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2009年4月

2009年5月のライヴ予定

少し行きたいライヴが増えてきたかな。
でも,情報収集が追いつきません。

5月2日(土)
原宿vacant おおはた雄一/emi meyer/他(予約済み)
5月4日(月,祝)
吉祥寺manda-la 2 ノラオンナ/他
5月6日(水,祝)
谷中ボッサ dois mapas(予約済み)
5月12日(火)
吉祥寺strings トリオジョイナス(予約済み)
5月17日(日)
青山プラッサオンゼ コーコーヤ(予約済み)
5月20日(水)
横浜motion blue みちよんトリオ(チャージフリー)
5月23日(土)
新宿無印良品 コーコーヤ(当選)
下北沢440 ううじん/安宅浩司/他(チケット購入済み)
5月27日(水)
下北沢440 ハシケン(チケット購入済み)
5月29日(金)
大塚GRECO Asa festoon(予約済み)
5月31日(日)
中目黒楽屋 eco/vice versa(予約済み)
日比谷野外音楽堂 畠山美由紀/Salyu(チケット購入済み)

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4日間で映画6本

4月24日(金)

シネスイッチ銀座 『ダイアナの選択
主人公の17歳の時をエヴァン・レイチェル・ウッドが演じ、その15年後をユマ・サーマンが演じるということで、観たかった作品だが、なんだかんだで最終日に観ることになってしまった。合衆国では、高校で銃の乱射事件というのが何度か起こり、その素材を借りた映画も何本かあるが、本作もそんな1本。主人公のダイアナはいつも親友の女の子とつるんでいる。その事件が起こった時も、始業間際でトイレに2人で入る。彼女たちが入るはずだった教室で、同級生が銃で無差別殺人をしていたのだ。もちろん、その銃声とわめき声はトイレにまで聞こえ、不安におびえていると、銃を持ったマイケルという同級生が入ってくる。「2人は助けない。どちらかを殺す。どっちがいい?」と2人に聞く。と、このシーンは予告編でも使われている。そして、ユマ・サーマンが15年後のダイアナとなって登場する。ちょうど15年目のその事件の日に彼女はひどく心を痛めているという映像を見て、鑑賞者は17歳の彼女の言動によって、その事件の日、親友を失い、彼女だけが助かったのだと思い込む。映画はこの2つの時間を行ったり来たりしながら進行する。32歳のダイアナは最愛の伴侶を見つけ、かわいい娘とともに同じ町で暮らしている。
もう公開終了してしまったので、ネタバレでいきます。その事件の詳細については、時折フラッシュバックのように登場するのだが、なかなか真相が明かされない。そして最後の最後で、ダイアナが「私を撃って」と発した一言によって、彼女が撃たれ、そしてマイケルは自殺する(と思われる)。なんと、親友は助かるのだ。その時点で、ここまでの展開のなかでいくつものポイントがつながってきます。32歳のダイアナの夫は、17歳の時のダイアナが高校の生物の教師に勧められて聴きに行った大学の講演会で壇上にいた哲学教授。その時の講演では「想像力」という言葉が強調される。17歳のダイアナは近所の不良男と付き合って妊娠してしまい、中絶する。その後、近所の教会の庭の小さな十字架を見つける。親友は幼きして亡くなった子どものお墓だ、と教えてくれるが、そのなかの「エマ」という墓標の前で佇む主人公。32歳のダイアナの娘はエマ。しかも、彼女が通っているミッションスクールはその教会と同じ建物。エマはおてんばで若かりし頃のダイアナと似ている。ダイアナの母親がダイアナをしかる言葉を、32歳のダイアナがエマに対して使っている。つまり、32歳のダイアナの生活は、全て17歳のダイアナの経験の範疇にあるのだ。つまり、17歳の彼女がどの時点で15年先の自分の人生を「想像」したのかは分からないが、まさにこれは放縦に生きてきた17歳の彼女が、この事件をきっかけに自分自身の人生を改め、15年後にまっとうな幸せをつかんだ自分自身を想像することで、神に赦しを請うべく、想像上の物語である。しかし、実際には最大の悔い改めるべき過ちを彼女は犯すことなく、その銃撃事件の瞬間に親友に対する思いやりを示すことによって、悔いなく死んでいった、ということでしょうか。
まあ、私の場合はこんな風に解釈しましたが、もちろん解釈はひとそれぞれあると思います。でも、エンドロールの最後で監督の考えを知るべくホームページのパスワードが示されたので、それを見ると、1つの正解が書いてあるのかもしれません。と、私はとりあえず、それを観る前に自分の解釈を記録することにしました。

4月25日(土)

新宿武蔵野館 『今度の日曜日に
ユンナという日本で歌手として活動している19歳の韓国人女性が主人公。日本に映像を学びにくる留学生役です。長野県の松本市が舞台。撮影協力に信州大学とありましたが、作品中では信濃大学。本当は高校の先輩が映像を学びに日本に留学し、主人公チェ・ソラは先輩と一緒に学びたくて日本に出てきてしまう。しかし、先輩は実家の都合でソラに告げずに休学して帰国している。親の反対を押し切って出てきたので、簡単に帰るわけにもいかず、彼女は竹中直人演じる教員のもとで映像を学ぶ。そのゼミの課題「興味の行方」のためにいろいろ観察するソラだが、ある日、いろんな場所で市川染五郎演じる松元さんに出会う。初めて会ったのは大学構内。用務員のおじさんをやっています。次は宅配ピザを届けに来たのがこの人で、ネームプレートを見て、「松元」さんだと判明。そして、最後は早朝に新聞配達をしている松元さんの姿を見かける。こんな偶然な出会いから、ソラは彼を興味の対象とし、ゼミの課題制作の被写体とするのだ。まあ、予想できるように、松元さんは借金に負われて、寝る間も惜しんで、本業の大学事務員が公務員時間なのを利用して、早朝と夜にバイトをしているのだ。そんなソラにも先輩のことや、母親のことなどいろいろな悩みを抱えているが、松元さんと過ごす日々を通じて何かを学んでいく。さすがにこの2人が恋愛関係に発展するわけではなく、途中でなんと息子が登場する。この息子役の男の子がかわいい。
そんなこんなで、ユンナちゃんは決してBoAやユンソナのような美形ではないし、もう今年20歳なので若さだけが売りにできるわけでもないが、とりあえずこの作品においては非常にいとおしく感じさせるいい存在感があります。ちなみに、作品中で後半の重要な存在であるガラスの空き瓶に水を入れてたたいて音を鳴らすというシーンがあるのですが、そこではさすがの音楽的センスをみせています。もちろん、主題歌は彼女自身が歌います。まあ、楽曲的にはBoAのようなポップスの路線ですが、ちょっと年を重ねれば面白いかもしれません。映画全体的にはもうちょっと軽い感じでも良かったと思いますが、とてもいい作品です。

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皇紀・万博・オリンピック

古川隆久 1999. 『皇紀・万博・オリンピック――皇室ブランドと経済発展』中央公論社,247p.,700円.

中央新書の一冊。本書が発行されたのは私が大学院の博士課程を修了しようとしている頃。ちょうどその頃大学院修士課程に他大学から入学してきた女性がいて,終わったばかりの長野オリンピックを題材に研究をしたいといっていた。彼女の卒業論文は私の論文を参照していたことから,私もそれなりに相談に乗っていたのだが,そんなことでオリンピックの政治性みたいなテーマはちょっと頭の片隅にあった。実際に本書を購入したのは古書店のようだが(巻末に鉛筆で350と値段が書いてある),購入の動機にはそんなことがあったと思う。でも,最終的には彼女の修士論文のテーマは別のものになって,私の関心とは離れたものになってしまったのだが。
さて,本書はタイトルから分かるように,オリンピックといっても,日本のある時期に限定されている。端的にいえば,1940年に計画され,戦争のために幻と消えた東京オリンピックと万国博覧会だ。今日では万国博覧会は,2016年のオリンピック招致合戦のように盛り上がりはしないものだが,20世紀前半は同じような盛り上がりをみせ,万博もオリンピックも同時開催など双方が認めるようなものではなかったが,時代が時代で万博はともかく,オリンピックは開催決定までこじつけたとのこと。もちろん,このことは日本が日中戦争から太平洋戦争へといたる,自信に満ちた拡張政策と無縁ではない。その戦争では天皇が神格化され,思想的な支柱になったのは周知のことだが,本書はそれを「皇室ブランド」と名づける。しかし,一部の研究がそれに大きな影響力を与えるのに対し,本書はそれはあくまでも名目的なものにすぎないという。つまり,万博にしてもオリンピックにしても,運営側も国民も,望んでいるのはそうした天皇を頂点とした国民統合などではなく,それがもたらす経済波及効果だと断言する。戦争ですらも,戦勝によって敗戦国からもたらされる賠償金などを目当てとした金儲けの手段だったという視点はなかなか面白い。そのせいか,タイトルに上げる割には天皇の話が少ないのはちょっと物足りない。
あまり期待しないで読み始めたが,なかなか面白い本。さすがに私には細かい記述が退屈で,いい加減に読んでいると重要な前後関係が分からなくなったりして困りますが,中公新書ものとしてはかなりレベル高いです。しかし,やはり近代日本ものはけっこう論調が似てきてしまうのは避けられないんですかね。

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横浜が遠く感じる...雨

4月19日(日)

この日も家でいろいろ。洗濯、掃除、ジョギング、アイロン、またパンを焼く。もちろんその他にも、読み終わった本が何冊かあり、blog用の書評を書く。最近はなぜかレイモンド・ウィリアムズの『唯物論と文化の諸問題』という本を翻訳し始めた。英文の本を1冊丸ごと翻訳したことはないので、試しにやってみる。上手くいったら出版社に持ち込んでみよう。1980年に出版された本だから、誰もせかしたりしないし。でも、翻訳が出たら読者は多いと思う。果たして私の翻訳でいいのかどうかはまた別の問題だが。そんなこんなでようやく15時の電車で外出。

