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2010年2月

2010年3月のライヴスケジュール

あまり決まっていませんが,とりあえずな感じで。

3月7日(日)
代官山LOOP 一十三十一/JiLL-Dacoy association(チケット購入済み)
3月8日(月)
恵比寿S.O.N. emi meyer(予約済み)
3月14日(日)
中目黒楽屋 casa/高橋ちか/IRIS(予約済み)
3月17日(水)
池袋東京芸術劇場 農業少女(チケット手配中)
3月20日(土)
神楽坂フラスコ 永山マキ(予約中)
3月21日(日)
下北沢ラ・カーニャ ノラオンナ
3月22日(月,祝)
新宿pit inn 太田朱美トリオ
3月25日(木)
水道橋東京倶楽部 はたけやま裕セッション
3月27~28日(土,日)
市谷法政大学 日本地理学会春季学術大会

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急遽、平日夜の外出

2月24日(水)

この日はTOPSさんからair plantsのライヴがあるとは聴いていたが、行く予定はなかった。しかし、当日またTOPSさんから送られたメールで、ミュージックチャージがないうえに、行ったことがあるお店だと聞いて、妻とメールで相談。結局、行くことにした。最近は会社の仕事も少しのんびりモードに移ったので、定時であがり、VHSのビデオテープを持ってとあるお店へ。そこは鍵のコピーを作ったりするお店なのだが、いろんなことをやっている。私は数年前に多部未華子ちゃんが主演したドラマ『ブレスト~女子高生、10億円の賭け!』を母親にビデオで撮ってもらったことがあった。もちろん、今は家ではビデオテープは観られないし、多部未華子ちゃんは人気を増しているので、DVDに保存することにした。30分まで840円、それ以降10分ごとに105円という値段設定。何時間のドラマか忘れてしまったが、DVD化はされていないので、まあ許容範囲の出費か。一度帰宅し、洗濯物を取り込み、時間が余ったのでワイシャツのアイロンがけもして、着替えて19時前に家を出る。
ライヴ会場のBrooklyn Parlorは新宿の丸井の地下。ここの丸井は上階に映画館バルト9が入っていてよく来る。そして、なんとなく地下に降りたときにこのお店を発見。基本的にはカフェだが、書店でもあるので、飲食をせずともブラブラできる。しかも、本のチョイスがなかなかなので、何度か訪れていた。この日も早めに着いたし、妻もまだ来ていないので、書店をブラブラ。開演予定時間10分ほど前に席に案内してもらう。すると、ステージに近い空席は予約席のようで、中ほどの席に案内される。結構カフェとして平日の夜でも人気のようだ。

新宿Brooklyn Parlor air plants
ということで、開演時間は20時。10分ほど過ぎてから演奏が始まるが、妻はまだ来ない。お腹が減ったので先に注文。ブルックリン・ラガー・ビールとブルックリン・ハンバーガー。ディナーメニューもありますが、こんな感じのアメリカンなお店。しかし、ライヴをするステージはなかなか立派なもので、照明設備や音響設備も整っています。ドラムスなし3人組のair plantsにはちょうど良い横長のステージです。今月の前半にmotion blue YOKOHAMAで単独ライヴをしたばかりの3人は勢いがあります。音的にも、けっこう音量は大きかったが、ヴァイオリン、ギター、チェロそれぞれの音がはっきり聞こえていい感じ。なによりも本人たちの楽しそうな演奏がよい。トークもそれほどよそよそしくなく良し。演奏を目当てに来たお客も少なくなかったし、食事をしに来て演奏に出くわしてしまった人の中にもいい感じで聴いていた人が多くてよかった。特に、私の右隣に座った女性2人組はこんな時間にスウィーツを食べているような人で、演奏が始まってもおしゃべりしていたが、4曲目くらいから演奏に引き付けられるように聴いていたのがちょっと嬉しかった。でも、もちろんステージから遠いお客さんたちは演奏の音が大きくなればなるほどおしゃべりの声量も大きくなって、みたいな人たちがいたのも事実。ちなみに、この日は別のフリーライヴに行く予定だったTOPSさんがそちらが長蛇の列で入れなかったと、やってきた。妻も1stステージ残り2曲くらいで登場。2ndステージは21:30からだったが、休憩時間にビールを呑むチェロの橋本 歩さんのところに行ったり、TOPSさんを呼んで3人で話したり。彼女は赤ワインにズッキーニと挽肉トマトソースのショートパスタだったが、これもなかなか。私も2杯目に赤ワインをいただき、彼女はビールを呑む。ちなみに、客席にはシンガーソングライターの三宅伸治さんがきていた。そういえば、ちょっと前に、三宅さんがリクオさんと今はなき入間のso-soというライヴハウスで一緒にライヴをしたときに、歩さんと阿部美緒さんが飛び入りで参加するなんてことがあったらしい。私は津田 直という写真家の写真集『近づく』などを買ったりして、ちょっと疲れたけど充実した夜だった。 

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ぼちぼちジョギング再開かな

2月21日(日)

久しぶりに夫婦そろって目覚ましをかけずに9時過ぎまで寝る。まだまだ寒いので、予定していたジョギングもキャンセル。郵便局の再配達待ちで午前中は家に。妻は昼に美容院にパーマをかけに行く。私は自分の過去の論文を読み直したり。妻が帰ってきて、ちょっとお茶して私は15時前に出かける。
この日は原美術館でのライヴだが、ライヴのチケット代に美術館の鑑賞料も入っているということで、早めに行って公開中の「ヤン・フードン展:将軍的微笑」を観る。上海を中心に活動する映像作家。映像のモチーフは中国の田舎、農夫、労働といった感じだが、基本的には意味不明な映像。美術館内には5つの部屋が用意され、フィルムによる上映、プロジェクタによる上映、モニタで映像をエンドレスで流す、そんな感じの展示。例えば、いちばん長い53分におよぶ作品を部分的に観たが、ある農家で共同生活・共同作業をする若い男女。一頭の牛を使って棚田の耕作をする毎日を映し出す。農作業には似つかわしくない服装をし、時折男女のロマンスがあったり、私はそこまで見なかったが、牛を撲殺するシーンがあったりするらしい。その労働の様子も生活の様子も明らかに不自然に演出されている。そこから何を読み取るべきなのか、私にはわからない。
美術館の閉館時間は17時で、ライヴの開場時間は18時。本当はライヴ客は17~18時の間も引き続き鑑賞できたらしいが、私はよく分からずいったん外に出る。五反田方面まで歩いて行って、食事をとる。戻ってくると入場者の列ができていて、私は中ほど後ろ寄りの中央に席を取る。ほど近くにmikeさんがいらして、軽く会釈。

品川原美術館 高鈴
席がびっしり並んでいるので、カフェスペースがドリンクを飲む場所として開放されている。赤ワインをチビチビ飲みながら、自分の読み物を忘れてしまったので、そこにあった過去の展覧会のカタログをペラペラと。たまたま手にしたアドレアナ・ヴァレジョンというブラジル人女性アーティストの作品たちに刺激を受ける。数年前に原美術館で行われた展覧会に出展された作品の多くは「サウナと風呂」という連作の中の作品が多かったようで、カタログも前半はタイル張りの温水プールを描いたもので、その素材の面白さと淡い色調の美しさが目立つのみ。しかし、彼女の他の作品はブラジルという、かつてポルトガルの植民地だった土地に生まれ、かつては男性に虐げられていた女性という性に生まれたという立場を見事に発言する政治的含意を持つ作品が多い。植民地支配と強姦とを結び付けるような画像。きわめて地理学的なテーマを持った作品だ。ということで、このカタログと高鈴の新譜『うたかた』を購入。
さて、この日は最近完成した高鈴の新譜『うたかた』を記念したツアーの初日。私は今までかれらのライヴは2人きりのしか聴いたことがないが、この日はヴァイオリンの日股綾子さんとベースの真船勝博さんが入る。真船さんは大山百合香ちゃんのサポートの他にもなんどか見たことがある。ライヴ会場はフラットな空間で、立って歌う山本高稲さんの姿しか見えなかった。18:30開演で、あらかじめ休憩なし終演20時と伝えられていた。高鈴の単独ライヴではこれだけのお客さんが集まったのは初めて見る。今はなき原宿のblue jay wayでの単独ライヴでもあったが、この日もアンコールでやった「真夜中の後悔」でのハープなど、トラックを使って演奏した曲はけっこう多かった。せっかくサポートを入れているんだから、こういうのはちょっと控えめにしてほしいと思うが、まあいいか。高稲さんの歌い方もblue jay wayの頃とはずいぶん違ってきたと思う。以前のような集中して緊迫した歌い方が見られないのは少し残念だが、ギターの山口彰久氏との微妙なゆるトークを含めた親しみやすさを手にし、より身近な存在になっていくのだと思う。

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映画で入門カルチュラル・スタディーズ

本橋哲也 2006. 『映画で入門カルチュラル・スタディーズ』大修館書店,281p.,2300円.

