オリンピック,メガイベント関連文献(英語編10)

Swart, K. and Bob, U. (2004): “The Seductive Discourse of Development: The Cape Town 2004 Olympic Bid,” Third World Quarterly 25 (7): 1311-1324.
南アフリカ共和国による2004年オリンピック大会の招致については,この論文でも引かれているように,Hillerによる2000年の論文がある。また,南アフリカ共和国についてはこの論文を読み終えた後に,宮内洋平『ネオアパルトヘイト都市の空間統治』(2016年,明石書店)を読み始めてしまったため,この論文の印象がかなり薄れてしまった。この論文でも,この招致活動が具体的にケープタウン都市内の施設配置や地区計画,インフラ整備などに与えた影響などは考察対象ではない。グローバル資本において,招致活動が都市間競争に与えた影響といったあたりが考察対象となっている。今回の招致はアフリカ大陸から初めてのものだったが,2016年リオデジャネイロ大会がまだ決定していないこの時点では,一方の南米からの招致はすでに1936年にブエノスアイレスからなされている。南アフリカ共和国は民主化以降にメガイベント招致を積極的に行い,1995年のラグビー・ワールドカップ,1996年にサッカーのアフリカ・ネーションズ・カップが開催され,オリンピック招致へと乗り出している。Hillerの論文にもあったが,ケープタウンは「人間の開発」をテーマに掲げた。この大会への招致は11の都市が名乗りを上げ,ケープタウンは1選考に残った5都市のうちの1つとなった。IOCとしては,五大陸を示す五輪を全うするためにもアフリカ大陸での開催を目指しているが,ケープタウンは最終的に落選した。IOCのアフリカ人委員もケープタウンにはほとんど投票しなかったといわれている。ケープタウンの犯罪率の高さは観客の安全を確保できない,などが大きな理由である。ただ,この招致活動は世界に対してアパルトヘイト後の世界に対する新たなイメージを提示したという意味では遺産を残したといえる。今後は人間の開発という意味でも,招致過程に市民参加を含めていくことが課題だといえる。

 

O’Bonsawin, C. (2010): “’No Olympics on Stolen Native Land’: Contesting Olympic Narratives and Asserting Indigenous Rights within the Discourse of the 2010 Vancouver Games,” Sports in Society 13 (1): 143-156.
知り合いではなかったが,この雑誌を所蔵する大学の地理学者にお願いしてコピーしていただいた論文。本当にこういうのありがたいです。さて,カナダのオリンピック招致,開催事情はこれまでもいくつかの論文を読んできましたが,この論文は先住民の扱いに関してです。論文タイトルを読んだ時にはボイコフが論じている反オリンピック運動について詳しく知ることができることを期待していたが,読んでみると,運動そのものではなく,なぜ五輪に反対するのかという動機を詳細に検討したものだった。オリンピックにおけるジェンダーや人種,エスニシティの問題は日本でも井谷聡子さんという人が論文を書いていて,このバンクーバーの「No Olympics on Stolen Native Land」についても書かれている。五輪開催都市/国の先住民問題で有名なのは2000年シドニー大会だが,2002年ソルトレイクシティ大会と一緒に論文の前半で触れ,「どちらの事例においても,先住民の人々は名目的なかつ取るに足らない役割へと追いやられている」(p.144)と述べられている。オリンピックの開会式ではそうした先住民を登場させたり,またそのモチーフだけを美的に利用したりしてその開催国の文化的多様性を強調し,その多様性を包摂する調和した社会が表象される。バンクーバー大会でも9つの先住民(First Nationと表現するようですね)から200人の代表が開会式に登場し,250人の非先住民のダンサーが「インディアン」のような恰好をして躍っていたという。カナダでは1988年のカルガリー大会でも先住民活動家による活動があったようです。この論文では,土地をめぐっての植民者の観点と先住民の観点について,カナダ連邦政府とブリティッシュコロンビア州の法律,オリンピック憲章と国連との関係など,丁寧に検討されています。IOCは国連が主張する持続可能性や公正な手順などを組み込んで,「アジェンダ21」を採択します。しかし,2つの深い欠陥があると指摘しています。1つはそれがオリンピック憲章にしっかりと固定されていないこと,2つめは周縁化された人々の基本的な人間的必要と権利を考慮していないことだといいます。今後は反オリンピック運動の主張に真摯に耳を傾け,オリンピズムに人権の問題をしっかりと組み込むことが要求されます。

 

Sebastião, S. and Lemos, A. (2016): “The Community Voice in the Preparation of a Mega-event: Rio 2016,” Cuadernos.info 39: 209-224.
ポルトガルの政治学者による2016年リオデジャネイロ大会に関する論文。地元住民の声を地元3紙の新聞報道からくみ取った研究。パブリック・リレーションに関する研究がベースにあります。2013年の新聞でリオ大会に関する119の記事に対して,定量的分析と定性的分析をしています。定量的分析からは必ずしも地元住民の声を反映できるわけではありませんが,鍵となる主題を記事数でランキングした2位に「Protest」が挙がっていたり,競技施設の建設現場で死者が出た事件の記事が多く,「準備における問題」が3位だったりして,五輪開催に否定的な声が新聞にそれなりの頻度で登場します。質的分析では,そうした住民の声や行為者,関心に焦点を合わせたものになっています。「コミュニティの声」は組織によって,その主要人物がジャーナリストに接触して新聞報道として公の場に届けられます。リオ大会では,スタジアムの民営化や数千世帯の立ち退き,インフラ建設や湾岸汚染の浄化などをめぐって市民の反対運動が起こっています。リオではワールドカップとオリンピックに反対するCPRCOという団体が組織され,住民の排除をめぐって市長との会合を要求したそうです。

 

Hiller, H. H. (1998): “Assessing the Impact of Mega-events: A Linkage Model,” Current Issues in Tourism 1 (1): 47-57.
以前紹介したOldsの論文は他人に複写依頼をしてようやく入手したものだったが,そのコピーに含まれていた次の論文がこのヒラーによる論文。ところが,ヒラーは自らのサイトでほとんどの自著論文をPDF公開しているので,難なく入手。こんなきれいなPDFがあるのだったら,Oldsのも公開してほしかった。さて,ヒラーは1990年代後半からメガ・イベントおよびオリンピックについての研究を進めている社会学者だが,この頃は特に南アフリカ共和国を専門的に調査していたようです。この論文の前半はタイトル通り,メガ・イベントのインパクトを評価するモデルの提示ですが,後半は2004年オリンピック夏季大会へのケープタウンの招致に関する事例となっています。まず,インパクト評価に関してですが,従来の研究は原因-効果関係を特定することが主眼でしたが,もっと広い視点で考える必要性を訴えています。そこで出されるリンケージモデルとは,原因→効果の一方向的時間軸だけではなく,フォーワード・リンケージという従来通りの原因→効果の時間の流れと,バックワード・リンケージという結果→目的・背景という逆の流れを想定し,さらにパラレル・リンケージというものを設定し,副次的な効果を分析に組み入れています。原因-効果というと,目的が達成されたという計画上の問題だけですが,想定外の効果が正負両方含まれるというのが,メガ・イベントです。
ケープタウンの事例に関しては,この論文自体が招致初期段階に書かれていることもありますが,バックワード・リンケージに関すること,特に住宅と移転に関することが考察されています。まず,招致委員会が地元からの批判を最小限にするためにはそうしたことへの配慮が必要です。しかし,都心近くでの低賃金住宅の供給が望まれましたが,多かれ少なかれその問題は無視されたといいます。全国的には2,3百万戸の住宅が必要だとされていましたが,1999年までに政府は百万戸の建設を目標にしていたという。西ケープに位置する黒人タウンシップには東ケープからの国内移民がやってきて,数千人が掘っ立て小屋のような不適切な住居で暮らすという。オリンピックによって都市の状況が改善されるという期待によって,オリンピック開催への支持は白人よりも黒人の方が高かったようですが,この時点でのそうした貢献は疑問視されると結論付けられています。

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ネオアパルトヘイト都市の空間統治

宮内洋平 2016. 『ネオアパルトヘイトの空間統治――南アフリカの民間都市再開発と移民社会』明石書店,437p.6,800円.

とある研究集会で本書の著者と会った。飲み会の席で近くになり,彼の研究を全く知らないまま,いろんな話をさせてもらった。私自身は南アフリカについて大した知識もないが,オリンピック関係の論文を読む中で,ケープタウンが2004年夏季大会に立候補していたこと,2010年にサッカー・ワールドカップを開催したことなどを知っていたので,そんな話をさせてもらっていた。自宅に帰って調べると,本書がすでに3年前に出版されていて,しかも人文地理学会で賞を受賞していたことを知り,何も知らずに話をしていたことを恥じた。その場では,今度彼を報告者とした研究会の企画の話が進んでいたこともあり,本書を読んでその研究会に臨むことにした。

序章 自由の迷走
1章 南アフリカと新自由主義
2章 例外空間と構造的不正義
3章 アパルトヘイトとフォーディズム
4章 インナーシティの空間編成史
5章 ヨハネスブルグのクリエイティブ産業
6章 「光の都市」の誕生
7章 「闇の都市」に生きる移民
8章 「光の都市」のネオアパルトヘイト
9章 「光の都市」の社会工学
10章 「光の都市」の葛藤
終章 正義への責任のために

