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Cultural Geography

Don Mitchell 2000. Cultural Geography: A critical introduction. Oxford: Blackwell.

ドン・ミッチェルは米国の文化地理学者。1980年代に「新しい文化地理学」なるものが提唱され,その後,人文地理学においても「文化論的転回」なるものがあったりして,地理学のなかでも文化地理学はかなり熱い分野だといえる。またそのなかでも,ミッチェルは若い世代で,「新しい文化地理学」を主導した前の世代の仕事を批判しながら新たな方向性を理論と実証の両面で推し進める重要な人物である。
彼が積極的に学術雑誌に論文を発表しだしたのが,私が大学院に進学する時期だったので,妙に気になっていたがあまり読まず。ようやく,1995年の「文化なるものは存在しない」という過激なタイトルの論文を読んだが,その後日本の地理学のなかでも急速にミッチェルへの注目が高くなる。その論文を含め,数本の論文を森 正人氏が『空間・社会・地理思想』に翻訳し,地理学者が招待して来日まで果たす。かといって,日本の地理学者で翻訳以外に彼の研究を積極的に取り上げる人もいなければ,彼流の研究をする人もいない。当たり前のように、竹内啓一氏が『駒澤地理』に本書の書評を書いたくらいだ。
まあ,ともかくミッチェルは私の好きなコスグローヴのような英国文化地理学者の表象分析はお好きでないようなので,私もミッチェルに対してはあまりいい印象はない。ただ,本書はたまたま紀伊國屋書店の洋書コーナーで発見してしまったのでやむを得ず購入したまま現在まで置いておいたしだい。たまにどんなことが書かれているのかペラペラ目次を眺めてみるのだが,隠喩についての章もあるし,景観についても書かれているし,場所placeの概念もが章のタイトルに使われている。まあ彼の批判の内実も知らなくてはいけないし,ということでやむなく読み始めた。英語で300ページ以上あると読み終わる頃にははじめの方に何が書かれていたかすぐに忘れてしまうので,読み終わる前に書き始めることにしよう。

