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観光の空間

これも投稿予定の書評原稿です。字数の関係から、章タイトルが省略されているので、読みにくいかもしれません。

神田孝治編:観光の空間――視点とアプローチ.ナカニシヤ出版,2009年,284p.,2,900円.

執筆者紹介に記された25人の著者のうち,専攻を地理学としているのが18人。20歳台の著者も若干いるが,30歳台,40歳台を中心とした観光研究を専門としている研究者と観光に関心のある研究者が集結している。本書の姉妹編である『レジャーの空間』(神田編 2009)と同様に本書は「入門書」であることを銘打っているが,同列には捉えられない印象を受けた。多様なレジャーの種類を網羅的にカヴァーしようとした『レジャーの空間』にはオーソドックスな地理学研究や概観的な一般論も多かったのに対し,本書は近年の観光研究が課題としているテーマによって構成され,より学術的価値の高い論集となっている。
序章で編者の編集方針が明確にされ,章構成の論理的順序は独立して読み応えがあり,各章における議論に期待が高まる。『レジャーの空間』が大きく4部に分かれていたのに対し,本書は3部に分かれている。
1部は「観光空間の形成と変容」と題され,従来の地理学が得意としてきた地域研究を中心とした8章から構成される。各部はさらに4つに分割され,2章ずつのセットが小テーマを有している。1部はじめの小テーマは「観光地の形成と交通機関の発達」と題され,日本の近代期の事例が続く。『近代ツーリズムと温泉』(関戸 2007)の著者である関戸明子による1章は,当書執筆のために集めた資料の草津温泉に関するデータをコンパクトにまとめた印象。鉄道開通による影響と変化についてはもうちょっと突っ込んだ議論が欲しかった。齋藤枝里子による2章で紹介されている1920年代前後の瀬戸内海周遊は非常に興味深い事例だが,西田(1999)による風景論と接合できればより議論に深みが増したかもしれない。
続くセット「観光地の創造」では,飯塚隆藤・加藤めぐみによる3章が昭和初期の神戸市における花見名所としての須磨寺遊園地を紹介する。桜を愛でるという感性は日本のナショナリティにとって興味深いテーマであるが,一気に大きなテーマに飛躍せずにローカルな状況に徹したのは堅実だといえる。しかし,特定の場所が時代的契機によってその構成要素を変えるのは当たり前であり,それを殊更学術的に「場所の創出と変容」と呼ぶにはもう少し議論の深みが必要である。日本の代表的な宗教地理学者である松井圭介による4章は,著者が近年取り組んでいる長崎におけるキリスト教教会を事例とし,観光というテーマに接近しようとしている。しかし,紙幅の関係から後半の自治体による観光行政やパンフレットの分析は印象論的なものに留まっている。入門書である本書において,出典を示さない「時間―空間の圧縮」(p.45)概念の使用も不親切である。
続く「観光資源化と社会の変容」セットはちょっと変わった組み合わせの2章から成る。客員研究員として英国ダラムに滞在した森 正人による5章は,ダラムの産業遺跡化の事例を紹介している。日本でも公開された有名な映画の話題を冒頭に挿入するなど,内外で精力的に文章を発表している文化地理学者としてウィットに富んだ文章は読み応えがある。6章は「秘法館」という日本の一風変わったレジャー施設の研究に取り組んでいる社会学者,妙木 忍によるもの。その流行と衰退を論じる方法として,広い社会的背景との対比を行なっているのは分かりやすいが,この施設の特異性をうまく説明しているとはいいがたい。
「国際観光と地域の変容」と題されたセットはアジアの事例が2つ。ラオス農村地域をフィールドとする横山 智による7章では,「マスツーリスト」に対して「個人旅行者」と位置づけられるバックパッカーの動向を紹介している。森本 泉の8章は,10年前の著者の論文への評者の批判(成瀬 2000)への回答のようなネパール観光の歴史が前半を占める。それによって,後半の丹念な現地調査から明らかにされた現在の状況がより説得的なものになっているように思う。
2部「観光客の空間行動と情報・経験・イメージ」のはじめのセットは「観光客の空間行動」である。呉羽正昭・金 玉実による9章は,インターネットより収集された東アジア諸国の日本観光ツアーの訪問先分布の資料は興味深いが,その分析はあまりにも印象論的である。10章の佐藤大祐「観光地の集客圏」も長崎県雲仙の宿泊客台帳を用いた貴重な研究だが,かなり歴史的独自性を持った事例だと思われる。この2章については,あまりにも一般的な章タイトルが気にかかる。
第2のセット「観光空間の情報」では,金子直樹による11章が国内観光ガイドブックの変遷を概観している。岡本 健による12章はアニメ『らき☆すた』の舞台となったことで聖地化した埼玉県鷲宮町を取り上げたが,鷲宮町は何を隠そう評者の出身地である。本章ではホストとゲストの関係が友好に行なわれた事例とされているが,この種の研究自体がマスコミなどと同様に事態を強調しすぎるきらいがある。評者による帰省時の観察からも,とても観光地化とは呼べない状況であった。