とても読み応えのある一冊でした。博士論文が基になっているということもあり,前半では理論的な議論が続く。第1章では南アフリカの現状を英文文献で概観し,「新自由主義時代の生権力論」と題し,フーコーの「生権力論」を,ハーヴェイやバウマン,ポランニーやアパデュライなどの議論を通じて現代的文脈で再解釈する。第2章はヨハネスブルグにおけるゲーテッド・コミュニティの現状を紹介しながら公共空間論へと展開し,アイリス・マリオン・ヤングの「構造的不正義」という本書の一つのキーワードにたどり着く。
3章では,南アフリカではアパルトヘイトが廃止された後も移民労働に頼っている現状が語られる。もともとヨハネスブルグは金鉱が発見されたことで多くの移民が集中してできた都市だという。アパルトヘイトが正式に成立したのは戦後の1948年だが,1994年に撤廃されるまで黒人にはろくな教育も与えられていなかったため,その時点で成人していた黒人たちは労働者としての最低限の技術も身につけていない人が多いという。民主化以降,南アフリカは経済成長をしていくが,その際に必要な労働力として黒人はあまり役に立たず,周辺諸国からの移民が必要な労働力を提供しているのが現状だという。アパルトヘイトが撤廃されても,資本主義の自由経済を優先する新自由主義的政策の下では,白人中心の企業経営に低賃金労働者の黒人という図式のもとで,アパルトヘイトと同様の状況が継続する。それをネオアパルトヘイトと呼ぶらしい。
4章ではヨハネスブルグのインナーシティの状況が歴史的にたどられる。ヨハネスブルグは金鉱でにぎわった都市なので,それなりの資本蓄積で,早くから高層ビルなどが立ち並んでいた。世界的な都市化→郊外化の流れに従って,白人の富裕層は都心を離れ,新都心と呼ばれる「サントス」という地区に移動し,企業の本社なども移動する。残された都心のビルは放置され,先ほど述べた近隣からの外国人労働者によるスクウォッティング,またはマフィアのような組織による乗っ取りが行われ,劣悪な環境で貧困層が所狭しと住まうという。黒人はもともと黒人地区として隔離されていた「タウンシップ」に隔離政策が終わった後も相変わらず住み,またかつて炭鉱などで働く単身黒人男性のために建てられた「ホステル」なる集合住宅に住み続けるという。民主化以降,政府はそうした黒人向けに大量の社会住宅を建設しているようだが,量的には足りていないという。そんなインナーシティを,政府は「都市改良地区」と定め,民間資本を利用して再開発を行っている。第5章ではそんな再開発で,リチャード・フロリダのいうクリエイティブ産業が一つの役割を果たしていることが紹介される。アート・フェスティバルが開催され,アーティストたちが住みつき,賑わいを見せ,他のイベントが模様され,複数の地区でクリエイティブ産業が立ち上がっていく。
6章では,そんな地区がいくつか紹介される。ニュータウン,ブラームフォンテイン,そして著者が集中的に調査したマボネンである。これまでにはほとんどなかったミニシアター系の映画館や小劇場,ギャラリー,ナイトクラブ,バーやカフェが立ち並ぶ。こうした地区に投資する起業家たちは,放置されたビルを買い取り,リノベーションし,オフィスを構え,さらなる起業家のためのシェアオフィスを作ったりする。まあ,いわゆるジェントリフィケーションですね。そのマボネンという地区は,リーブマンというユダヤ系の青年実業家がPT社という会社を立ち上げ,この地区をほぼ1社(子会社を含む)で再開発を進める。各地で再開発が進むとはいえ,ヨハネスブルグは相変わらず危険な都市であることは変わらないので,この地区は監視カメラや警備員を配置し,オフィスや住宅は入館警備を徹底する。そうすることで,この地区で働き,また遊びに訪れる者たちの安全を確保している。
7章では,そんなジェントリファイされたマボネン地区のすぐ近隣では,古い移民である南アジア人やアフリカ人が経営するさまざまな店舗が紹介される。それなりの技術を持って移民労働者としてやってくる外国人とかつてアパルトヘイトに苦しめられた南アフリカ人との間には不和がある。どこでも同じような状況だが,最下層の人たちは移民によって自分たちの職が奪われたという妬みがあるのだ。インナーシティではそんな下層民たちが独自に行うインフォーマル経済の様子が報告される。八百屋や床屋,パン屋や食堂など。南アフリカ共和国国土内に含まれるレソトという王国からやってくる移民の多くが廃品回収の担い手となっている。その廃品回収業者もインフォーマルとフォーマルとに分かれているとのこと。マージンを引かれて移民たちにどれほどのお金が渡るのだろうか。先述したホステルの様子も報告される。
8章ではマボネンを再開発しているリーブマンのPT社をめぐって,メディアなどに寄せられる批判とリーブマンの主張などが検討される。この辺りが日本とは異なり,健全な気がします。例えば,日本では森ビルという会社が,六本木や虎ノ門の再開発を次々と手掛けたが,かれらのやり方に対する表立った批判はあまり目にしていないと思う。多くの人はそのやり方に不満を抱いていると思うが,公の場でその是非を問うことはまずしない。そもそも,こうしたクリエイティブ産業地区に集うのは,人種を超えて高学歴の富裕層であるとのこと(ただし,他の改良地区ではこうした人種のミックスはほとんどないとのこと)でそうした議論が可能になるのだろう。その議論では「ジェントリフィケーション」という日本では学術研究者と一部のメディアしか使わないような言葉が日常的に使われる。そして,それはもちろん否定的な意味において。第9章では同じマボネンの話で,実際にかれらの再開発がこのかつては無秩序状態だったヨハネスブルグに何をもたらしたのか,ということが再検証される。少なくとも一部の人にとって,この地区は安全で健全な企業活動,文化活動ができる場所に「改良」された。しかし,それが故に今度はこの地区とその近隣地区との格差が明確になる。そして,第10章で論じられるように,整然とした一画に生まれ変わったマボネンだが,ある意味それはグローバル都市の仲間入りであり,アフリカの都市であるという土着性を失うことでもある。同時にその地区で活動するアーティストはそのことで自らのアイデンティティに対して疑念を抱くことにもなり,アフリカへの回帰,ないし再発明ということも起こってくる。ズーキンやスミスのジェントリフィケーション論をようやく私は学ぶようになったが,ひそかに抱いていた疑念があった。それはジェントリフィケーションを批判する研究者は,そこで排除の対象になるスラムや貧困者をどうしたいのかということが分からなかった。ホームレスとして生きるのも人権のうちなのか,衛生という思想は近代に生まれたものだが,不衛生という状態も存在する価値があるのか。経済発展が不要だという議論には賛成するのだが,生死の境を生きる最底辺の人々の生活はどうなのか。まあ,そういう論者は単なる開発の問題だけでなく,社会的な不平等を訴えているから,社会全体の問題が解決すれば貧困層の人々が減るのだろうかともかく,色々考えさせてくれる読書でした。

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オリンピックと近代

マカルーン, J.著,柴田元幸・菅原克也訳(1988a):『オリンピックと近代―評伝クーベルタン―』平凡社.MacAloon, J. J. (1981): This Great Symbol: Pierre de Coubertin and the Origins of the Modern Olympic Games, Illinois: The University of Chicago Press.