新宿テアトルタイムズスクエア 『ある公爵夫人の生涯
キーラ・ナイトレイ主演の歴史物語。18世紀のイングランド。18歳になる前に、この時代きっての大富豪の家に嫁ぐことになった主人公。天真爛漫な娘が幸せになるために嫁いだ先で、世継ぎを産むための出産機械と化してしまう。社交界のファッションリーダーとしての生きがいを得ながらも、浮気は当たり前の妻に無関心な夫。キーラちゃんはアカデミー賞を受賞した豪華絢爛な衣装に圧倒されて期待したよりも輝いていないが、この夫役のレイフ・ファインズの演技には圧倒されます。といっても、立ち居振る舞い自体が派手なわけではないのだが、とにかくむかつきます。そのおかげで主人公に感情移入できる仕組み。で、主人公の方も別の男と恋仲になってしまうわけだが、この男を演じる俳優がイマイチ。ちょっと日本人受けはしない顔かもしれません。ということで、ちょっと期待したほどは楽しめなかった。宣伝ではこの主人公は故ダイアナ妃の血統にいるとのことだが、作品とはあまり関係ないかな。

4月21日(火)

横浜motion blue shima & shikou DUO
この日は雨。久し振りに本格的な雨で、17時に退社し、電車を乗り継いで赤レンガ倉庫へ。開演予定の18時半を過ぎてしまい、しかも移動ですっかり疲れてしまう。私が受付する前には島さんの奥さん。なんと、普通のお客として予約していました。さすが。
さて、shima & shikou DUOの3枚目のアルバム『Poetry』はビクターエンタテイメントから発売されることとなり、この日はそのリリースパーティ。珍しく時間が早いです。しかも、10分くらいは遅れるだろうと思ったら、すでに演奏が始まっています。時間きっかりに開演。フロア全体的にちらほら席が空いていて、「どこでもお好きな場所へ」ということだったが、控えめにステージ向かって左側の前方を確保。すると、座ると伊藤志宏さんの姿がスピーカーに隠れて見えません。向かいの席に移動することも考えたが、そうすると、他のお客さんの視界をさえぎってしまいそうで、そのまま最後までその席にいることにした。1stステージはこれまでのアルバムの収録曲を中心に2人でガッツリと。1stの最後にこの日のゲストであるparis matchのミズノマリさんが登場。2曲ほど歌って休憩。
2ndは20:30から。2ndの途中で頭の大きい女性客が入ってきて、バーカウンターに座る。そう、遠目でもすぐにわかります。ヤマカミヒトミさんでした。2ndはニューアルバムの曲を中心に、ミズノマリさんの出番も多く、1stが1時間きっかりだったのに、2ndは開演時間きっかりに始まったものの、アンコールが終わったのは22時前だった。やはり基本的に私はジャズというものに惹かれるわけではないので、かれらが奏でる音楽が全て好きなわけではない。しかし、ポップス界にも足を踏み入れているかれらが紡ぐメロディは特にスローな曲において、その繊細さが胸を打つことがある。2人はタバコも吸うし、よく夜中のクラブ系のイヴェントにも出演しているが、そういう世界にどっぷり浸ることのない素朴さを併せ持っているんですよね。そんなことで、アルバムも購入したかったけど、空いているレジに並んだらそちらにはCDが置いてなかった。もっと、別のブースでしっかり売ればいいのに。帰りにヤマカミヒトミさんに挨拶。ちゃんと会うのは今年初めてだったので、「うわ、髪伸びてる」と驚かれる。時間も遅かったので、挨拶だけで失礼する。

帰りも雨はやまず、武蔵小杉や稲田堤での乗り換えもあるし、京王線はけっこう遅れていて、23時過ぎに帰宅した時にはぐったり。やっぱり以前よりもライヴに行く体力がなくなったかな。

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谷中に行って京都を思い出す

4月17日(金)

この日は成分献血の予約をしていたが、3日前に薬指を包丁で切ってしまい、キャンセル。最近献血は指先の肌荒れとかでも断られることがあるとのこと。なので、講義後、久し振りにシャンテで映画2本。その前に有楽町の無印良品カフェでパンとコーヒーの食事。日比谷・有楽町・銀座界隈で映画を観る時はよくここを利用します。パンの種類は多いし、コーヒーも量が多い。休日は混みあっていますが、天井も高く、女性率が高いし、なかなか居心地が良い。

日比谷TOHOシネマズ・シャンテ 『ダウト~あるカトリック学校で
メリル・ストリープとフィリップ・シーモア・ホフマンというアカデミー賞受賞の女優と男優が、役の上でも言葉でやりあうという映画。副題どおり、合衆国のとあるカトリック学校の校長先生を演じるメリル・ストリープとその教会の人気神父を演じるシーモア・ホフマン。その間で板ばさみにあうのが若きシスター兼教師を演じるエイミー・アダムス。校長先生は古い考え方で非常に厳しい。それに対して、この神父は新しい考えで、教会をもっと社会のなかで気軽に訪れるものにしたいと考えているし、神父と生徒の距離ももっと縮めたい思っている。それはシスターたちの食事シーンと神父たちの食事シーンの対照によって示される。基本的に無言で音も立てずに質素な食事をするシスターたち。発言をする時はフォークで食器を軽くたたき、合図をしてから話し出す。しかも、発言権を持つのはほとんど校長のみ。それに対して、毎晩のように晩酌をしてくだらない話で笑いながらの神父たちの食事。以前から仲の良くない2人が、一人の転校生の登場によって、具体的な諍いに発展する。エイミー演じるシスターのクラスに転向してきた黒人少年。彼は神父に尊敬のまなざしを向け、また学校唯一の黒人であることで誰にも相手にされないこの少年を特別扱いする。とある日、授業中にこの生徒を呼び出して、誰も知らない2人だけの時間をすごすのだ。その時間について2人以外に知っているのは担任の女教師だけ。しかも、非常に断片的な観察事実。その報告を受けて、校長はそこに不適切な関係があったと確信を持って神父に「疑い=ダウト」をかけるのだ。一方で、神父はそうした人間の邪念をミサでの説教のテーマとし、間接的に校長を非難する。女教師は片方の説明を聞けば納得し、もう片方の説明を聞いても納得してしまう。この女教師のように鑑賞者たちもどちらが真実なのか判断できないまま結末を迎える。結局、表向きは校長の勝利ということだが、それが真実かどうかは当事者しか知らない。
まあ、教会という狭い閉鎖的な空間で物事が進行するために、非常に演劇的な作品だが、さすがの演技合戦という感じ。やっぱりシーモア・ホフマンは男色(しかも若いのが好み)の疑いをかけられる役どころはぴったりだ。

日比谷TOHOシネマズ・シャンテ 『リリィ,はちみつ色の秘密
続いて観たのは、『アイ・アム・サム』で一躍天才子役として有名になり、その妹も俳優デビューした、ダコタ・ファニング主演作品。顔立ちは大きく変わらないまま、手足がすらっと伸び、胸も少し膨らんで、素敵な女性に成長しています。冒頭のシーンは彼女の両親が離婚をめぐって喧嘩中。それを自室で除き見ていたダコタちゃん。鏡に映る幼い彼女の顔はどこからの作品からか借りてきて埋め込まれています。こういうとき、子役からキャリアの長い俳優は便利。代役が不要です。まあ、この喧嘩および離婚は父親の暴力が原因というありがちな設定で、護身用に持っていた拳銃を娘が拾い上げ、暴発させてしまい、母親は死ぬ。それ以来、父親との2人暮らし。もちろん、彼の暴力的な性向は変わりません。桃農園での生活です。時代は1970年代で南部ではまだまだ黒人の地位が低く、この家でも雇われていた黒人女性のメイドをめぐってちょっとした事件があり、主人公はメイドを連れて家出をする。母親の形見を頼りにたどり着いた町で、主人公は運命的な直感に導かれるように、とある蜂蜜農家を訪れる。そこは黒人3姉妹が経営していて、蜂蜜は町内でも評判で、この一家はかなり良い暮らしをしている。訳ありなのを知りながらも2人を住み込みで雇い、ここから蜂蜜農家での暮らしが描かれる。そこからの展開は書かなくてもいいですね。なかなかいいお話です。

4月18日(土)

講義後、思い立って日暮里まで。久し振りに谷中ボッサのホームページをチェックすると、なんと5周年記念ということで、ゴールデンウィークにイヴェントがいくつかあります。で、当然というかdois mapasのライヴも5月6日にあって、電話でも予約ができるんだけど、ランチをしにいって、ついでに予約をすることにした。もう一つは、先日もちょっと書きましたが、私の誕生日ライヴの会場として相談もさせてもらおうかと。久し振りの谷中ボッサでのランチでしたが、12時前ということで、私の他のお客さんは1人。店内には辻 恵子さんの本も発見。以前、恋人に連れられて新宿のギャラリーでペーパー・アートのような展示を観に行った時に気になった作家さん。どうやら、谷中ボッサの奥さんも観に行って気に入ったらしく、その後近所ということが判明し、友達になったとのこと。彼女の作品は説明無用です。ホームページをご覧ください。結局、この日はカレーとゆで卵のホットサンドとメキシココーヒーをいただく。やっぱりこのお店、落ち着きます。もう閉店してしまったアスカフェもそうですが、お店の人と知り合いになると妙に居心地が良くなるものです。
せっかく谷中に来たので、近所のギャラリーにも行く。ここは銭湯を改装してギャラリーにしたもので、名前をSCAI THE BATHHOUSEという。この日は中西夏之さんという画家の展示をやっていました。こちらも作品をホームページで観てもらいたいですが、非常にシンプルな色彩と筆遣いの抽象画でとても気に入りました。若い画家かと思いきや、長いキャリアがあり、非常に多彩な作品を残している人のようです。

銀座TOEI 『おっぱいバレー
綾瀬はるか主演映画で、この日が初日。最近気合を入れて舞台挨拶を観に行く場合以外は、日本映画を初日に観ることは避けているが、まあこの映画館だったら舞台挨拶もないだろうし、満席ってこともないだろうと判断。案の定、前方はほとんどガラガラで、ゆったり観ることができました。舞台は北九州、時代は1970年代半ばということで、とても雰囲気がいいのです。まあ、粗筋は説明するまでもないと思うけど、転任してきた綾瀬はるかは、問題ありの男子バレーボール部の顧問になる。まったくやる気のない生徒たちの挑発に乗って、「大会で1勝したらおっぱいを見せる」という約束をしてしまう。まあ、そんな感じのコメディです。このバレー部の生徒役には、『ぼくのおばあちゃん』主人公の子ども時代を演じていた吉原拓弥もいる。まあ、私の中学生次代は1980年代に入っているので、時代はずれますが、1970年代のポップソングなど、ノスタルジーを呼び起こす要素がてんこ盛りです。しかも、『三丁目の夕日』のような不自然さはなく、とってもいい感じなのです。そしてもちろん、はるかちゃんの魅力も満載。いやあ、彼女は本当に肌がきれいだ。この映画ではもうちょっと親しみの出る感じのメイクでも良かったと思うくらい。生徒の父親役で出演している仲村トオルもいい味出しています。
この映画は単に面白いだけではない。なんと、意外なところで泣いてしまったのだ。ここからは若干ネタバレですが、私が泣いてしまったのは、主人公の高校時代。仲間にそそのかされて万引きをして捕まってしまう。停学処分で国語教師と一対一で補講を受けるのだが、そのシーン、そしてその国語教師との関係性。この伏線がなんともいい感じなのです。いやあ、思いがけずいい映画でした。

