オリンピック,メガイベント関連文献(英語編15)

Randeree, K. (2011): Islam and the Olympics: Seeking a Host City in the Muslim World,International Journal of Islamic Middle Eastern Finance and Management 4 (3): 211-226.
イスラーム世界でのオリンピック大会開催は可能かを検討する論文。とはいえ,招致ということであれば既に実績がある。2020年を東京と争ったトルコのイスタンブール,カタールのドーハ,他にも冬季大会への立候補の実績はある。漠然とイスラーム世界といっても,この論文ではイスラーム協力機構(OIC)に加盟している56か国を対象としている。それは近東・中東だけでなく,アフリカから東南アジア,東ヨーロッパや旧ソ連の中央アジアまでが含まれている。まず,1960年以降の夏季大会開催国のデータを2008年時点のもので整理し,1人当たりGDP3,000米ドル以上(中国の3,259が最低),GDP3,500億ドル以上(ギリシアの3,575億ドルが最低)を大体の基準と定め,56か国で将来的に開催国となる可能性を見極めている。もちろん,そこからはIOCが求める要件を満たさない国は除外される。政治的安定,宗教の自由を含む社会的安定,人種の平等,人権,女性の平等,近年のセキュリティ,既存のスポーツ,交通,歓待のインフラ,メガ・イベント開催実績,公共財政の保障。OICに加盟している56か国から,明らかに政治的不安定や,宗教に伴う女性への圧力や,テロ発生,それから明らかにオリンピックが開催できない国土の狭さなど,条件に当てはまらない国を除いた14か国について,10の項目を詳細に記した6ページにわたる表が示され,オリンピック開催の可能性を検討している。結果として可能性があるのは10か国で,その中でも特に5都市の可能性は高いとしている。まずはイスタンブールであるが,懸案としてはテロやキプロスとの関係,EUへの加盟などがある。次にドーハ。こちらは夏季に50℃を超える気温が懸念。ただ,1964年東京大会など,10月での実施も過去にはあったので,IOC次第。そして,ドバイ。こちらは空調が完備された室内競技場という約束をしているらしいが,マラソンのような競技はどうにもならない。最後に,クアラルンプールとカイロ。しかし,最近は2032年の夏季大会にインドネシアのジャカルタが立候補したというニュースもありましたね。さて,どうなるか。

Van Wynsberghe, R., Surborg, B. and Wyly, E. (2013): "When the Games Come to Town: Neoliberalism, Mega-Events and Social Inclusion in the Vancouver 2010 Winter Olympic Games," International Journal of Urban and Regional Research 37 (6): 2074-2093.
2008
年の論文で、同じ3人の著者は、2010年バンクーバー大会を成長マシーン論と都市レジーム理論の枠組みを用いて分析している。この論文では、ネオリベラリズムの観点を用い、さらに「社会的包摂social inclusion」の観点を取り込んでいる。カナダのメガ・イベント招致および開催の歴史において、人権や居住権が問われ続けてきて、さまざまな市民団体の運動が盛んに行われてきたことはこれまでに紹介してきた論文でも多く語られてきた。著者たちはそうした団体の一つ、「コミュニティへのインパクトに関する連合(IOCC)」という団体に属しているようで、2010年大会の招致段階から活動してきて、いわゆる参与観察という手法で調査が行われている。他にも、「ビジネスのための建設機会(BOB)」というプログラムなどが取り上げられる。この論文は参与観察だけではなく、文書の分析、関係者へのインタビューなども含まれる。
オリンピックをネオリベラリズムの観点から論じるものは少なくないが、この論文では、まずもってクーベルタンの思想自体にフランス貴族のリベラル思想が反映されているという。国大会というナショナリスティックな側面がありながらも、結局は個人の勝敗の方が強く称賛されるというのはその思想の故である。その後、IOCの進展によって、そのオリンピズムはネオリベラリズムのグローバル化の影響下で、近年ではスポーツと文化に機軸を置いた持続可能性の採用に現れている。IOCはスポーツと文化に続く第三の基軸として「環境」を謳うことになる。そんな観点から2010年バンクーバー大会を検討するわけだが、バンクーバーという都市自体も1960年代から1970年代にかけて都市政策としてネオリベラリズムの影響下にあった。その上で、2001年にバンクーバーでの開催が決まってからの動向が詳細に説明されているが、複雑でこの英文論文を一読しただけではきちんと中身はつかめない。バンクーバーの組織委員会(VANOC)は「インナーシティ包摂への関与に関する声明(ICICS)」に従って、特にビジネスの発展、雇用と訓練とに配慮した開発計画を進める。しかし、そこでいう「社会的包摂」はネオリベラリズム的な読み替えが行われ、ホームレスの救済などの観点ではなく、あくまでも地域経済の発展という観点での雇用創出となる。バンクーバー協定なるものが締結され、そのなかで2005年に「ビジネスのための建設機会(BOB)」というプログラムが始まる。オリンピック村の開発地区である、サウスイースト・フォールス・クリークは1986年万博以降に再開発されてきた周辺の未開発工業用地の最後の敷地であった。開発に際し、さまざまな団体が資金を集め、その一部がBOBにも流れ、11名のスタッフによって運営が行われ、最終的に114名のインナーシティ住民の雇用を斡旋している。そのうち、60名が職業訓練の卒業生で、45名が雇用候補者からの採用である。この論文は、さまざまな団体の想いとは裏腹に、実際に実行されたのはネオリベラル化されたものであったが、それでも一定の成果があったことを強調している。持続可能性とはネオリベラル・イデオロギーの一部であるという認識を持ちつつ、現実を評価することが学術研究者には求められる。

Roult, R. Adjizian, J-M. and Auger, D. (2016): "Tourism Conversion and Place Branding: The Case of the Olympic Park in Montreal," International Journal of Tourism Cities 2 (1): 77-93.
この論文は、オリンピックで開発された施設の大会後の利用として、観光拠点にする方策を探るもの。冒頭は「場所のブランド化」の議論を整理していて、そんな文脈に位置づけようとしています。1976年にモントリオールはオリンピック夏季大会を開催しました。この大会は多額の負債をモントリオール市に残したことで知られますが、かなり斬新なデザインのオリンピック・スタジアムを要するオリンピック公園が今も健在のようです。この論文ではウェブ・アンケートによる5,553の回答と、地元関係者に対する36名のインタビューからなるものです。アンケート調査は世界規模で行われたものだというが、アメリカ人2,542人、フランス人1,004人、英国人1,002人、ドイツ人1,005人とかなり偏りがある。基礎的な社会属性に関するものから、モントリオールを訪れたことがあるか、3年以内に訪れる予定があるかなどの質問が続く。次に、オリンピック・パーク(回答者405)やスタジアム(198)に訪れた際の行動についてもたずねている。次に、カナダの諸都市のどこを訪れようとしているのかを尋ねていて、全体的にはモントリオールが一番、バンクーバーは2番、トロント、ケベック、カルガリーと続く。ケベックはダントツにフランス人が多く、モントリオールも多い。バンクーバーはフランス人は少なくドイツ人が多い。続いて、モントリオールの象徴的な場所やモニュメント、魅力を尋ねていて、一番はホッケー関係、二番目がオリンピック・スタジアム、メープル、自然と風景、冬、ナイアガラの滝などが続き、これも国別によって順位が異なる。モントリオールの国際観光目的地についても尋ねていて、オリンピック・スタジアムは一番。上位には私の知らないものが多いが、ホテル、植生、カジノ、教会、ジャズ・フェスティバル、F1グランプリ、ゲイ村などが挙げられている。こうした結果を受け、モントリオールは他のカナダの諸都市と比べ、スポーツ施設の優位性があるため、都市間競争において戦略的にそれらを活用することができるという。ただ、トップ・アスリートのためだけではなく、アマチュアや生徒、レクリエーションなども視野に入れる必要がある。アンケートの分析結果の考察にあたっては、インタビュー結果が活用されている。オリンピック公園の諸施設は近代化と再開発が必要であり、スタジアムは建築的な価値はあるものの、年に数か月しか利用がなく、改良が求められている。改良案についても細かく議論されています。1970年代に開発されたオリンピック公園ですが、今日においてはセキュリティなどには注意を払わなくてはならないし、内部空間についても空調や照明、音響、座席の心地よさなどが必要だし、公園全体としては、緑化や標識設計、建築の概観、日照を遮る施設など健康への気遣いなどもあります。財政的な点も論じられ、スポンサーなど積極的に民間部門を導入する必要があるといい、公園全体としてはスポーツ的な雰囲気を高め、スポーツ・バーやスポーツグッズ販売などを導入する。しかし一方で、オリンピック・レガシーとしての公的・市民的な性質から公的資金の活用も大切だという。特に、公共公園として、緑化は休息や安らぎなどを与える役割が必要である。オリンピック・スタジアムのような巨大なスポーツ施設は、いまだに魅力的な存在であり、財政的な問題は伴うが、それを多機能的に改修し、他に分散する様々な施設と有機的に結びつける計画が実施されれば、スポーツと観光における魅力的な都市へと再生が可能になる。

