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リゾーム

ドゥルーズ, G.・ガタリ, F.著,豊崎光一訳 1977. 『リゾーム』朝日出版社,113p.,600円.

本当は本書は雑誌『エピステーメー』の臨時増刊号として出版されたものだが,まあ雑誌らしいのは装丁だけで,他の記事は全くないので,単行本として扱ってもよいだろう。しかし,著者たちはそもそもこの文章を単行本での出版を望んでいなかったらしい。そして,この1977年という時点では,ドゥルーズの単著はいくつか翻訳されていたものの,『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』などで有名になっているこの共著作品として翻訳されたのは初めてだという。ちなみに,私もこの共著作品を読んだのは初めて。
ケイシー『場所の運命』でも『千のプラトー』が取り上げられ,従来の場所の概念を覆す新しい思想の一つとして捉えられている。そこでは,もっぱら定住と結びつきやすい場所概念に対して,ノマド=遊牧民という定住ではない場所との関わり方という発想のようだ(あまりにも単純化しすぎだが)。でも,ノマドではなく,リゾーム。私はこの言葉を勝手にアメーバ的なものと勘違いしていたが,リゾームは日本語に翻訳するならば,「地下茎」や「根茎」を意味するらしい。これはあくまでも隠喩なのか。ノマドというのを遊牧民と理解するならば,その運動体は家族という社会集団ではあるが,個別な社会集団である。あるいは家族より大きな社会集団であることもあるだろう。しかし,ともかくその集団は独立して空間内を移動する。一方アメーバは連続的に空間に拡散していく。しかし,その連続性は流動的にその形態を変え,分断もする。それに対して,地下茎,根茎というと,あくまでも線上に連続的に伸びるものだ。
さて,著者たちはそんな隠喩を用いて何を論じようとするのか?「樹木はすでに世界の比喩像である,あるいは根は世界として樹木の比喩増である。・・・根それ自体もそこでは直根〔回転する根〕であり,側面的や循環的な,より多数の分岐があって,それは二分法的なものではない。」(p.20)「地下の茎たるリゾームは根や側根から絶対的に区別される。球根や塊茎はリゾームである。」(p.24)「多数多様体はリゾーム状であり,樹木上の擬似-多数多様体を告発する。」(p.26)「すべてリゾームは分節線の数々を含んでいて,それらの線にのっとって地層化され,属領化され,組織され,意味され,帰属され,等々しているものだ,だけどもまた非属領化の線も含んでいてそれらを通して絶えず脱出してもいるのである。」(p.30)
本書も,デリダの『哲学の余白』だったか,『散種』だったかと同様に,いくつかのテクストが同時並行的に進行する。フォントの違いによってそれらは区別され,ページの真ん中だったり,下寄りだったり,上寄りだったりしながら,どこから読んだかよいか読者を困らせながら,「ページの最初から最後まで読まなければならない」という読書の因襲・規則・強制に問いをかけようというものであろうか。他にも「器官なき身体」や「精神分裂-分析」など,後の著作にも続いていく面白そうな概念と発想のてんこ盛りです。
しかし,まあ基本的には抽象的な議論が続き,はっきりと何かの含意が記憶に残っていくわけではない。かといって,かれらが具象と抽象,現実と隠喩などの区別を超越しているのは確かだ。本書を読みながらなにか具体的な事例を想像したりしても面白くないんだろうな。でも,場所研究の新しい方向性のためにはかれらの著作には取り組まなければならないだろう。

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