最近は家でやることがけっこうある。引越し前に恋人が自分が持っているオーブンレンジの便利さに気づき、お菓子作りをはじめた。そして最近ではパン作りまで始めたのだ。お菓子は他人にあげる分にはいいが、あまり作っても自分たちでは食べきれない。でもパンだったらお弁当に持っていくようにすればすぐなくなってしまう。まあ、小麦粉とかの材料費や、オーブンの電気代などを考えると決して割安ではないかもしれないが、やはり自分で焼いたものは愛着がわいて美味しい。この日は帰りが遅い恋人のために(本当は自分が食べたい)、一人でベーグルを焼く。ベーグルは他のパンと違って、バターなどの油分を使わないんです。それが初めてとは思えないほど美味しく出来上がる。

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たまには2日連続5組ライヴ

4月15日(水)

南青山MANDALA
前日まで迷った挙句、行くことにしたライヴ。大橋エリ&後藤郁夫夫妻のerikuoは聴きたいけど、名前も聞いたことがない2組も一緒ということで迷っていたけど、よく見たらなかなか面白そうな出演者だったので、当日で行くことにした。久し振りのMANDALAでしたが、ドリンク付の3000円だったので、なんとか許容範囲。赤ワインも美味しかったし、よしとしよう。注文した春限定のパスタは菜の花明太子だったが、普通の明太子スパゲティに茹でた菜の花を散らし、真ん中に冷えた温泉卵(にしては固まりすぎだが)を乗っけただけのもの。
TO-MU-KO:ソロでも活動している2人のユニット。女性は小さいハープを弾きながら歌う。男性は2つの楽器を用意。一つはエレクトリック・マンドリンで、もう一つはベースと5玄のギター(?)がダブルネックになったもの。こちらもエレキ。女性の方はピアノも弾きますが、ちょっとマニアが入っているような私好みではない演奏。オリジナル曲の他、「銀河鉄道999」など。
erikuo:この日はYAMAHAの大きなマリンバでの登場。それが車内空間の大部分を占めてしまったようで、郁夫さんはギター1本。MCでは「演奏」ではなく、「運送」をしにきた感じです。と、いつになくMCを分担している2人。ここ2年ほどのエリさんは音楽中心の生活に戻ってきて、この日の演奏はそのマレットの軽さがなかなか絶妙だった。音響的には私の座っている位置(前列右側)ではちょっとイマイチだったが、私が勝手に懸案していたトレモロの冴えもなかなか。2人のデュオでもレコーディングをそこそこやりだしたということで、いい感じの2人。かれらを目当てに来たお客さんも多かったようです。
Lips:こちらは芸大出身の女性デュオ。一人は山田流のお琴。もう一人はフルートとピッコロ。これがなかなか面白かった。やはり音大流の発表会的な雰囲気は否めなかったけど、オリジナル曲やスペインの民族音楽などを含む多様な選曲を、和のハープともいえる琴で表現。お琴の女性は歌も歌うが、これがなかなか見事。聴きに来た甲斐がありました。

4月16日(木)

そろそろ、一昨年から開始した私の誕生日ライヴの準備を開始している。一組目の出演者は決定したが、まだ会場が決まらない。この日は西荻窪でライヴということで、第一候補として考えていた荻窪のベルベットサンを訪れる。事前にメールで連絡したのだが、メールでは駄目なので電話がほしいといわれたが、3度ほどかけた電話は通じず。直接行くことにした。しかし、今年の7月26日は日曜日ということもあって、思っていたより料金が高く、断念。荻窪の安い定食屋で夕飯を済まし、西荻窪へ。
西荻窪駅に到着し、改札を出ると、なんと湯川潮音ちゃんが立っていました。昔はインストアライヴの後のサイン会などで親しく話しかけてたりしたのに、突然のことだったし、あの大きな目に圧倒されてしまい、話しかけることはできなかった。時間的にもあまり余裕がなかったし、初めて行くお店だったので、結局それなりに迷って、開演時間直前に到着。

西荻窪サンジャック
こちらは基本はレストランという感じのお店。客席は20人も座ればキツキツですかね。秋山羊子さんのライヴは2回目ですが、知った顔が3人も。ギネスビールを注文するとおつまみも付いてきました。やはり料理も本格的なようで、今度来る機会があったら食べてみようと思う、なかなかいい雰囲気のお店です。グランドピアノがステージの大半のスペースを占めています。
秋山羊子:前に彼女の歌を聞いたのはariさんを聴きに行ったstar pine's cafeだが、その頃から羊子さんは見る見る痩せて、今はおそらく体重40kgいかないのではないかと思うくらい。まあ、私が心配することではありませんが、歌声はしっかりしています。この日は「ようこ」祭りということで、サックス奏者の多田葉子さんと2人のステージ。こちらの葉子さんがサックスをソプラノとテナー2本、クラリネットに鍵盤ハーモニカとヤマカミヒトミに対抗できるくらい多彩でそれぞれの演奏もナカナカ。最後に登場したのはカシオトーンでしょうか。羊子さんのライヴは2回目だが、彼女のアルバム『指一本で倒されるだろう』はその2年間でけっこう聴いていた。なので、そこからの曲はとてもよかったけど、3月に発売された新しいアルバムの曲はいまひとつに感じた。というのも、彼女の曲はけっこう難しいものもあって、聴きこむほどにそのよさが分かると思うし、また今回のアルバムは終演後に購入して帰ったのだが、前作とは雰囲気が違う。というか、かなり繊細そうな人なので、その時々で感じるものが違うのでしょう。でも、1時間たっぷりの演奏を堪能。
井波陽子:で、3人目のこちらも「ようこ」さん。羊子さんのステージのなかで、こちらの陽子さんのblogの記事を元に作った即席ソングがあったのだが、それにひどく感動してしまったということで、1曲目終わって「ちょっと泣かせてください」と涙をぬぐう彼女。わざわざ大阪からやってきたという彼女にちょっと警戒心がありましたが、このことでずいぶん親しみがわきました。しかし、よく聴いてみるとどこかで聴いたことがある歌声、しかもその声と顔もなんとなく一致してくる。こちらも1時間たっぷりのステージで、ずーっとどこでいつごろ聴いたのかを思い出そうとしたが、思い出せず。ともかく、素敵な歌声だったので、しかも羊子さんが「彼女のCDを買ってくれたら、大阪まで夜行バスでなくて新幹線で帰れます」というので、とりあえず1枚購入することにした。すると、CDには「井波陽子」ではなく、「クオレ」と書いてあります。そこで思い出しました。後で帰って調べたら、2回聴いたことがあります。どちらもariさんを聴きに行った時。実は、羊子さんと陽子さんはこの日が初対面だったようですが、そんなつながりがあったんですね。なんだか一人で嬉しくなって、この日も来て良かったと思う。もちろん、羊子さんの新譜も購入して帰宅。

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Nature

Noel Catree 2005. Nature. Routledge: New York, 281p.

以前,『landscape』という本を紹介したが,それと同じRoutledgeの「Key Ideas in Geography」というシリーズのなかの一冊。Castreeは私が『地理学評論』に2001に掲載した論文で引用したが,もう10年以上,人文地理学者として「自然」を研究テーマとしている。つまり,「自然」という概念は単に人間以外の万物であるとか,人間の手が加わっていないものとして理解されることが多いが,そう理解しようとすること自体がいかに人間中心的なものかが分かるというものだ。つまり,Castreeは自然と人間の関係について考えてきたはずの地理学者も含めた多くの人が自然を語るとき,そこには必然的に忍び込むイデオロギーが存在する,といいたいのだろう。と私は理解している。つまり,エコロジーなどといって,自然を大切にし,人間のこれまでやってきた行いを悔い改めようという前に,自身がそこでいっている「自然」という概念がどういうものなのかを考え直すべきだということだ。
まあ,そんな思想の下だが,本書はちょっと変わった志向で書かれている。まずは目次をみてみよう。

まえがき
 議論
 読者
 この本の使用法
 構成
1 奇妙な自然
 自然のお話
  血の結びつき
  ブリテン島の熱帯
  性,暴力,そして生物学
  バイオテクノロジーの「新」と「旧」の自然
  魚は権利を持つか?
  危機,なんの危機?
  より少ない遺伝子しか持たないのはあなたにとって良いことである
 自然の知識
 自然と地理学
 道は作られていない
 自然は死んだ!自然は生き延びた!
 要約
 練習
 さらなる文献
2 地理学の「自然・性質」
 はじめに
 始まり
  ハルフォード・マッキンダー(1861-1947)
  ウィリアム・モリス・デイヴィス(1850-1934)
  アンドリュー・ジョン・ハーバートソン(1865-1915)
  進化論の衝撃
  反省
 20世紀初頭の発展
  「「中間地帯」を占有すべきか,空けておくべきか?それが問題だ。」
  地理学における自然と地理学の自然
 戦後の騒動
  2つの地理学?
  震源
  自然の諸知識
 存在論的分割と人文地理学の脱自然化
  自然から解放された人文地理学?
  環境を強調しない:不自然災害と第三世界の政治生態学
  自然地理学:純粋で応用的な自然の知識
 抑圧された状態に戻るのか?
  1980年代の人文地理学:自然のさらなる消去
  1990年代を通しての人文地理学:自然の再発見
  そして,1990年代を通した残りの地理学?
 要約:地理学の自然
 練習
 さらなる文献
3 脱自然化:自然を「呼び戻す」
 はじめに
 先例
  自然のイデオロギー
  不自然災害:物理的環境を強調しない
 自然の表象
  真実,虚偽,そして自然
  ヘゲモニーと自然の概念
  言説,自然,そして現実の効果
   自然の諸文化
   自然の言説を脱構築する
   言説,規律訓練,自然そしてフーコー
   ハイパーリアリティと仮想自然
 自然の再生
  非人間の物質性
  自然の生産
 なぜ自然は社会的構築物だと論じるのか?
 要約
 練習
 さらなる文献
4 2つの自然?地理学の分裂/統合
 はじめに
 環境現実主義:アジェンダと正当化
 科学的知識の社会的構築
 現実主義的環境知識の生産
  自然地理学における科学的方法
  科学的方法の問題と原則
 生物物理的現実の理解:いくつかの重要な論争
  存在論的問題
  認識論的問題
 分割された学問分野
 練習
 さらなる文献
5 自然のその後
 はじめに
 自然的でもなく,社会的でもない
 相関的に考える
  非表象理論/行為遂行性
  アクターネットワーク理論
  新しい弁証法
  新しい生態学
 自然の後の道徳
 ポスト自然の考え方の動機は何か?
 結語
 練習
 さらなる文献
6 結論:地理学の自然
 さらなる文献

