訳(1957)『生物学の歩み』白水社,147p.,650円.

 

大分前に読み終わった文庫クセジュの一冊。原著の出版年は分からないが、ともかく日本語訳も1957年なので、科学史の進展においても限界があると思うが、私の認識の甘さを痛感させられた本ではあった。とはいえ、読後大分経っているので、詳細には語れないことをまずご了承ください。
私は地理学の歴史を趣味として、大学院時代に学ぶようになった。本格的な地理学史は英語だけでなく、むしろ英語よりもドイツ語、フランス語が必要になるので、とても私にその資格はない。なので、日本語訳のみで勉強していた身だが、非常勤先の講義では、それを題材としてやってきている。化学や物理学についてはあまり踏み込んで学んでいないが、天文学や生物学はそれなりに勉強したつもりでいた。生物学に関してはリンネ関連の本を読んだし、ビュフォンに関してはそこそこ厚い本を、ダーウィンに関しても社会ダーウィニズム関連ではあるが、科学史というより思想史の文脈で学んできたつもりだった。しかし、当然それだけではなかったことを、この薄い一冊でも思い知らされた。

著者まえがき
第一章 ギリシャ科学と生物学
第二章 ルネッサンスと古代科学の復活
第三章 十七世紀および十八世紀における近代生物学の誕生
第四章 十九世紀から現代への生物学の飛躍
 1 形態学
 2 生理学
 3 遺伝の科学、遺伝学
 4 進化
結語

まず、この本では生物学の源流の一つとして医学をとらえている。古代ギリシアでは、ヒッポクラテスやガレノスを挙げている。これはなかなか興味深い。もちろん、現代的感覚では、医学はまさにヒトという一つの生物種に関する生物学だから何の違和感もないのだが、キリスト教的世界観の根強いヨーロッパでは、人類とその他の動物とは別次元であり、だからこそ医学と生物学は別々に発展し、そのつながりが見出され、主張された進化論をもってこの二つが合流するという私は浅はかな理解を持っていた。しかし、本書において進化論は最後に出てくるのであって、生物学の歴史はそれまでに長い変容の経過がある。
第二章のルネッサンス期にはアラビア医学の影響についても記しているし、医学・生物学にとって重要な解剖という技術も教会との闘いがあった。そして、血液循環。ハーヴィーの発見は1628年だが、それも先人による一世紀の前史があったという。そして、医学と並行して、植物学と動物学の進展。
第三章の冒頭ではデカルトが登場する。私は日本語訳だがデカルトの多くの著書を読み、彼が「近代哲学の父」と言われるゆえんについて考えたが、ここでも、デカルトを医学と植物学、動物学を統一するひとつの契機となったと位置付けている。ルネッサンス期の解剖学に続いて、17世紀は顕微鏡の発見によって観察の領域で大きな進展があった。精子の発見と生殖の理解の進展につながる。
第四章冒頭には「いわば十八世紀は生物学にとって、のちに十九世紀が次第に足並みを早めてたどっていった大道の路傍を耕したのだといえよう。」(p.57)とあり、「「生物学(biogogie)」という言葉が、十九世も初頭の1802年、フランスではラマルク、ドイツではトレヴィラヌスによって同時につくりだされた。」(p.57)という。この言葉によって植物学と動物学が同列に扱われるようになり、方法論として形態学と生理学が登場する。そう、形態学はのちに社会学にも(またある意味では地形学にも)使われるようになるもので、ゲーテによる言葉でもある。この辺りは地理学者フンボルトとの関連で、ゲーテの植物形態学については私も学んでいた。ここで、海洋動物学の進展もあったという。そう、リンネとの関係では、やはりヨーロッパ列強による大航海と植民地支配によって、地球上に広がる生物多様性の発見が生物学(当時は博物学か)の発展に寄与したことは間違いない。それから何といっても、この辺りはフランスのビュフォンだが、化石の発掘=古生物学の発展はのちの進化概念へと結びついていく。
そして、本書で改めて認識させられたのが、「十九世紀は「細胞」という概念を得、それによってついに動物・植物にわたる全生物の構成単位にまで到達した。これは「生命」を理解するうえでまず最初の収穫であった。」(p.73)とあるように、細胞の発見はあまりに重要だ。それは化学でいうところの原子の発見に近いといえよう。もちろんそれには、天文学の発展にとって天体望遠鏡の技術が重要であるように、顕微鏡の技術の発展が欠かせない。その後の話は高校の生物学でも学ぶような内容なので割愛しよう。生物体を構成する基礎的な組織とそこでやり取りされる物質にまで考察が及んでいく生理学の進展があれば、おのずから遺伝学や進化論まで導かれていく。ただ、本書刊行以降の話に少し触れておけば、生物学はゆるぎない唯一の学説のたどり着いたわけではなさそうだということだ。進化論も完ぺきではなく、現代でも真面目に疑っている研究者もいたりする。まあ、科学なんてものは観察可能な諸事実を合理的に説明することのできる一つの解釈に過ぎないともいえよう。

