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休日が多いと給料が減ります...

9月13日(日)

前日は疲れてしまったので、昼過ぎまでゆっくり過ごす。久し振りにジョギングしたり、本の執筆を遅々として進めたり。午後から出かけて、渋谷で映画。

渋谷イメージ・フォーラム 『花と兵隊
松林要樹という若い日本人監督によるドキュメンタリーフィルム。太平洋戦争で東南アジアに送られた日本兵。スクリーンに映し出された数字では、うち半数以上が現地で亡くなっている。終戦を迎え、多くの兵士は帰国したが、帰国せずにタイの奥地の村で現地の生活に馴染み、そして死んで逝く人たちがいる。そんな元日本兵6人を訪れ、取材した作品。是非観てもらいたいので詳しくは書きたくないが、まあだからといって実際に観ることができる人は少ないと思う。なので、拙い私の知識からしかかけない内容だが書いておきたいと思う。冒頭のシーンはその一人、坂井さんの葬儀の様子から始まる。2007年5月に90歳で亡くなる。葬儀の後、その奥さんがひ孫と自宅でくつろいでいるシーンで、とつぜん場面は同じアングルで2年前にさかのぼる。奥さんは同じハンモックでくつろぎ、その手前のリクライニングチェアに坂井さんの姿がある。そう、この監督は5年前くらいからこの現地に入り、人づてに一人一人の元日本兵に会い、インタビューを重ねていくのだ。坂井さんはなんとブラジル生まれ。両親はブラジル移民一世だ。事業に失敗して帰国したと思ったら父親とともに徴兵される。本人は生き残ったが、家族は日本で亡くなる。敗戦し、坂井さんは同じ部隊の中野さんと隊を離れる。逃げ延びた山中で、現地の少数民族たちに命を救われる。現在その少数民族たちはさまざまな理由で土地を追われ、難民生活を余儀なくされているが、手にした技術で財を成した坂井さんは自宅にかれらを無償で住まわせている。中野さんは衛生兵だということで、この土地で医者として尽力した。2人は現地の姉妹をそれぞれ嫁にとり、今日まで近所で暮らしていた。ちなみに、2人は日本語では会話しない。中野さんが離隊した理由は明らかにされないが、非常に重要な意味合いが込められている。彼らは愛国心教育に従って兵士となったわけだが、高まる同国日本人への不信感と言葉も通じない初対面の現地の人々の無償の愛。そりゃ、どっちを選ぶかっていう話ですよ。もちろん、戦後生まれた私たちの選択は明白ですが、当時の人々はまさに生死をかけた苦渋の選択だったはず。そして、中野さんの知り合いでもあった花岡さん。なんと、戦後多国籍企業としてタイに進出したトヨタ自動車の現地採用従業者となる。その後、独立して自身の自動車工場を立ち上げ、85歳現在にしていまだ現地の人々を使って現役で働いている。それ以上に自らの技術を活かして成功したのは伊波さん。当時タイには全く存在していなかった電動水汲みポンプを考案し、特許をとることもなく、献身的にタイの水環境改善に尽力する。国家事業の多くにも携わったという。古山さんもバンコク市内に住みながら、商人としてタイと日本とを結ぶ仕事に携わる。どなたの証言だったか忘れたが、一つ知らなかった事実があった。日本人はアジアの多くの場所でインフラ整備に関るが、タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道を建設したのも日本軍だった。しかし、その建設作業には日本軍が捕らえた連合軍の捕虜が6万人以上含まれていたという。しかも、そのうち1万人以上が作業中に亡くなった。当然これは許されることではない。敗戦国となった日本。その捕虜を管理していた日本軍兵士たちは戦犯となり、シンガポールに送られて裁判にかけられるというのだ。そんなことから、離隊して、現地に留まった人たちも多いということだ。中盤は、現地でも日本で培った技術を活かして、うまく生き延びてきた様子が描かれているが、徐々に戦争の傷跡がひしひしと伝わってくるようになる。そして、最後に登場する藤田さん。監督が初めて藤田さんのお宅を訪れるシーンは印象的だ。数年前に伴侶を亡くし、自身も戦争で痛めた片足のせいで歩けない。そんな彼は監督に対して明らかに不機嫌だ。しかし、彼をめぐる話が続くにつれ、彼ほど戦争の責任を現地で果たそうとした人もいないように思えてくる。彼は,首のない日本兵の死体を集め,埋葬し,そこに碑を建てた。しかも,その活動はその後も続き,日本兵と思われる白骨死体を掘り起こしてはその碑の下に埋葬するという活動を続けていたという。そして,同時に監督に対し,戦時中,上官の命令に従って中国人の女子どもを殺し,また士気を高めるために,亡くなった仲間の人肉を食らったということまで証言する。その時の形相は言葉以上に何かを伝える。そんな藤田さんも今年のはじめに亡くなったという。こういう作品こそ,映画という表現形態をうまく利用していると思う。

