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隠喩論

久米 博 1992. 『隠喩論――思索と詩作のあいだ』思潮社,206p.,2400円.

著者はもちろんキャスターの久米 宏ではない。フランスの哲学者,ポール・リクールの一連の著作の役者で知られる人物。リクールの本は2冊くらいしか読んだことがないが,私の中ではかなり得意なフランスの哲学者といえる。フランスの現代哲学者といえば,世界的な流行の追随者というより牽引者であり,各自がかなり独自な路線を突っ走る印象がある。特に,フランス人が英語の文献を包括的に参照することは少ないのだが,リクールは違う。まさに博学者の名に相応しい,総括的な哲学者。現代におけるアリストテレスかホワイトヘッドか,ってのは言いすぎですが,もちろんドイツ語などの他のヨーロッパ言語はもちろんのこと,米国における動向にも常に気を配り,哲学以外にも人類学や歴史学にも精通している。
その訳者である久米氏は訳者としては一流だが,著者としての存在はあまり目立たない。しかし,そんなリクールの訳者である限り,リクールのみを読んでいたのでは大した訳はできないはずだ。リクールの読む文献を追随して読む。もちろん,それらに日本語訳が出る前に,というかやはりフランス語で引用されるわけだからそれに近い状態で彼も読むわけだ。必然的にリクールの思考に近づくであろうし,それと同時にリクールと同一思考を持つはずもない。ということで,久米氏自身がリクールと同様の文献を読むなかで,リクールとは違った思考,考察,結論に至ってもいたって驚くべきことではない。
私も自身の隠喩論で検討したリクールの『生きた隠喩』ももちろん彼の訳なのだが,著者自身もその著作を訳したことも,本書を書くきっかけになったようだ。本書は著者が『現代詩手帖』に掲載した10編の文章に,書き下ろしの1章を加えて構成されたものである。一般的に隠喩は,4つの主要な比喩表現(隠喩,換喩,提喩,反語)の一つと見做されるが,私の隠喩論を含む論文でも主張したように,隠喩はそれを越えた存在であると著者も指摘している。がゆえに,本書は隠喩論であると同時に,言語一般論でもある。といっても,一般的な言語学におけるそれではなく,あくまでも哲学・思想における言語論的転回におけるそれである。よって,ソシュールやヴィトゲンシュタインといった教科書的な話から,構造主義や脱構築などを経由しながら,レヴィナスの哲学,そしてかなりの紙幅を割いているのがハイデガーの哲学だ。もちろん,随所でデリダとリクールも登場しながら,最終的に隠喩の議論に収束していくという展開。けっして大著とはいえないが,なかなかコンパクトで刺激的な書である。

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