Richmond, M. A. and Garmany, J. (2016): "'Post-Third World City' or Neoliberal "City of Exception'?," International Journal of Urban and Regional Research 40 (3): 621-639.
ブラジルと英国の地理学者によるリオデジャネイロに関する論文。リオデジャネイロは2014年サッカー・ワールドカップと2016年オリンピック夏季大会を開催したが、これらメガ・イベントを利用した都市(再)開発をめぐっては研究も多い。この論文では、そうした開発を巡る批判的な研究が、ネオリベラリズムに基づく「例外の都市」として論じる傾向に対し、当然開発を推し進める政府や民間開発業者は、希望的観測により、開発によって「第三世界都市を脱する」ことができると論じる。この関係を少し引いた目で見て、学術研究による論調を相対化し、またその弱点を指摘するのが目的。グローバル・ノース(≒先進諸国)を背景に論じられるネオリベラリズム的都市政策は、グローバル・サウス(≒開発諸国)には簡単に当てはまらないというのがその主たる主張である。ブラジルという国家の特異性やリオデジャネイロという都市の複雑な事情などを考慮する必要があるという。
ブラジルで有名はファベーラと呼ばれる非公式な住居の集合体は、元々は1897年のカヌードス戦争の退役軍人によって占拠された地区を地元民たちが「ファベーラ(貧民街)の丘」と読んだことから始まるようだ。1920年代にはこの呼称が一般化し、1950年代をピークとした急速な都市化の時代に、農村から都市への流入人口が増え、そうした人たちがファベーラに住み着くようになり、その頃から学術研究者はその社会・文化的に「周縁化された」住民を問題視し、1960年代から1970年代にかけて、ファベーラ除去政策が展開されるようになった。その後、1980年代から1990年代にかけて経済的な混乱が生じ、公共インフラや工業地区の荒廃が起こり、ホームレスや失業者が増える。そして、リオデジャネイロで有名な麻薬取引などのギャングたちが問題視され、警察は軍隊化し、規制を強める。2008年に登場し、ファベーラなどを取りしまるUPPPolice Pacification Units)という組織は日本語では「治安維持部隊」と訳されているようです。ワールドカップとオリンピックに向けて、都市政策が展開されるようになり、住宅やインフラ、交通や警備が取り組まれる。市街中心と港を結ぶBRTが都市西部に整備され、地下鉄も西方に延伸される。PACMCMVと呼ばれる住宅政策も大規模に行われ、ワールドカップのためにマラカナン・スタジアムが再開発される。こうした計画は「シティ・プロジェクト」と呼ばれる。こうした政府主導の開発によって、第三世界都市であるリオデジャネイロがそこから脱することができるというのが、「脱再三世界都市」言説である。インフォーマルなファベーラにテコ入れをして、フォーマルな地域との統合を図るというのが、その主張である。公共交通で都市の各地区が結び付けられて「オリンピック・シティ」となり、持続可能で生産的な社会的包摂が行われるという。
これに対して、マルクス主義的な研究者たちが、その言説を批判する語りが、ネオリベラルな「例外都市」であり、ハーヴェイの「略奪による蓄積」やスミスの「報復としてのジェントリフィケーション」、アガンベンの「例外状態」などに依拠した議論である。この論文の興味深いところは、こうした議論にもいくつか弱点があるといい、3つほど検討している。1つめがブラジル国家の複雑さと連続性である。これは、すでに書いたがグローバル・ノースで鍛え上げられた理論であるネオリベラリズム論をグローバル・サウスの都市に適応する場合には注意が必要だということ。ブラジル政府の政策は、もちろんネオリベラルなものもあるが、住宅政策などではネオ・ケインズ主義的なものであったり、ネオ開発主義的なものであったりする。2つ目はいかにも地理学者的だが、リオデジャネイロの都市政策は一様ではないということ。それは不均等な開発であり、同じファベーラ政策でも、一概に立ち退きなどの被害だけではなく、改良された地区もある。また、メガ・イベント関連でも、どういう開発に関わるものなのか、また代替的な住宅が近くに設けられるのか、られないのか、など都市内でも大きな違いがある。3つ目にあてられた分量は少ないが、「シティ・プロジェクト」が与える影響は、その後の社会変化とともに見極める必要があるということ。いずれにせよ、このメガ・イベントに伴う都市改変によって、ジェントリフィケーションと郊外化、周辺地域の多様化が起こったという。この論文を通じて、著者たちは、「都市化と資本主義的開発、ネオリベラルな政策、グローバル化の仮定の間の結びつきを明らかにするような批判的な視野を提供する助けになれば」(p.637)という。

Otamendi, J. and Doncel, L. M. (2014): "Medal Shares in Winter Olympic Games by Sport: Socioeconomic Analysis After Vancouver 2010," Social Science Quarterly 95 (2): 598-614.
この論文は、1992年から2010年までのオリンピック冬季大会のメダル数を再現・予測するモデルを構築するもの。特に、2010年バンクーバー大会の結果を推計している。著者たちはスペインの応用経済学者ということだが、どれだけ真面目にやっているのか、計量経済学的なモデルで、国別、競技別のメダル数を計算しようとしている。経済学的モデルといえども、指標とされているのはその国の人口と一人当たりGDP。その他、開催国指標、過去の大会のメダル獲得数、ソビエト・ダミー、スカンジナビア指標、アルプス指標、北米指標、ドイツ指標という、ダミー変数がやたらと多い。本当にこんなんでいいのかと素人目に思ってしまう。だけど、モデルでは離散的な数値の推計はできないので、メダルの割合(MS)という連続数を推計し、メダル獲得数(MC)に変換するといい、その変換が技術的に難しいという。国別のメダル数の推計はこれまで行われていたが、競技別の推計が新しいという。ともかく大真面目に数式を示して技術的な議論を展開しているが、あまり真面目に読む気もしない。最終的には、将来的なメダルの獲得に向けたスポーツ政策に対する提言が目的のようだが、冬季大会の特別な事情があり、雪のある国かそうでないか、特定の競技に力を入れている国、継続的にメダルを獲得している国と新しく出てくる国。政策としては、若い才能を訓練するとか、雪のない国は雪国でのトレーニングを積ませるとか、最後には優秀な選手を帰化させるとかそんな話まで、真面目に書いている。そんなことを書くためにこんな数学モデルが必要なのだろうか?ちなみに、2010年大会については、日本がフィギュアスケートで2つ、スピードスケートで3つのメダルを獲得している。ちなみに、このモデルによる推計値はフィギュアスケートの1つだけ。

Yan,H., Tian, C. and Meng, Z. (2010): "Utilization Pattern of Olympic Parks and Its Application in Beijing," Chinese Geographical Science 20 (5): 414-422.
中国の地理学者による、2008年北京大会後のオリンピック公園の活用に関する論文。観光客へのアンケート送付、政府関係者へのインタビュー、インターネットや文献によるオリンピック公園に関する情報収集に基づくもの。北京のオリンピック公園は11.59km2あり、オリンピック村、プレス・センター、ナショナル・スタジアム、Olympic Common DomainOCD)、森林公園などを含む。アンケートは2009年にオリンピック公園を訪れた観光客に291枚配布され、90%以上がその場での回答によって得られたという。インタビューは公園や競技施設の職員に対して行われた。インターネットによる調査は、計画や投資、現状、特徴、管理などを含むもので、2008年に収集された。ウェブと文献調査によって、アテネ、シドニー、アトランタ、ミュンヘン、北京、ソウル、モントリオール、バルセロナのオリンピック公園について整理されている。一般的に、会議や展示、スポーツ産業、文化創造施設などの活用が語られる。具体的には、多機能公園(ソウル)、貿易センター(モントリオール)、市民公園・テレビ局(ミュンヘン)、文化イベント施設(シドニー)、アミューズメントパーク・美術館(バルセロナ)などがある。それらの多くは政府や企業体によって運営されている。北京の調査では、オリンピック公園訪問者の63%が観光、40%がオリンピックの雰囲気を楽しむため、12%がスタジアムでのイベントの鑑賞だった。住民の65%が政府がこの地域に投資し続け、産業センターとして整備することを考えている。一方で、観光客の多くはエンターテイメントやレジャーとしての利用を考えている。オリンピック公園に関わる主体としては、計画者、経営者、訪問者を想定し、長期における各期間での関りを論じている。その議論は、都市レジーム理論を基にしている。政府と市場と社会とが、都市の空間的発展=開発の方向性を決める。これまでのオリンピック公園の活用がそうであったように、機能を多様化し、文化や日常生活、経済との関連が必要となる。
大会後の活用に関しては、準備-利用-管理という三段階を想定している。後半になると急に具体的な話になる。オリンピック公園は北京の中心から北に10kmのところに位置するが、ダウンタウンと緑地帯の間に位置し、地下鉄が直結している。オリンピック公園は北京北部の新しい中心になるという。多様な産業を育てる必要はあるが、観光客にとってはオリンピックの雰囲気を楽しめる場所である必要があり、またほかのスポーツやイベントが楽しめる場所になるとよい。これまでの北京観光の日帰りルートにオリンピック公園も加わるという。管理については、政府と企業と、その独立と協同と4種類が想定される。その上で、政府が主たる管理者となり、地区や機能によって多様な管理形態が望ましいとしている。また、空間的な次元としては、点と線と平面の管理を提言している。点はスタジアムなどの施設、線は歩道、平面波緑地でそれを組み合わせる。オリンピック公園は大会後に開放されており、大会後初めての国民の休日には、7日間に242万人以上が訪れたという。オリンピック公園は潜在的な魅力と資源を持っているが、的確に政府によって管理されていないという。イベントを開催するには賃料が高いという。
この論文でも中国語の論文はいくつか引かれており、この雑誌のように、地理学の英文雑誌もあるようだ。中国人の研究者が日本に留学していて、かれらが書いた日本語でいくつかのオリンピック論文を読んだ。2008年北京大会に対しては、欧米の研究者が一貫して否定的な論調なのに対して、そうした日本語で読める中国人の論文はそれに対抗するように肯定的な側面を強調する。この論文のテーマに関しても、例えば、「鳥の巣」と呼ばれるオリンピック・スタジアムが大会後に数回しか利用されていないなど、否定的なニュースが届くが、この論文ではそうした側面は明確には触れていない。しかし、いたって冷静に分析して提言しているのは地理学者らしいともいえるか。

Freeman, J. (2014): "Raising the Flag Over Rio de Janeiro's Favelas: Citizenship and Social Control in the Olympic City," Journal of Latin American Geography 13 (1): 7-38.
この論文は、副題に「オリンピック都市」とあるが、全般的にリオデジャネイロのファベーラ政策を詳細に論じたもの。2014年ワールドカップと2016年オリンピックの主要施設となったマラカナン・スタジアムの話は少し出てくるが、オリンピックは全面的には出てこない。ファベーラの起源については紹介したばかりの論文でも触れていたが、この論文では19世紀後半の奴隷から解放された自由民や退役軍人、北東ブラジルからの貧しい移民などによる不法占拠だとされている。一般的にファベーラには国家の介入がない不法地帯と語られることが多いが、そうではない複雑な事情がこの論文では語られる。前の論文でも登場したが、2008年から一部のファベーラは治安維持部隊(UPP)が管理している。また、2007年から始められる「経済成長加速化計画(PAC)」という連邦政府による計画がベースにある(これに関しては、JETROの説明資料がある)。リオデジャネイロでは、パリの大改造で知られるオスマンの教え子なる人物ペレイラ・パソス(Wikipedia日本語あり)による道路拡張などがなされたという。ともかく、この論文ではフーコーを時折引用しながら、政府によってファベーラが徐々に近代化されていく過程が辿られていく。まずは住所。ファベーラ内には公式な住所がなく、郵便局員は困るという。2010年あたりから軍隊を使ったファベーラへの介入が始まるが、それに伴い、ファベーラ内に通りの名前や郵便番号が導入されていく。それは複雑なものを単純化して理解・把握しやすくする近代化のプロジェクトだという。この過程には電力会社も介入し、番地の表示を付けていく。次に地図。地図を作成するというのも、政府がその土地を管理・支配する常套手段だが、ファベーラ内でも徐々に地図作成が行われる。警察や軍隊が関わり、地図化された情報を基にファベーラの撤去や移転が決定される。時にはハザードマップのように、危険地区が示されることで撤去の理由とされる。写真や絵画(?落書き含む)も同じようなもので、ファベーラも外国人の観光資源となっており、写真撮影可能スポットに標識がつけられたり、自治体の住宅管理局が取り壊す家に番号を振ったりする。先ほどのパソスの思想に基づき、現代でも道路拡張などの計画が実施される。当然、その対象となった家屋は立ち退きの対象となる。また、リオデジャネイロではケーブルカーが公共交通として整備されるが、それは、上空からファベーラを見下ろすことができ、監視する役割も果たす。とはいえ、否定的な側面だけではない。これらの改良事業によって、実際に恩恵を受けるファベーラ住民もいる。この論文では、ファベーラの近代化を政府による植民地化とも表現しているが、かつて日本がアイヌに行った政策と同様、やはりファベーラの生活には独特の共同体的文化があり、それが移転先の近代的な生活で失われ、世代間の断絶が起こるということも指摘されている。

