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万博幻想

吉見俊哉 2005. 『万博幻想――戦後政治の呪縛』筑摩書房,302p.,860円.

吉見俊哉は東京大学の社会学教授だ。都市研究,メディア研究,カルチュラル・スタディーズという分野で数々の素晴らしい功績を残している人物だが,彼の素晴らしい著作として,中公新書の『博覧会の政治学――まなざしの近代』(1992年)がある。新書という一般の読者もかなり意識した出版物のなかであれほどのレベルの文章が書ける人はなかなかいない。この本は基本的にヨーロッパやアメリカにおいて19世紀末から行なわれてきた万国博覧会と,明治以降に日本でも開催された勧業博覧会をたどりながら,一番新しいところでは1970年に日本で始めて開催された万博である大阪万博までを取り上げ,博覧会というものがいかに近代国家と近代都市のありかたを規定してきたかを非常に批判的に論じている。
しかし,こうした一般書を書くと,世間的には彼は「博覧会の専門家」ということになる。一方で研究者としては,一つのテーマで一冊の本を書くということは,そのテーマを一段落することも意味する。本書『万博幻想』で著者が書いているように,吉見氏にとっては博覧会のことは『博覧会の政治学』で終わりにしたのだ。しかし,その後,愛知万博が決定した後,その予定会場を開発から守るために万博反対運動をしていた人から講演を依頼されたという。そして,また一方では愛知万博の検討委員会の委員として依頼を受けたという。結局,吉見氏は反対運動の人々とかかわりながらも,一方で自由な意見を出せるという条件の下で,検討委員会にも参加する。
つまり,吉見は歴史研究という形で,すでに遠い過去に過ぎ去ってしまった「博覧会」の役割を明らかにしてその研究テーマは終わらせたわけだが,今度は社会学者として現実に進行している万博に直接関わることによって,その問題を明らかにしていくことを自分の研究使命と課したのだ。しかし,本書『万博幻想』はその使命を果たすものではなく,あくまでもその前段階だ。前著で最後に取り上げた大阪万博から話を始め,その後日本で開催された数ある博覧会のなかから,主要な四つ,つまり大阪万博,沖縄海洋博,つくば科学博,そして最後が愛知万博を論じる。その方法論は基本的にメディア研究だ。各万博に関する新聞報道(中央紙と地方紙)および,各万博での公式報告書と反対派などによる団体の報告書など。大学に職を得てからさまざまなメディア研究,カルチュラル・スタディーズの紹介を行なってきた著者が1992年に『博覧会の政治学』に出版するためにその研究に取り組んだ時には,既につくば科学博も終了している。つまり,大阪万博は1970年,沖縄海洋博は沖縄本土復直後の1975年,つくば科学博は筑波学園都市の開発の後の1985年。つまり,彼が身をもって体験したのは直接関与した2005年開催の愛・地球博だけである。しかし,アプローチの仕方は前著とはかなり異なっていることは確かだ。前著では,国民国家の成立と資本主義の成熟とに博覧会は寄与する一大国家イヴェントとして,ある種の国家のイデオロギー装置としてとらえるものであったが,本書ではそのイヴェントが,開催までの過程でそのプロジェクトが紆余曲折した過程を描いている。国家の政治的な思惑と地方自治体の思惑,協賛企業の経済的な思惑,そして,愛知万博へと徐々に高まっていく市民たちの希望。特に,最後の下からの勢力は重要で,押し付けがましい開発主義的な万博計画に市民たちが反対運動を起こすところから始まって,徐々に万博のあり方自体に市民が参加していくという,社会全般の傾向を見事に捉えていると思う。
そして,本書のあとには著者も書いているように,その過程に参加した知識人である吉見氏自身の経験を中心とした「厚い記述」によって明らかにされる「ミクロな政治学」が刊行され,「博覧会三部作」が完成するのだろうか。ただ,不満がないこともない。基本的には本書の物語は新聞で報道されたことを事実として進行する。上述したように,彼自身がつくば科学博までは研究対象として同時代的に関わっていないために,それについて知ることのできる資料は活字となっているものしかない。もちろん,当時の当事者に面接してインタビューすることはできるが,本書はあくまでも新書だし,4つもの万博を扱っているために,そこまでやるのはどうかとも思う。しかし,新聞に書かれていることをメディア研究者として意識的に検討しているのは数箇所で,ほとんどが事実そのものとして提示されるのはどうかと思う。まあ,実際にこの作業をしていると,その辺の線引きは非常に難しいところなんですけどね。それにしても,あの膨大な新聞記事はどうやって集めたのだろうか。最近のネットによる新聞記事検索が優れているのか,あるいは自分の研究室の学生によるものなのか。ともかく私のような立場では難しい研究だ。

それにしても,この文脈で,東京オリンピックの誘致問題はどうなるのであろうか。本書を読む限り,愛知では市民の運動がかなり活発になっていることを知ったが,東京では皆無関心で,私の周りに積極的に賛成する人はほとんどいなく,多くの人は消極的な反対だ。しかし,なし崩し的に誘致運動は行政主導で進められ,既にポスターやCMなどで巨額の都民税が使われているのではないか。私は『博覧会の政治学』を書き終えたときの吉見氏と同様に,もうオリンピックという祭典自体が時代遅れはなはだしいと思っているが,なんのためのオリンピックなのか,21世紀に東京で開催することの意味は何かと都民の間でよく考えて決定するようなことになって欲しいと強く願う。もちろん,選考で他の都市に負けることが一番手っ取り早いのだが。

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