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【映画日記】『映画ひみつのアイプリ まんかいバズリウムライブ!』『パリに咲くエトワール』『劇場版名探偵コナン ハイウェイの堕天使』

2026年3月14日(土)

立川シネマシティ 『映画ひみつのアイプリ まんかいバズリウムライブ!』
娘の希望で観に行った映画。娘もちょっと期待外れっぽかったが、アニメのミュージカルといったらいいのか、ストーリーはほとんどなく、一か月たってから思い出そうとしてもほとんど思い出せない。一般的なミュージカルはセリフにリズムを載せるというものだが、この映画はほとんどが歌を歌うシーン。歌と歌のつなぎを物語風にしているにすぎない。ただ、私の隣りに座った少女は楽しそうに一緒に歌っていた。まあ、こういう映画があってもいいかな。
https://aipri.jp/anime/aiprimovie/

 

2026年3月29日(日)

立川シネマシティ 『パリに咲くエトワール』
こちらも娘の希望で観に行ったが、私も期待していた作品。こういう史実を組み込んだエンタテイメントを娘には数多く見せていきたい。この作品は1912年から始まる物語だが、娘が驚いていたのは、この時代の女性の扱いだった。この映画は希望のある話ですが、女性ってだけであれもこれもダメってのはひどい!というのが娘の感想でした。もちろんそこも重要ですが、この映画から学ぶことはとても多く、それでいながらちゃんとエンターテインメントとして仕上がっていて、不穏な時代を描いていながらもある意味でのハッピーエンドとなっていて、見終わった後の爽快感がありました。そして、緑黄色社会の楽曲がとてもいいエンディングでした。ただ、上映冒頭で、緑黄色社会のテーマ曲の、この作品の映像を用いたPVが流れたのは少し残念でした。このPV自体はとてもいいのですが、少しネタバレというか、全編の映像がパッチワーク的に用いられているので、本編上映前に観るべきものではないと思いました。
https://sh-anime.shochiku.co.jp/parieto-movie/theater/

 

2026年4月12日(日)

府中TOHOシネマズ 『劇場版名探偵コナン ハイウェイの堕天使』
こちらも娘が楽しみにしていた作品で、金曜日の上映開始から2日後の日曜日に観ることになりました。近くのTOHOシネマズでも上映回数がとても多いので、ありがたい。とはいえ、私たち父娘が中央に座っている左右背後に、男子中学生(?)高校生(?)十数人の集団が取り囲んでしまった。まあ、上映開始後は静かになりましたが、あれだけの上映回数にもかかわらず、これだけの集客とはさすがだ。
コナンの劇場版は5年ほど見続けていると思うが、今回のはとても良かった。とかく映画版はテーマが大きくなり、設定に無理があったり、演出が派手になったりするが、本作ももちろん無理もあるし派手なシーンもあったが、ストーリーがしっかり組まれていて、よかった。来年もなかなか楽しみな内容になりそうだ。
https://www.conan-movie.jp/2026/

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【映画日記】『超かぐや姫』『映画ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城』『劇場版転生したらスライムだった件 蒼海の涙編』

2026年2月21日(土)

新宿バルト9 『超かぐや姫』
娘がどこからか見つけてきて、Netflixで観たアニメ映画。彼女史上最高の映画だといっていたが、それが期間限定で劇場公開することとなり、観に行った。身近な立川ではすでに全回満席で、これから予約が始まる新宿の劇場にかけた。三日前の午前0時から予約開始ということで、母親に予約を取ってもらうことになったが、これがなかなか大変で、何とか取れたのが、朝8時台の回。早起きして観に行った。
子どもの客はほとんどおらず、男性が中心。上映時間も2時間前後あり、よく作り込まれたアニメ映画。確かに娘が好きになるのもよく分かる。しかし、近年のアニメ映画に少なくないが、私のような年齢の人間にはついていけない情報量の多さがあり、それぞれの要素が有機的には結び付いていないような印象もあるが、まあそれでも十分に楽しめる作品。
https://www.cho-kaguyahime.com/