内容を細かく説明するのは面倒だし,詳細まで覚えてないので,詳細目次を記した。このシリーズの本を読んだのはまだ2冊目だが,なかなか盛りだくさんの内容であり,だからといって一つ一つの議論が蔑ろにされているわけでもない。本書の面白いことは,ある種の地理学の教科書として使える内容を持っていること。しかも,自然というテーマに限定しての教科書ではなく,自然地理学・人文地理学を包括した地理学一般論の教科書として使えるし,著者もそのことを意図している。しかし,もちろん単に地理学的方法や知識を身につけようという目的の学生・読者に向けられるようなものではなく,その根本を問い直すように序文で注意書きしている。
つまり,本書は社会一般における「自然」の扱いだけではなく,これまでの地理学者が自然をどう扱ってきたか,どう考えてきたか,どう理解してきたかを考察する。いわばメタ地理学的な研究といえようか。私の関心はせいぜい3章の内容で留まっているが,本書はその先の先にまで話が及ぶ。上の目次でも「社会的構築」という言葉が何度か出てくるが,この思想さえ,本書では寄って立つべきものではなく,多くの考え方の一つに過ぎず,それに対する批判も用意してある。最近森 正人氏の論文「言葉と物」でも紹介されていたスリフトの「非表象理論」とかアクターネットワーク理論とか,どうも英語圏地理学にはまだ「流行」という概念があるらしい。まあ,だからといって,著者は新しいことがいいことだというような論調でもなく,とにかく手持ちの札は全部見せて,判断は読者に任せているようなところがあるのは,やはり本書が教科書的な性質を持っているからだろう。
やっぱりこのシリーズはなかなか面白い。少し版が小さくて持ち運びも便利だし,文章も嫌になるほどは長くない。他のも少しずつ集めることにするか。

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リアリティ・クライシス

神尾美津雄 2008. 『リアリティ・クライシス』英宝社,203p.,2400円.

引っ越して電車通勤になってから,本を読み終わるのが早くなった。
ポール・オースター関係の文献を探している時,この人の論文があった。ニューヨーク三部作に関する文章だったが,掲載されたのが,著者が在籍する大学の紀要,『名古屋大学文学部研究論集』だった。でも,その後その紀要に書かれた4編の論文をまとめて1冊の著書として出版していることを知り,Amazonで購入することにした。というのも,私のように大学に在籍していないと,この手の論文はコピーが容易ではないからだ。
本書のタイトルは,ヴァージニア・ウルフに関する論文のタイトルにつけられたもの。オースター論文は「リアリティ消失」と名づけられていた。ともかく,本書で著者は20世紀になって英米文学上で,これまでのいわゆる近代小説が構築してきたような現実性が崩壊しようとしている一般的事態を4人の作家の作品から確認しようと試みる。4人の作家とは,ウィリアム・ゴールディング,ジョゼフ・コンラッド,ヴァージニア・ウルフ,そしてポール・オースターだ。残念ながら私はコンラッドについてはサイードの影響で『闇の奥』を一読しただけ。ウルフについては『燈台へ』を読んだにすぎない。どちらの作品も本書のなかでチラッと登場するが,コンラッドについては『シークレット・エージェント』が,ウルフについては『ダロウェイ夫人』が中心に論じられている。『ダロウェイ夫人』は映画を観たことがあるが,まあ,ウルフのことだから映像化には相当脚色が必要に違いない。ちなみに,私がウルフを知ったのは学術的な関心よりも先に映画からである。『オーランド』という作品が『オルランド』というタイトルで映画化され,できたばかりの渋谷文化村ル・シネマで公開されていたと記憶している。そのころは妙にヨーロッパ的な雰囲気への憧れがあり,文化村には映画くらいしか用事はなかったのだが,たまにその雰囲気に浸りにいったものだ。ちなみに,ウルフの自伝的作品でもあるらしい『オルランド』に主演していたティルダ・スウィントンは素晴らしい存在感だった。
まあ,ともかく何がいいたいかというと,本書は原作を読んでいないととても読みにくい本だということ。文学研究というのはとても難しいと思う。ある作品について批評する場合,その作品を熟知している同じ作品の研究者を読者として想定するか,有名な作品なので粗筋は多くの人が知っているということを想定して書く場合,あるいは全くその作品を知らないことを前提にして書く場合だ。その3つのどれかによって書き方と分量は全く変わってきてしまう。本書が扱うのは(恥ずかしいことにゴールディングという作家の名前を私は知らないが),英米文学研究者ならばその作品には馴染みのあるような有名な作家ばかりであり,もともと大学の紀要に書かれたこともあり,当該作品を読んだことのない読者を想定していないかもしれないが,やはり一般図書にするにはちょっと不親切な論の進め方なのかもしれない。『ダロウェイ夫人』をモチーフにしたという『めぐりあう時間たち』も観ていたので,ウルフに関する章はそれなりに理解しやすかったけど。
でも,目的だったオースターの章はそれなりに面白かった。本書が単なる人間主体のアイデンティティ・クライシスをテーマとするのではなく,その主体がアイデンティティとの関わりで捉えるべきリアリティの方を問題としているように,オースター作品についても,ルフェーヴル『空間の生産』やハーヴェイ『ポストモダニティの条件』を引くことで,都市空間についても考察に含んでいる。他にも私の知らなかったオースター作品に英文の論集を知ることができたし。本当はやっぱり大学紀要に掲載された論文だけコピーしたほうが安上がりだったが,まあ,著者に印税が入ることだし,よしとしよう。
ところで,本書には少し気になることがある。まあ,英米文学研究者だから原著で研究するのは当然だけど,日本語訳で定訳となっているような人名や単語まで自分なりの表記や訳語で通しているのはどうなのかと思う。こだわらなければならない場合についてはそうすべきだが,そうでなければ既存の翻訳にも敬意を払うべきだと思う。まあ,それは細かいことだが,既存の研究の引用の仕方も含め,ちょっと著者独自のやり方に始めないせいか,素直に頭に入ってこないというのが全般的な印象。まあ,変な批判をしてしまったが,それらが自分自身にも跳ね返ってこないことを気をつけないといけない。

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西欧中世の自然経済と貨幣経済

マルク・ブロック著,森本芳樹訳 1982. 『西欧中世の自然経済と貨幣経済』創文社,143p.,1800円.

創文社の歴史学叢書は4冊目。
ヨハン・ホイジンガ『レンブラントの世紀』(1968年)
リュシアン・フェーブル『歴史のための闘い』(1977年)
リュシアン・フェーブル『フランス・ルネサンスの文明』(1981年)
その装丁の,簡素だがセンスがいいところと,程よく薄くて読みやすいところが気に入っている。でも,歴史なんてものはそのいわば「厚い記述」が重要であって,この叢書からしっかり学んだことは多くない。
さて,マルク・ブロックはご存知の通り,フェーブルとともにフランスの新しい歴史学,アナール学派の立役者である。まだ読んでいないが,『封建社会』を記した彼による中世論だったら安心できると思い,古書店で見つけて購入した。本書には2編の論文が訳出されている。1つが「自然経済か,貨幣経済か。二者択一図式の陥穽」であり,2つめが「中世における金の問題」である。
私は大学の講義でヨーロッパの歴史的な話をしているが,中世という時代には全く疎い。古代に関してはプラトン全集やアリストテレス全集が面白くて,その話をするだけで十分だし,ルネサンス以降はいくらでも面白い歴史書がある。しかし,中世という時代はいわゆる封建時代として安定したキリスト教的世界と教わっているために魅力的にも思えないし,どの辺から本を読めば良いのか分からない。まあ,本当ならばブロックの『封建社会』から読むべきだが,なかなか古書でも安価で売っていない2冊本を手に入れるのを躊躇してしまう。
また,一方で貨幣制度の問題については中世といわず,全く知識のない状況だ。偉そうに資本主義の起源みたいなことをさらっと話しているのに,そこに至るまでの歴史的経緯を何もわかっていないのが実情だ。ということで,中世の話でも,これだけ限定されれば頭に入ると思った。本書は2編の論文を訳出するだけでは薄すぎたせいか,丁寧に訳者による「西欧中世貨幣制度概観」という文章までつけてくれていて,とても役に立つ。でも,あとがきは少し冗長すぎるような気もする。ブロックの文章の読後に他の文章を読むとなんだかなあ,という気もする。しかも,ブロックがそれぞれ1939年と1933年に書いたこの2つの論文からこのテーマに関しては急速に研究が進み,考古学的な資料も数多く発見され,ブロックの主張の多くが覆されたというのだ。まあ,それはしょうがないが,読後にそんなこといわれてもねえ。
まあ,とにかくブロックがいうにはヨーロッパにおける経済制度は単線的な発展史観では捉えがたい複雑さがあった,ということらしい。ちなみに2つめの論文は「かね」ではなく,「きん」について。といっても,全くもっての金ではなく,貨幣に用いられる金について。現代では紙幣の方が硬貨よりも高価なものになっていますが,紙幣のない時代,特に貨幣経済が当たり前でない時代には硬貨そのものに希少金属が使用されて,それ自体が商品的価値を持っていたということ。要するに,金の含有量とか金ではなく銀とか,それが直接貨幣価値と結びついていたということ。また,金がどんどんヨーロッパでは産出できなくなり,貨幣に金が使われなくなるとか,ヨーロッパ近隣の貨幣を溶かして金を取り出すとか,まあそんなことをしていたらしい。などなど,面白い史実をしることができます。

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日記が500件を越えました。

4月11日(土)

