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頭のなかで鳴り響く声

6月26日(金)

日比谷シャンテ・シネ 『レスラー
ミッキー・ロークが地でいっているってことで話題の作品ですが,実は監督は『レクイエム・フォー・ドリームズ』のダーレン・アロフスキー。その前が私は観なかったけど『π』だから,かなりぶっ飛んだ作品を撮る監督。今回は随分素朴な映画です。まあ,予告編どおりの映画。1980年代に人気のあったプロレスラーが主人公。プロレス自体の人気が下火なのは米国も同じようで,でもそれ以外に何もできない主人公は,家賃の支払いもままならぬトレイラー暮らしで,スーパーのバイトをしながら週末にはファイティングをしている。この作品で面白いのは,試合前の打ち合わせだ。20年ぶりに対戦するという相手は既に引退をしていて「事前打ち合わせ」というもの自体をしらないが,最近の若いプロレスラーは事前に綿密な打ち合わせをし,盛り上げ方を計算して展開を決めていく,というところが面白い。
この主人公ランディの唯一の慰めはストリップバーの女性。マリサ・トメイは先日も『その土曜日,7時58分』でその脱ぎっぷりに関して書いたが,本作ではストリッパー役だから当然脱ぎます。でも,プライヴェートでのそういうシーンはなし。こちらもストリッパーとしては年増でなかなか上手くいかない。でもプライドは捨てられずに,なかなかランディに心を許さない。さて、本作にもう一人出演している女優はエヴァ・レイチェル・ウッドで、ランディの娘。当然、全盛期の父親はプロレス三昧だったから、放っておかれた娘は父親に対して恨みを抱きながら生きている。それにしても、レイチェルは美しい。まあ、ナタリー・ポートマンとかスカーレット・ヨハンソンとか、演技と存在を含めずに評価するのは難しい女優を除けば、現代米国女優で一番美しいと思う。いい感じのチョイ役です。
この作品で面白いのは、ランディが1980年代のハードロックをこよなく愛していること。確かにこの2つはまさに1980年代の米国の象徴的な文化で、その類似性は大きい。暴力を前面に出したマスキュリニティバリバリの表現でありながら、ロングヘアだったり、レスラーは腋毛を剃ったり、ロッカーはロマンティックなラヴソングを歌ったり。フェミニンな特徴を併せ持った極度なマスキュリニティ。さて、物語の最後は非常に悲しい。ネタバレになりますが、久し振りに娘に会いに行ったランディ。はじめは嫌がる娘でしたが、父親の謝罪にほだされ、許す気になろうとしたところ、結局は待ち合わせのレストランに現れずに父娘の縁を切る。一方、マリサ演じる女性の方は最後の最後でランディについていこうと決心するが時既に遅し。心臓を病み、引退してまっとうな人生を歩もうと決意した矢先だったが、結局リングに戻ってしまい、明白には描かれていないが、そこで死ぬことを覚悟する。かといって、プロレスファンが皆自分の見方だというのではない。かつての栄光を覚めた目で見るファンたちの姿も描かれる。しかし、少なくとも自分の存在を認識してくれる人たちの前での死を、彼は選んだのだろうか。『グラン・トリノ』のラストシーンを思い出しました。

日比谷シャンテ・シネ 『路上のソリスト
引き続きシャンテ・シネにて。こちらも米国らしい作品。ジュリアード音楽院に入学しながらも、精神的な障害のゆえに今は路上生活をしている黒人男性。かつてはチェロを弾いていたが、いまでは弦が2本しかないヴァイオリンを路上で弾いている。そんな彼に出会った新聞記者。ロバート・ダウニーJr.が演じます。連載コラムを担当するこの記者は、この黒人に出会い、彼のことを記事にすることを決意し、彼に付きまとう。この連続コラムは人気になり、ある読者からは弾かなくなったチェロを彼に与えてくれと送られてくる。彼との付き合いは上手くいったりいかなかったり。しかし、主人公はこのコラムの人気によって賞を受賞したりする。しかし、果たしてこの黒人は救われたのだろうか。楽器を与えられ、部屋を与えられ、演奏会にまでこじつけたが、結局演奏はできなかった。これらの出来事はこの記者の自己満足だったのだろうか。この黒人は常に頭のなかに鳴り響く声に悩まされている。突然それが鳴り出すと、目の前のことに集中できないのだ。最近この種の人物を描く映画が続いている。先日紹介した『ウルトラミラクルラブストーリー』もそうだし、後で紹介する『幼獣マメシバ』も然り。また、本作の設定は『再会の街』ともよく似ているな。それにしても、この黒人を演じるジェイミー・フォックスは、ジュリアード時代の20歳そこそこも演じ、現時点での50歳前後も演じているが、本人は41歳だとのこと。でも、やっぱりチェロを弾く姿ってのは難しいんだな。特にオーケストラのなかに入ってしまうと素人でもないというのが明白。下手な人がいじると楽器を傷めてしまうということで、腕が縮こまってしまうのだろうか?まあ、そこそこの作品。ちなみに、実話に基づく物語です。

東京駅Break サンタラ
映画後、急いで東京駅に向かう。駅中のフリースペースBreakでサンタラのライヴがあるのだ。サンタラは昨年チェロ奏者の橋本 歩さんからいただいたCDのなかに入っていて、その思い切りのよいヴォーカルが気に入ったのだ。開演直前だったが、用意された椅子にはいくつか空きがあったので、真正面に座る。ヴォーカルの田村キョウコさんはかなり露出の多いワンピースで目のやりどころに困る。顔のパーツの大きい派手な顔立ちの彼女だが、アクセサリーの類をほとんどつけていない。もちろんこの日はサンタラの2人のみのステージ(ギターにヴォーカル)だったが、CDの印象とほぼ変わらないパワフルなステージを見せてくれました。自主レーベルを立ち上げての6枚目のアルバムが発売になったばかりだということだが、所持金が少なく購入せず。

さて、この日は恒例となりつつある勉強会。東京駅の丸の内南口で待ち合わせをしているとサンタラの2人。一人だったら声をかけていたけど、今回から勉強会にもう一人加入して、3人で移動するところだったので断念。南口で待ち合わせをしたが、適切なカフェがなく、OAZOまで移動。後から杉山君が合流します。この日もなんだかんだで1時間半かかり、21時頃に私の恋人も合流して呑み会。

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