 

2026年2月27日(金)

府中TOHOシネマズ 『映画ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城』
公開直後の土日は予定が立たないため、公開初日の夜に息子と娘と3人で観に行った。ここのところ「新」をつけて、旧作映画のリメイクが制作されている。息子に「お父さんは旧作をリアルで観たのかな?」と尋ねられたが即答する記憶の自信はなかった。しかし、新作を観てみると、少しずつ記憶がうっすらとよみがえる。「のび太の恐竜」は旧作をしっかり覚えていたので、新作にはかなりアレンジがきいている(というよりは別作品だ)と思ったが、今回はかなり旧作に忠実な印象。さて、子どもたちはいつまで一緒に観に行ってくれるのだろうか。
https://doraeiga.com/2026/

 

2026年3月7日(土)

立川シネマシティ 『劇場版転生したらスライムだった件 蒼海の涙編』
最近子ども2人と3人で映画を観に行く機会は減ってしまったが、珍しく2週続けて3人で観に行った。いわゆる「転スラ」はだいぶ初期の頃から息子が好きになって、娘もそこそこ好きになった。劇場版は今回2作目。一作目は息子が友達と観に行ったが、今回は3人で観に行った。
息子に言わせれば、本作は原作にはないオリジナルストーリー。今回の準主役はゴブリンのゴブタ。ドラえもんに続いて、海底の国が舞台。転スラの全体的な世界観はよく理解していないが、全世界にお互い独立したさまざまな社会が存在しているという設定は、18世紀前半に書かれた『ガリヴァー旅行記』の系譜にあるように思う。さらにいえば、シラノ・ド・ベルジュラックの『日月諸国諸帝国』は17世紀中葉。大航海時代にヨーロッパが自らの知らなかったさまざまな社会を知ることとなり、さらにはそれらを植民地化して、全世界が一つの近代世界システムへと飲み込まれて各社会の独立性と独自性とが徐々に失われていく時代にそうした多様な社会の並存が描かれたのかもしれない。そして、グローバル化の最終段階において、せめて想像の世界でそうしたあり方が夢想されている、と理解すべきか。
https://movie02.ten-sura.com/

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【読書日記】歌川 学『スマート省エネ』

歌川 学(2015)『スマート省エネ――低炭素エネルギー社会への転換』東洋書店,179p.,2,200円.

 

フリーの編集者をしている日野市内の日本共産党員からいただいたもの。本書を含む「科学と人間シリーズ」を手掛けているとのこと。著者は以前、日野市のデータセンター建設問題に関する学習会で講演もしていただいた方で、独立行政法人産業技術総合研究所主任研究員。私は今、『最新図説 脱炭素の論点2025-2026』(旬報社、2025年)という500ページ超の本をとある勉強会で読み始めたが、その本の共同執筆者の一人でもある。月刊誌『地平』がデータセンター問題を特集した時にも執筆していた。

はじめに――低炭素社会への転換、技術的に大きな可能性
第Ⅰ部 エネルギーの環境負荷と化石燃料・原子力依存のリスク
 第1章 各種エネルギーの特徴とエネルギー効率・CO2排出の実態
第Ⅱ部 温暖化対策へ二つの手法と削減見通し――削減対策技術とその適用
 第2章 根本的な省エネ対策技術
 第3章 低炭素エネルギーへの転換――自然エネルギーと燃料転換
 第4章 持続可能な低炭素社会への余裕をもった道筋――無理なくCO2を削減する
第Ⅲ部 地域・産業・家庭での省エネ・温暖化対策
 第5章 省エネ・温暖化対策計画をどう実効的に立て実行するか
 第6章 省エネ・自然エネルギー普及による経済・雇用・地域社会づくり――対策がきりひらく豊かな将来
おわりに