マカルーン編『世界を映す鏡』に収録された「近代社会におけるオリンピックとスペクタクル理論」を読んでから,本書も読むべきだと思い,非常勤先の大学図書館で借りて読み始めた。ポール・オースターの翻訳で知られる柴田元幸氏が手掛ける翻訳で,645ページに及ぶ大著。以前,本書を手に取って目次は見たことがあった。本訳書の副題通り本書はあくまで近代オリンピックの父であるクーベルタンの伝記であり,1896年の第一回アテネ大会で締めくくられているため,今更読む必要はないと考えていたが,読み始めてその考えは変わった。著者は米国でオリンピック代表選考にかかるくらいの陸上選手であったとのこと。1968年のメキシコ大会を目の当たりにして,自分はそこに選手としている場ではないと実感するとともに,そのひきこまれる魅力について理解したいと思い立ち,学問の世界に入ったという。彼が身を置いたのは人類学。上述の編著にも寄稿しているヴィクター・ターナーへの謝辞が本書にもある。人類学に入門しながらも博士論文で取り組んだのが本書。同じく,編著に寄稿し,謝辞に名前が挙がっている歴史家,ナタリー・ゼーモン・デーヴィスらが始めた民族誌学的歴史学の影響も大きい。ともかく,注釈の多い本書は丁寧に歴史を紡いだアカデミックな書である。
緒言
第一章 ラオコーン――悲劇の予感
第二章 貴族の家柄
第三章 アーノルドとの出会い――スポーツの発見
第四章 スポーツ教育
第五章 オリンピックの理念
第六章 近代オリンピックの誕生
第七章 仕掛けとしてのオリンピック――第一回アテネ大会
第八章 結び――オリンピックと近代
冒頭にボルヘスの「中国の地図制作者」についての解説がある。正確には「学問の厳密さについて」というタイトルで,岩波文庫『汚辱の世界史』に収録されたものだが,この1分の1の地図に関しては,ウンベルト・エーコやジャン・ボードリヤールも論じており,若林幹夫『地図の想像力』の冒頭を飾る議論でもある。本書でこの説話が取り上げられているのは,ミイラ取りのミイラのように,この巨大で複雑で多くの人を夢中にさせる魅力を持ったオリンピックというものを学問の対象として理解することは難しく,足を踏み入れようものなら客観性というアカデミックの足場を奪われてしまうということを言いたいがためである。著者はオリンピックの魅力を理解しようと,それに関する文献を漁るが,学術的な客観性,オリンピズム的価値観から中立な立場を有する文献には出会えなかったという。一方で,正当な学問はオリンピックという社会的に大きな影響を与えている現象に背を向けてきたのだという。それならば,ということで著者は学術界に転向した。
そして,「オリンピックという事業を興味深いものとしている性質,すなわちそのスケールや,複雑さや,意味の多様性こそが,総合的な研究を困難にしている」(p.12)という理解に至り,「この男(クーベルタン)について,その人生のドラマと生きた環境について理解することなしに,近代オリンピックの起源はもとより,その不変の「構造」を理解することもまた不可能である」(p.14)との観点から,まず手掛けたのがクーベルタンの伝記となったわけだ。第一章はその全体像を象徴するイコンとしてのラオコーンの存在が示される。第二章では,彼の家系図の復元から,19世紀ヨーロッパにおける家系図の社会的意義と貴族階級における近在的個人について論じられる。特に,彼の父親は画家として多くの作品をサロンに出品しており,その辺りの美術史的な考察も興味深い。ちょうど以前紹介したように同じ時代の画家クールベについていくつか本を読んでいたし,それこそその時代背景を描くハーヴェイの『パリ』も読んでいた。そうした歴史的含蓄のあるオリンピック研究は非常にまれであり,1981年に原著が出版された本書であるが,今読む意義も十分にある。若かりし頃のクーベルタンの思想に関しては,これまでの研究でほとんど取り上げられてこなかった偽名で発表された自伝的小説「ある王党派共和主義者の物語」を詳細に検討している。ちなみに,マカルーンは「意味の問題が20世紀の問題だとするならば,クーベルタンは本質的に19世紀から抜けだすことはなかった。」(p.27)と述べ,新しい近代イベントを生み出したクーベルタンをそのイベントの真意を理解できない古い人間とみなしている。
クーベルタンがなぜスポーツに目覚めたかということについては,これまで読んだ文献でも有体の説明があった。英国のパブリック・スクール教育を維新したとして知られるトマス・アーノルドに感化され,スポーツによる教育的効果によりフランスの軍隊をもっと強いものにできると考えた,という感じの説明だ。第三章はその辺りの事情を詳細に検討している。まず,クーベルタンは英国に渡るわけだが,これにも当時フランスから英国に渡る人が多かったことが確認され,そんなフランス人による報告のなかでもイポリット・テーヌという人物の『イギリス覚書』が詳細に検討される。実際にクーベルタンはアーノルドが校長だったラグビー校をはじめ,多くのパブリック・スクールを訪れたということだが,アーノルドについてもさまざまな資料を検討している。特に,クーベルタンが理解したアーノルドは,アーノルド本人ではなく,彼について書いているトマス・ヒューズの『トム・ブラウンの学校生活』とスタンレーの『トマス・アーノルドの生涯と書簡』という性質の異なる2冊の本がクーベルタンに影響を与えたという。
第四章は,クーベルタンが寄稿した雑誌の発行元である「社会経済協会」についての詳細な検討から始まり,その主宰者であるフレデリック・ル・プレという人物の思想のクーベルタンへの影響を検討する。クーベルタンの頭の中に漠然とあった「スポーツ」が具体的な形で社会変革の道具として形をなしていく。「国際的スポーツ活動を管理すべく彼が創り出すことになる国際オリンピック委員会も「非イデオロギー的」な組織をめざしたものであったが,そのモデルとされたのが,テーヌが称賛していたイギリスの「庇護」団体であり,政治学学校であり,社会経済協会-社会平和同盟であった。なかんずく協会の場合はIOCのすべての原則の先例となっている。」(p.190)クーベルタンは一時期,その政治学学校にも通っていたのだ。1880年代後半ころから,クーベルタンは積極的に自分の思想を表現するようになり,その思想を組織づくりという形にするようになる。「そして後年クーベルタンが主宰することになる諸団体の名簿には,医学者や,生理学者や,実験心理学者の名前はほとんど登場することがない。これはスポーツ組織と正統的な科学が袂を分かったことを象徴的に示している。このことが1950年代および60年代までの欧米スポーツ文化を特徴づけることになるのである。」(p.221)本書ではクーベルタンの同時代人として,進化論者のハーバート・スペンサーや社会学者のデュルケームなどを登場させるのも面白い。次の引用にあるように,クーベルタンが妄想するスポーツ教育をオリンピックという祝祭へと結びつけるのにヒントを与える人物が登場する。「だがクルーゼには,クーベルタンにそれまで欠けていたものがあった。すなわち,スポーツ競技の背景となるべき祝祭への興味である。クルーゼは,中世の学生の祭典である「定期大祭」の復活を呼びかけた。そして,この「学校の若者たちのための盛大な競技祭典」が1889年と90年の二度にわたって開かれたのである。」(p.228)
第五章の冒頭は,クーベルタンが1889年に渡米するようすから描かれる。先日した渡英と同様に,クーベルタンは何かに行き詰まると外国旅行をし,インスピレーションを受けてくるという。特に,次の引用のように,米国はクーベルタンのお気に入りになったようだ。「クーベルタンが精力的に書いた,アメリカを題材とした記事,アメリカ人読者に向けて書いた記事の数(およそ50)。「ある王党派共和主義者の物語」の舞台をアメリカに設定し自分の分身的人物をアメリカ人の娘と婚約させたこと。オリンピックにおけるアメリカ人選手たちの活躍を彼が我がことのように喜んだこと。そして,第三回オリンピックの開催権をアメリカに与えたこと。いずれを見ても,彼の「アメリカ熱」がいかに高かったかを物語っている。」(p.258)第五章は,クーベルタンが英国,そして米国から学んだスポーツ教育という思想を,オリンピック競技大会という具体的な実践に結実していくための影響が一つ一つ確認される。そして,当時ヨーロッパ最大のイベントであった万国博覧会もクーベルタンに大きな影響を与える。「また,厳密に証明することは不可能であるとしても,クーベルタンが古代スポーツをめぐる自らの思想を系統立てるために主要な情報源とし,ドイツ人によるオリンピア発掘の成果を知る媒体となったのがデュリュイの『ギリシア人の歴史』だったという可能性は,きわめて高いと私には思える。」(p.292)という引用から,古代オリンピックの復元を,そしてその先例としての試みがクーベルタン以前に存在する。いくつか引用をつぎはぎしよう。「近代オリンピックの真の原型が現われたのは,1830年代のスウェーデンにおいてである。その指導的立場にあったのは,ルンド大学のグスタフ・ヨハン・シャルタウ教授であり,1834年7月,教授はレムロサで「古代オリンピック大会を記念して」全スカンジナヴィア・スポーツ大会を組織した。」(pp.297-298)「クーベルタンはパリにおいて地方規模のスポーツ大会をいくつか組織しているが,それは基本的には,このより大きな目標に向けての土台作りだったのである。そして彼は,クルーゼの提唱する「定期大祭」のような「ローカルな忠誠心」を支持しなかった。」(p.303)「このギリシア・オリンピック競技会は,エヴァンゲロス・ザッパスという人物の発案によるものであった。・・・そこでザッパスは,王と政府に対し,スポーツ大会を産業見本市と組みあわせ定期的に開催することを提案した。見本市は実現しなかったが,「オリンピック競技会」の方は,ザッパスが費用を負担し,1859年にその第一回が開かれた。結果はあまりぱっとしたものではなかった。」(pp.305-306)第5章は以下のように締めくくられる。「要するに,「オリンピックの理念」は,四方八方からクーベルタンに向けて迫ってきていたのである。やがて彼に与えられることになる「改革者」という称号は,オリンピック大会復活のアイデアを思いついたことにではなく,その夢を現実にしたことに対して与えられるべきものなのである。」(p.309)
1896年の第1回オリンピック,アテネ大会については第7章で論じられ,第6章はそこに向けての組織づくりと大会準備にあてられる。クーベルタンは1890年に,サン=クレールという人物と共同で「フランス競技スポーツ競技連合(USFSA)」を結成する。最終的にこの組織がIOCと国際競技連盟(IF)へとつながっていく。「社会学者アルヴィン・グルドナーが指摘したように,ギリシア・スポーツとは,紀元前五世紀において都市に住むギリシア人の生活全体を支配していた,「競争」のパターンを好む性癖の,一つの表われにすぎないのである。」(p.347)少し後の次の引用のように,近代スポーツとなってその性質は普遍的なものを目指している一方で,本来のスポーツの在り方は土着的なものだったようで,オリンピック競技大会はその差異を巧妙に利用しているともいえる。「次にクーベルタンは,現代の体育教育における二つの流れを概観する。一方は体操派であり,スパルタから始まって,ナポレオンに敗北した後のプロシア,普仏戦争敗北後のフランス,南北戦争以後のアメリカへと続く。もう一方は「個人のためのスポーツ」を掲げる派で,アテネに始まり,アーノルドとキングスレー,ヨーロッパ・南米に広がったスポーツ・クラブ,そして「西欧の多くの有名なクラブに少しもひけをとらない」アテネのクラブへとつながる。クーベルタンの説くところによれば,前者は戦争の準備につながり,後者は平和を育む。」(p.373)この差異を普遍的なものに導いていくのに,ギリシアが重要な役割を果たす。「「ヘレニズム」はおそらく,パリ会議に集まった人々にとって,発展途上の近代スポーツ界につきまとっていた対立や派閥争いを,しばらくの間棚あげすることを可能にしてくれる,唯一の象徴・理念の集合体だったのである。」(p.348)
本書でマカルーンはメディア分析も行っている。「誕生のその瞬間から,オリンピックは新聞編集者にとって,報道体制をめぐる問題の種となってきたのである。」(p.350)そしてその特徴は,第1回から現代的な特徴をかなり有していた。第7章からの引用を先取りするが,つまりは1896年アテネ大会を忠実に再現するには当時の報道が重要である。「この大会のみならず,その後のすべてのオリンピック大会に現われることになる,膨大な量の通俗民族誌学的な国民性観察がここですでに始まっているわけである。」(p.431)「新聞,民話,諺,ゴシップの場合と同じく,文学がオリンピックのパフォーマンスを取り込む時も,多くの場合は通俗民族誌学を取り入れ,神話,歴史,文学,宗教上の,時には実に意外な種々なるモチーフを付け加えるのである。」(p.474)
話を第6章に戻すと,1894年にクーベルタンは「パリ国際スポーツ会議」を開催し,第1回のオリンピック競技大会は1900年にパリでオリンピックを復活させる計画であった。しかし,会議の審議中に4年前のアテネ開催が審議され,急遽決定したのだという。その後のギリシアの情勢のなかで,ギリシア側は大会開催の困難をクーベルタンに訴えてくるが,クーベルタンはギリシアを訪れ説得する。「オリンピックは有益にも有害にもなりうるが,危険を冒してみる値打ちは十分にある,というわけである。」(p.361)アテネでの開催が決定され,準備が進んでもヨーロッパ各国への選手招待に関しても問題が続出するが,この時にクーベルタンは動かなかったという。なんと,この時期にクーベルタンは妻を迎え,さらに「1895年から96年初頭にかけて,クーベルタンがもっとも精力を注いだのは,『第三共和制下のフランスの発展』の執筆である。」(p.407)マカルーンは,そんなクーベルタンの歴史研究についても随分ページを割いている。第7章は1896年アテネ大会について詳細な記述が続く。観戦客のほとんどはギリシア人だったが,外国選手の活躍にも称賛を送るような雰囲気もこの頃からあり,特に大会終盤で行われたマラソンの優勝者がギリシア人だったこともあり,開催を渋っていたギリシア政府であったが,大会終了後はこの大会はずーっとアテネで開催され続けるべきだと国王が言い出すこととなり,そこに居合わせた多くの人たちもこれに賛同する。もちろん,開催地を巡回させると計画していたクーベルタンにとって,それは許容できるものではない。「第二に,相当な数の外国人観光客が訪れなければ,ギリシアは大会の出費を賄えない恐れがある。」(p.493)などと,いくつか具体的なギリシア開催否定論を持っていたが,それに止まらず理念上もそのことは認められない。「愛国主義と国家主義を区別することこそ,オリンピズムおよびオリンピック運動のイデオロギー的側面に彼が与えた根本的な遺産である。」(p.511)結局,ギリシアはクレタ島をめぐてトルコと戦闘状態に入り,惨敗する。
本書の終盤はそのほとんどを書き留めておきたいと思うほど,濃厚な考察が続く。特に,後ほど長文の引用をするように,愛国主義,国家主義,国際主義,世界主義という当時のヨーロッパ人が幾重もの広がりを見せる世界観のなかで,クーベルタンが身につけ,オリンピック運動という形で広めようとしたものの考察がなされる。しかし,次の引用にあるように,1896年アテネ大会ではクーベルタンの理想の姿が見られたものの,その後においてはそうでもなかった。「1900年のパリ大会,1908年のロンドン大会において,クーベルタンは,オリンピック選手たちでも,ほかの選手たちに対し島国根性的,国家主義的な態度を示すこともあるのだという事実を,まざまざと見せつけられることになる。」(pp.515-516)
「モラスの言う「国際主義」とは,それぞれの国民の差異と分離を強調する多国間交流のことだった。クーベルタンはこれを,「世界主義」のカテゴリーの中にとり入れたわけである。むろんクーベルタンにとっても,真の国際主義とは,社会的・文化的差異の発見・体験があって初めて成立するものではあった。しかし彼から見れば,そうした国家間の差異は,人間と人間を隔て反発させあうものでは決してなく,その逆に,人間としての生き方の多様性として肯定されるべきものであった。そのような差異を認識することこそ,平和と友好への第一歩であり,彼がのちに言う「相互の敬意」への道なのである。こうした考え方に基づいて,クーベルタンは一つの哲学的人類学ともいえるべきものを築こうとしたが,結局彼は,それを完全に体系化することができずに一生を終えた。それは,一つには彼の思考力の散漫さが災いしたためであり(晩年の著作においては,「世界主義」「国際主義」といった基本的用語の使い方すら一貫性を欠いている),もう一つにはそのような作業に相応しい「文化」概念を彼が欠いていたからである。モラスとクーベルタンの終着点から出発し,愛国主義,国家主義,世界主義,国際主義という諸概念を,国民国家をめぐる一つの一貫した社会人類学の体系にまとめあげる作業が行われるには,マルセル・モースの出現を待たねばならなかったのである。だがいずれにせよクーベルタンは,文化的差異にもかかわらずではなく,文化的差異ゆえに普遍的存在としての「人類」が存在するのだ,という信念をますます強めていった。人類学者ルース・ベネディクトの言う「世界を差異が安住できる場にする」ことこそが「最良の国際主義」に課せられた任務である,という思いを深めていったのである。」(pp.523-524)
「クーベルタンや,彼を批判した多くの同時代人たちのような合理主義者には,現代の人類学者,社会思想家,そしておそらくは現代人の大半にとって常識となっている事実がついに理解できなかった。すなわちそれは,良かれ悪しかれ,人間の行動を左右するのは,多くの場合まさに型にはまった先入観や浅薄な偏見なのであり,しかも,子細に検討してみれば,そうした一見浅薄な見解も実は浅薄というにはほど遠い深さを持つことも多い,という事実である。」(p.526)
「「壮観(スペクタクル)という言葉は,すでに見たように,1896年のオリンピックのパフォーマンスの形容句として,直接その場に居あわせた人たちが繰り返し使っている言葉である。しかし,「スペクタクル」が文化的パフォーマンスの一ジャンルとして確立するのは,まだ先の話である。その根拠に,「壮観」という名詞の限定句として,「言葉にしがたい」という形容詞が再三再四用いられているという事実があげられる。あたかも,「スペクタクル」という言葉が表現している「もの」的な要素を否定し去るかのように。この時点において「スペクタクル」という言葉はまだ,純粋な「質」の表現,驚嘆の対象たる神々しさと華麗さの表現であって,パフォーマンスの主格的カテゴリーではなかった。そうなるのはオリンピックの歴史においてはもっとあとのことであり,より広範に見れば,西洋文化の歴史全体においてはさらにあとのことになる。」(pp.532-533)
「こののちオリンピックは,1900年,1904年の「大失敗」,1906年,1908年の過渡期的大会を経て,1912年と1924年の大成功を通過し,32年,36年にける成熟へという歴史を辿るわけだが」(p.533),「この16年間途絶えることのなかった,忍耐強い,決して英雄的とは言い難い尽力の数々こそが,「改革者」と呼ばれる権利を彼にもたらしたのである。」(p.540)
第7章の注31で,クーベルタンの世界主義と国際主義との区別が,ブーアスティン『幻影の時代』における旅行者と観光客の区別に類似していると指摘する(p.630)。
大学図書館で借用した本のため,読書記録のように引用箇所を記録しておくことがメインになってしまった読書日記ですが,前半の詳細な史実の整理が終盤で見事に融合され,人類学的なテーマとして論じられている,素晴らしい著作です。これまで私が読んできたオリンピック研究でももちろん本書に言及しているものは多いのですが,やはり随分過去の文献となってしまったからでしょうか,あまりきちんと紹介されていない気がします。私の論文でもあまり分量を使って紹介はできませんが,うまいこと本書の魅力を伝えたいものだ。