非常勤先の東京経済大学に勤める(といっても,一度も会ったことはない)本橋哲也氏の著作は『カルチュラル・スタディーズへの招待』に続いてまだ2冊目。前回に続いてまた入門書なので,よく分からないが,彼の文章はさらっとしていて読みやすいのだが,難しいところもさらっと読みすごしてしまう。しかし,入門といいつつ,とても学部学生では理解は難しいテーマはさりげなく含まれている。とりあえず,目次だけでも取り上げる映画とテーマが分かると思うので,書いておこう。

序章
I アイデンティティの揺らぎ
第1章 〈自己〉『千と千尋の神隠し』(日本,2001年)
第2章 〈家族〉『ハリー・ポッターと賢者の石』(合衆国,2001年)
第3章 〈子ども〉『亀も空を飛ぶ』(イラン/イラク,2004年)
II 性の位相
第4章 〈女性〉『カンダハール』(イラン/フランス,2001年)
第5章 〈生殖〉『ヴェラ・ドレイク』(英国/フランス/ニュージーランド,2004年)
第6章 〈セクシュアリティ〉『さらば,わが愛 覇王別姫』(香港,1993年)
III メディアと消費
第7章 〈演劇〉『恋におちたシェイクスピア』(合衆国,1998年)
第8章 〈スポーツ〉『ミリオンダラー・ベイビー』(合衆国,2004年)
第9章 〈音楽〉『耳に残るは君の歌声』(英国/フランス,2000年)
IV 移動と定着
第10章 〈ディアスポラ〉『エレニの旅』(フランス/ギリシャ/イタリア,2004年)
第11章 〈在日〉『パッチギ!』(日本,2004年)
第12章 〈労働〉『息子のまなざし』(ベルギー/フランス,2002年)
V 暴力の現場
第13章 〈ホロコースト〉『シンドラーのリスト』(合衆国,1993年)
第14章 〈テロリズム〉『アルジェの戦い』(イタリア/アルジェリア,1966年)
第15章 〈民族分断〉『JSA』(韓国,2000年)
VI 抵抗の実践
第16章 〈難民〉『イン・ディス・ワールド』(英国,2002年)
第17章 〈帝国〉『プロスペローの本』(英国/フランス,1991年)
第18章 〈先住民〉『鳥の歌』(ボリビア,1995年)

18本の映画のうち,2000年から2004年までの作品が12本,特に2004年の作品が5本と,本書の執筆当時に偏っているようだ。それは,想像するに,本書を企画してから著者はDVD探しではなく,映画館通いをしたのだろう。基本的に,本書で取り上げられる映画作品は日本で公開されたものであると同時に,本書の発売当時にはDVDとして発売されているものに限定されているところは読者に配慮している。しかし,一方でこの作品選択は映画をロードショーされているうちに映画館で観るという(ある意味ではちょっと古臭いが),本来の映画鑑賞の行為をカルチュラル・スタディーを専門とする著者が実践しているのではないだろうか。
まず,序文で18章がそのテーマとともに紹介される。そして,各章には参考文献がついている。「○○について手始めに読んでみよう」ということで,序章にはカルチュラル・スタディーズと映画についての入門書が挙げてある。その多くが新書の類で,それ以外もペーパーバックでそれほど厚くない本であることも読者を考慮してのこと。各章は4つか5つの節に分かれていて,少しずつ物語を紹介しながら,いくつかのキーワードについて映画に沿って解説していく。例えば,第1章の『千と千尋の神隠し』ではキーワードに越境,名前,主体,食,物語の5つが挙げられ,5つの節のサブテーマはそれぞれ,自己と境界,自己と名称,自己と構築,自己と変容,自己と語り,といった具合に。各章の分量にはそれぞれ差があるのだが,本書は個々の映画分析としてもかなりクオリティが高い。私のblogなどまだまだだと反省してしまう。そして,各章の最後には,論じられたテーマに関わる他の映画作品や,同じ監督の他の作品が紹介される。ちなみに,本書で分析される18の映画のうち,私が観たのはわずか8本。他に紹介される作品もほとんどが観たことない。決して,本書で取り上げられるのは古い作品でもないのに,映画好きを自称していてもまだまだだと感じる。しかも,私が観たことのある作品でも,改めて記憶を辿ってもほとんど覚えていないものも少なくないのだから情けない。
本書が魅力的なのは,各章の議論のなかにいちいち文献を挟まないことだ。もちろん,どこかで誰かがいっているようなことも含んでいるが,ひとまず著者の言葉で説明してから,最後にそのテーマに関わる文献を紹介している。つまり,よくある学術書のように,文献だの注だので後ろを見たり戻ったりの手間がいらないのだ。といっても,実は本書の議論の内容はとても学部学生向けではない。といっても,作品鑑賞に欠かせない時代の政治的背景などはけっこう丁寧に解説していて,私のようなものを知らない人間にとっては,これだけでも十分勉強になる。まあ,ともかく本橋哲也の力量を思い知らされる著作だ。

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大人の社会科見学?

2月20日(土)

この日は夫婦そろって早起きして朝から東京駅へ。私のblogはniftyがやっている「ココログ」というサービスですが、2008年11月に「コネタマ」というサービスがスタートした。このサービスはほとんど使ったことがないが、ちょくちょくblogのネタを提供してくれるというもの。ちなみに、私は「困った時にネタを提供してくれる」ということから「コマネタ」かと勘違いしていたが、正式には「コネタマ」だったらしい。「小ネタ」ってことかな?まあ、ともかくそのサービスはたまにイヴェントをやっていて、ブロガーを招待する。毎回、ネタやイヴェントはメッセージで送られてくるのだが、なんとなく応募した「大人も子供も楽しい社会科見学」というのに当選してしまった。10組のなかに選ばれたが、どのくらいの競争率だったのだろうか。朝9:30に新丸ビルに集合。タイトル通り、家族連れで来ていたのが3組(といっても、同伴者は2名なので典型的な核家族でないと無理だ)。その他、われわれより少し年配の夫婦が数組、女性同士で来ている2人や女性1人、そしてちょっと年配の男性1人の人たち。意外に多様な顔ぶれが揃いましたが、いかにもブロガーらしい雰囲気かも。もちろん、イヴェント招待には、当日のことを各自のblogで紹介することが条件になっていますが、そこに掲載する写真を撮影するためのデジタルカメラも必須。けっこう立派なカメラを持っている人も多いし、皆使い慣れた感じのコンパクトデジカメを持参しています。

20100222_029午前中の見学先「がすてなーに」
まずはそこからバスで豊洲にある「がすてなーに」という施設へ。基本的に今回の社会科見学のスポンサーというか、その見学対象は「東京ガス」。ガスの博物館である「がすてなーに」では、ここの女性スタッフが先導する形で、一通り見学。といっても、ここは一般の人向けに無料で見学できる施設です。一般客を見ても、基本的には子ども連れが多く、各展示も子ども向けにできています。まあ、東京電力がやっている渋谷の「電力館」のようなものですね。なので、本当に「大人も子どもも楽しめる」かどうかというと疑問。確かに、子連れの大人には楽しめるかもしれないが、本当に知的興味を引くような展示はそれほど多くはない。肝心なところを曖昧にして、わかりやすさを優先するという傾向は、こういう施設に限らず、日本社会全般にいきわたった大衆文化の特徴だ。
たとえば、東京ガスが扱うガスのほとんどが天然ガスであり、その生産から輸送、貯蔵から供給までがわかりやすく展示されていた。そこでは、天然ガスのクリーンさとこの工程の安全さが強調されていたが、良いことずくめだ。確かにクリーンエネルギーかもしれないが、天然ガスも所詮は石炭・石油と同じ化石燃料。世界中でどのくらいの埋蔵量が残されているのだろうか。また、海底深くから採取されるようだが、その掘削にかかるエネルギーと費用はどのくらいなのか。でも、ガス管が現在では伸縮可能なポリエチレン管が用いられているというのは知らなかった。
意外に面白かったのが、入口付近に置いてあるパソコンで閲覧できるアニメーション。10分弱のクレイアニメーション(粘土細工のこま撮り)で、外国の作家による作品で、ガスとは直接関係ないが、人間と自然環境の共生をテーマにしていて面白かった。ここの会議室で昼食。この日は朝早かったし,こういうところで用意される昼食は弁当などのご飯ものだと予想し,朝食はシリアルで済ませたのに,お弁当はサンドイッチだった。しかし,しっかりしたハードパンのサンドイッチでけっこう満腹。ちなみに屋上には芝生が植えてあり,まだまだ開発途上の近隣の建設ラッシュを眺めることができる。

20100222_032「がすてなーに」の屋上にて

20100222_033 こちらが午後の見学先
午後は再びバスに揺られて幕張へ。東京ガスの「station24」という部署が入ったビルに案内される。ここは「マイツーホー」というサービスの電話オペレーションを行っている。といっても,土曜日なのでビル内のほかの部署は休業中。警備員がドアを開け,われわれのために出勤している東京ガス社員が案内してくれて,私たちは休業中の社員食堂に導かれる。そこにはお茶とお菓子も用意されている。まずは,「マイツーホー」の案内ビデオを見る。「マイツーホー」とは外出先からガスの消し忘れを問い合わせたり,一定の量のガスが長時間使われている場合に通報してくれるというサービス。月々493円で受けられるサービス。東京ガス管内で40万人の利用者がいるらしい。
ビデオの後は2班に分かれ,わたしたちはまず「カンファレンス」。実際に電話オペレーションを管理する東京ガスの社員2人が登場し,質疑応答や電話応対のエピソードなどを披露。次に,実際にオペレーションをしているフロアに移動して,その操作画面を見せてもらったり,模擬オペレーションを行ったり(なんと,私が当たってしまう)。まあ,午前中の見学よりも午後の方が一般の人はなかなか体験できない貴重なものではあったが,基本的にはこの「マイツーホー」の営業活動だったといってよい。
そんな感じで,終わりには東京ガスのノベルティをお土産でもらい,バスで東京駅前に戻る。それにしても,なんだかコネタマと東京ガスの連携がイマイチだったと思う。最初に,主催のコネタマスタッフのほうから趣旨説明があるべきだし,もっといえば,なぜコネタマがどういう目的でこのイヴェントを企画したのか,その体験をどうblogに書いてほしいのか,なんだかコネタマの主体性が感じられなかった。