Kassens-Noor, E. and Lauermann, J. (2017): "How to Bid Better for the Olympics: A Participatory Mega-Event Planning Strategy for Local Legacies," Journal of the American Planning Association 83 (4): 335-345.
Kassens-Noor
は注目すべきオリンピック研究者。米国のボストンは2024年夏季大会に立候補していたが、最終的に合衆国オリンピック委員会(USOC)はボストンを立候補都市に選出しながら、立候補を取り下げている。この招致計画は、当初のものから計画を変更している。その内容について精査するのがこの論文の目的。著者たちは公的な会合に出席して観察し、招致委員会スタッフや招致反対運動家にインタビューをし、IOCへのコンサルタントへの質問状を送ったりして情報収集をしている。その計画変更は、エリート主導から多くの利害関係者を含むものへ、オリンピック大会のために建設される施設のレガシーから開催都市のマスタープランと協働して地元の具体的な利益を生み出す方向へ、開催費用収支の透明化へ、という3つの変更だった。しかし、その変更に都市計画者が関わることはなかった。
ボストンの招致活動は2013年に特別委員会によって開始されるが、20141月にボストン市長が関わる民間の非営利団体「ボストン2024」に移行する。この団体は32名のスタッフを雇用した。当書の招致計画はボストンが米国の立候補都市に決まった20151月にできる(Bid 1.0)。それは、これまでの米国の開催都市同様、地元の大学などを利用した、公的資金を最小化するモデルであった。ここで、二つの反対運動が起きる。「No Boston 2024」と「No Boston Olympic」である。それは、透明性の欠如と、開催費が超過した場合の納税者へのリスクに関してであった。改訂版であるBid 2.020156月に発表される。この期間にボストン2024は公的な会合を9回、州との会合を20回開催するが、形式的な質問しか許さず、Bid 2.0は南ボストンの経済発展にオリンピックがテコ入れをすることを強調していた。ボストン2024はこれを改定しBid
2.1
としてIOCに提出したとのことだが、ボストン市長がIOCとの契約を拒み、USOCはボストンを取り下げ、最終的には20159月にロサンゼルスを立候補都市とする。
著者たちは201312月の招致当初から、20158月の最後までを追っている。Kassens-Noorはボストン2024の常駐スタッフとして働きながら民族誌的な調査を行っている。Lauermannはさまざまな団体が開催した15の公的な会合に参加しながら観察をし、参加者との非公式な会話をしている。当初の計画Bid 1.0は公的な会合はなく、委員会が他の多数の利害関係者から意見を聴取した根拠もない。建設会社のCEOとマサチューセッツ州の前知事とが主導したとされる。Bid 1.0時のスタッフのほとんどがこの建設会社の雇用者であった。そして、数人は前知事の下で働いていた人であったという。この計画は、有体にも、経済発展への刺激、雇用の創出、交通投資の加速、スタジアムに新しい近隣をもたらすなどが語られていた。オリンピック関連施設は既存施設や公的施設、大学が所有する敷地などを用いた半径5km内が選択された。それは大会の実施能力や地元民の必要などに応えるものではなく、既存の教育的・医療的財産を強調するものであった。資金提供者もこの計画には疑問を呈し、活動家やジャーナリストも計画の詳細を求める。いずれにせよ、内密に進められた当初計画は、米国内の競合都市との関係のなかでの機密などを理由としたものであった。活動家たちはこの計画にロバート・モーゼス的戦略を感じ取り、公的会合を要求し、主にそこでは収支リスクが議論される。20151月にUSOCがボストンを選んだことは、ボストン2024、住民、活動家誰もが驚くべきものだった。
ボストン市長は地元の利害関係者の要望に応えるように、招致計画の改定を準備する。ボストン2024もエリート主導の計画から、民衆を取り込んだ3区分の計画過程をつくる。まず、民衆の信頼を得ること、市長による公的な会合の開催、スタッフの一新。しかし、組織がそう簡単に変わるわけではなく、運動家から批判を受け、ボストン2024201611月に住民投票をすることを合意する。Bid 2.0もボストンの継続中のマスタープランと関連付けることで、漠然とした約束ではなく地元の要望に沿ったものに変更される。ボストン2024内にも都市計画家が採用されるが、その専門的な技術が生かされることはなかった。財政収支についてもより明確なものが提示されるが、なんと経済学者のジンバリストを含む活動家たちがテレビ討論でこれを批判したという。最終的には住民の賛同を得られずに、ボストンの招致活動は終了する。いずれにせよ、ボストンの招致が異例であったわけではない。東京も含め、これまではBid 1.0のようなものであり、政治的風潮が変化したのであって、それに伴って多くの国でも招致に後ろ向きになってきている。これからメガ・イベントを招致する都市には、住民参加、地元への便益、透明な計画が求められる。それを可能にするのは都市計画者の能力だという。そして、多くの利害関係者との開かれた対話が必要である。

| | コメント (0)

オリンピック,メガイベント関連文献(英語編14)

Pitts, A. and Liao, H. (2013): An Assessment Technique for the Evaluation and Proportion of Sustainable Olympic Design and Urban Development,Building Research & Information 41 (6): 722-734.
この論文は、近年オリンピック大会開催に要求されている持続可能性に関して、その計画と都市開発における持続可能性を評価する手法を開発しようとしたものである。持続可能性というのは環境とセットであり、留意すべき項目が列記されている。1.大気汚染とオゾン層破壊、2.水資源、3.廃棄物と下水の取り扱い、4.騒音、5.都市の緑化空間、6.交通渋滞、7.都市のスプロール、8.遺棄された都市区域。一方で、評価に関わる項目については、上記8項目とは異なります。1.戦略的な開発の目標、2.マスター・プランと配置選択、3.エネルギー消費、4.水の管理、5.材料と構造、6.交通、7.大会開催後の利用、8.機能性、9.環境へのインパクト。この論文では、具体的な大会を評価したりはしていませんし、ここで提示されているのは、確かに定性的な内容を定量的に評価できるようなものですが、これですぐに何かに点数をつけるようなツールとして開発されているわけではない。むしろ、将来的な計画において留意すべき点という意味合いかもしれない。

Maenning, W. and Vierhaus, C. (2017): "Winning the Olympic Host City Election: Key Success Factors," Applied Economics 49 (31): 3086-3099.
やはりこういう論文あるんですね。オリンピックの開催都市はIOC委員の投票で決まることは知られていますが、そのプロセスではなく、結果的にどのような条件の都市が開催都市として決定するのかという研究。この論文以前にも似たようなものはあるようです。この論文では147の項目を用い、それらは以下の6つのグループに分けられます。1.経済決定要因、2.社会的・政治的・生態学的決定要因、3.観光・イメージ要因、4.インフラストラクチャー、5.オリンピック・スポーツ、6.招致のコンセプト。経済的なものとしては、GDP関係、輸出額、海外直接投資額、人口などが含まれます。社会的・政治的な側面として、IOCが好むのは自由、民主主義、市民権、グローバル化を推進する国家であるという。ということで、それらを指標化している団体や研究者の成果を利用している。また、この分類には生態学的なものも含まれるため、二酸化炭素排出量などの指標も含まれる。観光に関しては、外国人観光客数やホテルの客室数、観光客の消費額など。インフラについては、土木・運輸・通信といった指標。オリンピック・スポーツに関しては、オリンピック大会が都市持ち回りという性質から、近い過去の開催地が近くにある場合は不利であるということをダミーで入れたり、FIFAワールドカップなど他の国際大会は親和性を持つ。また、継続的な招致活動も有意にはたらく。招致のコンセプトについては、オリンピック村と競技施設との距離や、開催都市の8月平均気温や湿度なども含まれる。この論文では、この147項目に対して、59の都市についてデータを収集し、分析している。対象としているのは1992年から2020年までの夏季大会。なんと、このモデルは、8大会の開催都市を100%で的中している。特に効いていたのは、都市人口、中期のGDP成長率、政治的権利の発展、過去10年間で国際競技大会の開催などであり、一般的にいわれているように、都市圏の人口とオリンピック開催に対する支持率が大きく効いているという。しかし、将来的な開催都市の予想に関しては限界があると書いている。その一つには、最近IOCが作成した「アジェンダ2020」があり、それは持続可能性などを強調しており、これまで通り人口が多く経済規模も大きい都市がその条件を満たすとは限らないからだ。