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オリンピック,メガイベント関連文献(翻訳論文編1)

マカルーン, J.著,光延明洋訳(1988):近代社会におけるオリンピックとスペクタクル理論.マカルーン, J.編,光延明洋・今福龍太・上野美子・高山 宏・浜名恵美訳『世界を映す鏡―シャリヴァリ・カーニヴァル・オリンピック―』平凡社,387-442.MacAloon, J. J. (1984): “Olympic Games and the Theory of Spectacle in Modern Societies,” In MacAloon, J. J. ed. : Rite, Drama, Festival, Spectacle: Rehearsals Towards a Theory of Cultural Performance, Philadelphia: Institute for the Study of Human Issues.
この本は随分以前から知っていたが,結局入手しなかった。翻訳には高山 宏が関わっていて,「鏡に映される二十世紀」(pp.469-477)という高山氏にしては短めの解説を寄せている。そこで高山氏は,編者による序文「序説 文化的パフォーマンス,文化理論」(pp.11-33)を絶賛している。この序説はマカルーンによるものである。訳書タイトルにはないが,原著タイトルには「Drama」とあり,「社会劇」という捉え方がこの論集を通底している。そもそもこの論集は1977年に行われたシンポジウムの記録であり,マカルーンの報告に付随して,1936年ベルリン大会と1964年東京大会の記録映画の上映もあったようだ。それはともかく,劇学という系譜として,ケネス・バーク,アーヴィング・ゴフマン,G・H・ミードからグレゴリー・ベイトソンなどの議論が概観される。
本書でマカルーンは「米国のオリンピック候補にもなった一流の陸上競技選手から学問の道に転じ,異色の文化人類学者として知られる。」(p.188)と紹介されている。さて,ようやくオリンピック論文の紹介だが,かなり抽象的な議論が多い。いくつかの言葉が検討される。この章の中心にあるのは「スペクタクル」。この英語はラテン語のspecere「(意図的に)みる」が直接的で,さかのぼればインド・ヨーロッパ祖語の語根spek-「観察する」に由来するという(p.391)。そして,この語の使用法の歴史についても検討している。
この論文の主たるテーマは「スペクタクル」だが、ドゥボールの『スペクタクルの社会』が出発点なわけではない。スペクタクルは本書の原著タイトルにある4つの概念の一つであり、1つ目の概念「儀礼」の検討にもかなりの議論を費やしている。また、スポーツにおいても「play a game」であり、遊びとの共通性があり、オリンピックにおける競技と遊び=遊戯との違いも検討される。論文の中盤でベイトソン『精神の生態学』に依拠した議論が展開されるが、私にはいまいち消化不良。原著タイトル3つ目の概念が「Festival=祭典」、4つ目が「スペクタクル」であり、この後この論文では両者の違いが検討され、これが非常に興味深い。「祭典の場合、ドップリのめり込むくらいでなければ参加したことにはならない。冷めた傍観者的行動はお呼びではないのだ。一方、スペクタクルなら、そういう放埒な行動も許される。距離を置いて観察する見物人に徹する、というのがそれだ。見物するだけで結構、それ以上の規制はせず、後は観察者と「見物」との対話に任せる、というスペクタクルには随意性と個人的選択の余地が立派にある。」(p.433)そして、スペクタクル概念の検討において、ドゥボールとブーアスティン『幻影の時代』が対比される。対極的な政治的立場にある2人の著者がある部分では似たような主張をしていることの妙。
「オリンピック大会のスペクタクルは、ハンナ・アーレントの用語を使えば、清濁合わせのんだ「陳腐化(banalization)」を必ず果たしてくれるのだろうか?」(p.439)の記述からは、ムニョス『俗都市化』との接合ができようか。また、1972年ミュンヘン大会におけるテロ事件を、「冒涜」や「タブー」としてきたことも、人類学的な解釈が可能(p.441)。なかなか読み応えのある論文だった。やはり彼の著書である『オリンピックと近代――評伝クーベルタン』(645ページ!)も読まなければならない。