第Ⅰ部は「文化の政治学」と有体のタイトルで始まる。冒頭の「文化戦争culture wars」の話はさっぱり。本書の表紙にも「culture wars」と名づけられた絵画作品が使われている。これはロン・イングリッシュというアーティストの1997年の作品だそうで、ピカソのキュビズム作品をパロディー化し,人物をすべてディズニーのキャラクターに置き換えた図柄になっている。私は人文・社会科学の抽象的な議論であれば英語でも結構読めるのだが,時事問題など具体的な説明はさっぱりわからなくなってしまう。それは英語の聞き取りでもそうだ。日常的な会話文はさっぱり聴き取れない。
その導入部はたぶん読者の身近な話題から入る意味でも重要なんだろうが,私にはさっぱり。それが終わると比較的読みやすくなる。まずは文化概念についての整理があるが,西川長夫『国境の越え方』のような概念の歴史的考察はない。次いで、20世紀初頭の米国文化地理学者カール・サウアーの話になる。最近の文化地理学者は表象へのいきすぎの反省から,物質性を再主張する。といっても,かつてダンカンという米国の地理学者がサウアー流の文化地理学を「文化の超有機体説」といって批判したように,サウアーをもう一度再評価するってのはミッチェルだけではないだろうか。そして,もちろん話はそのダンカンによる批判と,それとは別に英国で登場した「新しい文化地理学」についての説明へと展開する。ここではさほどそれらに対する批判が強く主張されるわけではなく,あくまでも教科書的に解説される。それにしても,ミッチェルはかなり過剰文脈主義だということが分かる。サウアーについての解釈を、サウアー自身の生い立ちや彼が教育を受け,研究者として過ごした時代背景に論拠を求めながら説明するのだ。まあ,そのやり方は他に選択肢を許さないような決定論的ではないが,どうにも私には判然としない。じゃあ,あなたのその考えそのものもあなたの生い立ち,教育,研究暦,その時代背景から決定される唯一のもので,あなたにしか正しいものではないのではないか,と。2章ではカルチュラル・スタディーズの説明も若干あるのだが,そこでも冒頭に導入として身近な事例がでてくる。それはなんと,セックス・ピストルズ。ミッチェルはけっこう好きみたいですね。その後なんどもセックス・ピストルズの話題が出てきます。そして,それについて全く知らない私にとっては意味不明。
3章は「諸価値から価値へ,またその逆:文化の政治経済」と題され,文化のマルクス主義的な捉え方が強調される。行き過ぎた表象分析は「テクスト以外のものはない」などと主張していたが,そうした表象分析の対象となる文化テクストは経済的な土台がないと成立しないということだ。ここでイデオロギーの話も出てくるのだが、この辺もけっこう私には分かりにくい。人類学者ジェイムズ・クリフォードの概念として「クリティカル・インフラストラクチャー」というのを用いているが、いまいちよく分からない。政治経済学の話もいいけど、その認識論としての史的唯物論、あるいは文化的唯物論の分かりやすい説明はどこかにないのか。
第Ⅱ部は「政治的景観」と名づけられ、冒頭でミッチェル自身が育ったペンシルヴァニア州のジョーンズタウンの話がある。かつては鉄鋼業で栄えた街が、廃れてしまう。そして、現在ではその過去の産業遺物を博物館化し、という話はよくあるが、全米的にはこの街は大規模な洪水で知られるとか何とか。その後はけっこう他人の研究の紹介が続く。まずはサウアーの文化景観の話があり、続いてケイ・アンダーソンという地理学者が長年研究している北米のチャイナタウンの話。続いて、デイヴィド・ハーヴェイのパリのモニュメントに関するかなり古い論文の話。この論文の日本語訳は千田 稔氏が当時の奈良女子大学の学生を使って訳させた『地図のかなたに』という翻訳論集のなかに収録されている。それを発展させたハーヴェイの近著『パリ』も翻訳が出た。そして、最後にコスグローヴやダニエルズによる景観表象の話がくる。続く5章は「それによって生きる隠喩」と題されているが、景観の話。ダンカン流の「テクストとしての景観」か、コスグローヴ流の「見方としての景観」かあるいは、劇場や見世物、みたいな、景観をどのように捉えるかという意味での隠喩であり、目新しいところはない。後半にジェンダーの話が出てきて、ショッピングモールの話につながり、ジョン・ゴスの研究が参照される。その後に「調整形式としての景観」と題され,ちょこっとだけ,フランスのレギュラシオン理論との関係が論じられる。非常に中途半端。それにしても、彼の景観概念がドイツ概念を取り入れた米国文化地理学を基礎にしているため、それをわざわざ「景観」と呼ぶことにどれだけの意味があるのか、という箇所がけっこうある。地域や場所といった概念でも特に問題はないのではないだろうか。そういう意味でも、私は景観を視覚的画像に限定した(そこにはその画像を読み解く人間主体の認識も含むのだが)コスグローヴやそれをさらにフェミニストの立場から批判するローズの議論の方が分かりやすくて好きだったりする。でも、ミッチェルもローズの議論はかなり好きなようです。
第Ⅲ部は「文化政治学」と題され,前半は「抵抗」について天安門事件が登場し,パンク音楽,ドルボールのスペクタクル批判と続く。そういえば,ド・セルトーの有名な「戦略」と「戦術」についても論じられてたかな。第Ⅲ部の後半は性とセクシュアリティに議論が集中している。特に,サンフランシスコのゲイ・コミュニティについては詳細に説明されている。本文中にも出てくるが,この辺は映画『ミルク』を観ていたので,比較的分かりやすい。ミルクとは実在したゲイ政治家,ハーヴェイ・ミルクのこと。そうした、同性愛男性コミュニティの話から、今度はレズビアンへ、そして最後にはAIDSの話でとりあえず締めくくる。レズビアンの話から、8章はフェミニズムの議論に移行する。建築空間の事例や、社会運動の事例を通じ、男性と女性の性差を空間と活動の公/私に結び付けたがる社会の仕組みを批判するためにフェミニズム地理学はある。さらには、男と女という区別だけではなく、男らしさと女らしさにも議論が拡がり、この章の最後には上の景観のところでも書いてしまったが、視覚景観を眺める男性的視線を批判するローズの議論がかなり強調して取り上げられる。
そこから話は9章で人種へと移っていく。かつての文化地理学の教科書には必ず、世界の人種分布図が掲載され、環境決定論も含め、人類がいかにその地域の気候条件と呼応しながらその身体的特徴で分類できるのか、ということが研究テーマだった。もちろん、いまではそんな図は中学校の地図帳ぐらいでしか見ることができないもので、学術的に人種という概念が通用しているわけではない。しかし、ポピュラーサイエンスや一般的な社会通念ではまだまだ人種による人間の区別という発想は息づいていて、それらを地理学者としてきちんと論じているのは珍しいのかもしれない。本書のなかでもこの章は一番勉強になる。今日でも一般書としては人種差別を正当化するようなものがあるようで,その一冊,Herrnstein and Murrayの『ベル・カーヴ』(1994)という本が検討される。このヘアンスタインというは恐らく邦訳『IQと競争社会』の著者であり,ベル・カーヴとは正規分布のグラフの形状を指すらしい。つまり,この本は知性というものをIQのような数値化することによって,知性が人種のような人間の自然的特徴によって異なってくることを科学的に証明しようとするものらしい。当然,賛否両論の論争が起こったという。もちろん,人種差別を助長するようなものだから,反対意見のほうが多い。でも,もちろんといいながらも,日本では『話を聞かない男,地図の読めない女』なんて本がまかり通る(といってもこれも翻訳だが)くらいだけど。そんな大衆的な本から,その「人種差別的な地理学」を読み解くってのはなかなか面白い。そこから南アフリカのアパルトヘイトへと議論は進む。
10章はまた古典的な国民とナショナリズム,アイデンティティを取り上げます。ここも意外に素朴な観点からが逆に興味深い。そして,冒頭にはローズも英国オープン大学の教科書でとりあげたイングリッド・ポラードの写真を分析する。そして,ドイツの事例。これも同じオープン大学の教科書に20世紀を通じて領土を拡大縮小を繰り返していたドイツの国民アイデンティティに関する解説。そして,最近カステルなどが現代社会を捕らえるために使っているフローの概念や脱領域,ネットワークなどの概念,そして最後にはマッシーが使った「権力の幾何学」などの概念を用いながら,グローバル化の現代社会における国家とアイデンティティの関係について考察する。最終章は結論だが,最後に「正義」の問題を取り上げます。正義と対になるのが「権利」。結局,これらの問題を論じる社会科学者のアクチュアリティも同時に問われるわけですね。

ところで,本書はもうAmazonではひっかかってこない。当然,私がこのblog以外に書評記事に関してはアップしているブクログにもありません。読むまでに9年かかりましたが,買っておいてよかったかも。

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