Fyffe, I. and Wister, A. V. (2016): "Age Differences in Olympic Volunteering Experiences: An Examination of Generativity and Meaning in Life," Leisure Studies 5 (5): 638-561.
この論文は2010年バンクーバー大会を事例に、中年および高齢者ボランティアの経験を調査している。この論文では、「次世代を確立し、指導する関心」としての次世代育成能力generativity概念を参照している。そして、この概念は「人生の意味理論」と結びつく。この概念は元々エリクソンの心理社会発展の段階理論で登場したもので、コミュニティへの参加に対する動機を理解するために用いられた。オリンピックのようなメガ・イベントにおけるボランティアの経験は、固有な世代的経験を含む。
2010
年バンクーバー大会では、約2万人のボランティアが参加したが、この調査では45歳以上のボランティアを募り、結果的に255人の回答を得、46-59歳までが127人、60歳以上が128人、性別や未婚/既婚の別、健康、教育、就業の有無などの基礎データとともに、既存の研究によって指標化されている「人生の意味」「人生の目的」「命の尊厳」「自己評価」など項目が組み込まれている。結果としては、大会前と大会後で、高齢者(60歳以上)は所属感覚と人生の意味の関係が増し、中年(46-59歳)は自己評価と人生の意味との関係が増すという結果が得られている。その理由としては、中年世代は職場や子育て、高齢の親の介護などでコミュニティに関わることが多いのに対し、高齢世代は社会との結びつきが失われてきていることもあり、メガ・イベントが達成感や所属感覚、それに加えてナショナリズム的魂を高齢世代に提供するのだ。

Dyreson, M. (2013): "The Republic of Consumption at the Olympic Games: Globalization, Americanization, and Californization," Journal of Global History 8: 256-278.
これだけオリンピック関係論文を読んできても、まだまだ知らない優れたオリンピック研究者がいますね。彼はいくつかの著書と多くの論文を持っているオリンピック研究者のようです。専門は「運動学Kinesiology」となっていますが、ロサンゼルス大会を中心とした社会・文化・政治的研究です。冒頭では、ビーチバレーボールやマウンテンバイク(オリンピックの競技になったのは1996年から。以下同様)、スノーボード(1998)、トライアスロン(2000年)、BMX2008年)のようなカリフォルニア生まれの、ある意味見た目重視の新しいスポーツが、オリンピックを通じて世界中に拡散することを、世界のカリフォルニア化のような形で表現しています。読み始めは、そういう視点もあるのか、と面白いなと思いましたが、かなり歴史をしっかりと辿っていて、読み応えのある論文でした。米国で初めてオリンピックが開催されるのは1904年のセントルイス大会で、万博での開催でした。その次が1932年のロサンゼルス大会なわけですが、それまで、米国の文化的な中心といえばニューヨークであり、東海岸であったわけですが、1920年代、1930年代とカリフォルニアが「消費の共和国」のような形で台頭してくるといいます。それにはハリウッドの影響も大きく、またオリンピックで活躍する水泳選手が1920年代の大会で金メダルを獲得し、その後ハリウッド映画に出演する(『ターザン』のワイズミュラーは有名)というような感じです。米国のスポーツといえば、野球にバスケットボール、アメリカン・フットボールがあり、当初米国はこれらをオリンピックに売り込むことをしていたわけですが、これは成功しません。水泳は米国発祥ではありませんが、カリフォルニア州が水泳や陸上競技の拠点となっていきます。また、米国のオリンピック開催は、公的資金を投入せず、民間資本が基礎となっているのもよく知られていますが、そもそも組織委員会自体が政治ではなく、経済的有力者を中心に組織されるというところが米国らしいです。ですから、メディアや場所の売り込み、商品開発などが常に付きまとい、だからこそカリフォルニアがその中心になったといえます。ロサンゼルスはなんと1952年大会からずっと招致活動をし続け、ようやく1984年に開催が決まったとのことですが、メディアからは「ゴールド州」と呼ばれるほど米国のオリンピックがカリフォルニアに集中し、1988年のソウル大会ではかなりのメダルをカリフォルニア勢が獲得したといいます。ともかく、その後はビキニ姿で競技をするようなビーチバレーボールが、各国の開催国で披露され、カリフォルニア的なものが、アメリカ的なものを代表し、グローバルに展開していくことになった、というわけです。

| | コメント (0)

オリンピック,メガイベント関連文献(英語編13)

Kennell, J. and MacLeod, N. (2009): A Grey Literature Review of the Cultural Olympiad,Cultural Trends 18 (1): 83-88.
文化オリンピアードについては,ゴールド夫妻の『オリンピック都市』でも1章を割いている。現在のオリンピック大会には文化プログラムの実施が義務付けられている。前大会の終了後,本大会の4年前から実施することになっているため,オリンピックの文化プログラムは常にどこかの国で行われていることになる。2012年ロンドン大会については,太下さんの論文などで詳しく紹介されているが,ロンドン大会の文化プログラムは非常に充実していたらしい。この論文でも前半はロンドン大会の説明だが太下論文よりもより抽象的なことが論じられているように思う。まず,ロンドン大会での文化プログラムはロンドンと英国の文化的な多様性を称賛するものであり,芸術表現と創造産業を創造し,現代のロンドンを世界的な文化的首都として宣伝し,経済的な再生を促進するものである。文化オリンピアードはスポーツに参加しない人を含めて競技大会を盛り上げる地元の意思表示と成り得る。
この論文のタイトルにある「グレイ文献」という意味合いがよく分かりませんが,この論文では文化オリンピアードに関連する50以上のグレイ文献を含むレビューだとあります。それらは5つのテーマがあり,1.文化的発展,2.制度的枠組みの発展,3.社会的便益,4.教育的便益,5.宣伝的便益だそうです。スポーツと芸術を結びつけ,文化的多様性を参照し,文化的参加を増加する,協力体制を強化することで制度的枠組みを発展する,漢江と文化をコーディネイトすることで財政的に持続可能な計画を宣伝することで国際的な結びつきを発展する,まあそんなことのようです。ボランティアはコミュニティの参加に関して重要で,文化オリンピアードは創造産業の訓練機会を増やす。まあ,そんないいことしか書いてありませんね。個人的にはカルチュラル・スタディーズ的な根本的な文化批判が必要だと思っています。

Kassens-Noor, E. (2016). From Ephemeral Planning to Permanent Urbanism: An Urban Planning Theory of Mega-Events. Urban Planning 1: 41-54.
https://www.cogitatiopress.com/urbanplanning/article/view/532/532
この論文は,オリンピック関係の英語論文として初めて読んだもの。すでに,このblogでも簡単に紹介はしていますが,読み終えて大分経ってから印象的に書いたものだったので,改めて読みなおしました。この論文で著者はメガ・イベントのユートピアとディストピア,ヘテロトピアという概念を提示します。ユートピアはまさにイベント所有者や主催者の視点に立ったもので,招致段階から開催までの時期のものです。所有者・主催者側はもちろん,そのイベントが多くの者に正の効果をもたらすと信じて疑わないわけです。著者は都市計画系の研究者ですから,「メガ・イベント・レガシー・ユートピア」という言葉も使い,開催都市にとって魅力的なメガ・イベントがもたらす理想的で長期的な結果と可能性を有するものを描きます。開催前に行われる経済効果分析が科学的なものというよりは希望観測的なものということはなんどか書いていますが,ユートピア的な見方は実際の状況を勘案せず,負のレガシーについても考えません。そういう具体的なことや負の効果を考え始めるとディストピアにならざるを得ません。反オリンピック集団,強制立ち退き,移転,メガ・イベントのための巨大プロジェクトの失敗などがメガ・イベントのディストピアとなり,時期的にはイベント開催後(もちろん,建設時も含みますが)ということになります。著者は2024年大会のボストン招致に携わったらしく,その経験や関係者へのインタビューもこの論文を執筆する動機になったようです。ユートピアとはトマス・モアの作品名(1516年)ですが,それ以前のプラトンの『国家』にまでさかのぼり,産業革命を経た後のル・コルビジェやエベネザー・ハワードなどの都市理論もその系譜に入れています。メガ・イベントの典型的な所有者としてIOCの歴史にも触れ,ワールドカップや万博などをメガ・イベントとしています。政府や都市で積極的に開発の担い手になるような企業にとってはメガ・イベントは非常に魅力的なのですが,実際の計画に際しては,その透明性や公的な説明責任,非暴力的な解決法などを著者は強く求めています。この論文には,メガ・イベント・ユートピアの概念図も提示されています。完全なるメガ・イベントとは,土台に100%公的な支援のある社会があり,3本柱として,全てを得てリスクを負わない経済,アスリートの経験というイメージ,施設や交通,住宅といったインフラストラクチャーが屋根を支えています。IOCは開催都市に補償金を求めながら,損失の一切は負いません(今は少し変わったようですが)。オリンピックはアスリートたちの競技の素晴らしさというイメージを先行させることで「オリンピックの魔法」をかけ,負の側面を覆い隠します。世界中の人々が集まるというイメージは経済に対してもクリエイティブなイノベーションを生み出すような正の側面を強調することになります。施設,アクセス交通といった著者が得意とするインフラについては,施設の立地が一か所集中的なものか,2か所,3か所,4か所と分散的なものかという議論が地理学的には興味深いです。ちなみに,東京は1964年大会も2020年大会も2か所です。メガ・イベント・ヘテロトピアはイベント後の雑種的な都市システムにおけるレガシーの蓄積だとされています。リオを例に,レガシーのヘテロトピア的進化が地元(ロカール)や利害関係者の見方によってさまざまに脅かされているといいます。ヘテロトピアとは,理想的なユートピアと現実的なディストピアとの間,組み合わせ,ということでしょうか。最後に,計画家として,メガ・イベントをどのように計画すればよいのかの指針が示されます。「端的に,メガ・イベントは開かれたものとして統治されなければならない。開かれた政府は,知識の管理や,活動的な参加や,公的な意思決定の道具としてオンラインのサービスを管理しなくてはならない」(p.51)。何度も読み返す価値のある論文です。

Walker, M, Heere, B., Parent, M. M. and Drane, D. (2010): Social Responsibility and the Olympic Games: The Mediating Role of Consumer Attributions,Journal of Business Ethics 95: 659-680.
この論文は企業の社会的責任(CSR)をテーマにしています。この概念を私的企業だけでなく,企業と同様の活動をしている規模の大きいNGONPO団体にも当てはめることができるというもの。事例としては2008年北京大会の運営主体の一つであるIOCを扱っています。2008年の開催までにIOCは歴史的にその責務を変化させており,その経緯が概観されます。国連の決議に従って,環境に配慮したり,持続可能を訴えたりしてくるなかで,IOCCSRを強く意識しなければならない状況にあります。この論文では,いくつかの仮説を立て,それを通常の企業活動の消費者,つまりオリンピックにおいては観戦者にアンケートすることで明らかにしようとします。2008年大会を観戦するために世界から北京を訪れた外国人503人の回答結果の,定量的な分析結果を示しています。ちなみに,国別内訳は米国が37.6%,カナダが8.9%,オーストラリアが4.8%,その他も韓国,メキシコ,英国,ドイツとかなり偏りがあります。それは英語でのアンケートという側面もありそうです。その統計学的な分析はよくわかりませんが,質問項目は26ほどあり,IOCが環境問題に配慮しているか,きちんと組織されているか,IOCを支持したいと思うか,イベントお土産を購入したか,などなどです。それぞれの質問が,CSRに関する類型的な意識や態度,意図や動機に関わっています。結局,この論文もオリンピック研究への寄与というよりはCSR研究への寄与が主なので,結論的に何か得られたかというと,私にはイマイチいでした。一文だけ引用して終わりにしましょう。「IOCは,社会的アウトリーチとの結びつきの背後にある動機の消費者の認識の重要性を強調すべきである」(p.675)。