さて,わたしたちは渋谷に移動して映画。その前に映画館の近くの「てんや」の天丼で夕食。

渋谷ヒューマントラストシネマ 『サヨナライツカ
韓国映画『私の頭の中の消しゴム』の監督イ・ジェハンが辻 仁成の小説を,辻氏の妻である中山美穂を起用して映画化。最近の日本映画はほとんどが「○○」制作委員会という,建設業界でいえばJV(Joint Venture)のようなやり方でしか映画を生産できない。一方,韓国は映画会社がしっかりとしていて,本作も韓国の複数の映画会社が名を連ねて生産している。このままでは,日本映画の一部は韓国資本と米国資本に食われていきそうだ。さて,12年ぶりの主演となる中山美穂の相手役は西島秀俊。マイナー映画に欠かせない主演俳優だった彼も最近はメジャーどころの主演が続いている。こうなるとかつての良さは失われていき,似たような役どころばかりになってしまうのは必然なんだろうか。確かに,本作では素晴らしく鍛え上げられた裸体を披露している。しかし,原作でどういう人間像として描かれているかは分からないが,本作の登場人物で人間味のある人物はほとんどいないし,全体的にリアリティにも欠ける。それでも前半の映像と展開はそれなりに楽しめるが,特に残念なのが,25年後という設定の後半。老け顔メイクの技術と演技がどれだけ自然に見えるかということばかりが気になって,まったく物語の展開に集中できない。つまり,明らかに自然には見えないのだ。実年齢で登場する人物は普通にしゃべっているのに,その人物と同じ位の年齢の設定となっている男性主要人物たちはよぼよぼ声で話している。一方で,女性主要人物はまったく老けていないその対照。ともかく,後半幻滅してしまう映画だ。

ブログネタ: 大人も子供も楽しい社会科見学イベントレポート参加数拍手

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最近GAPで買うことが多いな

2月19日(金)

会社がお休みのこの日は午前中確定申告書類作成。4月からアルバイト契約に変更になり,年末調整も受けたので今年分からは必要なくなりそうだが,3月まではまだ個人事業主としての収入があるので,確定申告が必要です。1週間前にネットで申告書作成をしたものの,途中でエラーが出て断念。再度トライをしたら,私の入力する場所をミスしていたことが発覚。大枠は出来上がりました。午後は3月末の学会発表の準備。こちらもちょっと目処がついてきたかな。夜は食事を作って妻を待つので,ちょこっと映画を1本観に渋谷まで。選んだのは上映がこの日までのスウェーデン映画。チケット屋に前売り券を買いにいくと,なんとこの作品は前売り券が出ていないとのこと。まあ,仕方がなく当日1800円で。受付をして近くのGAPへ。先日,お台場のメディアージュで目をつけていたチノパンが20%オフだったので購入。ついでにトレーナーも買おうと思っていたら,こちらも2枚以上購入で20%オフということでカーディガンも購入。当然コットン100%のやつです。

渋谷シネマライズ 『ミレニアム ドラゴンタトゥーの女
主演のマイケル・ニクヴィストという男性俳優、出てくるなりどこかで見たことあると思ったら、『歓びを歌にのせて』で主演した俳優でしたが、『エヴァとステファンとすてきな家族』でも主人公家族の父親役だった。日本で公開される数少ないスウェーデン映画にこれだけ出演しているのはすごい。『ミレニアム』というのは、主人公が勤める出版社の雑誌名。主人公はジャーナリスト。本作は本格的なサスペンスで、翻訳されている原作本は3巻からなり、しかも1巻が上下に分かれているという長大な内容。当然、映画も1作ですべてをやるわけではなく、エンドロールの後に、次回作の予告編も上映された。そんな内容なので、粗筋を書くのは面倒くさいので、興味ある人はオフィシャルサイトでご確認を。「ドラゴンタトゥーの女」というのはもう一人の主要人物。パンクスタイルに身を包み、背中にドラゴンタトゥー。ある調査会社に勤めているが、主人公のジャーナリストの素性を調べることになる。彼女の調べ方はいたって簡単。ハッカーの技術を使って本人のパソコンにアクセスすることで大抵のことは分かるし、それ以外は役所とか勤務先とかのシステムにアクセスすればよい。データが紙で保存されていた時代とは違って、ハッカーの技術があれば調べ物は部屋にいながらにして可能。主人公は40年前の殺人事件について調べることを依頼されるが、彼女も彼の調査結果を覗き見するうちに、その事件に引き込まれてしまう。ついには、彼が気付かず、彼女が気付いたことをメールしてしまい、事件解決に巻き込まれることになる。といった感じで、次々に展開していく正統派サスペンス。連続ものといっても、ひとまずの事件は解決し、予告編で仄めかされた次なる事件はある程度独立したものとして、だけど連続ものとしても楽しめるようなものが期待できる。1800円でも惜しくない、スリリングな映画でした。

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ズンコさんごめんなさい

なぜか先週金曜日のことを書くのを忘れていました。

2月12日(金)

本当は金曜日は会社をお休みするんだけど,今は大学も春期休暇中なので,出勤できる。ただでさえ,2月は28日しかないのに,前日は祝日だったので,出勤することにした。渋谷で一人で軽く夕食を食べようということで,なんだかんだで「ちりめん亭」になってしまった。最近,野菜を国産にして大幅値上げした「長崎ちゃんぽんリンガーハット」に対抗しているのか,新しい海鮮ラーメンというのをいただく。750円なり。まあ,私は本格派ラーメン的なのがあまり得意ではないので,こちらで十分。逆にカレーはチェーン店のをどうも食べる気がしない。

渋谷七面鳥 BE THE VOICE
さて,O-Eastの建物の横を入っていったところにある小さなお店がこの日の目的地。以前からBE THE VICEのライヴの時にPAをやっていた「そうだ」さんという男性。彼が新しくオープンさせたライヴスペースとのこと。しかも,彼の父親が数十年前に七面鳥というそのままのお店としてやっていたとのこと。客席は最大40人程度でしょうか。壁際にソファ席があるものの,基本的には背もたれのない椅子と低めのテーブルが並びます。一応,600円程度のきちんと調理するおつまみもけっこうあります。私は赤ワインを注文。それなりの量と味でした。
早めに来たものの,なんとなく前回のBE THE VOICEライヴとは雰囲気が違う。まずもって,SOLD OUTとなっていたはずなのに,予約者名簿がない様子。そして,オープニングアクトで歌うと思われる女性が店内のお客と挨拶を交わしている。演奏後の様子を見ていても,明らかにその3人組のお客のほうが多かった感じ。なぜその出演者の名前を書かないかというと,これがひどかった。ヴォーカルの女性にギターの男性,ピアノの女性。ともかく歌がひどい。そして,ギターもピアノも下手なわけじゃないけど,それだけ聴いて楽しめるほどではない。失礼とは思いますが,聴いてられないので,本を読み始めた私。しかも,オープニングアクトなのに5曲。このお店のスケジュールを見たけど,全く知らない人たちばかり。やはりこの程度なのだろうか。逆にBE THE VOICEがアウェイな感じなのか。まあ,それはともかく,当の2人はいたって普通。というのも,今回知ったことだが,BE THE VOICEは以前,このPAの人を連れていろんなカフェでかなり頻繁にライヴをしていたらしい(週に複数回)。なるほど,お抱えのPAがいれば,音響設備のさほど整っていないカフェでもライヴができるってことか。そして,以前長谷川都ちゃんが,彼女のマンスリーイヴェント「歌種」でBE THE VOICEの『epochs』を開演前のBGMに使いつつ,その場で配布される「歌種通信」に「よくカフェライヴに通っていた」と書いていたことを思い出す。脱線してしまったが,オープニングアクトの歌うお姉ちゃんがBE THE VOICEのこと滅茶苦茶好きといっていたこともあって,彼女たちのお客さんもきちんとBE THE VOICEの演奏も聴いています。とてもいいお客さんたちでした。そして,かれらの演奏を2部構成でここまでしっかりと聴いたのも初めてだったかもしれない。前半はかなり以前の曲たちを演奏してくれたし,後半はCD化されていない曲も数曲,そしてその曲の成り立ちなどの話もあり,俊治さんの歌声も聴けて,とてもいいライヴでした。ちなみに,今回もyukiさんが遊びに来ていた。よく会います。
ただし,終演がかなり遅くなったので,TOPSさんとちょっとお話しするだけで帰路についた。

2月17日(水)

最近仕事で残業をしていることは前に書いたが、実はすでに終わった2ヵ年に及ぶ関連する2つの業務で私のミスが発覚したのだ。しかも、今回2回目。前回、かなり大事になりながらもなんとか修正して成果品を納めたのに、またまた発覚してしまった。アルバイトという身分を利用してその謝罪の場には同席していないのだが、まあ作業は自分でやるしかない。この日も残業を予定していたが、その修正作業が一段落したので一時帰宅し、着替えてから前日と同じく青山へ。

