« ハッピーエンドも展開次第 | トップページ | 成長を見守る »

視線の権利

ジャック・デリダ著,プリサール, M-F.写真,鈴村和成訳 1988. 『視線の権利』哲学書房(『哲学』特集号II-3),199p.,1900円.

古書店で見つけるまで知らなかったデリダの本。でも,一度見つけるといろんな古書店で見かけるようになった。けっこう出回っている本でしたね。訳者あとがきにはこの本がどういう類のものか詳しくは説明されていない。想像するには,いきなり単行本として出版されたものというよりは,以前に紹介した『盲者の記憶』のように,写真展という形で発表されたのではないかと思う。しかし,この「視線の権利」というテーマはどの段階であったのか?
本書の100ページは写真によって占められる。ページによっては1ページに6枚の写真が掲載されているから,写真の枚数はそれより多い。そしてこの組写真は物語になっている。「シナリオとモンダージュ ブノア・ピーターズ マリ=フランソワーズ。プリサール」と書いてあるから,写真家と共同してストーリーを構成した人物がいる。その写真は2人の女性の性交シーンから始まる。一人が服を着て豪勢な屋敷から出て行く。噴水の前で別の女性が登場し,この屋敷から出てきた女性を撮影する。モノクロ写真だが,白い服装に黒い服装。ショートヘアにセミロング,女性のスキンヘア,1箇所だけ男性も登場する。そして,突然厚化粧をして大人の真似をした少女2人。鏡,写真,そして最後は再び同じ2人の性交シーン。
なにやら意味深な象徴体系のありそうな物語。しかし,デリダによる解説文はまったくもって解説文ではない。もちろん,この写真群に,そして時には具体的な個別の写真に言及するが,なんと男性と女性の対話篇になっているのだ。といっても,男性と女性と解釈したのはあくまでも日本語訳者である。それにしても,今回もよく分かりません。といっても,難解なのではなく,なんか引き込まれない。確かに改めてペラペラめくってみると,デリダ的な言葉がちりばめられて入るんだけど,なんかその議論の重要さに気づかずに読み飛ばしちゃうような文体なんです。まあ,そんなところが狙いなのかもしれませんが。
訳者は本書をデリダの他の著書と共通した「翻訳」の問題を扱ったものとしているが,私にはどの辺が翻訳と関係しているのか,よく分からなかった。要は写真という視覚的表現を用いて,なにか言語を用いて議論すべき論点を表現しているというのか。あるいは自身のこの文体のことか。同じ内容をいわゆる哲学的な文体と,こうした演劇的文体と,どう伝え違えるのか。そもそも,内容と形式の問題,そんなことを議論そのものではなく,行為遂行的に伝えようとしているのか。

まあ,私の書評は全般的にいえることだが,今回も相変わらず本の内容をまったく精確に伝えようとはしていないな,と反省します。

|

« ハッピーエンドも展開次第 | トップページ | 成長を見守る »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/218863/41261230

この記事へのトラックバック一覧です: 視線の権利:

« ハッピーエンドも展開次第 | トップページ | 成長を見守る »