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自然主義の可能性

ロイ・バスカー著,式部 信訳 2006. 『自然主義の可能性――現代社会科学批判』晃洋書房,187p.,2700円.

著者は「批判的実在論critial realism」を標榜する英国の哲学者。日本ではほとんど知られていないが,英語圏の地理学では有名な人物。というのも,『method in social science』という全く地理学者の著書とは分からない著作で有名な地理学者アンドリュー・セイヤーが哲学的拠り所としたのがこのバスカーなのだ。日本でもほとんど知られていない哲学者に全面的に依拠するなんて,セイヤーがおかしいのか,あるいはそれを誰も紹介しない日本の状態がおかしいのか,と前々からセイヤーをまともに読んだことないながらも疑問に思っていた。といいつつも,日本の地理学者でセイヤーの議論をまともに論じている人もほとんどいないのだが。まあ,そんな前置きはともかく,ということで本書の翻訳が出ていたということを出版後3年経って知ったことに驚いたのだ。
バスカーの議論は1975年に出版された『科学の実在理論』と,1979年に出版された本書によって確立されたようだ。ちなみに,『科学の実在理論』も同じ訳者によって大村書店から出版予定となっているが,3年経っても出ていないようだ。ちなみに,セイヤーの著書が出たのは1984年。そして,前々から思っていた疑問がもう一つあり,昔読んだ竹田青嗣の『現象学入門』では実在論とはサルトル哲学の謂いであり,existentialismのことだと思っていたが,ちょっとネットで検索したらこちらは実在哲学で,実在論はやはりrealismであるらしい。realismはもっと素朴に現実主義ってのもあるし,名称だけでは何も示さないに等しい。一応目次を示してみるか。
第1章 超越論敵実在論と自然主義の問題
第2章 社会
第3章 人間
第4章 哲学批判
第1章では,本書でいうところの「自然主義」がなんであるかが示される。それは冒頭の1文で明らかだ。「社会を自然と同じように科学することは果たしてどこまで可能か」(p.1)というのがそれである。つまり,自然主義とは科学哲学における用語であり,自然科学といった場合の科学と,人文・社会科学といった場合の科学とが同じか否かという立場の問題であり,社会も自然と同様の方法で科学することができるというのが自然主義である。もうちょっと具体的ないいかたでは,自然と社会を同等に科学できるのは実証主義であり,そうではないという立場から社会科学のみに必要だとされるのが,解釈学だという。本書はタイトル通り自然主義の立場には立つが,もちろん素朴な実証主義ではない。「どこまで可能か」というところが味噌で,なんの迷いもなく社会は自然と同等に科学できると言い張るのではなく,また自然と社会は根本的に違うと頭から決め付けるのでもない,ある意味ではとても真っ当な立場のように思える。
そして第2章。これはなんとなく懐かしい社会学的な議論だ。私が社会学的思考方法を学んだ,ピーター・バーガーの議論も登場するし,もちろん古典のデュルケム,ウェーバー,マルクスの議論と立場が整理されて,そして最近の流れ。まあ,ギデンズの『社会学の新しい方法基準』で学んだようなことが本章で復習できる。まあ,結論的には社会構築主義というか,ポストモダン的最近の議論に近いように思う。でも,そうした最近の立場はもっぱら解釈学よりかと思いきや,著者は自然主義を標榜するし,マルクスの引用を肯定的にし,また彼自身マルクス主義系雑誌に論文を書いていながらも唯物論には否定的だ。そもそも基本がなっていない私にとっては,○○主義や△△派,□□論という対比で議論されても分かったような分からないような,そんなストレスが溜まります。しかも,分からないなりに感じた著者の矛盾だが,彼自身は他の著者を論じる際に,首尾一貫性というものを重視しているのだからこれまたよく分からない。
第3章の議論をちょっと先取りしてしまったが,私の理解度はだんだん落ちてくる。議論はより自然哲学に踏み込むようになり,いかに自然主義の立場を正当化するかというところに議論は収斂していく。第3章の各節の副題を並べると議論の流れが分かりやすいかもしれない。
第2節 自然主義に対する反対意見
第3節 自然主義の擁護
第4節 還元主義批判
第5節 超カテゴリー的因果性
著者の議論の仕方は,とても正統派だ。私はこういう積み重ね的な議論の仕方が苦手。AだからB,BだからC。よってこのことは論証された。みたいな調子で,えっいつ論証されたの?という具合。ちゃんと理解しようとするには何度も読み返さないといけないが,そこまでつきあうほど私自身がこの問題に関わりあうつもりはないというのが正直なところ。ということで,本書への無理解は進んでいくばかりだが,本書の批判の仕方と自分の論の押し付けがましい正当化ってのは,いかにも1980年代前半らしいというところなのだろうか。
最終章はギデンズの前掲書でもとりあげられていたウィンチという社会学者の解釈学的立場がことごとく批判されていく。なので,やっぱりついていけない。結局,彼が前書で打ち立てた,本書の基礎ともなる「超越的実在論」が何かが分からないとどうにもならないというところだろうか?なぜ大村書店がその本を出版しなかったかは分からないが,本書だけではやっぱりバスカーの名前が日本で定着することにはならないのかもしれない。

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投稿: 一般法則論者 | 2009年7月 6日 (月) 05時15分

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