青山CAY Our Songs LIVE 「荒野の唄の十一夜」
前日からここスパイラルホール地下のアジアンレストランCAYでイラストレータ小池アミイゴさんの個展が開かれている。彼の存在は私の好きなミュージシャンと関わりが深いところから、以前から知っていた。はじめはmount sugar、そしてariさんやhitme & miggy。彼が企画するイヴェントを通して知ったミュージシャンも少なくない。mueちゃんやオオタユキさん、ううじんさんなど。今はなき渋谷SPUMAや池ノ上bobtailなどに集うサークルの中心に彼がいた。mount sugarが主題歌を歌った映画『ストロベリーショートケイクス』関連イヴェントをアップリンクで開催したのも彼だった。そんなことで、個展開催期間の2週間、多くのミュージシャンを呼んでライヴが行われる。この日のパフォーマーはおおはた雄一さんだが、なんとミュージックチャージは1000円。私が初めて行ったおおはたさんの単独ライヴもここだったが、テーブルをどけて、椅子が並べられて満席。今回はきちんとテーブル席ということで、早めに予約を入れておいたら、なんと指定席だった。ありがたい。ちょうどフロアの中央ほどの席に座り、メキシコ産のビールとビーフンの炒め物を注文。この料理はほとんど味がついていなくて、一緒に持ってきてくれた4種の調味料を自分でブレンドしながら楽しむ。1200円にしては量が少ないような気もしたが、食べてみるとモチモチのビーフンに野菜たっぷりで満足。客席には見知った顔も何人か。でも、話をするほどの知り合いもいないので、持参した洋書を妻に購入した電子辞書で読んで時間をつぶす。
ライヴ開始時間の20時になっても一向に始まる気配なし。アミイゴさんが撮影した写真がスライド上映されていたので、それを眺めている。スケッチも得意な彼だから、写真のフレーミングのセンスは素晴らしい。20分ほど経つと、アミイゴさんがマイクを握って始めたいような雰囲気だが、客席はそうでもない。結局、彼が話しだしてから、おおはた雄一トリオが登場したのは何時くらいでしょうか。この日はベースの伊賀 航さんとドラムスの北山ゆう子さんという編成で、私好みです。休憩を挟んで2部構成。1部はトリオでがっつりと,短めのステージ。2部の冒頭は,今回の企画に際し,おおはたさんとアミイゴさんが高崎線に乗っての2人旅に出た話を展開。そして,おおはたさんのソロで,その時にアミイゴさんが描いたスケッチのスライドショーをバックに演奏。そして,終盤は再度トリオで。4月にまた新譜が出るらしいけど,そんな新曲も数曲。個人的には「不思議なくらい」の北山ゆう子さんのドラムスつきヴァージョンがたまらなくよかった。アンコールが終わった時点でちょっと時間が気になって腕時計を見ると,暗かったせいで23:30と見間違える。「いくらなんでもそんな遅くはないだろう」と内心思いながらもちょっと焦る。アミイゴさんがしめの言葉をいって,最後に「おおはた君にも(もう一度大きな拍手を)」といいかけるとおおはたさんが出てきちゃって,「アミイゴさん歌わないの」といって,よくあるエンドレスな雰囲気になってきてドキドキ。なんだかんだで,その余興は15分くらいで終了し,時計を改めてみると23時前。

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まだまだ寒い。手の霜焼け治らず。

2月13日(土)

渋谷TOEI② 『バレンタインデー
バレンタインデー前日に,公開になったばかりのそのままのタイトルがついた映画を観に行く。脚本家の今井雅子さんがどこかで紹介記事を書くために,公開前に観てかなり薦めていた。『プリティ・ウーマン』の監督らしいが,相当前の作品だな。調べると,なんともう75歳のじいさんですよ。そんなこんなで、ジュリア・ロバーツも出ているものの、ちょっと出演者が多すぎる。一応、主たる登場人物は15人ってことになっているけど、もちろんそれに関ってくる人もいる。そして、その15人も緩やかにつながっているってのが、この手の作品の常套手段だが、そろそろ飽きてきたような気もします。そして、この時期にアメリカにいったこともない人間が観ると、なぜアメリカ人がこんなにもバレンタインデーにあたふたするのか、滑稽にも観えるけど、これはあくまでも映画だということも忘れてはいけない。日本人たちもクリスマスだ、バレンタインだと周囲の人間は特にあたふたしないが、その日をテーマにしたドラマとか映画、雑誌などを観れば、それが過剰に表現されていることは知っている。まあ、でもそれなりに楽しめる作品。

そして、現実のわが家のバレンタインデーというと、土日と夫婦で過ごします。特に妻はお菓子作りが好きになっているので、作りたいのだが、作った分全て2人で食べつくすのもしんどいということで、13日の夜から仕込んでおいたチョコタルトを囲んで、14日の当日は妻の女友達を呼んで、3人でティーパーティ。14日の昼は歩いて調布駅前までいって、New Yorker's cafeでスープセットのランチを食べたのだが、ベーグルを食べている時に左下の奥歯の詰め物が取れる。20歳前後の時にまとめて治療したものが、ここ10年くらいでちょこちょこ取れているので、特に驚かないが、また歯医者通いになると思うと気が重い。翌日の月曜日の退社後に歯医者に行って診てもらう。他にも上の前歯の裏に虫歯になりかけている箇所がありショック。こんなところ、削った後はどうなるのだろう。ともかく、歯医者通いです。

2月16日(火)

ここのところ、会社で1時間ほど残業をすることが多くなった。この日も1時間強残業をして表参道へ。雨が降っていたので、駅中のカレー屋さんで夕食を済ましお店へ。

青山プラッサオンゼ コーコーヤ
開演30分ほど前に到着するとほとんどお客さんはいない。予約者も10人ほどで中ほどのテーブルに座る。赤ワインを注文し、本を読んでいるとポツポツとお客が入ってきて、そのなかになんと私の妻。仕事が早く終わったから来ちゃったとのこと。彼女は夕食を食べていないので、リングイッサのご飯添えと生ビール。久し振りのコーコーヤです。3月12日に美術館でのコンサートがあるようですが、それ以降は今年6,7月を目標に新しいアルバム制作の準備に入るということで、ライヴはお休み。そして、今回はアコーディオン奏者の佐藤芳明さんを招いての演奏。10分ほど遅れて演奏が始まる頃にはそれなりにお客さんが入りました。1stセットの途中にはsaigenjiも登場(お客さんとしてですが)。前半は3人で、久し振りに1stアルバム『antique』の楽曲を中心に。ハシケン×江藤有希で鍛えられたのか、江藤さんのヴァイオリンが力強く感じました。もちろん、笹子さんは相変わらず凄いし、久し振りに聴く黒川紗恵子さんのクラリネットもさすがだと思った。久し振りに聴く『antique』の楽曲は要所でアレンジが変わっていて新鮮。それに加え、この日はブラジル曲も多かった。2ndセットで佐藤さん登場。テレビアニメ「リストランテ・パラディーゾ」のオリジナルサウンドトラック『musica paradiso』に佐藤さんが参加しているということで、このCDからの曲を中心に演奏。やはり、おーCDと一緒だ!という感覚。それにしても、2ndセットはsaigenjiが連れてきた女性の話し声が邪魔だった。睨みを利かせても全く気づく様子なし。本当にああいう無神経な人、困ります。まあ、幸い終盤には静かになったので、アップテンポのブラジル曲を中心に大盛り上がり。お客さんは少なめでしたが、コーコーヤ@プラッサオンゼらしい賑やかなライヴになりました。
終演後にデジタルカメラをいじっている笹子さんを見ると、なんと妻と同じカメラ、RICHOのCX1。ちなみに、江藤さんも色違いです。なにやら変な操作をしてしまい、困っていたのですかさず妻が救いの手を。素直にありがとうという笹子さんが可愛かった。

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歯の詰め物取れる。また歯医者通いか...

2月11日(木,祝)

私の会社はお休み。まあ、これは普通だけど、妻の会社は営業中。ということで、この日は一人行動。午前中は研究活動に充てる。3月の末に日本地理学会の春季学術大会での口頭発表を申し込んでいる。今回の内容はたいしたものではないので、発表時までに投稿原稿として仕上げておきたいんだけど、なんだかうまいこと筆が進まない。ライヴの前に映画を1本。

日比谷スカラ座 『サロゲート
私は観ていないが『アバター』と『マトリックス』を足して割ったような映画。『アバター』はその設定や、場面によってはフルCGってのが気に入らないので観ていないが、基本的に未来SF作品は研究上チェックしている。その未来像が精緻に作られていれば、それだけで論理的な快楽を得ることができる。今では陳腐な感じもするが、『マトリックス』1作目が日本で公開された当時はかなり興奮して、論文を1本書いたくらいだ。もう一つの楽しみは、髪の毛の生えたブルース・ウィルスがスクリーン上で見られるということ。
さて、映画の内容。『マトリックス』は人間が眠りについたまま、神経細胞とコンピュータネットワークを接続して、仮想空間上で生活をするというものだったが、『サロゲート』はそれをロボットという物理的存在が代替する。生の人間の身体を人工的なものに代替させるサイボーグやアンドロイドとは違い、あくまでもサロゲートと呼ばれるロボットはそれを操作する人間とは独立した存在である。まあ、アバターのように、操作する人間の容姿とは関係のないサロゲートを持つこともできるし、自分の容姿を基本に、若返らせたりすることもできる。もちろん、ロボット本体の価格によって能力も違う。まあ、そこまでの設定はよいのだが、やはりこの未来像がさほど精緻には作られてはいないようだ。まず、サロゲートが開発された過去20年ほどを振り返るのだが、サロゲートの普及によって犯罪率が急速にゼロに近づいたという。それは例えば、殺人を犯しても生身の人間は死なないので、意味はないということだろうか。でも、金を奪うのであれば、逆にサロゲートを壊しても人を殺したことにはならないため、良心の呵責ってのに抵触しないのではないか。あるいは、このくらいの世界になっていれば、物理的な金銭というのが存在しないのだろうか。人種差別などもなくなったという。しかし、サロゲートを持てる経済力(いくら安くてもあえて持たない人が絶対いるはずなのに、そういうことは想定外になっている(生身の身体で生活する人は根本的にサロゲート使用に反対する運動家たちのみ)。高性能サロゲートと低性能所有者で社会的差異が生まれるのは十分想定される。それから、殺人の件だが、自宅さえ知っていれば、その人のサロゲートが遠方に出かけているときに、自宅でそれを操っている本人を殺すことなど容易ではないか。まあ、ともかくサロゲートの普及がほとんどの社会問題を解決したというユートピア感は明らかに説得力がない。
まあ、物語の設定自体はそんな程度だとしてもまあ、楽しめる内容ではあります。まず、ブルース・ウィルスは刑事なのだが、その相棒を演じる女性をラダ・ミッチェルが演じる。ちょこっと調べると彼女は1973年生まれで、私が彼女を知ったのは1998年の『ハイ・アート』。もっと若い役かと思ったが、すでに25歳だったんですね。それから、ウッディ・アレンの『メリンダとメリンダ』(2004年)で主演しているのを観て、驚いたものです。それからけっこう好きなんですよね。もちろん、刑事もサロゲートを操ることで、勤務中の命の危険は回避できます。サロゲート訳の俳優の映像はほとんど画像処理されていて肌は滑らか,ブルース・ウィルスのサロゲートは金髪のカツラをかぶり,髭をきれいにそっています。若かりし頃の彼というよりは不自然な感じ。逆に,生身の人間役の俳優たちは引き篭もりという設定なので,女性でもノーメイクはもちろんのこと,ろくに太陽光も浴びていない肌の状態をメイクで作り出す。ある事件をきっかけに,ブルース・ウィルス演じる刑事は自分のサロゲートを壊され,自分の意思でもって生身の身体で行動するようになる。そこからは彼主演のアクション映画的展開になり,でもマンネリではなくそれなりに楽しめます。