Roslow,S., Nicholls,J. A. F. and Laskey, H.A. (1992): Hallmark Events and Measures of Reach and Audience Characteristics, Journal of Advertising Research 32 (4): 53-59.
ホールマーク・イベント研究はこれまで観光研究の文脈で行われてきたが、この論文はマーケティング戦略で捉えようとしている。観光という意味では、イベントによって開催都市外からの移動を前提とするが、もちろん開催都市内の参加者もいる。また、この論文は冒頭で広告やメディアについても言及しており、そのイベントがどういう人をターゲットとするかで、スポンサーやイベント参加者に対する対応が異なってくる。著者たちは米国フロリダ州で19841989年までに開催された10のイベントで、参加者にインタビュー調査を行っている。自由参加のオープン・イベントの場合は参加者数は警察の発表や航空写真による算出などで、チケット・ベースのイベントはチケット販売数で管理される。
ビジネス博覧会やグランプリ、カーニバルなどが調査対象には含まれ、規模としては2万人程度から、140万人まで差があり、調査サンプル数も130人から688人までまちまちである。基礎的な属性として年齢、収入、性差などが整理され、ビジネス博覧会の参加者は平均40歳程度で高収入者が多い。グランプリは男性の割合が6割を超え、平均年齢は30歳程度。カーニバルなどのお祭りでは低収入者が多いなど、イベントの特性によって参加者の属性は異なる。また、参加者の居住地についても質問しており、開催のカウンティ、フロリダ州、米国の他の州、外国などの割合が示されてる。3つのイベントに限定して示されている表で面白いのが、ビールの銘柄の割合である。日本でもある程度、スーパードライかキリン・ラガー、一番搾り、黒ラベルなど、なんとなく性格による分類ができそうだが、米国ではバドワイザー、クアーズ、ハイネケン、レーベンブロイ、ミラーの違いは階級差を示すのだろうか。ともかく、純粋な学術調査というよりは、マーケティング戦略に利用するという腹黒さが否めない論文だが、他にはない面白さもある。

Ziakas, V. and Boukas, N. (2014): "Post-Event Leverage and Olympic Legacy: A Strategic Framework for the Development of Sport and Cultural Tourism
in Post-Olympic Athens," Athens Journal of Sports 1 (2): 87-102.
2004
年アテネ大会では、いくつかの施設が大会開催後に利用されなくなったことが知られているが、この論文ではオリンピック開催後のアテネをスポーツと文化観光として利用するための方策を探ることを目的としている。Kassens-Noor2016)ではアテネの施設配置は3箇所立地と分類しているが、この論文では新設施設を多核的に分散させる戦略であったという。オリンピック開催に向けて整備されたものとしては、新国際空港、新地下鉄ネットワークなどがあるという。しかし、オリンピックの組織委員会と観光団体との協同の欠如があったという。この論文では、Chalip2004)が導入したという「投機するleverage」という概念を枠組みとして使っている。この論文は、9人の市職員と観光行政官とのインタビューによる定性的分析である。いずれのインタビュー対象者も、オリンピックがアテネ市にとってスポーツ・文化観光の開発にとって重要なものであると認識している。回答者によれば、アテネは自然資源に富んだスポーツ・文化観光地としての優位性を有しており、文化や良い天候、買い物、海洋スポーツの適切な環境などが備わっている理想的な都市目的地だという。しかしその一方で、市のみならず国全体としての経済危機が大きな問題であることに回答者たちは同意している。オリンピックに関しては、新しく建設された施設が他のレクリエーション利用との関連性を有しないがゆえに耐えられない維持費になっている。そうした施設のスポーツはギリシアでは人気がないようで、回答者たちは文化イベントや会議、などの目的に変更し、文化観光との相乗効果を生むスポーツ観光の開発を強調している。ただ、既に閉鎖してしまっているオリンピック関連施設を再利用する効果的な計画は思い浮かばないという。そのためにも、官民の協同を構築することが、オリンピック・レガシーに投機するのに必要である。最後に、この論文では、2004年大会で新設された各施設について、スポーツ観光として利用する場合と、文化観光として利用する場合との方策を提案している。ただ、この論文ではあくまでも限られた人数のインタビューだけなので、ハード面での計画は抽象的な提言にとどまり、観光の上部構造といっているように、ソフト面というか理念的なものにとどまっています。

| | コメント (0)

サッカースタジアムと都市

ベイル, J.著,池田 勝・土肥 隆・高見 彰訳 1997. 『サッカースタジアムと都市』体育施設出版,323p.2,500円.Bale, J. 1993. Sports, Space and the City. London and New
York: Routledge.

オリンピック関係の日本語文献を読んでいて,たまたま参考文献に載っていて知った一冊。著者は英国の地理学者だが,ただ一人「スポーツ地理学」を訴えていて,院生時代から知っていた。本書はまさしく私が院生時代に原著が出ていたが,おそらく私の所属していた大学の図書館には入っていなかったと思う。ベイルに関して日本の地理学で言及しているのは,おそらく福田珠己さんの『経済地理学年報』に載ったジョギング論文だけだと思う。この本訳書を知っている日本の地理学者はどれだけいるのだろうか。まあ,出版社も出版社なので,何部発行されているのか。ともかく,入手できてよかった。

1章 序文:スポーツ,サッカー,都市
2章 スタジアムの変容
3章 近代スタジアム景観の矛盾
4章 スタジアムと場の存在感
5章 迷惑な土曜日のサッカー試合――サッカー公害
6章 本拠地選定と移転問題
7章 解釈と今後の展望

1993年の出版ということで,時代的な雰囲気がよく出ているが,スポーツ地理学の一冊とはいえ,当時の英語圏地理学の状況が色濃く反映されている。サッカーとスタジアムをめぐる議論だが,一冊丸ごと地理学的なテーマで貫かれているのはさすがとしかいいようがない。まずは第2章でサッカースタジアムの変容の歴史が概観される。『アルコールと酔っぱらいの地理学』でも,英国において,サッカーは庶民のスポーツで,ラグビーは上流階級のそれであるということを知ったが,サッカーはそれこそ,平地とボールがあれば成立するスポーツで,かつては遊戯といってもいいのかもしれない。それが,選手と観客とがまず分けられ,観客もスタジアムの内外に境界が設けられ,区別される。サッカーというスポーツが近代化を遂げる過程で,建造物としてのスタジアムがその役割を果たす。地理学者レルフの景観論を頼りに,建造物としての近代化を論じ,『文明化の過程』の著者であるエリアスがダニングとの共著『スポーツと文明化』によってサッカーの近代化を論じ,近代的なものとして成立したサッカースタジアムをフーコーの「一望監視」論で捉える。
本書で「場の存在感」と訳されているのは「sense of place」だが,レルフのみならず,トゥアンも登場し,ファンの場所愛が論じられる。サッカースタジアム内部の観戦者の分布から階級を論じ,都市内のサッカースタジアムの立地で都市構造を論じる。サッカーおよびスタジアムをめぐる人々の区分はもちろん階級だけでなく,ファンとそれ以外,ファンはホームとアウェイ,熱心なファンとそうでないファンなどに区分される。フーリンガンなどファンによる迷惑港によって,スタジアム自体が時には迷惑施設(NIMBY)とみなされ,マンチェスター・ユナイテッドにいたっては,英国全土に広がるサポーター・クラブの立地図までもが示される。この辺りまではある程度想定できる研究だが,私の想定外で面白かったのは,本拠地移転の問題。英国のサッカーリーグ所属クラブの本拠地移転は,179件確認されていて,それの累積度数グラフを1865年から作成しているのだ。そして,特に多いのが1900年を境とした前後10年間で,多くのクラブが移転している。スタジアム内部空間,都市内空間とスケールが上がっていき,ここにきて都市間スケールにまで達する。そして,それは場所愛というか,クラブチームへの愛着と密接に関係していることは地理学者でなくても分かる。そして,本書はレルフやトゥアンだけではなく,ハーヴェイもかなりの頻度で登場する。さらにいえば,グレゴリーやフィロ,スリフト,シブレイ,レイなど多くの地理学者が登場する。まあ,それはともかく,ハーヴェイに関しては1980年代後半の都市論が取り上げられ,サッカースタジアムの建設,移転,誘致,経営などが企業経営としてよりもむしろ都市政策,都市経営の観点から分析される。さすがに,訳文にはいくつか問題はあるが,それは本書を訳していない地理学者の怠惰であって,むしろ本書を訳したスポーツ研究者の勇気を讃えたい。また,本書には図版も多く,難解な議論はないものの,的確な文献参照で,論拠も示され,説得的に論が展開されている。今からでも遅くないから,書評などで多くの地理学者に知ってほしい本だ。

| | コメント (0)

家族で映画

2019517日(金)

吉祥寺アップリンク 『ブルー・キャット・ブルース』『パークス』
随分前の映画日記ですみません。吉祥寺を舞台にした映画『パークス』を再映するということで,久しぶりのレイトショーに行った。主は『ブルー・キャット・ブルース』という短編映画で,プロデューサー,監督,出演俳優による舞台挨拶もついていた。かつて映画館として利用されたこともあったビルが取り壊されることになり,その前に撮影したということだったので,バウスシアターのことかと思ったらそうではなかったようだ。私の知らない映画館が吉祥寺にまだあった,ということらしい。プロデューサーは韓国人の若い女性,監督はそれよりさらに若く,映画専門学校を出たての感じ。まあ,作品もなんともコメントのしようがない。
『パークス』はそこそこ面白かった。橋本 愛ちゃんを見たのも久しぶりだったし,朝ドラの主演ですっかり全国区になった女優,永野芽郁ちゃんの演技は初めて見た。この女優さん,演技を含めて魅力的ですね。今後主演映画があったら観たいと思います。相手役は染谷将太君ですが,さすが。ちょっとくどいと感じられる演出もありますが,全般的には若い3人の演技が堪能できる良い作品。
https://joji.uplink.co.jp/movie/2019/2198