あとがき

もう10年前の本ではあるが、10年くらいでは日本のエネルギー政策は大きく進展していないことが分かる。薄い本で日本のエネルギー事情が大まかにわかる本だ。タイトルに「省エネ」とあり、副題には「脱炭素」ではなく、「低炭素」とあるように、エネルギーに関して理念的に「かくあるべき」を示すよりは、現実的に「なにができるのか」をさまざまな選択肢とともに情報提供している本。省エネといっても、一般家庭での努力というのは日本社会が消費しているエネルギー量からすればわずかなもので、とはいえ塵も積もればで無駄ではないのだが、生活を圧迫するような形で無理してやってもしょうがない。やはり産業部門での省エネが効果的で「スマート」だという主張。第4章のタイトルにあるように「無理なくCO2を削減する」ということだ。
再生可能エネルギーへのシフトについても同様で、この種の本が掲げがちな「脱炭素」ではなく、「低炭素」を掲げている。また、脱原発を強く謳っているわけでもなく、しかし、原子力の危険性についてはさらっと記載している。また、最後に再生可能エネルギーへの転換という政策・対策の効果についても、ドイツを引き合いに出して、ここはそれなりに強調している。しかし、全般的に文章が「スマート」に書かれていて、納得はできるものの、深く印象付けられたり、切迫感をもって省エネ、低炭素への転換を進まなければならないという意識にはなりにくい本でもある。

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【読書日記】ダバシ『イスラエル=アメリカの新植民地主義』

ダバシ, H.著,早尾貴紀訳(2025)『イスラエル=アメリカの新植民地主義――ガザ〈10.7〉以降の世界』地平社,303p.,2,500円.

 

私は訳者の早尾さんが勤める大学で非常勤講師をしている。今年度の春学期、大学へと向かう道すがらで何度も早尾さんの姿を見かけた。しかし、彼の著書も訳書もちゃんと読んだことがなかったので、なかなか声をかけられずにいた。本書の著者は『ポスト・オリエンタリズム』の著者でもあり、早尾さんの訳で2017年に翻訳が出ており、早尾さんのことを知る前にこの本のことは知っていたこともあり、まずは新しい本書を読むことにした。
なお、出版社のサイトから目次をコピーさせていただいたが、本書は『ミドルイースト・アイ』というウェブニュースの連載から、2023107日以降のものを翻訳出版したもの。日付を書き加えたが、1ヵ月12回の執筆で、1年半の経過を執筆順にたどることができる。

1 欧米はいかにイスラエルを「再発明」しているのか 2023.10.28
2
 イスラエルのプロパガンダ主要10点を論駁する 2023.11.12
3
 「川から海まで」のスローガンを取り戻す 2023.12.2
4
 米国の大学キャンパスにおけるパレスチナ支援活動を弾圧するシオニストの努力が無駄に終わる理由 2023.12.20
5
 イスラエルの対ガザ戦争にはヨーロッパ植民地主義の歴史全体が含まれている 2023.12.29
6
 ガザのおかげでヨーロッパ哲学の倫理的破綻が露呈した 2024.1.18
7
 対ガザ戦争は、パレスチナ解放神学と福音派シオニズムの対立を浮き彫りにする 2024.2.5
8
 評論家たちはいかにフランツ・ファノンの遺産を歪曲しているか 2024.3.5
9
 ヘーゲルの人種差別的哲学がヨーロッパのシオニズムに与えた影響 2024.3.15
10
 米国大統領選:バイデンとトランプは殺人コインの表裏である 2024.4.3
11
 フランチェスカ・アルバネーゼを恐れるのは誰か? 2024.4.10
12
 イランの反撃はイスラエルに警告を与えたが、焦点は依然としてガザにあるべき 2024.4.25
13
 欧米はパレスチナの教育に対するイスラエルの攻撃に直接責任がある 2024.5.9
14
 米国大学キャンパスにおける抗議運動――エドワード・サイードは、この瞬間を大切にしたことだろう 2024.5.20
15
 ヒラリー・クリントンは大学キャンパスの抗議という潮の変わり目がもつ倫理的な力を理解できない 2024.6.10
16
 ガザでのジェノサイドは国外イラン人の反体制派の終焉をいかに決定づけたか 2024.6.27
17
 老化したバイデンとリベラル帝国主義の危機 2024.7.9
18
 ドナルド・トランプ暗殺未遂はアップルパイ並にアメリカ的だ 2024.7.17
19
 バイデンと同じくカマラ・ハリスはイスラエルの大量虐殺に全面賛同している 2024.8.8
20
 コリー・ブッシュが人種差別と植民地主義の勢力に立ち向かった 2024.8.22
21
 ハイファの隠された歴史が、静かで美しいパレスチナ映画のなかに姿を現す 2024.9.11
22
 なぜイランはイスラエルに報復してこなかったのか? 2024.10.1
23
 タナハシ・コーツはいかにしてリベラル・シオニズムから脱却したか 2024.10.17
24
 米国大統領選挙で、なぜ有権者はファシズムと大量虐殺的シオニズムのどちらかを選ばなければならないのか? 2024.10.31
25
 ニューヨーク・タイムズ紙は、反ユダヤ主義を報じても、ジェノサイドには触れない 2024.12.5
26
 ジミー・カーター、歴史の流れを変えたピーナッツ農家 2024.12.30
27
 ガザ・ジェノサイドの余興――テルアビブで『ロリータ』を観る 2025.1.18
28
 仮面は外され、そしてトランプとイスラエルは地球を不動産に変えた 2025.2.10
29
 イスラエルとアメリカの蛮行が歴史の負け組にあることを示す四冊の本 2025.3.10
30
 マフサ・アミーニーの抗議はイラン政権と反対派、双方の失敗を露呈した 2025.4.2
31
 トランプが異常なわけではなく、外国人嫌悪はアップルパイ並みにアメリカ的なのだ 2025.4.21