日比谷駅から赤坂に移動。ライヴの開場時間より早く着いてしまったが,会場の赤坂BLITZの向かいは冬季限定のスケート場ができていて少し見学。値段は時間制限がないようですが,入場料が1000円で,レンタルシューズが500円ということで,ちょこっと楽しむには高いかも。それにしても,ここBLITZは待っている場所に屋根がなく,私が来るときは雨で寒いときが多くて困る。しかも,開場から開演まで1時間。整理番号自由席なので,開場時間に来なくてはなりません。まあ,幸い177番で前から6列目の真ん中をゲット。BLITZのドリンクはあまり選択肢がないので,ビール。またまた喉の調子が悪いので,なるべく長時間潤したいということで,ビールをちびちび。でも思ってたほど1時間は苦痛ではなく(最後の10分はウトウトしてしまう),5分ほどの遅れで始まりました。

赤坂BLITZ 竹仲絵里
この日は3月に発売される久しぶりのフルアルバムを記念して,その前にアルバムタイトル名と同じライヴを東京と大阪で行う。アルバムのプロデュースは松岡モトキ氏で,もちろんギター&バンドマスターとして参加。そして,昨年横浜THUMBS UPに聴きに行ったが,アコースティックツアーで一緒だった,ドラムス宮川 剛氏とキーボードの小林健樹氏。そして,多少予想はしていたが嬉しいことに,ヴァイオリンで岡村美央さんが参加してくれた。あ,あとベースで阿部なんとかさんが入ります。なんか最近どこかで見たことがあるような気もします。控えめなベースでとてもいいバンド。もちろん,絵里ちゃんも張り切っています。でも,なぜか前半声の響きがいまひとつだった気がしました。でも,後半になるにつれていい感じで声も出てきます。この日はMCも絶好調で,そのおかげか,アンコールも含めて2時間半のステージになってしまいましたが,とっても充実したステージだったと思う。何箇所か美央さんのヴァイオリンソロを聴けたのもラッキーだったし,選曲も。古い曲はあまりなかったけど,ニューアルバムに収録する曲も何曲かあったし,そのなかからV6に提供した曲のセルフカヴァーなんてのもありました。この辺りは吉本興業は寛容なのでしょうか。なかにはCD化されていない曲をライヴでやることを認めていないようなところもありますからね。今回「ガーベラ」を演奏しなかったのは残念でしたが,ニューアルバム発売を含め,今年も彼女には期待しましょう。

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日比谷線各駅停車の旅

2月6日(土)

この日は予定いっぱい。まずは夫婦でお昼前から六本木へ。この日は風が強く、六本木ヒルズの前面の広場を通行禁止にしていた。どんな事故を恐れているのだろうか。まずは映画。

六本木TOHOシネマズ 『ゴールデン・スランバー
中村義洋監督による伊坂幸太郎原作の映画化。このタッグは何作目だろうか。原作は一冊も読んだことはないが、映画はとても楽しめるので、今回も期待。そして、伊坂氏が仙台市在住ということで、『重力ピエロ』に続いて、舞台が仙台。私は未見の『ラッシュライフ』に続いて堺 雅人主演。堺と劇団ひとり、吉岡秀隆、竹内結子の4人が大学の同級生役。もちろん、その後が舞台の中心だが、まあ、粗筋に関しては予告編を見るだけで分かりやすいのでご確認を。伊坂氏の原作は探偵小説的な作りになっている。探偵小説ってのは、事件にまつわるさまざまな事柄を作品の中にちりばめながら、最終的な事件の解決の鍵となっていて、最後にそれらが結びついて事件が解決するという仕組みだ。彼の作品は決して探偵物語というジャンルではないが、さまざまなエピソードがきれいに関連して結末へと導かれていくという点において、非常に読者思いの作品だといえる。だからこそ、映画という限られた長さの表現に変換しても遜色ないのだろう。エンタテイメントとして十分に楽しめる。しかも、本作の場合はそのさまざまなエピソードにかかわるさまざまな人物に名だたる俳優が配されていて、それらを観るのもとても面白い。特に本作では、中村監督作品の常連俳優である濱田 岳君がこれまでの似通った役どころとは全く違う人物で、これがまた面白い。
しかし、エンタテイメント以外で得るところがある作品かというとどうだろうか。ここからはネタバレあります。ある政治家によって仕組まれた首相暗殺事件。しかも、未遂ではなく成功してしまう。その政治家に加担する警察組織によって、無関係な一市民が犯人にされ、堺演じる本人はなんとか逃げ延びるが、証拠映像撮影のために整形させられた影武者は殺されてしまう。他にも命を失った人は数人いる。そして、警察の動向に追随するだけの報道たち。そんな、一見現代社会の矛盾を暴くような設定でありながら、そこを突き詰めたり批判したりすることはほとんどない。エンタテイメントの道具として利用されているだけだ。まあ、そういう映画が悪いとはいわない。もっと質の悪い映画は他にあるから。でも、せっかく人をひきつけるものであれば、鑑賞者に何かを考えさせる内容を含んでほしいと思う。

六本木から日比谷線でお隣の広尾まで。新しい庁舎に移転したフランス大使館。旧大使館の建物を利用して、日仏のアーティストが出品した「NO MAN'S LAND」という展覧会が、期間延長したということで行ってきた。主たる会場になった建物はどのような用途で用いられていたか分からないが、マンションの一室ほどの広さを、一室一アーティストに貸し出し、普通の展示会場として利用しているものも少なくないが、多くは取り壊される空間ということを前提にした作品製作を行っている。まあ、とにかく2つの建物の地下1階から地上3階まで、かなり多くの人が参加しているため、全部見るのはけっこう疲れます。でも、作品の質についてはさまざまなので、全部を集中してみる必要はないようです。けっこう楽めます。18日までやっているので、是非。ちなみに、料金はお気持ち、ということで基本は無料です。

ライヴの時間までまだ余裕があったので、恵比寿でお茶。また日比谷線で1駅。妻(以前は恋人と書いていましたが、夫婦という表現もよく使うようになったので、誤解のないように、あまりしっくりきませんが、妻と表記するようにしましょう)はライヴには行かないので、2人にとって便利な恵比寿で。妻を見送り、私はまたまた日比谷線で一駅、中目黒まで。この距離は十分に歩けるのですが、この日は風が冷たかったので電車にしました。
中目黒楽屋 感情のレストラン2010冬
いろいろ迷っていましたが、今回のライヴでvice versaがしばらくライヴ活動を休止するということで行くことにした。と同時に、まだ会ったことのないmixi上の知り合いが、私のスケジュールをみて、この日はご一緒できるかもしれない、ということで、急遽前日に2人分予約を入れた。さすがにかなり満席だったようで、私たちの席は一番後ろのテーブル席だった。その知り合いというのは、2児の母親であり、フラワーアレンジメントをしていて、また時間を見つけてはライヴに足しげく通うという素敵な奥様。mixi日記やblogで想像していたとおりの素敵な女性で、音楽の話に花が咲きます。この日はvice versaのそんな事情もあって、客席には多くのミュージシャンの姿。はじめに気づいたのはcasaの古賀美宏君。そして、楽屋ではいつも決まったカウンター席に座る三木千夏ちゃん。そして、その奥のカウンターに遅れて登場したのはなんと、橋本 歩さんと岡村美央さん。私たちのテーブルで相席になったのはyukiこと宮崎幸子さん。帰り際に気づいたのはミトモタカコさん。
ハシケン×江藤有希:このデュオでもミニアルバムが発売されるとのこと。当然のようにツアーをして(それにしてもツアー好きなハシケンさん)、東京公演は4月後半。限定500枚ということで、それまで残っているかどうか。Amazonでの予約が確実とのこと。楽屋ではけっこう前方の席になることが多いですが、音響的には後ろの方がいいですね。いつの間にかお店の中央天井にモニタが設置されていて、ライヴ映像が流されています。開演前のアナウンスといい、なんか余計なところにお金をかけてるな。
vice versa:さて、この日のvice versaは当然バンド編成。石川 智さんのドラムスにわたなべえすさんのベース。せっかくだからサックスかフルートでもいれればいいのに、とも思うが、最後のセッションのことを考えると十分な人数か。前回楽屋のvice versaは本当に目の前で、石塚明由子さんのあのパフォーマンスはちょっとガッツ利ファンではない私にとってはちょっときつかったが,これくらい離れているとちょうどよい。楽しくって,とってもよいライヴでした。そんなこんなで終演後はいろんな人と挨拶したりして帰路につきます。

2月7日(日)