201977日(日)

府中TOHOシネマズ 『きみと,波にのれたら』
なぜか子どもたちに予告編を見せていたら,4歳の娘が見たいといった作品。私と2人で観に行きました。アニメーション映画ですが,声の出演がEXILEファミリー(?)の片寄涼太という人で,主人公は女性の方だと思うが,川栄李奈。展開はありがちな恋愛ドラマだが,男性主人公が消防士ということで,その仕事の様子が細かく描かれていたり,コーヒー屋のシーンも丁寧に描かれていて,しっかりと入り込める作品世界になっています。クライマックスの火事のシーンでは娘はちょっと怖がりましたが,そこそこ楽しく見られたようです。「予告編と違うー」とおっしゃっていましたが。
https://kimi-nami.com/

TOHOシネマズ 『ザ・ファブル』
鑑賞後,家族と合流して昼食をとり,娘を預けて私は1人でもう一本。岡田准一君が主演の殺し屋コメディ映画を観ました。原作はコミックのようですね。木村文乃や柳楽優弥,佐藤二郎など要所でわき役が活躍していることもあり,飽きずに楽しめました。終盤の戦闘シーンにかなり無理があったのと,山本美月さんの存在感や,コメディタッチの中,柳楽君の迫力が素晴らしかったのに,終盤では情けない役になるところがコメディになり切れないなど,いくつかの難点がありましたが,全般的に岡田君の頑張りに目を見張る作品ですね。
http://the-fable-movie.jp/

2019714日(日)

昭島MOVIX 『トイ・ストーリー4
今度は家族4人で鑑賞。私自身は,トイ・ストーリーを観るのは初めてですが,前作を知らなくても十分に楽しめますね。さすがといった感じ。ちょっと予告編では観たいという感じを抱くことはありませんでしたが,観てよかった。何といっても魅力的だったのが,ボー・ピープ。映像での表情も素敵なのですが,なんといっても吹き替えの戸田恵子さん。今ではアンパンマンなど子どもアニメの主人公役で有名ですが,私たちの世代は洋画がテレビで放映される際のヒロインといったら戸田さんだった。もちろん,『キャッツ・アイ』の瞳役は忘れられません。
https://www.disney.co.jp/movie/toy4.html

 

| | コメント (0)

オリンピック,メガイベント関連文献(日本語編1)

金 銀恵(2017):1980年代韓国のスポーツメガイベントと江南づくり.日本都市社会学会年報 35: 103-120
昨年,英国の大学で教鞭をとる韓国の地理学者,Shinさんが来日した際に,荒又さんの研究グループの面々とオリンピック関連の場所を巡検した。その際に,参加していただいたのがこの論文の著者,金さん。韓国人の社会学者ですが,一橋大学に留学されていて,町村さんのところで学んでいたとのこと。この論文は1988年ソウル大会を含むもの。おおまかにいうと,ソウルに流れる漢江の南部を「江南」と呼ぶことになるが,従来の中心地はそれに対し「江北」と呼ばれ,江北の人口集中を是正するために国家主導で江南の開発が行われたとのこと。もともとこの地区は,例えばオリンピックの主要施設が建設される場所は「蚕室」と呼ばれ,養蚕地区であったり,漢江の氾濫域や中洲のような土地で,1970年代に土地改良も行われた。政府は江南に強制的に進学校などを移転させ,階層の高い人々を集めるように仕向ける。そこに,1986年アジア大会と1988年ソウル・オリンピックというメガ・イベントをあて,開発を促進させる。アジア大会時に建設された選手村は終了後に高級アパートに姿を変え,日本ほど一戸建て志向でない韓国では,ここに住むことがステイタスとなった。オリンピック大会時の選手村でも同様で,「現在のソウル市内が中産層向けの「アパートの森」となった」(p.115)という。こうした過程を,いくつかの都市理論を参照し,ハーヴェイ的な意味での「圧縮的都市化」,ヴィヴィリオ的な「速度戦的都市化」,あるいは「投機的都市化」と呼んだりします。当時は日本同様に地上げ的な形で立ち退きも行われ,オリンピックに合わせては都市美化も行われたという。

 

金 白永著,阪野祐介訳(2018):江南開発とオリンピック効果――197080年代蚕室オリンピックタウン造成事業を中心に.空間・社会・地理思想 21: 63-79
1960
年代,ソウル市南部を流れる漢江はソウル都市圏の南の境界をなす存在であったが,漢江南部を新都心として開発することで,江南地域を都市圏に編入する都市計画が1960年代後半から行われた。ソウル市は1970年のアジア大会を招致することで,その開発を促進する計画だったが,資金難で経費を提供してタイのバンコクで開催される。しかし,韓国は1980年以降に経済成長を遂げ,江南地域の開発も進められ,1986年にアジア大会が,1988年にオリンピック・ソウル大会が開催される。オリンピックの主要施設が建設されたのは,これまで漢江の水害に悩まされていた中洲の蚕室地区である。治水整備がなされ,江北の都心と江南の新都心とを結ぶ複数の橋がかけられ,蚕室地区は文化・流通中心地区として多くの市民公園も擁する美観地区として整備された。

 

佐伯年詩雄(2014):現代オリンピック考――モンスターイベントに群がるビジネスと政治.現代スポーツ評論 30: 69-79
学術的にはメガ・イベントという表記が一般的だが,スイスの地理学者ミュラーはそのなかでも近年のオリンピック夏季大会などをギガ・イベントと名付けている。この論文では,その研究を受けているわけではなく,また単に規模のことだけを言っているわけではないが,近年のオリンピックを「モンスターイベント」と名付け,批判する。まあ,モンスターペアレンツなどと同等に,手の付けられない,迷惑な,という意味を込めているとは思う。他にも「スーパーグローバルイベント」などとも表現している。この論文は主に,3点から議論している。一つ目はオリンピックの本来のあり方ですが,アスリートによるスポーツ競技。しかし,これも記録が優先されるのではなく,勝敗が優先されるのがオリンピックだという。オリンピックで達成される世界記録は少なく,4年に1度という希少性が,そして選手が属する組織の代表という側面がオリンピックにおける勝敗への執着へとつながっているという。第二は,グローバル企業によるコマーシャル・ゲームになっているということ。1984年ロサンゼルス大会以降,オリンピック開催が都市ビジネスになり,放映権争いとなり,スポンサーの地位争いになっている。第三が国民国家のポリティカル・パワーゲーム。グローバル化に内在するアイデンティティの揺らぎに対し,「五輪こそは,まさしく絶対で公明な差異を生成し,それを優劣で秩序付ける最高の仕掛であろう。」(p.77)と結論付ける。オリンピックがファシズムに通じるというのは天野編(1998)『君はオリンピックを見たか』でも論じられていたが,この論文では「「テロ対反テロ」図式は,反テロが体制側である限りでファシズム化する危険を持つ」(p.78)という論理で論じている。

 

阿部 潔(2016):東京オリンピック研究序説―「2020年の日本」の社会学.関西学院大学社会学部紀要 12365-83
この論文をはじめとして、著者が取り組もうとしている東京オリンピックの社会学的研究は、「東京オリンピックを切り口として「2020年の日本」を社会学的に問うことの意義を示す」(p.65)とされている。まずは、2020年東京大会の意義について問いかける。よくいわれているように、2016年大会の招致段階では、東京で開催する意義は曖昧なものだったが、2020年大会においては、それが「復興」とされた。しかし、これも多くの者が指摘しているように、その表向きの意義は、その実現性と逆に五輪開催が復興事業を阻害しているという疑念を払しょくできていない。こうした一過性のイベントが、開催期間が決められているがゆえにその準備が急がされ、優先されるというのもよく指摘されることがだが、この論文では、新聞記事検索で「2020年までに」というフレーズが決まり文句になっていることを指摘する。
続いて新国立競技場問題が解説され、その問題を「国家的なプロジェクトを総括する公的機関におけるガバナンスの問題」(p.71)としている。結局、「あるべきスタジアムの姿」が深く議論されることなく、金額の問題だけに終始していた。実際、近年規模も金額も膨張するオリンピック競技大会に対し、IOCも経費のかからないということを開催都市選定の条件としている。ボイコフが2014年ソチ大会に関する論文で指摘したPPP(公共民間共同)は2020年東京大会にも、例えば選手村の開発に当てはまると著者はいう。また、引用はされていないがミュラーが2015年の論文で使った「症候」という語も著者は使っていて、エンブレム問題を例にこの大会がはらむ問題を提起している。最後に、著者は自らのオリンピック研究を「スポーツの外側からの」アプローチと主張している。セキュリティやジェントリフィケーション、都市空間の再編成、ボイコフの主張する祝賀資本主義の問題、そしてそれに抗う使命を自らの社会学に課している。

 

金子史弥(2014):2012年ロンドン・オリンピックが創った新たなレガシー――スポーツ・マネジメント諭/スポーツ社会学の視点から.AD STUDIES 50: 17-23
2012
年ロンドン大会について、レガシーの観点から研究を進める著者。この論文では、まず2005年に作成された招致立候補ファイル、2008年に作成された計画書、そして2010年に作成されたレガシー計画書の検討を行っている。この著者のレガシー概念は「社会的変化(レガシー)」(p.18)と表記されているように、かなり広義である。そして、ロンドン大会を成功とみなしており、それがどのような理由化を追求している。まずは選手団の好成績、ボランティアの活躍を挙げる。ボランティアについては7万人の定員に対し、24万人の応募者があり、合格者はマクドナルドが指導・訓練をしたという。ロンドン大会がもたらしたものとしては、ナショナル・プライドの高揚、ボランティア活動に対する意識変化、多様性の肯定を挙げている。多様性の肯定に関しては、開会式の批判的分析である森野(2013)を挙げながらも著者は肯定的に捉えている。結論としては、ロンドン大会の成功から、2020年東京大会も学ぶべきだという。

 

金子史弥(2014a):2012 年ロンドンオリンピック・パラリンピックの「レガシー」をめぐる政策的言説の創造と政策実践の展開――大ロンドン市における「スポーツ・レガシー」に関する取り組みに着目して.一橋大学スポーツ研究 33: 16-33
この論文では、著者が比較的広義に捉えていたレガシー概念を「スポーツ・レガシー」(スポーツの振興に関わるレガシー)に限定し、さらに大ロンドン市の政策と関連付けて考察している。冒頭ではIOCによるレガシー概念を整理し、この概念が初めて適用される大会として、2012年ロンドン大会においてこの概念をいかに計画に取り込んでいったかが整理されている。次に、学術研究におけるこの概念の検討を概観している。特に2012年ロンドン大会に関する研究もあるようで、それらは英国の政策的言説との関連によるものがあり、これを受けてこの論文では中央政府の政策だけでなく、開催都市である大ロンドン市の政策を検討する必要性を主張する。大ロンドン市は、2012年大会の開催を受け、2009年にスポーツ振興に関する政策文書を発表し、3年間で1,550万ポンドを投資する計画を示す。さらに市長がスポーツ・レガシー計画を打ち出し、スポーツ施設、能力と技能の構築、スポーツ参加基金、などについて、各行政区で個人や団体、プログラムなどに支援をしたといい、論文ではその分布図が示されている。こうした支援は若者や高齢者、障害者や女性といった社会的弱者に対するものであったこと、さまざまな社会問題の解決が目指されていることなどが指摘されている。

| | コメント (0)

アルコールと酔っぱらいの地理学

ジェイン, M.・バレンタイン, J.・ホロウェイ, S. L.著,杉山和明・二村太郎・荒又美陽・成瀬 厚訳 2019. 『アルコールと酔っぱらいの地理学――秩序ある/なき空間を読み解く』明石書店,282p.2,700円.Jayne, M., Valentine, J. and Holloway, S. L. 2011. Alcohol, Drinking, Dranleness: (Dis)Orderly Spaces. London: Ashgate.

