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恋愛論

竹田青嗣 1993. 『恋愛論』作品社,273p,1890円.

学部生の時,阿部 一という地理学者の論文を読んだ。その当時は私は現象学など名前すら知らなかったが,英語圏の地理学ではすでに1970年前後に「現象学的地理学」なるものがあって,日本でも早くにその紹介はあったんだけど,その英語圏地理学を経由しながらも独自に現象学を取り入れようとしたのが,阿部 一の論文だった。これが私には非常に刺激的で,そこに引用されていた竹田青嗣氏の『現象学入門』(NHKブックス)を読んだわけだ。そこでは,デカルトからカント,ヘーゲルからフッサール,ハイデガーにサルトル,メルロ=ポンティといった,名前だけ知っている(フッサールとメルロ=ポンティは知らなかった)ビッグネーム哲学者たちが非常に単純明快に解説されている。それもとても面白く,当時新刊書として出版された本書を購入し,竹田氏の入門書ではなく自身の哲学書を読んでみたかったのだ。
しかし,本書を読む前に,私はバルトやデリダと読み進み,自分の研究も進めていった。そんなことをしているうちに,『現象学入門』はあまりにも分かりやすさを優先するばかりに表面的な議論が並べられているに過ぎないことが分かってくる。だからといって,上であげた哲学者の原著(もちろん翻訳ではあるが)を読むこともなく,私はいわゆる現代思想と呼ばれるジャンルの本を読み漁っていた。
しかし,そんななかでももう一度竹田青嗣に出会うときがきた。博士課程に入ろうとする頃,私は1970年代の日本のポピュラー音楽を研究対象にしようと考えていたのだ。ポピュラー音楽の研究は英語圏の地理学でもまだ2本くらいしか論文がなく,また日本の地理学以外でも社会学者の小川博司氏くらいだった。まあ,私の場合は音楽理論などできるはずはなかったので,音楽の研究といっても,歌詞の分析と音楽をめぐる社会的な問題を考えていたが,歌詞の分析をした本が竹田氏にあったのだ。井上陽水の初期の作品を分析した『陽水の快楽』(河出書房新社,1986)だ。歌詞の分析というよりはかなり意味不明な陽水の歌詞から,勝手にハイデガー流の哲学論を展開するというものだった。ある意味ではヒッチコックの映画の細部からラカン流の精神分析論を展開するジジェクの『ヒッチコックによるラカン』に似ていないこともない。ともかく,初めて読んだ時にはけっこう意味不明だったがかなりの刺激を受けた。
しかし,相変わらず『恋愛論』の方は本棚の肥やしだった。むしろ,以前の恋人が先に読みかけてしまったくらいだった(読了したかどうかは不明)。ともかく,当時の私は新刊でも購入するとすぐに髪のカバーを捨ててしまう癖があったので,読んでいないまま古書店に売ってもはした金だ。なので,すぐ読めるだろうと,洋書が読み終わるだろうと思ったときに一緒に持って行った。
案の定,とても読みやすいものだった。『陽水の快楽』の方は難解で面白かったのだが,こちらはかなり軽い。前者が哲学書だとすると,こちらは批評書だ。まあ,本人は批評書だと明確に書いているので問題はないのだが,後半はヨーロッパおよびロシアの文学古典作品を使ったもので,前半はプラトンなどを取り上げながらプラトニズムとエロティシズムの対比について論じ,中盤にはフーコーなどを持ち出し,ヨーロッパ人の恋愛の歴史まで参照する。竹田氏の本をそれまで2冊しか読んでいない私だが,勝手に彼は自分独自の哲学論を展開するためにさまざまなテクストを利用するタイプの書き手かと思っていたので,かなり肩透かし。けっこう堅実な批評書です。しかも,改行が多い。
やっぱり私が好きな恋愛論はなんといってもロラン・バルトの『恋愛のディスクール・断章』だ。竹田氏はあとがきで,恋愛の謎とは,恋愛の経験は客観化された理性的観点では理解できないことにある,といいながらもやはり本書は理性によって成立しているようにしか思えない。バルトのような詩的な方法がはやり最適ではないか。

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