翌日は東京経済大学の新年度初講義。こちらも朝一です。なぜかこちらは例年よりも人が少なく、しかも、着席は後ろ気味です。しかし、ちょっと嬉しかったのは聴講生の年配の男性がいたこと。まあ、気に入って継続的に受けてくれるかは分かりませんが。
講義を終え、大学の図書館で映画をチェック。ジム・キャリー主演の『イエスマン』が終了間近で観たかったので、調べると吉祥寺も新宿も時間は問い合わせとのこと。とりあえず、国分寺と新宿の間に吉祥寺があるので、途中下車する。すると、夕方以降の回しかないということで、新宿へ。幸い13:20の回があったので、受付をしてランチ。その後ぶらぶらしてから映画館へ。それにしても、この映画館いつも混んでいます。

渋谷ピカデリー 『イエスマン~”YES”は人生のパスワード
原作がある作品でも、ジム・キャリーが主演すると、彼のために書かれた脚本のように思えてしまうのが不思議。そして、相変わらずのパワーです。離婚して親友の誘いも断り続けるノーマンだった主人公。だまされたつもりで、友人の誘いで訪れたセミナーが、「人生にイエスといおう」といった類の明らかに怪しげなハデハデしいものだったが、半ばやけくそで、イエスマンに変身する。もちろん、いいこともあれば悪いこともあるが、ともかく何でも受け入れるようにした彼の生活は一変して賑やかなものになる。ここからはいつものジム・キャリーのテンションで飛ばしまくります。今回の恋の相手はズーイー・デシャネルという女優。彼女はどうやら歌手でもあるらしく、怪しげなバンドでのライヴシーンは一つの見所。古くは『あの頃ペニー・レインと』から『テラビシアにかける橋』、『ジェシー・ジェームズの暗殺』まで、私が観た作品にもけっこう出演しているというのにほとんど記憶にない。でも、この作品の彼女はとても魅力的。雰囲気的にはデミー・ムーア的な感じだが、小さくて細い。ともかく、内容は言葉で説明してしまうとつまらないです。随所で楽しめる王道コメディ。

映画が終わって、一度帰宅。結局、髪は調布の美容室で切ることにしました。前回そこに初めて行ってからちょうど2ヶ月。この美容室はガラスにDVDのモニタが埋め込まれていて、この日は三谷幸喜の『ザ・マジックアワー』をやっていて、つまらないけど思わず見入ってしまう。今回も刈り上げてもらっていい感じです。もう少しで前髪と横とが揃います。

4月12日(日)

久し振りに二度寝。今年度は金土と朝一の講義だし、恋人もサービス業なので土日は休みじゃないことが多い。早起きが続いていたので、この日は朝食を一緒に食べて、送り出してから布団で寝る。2時間も寝てしまい、起きたら10時。洗濯して、ジョギングの代わりに壁当て(野球のボールで)に行き、個人的にやり始めた仕事をちょっとやって、午後に出かける。

渋谷シネクイント 『フィッシュストーリー
最近はNHKの朝ドラ主演ということで有名になってしまった多部未華子ちゃんが出演しているということで楽しみにしていた作品。『鴨とアヒルのコインロッカー』と同じ原作・監督による作品。原作は伊坂幸太郎。彼の小説は読んだことはないが、彼の原作の映画はここ数年で何本観ただろうか。それくらい、今の日本映画は彼に頼っているといってよい(もちろん、他にも映画向けの作家が何人かいるが)。でも、やっぱり原作が良くできているんだよな。1974年に活動していたバンド逆鱗(げきりん)の「フィッシュストーリー」という曲をきっかけにつながる人間関係を2012年までたどるという物語。その詳細はやはりここで書いてしまってはつまらないので書かないが、多部未華子ちゃんは2009年のシーンで登場します。神戸からフェリーに乗って修学旅行で東京まで。降りるはずの東京で寝過ごしてしまい、苫小牧までの旅を余儀なくされてしまう彼女。ひたすら泣き喚く姿はあまりにも演技臭いが、それがまたよし。本作では彼女らしい演技を見ることはできないが、逆になかなか観ることのできない表情は貴重だし、最後の最後で彼女が重要な役割を果たすのだ。そして、相変わらずの調子で出演している大森南朋がやっぱり重要な役どころ。しかし、それにしても映像世界でしか知らない伊坂幸太郎の作品世界を文字でも体験すべきだろうか。

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2009年度講義開始

4月10日(金)

法政大学講義初日。昨年度の木曜日夕方経営学部学生中心から、金曜日朝一法学部学生中心に変わったせいか、受講者が例年よりも多く、しかも、前方の席に座っている学生も多い。ちょっとテンションも上がります。調子に乗ってしゃべりすぎましたが、なかなかいい出だし。
ぼちぼち、前に髪を切ってから2ヶ月経ち、切りたくなってきたので、昨年末に一度だけ行った原宿のお店に行ってみた。事前に電話で確認すべきだったけど、美容師さんにもらった名刺を忘れてしまって、案の定お休みだった。「他の者が担当しますよ」といってくれたが、なんとなく「またきます」とその場を去る。そのまま渋谷に移動して、映画の時間を調べると、神保町で予定していた映画の前にもう一本渋谷で観られることが分かり、久し振りに映画のはしごをすることに。映画の前に急いで「人間関係」で食事。ここはスコーンがお勧め。どれでも100円だし、大きくてホイップクリームもついてきます。昼時は焼きたてパンも充実しているし、コーヒーも200円。

渋谷ライズX 『メイプルソープとコレクター
選んだのはドキュメンタリー映画。アメリカの有名な写真家、ロバート・メイプルソープを売り出した美術収集家、サム・ワグスタッフに光を当てるもの。メイプルソープは今でも有名だが、ワグスタッフは自身のエイズによる死によって世間から忘れ去られてしまったが、彼のような存在なしに健全な芸術界はありえない、といった警告にも似たメッセージ。戦後のアメリカ芸術の盛り上がりはこれまでウォーホールやバスキアなどの映画化によって、私でもそれなりに知識はある。まあ、アメリカのバブル期というか、彼らはドラッグやセックスに溺れて、ついには1980年代に多くの芸術家がエイズでこの世を去るという結末。この2人と深く関わりあいながら今でも活躍するパンクロックシンガー、パティ・スミスは2人のことを懐かしく回想している。こういう映画を観るたびに、本当にヴァイタリティに溢れる人物っているんだなって思う。

神保町へ移動。映画の時間までまだ余裕があったので、久し振りに古書店街を物色。最近、読んでおきたい本がいくつかあったが、やはり有名な本はそれなりの値段がついていて断念。掘り出し物を1冊購入。

神保町岩波ホール 『シリアの花嫁
一応フィクションなんだけど、実際の政治的背景を色濃く反映した作品。イスラエルの領土内に、もともとの祖国であり、現在の隣国であるシリアへの帰属を主張している地区があるらしい。要はイスラエルという国家の存在を認めないということでしょうか。ともかく、この地区に住む人々は国籍がないとのこと。物語はこの地区から、シリアへ花嫁に行く女性とそれをめぐる家族の話。この結婚は見合い結婚で、花婿はシリアでテレビにも出演しているコメディアンとのこと。この地区の人間は一旦国境線を越えてシリア側に行けば、二度とイスラエル側に戻ることは許されない。そんな重要な結婚式ということもあって、政治活動家の父、親の反対を押し切ってロシア人と結婚し、国を離れた長男、好き勝手世界中を飛び回っている次男、そして、決して幸福とはいえない結婚をしたものの、2人の子宝に恵まれて、この家族を支え続ける長女。そんな家族模様。結婚式当日までのテンポのいい展開はいい感じだが、終盤にきてその雰囲気は一転する。この結婚式は、花嫁・花婿の側でそれぞれ別個で行われ、最終的に花嫁が国境線を越え結ばれるというものだが、そこには交戦地帯というか、ノーマンズランドがあるがゆえに離れた出入国審査で手違いが生じる。イスラエル側の出国手続きは終了したものの、そのイスラエル側の手続きには不備があると主張し、シリア側は受け付けない。お互いが直接交渉すれば多少は良いものの、その橋渡し役は国連の職員が媒介するため、埒が明かない。新郎も新譜も、その家族も、そして私たち鑑賞者もいらいらさせられる。それは一種のコメディでありながら、政治的理不尽さの告発でもある。結末は不思議なシーンだが、それがこの作品を非常にまとまりのあるものにしている。こういうセンス、日本映画にもほしい。

お茶の水日大カザルスホール 湯川潮音
かつて少女合唱団に在籍していた時に潮音ちゃんがよく歌ったというホール。最近の大学にも及ぶ経営難からでしょうか、近々取り壊されるというこのホール。高い天井で、大きなパイプオルガンがあり、これが破壊される図をとても思い浮かべたくはない素敵な空間。仕事から直行した恋人もどうにか開演には間に合いました。この日のメンバーはチェックしていませんでしたが、ステージ上にはアイリッシュハープ。吉野友加さんは間違いないですね。ギターをチューニングするのはスタッフだったので、影山さんでもないようです。登場したのは長身のチェリスト、徳澤青玄さんと、潮音ちゃんのライヴではみかけない大柄の男性。私は8列目の一番右だったので、ステージから程遠く、目を凝らすとなんとアルバム『灰色とわたし』のプロデューサであるクマ原田さんではないですが。かなりうれしいメンバーです。クマさんはロンドン在住のベーシストでありプロデューサですが、高宮マキさんのプロデューサでもあり、何度かライヴで拝見しているのです。この日はギタリストとしての参加。もちろん、マキさんのいくつかの曲はクマさんのギターとマキさんの歌声でレコーディングされているので、彼のギターの腕前も安心できます。音響の良いホールですが、この日はマイクを通しての演奏。最近、自分の歌声やヴォイスパーカッション、あるいはギターなどをサンプリングして重ねながらの演奏が気に入っているようで、マイクを使用するのはそんな理由もあるのかもしれません。青玄氏のチェロも生が映えるというよりはエフェクターなどを駆使した時に本領を発揮するし。はじめの何曲かは、ギターを弾きながら歌う潮音ちゃんの歌声がイマイチのように聴こえた。息継ぎがちょっと苦しそうな。しかし、ギターを置いて、3人の演奏に身を委ねながら歌う姿はいつもどおりでした。やはりこの編成はこの空間にぴったりだったとわたしは思います。最近はメジャーデビュー当時の曲を少なめに、インディーズ時代の曲と『灰色とわたし』が多めで、とてもわたし好み。やっぱり3ヶ月に1回くらいはたっぷりと彼女の歌声を聴きたいものです。ちなみに、本編は短めだったものの、アンコールでパイプオルガンのところ(上階)に登場し、1曲アカペラで歌い、降りてきてバンドで数曲といった感じで、最終的に終わった時は21時を過ぎていました。