以前『E-Journal GEO』にも共著論文を書いたことのある4人による共訳書がようやく出版されることになりました。この4人の勉強会も随分長らく続いているような気がします。私が結婚する前からですから,もう10年になるかもしれません。今回の企画は杉山君が持ってきたもので,2011年の原著ですが,私のPCに保存されているファイルによると,2016年のはじめに準備が始まり,私の担当第6章の一次訳ができたのが2016年の9月のようです。それから3年が経ちますね。でも,出版社もすんなり決まり,それからは早かったような気がします。ともかく,多くの人に読んでいただければ嬉しいですね。

日本語版へのはしがき
序章 酒・飲酒・酩酊の地理
1章 都市
2章 田園
3章 ホーム
4章 ジェンダー
5章 エスニシティ
6章 世代
7章 感情と身体
「もう一杯いかが?」――あとがき
付録1 事例研究と研究デザイン
付録2 ビンジ・ドリンキングの定義とアルコール量単位の解説
付録3 イギリス政府による全国統計の社会経済的分類
「酔いに任せてもう一杯」――訳者あとがき

私の手元に何冊かありますので,このblogの読者には謹呈いたします。ご希望の方はメールでお知らせください。

| | コメント (5)

オリンピックと万博

暮沢剛巳 2018. 『オリンピックと万博――巨大イベントのデザイン史』筑摩書房,270p.860円.

著者の暮沢さんは以前から著書を何冊か読んでいる,現代美術研究者。彼がオリンピック本を書いているということで読むことにした。ちなみに,本書は「ちくま新書」の1冊。それ自体は驚くべきことではない。いろんな分野に手を出して,どれも一定の水準でまとめてしまうところが彼のすごいところ。1964年オリンピックに関して,代々木体育館を設計した丹下健三やポスターをデザインした亀倉雄策については,すでにほかの文章で読んでいるが,万博との関係,そして2020年大会の話など,知っておきたい。

はじめに
1章 世界デザイン会議から東京オリンピックと大阪万博へ
2章 「国民的」建築家――丹下健三
3章 グラフィック・デザインという戦略――亀倉雄策
4章 デザイン・ポリシーによる統率――勝見勝
5章 原子力の1960年代――岡本太郎
6章 マルチプロジェクション――観客から群衆へ
7章 万博パビリオン――「日本館」の系譜
8章 デザイン・コンペ――東京オリンピック2020エンブレムと新国立競技場

本書はデザインの観点から,オリンピックでいえば1940年の返上した大会と1964年夏季大会,そして2020年東京大会とを,そしてオリンピックと万博とを連続的に考えようとするもの。1964年東京オリンピックと1970年大阪万博とはもちろん独立したメガ・イベントだが,返上して中止になった1940年はそもそもオリンピックと博覧会とを同じ東京で開催する計画だった。1940年の博覧会は確か,国際博覧会条約に基づいたものではなかった気がしますが,本書では当時発行された万博の入場券がデザインの観点から提示されています。そして,この万博は中止ではなく延期されたとのことで,この入場券は1970年大阪万博,そしてなんと2005年愛知万博でも使用されたとのこと。
1章のタイトルにあるように,本書でまず強調されるのが,1960年に開催された「世界デザイン会議」。デザインというカタカナ言葉が日本に導入されるのは戦後で,美術学校における図案科からデザイン科への名称変更,各種協会や専門誌の創刊などが1950年代に集中し,この会議をもって日本に「デザイン」という言葉が浸透したという。この会議の実行委員には第2章で論じられる建築家の丹下健三,そして民芸の柳 宗理も含まれていた。デザインに関する抽象的な議論が展開されたというこの会議の実験場とされたのが東京オリンピックと大阪万博だといいます。第2章の主役,建築家の丹下健三は戦時下に2つのコンペで1等を受賞し,戦後にもいくつかの公共建築を設計し,1950年代には代表的な地位を獲得していたという。1964年東京大会で施設特別委員会の委員長を務めていた岸田日出刀は1940年大会でメインスタジアムを設計した人物だったというが,1940年は幻となり,メインスタジアムではないが,1964年の室内競技場の設計者として,岸田の東大時代の教え子であった丹下を指名したという。丹下は,この設計を吊り屋根という画期的な工法で実現し,今日まで残るいわゆる代々木体育館を作ったわけだが,このデザインに至るまでの経緯も,本書では丁寧にたどっている。こうした傑作は決して一人の手で成し遂げられるわけではない。そして,丹下は1970年大阪万博では会場の全体的な基本計画に関わることになる。第3章は1964年東京大会のエンブレムをデザインした亀倉雄策に関する章だが,彼に関しては,すでに清水 諭編『オリンピック・スタディーズ』に収録された前村文博「日の丸とモダン――’64東京大会シンボルマークとポスターをめぐって」を読んでいた。本書では亀倉の日本工房との関り,また彼が立ち上げた日本宣伝美術会などより広い文脈が示され,そして先述した1960年世界デザイン会議からの連続として1964年オリンピックが論じられる。第4章で登場する勝見 勝は1964年オリンピックをデザインという立場から統率した人物の話で,これももちろん一人の功績ではないが,若いデザイナーを多用してデザイン的に統率された初めてのオリンピック大会として強調されている。なお,大阪万博についてはこうした統率がうまく機能しなかったという。第5章は岡本太郎と1970年大阪万博の話だが,岡本太郎もすでに1964年オリンピックにメダルのデザインとして参加している。そして,丹下健三が設計した旧都庁舎の壁画を担当するなど,丹下との関りが示されます。そして,全体の基本計画をしていた丹下の下で,岡本は太陽の塔が建てられる「お祭り広場」のプロデューサーという立場となる。この広場は巨大な屋根でおおわれる計画だったが,太陽の党はこの屋根の真ん中に穴をあけて,そこから顔を出すという斬新なデザインだった。第5章のタイトルには「原子力」とあるが,万博の開幕日に敦賀原発が稼働し,その電力が万博で利用されたという。岡本の作品が原子力から大きなインスピレーションを受けているという解釈や,大阪万博での原爆関連展示の話などはあるが,岡本自身が,そして万博自体が原発に対して危機感を持ったアンチの立場なのか,希望の未来エネルギーといった楽観的な立場なのか,はっきりは論じられていない。第6章と第7章は大阪万博以降の万博も含めた万博の話。どうやら,著者が本書を書こうとした動機の大きな一つは万博への興味らしい。ということで,むしろオリンピックに関心のある私としてはこの2つの章は割愛します。
そして,第8章が2020年東京大会をめぐるもので,これはよく知られているエンブレムと新国立競技場の白紙撤回問題です。概要は多くの人の知るところだが,詳しく年表なども付けてくれて記録しているところがありがたいです。知ったつもりになると,どんどん記憶の彼方に追いやられてしまい,後で整理するのも一苦労したりします。そして,本書ではこの問題を新しい問題としてではなく,デザインをめぐる問題として日本ではかつてからあったと指摘しています。

| | コメント (0)

オリンピック,メガイベント関連文献(英語編12)

Silver, J. J., Meltis, Z. A. and Vadi, P. (2012): Complex Context: Aboriginal Participation in Hosting the
Vancouver 2010 Winter Olympic and Paralympic Games,
Leisure Studies 31 (3): 291-308.
カナダと英国の地理学者3人によるオリンピック論文。第一著者の博士論文の一部のようです。まず,面白いのが著者に関する説明で,3人とも先住民(ここではAboriginalではなく,Indigeniousが使われています)ではなく先住民からの視点ではない,ということを断っている。そして,オリンピックに関しても楽しむ派で,自国の選手を応援するという。2010年バンクーバー大会については以前も紹介したボイコフが反オリンピック運動について研究しているし,O
Bonsawin2010)は先住民との関りについて批判的に論じている。しかし,本論文はその一方で評価できる取組みを紹介している。バンクーバー大会の組織委員会(VANOC)は招致の段階から先住民たちとの協同を計画しており,カナダに4つある代表的な先住地区である,LilwatMusqueamSquamishTsleil-Waututhからなる4つのホスト先住民協会(FHFN)が組織される(ここではFirst Nationです)。バンクーバーのあるブリティッシュ・コロンビア州における先住民との関りの歴史も概観されます。日本におけるアイヌと同様に,植民者と先住民との関係は交易から始まったようですね。それが徐々に不均等になり,搾取的になっていき,最後に政治権力による抑圧という過程も日本と似ています。法律の制定は日本よりはましのようですが,バンクーバー大会に関しては,先住民の土地の一部が会場となり,反対運動も起きます。しかし,この論文で強調されるのは,両者の対立ではなく,VANOCFHFNの協力です。
FHFN
が公式に作成した先住民たちがオリンピックで果たす役割に関する議定書に同意し,各地区の代表が署名した。これに対して,VANOCFHFNの代表同士も署名し,主に芸術と起業に関する事業が開始する。オリンピック主要施設に隣接して先住民の作品が展示される。作品をライセンス化し,商標化することで起業活動と結び付けていく。大会中には,FHFNのパビリオンが設置され,世界中からの先住民シンガーやダンサーがパフォーマンスをしていた,バンクーバー国際空港でも北米の先住民芸術を収集・展示を行っている。バンクーバー市もお金を出し,オリパラ芸術プログラムを実施したという。結論では,こうしたVANOCFHFNの共同が,場合によってはオリンピック開催側と先住民たちの緊張や不平等な権力関係などを覆い隠してしまうことになるが,この論文の著者たちは2010年バンクーバー大会の物質的なレガシーと位置付けたいという。今後もこういう機会に先住民たちが自らの権利や自己定義の目的を訴え続けることになればと願っている。

