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post-structuralist geography

Jonathan Murdoch 2006. Post-structuralist geography. Sage: London, 220p.

『ポストモダン地理学』というのは地理学者ソジャの主著であり,青土社から翻訳も出ている。確か,この『ポスト構造主義地理学』はネットではなくて,日本の書店で見つけたような記憶がある。まあ,地理学に「ポストモダン」という形容詞がつくのは十分理解できるが,「ポスト構造主義」ってのは正直驚いた。というのも,私は自分の論文で「ポストモダン」なんて言葉は滅多に使わないが,「ポスト構造主義」という言葉は苦し紛れに最近よく使っているからだ。しかし,もうちょっと驚くことは,すでに1999年にMarcus Doelという人が『Poststructuralist Geographies』という本を書いていること。でも,Geographiesと複数形にするのは十分にありえる。
そんなことで,なんとなくへんな期待を込めてペーパーバックながら日本で販売される値段はそう安くない(5000円弱だったと思う)のに購入してしまった。そして,昨年から始めた「洋書を辞書なしで気軽に読もう運動」の一環として読むことにした。読むべき洋書はそれこそ山のようにあるのだが,新刊書ほど読むんだったら先に読んだ方がよい。
ソジャ流のポストモダン地理学を考えれば,私が本書に込めた期待は容易に裏切られるのは分かってたんだけど,結論からいうと,「ポスト構造主義」という形容詞は私が期待するようには「地理学」という名詞にかかってくれなかった。そもそも,私の場合利用しているのはポスト構造主義的記号論であって,それはテクスト解読に用いるものであって,地理学的主題に直接関わりがあるわけではない。つまり,私の研究はポスト構造主義地理学ではなく,地理学におけるポスト構造主義的研究であるからだ。こんなことを書いても,このblogの読者でこの両者の違いが分かってくれる人は皆無だとおもうけど。とりあえず,目次を。なお,本書ではほとんどpost-structuralismとハイフンが入ります。

1 ポスト構造主義と関係空間
第1部 諸理論
2 規律=訓練と統治の空間
3 異種混交的連関の空間
4 ネットワークトポロジーにおける空間
第2部 諸事例
5 空間の脱/秩序化 I:自然の事例
6 空間の脱/秩序化 II:計画の事例
7 空間の脱/秩序化 III:食物の事例
8 ポスト構造主義的生態学

こんな感じで,1章は序文,8章はあとがき。1部の理論編と2部の事例編とに分かれていますが,理論と実証を分けるというのもポスト構造主義的でないところが面白い。もちろん,理論と実践なんて区別が明確というわけではないし,有効でもないことはきちんと書かれている。また,実際に内容的にも1部と2部は便宜上の区別でしかない。
それにしても,地理学者が書く本は日本語でもそうだが,英語でも相対的に理解しやすい。日本語の場合は退屈だが,英語の場合には読みやすくて良い。でも,個々の文章が理解できるからといって内容を全て把握したわけではない。やはり読む期間が相対的に長くなるため,はじめの方をどんどん忘れてしまうのだ。でも,この日記に書くくらいだったらその方がいいし,読了してそれほど刺激的だったという本でもなく,主張は一つだったように思う。要は,空間にある種の秩序を求めたり,ある大きな理論によって普遍的な真理や法則を見出すようなことではなく,重要なのは多様性とか複数性,複雑性をそのまま理解することだ。日本の地理学者山野正彦さんも,かつての地理学の多くは構造主義的であると書いたことがあった。それは,レヴィ=ストロースなどの議論を参照することなしにも,因果論的な思考のなかで,結果として現れる現象を調査して,そこから背後に隠れた原因を探るという研究はいかにも構造主義的だ,というわけです。本書の発想もそれに近いところがあり,そういうかつての思考法ではなく,新しい思考法を地理学に,という感じでしょうか。なので,研究対象としての現代社会自体の新しさも含んだポストモダン運動としてではなく,認識論的な新しさということで,ポスト構造主義的,ということになるのでしょうか。
参照されるのは,まずはフーコー。2章はほとんどフーコーの解説に当てられています。いまさら1章も使って解説してどうすんの?って感じです。3章はアクターネットワーク理論について解説されます。これはブルーノ・ラトゥールという人物による科学史における理論とされています。私は全然知りませんでしたが,ラトゥールの著書はすでに翻訳されていますし,実はアクターネットワーク理論を参照した日本の地理学論文も一つあったんです。そして4章ではそこから発展して,理論編の最後にジル・ドゥルーズとミシェル・セールの名前が出てきます。ドゥルーズは1冊,セールも2冊しか読んでいませんが,その研究が多様すぎてそんな簡単に言及できるようなものではないと勝手に思っている。でも,それを可能にするのは,かれらへの言及が孫引きであり,実際には仲介者の解釈が介在していて,すでに自らの目的のために方向付けられているということです。しかし,フーコーをポスト構造主義的思考の基礎として,そこからアクターネットワーク理論,そしてそれを空間の解釈につなげるための触媒としてのドゥルーズとセールという形で,空間の捉え方へと発展していくのだが,そのやり方にあまり素直に説得されない。このアクターネットワーク理論がどうフーコー理論と関わりがあるのか。ネットワークという考え方は私の拙い理解ではシステム論とあまり変わりないように思うが,自然科学における複雑系の議論も,ルーマンの社会システム論も参照されないし本書を読んだ限りでは,あくまでも因果論の延長線上にしか理解できない。トポグラフィとトポロジーの対比もまあ,多少は明確な区別ではなく流動的な概念対比として捉えようという意図は伝わりますが,有体のものにすぎない。パノフスキーによるイコノグラフィとイコノロジーの区別の方がよっぽど刺激的だ。
さて,第2部の事例だが,議論としてはとても興味深いような気がするんだが,説明が冗長な箇所があったり,私の言語的制約もあっていまいちはっきりと分からないところもある。そういうところが事例編でありながらポスト構造主義的なのだとしたら評価するべきかも知れない。5章と6章はかなり関係がある。事例編から,徐々にエコロジーへと議論が収斂していく。もちろん,ここでいうエコロジーとは一般社会の理解における運動としてのそれではない。生物学の一分野としての生態学。そしてそれを戦前に社会学に持ち込んだ人間生態学,および近年の政治生態学。なお,政治生態学はラトゥールとも関係が深いらしい。計画=Planningとは人間による空間デザインだから,地理学も関わりたがる分野ですが,どうしても建築畑が強い。そこで,地理学が強い人間-自然関係を取り込んだ議論をすれば独自な色を打ち立てられるということだろうか。でも,実は事例編のなかでも一番短い7章がけっこう面白い。というよりか,分かりやすいのだ。食物の問題を取り上げているが,グローバル化のなかで生産者から消費者までのプロセスが複雑化していく2つの対極の分野として,マクドナルドとスロウフードを取り上げるのだ。私の講義の受講者のなかでは,レポートの課題としてマクドナルドを取り上げる学生もいるが,まあ当然ではありますが,議論には天地の差があります。でも,もうちょっと面白くなる素材のような気もします。スロウフードも日本ではこの言葉はまだそれほど一般的ではなく,むしろ自然食品などの話と思って読んだわけですが,それほど説明が少ない。英語圏ではスロウフードといったら一定の具体的なものが思い浮かぶのだろうか。
最後の方にはフェリックス・ガタリの『3つのエコロジー』におけるエコ主体性からヒントを得て,ジオ主体性なんて概念を提示してみるけど,イマイチ中途半端だ。

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