イスラエルとパレスチナの問題はエドワード・サイードの著作を好んで読んでいた1990年代から関心を寄せているつもりだった。しかし、それをオスロ合意までの歴史的問題として理解していたつもりになっていた、ということは以前もどこかで書いたと思う。それがまさに10.7でイスラエルとパレスチナの問題は終わったものではなく、むしろ強度を増して進行中で、もうどうしようもないところまできてしまったと感じる。そして、本書にあるように、それにはアメリカ合衆国の存在があまりにも大きい。
私は本当に本書などを最近読むに至って、自身の認識の甘さを思い知らされることになった。アメリカ合衆国は直接的な植民地支配はフィリピンなど限られた場所にしか展開しておらず、政治的な植民地支配ではなく、一時期「アメリカ文化帝国主義」論が盛んになったように、第二次世界大戦後に経済的、文化的に帝国としてふるまっていたと理解していた(ネグリとハートの『〈帝国〉』はまだ読んでいない)。しかし、それはこれまで私も知っている史実からも明らかのように、19世紀における欧州の政治的帝国主義とは異なるかもしれないが、圧倒的な軍事力をもってまさに帝国としてふるまい、植民地主義の思想で他国に介入してきたことが理解できた。それは本書刊行後のトランプ大統領の振る舞いによって誰の目にも明らかになってきたことではあるが、ちょうど第二次トランプ大統領が選出される大統領選挙を挟んで書かれている本書からは、それがトランプ大統領個人の問題ではないこともよく理解できる。いずれにせよ、正義や良心、正しさが通用しなくなったこの世界で、どのように圧倒的な武力を伴ったこの権力に地球市民が立ち向かっていくのかが問われている。

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【映画日記】『ジ・エンド』『白い花実』『在日ミャンマー人』

昨年末から映画日記が滞っていました。数は少ないものの、なかなか刺激的な映画ばかりです。

2025年12月22日(月)

この日は別件で午後から新宿で用事があった。しかも、午前中は特に用事がなかったので、都心でしか観られない映画が観たいということで、閉館のニュースを聞いていたシネマカリテで鑑賞することにした。

新宿シネマカリテ 『ジ・エンド』
ティルダ・スウィントン主演の奇妙な映画。核戦争か感染症の蔓延か、人類の滅亡危機のなかで、地下生活を営む家族の物語。地下の人工洞窟を生活空間としているとはいえ、入念に準備され、文明的な生活を維持している。そこに黒人の若い女性が突如現れ、表面的に秩序を保っていたこの家族に亀裂が生じ始める。ミュージカル仕立てになっており、深刻なテーマ(ディストピア)ながら美学的に完成された美しい作品に仕上がっている。そして、ある種のユートピア的結末。
https://cinema.starcat.co.jp/theend/

 

2026年1月3日(土)