 

ブルデュー, P.著,櫻本陽一訳(2000):オリンピック――分析のためのプログラム.ブルデュー, P.著,櫻本陽一訳『メディア批判』藤原書店,140-145.Bourdieu, P. (1994): “Les Jeux Olympiques: Programme pour une Analyse”, Actes de la Recherches en Sciences Sociales 103: 102-103.
この論文は,翻訳の対象となった原著(原題は『テレヴィジョンについて』)に収録されたものではない。ただ,オリンピックといっても短い文章で書かれている内容はテレビ放映に関わるものだということで,翻訳では本書に収録されたのだと思われる。書かれている時代が時代なので,そんな目新しいことは書かれていないが,以下の引用はさすがブルデューという観点です。「オリンピック全体を見る者は誰一人いないため,自分が見ているものが全体ではないということに誰一人として気づいていないという意味では,対象が二重に隠されているのである。」(p.141)そして,タイトル通り,オリンピックに関する社会学的研究はこういうことをしろという分析計画の提示になっています。①オリンピック・スペクタクルの社会的な構築の分析,②テレビ映像の生産の分析,コミュニケーション手段を生産している界の総体の分析,スポーツ生産の産業化の分析。

 

ホブズボウム, E.著,前川啓治訳(1992):伝統の大量生産―ヨーロッパ,1870-1914―.ホブズボウム, E.・レンジャー, T.編,前川啓治・梶原景昭他訳:『創られた伝統』紀伊國屋書店,407-470.
オリンピックを「伝統の発明invention of tradition」の枠組みで論じる文献がいくつかありましたが,いずれもホブズボウム自身がオリンピックについて言及しているような書き方をしていたので,読んでみました(というか,今まで読んだことなかったのかよ!)。この論文は,この論文集の巻末に置かれていて,総括的な意味でヨーロッパの19世紀末から20世紀初頭(第一次世界大戦前)に起こったさまざまな事柄を取り上げていますが,その後半でスポーツが国民国家形成に大きな役割を果たしたことが示されます。イングランドのサッカー,大陸でのサイクリング。ともかく,1870年以前は民衆レベルで共有されるスポーツのようなものはなかったという。それが,英国ではイングランドのサッカー,ウェールズのラグビーなど地域色がありながら,特定の競技が地域対抗で競われる,などと国家内のアイデンティティと国家間の対抗,そして国際大会と広まっていく。その過程でやはりクーベルタンの思想と,その実現としてのオリンピックが重要であるようです。ただ,1914年までに限定していることもあり,本格的にオリンピックが伝統となる前に話は終わってしまいます。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編9)

Lenskyj, H. J. (2012): “Olympic Education and Olympism: Still Colonizing Children’s Minds,” Educational Review 64 (3): 265-274.
批判的な研究が多い著者ですが(カナ表記に困るお名前です),教育関係の論文もいくつかあるようです。オリンピック教育への関心は2004年以降ということですが,タイトル通り,理念ばかりを掲げるオリンピズムとオリンピック教育が子どもや若者の頭脳を植民地化すると訴えます。日本でもよくありますが,オリンピックやパラリンピックの出場選手が子どもを前にした教育の場に登場し,善き「ロール・モデル」を演じるというわけです。スポーツで夢を成し遂げた実例として,IOCの人間性祝福イデオロギーを体現します。紛争や搾取,さまざまな民族問題は無視した多文化主義。これまでも,オリンピック教育を批判してきた論者が紹介されます。そして,そうしたオリンピック養育に登場するのがスポンサー企業。企業がさらに子どもたちを食い物にしていくということです。

 

Oliver, R. (2011): “Toronto’s Olympic Aspirations: A Bid for the Waterfront,” Urban Geography 32 (6): 767-787.
前に紹介した,Urban Geography誌のオリンピック特集の1本。著者はバージニア工科大学の地理学の研究者とのこと。トロントはオリンピックの開催都市になったことはないが,かつてからウォーターフロント開発の起爆剤としてオリンピックを利用しようと何度も招致運動をしてきた歴史が語られます。幾人かのインタビューも含みますが,基本的に新聞記事の分析になります。オンタリオ湖に面したトロントの湖岸地区は長い間公共空間とされ,私有化を拒んできたという。この地区の詳しい土地利用については説明されていないが,いわゆる工業地帯があり,脱工業化後の再開発が中心だとは思う。トロントのオリンピック招致運動は1954年に始まる。ローマで開催された1960年大会の招致であったが,計画要件がIOCのものを満たされておらず,招致は失敗している。1976年大会にも名乗りを上げたが,この大会は同じカナダのモントリオールで開催されている。都市の希望は国策により阻まれたことになる。当然,同国による続けての開催はほとんどないので,当面カナダでの開催はありえない。次なる招致は1996年大会だが,先にOldsの論文で確認したように,1986年バンクーバー万博以降,カナダではメガイベントによる都市にもたらされる弊害に反対する市民運動が勢いを増し,この招致は失敗している。ここでは,「サーカスよりパンを」という名前の活動団体が紹介されている。ただ,この論文では「1996年の試みは無駄な努力ではなかった。IOCは歴史的に繰り返し招致する都市を好む」(p.773)と記している。最後に2008年大会への招致運動がこれまでより詳しく論じられている。この間にウォーターフロント再開発も独自の進展を遂げており,各種組織が2008年の招致活動を支援する。しかし,やはりトロントが招致すべきかどうかにかかわる公的な議論もされないまま話が進み,より広い市民のコンセンサスを得られない。最終的には都市としての問題だけではなく,州政府,連邦政府の目論見のもとで計画が決定される。実際の競技会場の地図も掲載されている。ただ,最終的にIOCは政治的約束にではなく,確実な財政的関与を要求するため,トロントは開催都市とはなれなかった。とはいえ,ウォーターフロントの再開発はいつくか成果を生み出してはいて,トロントにおけるウォーターフロント再生がいかに重要かを市民たちが議論する素地も残している。将来的にも2015年のパンアメリカン競技大会の開催都市となり,これはもう決定しているが,2020年と2024年大会への招致も準備しているとされている。

 

Shoval, N. (2002): “A New Phase in the Competition for the Olympic Gold: The London and New York Bids for the 2012 Games”, Journal of Urban Affairs 24 (5): 583-599.
以前別の文献で言及されていて読みたかった論文。意外にも非常勤先の電子ジャーナルで入手することができました。しかも,この論文著者はイスラエルの地理学者だとのこと。2000年前後は都市研究としてのオリンピック研究が一気に登場する時期で,EssexとChalkleyという2人の地理学者による一連の論文や,AndranovichとBurbank,Heyingという3人の政治学者による一連の論文,社会学者Rocheのメガイベント本や,同じ社会学のHillerが積極的に論文を発表していたのもこの頃です。
この論文は前半でオリンピックの歴史的経緯を概観し,時期区分をしています。そして2000年以降に世界都市であるロンドンやニューヨークが2012年大会に向けて招致に乗り出したことを,新しい段階に入ったと捉えています。この議論は日本の都市社会学者,町村氏が『スポーツ社会学研究』に2007年に寄せた論文「メガ・イベントと都市空間――第二ラウンドの「東京オリンピック」の歴史的意味を考える」の論旨と共通しています。町村氏もオリンピックだけでなく万博にも注目していますが,Shovalの興味深いことは,時代的に万博→オリンピックという流れがあり,一度万博は下火になるのだが,1980年代に復活してきて(その最後に愛知万博が位置づけられます),その後にオリンピックの開催都市が新しい段階に入るという仮説です。そして,著者は町村氏と同様にこの動向には悲観的な見方をしています。経済効果についても,都市再開発についても,都市イメージの向上についてもあまり正の効果は見込めず,場合によっては負の効果をもたらすと警告しています。ただ,これはよく言われるように,オリンピックが肥大化し,それを開催できる都市は限られてしまっていることと,都市の側もそれなりの規模の変化をもたらすにはそうした契機に期待するしかなくなっているということでしょうか。

 