Robson, G. 2016. Multiculturalism
and the 2020 Tokyo Olympics,
Journal of Tourism
Studies
(東洋大学観光学研究) 15: 51-59.
雑誌は東洋大学の紀要,著者は東洋大学国際地域学部の教員ということで,著者が外国人である以外は日本の論文といってよい。内容的にもまあ,お粗末です。冒頭で日本の観光政策を概観し,さらには国際化から国際交流,異文化交流などといった日本における大衆レベルの多文化主義概念の浸透を一般化し,英語教育についても述べる。23区で外国人の多い足立区と台東区を例に,ウェブサイトの多国語表記がどうなっているとか,そんなこと。2020年東京オリンピックを機に外国人(観光客も移住者も)に開かれた国になってほしいみたいな。

Muller, M. (2014): The
Topological Multiplicities of Power: The Limits of Governing the Olympics,

Economic Geography 9 (3):
321-339.
すでに何本も紹介しているスイスの地理学者ミュラーのオリンピック論文。2016年の共著論文でも知識の経済地理学の文脈で,自らのオリンピック研究を活用するという論文がありましたが,今回も同様に知識のネットワークの経済地理学という感じでしょうか。ラトゥールのアクター・ネットワーク理論に依拠した議論をしています。この論文で用いられているのは,ラトゥールの『社会的なものを組み直す』で提示された「オリゴプティコン」です。この本はまだ読んでいませんが,目次にも登場し,「パノプティコンからオリゴプティコンへ」となっており,フーコーの有名な概念パノプティコン=一望監視と対比される概念なので,多望監視という感じでしょうか。そこから,ミュラーは論文のタイトルにもある「権力の地勢学的複雑性」を引き出します。
この論文でも,2016年の共著論文と同様に,オリンピック大会を開催するための知識がIOCを中心に4年ごとに開催都市を巡回するということを分析しようとするものです。2016年の共著論文でも,オリンピック大会における知識の伝達には対面コミュニケーションよりも文書によるものが多いとされていましたが,この論文でもそこが強調されています。まず,1980年代までIOCは,大会開催に対して財政的な人材的な支援をほとんどしていなかったという。1980年代から1990年代になるとIOCは権力となる資源を集めるようになります。権力とは企業や国家,都市といった特定の主体の能力であり,資源を管理する基礎となります。2000年代に入るともう少し具体的な事例が示され,例えば,2000年シドニー大会では組織委員会が作成した文書が電子ファイルで38,000,紙のファイルや写真,ビデオの類の記録が120,000に及ぶといいます。しかし,これらはIOCの自由にできるものでなく,IOCは当時の価格で250万米ドルで購入したとのこと。ただ,例えば2008年北京大会で作成された文書のほとんどは中国語で,他大会には参考にならないということもある。2012年になるとIOCは「技術的マニュアル」なる,数百ページにも及ぶ30ものマニュアルからなるものを作成する。これによって,IOCは階層的なネットワークを形成することができるようになります。2014年ソチ大会では,「技術的マニュアル」がロシア語に翻訳され,バイブルのように扱われたという。このマニュアル作成によってIOCは各大会組織委員会に向けたプログラムを実施したり,知識伝達のリストを作成したり,その役割を持つ職員を派遣したりと,権力を強めているという。遠隔操作による権力の行使。その一方で,フェイスブックを中心に情報交換をする小集団の「オリンピック・ジプシー」と呼ばれる人たちもいるようです。書かれた文書よりもそうしたウェブを使ったコミュニケーションや対面を重視するといいますが,具体的にどう人たちなのかは分かりません。また,「技術的マニュアル」があるからといって大会運営に対してIOCが圧倒的な権力を掌握しているわけでもないようです。まさに,アクターネットワーク理論が主張するように,人間だけでない他のものもアクターとして結ばれる複雑なネットワークがあり,4年に一度,場所をかえて,開催主体をかえながら,滞りなく開催されるこの奇妙なイベントがいかにして継続していくのか,非常に興味深いことは確かです。

Alberts, H. C. (2011): The Reuse of
Sports Facilities After the Winter Olympic Games,
Focus
on Geography
54 (1): 24-32.
著者の所属も書いていないし,この雑誌も地理学に属していながらよく知らないが,ともかく地理学らしいオリンピック研究。冬季大会における大会後の施設利用については,私たちの研究グループでも目白大学の山口 晋君が取り組んでいますが,バンクーバー,カルガリー,ソルトレイクシティといった北米の開催地についての検討をしています。よくある話ではありますが,冬季大会における競技施設の特徴が整理されています。冬季大会では開催都市とは少し離れた場所にスキーの滑降などの屋外競技場が配置される。ボブスレーなど高度に特化した施設。再利用の難しいスポーツ施設,都市計画の目標と位置付けるには難しい。環境への影響が大きい。再利用としてはオリンピック以外の国際大会の開催地となることが理想ですが,なかなかそうはいかないのが現状。カルガリーは訓練施設,および観光施設としてうまく再利用している事例として紹介されています。ボブスレーやルージュは室内練習場とし,全体として「カナダ・オリンピック公園」として整備しているそうです。園内にはミニゴルフやバンジージャンプのトランポリン版のようなリクリエーション施設を設置し,結婚式や企業の組織研修なども行われている。スキーのジャンプ場はスプラッシュ付きのプールになるなど,工夫が凝らされています。基本的には事例の紹介ですね。

Sullivan, C. and Leeds, M. A. (2016): Will the Games Pay? An Event Analysis of the 2020 Summer Olympics Announcement
on Stock Markets in Japan, Spain, and Turley,
Applied Economics Letters 23 (12): 880-883.
経済学にイベント分析という手法があるそうです。それを用いて,2020年大会の開催都市の決定日前後10日間ずつの株式取引市場の状況を分析しています。開催が決まった東京だけでなく,スペインのマドリード,トルコのイスタンブールについても分析しており,日本とスペインはほとんど影響はなかったとしています。トルコについては統計学的に有意な傾向を確認していますが,ちょうどこの時期に国内で政治的な抗議活動があり,それが負の影響を及ぼしたとしています。非常に短い論文。

| | コメント (0)

アーバン・ツーリズム

クリストファー・ロー著,内藤嘉昭訳 1997. 『アーバン・ツーリズム』現代文芸社,328p.3,800円.Law, C. M. 1993.
Urban Tourism: Attracting Vistors to Large Cities. London: Mansell.

私が大学院時代に突如登場した人物が訳者。地理学の場合,多くの研究者のデビューは卒業論文や修士論文を学術雑誌に掲載し,所属が「〇〇大学・院」などと表記される。この内藤さんが学会誌に登場したのはもっぱら「書評」コーナー。英語圏の観光関係の書籍を次々と紹介する。書評の場合には所属が示されず,最後に(内藤嘉昭)と記されるだけ。本書も確か書評で紹介されていたと思うが,その後翻訳・出版された。

序文
1章 はじめに
2章 都市の現況
3章 都市観光戦略
4章 コンファレンスと展示会
5章 都市アトラクション
6章 文化,スポーツ,特別イベント
7章 二次的要素:ホテル,ショッピング,イブニング・アクティビティ
8章 環境と計画
9章 組織と資金
10章 都市における観光の影響評価
11章 総括,問題点並びに今後の展望

なぜ,この本を今更読む気になったかは,私の最近の読書傾向と目次とを照らし合わせれば分かりますが,第6章にスポーツとイベントが含まれているからです。そう,思いのほかオリンピック論文で本書への言及が多いのです。実際に冒頭を読んでみると,1993年という時期に都市を観光の対象と捉える視点はあまりなかったようです。すでに,社会学者のジョン・アーリによる『観光のまなざし』は原著が1990年ですし,翻訳も1995年に出ていますので,本書・訳書にも言及があります。しかし,主な対象はいわゆる観光地なんですね。そういう意味でも,本書はかなり先駆的な本だったようです。
そういう意味でも読んでいて面白いのは第1章で,観光客自身も,旅行に出かけるといえばいわゆる観光地で都市を対象としていません。とはいえ,圧倒的に多くの旅行者を集めているのは世界的な大都市であり,都市を利用している多くの人はそれを自ら「観光」や「旅行」と捉えていないということです。私は会社で航空流動の統計データなどをよく扱いますが,旅行目的という項目が観光,業務,私用と3区分されているのが普通で,仕事での移動もやはり旅行なんですよね。もちろん,宿泊を伴わない日帰りもそうであり,そういう意味ではいわゆる理念としての観光を想定していたのがこれまでの観光研究であり(ある意味では,観光研究の古典として知られる,ブーアスティン,マッカネル,アーリという人たちの研究は本書の立場からは批判されても良い),本書は実態に即して,研究対象を拡張しているといえます。まさに,本書と同時期に始まった私自身の都市研究も都市観光という意味付けを与えると,小難しい位置付けをする必要はなくなります。とはいえ,実際には研究者の捉え方とは別に,都市政策においてはすでに多くの大都市が観光政策に移行していたので,研究者の見方が現実に追い付いていなかったともいえます。そういう意味でも,本書でも言及されているハーヴェイ(引用されているのは1989年の『The Urban Experience』です)の見方は一歩先を行っているんですね。
ともかく,本書はそういう意味で既成概念にとらわれず,都市で起こっている状況を網羅的に捉えようとするものです。それは目次からも分かると思います。そういう意味では,あまり刺激的な読書体験ではなく,非常に堅実なものです。しかし,日本では考えられないような類の統計データがいくつも示されていて,やはりけっこう欧米では面白い調査がなされているんだなと感心します。欧米核都市の地図も多く掲載されていて,分かりやすい本です。オリンピックに関しても通り一遍の説明がなされています。ともかく,勉強になる本。

| | コメント (0)

«オリンピック,メガイベント関連文献(英語編11)