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資本論を読む

アルチュセール, L.・バリバール, E.著,権 寧・神戸仁彦訳 1974. 『資本論を読む』合同出版,433p.

アルチュセールはいわずと知れたフランスの哲学者だが,有名な「イデオロギーと国家のイデオロギー装置」という濃密な論文に衝撃を受け,何度か読み返したものの,『マルクスのために』でつまずいてしまった。この本は若きマルクスの著作を検討したものだが,半ばで読むのを諦めてしまった。私にしてはとても珍しいことだ。なので,この『資本論を読む』もマルクス『資本論』を読まずして読むことはないだろうと思っていたが,なんと初版の本書が古書店で600円で売っていたために,購入はしていたのだ。
まあ,なかなか『資本論』を読破する勇気もなく,ついにこちらに先に手を出したという次第。本書のフランス語初版は,アルチュセールとバリバール以外にも数名の論文から成り立っていたらしいが,新しい版ではそれらが削除されたらしく,日本語訳でもアルチュセールによる第1部「『資本論』からマルクスの哲学へ」と第2部「『資本論』の対象」,およびバリバールによる第3部「史的唯物論の基本概念について」から構成されている。1日数ページずつ読み進み,2ヶ月くらいかかって読んだので,正直いって読後に記憶に残ったものはそう多くはない。しかし,読んでいる時点では非常に刺激的で面白かった。特にアルチュセールによる部分のはじめの方は。アルチュセールの議論をよく,「ポストマルクス主義」とか「構造主義的マルクス主義」などと呼ぶが,なぜ「構造主義」なのかは,本書を読むとよく分かる。そもそも1980年代の地理学における主体と構造,あるいは主意主義と決定論という二元論論争において,両者は19世紀の思想家を代表して,前者をフロイトが,そして後者をマルクスが代表していた。あるいは,1970年代のアンチ計量地理学としての2つの潮流としては,前者が人間主義地理学,後者がラディカル地理学に結び付けられた。それらは現象学とマルクス主義というよってたつ学説にも対応している。つまり,マルクス主義的な社会の捉え方では,社会構造が主体の意思や行動を決定するという,非常に単純化した説明だ。
しかし,それとは距離をおいたにしても,本書においてアルチュセールは「社会構成体」という言葉や,「構造」という言葉をよく使っている。しかも,それは地理学の概説書が説明しているような単純な決定論的議論ではなく,とても説得的だ。この点についてはどちらかというと,バリバールによる再生産論で詳しく解説されているのだが,経済理論としての『資本論』だが,よく説明されるように,より専門化していく近代経済学に対して,前近代的な「政治経済学」を強調し,資本主義という経済現象を社会構造との関連で捉えるというマルクスの姿勢は,土台上部構造という経済決定論という説明とはちょっと矛盾するような気もするが,まあ,私の理解の浅はかさなのかもしれません。前半のアルチュセールの議論で面白かったのは,マルクス経済学がスミスやリカードの古典派経済学に対して何が新しいのかということを証明する部分だ。アルチュセールがいうには,「剰余価値」にしても,マルクスが新規に発見した概念は何一つないという。マルクスの発明物だと思われているもののほとんどは,違う形で前人の発明物であった。しかし,「歴史」や「労働」といういくつかの概念の組み合わせ方と,そこからもたらされる同じ概念の違った解釈の仕方,そこにマルクスの重要な独自性と真なる資本主義の理解ということが論証される。といっても,ジジェクがラカンを絶対視しているように,アルチュセールはあくまでもマルクスの正しさを証明しようとしている印象は否めない。
さて,一方バリバールはなんと23歳にしてこの文章を書いたらしい。そう,彼の娘ジャンヌ・バリバールはフランスで女優・歌手として活躍するくらい,エチエンヌ・バリバールは若い。近年でもけっこう彼の単著が翻訳されている。実は本書を読もうと思ったきっかけは,アルチュセールの文章よりも,史的唯物論について説明しているこのバリバールの文章であった。これまでも唯物論について書かれているものをいくつか読んだものの,なかなか納得するようなものには出会えていない。唯物論は先ほどの二元論的な捉え方では,観念論と対立させられる認識論的立場だといえる。私は基本的に観念論的な立場に立っていると思うのだが,言葉通りに理解する限りにおいて観念論というのは比較的分かりやすい。しかし,一方の唯物論は字義通りに理解してもなんのことやらという感じでイマイチしっくりこないのだ。英語で表現するところのmaterialismは直訳するなら物質主義だが,どうなのか?そもそも経済は物質的な現象か?特に,観念論的立場に立って発展してきた1990年代の文化地理学は最近,物質性をしつこく強調している。それはかつてレイモンド・ウィリアムズがマルクス主義の立場から提唱した「文化唯物論」の立場から文化を捉えることなのか。でも,それは決して物質文化を強調するわけでもない。まあ,その辺を知りたいと思ったのだが,残念ながらこのバリバールの文章も史的唯物論について解説してくれるものではなかった。要は,アルチュセールの目的に従って,マルクスが『資本論』で展開した内容を,生産様式や所有,再生産や本源的蓄積という概念を中心に解説しているものにすぎない。「すぎない」と書いたが,もちろんその記述内容は私の理解をはるかに越える刺激的な内容で,それを私はそれなりに楽しんで読んだわけだが,タイトルから期待するものの理解を深めることはできなかった。でも,この説明とその前のアルチュセールの文章のなかには,マルクスにおける歴史の捉え方についても解説も含んでいたので(それこそが古典派経済学とマルクスを分け隔てるものだ),得るものは大きかった。ちなみに,この歴史に関しては,それが社会ダーウィニズムの影響であるという文脈のなかで,マルクスの議論を同時代的にやはりダーウィニズムの影響下にあった思想としてフロイトに関する議論をアルチュセールが展開しているのもけっこう面白かった。

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