Burbank, M. J., Andranovich, G. and Heying, C. H. (2002): “Mega-events, Urban Development, and the Public Policy”, The Review of Policy Research 19 (3): 179-202.
2000年前後に米国で開催された3つのオリンピック大会,1984年ロサンゼルス大会,1996年アトランタ大会,2002年ソルトレイクシティ冬季大会についていくつかの論文を発表している政治学者と都市計画研究者の3人。これまで読んだ2本の論文はAndranovichが筆頭著者でイマイチ面白くなかったけど,Burbankが筆頭著者の本論文はなかなか面白いです。この論文で言及されているやはりBurbankが筆頭著者の2000年の論文は市民による抵抗を主題としていてもっと面白そう。この論文では,米国におけるオリンピック開催が,1984年から2002年に至るまでいかに推移したかが分かりやすくまとめられている。1984年は1932年にも開催経験のあるロサンゼルスということで,メインスタジアムは改修して利用し,その他大学の協力のもと,公的資金に頼ることなく成功させたという意味で,オリンピック史の転換に位置づけられている。しかし,アトランタではその実績がないため,それなりの公的資金を用いて競技施設を新設し,インフラを整備している。それだけではなく,世界的な都市間競争に立ち向かうにはアトランタはまだそのレベルには達していなかった。この論文のタイトルにもあり,掲載雑誌もそうであるように,本論文の主眼は都市開発ではなく,あくまでも公共政策にある。都市政策が管理主義的なものから企業家主義的なものに移行するというのはハーヴェイのお馴染みの議論だが,1984年ロサンゼルス大会はその一つの手本である。しかし,それはネオリベラリズムの一端であるが,都市政策という意味では典型ではない。ソルトレイクシティは1972年から冬季大会への招致運動をしてきたという。1992年にも立候補をしたが合衆国はアンカレッジを選択する。スキーリゾートとして国内では地位を持っていたが,それをより国際的な観光地として名を売りたかった。ここでも,かなりの公的資金が投入され,カナダと同様に市と州,連邦の3つの政府が関係する。この時代になると,オリンピックを利用した公的資金の投入は,さまざまな市民の反対運動にあうことになる。オリンピック関係の決定に市民の参加が含まれるようになるのはまだ先なのだろうか。

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10連休終わりました

恐怖の10連休が終わった。初日27日(土)は午前中PTAの集まりがあり,午後は一人で行動させてもらった。子どもたちは学校も保育園も休みで,私も休日出勤は基本的にできない会社なので,私が子守。しかも,アルバイト契約で10連休中の手当てはQUOカードで支給された1万円だけなので,妻には働きに出てもらう。
28日(日)は妻の仕事場のショッピングモールに出かけ,終業を待って,皆で夕食。29日(月)はいつもの休日程度の外出とし,近くのトイザらスに行って,ちょっとビデオゲームで遊び,息子にサッカーボール,娘にもボールを買い,帰りに近所の講演で少し遊ぶ。30日(火)は3人で近くの映画館に映画を観に行った。1日(水)は妻が仕事を休み,子どもをみてもらい,私は映画サービスデーということで,吉祥寺で2本立て。メーデーのデモ行進に出くわしました。2日(木)は子どもを2人連れて3人で昭和記念公園に連れて行く。こちらもすごい賑わいだ。最近はレンタルサイクルを借りて移動する。息子の同級生とバッタリ会い,一緒に遊ぶ。3日(金)はちょっと隣駅まで買い物に出かけ,家で過ごす。息子が白いTシャツに自分で絵を描きたいというので,その制作。4日(土)はこの連休の一大イベント,3人でよみうりランドにでかける。夕方に雷雨に見舞われたが,十分満喫。5日(日)は妻も一緒に皆で東京競馬場に行く予定だったが,前日妻は午前様で脱落。また3人で出かけました。この日も良く晴れ,皆で陽に焼けました。最終日6日(月)は隣町にちょっとでかけ,家で過ごす。近所の子どもたちと一緒に遊ぶ。連休はじめになんとなく風邪をひきそうな雰囲気があったが,病院にかかるようなこともなく,無事に過ごせたことはとても良かった。

 

2019427日(土)

立川シネマシティ 『ビューティフル・ボーイ』
立川で映画をと考え,上映作品の中からなんとなく選んだ作品。事実に共づく話。父親ととても仲良く育った少年が,ある日18歳でドラッグを覚えてしまい,その後の苦悩を描く。父親役はスティーヴ・カレル。彼の作品はあまり観たことがないが,コメディタッチの出演作が多いことは何となく知っていて,非常にシリアスな役どころにはじめは違和感を覚える。息子役は,先日観た『21センチュリー・ウーマン』のルーカス・ジェイド・ズマンかと思ったが,そうではなく,ティモシー・シャラメという俳優で,『君の名前で僕を呼んで』に出演していたとのこと。結局,観なかったが予告編は覚えている。この映画,Amazonの製作とのこと。映画産業に進出しているんですね。この作品で驚いたのが,終盤でパブロフズ・ドッグというバンドの曲が流れたこと。まだタワーレコードが渋谷の東急ハンズの近くにあって,視聴器もない時代。輸入CDが盗難防止の為か紙のケースで2倍の大きさでパッケージされて売られていた。私はペン画でモノクロに書かれた寂しそうに佇む犬の絵のジャケットのCDを連れて帰ったのだ。家に帰ってかけると予想だにしない高音ヴォーカルが響く衝撃的な音楽だった。そのCDはあまり聴くことがなかったが,大切に今でも持っている。しばらくすると音楽に詳しい友人もそこそこできるようになるが,このバンドが知る人ぞ知るバンドだと知り自分のセンスに驚いたものだ。
さて,それはさておき,この映画はまだ実在する人物の事実に基づく話ということで,脚色は少なかったのだと思う。結局,どういう教訓だかは私にはわからなかった。父親は息子の話に耳を傾け,自分の趣味を押し付けることはないが,何でも息子と共有しようと努めてきた。早くに離婚をして,男手一つで育てた自慢の息子だったのだが,ドラッグにはまって抜け出せなくなってしまう。何が原因だかは突き止めようとしない。父親は何をやってもドラッグに戻ってしまう息子を何としてでも助けようとし続けるが,ある時からは逆に諦めてしまい,息子が求める助けを断ってしまう。まあ,伝わるのは子育ての難しさということだろうか。
https://beautifulboy-movie.jp/

 

2019430日(火)

府中TOHOシネマズ 『東映まんがまつり』
私の子どもの時代にあった,東映マンガまつりが復活したそうです。今回の目玉の「おしりたんてい」は随分前から息子が気に入っていて,わが家にも何冊かあります。少し前からアニメもやっていて,娘も観るようになり,ひらがなを覚えてきた最近では本を開いて自分で眺めるようになりました。そんなこともあり,うちの子どもたちもこちらを最大の楽しみにしている。やはり4本中最後の上映でした。トップバッターは「うちの3姉妹」。「あたしんち」的雰囲気で,母親目線で6歳,4歳,2歳の三姉妹の奇行を描く。こちらも動画配信サイトで娘がアニメを観ていた。4本立てで子どもが観ていられる上映時間なので,1本は通常のテレビアニメ程度の時間ですね。2本目と3本目は順番が定かでありませんが,息子が購読している『コロコロコミック』連載中の「爆釣バーハンター」という作品。私も原作は読んでいませんでしたが,実在するビデオゲーム(?)を利用した作品。1本で設定からきちんと理解するのは難しい。とはいえ,それなりに観られるように出来上がっています。続いては「リさいくるずー」という段ボールで作られた動物たちのコマ撮りアニメ。こちらもなかなか子どもの笑いのツボをとらえた作品。最後の「おしりたんてい」は書籍の最新版を原作とするもの。昔のアニメといえば,原作の画風とアニメとが違っていたり,アニメの絵が雑だったりしましたが,最近は原作もパソコンを活用していたりするせいか,ほぼ一緒ですね。なかなかの出来です。大人の私も面白かった。
http://www.toei-mangamatsuri.jp/

 

201951日(水)

吉祥寺アップリンク 『こどもしょくどう』
実在する,小学生までの子どもに無料で食事を提供する食堂をモデルにした作品。食堂を経営する夫婦を常盤貴子と吉岡秀隆が演じます。子役たちも経歴のある役者ばかりのようですが,映画の出来としてはイマイチ。社会問題的なものをフィクションとして描くのがどうもうまくない。どうしても文部科学省推薦的な雰囲気になってしまうのが残念。
https://kodomoshokudo.pal-ep.com/

吉祥寺アップリンク 『シンプル・フェイバー』
主演のアナ・ケンドリックは『マイレージ・マイライフ』で観ているが,整いすぎた顔がイマイチ好きではないが,本作ではその雰囲気が適役。相手役の女優,ブレイク・ライブリーはまさにその醸し出す雰囲気が本作の役どころにぴったり。ほとんど社会問題的なものは含まれず,サスペンス的だがコメディタッチで,いいテンポで展開していく,勢いのある時代のアメリカ映画的な感じで,近年にしては秀作です。素直に面白かった作品。
http://simplefavor.jp/

 

 

 

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編8)

