【読書日記】中村隆之『第二世界のカルトグラフィ』
中村隆之(2022)『第二世界のカルトグラフィ』共和国,217p.,2,500円.
著者のことはTwetterで知った。いつも品のいい投稿で、刺激的な書籍を紹介してくれる。時折原著も出てくるが、その多くは日本語訳があるもので、有用な情報を得ることのできる投稿が多い。中村さんは早稲田大学の教員で、エドゥアール・グリッサンという作家・思想家の紹介者でもあり、フランス語圏文化を専門としている。フランス語圏といっても、かつての植民地としてのカリブ海とアフリカであり、私がこれまで関心を寄せてこなかった領域でのポストコロニアル批評といっていいだろうか。そのうち著書を読みたいなと思っていたのだが、ある日の投稿で本書に言及し、地理学者として書名に魅力を感じ、最近はほとんど使わないようにしているAmazonで急遽取り寄せることにして。
とはいえ、読む機会はなかなかないだろうなと思っていたが、柏に行く用事があり、電車移動のお供に持参することとした。なんと、往復の電車で十分読み切ることができた。
0 第二世界は存在する
第I部 場所
1 反復される川の記憶
2 カリブ海の移動と交流
3 アフリカの魂を探して
4 アメリカのニグロ・スピリチュアル
5 ファトゥ・ディオムの薄紫色
6 レザルド川再訪
7 レイシズムのアメリカ
第II部 境界
1 絶対的暴力の牢獄
2 分からなさの向こう側を想像する
3 岩手県の幻冬小説
4 文明のなかの居心地悪さ
5 アパルトヘイト終焉期を撮る
6 テロルという戦場
7 ディストピア小説に映し出される近未来
第III部 生
1 ジャン・ベルナベ(一九四二―二〇一七)
2 パスカル・カザノヴァ(一九五九―二〇一八)
3 フランソワ・マトゥロン(一九五五―二〇二一)
4 ヤンボ・ウォロゲム(一九四〇―二〇一七)
5 東松照明(一九三〇―二〇一二)
6 ジャック・クルシル(一九三八―二〇二〇)
7 コレット・マニー(一九二六―一九九七)
第IV部 交響
1 アナキズムと詩的知恵
2 口頭伝承と神話的思考
3 フランス国立図書館と作家研究
4 ニューカレドニアの民族誌
5 震えとしての言葉
6 野生の思考と芸術
7 詩人たちの第二世界
あとがき 第二世界の地図作成のために
「第二世界」とは常識的には、第一世界=資本主義的先進社会、第二世界=共産主義・社会主義社会、第三世界=それ以外の旧植民地国、後進国という図式におけるものだが、本書では違う。「第三世界」についての言及はあるが、「第二世界という言葉は、20世紀のこうした集団的夢を思い起こさせなくもない。」(p.7)と述べて、第二世界=社会主義陣営だとは書かない。続けて、「第二世界とは、そんな普通のわたしたちのための不屈のヴィジョンだ」と述べ、「逆説的であるけれども、わたしたちは、第二世界を探しに遠くまで出かける必要はない。その〈場所〉は実はとても身近なところにある。書棚のなかに埋もれた本たちもまたそうした〈場所〉なのだ。」(p.7)などと書いて、第二世界に関する説明はそれ以降、ほとんどなくなってしまう。書名を構成するもう一つの言葉「カルトグラフィ」はどうだろうか。わたしの記憶では本文中にほとんど出てこないと思う。そして、あとがきが「第二世界の地図作成のために」と題されている。「カルトグラフィ」とは通常「地図学」を意味するが、「グラフィ」だから地図を作る実践=地図作成のことでもある。そもそも、この本は『図書新聞』での連載が基になっていて、その連載につけられたタイトルは「感傷図書館」だったとのこと。図書館という〈場所〉を構成する世界各地の作者が描いた作品。図書館という海のなかを漂うように作者の地理的属性とその作品に描かれた場所を、グローバル・スケール=植民地が作り出した非対称的な関係性の網の目を意識しながら読んでいく、そんな批評の在り方を名づけたものだと理解した。第二世界とはそうした作品鑑賞・批評の中から浮かび上がる、現実世界と一体になりつつ、作者たちの理性を基礎とした理想社会=将来に希望を抱かせる社会のことを「第二世界」と呼んでいるように思う。
なお、本書の読書からわたしが得られたものはあまり多くはない。こういう読書は久しぶりな気がする。類書としては谷川 渥『幻想の地誌学』を思い出す。こちらは旅をするのは歴史の海だが、意図するところはかなり類似しているように思うし、また作品自体が著者の博識に支えられ、読者は次から次へと情報の嵐に巻き込まれる感じ。本書もちょっとわたしは知識が追い付かず、わくわくするもののそれが満たされないまま漂っているような感覚。まあ、いずれにせよ本書の著者は他にも著書や訳書が多いので、追って少しずつ読んでいきたいと思う。


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