立川キノシネマ 『白い花実』
年始にも一人で自由にできる時間があり、立川に日本映画を観に行った。こちらも非常に美しい作品。そして、複雑な人間関係や、大人の社会や組織の問題などが描かれている。人間の本質に切り込む作品だといいたいところなのだが、どうしてもキャストの外見の美しさや演出も含めて説得的でないと感じてしまう。そういう感覚自体が私自身に宿っているルッキズムなのかもしれないと思いつつも、なんとなくもやもや感が残る鑑賞でした。
https://www.bitters.co.jp/kajitsu/

 

2026年2月7日(土)

私は翌日告示される日野市議会議員選挙への立候補が決まっていて、さらには翌日投票日を迎える総選挙でも一日本共産党員として選挙活動をしていた。連日の活動では疲弊してしまうので、週一日は休むことになっており、この日は吉祥寺に出かけて映画を観ることにした。吉祥寺の街は騒然としていた。この選挙区の自民党候補者の応援に、小泉進次郎が来るというのだ。総選挙の結果は自民党の圧勝。武蔵野市でもこの盛り上がりなのだから仕方がないと思いつつ、有権者の心理は理解できていない。

吉祥寺アップリンク 『在日ミャンマー人』
ミャンマーの軍事クーデターのことは知っていたし、フォローしているInstagramのアカウントでも日本でのミャンマー支援活動については頻繁に情報が流れてきていたが、事実関係や、そうした活動をどのような人が、どのような思いでやっているかについては全然知らなかったので、非常に勉強になった作品。
日本政府がクーデターを起こしたミャンマー国軍側に立っているという話は報道で目にしていたが、日本ミャンマー協会など日本とミャンマーの深い関係を知ることができる。また、ミャンマーのために活動している日本人、両国の関係改善のために活動しているミャンマー人、技能実習生として日本で生活している多くのミャンマー人、それぞれのより具体的な姿が見えるのがドキュメンタリー映画の存在意義だと感じる作品だった。
なんと、上映後は急遽監督による舞台挨拶があった。土井敏邦監督の過去作品もチェックしておきたい。
http://doi-toshikuni.net/j/myanmar/

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【映画日記】『映画キミとアイドルプリキュア♪』『杜人』『ズートピア2』

2025年9月23日(土)

府中TOHOシネマズ 『映画キミとアイドルプリキュア♪』
すっかり映画を観られなくなってしまった。この映画日記はだいたい3本の映画を観たら、まとめて書いて、アップするようにしているが、2本目を観た時点で、1本目が1ヵ月前の作品になってしまった。そうなったら、正直もう前に観た作品は覚えていない。
当然、こちらの作品は娘と一緒に観に行ったもの。今回はとある島を舞台に世界中のアイドル(とそのファンたち)が集結して音楽フェスティバルが開催されるという設定で、アイドルプリキュアたちも招待される。しかし、その島は謎の生物体に侵食されるという危機に瀕していて、プリキュアたちがそれを救うという物語。まあ、有体の展開ではあるが、2本目に観た作品と環境をテーマにしている点では共通している。プリキュアにおける悪は、誰の心にも潜んでいるものが顕在化したもので、最終的にはそれが浄化されて解決するというストーリーになっている。こういうストーリーはプリキュアファンの子どもたちの心に何を残すのだろうか。
https://2025.precure-movie.com/

 

2025年10月25日(土)

七生公会堂 『杜人』
私は今、日野市にある北川原公園で2年前に始めたおまつりの実行委員として活動している。その委員の一人が紹介してくれた映画上映会。そのおまつりの関連で、先日落川交流センターという日野市の施設にお話をうかがいに行った。今、そこを運営するのはNPO法人の「おちかわの里」。そこで勤務している男性に話を聴いたのだが、その方のことは以前から知っていた。日野市では「プレイパーク」が定期的に2ヵ所で開催されている。プレイパークとは、草木のしげる公園にロープなどを張って綱渡りやブランコなどの手作り遊具を設置して、あとは子どもたちの好きなように遊ばせる。大人たちは子どもの遊びには干渉せずに、時には一緒に遊び、万が一の場合に備える、そんな遊び場の提供。昔だったら子どもたちだけでやっていたようなことではあるが、個人的には現代の日本社会では子どもたちを屋外で遊ばせるにはこれが最善だと思う。私も子どもが小さい頃に何度か遊びに行ったけど、うちの子どもたちには馴染まなかったようだ。ただ、この落川交流センターでは、餅つきや流しそうめんなど、季節ごとの行事があり、それと併せてプレイパークも実施しているので、その後も何度か訪れたことはあった。
その落川交流センターにおけるプレイパークが本作に登場するという話をうかがっていたが、本当に最後の最後、本編というのではなくエピローグに映像だけという扱いだった。それはともかく、非常に興味深い内容だった。主人公の矢野智徳さんが、杜人になる経過を語るシーンで、北九州の生まれだが、大学は東京都立大学に進学して地理学を学んだと語っていた。そう、まさに私の出身大学、出身学科。そして、私も学んだ堀 信行さんが登場する。いやあ、と思いつつ、都立大地理学科を卒業してこんな変わった造園家になる人がいるんだとひどく感心する作品だった。ともかく、彼のような仕事は資本主義の経済システムでは厳しいと思うが、このような仕事がまさにありうべき労働の姿ではないかと思った。あらゆる労働がこうなったとき、社会主義・共産主義の実現ということになるのだろうか。とはいえ、労働賃金や労働時間という概念自体が量的に計測できないような労働の形になるのかもしれない、と考えるときに、その実現がさらに困難なものにも思えてくる。
https://lingkaranfilms.com/