「観光空間の経験」のでセットでは2章が旅行記を取り上げた。滝波章弘による13章は自身の研究の次なる展開ではあるが,資料の提示にとどまっている。橘 セツによる14章はそのタイトル通り,19世紀後半に日本を訪れた西欧人の旅行記を手際よくまとめている。取り上げられる旅行記が全て翻訳されたものであるのは読者のことを考慮してのことかもしれないが,それらが翻訳された意義についても考察が欲しい。
「観光空間のイメージ」と題されたセットではメディアが取り上げられる。遠藤英樹の15章はブーアスティンの「擬似イベント」やアーリの「観光のまなざし」,ホールの「Encoding/Decoding」などの議論を日本の事例を通じて分かりやすくまとめている。森 正人の16章も雑誌記事の分析による「アジア的なるもの」の消費について論じている。その内容はとても興味深いが,欲をいえば評者の拙稿(成瀬 2001)も取り上げてほしかった。
3部「観光空間におけるコンフリクトと融和」のはじめのセットは「遺産化と観光地化のコンフリクト」と題された。藤木庸介による17章は中国雲南省の麗江旧市街地を,才津祐美子による18章は日本の岐阜県白川郷を事例とし,世界遺産登録をめぐるさまざまな問題を丁寧に報告している。
「ゲストとホストのイメージの対立」というセットでは沖縄の事例が2つ。神田孝治の19章と大城直樹の20章はどちらも自身の以前の研究の概要である。他の章も含め,「イメージ」という語に対してはもっと慎重であってほしい。また,19章で分析された記事の多くが『海』という雑誌だが,その特徴を分析に加えることで,誰のイメージなのかを少しでも明確にすべき。また,近年の英語圏の著名な地理学者が観光論を展開する例をあまり知らないが,このテーマであればGoss(1993)などが参照されてもよかったかもしれない。20章は観光人類学の枠組みを利用して少しでも本書の意図に沿うように書き直されているが,入門書であることも考慮すべきだったか。
「自然をめぐるコンフリクトの諸相」というセットは個人的にも興味深いテーマを扱っている。カロリン・フンクによる21章はこのテーマに関する良質な概説である。荒山正彦による22章は沖縄のマングローブ林を事例に,生態系保全の実践の困難さを教えてくれる。ただし,括弧つきの「みどり」という表現に解説は不要なのだろうか。
「観光と地域の融和」と題された最後のセットでは,対照的な2つの場所のまちづくりの事例が紹介される。堀野正人による23章は奈良町を取り上げ,訪問者のblog記事検索などを取り入れてゲストの視点も考察している。松村嘉久による24章は本書でここまで登場した観光地とはかなり異なる地域として,大阪府のあいりん地区を取り上げている。近年変容しているこの場所において,外国人バックパッカーを宿泊させるゲストハウスが増えてきているという。確かに観光がまちづくりに利用されてはいるが,他の章とはかなり異なる事例で非常に興味深い。
本書に登場する事例は歴史的なものや外国のものが含まれ,空間スケールや,メディア表象の議論もあり,多岐にわたっている。観光を通じて,近年の人文地理学における重要なテーマが一通り出揃い,多彩な事例を通して読者は学ぶことができる。ただし,『レジャーの空間』と同様に,読者が実際にそうした研究に取り組む際の道筋は示されておらず,それは教科書として用いる教員の手腕にかかっているといえようか。また,近年実践学としても盛り上がりをみせる観光研究に対して,「空間」というアプローチから新たな方向性を示しえたかという点には疑問が残る。それは本書が入門書であるという限界だともいえるが,本書ではアーリ『観光のまなざし』が頻繁に取り上げられるものの,アーリのまなざし論はさほど深く議論されているとはいえないし,11月に来日したマッカネルの名は20章で出てくるだけでその著書『The touirst』(MacCanell 1974)すら登場しない。手近な観光関係の論文を読んでみても,魅力的な文献が多く参照されているが,そうした作業は評者を含めた本書の読者に課せられている。

文 献

神田孝治編 2009. 『レジャーの空間――諸相とアプローチ』ナカニシヤ出版.
関戸明子 2007. 『近代ツーリズムと温泉』ナカニシヤ出版.
津上英輔 2008.感性的営為としての旅――観光美学の構築に向けて.美学 59: 2-14.
成瀬 厚 2000. 学界展望「文化地理」.人文地理 52: 250-252.
成瀬 厚 2001. この部屋を見て!!――女性一人暮らしのカタログ.理論地理学ノート 12: 39-46.
西田正憲 1999. 『瀬戸内海の発見――意味の風景から視覚の風景へ』中央公論新社.
Goss, J. D. 1993. Placing the market and marketing place: tourist advertising of the Hawaiian Islands, 1972-92. Environment and Planning D: Society and Space 11: 663-688.
MacCanell,D. 1976. The tourist: a new theory of the leisure class. Berkeley: University of California Press.

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