映画の後は代官山へ。友だちの友だちという繋がりで,以前から奇妙なメールのやり取りをしていたSさんと初めて会うことになった。おすすめのライヴにご一緒させてくださいというので,中目黒好きのSさんに合わせて楽屋のライヴを選んでみた。ライヴだと開演前や休憩時間くらいしか話す時間がないので,その前に1時間くらい散歩でもしましょうということで,代官山から中目黒まで散策。途中,西郷山公園によると犬のお散歩に来ていた秋吉久美子さんを発見。そこから崖を降りて目黒川沿いへ。渋谷から移ったdroleでケーキとお茶。渋谷では333discsのクリスマスイヴェントで,tico moonとachordionを聴きに行ったことがあるが,その後お茶でもしようと訪ねてみると,すでになくなっていてショックだった。それ以降もachordionは代官山店でライヴをしていたようだが,中目黒にもお店があるとは知らなかった。オレンジとチョコのムースは美味しかったが,紅茶がポットでなかったのはちょっと残念。

中目黒楽屋
楽屋に到着すると,つい最近予約人数を2名に変更したというのに,わたしたちに用意されていたのは最前列中央だった。この日はマリンバ&ヴィブラフォーンということで,ステージが拡張されていて,目の前まで迫っています。この日も私は禁酒が続きますが,おつまみ的メニューを頼んで,開演を待ちます。
宮嶋みぎわトリオ:ピアノの宮嶋みぎわさんにマリンバの大橋エリさん,そしてヴィブラフォーンの香取さんという編成。香取さんはみぎわさんの作曲の先生だし,もちろんエリちゃんにとっても同じ楽器の演奏者ということで以前から知っていたとのこと。大先輩を迎えた2人の演奏に力が入らないわけはありません。特にエリちゃんはerimba時代の古い曲「アフリカ」を持ち出して,ハッスル。みぎわさんもここ数年は何度もニューヨークに行ってはさまざまな経験を積んでいて,演奏にも深みと迫力が加わったような気がします。
vice versa:ヴォーカルの明由子さんは一度しかちゃんと話したことがないんだけど,彼女がお客さんとして来ているライヴに私も居合わせることも多く,顔を覚えたみたい。開演前に声を掛けてくれました。この日はワタナベエスさんと石川 智さんを招いてのバンド編成。当然ピアノが空いているので,数曲はみぎわさんも参加。バンド編成できちんと聴くのは初めてvice versaを聴いたとき以来だろうか。その時は確か,orbit blenderのイヴェントだったような気がして,まだバンドとしてのvice versaだったような記憶がある。久し振りに観た時に,2人になっていて,前に聴いたことがあるという記憶が間違っているのかと思ったくらいだ。Sさんはドラムス音があまり好きでないということで,私は石川さんなら大丈夫とはいっていたものの,さすがに最前列となるとけっこうな音量で少し申し訳ない気になったが,私は太宰百合トリオ以外で石川さんのドラムスを聴くのは久し振りだったので,かなり楽しんだ。2組で休憩挟んで3時間に及ぶパフォーマンスでしたが,満足なライヴでした。初対面の人と行くライヴがいいものだと,その後の会話に困ります。まあ,時間も遅くなったので,駅から別々の方向へ。

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