Khakee, A. (2007): “From Olympic Village to Middle-class Waterfront Housing Project: Ethics in Stockholm’s Development Planning,” Planning, Practice & Research 22 (2): 235-251.
先に書くと,この論文はオリンピック研究とはいえない。タイトルにオリンピックとはあるが,間接的にしか関わっていない。ストックホルムは1912年に一度オリンピックの開催都市となっている。まあ,その頃の大会は規模が小さいのでレガシーなんてものはないのだろうけど,この論文には一切その記載はない。ストックホルムは2004年夏季大会の招致運動をしていたが,アテネに決まった。論文タイトルから理解されることは,招致段階に計画されたオリンピック村が,招致失敗に伴って中流階級のウォーターフロント住宅に変更されたということ。しかし,その具体的な経緯が検討されるのではなく,設計事務所や建設会社に属する5人に計画理念に関するインタビューをしている。オリンピック村として計画されていた敷地限定というよりは,その南ハンマビー地区に関する議論となっている。オリンピック村の計画時点では「世界で一番持続可能な街」という修辞を用いていたが,「都心と臨海を一緒に感じられる街」へと変更された。もちろん,IOC向けの美句と住宅市場の消費者向けの美句とは異なる。この論文では,そこの部分は確認されただけで,もっと抽象的な計画理念の検討が中心。人間,社会,民主主義,生態学的な倫理について,5人の計画者の回答を検討する。環境に対する配慮に関しては強く意識されているものの,社会的弱者の居住権やマイノリティに関する権利などの意識はまだ低いようです。なお,この論文では結局この地区がどのように整備されたかについての情報はありませんが,ウェブで調べると,日本語でも結構出てきますね。

 

Waitt, G. (1999): “Playing Games with Sydney: Marketing Sydney for the 2000 Olympics”, Urban Studies 36 (7): 1055-1077.
1999年という早い時期に発表された地理学者によるオリンピック研究。1990年代には「場所を売る」というテーマ(その後は場所のブランド化)でいくつか論集が出てたりして,ハーヴェイの場所論や都市の企業家主義政策などの議論に乗った論文。前半はちょっと古臭い議論が続き,都市間競争におけるシドニーという,シドニーという都市内の差異に言及しない,地理学的でない印象を受ける。この論文は実際にオリンピック大会が開催される前に発表されていることもあり,競技施設の配置などの詳細を検討するものではない。しかし,その招致活動で発信されたシドニーのイメージや大会コンセプトの検討は詳細で,地理学者らしい分析になっている。この大会で招致委員会は多文化主義政策をとっていたオーストラリアを売りにして,多様性を前面に押し出し,また豊かな自然というオーストラリア全体のイメージを活かしたグリーンな,環境に配慮した大会をアピールしている。しかし,実際は難民の受け入れも行っているオーストラリアであり,先住民や移民の問題は大都市シドニーにおいては深刻である。特に,2つの地区を取り上げ,ベトナム系移民の集住地区につけられた負のイメージなどを解説する。また,環境の問題についてもシドニー近郊の大気汚染や海洋汚染の実態について報告される。

 

Nauright, J. (2004): “Global Games: Culture, Political Economy and Sport in the Globalised World of the 21st Century,” Third World Quarterly 25 (7): 1325-1336.
先日紹介した雑誌Third World Quarterlyからもう一本。グローバル化の文脈でオリンピックを考えた時,2004年大会に立候補したヨハネスブルクの例があるが,今後第三世界での開催があり得るかどうか,招致運動の状況などを知ることができるかと思ったが,かなり一般的な議論だった。「スポーツ-メディア-観光複合体」(p.1326)という興味深い概念はあった。著者は南アフリカの研究をしているようで,ヨハネスブルクがアパルトヘイト後の南アフリカ共和国における観光および経済発展の助力として大規模なスポーツ・イベントを利用としたという説明はある。後半はスポーツのプロリーグの組織と機能が1980年代から1990年代にかけて変容し,メディア産業など別業種の参入により,グローバルな電脳空間上で展開するようになった,という議論になってしまった。

 

Ferguson, K., Hall, P., Holden, M. and Perl, A. (2011): “Introduction – Special Issue on the Urban Legacies of the Winter Olympics,” Urban Geography 32 (6): 761-766.
Urban Geographyによるオリンピック冬季大会の特集号巻頭言。2010年バンクーバー大会を前にして,「招致,計画,そして現実」という調査ワークショップを2009年7月に立ち上げたという。都市計画者や,過去の開催都市の委員長2人,バンクーバー芸術共同体のメンバー,地元のジャーナリストから成るものだった。2009年10月には「グローバル競技大会とローカルなレガシー」というタイトルのシンポジウムを開催し,カルガリー大会の開催当時の市長も呼んで,本号に収録された研究発表がなされたとのこと。この特集号は,冬季大会に関すると題していますが,そんなに限定はされてないようです。だいぶ前に紹介した,Andranovich and Burbank (2011)も収録論文ですし(1984年ロサンゼルス大会と2002年ソルトレイクシティ大会に関するもの)。そして一方ではIOCが本格的に「レガシー」概念を出してきたのが2010年からということで,それも大きなテーマとなっています。

 

Retchie, J. R. B. (1984): “Assessing the Impact of Hallmark Events: Conceptual and Research Issues,” Journal of Travel Research 23 (1): 2-11.
地理学者の友人が勤める大学にこの雑誌の所蔵があり,複写してもらってようやく入手。オリンピック研究は英語圏ではメガイベント研究の文脈でなされることが多い。メガイベント研究は以前,ホールマークイベント研究と呼ばれていたが,その代表的な理論的論文。1984年時点でかなりうまく整理されています。掲載雑誌がTourismではなくTravelだというのも時代を感じさせます。しかも,この著者リッチィはその1974年にも同じ雑誌に共著でホールマークイベントをタイトルに掲げる論文を書いています。
この論文の冒頭でホールマークイベントを以下のように定義しています。「期間限定の一度きり,あるいは繰り返し開催される大きなイベントであり,主として短期あるいは長期滞在の観光目的地を意識やアピール,収益性を高めるべく発展してきた。このようなイベントは,興味を創り出し,注意を惹くのに十分な固有性や優位性,時代的な重要性における成功に依っている。」(p.2)そして,イベントを以下の7つに分類します。1.世界博覧会,2.カーニバルや祭典,3.主要なスポーツイベント,4.文化・宗教イベント,5.歴史的な事件,6.商業的・農業的イベント,7.政治的要人の集まるイベント。しかも,それぞれに順位を与えています。次に,イベントが社会に与えるインパクトも6つに分類し,本文で詳しく解説されます。1.経済的,2.観光・商業的,3.物理的,4.社会文化的,5.心理的,6.政治的。これらは優先順位というより,これまでの研究で優先されてきた順番という感じでしょうか。そして,それぞれに対してそのインパクトを測定するにはどんなデータがあり,そのデータによってどんな指標が測定され,またデータ解釈時の問題などがそれぞれのインパクト分類において表にされています。タイトル通り,概念を分類するだけでなく,調査指針も示されており,さすが引用されることの多い文献です。

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映画がなかなか観られません...

201933日(日)

府中TOHOシネマズ 『映画ドラえもん のび太の月面探査記』
今回は脚本が辻村深月ということで,少し楽しみにしていた。とはいえ,彼女の作品を読んだことはないし,映像化されたものを観たこともない。とはいえ,前回の川村元気氏の脚本はイマイチだったので,小説家による脚本というのを期待した。しかし,観終わった感は同じような感じでしたね。やたらと展開が速く,スペクタクル満載で,細かく考えると腑に落ちないハッピーエンド。ドラえもんの映画が原作者の手を離れてどのくらいたったかは分からないが(ちなみに,藤子・F・不二雄こと,藤本 弘さんは1996年に亡くなっているとのこと),多くの人の手によって作られるこの種の映画を路線変更するのは難しのだろうか。個人的には2時間(子ども向けアニメは2時間未満のものが多いが)に詰め込むようなものではなく,普段112分程度のものを膨らませていくという発想の転換をしてほしい。
https://doraeiga.com/2019/

 

201947日(日)

恵比寿ガーデンシネマ 『たちあがる女』
ある日,映画に行こうと思って,最近の私のお気に入りである吉祥寺アップリンクのスケジュールを確認している時に発見した作品。残念ながら,その日は予定変更で行けなかったが,この日は逆に予定変更で午前中が自由になったので,午後の予定に合わせて恵比寿で鑑賞。アイスランド映画です。グローバル化の波のなかで事業拡大をもくろむ製鉄会社を,政府も外国資本の投資受け入れという形で推進している。しかし,その企業の活動は豊かなアイスランドの自然を破壊すると危機を感じた一人の中年女性が立ち上がり,営業妨害のテロ活動を一人でひっそりと行っている。政府はある組織による抵抗勢力と認識し,監視の目を光らせる。
最終的には女性は逮捕され,活動は中断されるが,別の次元でのハッピーエンドを迎える。この映画の面白いところは,彼女の活動を支持する人がほとんどいないことだ。唯一,彼女をかくまう一人の男性が登場するが,それは決して彼女の行為自体を支持しているわけではない。かといって,彼女は孤立するわけでもない(もともと孤高の存在)ところも面白い。とはいえ,私が期待していたような面白さではなかった気もする。
http://www.transformer.co.jp/m/tachiagaru/

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編7)

Gratton, C. and Preuss, H. (2008): “Maximizing Olympic Impacts by Building Up Legacies”, The International Journal of the History of Sports 25 (14): 1922-1938.
以前から名前をよく見るPreuss氏の論文をようやく入手。レガシーキューブというのは先日紹介した川辺謙一『オリンピックと東京改造』で登場したのを初めて見たが,出典は示されていなかった。すると,この論文に全く同じ図版で登場します。こちらにも直接の出典は示されていないが,Cashmanという人の2000年シドニー大会に関する2005年の著作についての説明の中に出てくるので,こちらがオリジナルだろうか。あるいはもっと一般的に知られている図式だろうか。ともかく,「レガシー」なるものを計画的/偶発的,ポジティブ/ネガティブ,有形/無形という3次元で捉えようとするもの。この論文ではイベント前後の時期を5つに分け,「イベント構造」なるものを6つの項目で整理します。時期:1.着想と実行可能性,2.招致過程,3.建設とイベントの組織化,4.イベント開催,5.イベント・レガシー。項目:1.インフラストラクチュア,2.知識・技術開発・教育,3.イメージ,4.感情,5.ネットワーク,6.文化。この論文での事例研究はオリンピックではなく,2002年にマンチェスターで開催されたコモンウェルス大会です。都市開発の規模としてはオリンピックとそう大差はないが,グローバルな規模での報道などの発信としては比べ物にならない。最後の文章が興味深いので引用しましょう。「開催国政府はオリンピック大会を開催した場合の真のレガシー効果を真の意味での科学的に評価することを歓迎しない政治的立場がある。」(p.1933)