前日は寒いなか,あちこちウロチョロしたので,この日は家でゆっくり。午後になって渋谷に出かけます。妻と専門学校で同級だった篠崎淳子さんが,渋谷のカフェで個展をしているというので観に行く。会場になったのはuzna omomというカフェギャラリー。前日にはその個展を記念してライヴもしたようです。もとはマンションの一室ということで,トイレはあるけどお風呂はないくらいのスペース。客席は10席程度でしょうか。そこそこお客さんも入っていて,私たちは一番入り口に近い席に座る。残念ながら淳子さんはこの日は不在。でも,いただいたお茶もとても美味しく,カフェスタッフの若い女性2人も自家製の梅酒や,丁寧にパウンドケーキを作っていたり,なかなかいいお店です。また普通にお茶やケーキ,食事もいいかもしれない。あ,肝心の写真展ですが,「nowhere」と名づけられたものですが,妻によれば,彼女の卒業制作で使われたポーランド(アウシュビッツを含む)の写真を含む,過去の作品が多かったらしい。卒業して1年弱。妻は新しい写真がないことを残念がっていましたが,写真という表現の場合,テーマを決めて写真をとりためるという方法と,これまで撮った写真を,新たなテーマの下に集めなおすという2つの方法がある。しかし,問題は今回の「nowhere」というテーマにどういう意図をこめてどんな写真を組み合わせたかということではないか。彼女の写真は基本がモノクロで暗い。もちろん,人物は中心ではない。今回はカラー写真もあったが,カラーを組み合わせた壁と,モノクロを組み合わせた壁とを同じ「nowhere」で表現することの意図はイマイチ不明。モノクロの方は「nowhere」にふさわしくもあるような気もするが,例えばアウシュビッツのような歴史的な特殊性を有する場所の風景を「どこでもない」と表現することはどうなのだろうか。確かに,写真に映し出される対象は常に特殊性を有するものの,写真画像においては,その特殊性を抜き取ることができる。例えば,東京で写した複数の写真がどれも東京らしく見えない,場合によってはニューヨークのように,場合によってはヨーロッパの裏路地のように見せるというのは,「異化」を生み出す写真芸術の効果だといえるが,今回の場合はそれが適切なのか。まあ,ともかく彼女の写真は素人ではありません。なので,逆に見せ方についてはもう少し他の写真家のやり方などを学んで,考えて欲しいと思う。
下北沢に移動してbio ojiyan cafeで早めの食事。私のおじやはいつもどおりだったが,初めてつけたトッピングの練梅がすっぱすぎた。しょうが焼き定食を頼んだ妻はイマイチ顔。味が濃すぎるとのこと。そこから私は一人でライヴへ。

下北沢風知空知 岩﨑 愛のリビングルームvol.2
初めての風知空知。開場時間からかなりたっていたので,すでにほぼ満席状態。背もたれのない椅子が空いていたので,座る。座り心地はあまりよくないが(他はソファなど多し),ステージを観るには絶好の位置。この日の共演者はオトナモードの高橋啓太君ということで,女性ファンが会場を埋め尽くします。といっても,愛ちゃんファンにも女性が多いんですけどね。このイヴェントを前に,愛ちゃんと啓太君が啓太君の実家を訪ねる旅をしたそうで,その様子がスライドで流しだされる。
冒頭に愛ちゃんが登場し,この日のために作ってきたという,このイヴェントのテーマソングを歌い,啓太君を招く。そこで2人で1曲演奏し,高橋啓太のソロライヴ。冒頭からサニーデイサービスやはっぴいえんどなどのカヴァー曲中心。なんでも,オトナモードが松本 隆の作詞曲ばかりのカヴァーアルバムを出したらしく,そんなところからも数曲。新しい曲やオトナモードの曲も数曲。思ったよりも長いステージ。確かに,彼の歌声はアコースティックではかなり美しく,一方でバンドサウンドに負けないほどの声量も持っていて,その魅力は良く分かるがまだ若さを感じますね。ステージ転換の休憩時間は,その女性客たちが非常に元気で,ちょっと居心地が悪い。しかも,このお店,テラス席があるのですが,そのためにストーブを置いていて,ストーブとエアコンでかなり暑い。でも,単に食事をしにくるにはよさそうなお店だ。ということで,ちょっと前半はあまり楽しめなかったのですが,そこはさすが岩﨑 愛。もともとオトナモードと愛ちゃんは仲が良いので,オトナモードファンたちのなかでも愛ちゃん好きも少なくないんでしょうね。愛ちゃんのステージも予想以上に大盛り上がり。アップテンポの曲でお客さんと一緒に歌ったり拍手で参加したり,そして家族のことを歌ったしっとりとした曲でしんみりさせたり。やはりいいシンガーです。次回,このイヴェントは5月に下北沢440でベベチオの早瀬君を招いてだということで,また楽しみにしましょう。

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分類の未開形態

エミール・デュルケーム著,小関藤一郎訳 1980. 『分類の未開形態』法政大学出版局,217p.,2000円.

本書は,デュルケムが作った雑誌,『社会学年報』に1903年に掲載された「分類の若干の未開形態について」と1902年に掲載された「トーテミズムについて」を併せて翻訳したものである。前者の論文は人類学者マルセル・モースとの共著であり,また付録としてこの論文に関連するモースの書評などがついている。デュルケムは周知のように19世紀末から20世紀初頭にかけてのフランスの社会学者であり,いわば社会学の父である。
私が大学院に入学した頃,助手で東京都立大学に所属していた島津俊之氏がデュルケムの研究をしていたので,デュルケムのことは間接的にいろいろ知っていた。彼が地理学者としてデュルケムに関心を持ったのは,フランスの社会地理学者アン・マッティマーがデュルケムの概念「社会空間」に着目していたことを経由している。そして,彼の大学院の指導教官だった山野正彦氏も,デュルケムと同時代のフランスの地理学者,ヴィダル・ド=ラ=ブラーシュとデュルケムの関係について論文を書いているのだ。もちろん,それらを踏まえ,島津氏は地理学者は誰もやろうとしない暴挙に出た。それはすなわち,デュルケム作品を原語で精読することだ。それはおよそ10年を要して2つの論文に結実した。その後,和歌山大学に就職し,彼の関心は近代期の歴史的研究に移行するが,資料の丁寧な解読に活かされていると思う。
さて,そんな私も大学で教えるようになって,ヨーロッパの地理学史的な話をするようになって,近代に入るとフンボルトとリッターからラッツェルといったドイツの地理学者,そしてフランスのヴィダルについて話すことになる。ここではもちろん,山野氏のような地理学史の研究成果を参照して,地理学者ヴィダルと歴史学者フェーヴル,社会学者デュルケムの話をしなくてはならない。ということで,『社会学の方法基準』や『自殺論』を読んだわけだが,これが素朴に面白かった。やはり新しい学としての社会学がいかに地理学や歴史学とは違うのかということを説得的に示さなくてはならないので,必然的に議論は説得的になるし,また同時にあらかじめ与えられた研究意義というものがないから,これまた必然的に問題意識が素朴なところから出発するのだ。
さて,そこで本書だが,本書に収められた2本の論文は,1本が人類学者モースとの共著ということもあって,素材は当時はまだまだ未開社会が残っていたオーストラリアとアメリカからもたらされた社会形態に関する資料。トーテミズムについてはフロイトも「トーテムとタブー」という文章を書いている。しかし,トーテミズムとはそもそもなんなのか,ということが分かってなかったりするわけだ。まあ,私にとって「トーテム」とは小学校の校庭にあったような「トーテムポール」である。でもこの想像力は決して間違っていないはずだ。さまざまな動物の頭や神様のような顔が何段にも重なっている木の彫り物。まあ,ある民族集団の各社会(本書では胞族という)が,動物のような象徴的存在をアイデンティティのよりどころにして,階層的に存在するというこんなイメージ。
まあ,このイメージがどれほど合っているかは分からないのだが,ともかくその象徴が動物であることは本書においては明らかで,しかも驚くことにそれは単なる象徴だけでなく,その胞族において,その動物の取り扱いが定まっているということだ(大抵はその動物を食べてはいけない)。正直言って,本書に収められた2つの論文のうち,「トーテミズム論」は既存の研究書の紹介と検討に終始していて,細かい議論が多く面白くない。その一方で,「分類の若干の未開形態について」は現代の社会アイデンティティ論として読んでも十分に面白い。まあ,私が人類学の基礎的な文献を読んでいないのは確かなのだが,とても新鮮だった。それはもちろん,レヴィ=ストロースの固有名詞論(なんと,これも読んでいない)とも関係しているし,その後の民俗学的な地理学の農村空間分類研究などの起源もここにあるといっていいのかもしれない。さすがデュルケム。やはり『社会分業論』も読みたくなった。

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久し振り、家で一人

2月5日(金)

私は大学春期休暇中にてお休み。一方、恋人は前日から新しいアルバイトに勤務することになり、久し振りに一人で部屋で過ごす。確定申告の書類を作成するが、契約形態の変更に伴って、収入のバランスが悪く、ネットで書類作成するも、途中でエラーが出てしまい、先に進まない。ああ、手書きか...
途方に暮れてしまい、思わずパンを焼くことを思いつく。久し振りのパン作りだったが、いつもちょっといい加減に済ましている工程に気をつけてやってみたら、最終的な膨らみはいつもより悪かったが、ちょっとモチモチ感の出る仕上がりで、恋人も絶賛。これまで、柔らかくはできるものの、いまいち噛み応えのない焼き上がりを、ドライイーストのせいにしていたが、やはり一つ一つの工程と作業に起因するものだと実感する。やはりパン作りは奥が深い。結局、パン作りで16時までかかってしまい、焼きあがってすぐに出かける。この日は国立でライヴがあるので、中央線沿線で映画を観たいということで、久し振りに東中野へ。