 

2025年11月17日(月)

府中TOHOシネマズ 『サンリオピューロランド Miracle Gift Parade グランドフィナーレ ライブ・ビューイング』
サンリオピューロランドは独身時代に一度、そして結婚して家族4人で一度行ったことがある。その家族といったときにパレードを観て感心したのだが、私自身はその後行こうとは思わなくなった。一方で娘は今年年間パスポートを購入し、母娘で月に1度はでかけている。今回10年間続いたパレードが新しいものに入れ替わるということで、その最終日のようすをTOHOシネマズのライブ・ビューイングで上映するというので観に行くこととなった。最終日は月曜日の平日だったので、当然学校があるのだが、最後の最後は生中継ではなく、録画で夜上映するというので、こちらを観に行った。私はパレードというのは何種類かあって、それを交互に上演していると思っていたが、同じものを毎日やっているとのこと。よくまあ、毎月のように行って、これを観ていて、さらに最後のものは録画でも観たいというのだから驚きだ。しかも、普通の映画より数倍高い値段設定。子ども料金もない。私は好き好んで観ようと思わないものだが、その概要は観ながら思い出した。「闇の女王」なるものが登場し、幸せいっぱいのカラフルでファンシーなサンリオキャラクターたちの世界から色彩を奪い去って、失意の底に陥れる。それを観客のライトの応援も得ながら、色を回復していくというストーリー。よくはできているとは思うが、私にはついて行けません…
https://liveviewing.jp/sanrio-puroland35th/

 

2025年12月21日(日)

府中TOHOシネマズ 『ズートピア2』
本作の主要登場動物に蛇がいる。娘は蛇が苦手だが、1作目が面白かったので、今回は蛇を克服しても観たいというので観に行った。この手のポピュラーなシリーズ映画は前作を観なくても十分に楽しめる内容にはなっているが、けっこう展開が早くてついて行けない個所もあった。しかし、なかなか奥深い設定で、『マイ・エレメント』と同様に、動物の種の違いを人種や民族の違いになぞらえて、多文化共生社会を推進する映画だといえる。最後の最後で、次回作を仄めかすような演出もあった。1作目は基本的に哺乳類、今回は爬虫類や両生類、次回は鳥類なのだろうか。
本作では、ウェザー・ウォールというのが登場し、動物たちがウェザー=気象条件を人工的(人ではないが)につくりだすことによって生まれたのがズートピア=ユートピア的動物園、ということになる。エリアごとに気象条件を作り出し、その気象条件に適した動物種を住み分けさせるという方法だ。人間になぞらえれば、人種ごと、民族ごとに住み分けをして、人種・民族の混合をしないようにすれば、余計な争いごとはなくなるというような発想になる。特に、本作は哺乳類のオオヤマネコがズートピアを作り出し、爬虫類や両生類に適した環境を縮小させ、ついにはなくしてしまうというジェノサイド計画を、主人公のウサギとキツネのコンビが止めるというストーリー。結局は登場人物が動物であるということもあり、多文化共生がこの社会の目標ではなく、あくまでも住み分けを前提としての各地区の面積確保というところが目標になっているようだ。ここから、この作品を観る人間たちはどんな教訓を得るのだろうか。
https://www.disney.co.jp/movie/zootopia2

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