 

Olds, K. (1998): “Urban Mega-Events, Evictions and Housing Rights: The Canadian Case”, Current Issues in Tourism 1 (1): 2-46.
ようやく入手した論文。この雑誌のこの年次のものを所蔵する大学は2つしかなく,そのうち1大学には地理学者が在籍していたので,はじめましてのメールで依頼をしたところ,快諾してくれて入手。ありがたいです。著者のOldsはカナダの地理学者Leyとの共著で万国博覧会の論文があり,大学院時代に読んでいた。そんな彼がオリンピック関連の論文も書いていることを知ったのはCOHREの報告書を通じてであったが,その報告書が2007年であることを考えると,1998年の段階でこのテーマで書かれたこの論文はかなり先駆的だといえる。
本論文はオリンピックだけでなく,カナダで開催されたメガイベント,1986年のバンクーバー万博,1988年のカルガリー冬季オリンピック大会,そして1996年の夏季オリンピック大会はトロントが招致活動をしていて,これら3つのイベントを考察対象としている。
バンクーバーは2010年に冬季オリンピック大会が開催され,ボイコフの研究でも反オリンピック活動が盛んだった大会で知られる。1986年の万博における貧困層の立ち退きが激しかったということがこの論文で分かり,2010年につながっていくのだと理解できる。カナダも連邦国家だが,居住権に関する法律は州によって異なるようだ。バンクーバーの位置するブリティッシュコロンビア州と,カルガリーのあるアルバータ州とでは,アルバータ州の方が借主に厳しい。日本では賃貸住宅を想像するが,カナダではホテル住まいの人の話が多い。日本でいう日雇い労働者たちが住まう簡易宿泊所のようなものだろうか。でも,カルガリーの話では比較的高級なホテルの話も出てくる。ともかく,ダウンタウンではホテルに常住している人たちが多いのだろうか。メガイベントの決定によって家賃が一時的に上げられたり,観光客のためにリノベーションするという理由で追い出したりということがなされたようだ。会場近くにある大学ではイベント開催に協力していて,その一環として学生住居を選手や観光客のために一時的に利用するなどということもあったようだ。ともかく,バンクーバー万博とカルガリーオリンピックで立ち退きにあった人は多かった。そのこともあり,トロントでオリンピック招致活動が始まってからは反対運動が激しくなり,結果的に招致は失敗に終わったという話。しかし,2010年には再びバンクーバーでオリンピックが開催されてしまい,この頃の教訓は活かされなかったのだろうか。

 

Armenakyan, A., O’Reilly, N., Heslop, L., Nadeau, J. and Lu, I. R. R. (2016): “It’s All About My Team: Mega–Sport Events and Consumer Attitudes in a Time Series Approach,” Journal of Sport Management 30: 597-614.

この論文は2010年バンクーバー大会を事例に,カナダ人543人,アメリカ人247人にアンケートを取った調査。それぞれのナショナル・チームにどんな期待をするかということを,開催2か月前,開催初日,閉会式直後,終了2か月後の4時点で測定したもの。オリンピック研究では,住民や開催国民の意識調査はなされているが,アスリートとの関連についてはなされていないということと,これまでは開催前後の2時点の実施が多かったが,それを4時点にしたというのが新しいところ。しかし,全般的にこの研究はオリンピックがどうかというところよりも,イベントの経過によって意識がどう変わるかということを心理学的統計学的に明らかにすることに重点が置かれていて,統計学的な操作にあてられた説明が多い。結果としては,文化・社会的な類似性を有する2国民であっても,統計学的に有意な差がある。冬季大会はアメリカよりもカナダが強いが,メダルへの期待はアメリカ国民の方が圧倒的に強い。また,時系列的には大会が進行するにつれて期待度は高まっていき,終了後は下がるという傾向がある。

 

Edelson, N. (2011): “Inclusivity as an Olympic Event at the 2010 Vancouver Winter Games”, Urban Geography 32 (6): 804-822.
Urban Geography誌はこの号でオリンピック冬季大会の特集を組んでいる。そのなかでも,読むのはまだ1本目だが,この論文の著者は計画コンサルタント業者のようだが,学術文献だけでなく非常に多くの資料に精通していて素晴らしい論文。私も土木コンサルタント会社で働いているが,日本の企業にも見習ってほしい。そして,バンクーバーについてはこれまでもいくつか論文を読んできたが,この論文で2010年冬季大会の見方も随分変わった。こんな要約では語りつくせない非常に充実した論文である。Oldsの論文で確認したように,バンクーバーは1986年に万博を開催し,その時は多くの立ち退きがあった。その後,1988年のカルガリー冬季大会,1996年のトロント大会への招致失敗と経験を積んできた経緯もあり,メガ・イベント開催に関わる居住権の問題や社会的弱者の権利などに市民が敏感になっている。オリンピックのようなイベントはカナダ連邦政府,ブリティッシュコロンビア州,バンクーバー市という3つのレベルの政府の関りがある。そして居住関係やインフラについてもそれぞれの関わり方がある。それを踏まえて,オリンピック招致活動が始まる前後にバンクーバーに登場したさまざまな団体が概観される。それぞれの団体はいくつかの調査を行ったりしてさまざまな報告書が公表されている。そうした団体は市民団体だけではなく,各政府が関わるものもあり,また直接オリンピックへの関与を謳った団体もある。各団体はオリンピックに向けてさまざまな活動を行ってきた結果,招致委員会が提出した立候補ファイルでは,高度なインクルーシヴに関わる目標が提示され,それが開催決定につながった一つの要因でもある。しかし,最終的な開催計画はやはりかなり透明性の悪い状態で決定したとのこと。とはいえ,各種団体はそこで落胆せずに活動を続ける。この論文で非常に印象的だった記述は,警察や軍隊を監視する団体だ。メガ・イベントの際によく行われるのがホームレスなどの一時的な排除だ。警察権力を用いて強制的に行われる。そういうことがないように,市民団体は警察を監視する。政府はホームレスの一時保護施設を作ったりし,ともかく社会的弱者への暴力だけは認めないという市民一丸となった闘いは功を制したようです。とはいえ,開催都市全体としての変容はやむを得ず,結果的にホームレスの数は1.5倍に増えたとのこと。またインフラに関しても,市民生活に要求される東西の連絡鉄道よりも,空港から市街への南北アクセスが優先されて整備されるなど,オリンピックの弊害は無ではなかった。

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現代オリンピックの発展と危機1940-2020

 

石坂友司 2018. 『現代オリンピックの発展と危機1940-2020――二度目の東京が目指すもの』人文書院,272p.2,500円.

 

日本でその研究歴のすべてをオリンピックにささげてきた人はそれほど多くない。1976年の著者はスポーツ研究が盛んで,オリンピック研究者も多い筑波大学の出身で,その研究歴の多くをオリンピックにささげてきた研究者だといえるかもしれない。オリンピックを総括できる本をこれまで,ゴールドブラット『オリンピック全史』,ボイコフ『オリンピック秘史』と外国のものを紹介してきたが,本書は日本の研究者が書いたという意味でもその特徴がある。とはいえ,3冊の著者いずれもが,都市への効果ということをテーマの一つとして持っているという点で,読むべき一冊。

はじめに
第一章 オリンピックの誕生と伝統の創造
第二章 日本におけるオリンピックの受容
第三章 オリンピックと政治――ボイコットの時代
第四章 オリンピックとアマチュアリズム
第五章 オリンピックと商業主義
第六章 オリンピックは本当に黒字を生むか
第七章 オリンピックと象徴的権力
第八章 オリンピックレガシーの登場
第九章 2020年東京オリンピックの行方
おわりに

本書にはフランスの社会学者ブルデューの名前がよく出てくる。第七章のタイトルに「象徴的権力」が用いられているが,ブルデュー理論が根底の一つにあるようです。また,私が唯一持っているブルデュー本『メディア批判』のなかに,「オリンピック――分析のためのプログラム」という補論があることを知る。読み直そう。
本書が『オリンピック全史』や『オリンピック秘史』と異なるのは,「近代スポーツの発展は近代オリンピックと密接な関係を築いている」(p.26)という言葉に示されているように,近代スポーツ史という広い文脈でとらえているところにある。この視点は1981年の『反オリンピック宣言』にもあったものだが,本書ではそれが学術的な議論を受けているので,議論がさらに深堀されている。特にアマチュアリズムなどについての議論は深いし,政治や商業主義についても,どちらが正しい的な主張ではなく,データも示しながら,これまでこうした出来事があり,こうした議論がなされてきたということを示しつつ,議論が展開する。
6章では財政的な検討もいくつかの大会の事例で詳細になされており,第7章ではレガシーの話に移行する。ここでは,都市開発についても英語文献にかなり言及する形で議論されている。こうして,改めて本書の内容を振り返ると大して目新しいことは書いていないような気もしてくるが,『オリンピック全史』や『オリンピック秘史』が英語圏の文献に依拠することで一部は似たような記述になっていたのに対し,本書は関連する日本語文献に依拠しているため,かなり違った記述になっているという印象は強かった。特に私がまだ読んでいなかった多木浩二『スポーツを考える』など,スポーツ論やスポーツ研究の日本における層の厚さを感じさせる一冊だった。

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