終演後、会場内でTOPSさんと会い、恋人と3人で食事をしに神保町に繰り出しまいた。平日は多くの店が21時で閉店するんですね。古風な喫茶店で、喫茶店らしいメニューでおなかを満たしました。

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駅中立ち呑み屋

4月8日(水)

新宿で恋人と待ち合わせ。2人ともワイシャツにジャケットを着ているなんて、そうはないシチュエーションだ。ちょっとした時間で夕食を一緒にするということで、小田急線地下出口にある立ち飲み屋に入ってみる。飲み物も食べ物も種類が少ないが、飲み物が400円から、食べ物は300円均一。しかも、飲み物をオーダーすると、100円で食べ物をつけることができる。しかも、この食べ物がけっこう美味しい。しかも、早い。全てを切り盛りするおじさんがオーダーを受け、ドリンクをつくる。揚げ物は基本的に揚げ立てで、厨房の若い女性がこのおじさんの指示に従って、素早く捌く。もちろん、お客は数人の若い女性を含めて、皆スーツ姿。一人で軽く一杯呑んで出て行く人。私の前のおじさん2人は片方の誘いに乗ってやってきた感じだが、誘った方の人がずーっとしゃべりっぱなし。私たちはドリンク2杯ずつ、イカの塩辛にモツ煮込み、カブ味噌、串揚げ、茶豆、砂肝コショウ炒め、揚げ餃子で3000円弱。こんな場所の立ち飲み屋とたかを括っていましたが、とてもいいお店です。ここで別れて私は日暮里に行く予定でしたが、恋人もついて来ることになりました。

日暮里bar porto 古賀夕紀子
結局、お店に到着したのは開演時間ちょっとすぎ。カウンター席にはすでに4人のお客さんがいて、私たちはステージ近くのテーブル席。その後もさらに2人のお客さんが来て、けっこう盛況。ここはミュージシャン目当てでなくても常連さんがいるので面白い。この日はギターの前原さんとの演奏です。この日はcasaの曲は「ハナウタリズム」だけ。アントニオ・カルロス・ジョビンの曲を多めに、ブラジル曲を中心に歌います。ブラジルの音楽は皆で同じ曲を共有するという感覚が強いので、日本的な「カヴァー」という概念は馴染まないですね。私は本当に夕紀子さんの目の前で、しかもこのお店はテーブル席でもカウンターと同じ高さなので、目線も一緒。長時間凝視はできませんが、ソロを聴くと、彼女の歌の表現の素晴らしさを改めて感じる。ブラジル音楽はビブラートをほとんど使わないが、同じ音を同じ強さで長く保つ方が難しいのではないかと思うけど、本当に安定しています。彼女は歌っている最中、あまり瞬きもしないんです。立ち呑み屋で2杯も飲んでしまい、移動する電車の中ではちょっとライヴを聴くにはイマイチのコンディションだな、と思っていたが、目が覚めます。後半では金延幸子の曲や、ブラジルの曲に日本語の歌詞をつけて、アレンジをして、『みんなのうた』で過去に使われたという「へんな家」という曲を歌う。前半はオリジナルのブラジル語で、後半は日本語で。この日本語がなかなか地理学者にとって興味深い内容で刺激を受ける。
やはりこの人の感性はすごい。そして、やはりソロの時は前原さんのギターが似合う。「ハナウタリズム」の時はやっぱり美宏君のほうがいいみたいですが。

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近代ツーリズムと温泉

関戸明子 2007. 『近代ツーリズムと温泉』ナカニシヤ出版,206p.,1900円.

ナカニシヤ出版とは,たまに地理学の本を出版している会社で,以前友達の地理学者に紹介されて若い女性の編集者と一緒に呑んだことがある。そんな出版社が,編者に千田 稔,山野正彦,金田章裕を企画委員に迎えて,叢書「地球発見」を出版している。1冊目の千田 稔『地球儀の社会史』を出版したのが2005年の12月。なのに私は全く知らず,先日の日本地理学会に出店していたブースでそれを知った。もうすでに12冊まで出ているそうだ。
本書はそんな叢書の7冊目。叢書名はどうかとは思うが,他にも魅力的な本が並ぶ。思わず2冊買ってきたが,本当はもう2冊ほど買いたかったほどだ。でも,そもそも私が本書を(そして叢書自体を)知らなかったのは,私が所属している学会の雑誌に書評がなかったからだ。そもそも,日本の地理学者は書評に積極的ではない。そのなかでも,既に故人だが,日本地理学会会長もつとめた竹内啓一氏は生涯にわたって数多くの書評を残している。そのうち100編が1冊の本『伝統と革新――私が読んだ99の地理学』(2003年,古今書院)になっているくらいだ。かくいう私も書評は好きでこれまで15編の書評を書いている。しかし,研究者人生15年にして15編だから,竹内さんには到底かなわない。
まあ,書評ってものは新刊を紹介したり,批評したりするべきなので,2007年8月刊の本書を書評するなんて遅きに失するにもほどがあるが,ちょっと書いてみようと思っている。そこで,そのナカニシヤ出版の編集者に本書の書評が出ているかどうか問い合わせたところ,『地理』という月刊誌と,『鉄道史学』に出ていることを教えてもらった。ちなみに,『日本経済新聞』にも紹介記事が出ているとのこと。『鉄道史学』の書評は今年の2月に出ているらしいから,まあ大丈夫かもしれない。
詳細はそちらで書くことにして,端的にいうと書名から私が期待したような内容ではなかった。といっても,簡単に私が批判できるようなものではない。関戸明子氏は私が尊敬する数少ない日本の地理学者だからだ。彼女は当初は社会地理学的な研究(民俗学にも近い)からはじめたが,最近はもっぱら近代期の歴史地理学を専門としている。そういう意味では私の関心と重なる部分は少ないのだが,そして読んだことのある彼女の論文も数本しかないが,彼女の継続的な研究には頭が下がる。大抵は大学院時代に論文を書き溜めて,大学に就職すると学術雑誌には書かなくなり,本数自体も少なくなるのが世の常だが,彼女の場合は堅実な研究を確実に世に送り出している,という印象が私にはある。単著こそ少なく,本書が2冊目だが,編著,そして寄稿した文章の数はどのくらいになるのだろうか。
でも,私にとってはその堅実さが最大の不満につながっているのだろう。確かに本書に整理された,近代期の温泉にまつわる言説の整理は非常に網羅的で私ごときが突っ込むような余地は全くない。しかし,少ない資料から多くを語りたがる私にしてみれば,もっと大胆な解釈をもっと盛り込んで欲しいと思うのは贅沢だろうか。その大胆さは本書の表題にのみ現れている。また,「まえがき」にもその一端は記述されているのだ。そう,温泉というのは日本人にとって近代以前から重要なものであり続けた。日本の近代化は非常に急速で,時代的に明瞭である。しかし,そもそもどの文化にも「旅」を持っているように,近代ツーリズムの浸透は世界中どこでもそう単純ではないはずだ。この「温泉」というテーマはその近代ツーリズムへの移行の複雑さを明らかにしてくれる重要なものだと私は期待したのだ。しかし,実際本書の内容は温泉好きが喜ぶような,日本全国の温泉についての平板な記述が羅列されている。後半では戦争に絡む話で面白くはなってくるが,この辺りのことは散々議論されているもので,それらを覆すような事実を提示しているわけではない。
そんな感じで,けっこう面白そうな書評が書けそうかな。

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トゥルー・ストーリーズ

ポール・オースター著,柴田元幸訳 2004. 『トゥルー・ストーリーズ』新潮社,341p.,590円.

またまたオースターものですみません。こちらもタイトル通り,小説ではなく,エッセイ集。各エッセイは既に書かれたものでありながら,役者の柴田氏がオースター自身の求めに応じて日本で独自に編集されたもの。どうやら,エッセイの類は,著者の意向にかかわらず,出版社によって勝手に編集・出版されたりするらしい。
本書には「赤いノートブック」という,彼の初期の作品であるニューヨーク三部作を髣髴とさせるエッセイもあるが,作品とのつながりはあまりなく,彼が出会った奇妙な偶然の事実が,作品の創作メモのように書き込まれている。実際に作品に利用された逸話も少なくない。オースターの口癖に「事実は小説より奇なり」というものがあるが,確かに彼の実人生はとても面白い。まあ,本書はそのことを実証するような,彼の自伝的なエッセイだ。特に,収められたなかでは180ページと最長の「その日暮らし――若き日の失敗の記録」は,小説家オースターが出来上がるまでの日々が綴られている。1947年生まれの彼が,1985年の初長編小説『ガラスの街』で世に名前を知らしめたのは38歳の時。ちょうど私と同い年だ。しかし,そこまでにいたる彼の波瀾万丈な人生は私とは比較にならない。自らが書いて生計を立てることを信じて疑わず,貧乏暮らしが長かったようです。でも,父親が死んでちょっとした遺産が手に入るってのは,私には到底真似できないので,まあ私は私の人生を歩むしかないのだが,ともかく書くことはもっとできるはずだ。

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今年の花見は京都と府中

4月4日(土)

恋人はかなり早くから仕事。私も一緒に朝食を食べて、最後の準備。なんだかんだで、出発は8時半になる。品川に行き、新幹線のぞみの自由席に乗る。ほとんど5分おきに列車が来るので、よっぽど混む時期じゃなければわざわざ指定券を買う必要もない。余裕で三列シートに1人で座る。実は、この日の発表の準備、文献の整理を優先させたために、最後の最後のオリジナルな考察ができていなかったので、オースター『ガラスの街』を持参して、自分で引いた下線部をじっくりと書き出して考察。こういう場ってなぜかけっこう集中できます。後ろに座った名古屋までのサラリーマンがずーっと鼻をすすっていて、寝ることはできなかったけど、おかげで作業には集中できた。正直いって、『ガラスの街』の考察は、最近読んだ2本の論文によって、ずいぶん書きたいことが書かれているように感じたが、まだまだ自分らしい考察もできることを確認して安心する。京都まではけっこうすぐに着いてしまいますね。
13時半から京大会館のところ、京都駅についたのは11:40。時間もあるし、まだ雨は降っていなかったので、北東方向に歩き出す。前に京都に来たときに初めて京都の街を一人で散策したので、京都駅北部はなんとなく分かってきたような気がしたからだ。幸い、迷うことなく四条から三条へ。そのちょっと手前で昼食をとる。やはり京都は食に関しては素晴らしく充実している。カフェや喫茶店は多いし、料亭や飲み屋でやっているランチも800円程度。しかも、どの店も個性的で入りやすい雰囲気。東京だと入りやすいといえばフランチャイズ店で、特に一人の場合は困ることが多い。結局、入った店は若者中心の飲み屋だったが、730円のデリランチはとても美味しく満腹になった。