東中野ポレポレ 『アンダンテ~稲の旋律~
新妻聖子という女優さんが主演の日本映画。「アンダンテ」というのは音楽用語で、「歩く速さで」という意味らしい。まあ、スローテンポの曲のことだろう。30歳間近の主人公は仕事場のミスで対人恐怖症を発作してしまい引き篭もりに。しかも、それは今回限りではなく、大学の頃から、そういうことを繰り返しているという。普段はそれなりに過ごせるのだが、何か対人関係を阻害する出来事があると、誰に対しても恐怖感を抱いてしまう。そのことによって、親とも距離ができてしまったり。ある日、欠勤していた会社に久し振りに出勤しようと出かけたものの、結局途中で耐え切れなくなって別の電車に乗って千葉県の横芝光町に辿り着く。そこで、稲が風にそよぐ音を聴き、アンダンテの曲が頭に流れる。思わず、持っていたペットボトルにやはり持っていた自分宛の封筒を破り、その裏に誰にも吐き出せない辛さを書き込みペットボトルのなかに入れ、田んぼへ投げる。後日、それを受け取ったのが、その田んぼを所有し、米を作っている筧 利夫演じる男性。そこから、2人の文通が始まる。まあ、そんなところから始まる物語。この2人は恋に発展するのかしないのか。まあ、たまにあるような「文部科学省推奨」のような雰囲気のある映画で、日本の農業の現状や農家のあり方。そして、都会人の農業や農家に対する認識などを改善するような教育的意図も持っていますが、ストーリー自体は原作があってしっかりしている。この主人公のいつまでもうじうじした感じがいいですね。何事もなかったように、一直線に回復するようでは面白くありません。そして、この女優さん、歌も唄っているようです。ピアノもきちんと弾いているし、ちょっと農業青年たちの日焼けメイクはやりすぎだと思いますが、それなりに楽しめる作品。

終わって急いで国立へ移動。思ったよりも時間がかかりますね。しかも、中央線は当たり前のように遅れていて。結局開演時間すぎにお店に到着。幸い、演奏は5分遅れで、なんとか間に合いました。席もギリギリ確保。

国立no trunks こめ
またまた来てしまいました。フルートの太田朱美さん、ピアノの片倉真由子さん、ベースの水谷浩章さんによる「こめ」ライヴ。そして、この日はゲストでドラムスの外山 明さんが加わります。外山さんは水谷さんのバンドで、朱美さんも参加しているphonoliteのドラマー。前回のライヴとはかなり雰囲気が違います。スタンダードナンバーを中心に、外山さんも全曲ガッツリと参加。この人の型にはまらない演奏がなんとも面白いのです。メンバーたちも笑いながら演奏しています。さすがに私はその笑いのツボは理解できませんが、こういうのがジャズの魅力でもあるんでしょうね。「ナマステー」という挨拶ではじめる朱美さんも相変わらず面白いし、真由子さんのリラックスした姿も見慣れてきました。この日は眼鏡をかけていた真由子さんですが、ちょっと顔の雰囲気が私の恋人に似ているな、と思ったりして。
休憩時間には私の隣の空いている席に朱美さんが座ってくれてそんな話をしたり。そんな時に、バイト終わりの恋人がやってきました。恋人と朱美さんが会うのは2回目で、しかも1回目は私から紹介しただけで言葉は交わしていないのに、随分仲良さそうだ。2ndセットもスタンダード中心だが、もちろん朱美さんのオリジナル曲も。広島大学生物学科出身の朱美さんが作る曲のコンセプトには生物学が色濃く反映しているものが多い。この日も、快楽中枢と名づけられた曲(実際には日本語ではないが)では、その有名な動物実験の話をしたり。まあ、ともかくいろんな意味で楽しめるステージ。「こめ」のライヴは3月にも大塚GRECOで、そして4月にはまたここno trunksであるということで、本当は朱美さんの他のライヴにも行きたいんだけど、ともかく楽しみ。

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つくられた自然

富山太佳夫編 2003. 『岩波講座文学7 つくられた自然』岩波書店,265p.,3400円.

最近、人文地理学のなかで「自然」のテーマがかなりホットだ。私も以前からこのテーマには関心があって、2001年の論文でもちょっとそうした人文地理学における自然論を紹介したことがある。でも、もちろん他のいろんな分野で論じられる「自然」は範囲が広すぎて、その語を関した本が必ずしも私の感心にあうとは限らない。しかし、本書は私の好きな富山氏の編集だし、目次を見ても、知っている著者は田中優子だけではあったが、かなり興味を惹かれ、私にしては珍しく新刊で買ってしまった。やはり書物とも一期一会があり、機会を逃すとそのまま記憶から消えてしまうこともある。本書を読み終わった今、本書は本当に買ってよかったと思える内容だった。この種の講座ものは基本的に嫌いだし、論文集というものが成功することはそれほど確率的に大きくない。さて、そんな感じで私のお気に入りの一冊になったので、各章を丁寧に紹介したい。本書は3部に分かれている。

まえがき  富山太佳夫
まえがきといえども、はじめから学説史的な話をしないのが富山氏らしい。英文学の小説の挿絵に描かれたちょっとした風景が,実はある理由をもってお決まりのレイアウトになっているというさりげない指摘。本書に納められた諸論文を読めば,このまえがきに気負った能書きのような理論的な話など要らないのだ。
〈自然〉の歴史
1 日本近代の風景論――志賀重昂『日本風景論』の場合  亀井秀雄
志賀重昂の『日本風景論』(1894年)の諸事情については地理学でも荒山正彦氏などが紹介していて,明治期日本のナショナリズムの高揚との関係についてもよく知られている。しかし,本章はその流布された議論を批判的に見直す。しかし,志賀自身はもともと国粋主義には批判的な思想を持っていたという点や,『日本風景論』がなぜ当時,そして現代まで多くの人に読まれているのかという点にこだわり,著者はより詳細なテクスト分析を,もちろん当時の学的な,あるいは社会的なコンテクストともに読み解いている。2010年度の法政大学の講義では前期に「景観」を,後期に「場所」をテーマにしようと思っていて,『日本風景論』の話もする予定なので,とても勉強になった。といっても,まだ『日本風景論』自体を読んでいないのだが...
2 江戸の自然  田中優子
田中優子氏はそれこそテレビなどにも出演する有名人だが,私は高山 宏氏と親しいというところから知って,『江戸の想像力』を驚きをもって楽しんだのだ。そう,以前から書いているが,私は日本史が苦手。せいぜい近代期がぎりぎりで,近世になるとまったくついていけない。そんな私に『江戸の想像力』は日本史の楽しさを教えてくれた。そんなこんなで,本章もとても楽しい。冒頭から,なぜ松尾芭蕉が斬新なのか,という身近な事例から始めてくれて,江戸時代の人々にとっての自然とは何だったのかを色んな角度から教えてくれる。
3 『源氏物語』の自然――カノンからの離陸  河添房江
引き続き,時代は遡り,『源氏物語』までいってしまうのだが,そこは心配いらない。本章は『源氏物語』がいかにその後の歴史を通じて,中世日本文学のカノンとして扱われるようになったのかということを明らかにしようとするものである。またそれは同時に,その『源氏物語』解釈によって,人間と自然の融合的な関係が日本人独特のものであるという固定観念を生み出したのか,ということを明らかにするヒントとなる。具体的には,時代時代の『源氏物語』研究が概観されるのであって,それが非常に興味深い。
〈自然〉を描く
4 自然のテクスト化と脱テクスト化――ネイチャーライティング史の一面  野田研一
ネイチャーライティングとはアメリカ文学独自のジャンルのようだが,以前からその概要だけでも知りたかった。でも,どこから入ればよいのかも分からない状態だったので,本章はとてもありがたい概説となる。ネイチャーライティングという呼称ができる前に,後のネイチャーライターの礎となるべき存在がラルフ・W・エマソン。このくらいは名前を聞いたことがあります。そして,エマソンの思想に基づいて,ネイチャーライティングの実践に移すのがヘンリー・D・ソロー。ソローの実践を「自然のテクスト化」と著者は呼びます。そして,最後がソローの実践を批判的に継承していくエドワード・アビー。その戦略を「脱テクスト化」と呼んで整理する辺りは非常に分かりやすくてよい。ちなみに,エマソンはもちろんのこと,ソローもアビーも日本語訳があるようなので,うれしいですな。そして,本章で紹介される文献のなかに,アラン・ロブ=グリエの小説論があってびっくり。これまた翻訳も出ているし,面白そう。
5 女としての自然  石幡直樹
自然を女性とみなすという言説についてはそれなりに論じられているので知っていることも多いが,圧倒的な文学的博学で議論が展開されるので,学ぶこと多し。
6 崇高の10年――蘆花・家庭小説・自然主義  藤森 清
本章と次章は扱っている素材の違いによって部を跨ぐが,双方とも「崇高sublime」を論じていて実は思わぬ収穫だった。ちょうど,3月に学会発表をするために,田沼武能写真の研究を再開しているところなのだが,どうやらアンデス地方の写真の分析に「崇高」概念が有効なのではないかと,本書を読んで思いついたのだ。そもそも,私は2000年の『人文地理』の「学界展望」で「文化地理」を担当させてもらって書いた文章で,1999年に再販されたエドマンド・バーク『崇高と美の観念の起源』を取り上げて,景観研究の基礎文献と紹介したのだ。しかし,その後は特にこの本を取り上げて研究に活かすような機会はなかったのだが,まさにその時が今回来たということだ。これはかなり嬉しい。ちなみに,日本の近代小説を論じた本章では,サブライム概念の日本での受容について論じている。日本の近代小説は,当然当時の日本社会全体と平行した経過を辿る。つまり,ヨーロッパ留学を経験した知識人たちが帰国して小説家になる。そして,用語や形式の輸入から始まり,作品制作を続けるうちに「日本文学」なる国民文学が成立していく。その過程についての研究はいろいろあるが,本章はサブライムという概念からその過程に新たな視点を提供しているといえる。
〈自然〉の用法
7 崇高とピクチャレスク  大河内 昌
本章はもちろん,バークの議論について考察してくれるのに加え,それに対し,その後の人たちが崇高と美というものをどう捉え,その過程でピクチャレスクという具体的な図的表象作用を伴う美的価値観の生成について論じている。今では具体的に思い出せないが,私が景観論の基礎文献としてバークの本を知っていたという事実自体が,どこかでそんな議論を読んだことがあるということだ。まあ,多分地理学者のコスグローヴかダニエルズだと思う。もちろん,ピクチャレスクも崇高も,この2人の地理学者が研究している「景観」という実在物とおおきく関係しているのです。
8 ペットワースのターナー――農業改良と風景の政治性  アラン・ハウキンズ
そして,次なる章の著者ハウキンズはこの2人の地理学者と仲の良い,英国の美術史家(本書の著者紹介には農村文化史となっている)であり,本文中にもコスグローヴとダニエルズの名前は出てくる。そして,実写的な絵画から印象派の先駆け的な風景画を多く残したJ.M.W.ターナーの作品のうち,ペットワースという領土に関わる作品群を取り上げる。それらの作品は,いかにもターナー的な風景画にしかみえないが,著者はそこから,ペットワースの領主であると同時にターナーのパトロンの一人でも会ったエグレモントという人物を,彼のその領土における農業改良やさまざまな社会活動とともに解釈する。この手法がいかにもやはりコスグローヴやダニエルズ的で面白い。
9 「写生」と「歩行」  武田信明
この章も思いかげず収穫のあったもの。「歩行」についてはオースター『ガラスの街』でいろいろと考えている問題。夏目漱石の初期の作品の冒頭が必ずといっていいほど主人公が歩くシーンから始まっているという。他にも,国木田独歩の『武蔵野』はまさに歩き回りながら武蔵野の風景を眺め,記述する作品なのだという。そして,歩くことが物語に時間の流れを生み出し,それが物語の時間的流れにもなっていくという。そして,タイトルにもなっている「写生」とは文学における自然主義とも関係するが,それを冒頭の漱石作品の特徴と対比させる。初期の作品とは対照的に,それ以降の作品では主人公は歩行をしない。そんな考察はもっとじっくり読み込むことで,『ガラスの街』分析にもいい枠組みを提供してくれるだろう。
10 動物と戦う、動物を食べる  折島正司
最後の章もアメリカ文学の事例だが,タイトルどおりかなりグロテスクだ。ヘミングウェイ作品を私は読んだことがないが,『老人と海』は個人としての主人公が巨大魚と格闘する物語だという。その他にも「動物を狩る」,「動物を殺す」,そして最後の「動物を食べる」と読むにつれて,映画『イントゥ・ザ・ワイルド』を思い出す。やはりアメリカ文学特有のジャンルなのだろうか。
まあ,そんな感じであとがきはありませんが,非常に多彩ながら,全体的にレベルの高い,そして私の個人的な研究にも結びついてくる貴重な読書体験でした。