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ちょうど昼食の前後で雨が降り出し、カメラはしまうことになってしまった。三条辺りで迷い込んだアーケード街が素敵だったので、おもわず自宅へのお土産に「かぶせ茶」を購入。結局、それ以降はゆっくりお土産を選ぶ時間がなく、買ってよかった。ぼちぼち、会場を目指さなくてはならない時間になり、急ぎ足で鴨川を渡る。まさに桜が満開で、天気はイマイチでしたが、十分に堪能。結局、13:10ほどに会場に到着。今回は人文地理学会の地理思想研究部会というグループでの発表でしたが、おそらく1996年くらいに一度招待されて発表したことがある。世話人はすっかり世代交代していますが、島津俊之さんや福田珠己さんなど、以前から親しくさせてもらっている人が世話人としていらして安心。他にも山田晴通氏や濱田琢司君や若松 司君、今回声をかけてくれた大平晃久さん。共同研究者の香川雄一君など。全体的には20名弱ということで寂しい感じではありましたが、その分、ディープな会になったのでしょうか。もう一人の報告者は京都大学大学院生の安藤哲郎さん。平安京の研究をしているということで、ポール・オースターに関する報告との組み合わせはどうなのか?と思いますが、一応彼も日本の歴史的文学作品を資料として用いるということで。

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当初は報告時間は35分。当日には45分くらいいいですよ、ということだったが、なんだかんだで1時間弱の発表。しかも、用意した内容を全て話すことはできず、中途半端な割愛。やっぱり最近はこういう場に慣れていませんなあ。でも、翌週から大学講義も始まるので、その予行練習にはなったかも。春休みの3ヶ月のブランクを経て、年度初めに人前で話すと、よく声を枯らす。山田さん、若松君を中心に意見をもらい、最後に島津さんにコメントをもらって、かなり満足。
懇親会は京都大学関係者御用達という居酒屋で山田さんのパートナーもなぜか加わって、10人参加。たらふく食べて、飲み会では久しぶりに一緒になった島津さんともゆっくりお話し、くだらない話からアカデミックな話まで、こういうメンバーでの飲み会ってのも久しぶりだったのでかなり新鮮。そのまま2次会に流れるかと思いきや、最寄り駅まで歩いて少し距離があったので、皆で名所をめぐりながらのナイトハイク。そこから帰る人もいて、残った4人でまたまた京都駅まで歩く。今度は高瀬川に沿って、夜桜を観、街の様子を観察する。京都駅で山田さんたちと待ち合わせだったが、京都駅近くの名物ラーメン屋で呑み後のラーメン。久しぶりです。スープが黒く、見た目かなりグロテスクでしたが、小ラーメンを完食。意外に食べやすかったです。
駅で山田さんたちと合流し、私と山田さんのパートナーとが12時前の夜行バスということで、それまで皆に付き合ってもらい、6人でアイリッシュパブで時間をつぶす。皆と別れて、軽くトイレで顔を洗い、歯を磨き、いざ夜行バス初搭乗。私は通路側の席ということで、後での案内。乗り込むと既にフードを被って寝る気満々の車内。このバスは新宿で停車しますが、最終的にはディズニーリゾートまで行くということで、4人家族なんて客もいます。そして、やはり若い女性が中心。4列シートですが、さすがに男性一人客は男性一人客と組みます。ファッションではなく長髪のお兄さんが隣。やはり車内では寝るしかないんですね。幸い、ホームページで見たとおりの、けっこう快適なシートでしたが、さすがにいきなり熟睡はできず、1回目の休憩だった浜名湖サービスエリアまでは浅い眠り。隣のお兄さんも同じような感じだったみたいですが、途中から熟睡モードに入ると、吐く息が臭かったりして、車内が乾燥していることもあって、用意したマスクを着用。その頃から私もけっこう深めに眠ることができるが、2回目の休憩、海老名サービスエリアではまた起きる。そんなこんなで、思ったよりも早く新宿に到着。

4月5日(日)

夜行バスにて新宿に着き、帰宅したのは7:30すぎ。朝食を恋人とともに食べ、もう一度2人で寝る。彼女も連日研修で疲れている様子。午前と午後に2つの宅急便がやってくるということで、家でのんびり過ごします。でも、寝ても寝ても足りない感じ。午後の宅急便も早めに来たので15時には外出。ちなみに、午後の宅急便は私のノートPCの修理で、引取りに来てくれた佐川急便。購入時の保証期間がきれるということで、音が鳴らなくなったものを修理してもらう。
恋人と2人で府中に出かける。昨年は2人で聖蹟桜ヶ丘の桜を観に行ったが、今年は府中。昨年は山の上まで歩いていって公園での花見でしたが、今回は駅から少し行ったところの普通の道路です。ここの桜はすごいのです。ということで、府中でも桜まつり開催中。その中をのんびり抜けて、府中市美術館へ。

府中市美術館 企画展「山水に遊ぶ 江戸絵画の風景250年」
府中市美術館は、こちらも桜が満開な都立府中の森公園のなかにある。この日開催中の企画展は江戸時代の風景画。これが思いの他面白かった。まあ、ある程度は想像がついたが、江戸時代だからといって、日本の風景画がどっぷり山水画に染まっているわけではない。もう17世紀の後半から18世紀に入れば、油彩に手を染める者、遠近法を学ぶ者。そもそもやはり日本の地形が山水画の手法に馴染まないものも少なくないということだろうか。既に、江戸時代から富士山は多く描かれているが、この対象などまさに山水画的ではない。特に私が注目したのは司馬江漢という人物。作品ごとに作風が異なり、あえて古風なタッチを強調するものから、西洋画の手法を模倣したり、あるいはその折衷的なものを模索したり。解説には彼は遠近法を学んだらしい。後期の作品などは、アルファベットを用いてサインを入れている。もう一人は小田野直武という人物。彼は『解体新書』の挿絵を担当していたという。なので、風景画も西欧的なものが色濃く出ているのも当然だ。司馬江漢については、常設展の一角にも小特集を組まれていて、府中市美術館の所蔵作品も多いようだ。地理学者で研究してもおかしくないな。今度知り合いの歴史地理学者に聞いてみよう。

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本格的春!

3月30日(月)

恋人が入社式を前に親に会いに行くということで、一人で留守番。本当はやることもあるんだけど、なんとなく一人で家に居る気にはなれず、会社帰りに府中で映画を観ることに。と思ったら残業。夕食は映画後になってしまった。

府中TOHOシネマズ 『ホノカアボーイ
映画主演が続く岡田将生。なぜだか、集中しますよね。ちょっと前には石田卓也や市原隼人という俳優の映画主演が続いたけど、男優の場合はなぜこの人がもてはやされるのかイマイチ分からないことが多い。岡田君は確かにかっこいい。顔もいいし、背も高い。でも、演技はイマイチどうなのか私には分からない。はやり男優は年齢を重ねるほどに良さが出るのだろうか。まあ、ともかく、私的には倍賞千恵子さんの演技が観たくて選んだ作品。冒頭にいきなり蒼井 優ちゃんが出てくる。一応、岡田君の恋人役ってことなのだが、このアンバランス感はいいのだろうか。まあ、ともかくあまり上手くいっていない2人が、その関係修復のためにハワイ旅行に来た、というような設定。結局、この2人は分かれてしまい、そしてなぜか岡田君演じる男性は大学を休学して、再びこの町を訪れ数ヶ月の生活を送る。この町はハワイにあることは間違いないのだが、どちらかというと架空の町のような雰囲気で物語りは展開していく。つまり、主たる登場人物はほとんどが日本の俳優、ないしは外国人(ハワイでは現地人)の場合には日本語がしゃべれる。すっかり太った松坂慶子や現地人と化している長谷川 潤。なので、この舞台がアメリカ合衆国なのか、日本なのかということを考えてしまうと面白くない。『めがね』のように、外界とは切り離された独自の空間、そしてその空間は潔癖な状態に保たれた空間で、特定の美学に統一されている。前半はそうした設定に違和感を抱いていたが、倍賞千恵子さんの出番が多くなるにつれて、味わい深い作品に思えてきた。やっぱり岡田君の演技はどうかなあと思いながらも、この老人の町に住む老人たちを演じる俳優たちが彼の未熟さを温かく包んでいる。それにしても、倍賞千恵子さんの声はきれいだ。姉妹でもしゃがれ声の倍賞美津子さんとは対照的だ。そして、年老いて体が小さくなっている彼女の姿をみると、私の母親の姿を重ねてしまう。もちろん、顔も体型もそれほど似ていないのだが、くしゃくしゃのパーマと少し頼りない足取りが似ている。といっても、倍賞千恵子さんの方が体力的にも丈夫なようだ。作品中に登場する料理は有名な料理研究家が手がけ、主題歌は斉藤和義作詞作曲を小泉今日子が歌うってところも抜け目ない。

4月1日(水)

この日は映画の日。と同時に、恋人が入社式。せっかくなので、終わってから映画を観ようということで、退社後新宿へ向かうが、観ようと思っていた『イエスマン』は新宿ピカデリーですでに満席。他の作品を探して、恋人に電話。新宿に向かっているとのことだが、私が選んだ作品は上映時間を勘違いしていて、しかも予告編が珍しく8分と短い。結局、本編が始まってから彼女が到着し、しかも公開1週目の映画の日ってことで、席はかなり埋まっていて、離れて鑑賞。しかも、前列の人たちは隣に荷物は置くし、浅く座って足で前の席との隙間を埋めているしで、まったく埒が明かない。われわれが横に立ってもまったく通そうという気はなし。諦めて、2人別々に後方の席に座る。ようやく座れたと思ったら、今度は私の前の男性がいまどきの髪形をしていて、座高が高く、かなり字幕を見る邪魔になった。台詞が重要な作品だったので、おかげで前かがみになったり、横に頭をそらしたりと、大変だった。これだったら、300円出して前売り券でゆったり観た方がいいかも。

新宿武蔵野館 『フロスト×ニクソン
ということで、映画はこちら。任期中に大統領を辞任した唯一の男というニクソン。ウォーターゲート事件に関与したものの、大統領辞任以上の責任を負わずにいたらしい。そんなニクソンに、英国のテレビ司会者フロストがインタビューを申し込むという内容。登場人物の名前も含め、事実らしい。詳しい解説は省きますが、最終的にインタビューはフロストにとっての成功に終わり、ニクソン自身の口から事件への関与を認めさせるという結末。まあ、そうでもないと、映画化されるほどの事実にはならないが、その脚本と演出、俳優の演技はなかなか真に迫っていて手に汗握ります。ちなみに、フロストが初めてニクソンに会いに行く航空機で軟派されたまま、インタビュー収録まで付き合ってしまう女性を演じる女優がとても魅力的。この嘘のような話も実在する人物らしい。まあ、ともかく苦労して観た甲斐は十分にあった作品。

4月3日(金)

2009年度の法政大学は金曜日1時限目。ということで、まだ春休み中ですが、会社は金曜日が休み。毎週3連休です。でも、2日連続1時限は辛いかも。ちなみに、法政大学の1時限は9時半からなんです。しかし、翌日は京都で研究会発表なので、真昼間まで自宅で作業。本当は美容室も行きたいところでしたが、準備に時間がかかりすぎて断念。でも、映画だけは死守しました。

渋谷ヒューマントラストシネマ 『プラスティック・シティ
オダギリジョーが単身ブラジルに乗り込んでの出演作。本人は日本人移民の息子という役どころで、両親を亡くして(?)、中国人移民の男に育てられるという設定。かなり危ないビジネスを営む「ユダ」という男を父と崇め、一緒に行動する毎日。まあ、よくあるヤクザ映画ですが、ブラジルという舞台と、南アメリカで活動するアジア人たちを描く、いかにも現代的な雰囲気は新しい。ところで、オダギリジョーの台詞。前回の『悲夢』とは違って、ポルトガル語と中国語をしゃべっていますが、やっぱりどこかおかしい。多分、本人がしゃべっているのだろうが、画面上の口の動きと合ってないのです。まあ、アフレコなのか、あるいは中国語は似た声の人が吹き替えしているのか(ポルトガル語はたどたどしさがあるので、本人でしょう)。意外に物語の展開はとりとめのない場面も多く、分かりにくい。まあ、こんなもんでしょうか。

恋人と新宿で待ち合わせて、下北沢で食事。私はariさんの出番の時間に合わせて歩いて池の上まで。

池ノ上ruina ari
bobtailが年明けてruinaになってからは初めて。ほとんど何も変わっていません。店内に入るとalter bingoの演奏中で、かなり盛り上がっていました。店内には相変わらず服部さんの姿もあり、前方にはサカウエ君の姿も。alter bingoは以前どこかで一度聴いたことがありますが、まあ悪くはないですね。でも、演奏が終わった後に、当人たちのCDをかけるってセンスはどうなの?ケンちゃん。
さて、ariさんは先日吉祥寺star pine's cafeでワンマンライヴをしたばかりなのに、また豪華なメンバーを引き連れて、気合入っています。ギター西村さんとサックス渡辺さんはいつもどおりで、パーカッションにalter bingoからデューク氏、そして先日のワンマンでゲストだった田辺 玄氏も。選曲は新曲1曲を除いて、ワンマンでも披露した曲ばかりでしたが、歌声にも力が入って、素晴らしいステージ。「私の代表曲といってもいい『水色』」ってのがいいですね。
翌朝も早いので、最後の出演者は聴かずに、ariさんに挨拶をして帰宅。

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空腹の技法

ポール・オースター著,柴田元幸・畔柳和代訳 2000.  『空腹の技法』新潮社,347p.,2200円.

1985年に『ガラスの街』で長編小説デビューした,アメリカの作家,オースターについていろんなことを知ることができる。本書は3部から成っている。一部はエッセイ集,二部は序文集。そして,三部はインタビュー集。私は作品を作家の自伝的情報抜きに読みたい方なので,本書は持っていなかったのだが,最近本格的に彼の作品について研究をしようと,いろいろ関連文献を探していたら,「空腹の芸術」(このエッセイが本書のタイトルになっているのだが訳者は,原語のartをこのエッセイには「芸術」を,本のタイトルには「技法」をあてている),「ニューヨーク・バベル」,「赤いノートブック」の3編を訳出した雑誌『新潮』(1995年12月)をコピーして読んでいたが,この3編は全て『The art of hunger』に収録されている。でも,「赤いノートブック」は1992年のエッセイであり,新潮社が翻訳した版には収録されていない。また,本書に収録されたインタビューのうち,2編は既に先日紹介した彩流社の『現代作家ガイド1 ポール・オースター』に別の訳者により翻訳されている。
まあ,そんなものを読むうちに,この手のエッセイを読まざるをえなくなってきたし,引用する場合に本書からの引用の方が楽ということもあった。ともかく本書を読むと,オースターがどんな人生を歩んでいたのか,どんな文学的影響を受けてきたのか,そして文学に対してどんな考えを持っているのかがよく分かってくる。といっても,よくある作家論のように,フィクションとしての作品を,実人生を生きる作家の個人誌に関する情報で理解の助けにするという関係ではない。オースターはさまざまな意味で,従来の典型的な小説家とは違っている。といっても,近年はそういうのをポストモダン小説(文学)などと呼び,典型的でない作家は少なくはない。しかし,場合によっては難解になりがちなポストモダン作家とは異なり,オースターはとても分かりやすい。インタビューでも包み隠さずなんでも語っているし,作品中に難解な箇所があるのは,物事はなんでも完全に知ることができるという虚偽を彼自身が許さないからだ。自分自身のことですら分からないのは普通だからである。
本書に収められたエッセイも,序文集と同じように大抵は特定の作家や作品についての言及である。ほとんどが文学青年ではない私は全く知らない詩人や小説家だったりする(そもそも私は詩は読まないが)。基本的には自分の感性に近い作家を取り上げ,批判するようなことはない。オースターの評論文を読むとそれらの作品がとても魅力的なものにみえるようになるエッセイである。ところで,『ガラスの街』の理解を助けるもののように思った「ニューヨーク・バベル」というエッセイはタイトルと何の関係があるのかよく分からない。

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春の日本地理学会

3月28日(土)

新宿武蔵野館 『恋極星
公開前から楽しみにしていた映画だが、公開2週間でもうすでに縮小上映ということで急いで観に行った。まあ、お目当ては戸田恵梨香。出演ドラマごとに着実に評価を高めている。といっても、テレビドラマは観られないのだが。だから、映画出演を待つしかない。池袋のシネ・リーブルでも上映しているが、池袋駅構内にけっこう垂れ幕があって、宣伝費もかけているが、まだ彼女を目当てに劇場に足を運ぶ人はそれほど多くはない様子。
さて、物語はこんな感じ。幼い頃、いつも知恵遅れの弟と、幼馴染の男の子と一緒に過ごしてきた主人公。母親はすでにいなく、北海道の鄙びた町の父親が解説するプラネタリウムで遊んでいた。その男の子は家族でカナダに引っ越してしまう。その前に、子どもながらに主人公を大人になったらお嫁さんにすると約束をしたまま時は過ぎる。主人公は地元の建設事務所で働くが、その前に父親もなくし、弟を施設に預け、毎日仕事と弟の世話で、若い女性らしく遊んだりできない毎日。そんなある日、突然幼馴染の男が現れる。彼を演じるのは加藤和樹。彼は東京の大学に進学するために帰国していたのだが、治る見込みのない病気に犯され、最期の思い出作りに故郷を訪れたのだ。かれら3人を結びつけ、また過去と現在と未来をつなぐもの、それがかつては「星の降る町」と呼ばれたこの故郷での天体観測だ。特に冬の代表的な星座としてのオリオン座。真ん中の3つの星に自らをなぞらえたりして、三つ巴のメタファーがこの作品をまとまりあるものにしている。
余計な登場人物も少なく、さほど目新しいストーリー展開ではないし、戸田恵梨香以外の演技も特筆することはないが、随所でかなり泣いてしまった。まあ、基本的にはお涙頂戴な展開だけど、「ここで泣け!」というような山場は少なく、後半では終始つらつら涙が頬を伝いました。やはり戸田恵梨香の魅力にやられる作品でした。多部未華子が天才肌だとすると、戸田恵梨香は秀才かな。一瞬一瞬の彼女の表情が見逃せません。結末もけっこう好きだな。

3月29日(日)

午後は帝京大学に行く。近くに住んでいて、バスでは何度も横を通り過ぎたのに、入るのは初めて。日本地理学会の春季学術大会が開催されているので、ちょこっと顔を出すことにした。聖蹟桜ヶ丘からバスに乗ると、東京都立大学時代にお世話になった、富山大学の山根 拓氏と一緒になる。今回は知り合いが多く参加しているシンポジウムに出席するのが目的だったけど、けっこういろんな人に会った。大学院時代の後輩とか、都立大の先生とか、当たり前のように杉山君とか香川君にも会ったし、出版社の知り合いにも会った。私はシンポジウム終了後にすぐ帰ってしまって、ゆっくり話すことはできなかったけど、なんとなく収穫の多い学会だった。

青山プラッサオンゼ casa
お店で恋人と待ち合わせて、けっこう久しぶりのcasaライヴ。恋人とゆっくりプラッサオンゼってのも久しぶりだったので、フェイジョアーダやリングイッサなどの名物料理と名物カクテル、カイペリーニャをいただきながら開演を待つ。開演は予定よりも20分も遅れてしまいましたが、嬉しいことに満員御礼。外国人や子どももいるなか、バンド編成の演奏が始まりました。最近はぐっと新曲も増え、私も毎度聴いているわけではないので、とても新鮮。というか、かなり新曲の曲調がいままでとは変わってきています。かれらの感性が変化しているというよりは、新しいことに挑戦しているという感じでしょうか。ちょっと私には難しすぎて違和感のある曲もありますが、まあだんだんこなれていくことでしょう。夏過ぎくらいにレコーディングに入り、年内には新しいアルバムを発売したいとのこと。それにしても、このバンド、ドラムス菅沼さん、ベース守屋さんの演奏はさすがだ。

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