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東京で本格的な雪

1月31日(日)

日曜日はジョギングしたりで、昼から出かける。以前に観るつもりで前売り券を買ったものの、直前で満席になり断念した映画を再び同じ映画館へ。今回はかなり早めに出かけて、受付してから昼食等を済ませる。しかし、やはり上映時には満席になっていた。

新宿ピカデリー 『ソフィーの復讐
チャン・ツィイー主演映画で、相手役に『映画は映画だ』の韓国人俳優ソ・ジンブを配する。自分をふって、人気女優と恋に落ちた元恋人との失恋から立ち直れない主人公は、そのカップルを破滅に導くことでふっきろうとする。そこに、どうやらその女優と前に付き合っていたらしき男が現れたので、自分の復讐に手助けしてくれるよう迫る。この男性を演じるのがピーター・ホーという人物だが、台湾の人で、私の恋人は知っていた。まあ、ありがちなパターンのラヴコメディ。女優役のファン・ビンビンは美しかったし、チャン・ツィイーのコメディエンヌぶりも良かったけど、ソ・ジンブはいいところなしだし、ちょっとあまりにもドタバタ劇すぎて好きにはなれない作品。

ここから一人で九段下へ。久し振りの湯川潮音ちゃんのコンサート。そういえば、サポートバンドの情報は今回も入手していなかった。

九段会館大ホール 湯川潮音
会場内に入ると、ステージはノスタルジックなセットで飾られています。ほぼ予定通りに開演し、登場した男性人はいつもどおり、白シャツに黒ズボン。ベースが鈴木正人氏だということは分かりましたが、ギターとドラムスは知らない人。私の席はステージまでかなり遠かったですが、随分若い感じです。鈴木氏はウッドベースとエレキベースだけではなく、鍵盤も何種類か操ります。エレキギターも弾いていたような。ドラマーもギタリストもあまりゆったりとした曲は得意ではないようで、アップテンポの曲で、しかもソロ演奏で盛り上がるタイプ。といっても、バンドマスターが鈴木氏なので、その辺の扱いはさすが。全体的にまとまりのある演奏だったと思います。今回のコンサートは一応、昨年発売されたカヴァーアルバム『』の発売記念で、しかもこの日はそのアナログ盤も会場で販売されるということで、その収録曲を中心にした構成。もちろんオリジナル曲もかなりの曲数演奏しました。初期の頃の曲もけっこう多く、この日のロックなバンドに合わせた鈴木正人さんアレンジもなかなか楽しめた。若くしてもう中堅シンガーの域に達した感がある。でも、個人的な要望としては、オリジナル曲がかなり増えてきたので、なかなかライヴでは歌わない曲も毎回のコンサートで2,3曲交えていってほしい。

2月1日(月)

この日は東京経済大学の成績提出締切日。なんだかんだで余裕がなく、最終日のしかも仕事帰りに行くことになった。この日は久し振りの本格的な雨で、国分寺駅からの道ですっかりずぶ濡れになる。帰りには雨が弱くなってきたので、本当についていなかった。府中に行ったついでに、この日は映画の日、そして恋人もぼちぼち新しい仕事が始まるというので、映画を観ることにした。

府中TOHOシネマズ 『ラブリー・ボーン
『サヨナライツカ』もやっていたが、時間的な余裕をみて、こちらにする。本作は『ロード・オブ・ザ・リング』の監督ピーター・ジャクソンによるもの。シアーシャ・ローナン演じる主人公は14歳で殺されてしまう、という設定。主人公が死ぬということが前提の映画ってどうなるんだという興味がわきますね。ところで、この可愛らしいシアーシャですが、後で調べたら、キーラ・ナイトレイ主演の『つぐない』でキーラの妹の幼い頃の役で出演していました。そういえば、髪型が本作では1970年代っぽくなっていますが、顔は同じですね。『つぐない』の頃よりも手足が伸びています。その両親役がマーク・ウォールバーグとレイチェル・ワイズ。主人公、スージーを殺してしまう隣人を演じるのはスタンリー・トゥッチだったが、髪型と、口ひげの金髪に違和感があったが、絶対にどこかの映画で最近見たことがあるはずだと思っていたが、結局思い出せず。帰ってきて調べると、なんと『プラダを着た悪魔』と『ジュリー&ジュリア』でメリル・ストリープと共演した男優。そう、それらの役では禿げだし、口ひげも黒い。こういう一癖あるやくは似合いますね。さて、内容ですが、ファンタジーものの監督らしく、悲しい物語ではあるんだけど、ファンタジー的要素を含み、明るい雰囲気の画面も少なくありません。実話がもとになっているわけではないようですが、事件解決へと迫っていくようなサスペンス物語にはなっていない。幻想的な要素を多分に含みながら、現実の出来事の進行はきわめてリアリティを追及している、そんな物語。だからこそ、映画画像としてはさまざまな要素が含まれていて、135分の上映時間を飽きさせない仕組みがなされています。そうそう、もう一つ忘れていけないのは、スージーの祖母役で登場するスーザン・サランドン。どぎつい化粧に酒・タバコ呑み。悲しみに暮れる家族に土足で入り込むような役どころ。彼女の存在も本作では重要ですね。

映画館を出た頃には雨が雪にかわっていました。

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充実の週末

1月28日(木)

渋谷7th floor
直前まで迷っていたが、夫婦揃ってair plantsを聴きに行くことにした。自宅で夕食の用意をしてもらっておいて、帰宅して一緒に食べ、渋谷に出かける。思っていたより早く到着し、開場まもない時間にお店に入る。この日の恋人は一応air plantsのカメラスタッフ。まあ、私はのんびり後方のソファに座って、赤ワインをくゆらしながらの鑑賞。そんなに長いステージではありませんでしたが、2月9日のmotion blue YOKOHAMAでの単独ライヴに向け、リハーサルを重ねているという3人。新曲も増え、なかなかいい感じです。
shroeder-Head:この日は2組のみということで、こちらは渡辺シュンスケ氏率いるピアノトリオ。シュンスケ氏も歌わずに、インストゥルメンタルです。なかなか男臭い感じの音で、たまに聴くには新鮮でよい。
19:30の開演でしたが、2組ということで22時前には終了し、終演後に2人でもう一杯ドリンクを注文し、橋本 歩さんとソファでゆっくりお話。

1月29日(金)

渋谷シネクイント 『(500)日のサマー
予告編を初めて観た時から、絶対観たかった作品。作品名のサマーは女性の名前。この女性を演じるズーイー・デシャネルは、ジム・キャリー主演『イエスマン』でヒロインを務め、その時にすっかり気に入ってしまった。一方、主演でサマーに恋する役を務めるのはジョセフ・ゴードン=レヴィット。こちらも、それほど出番は多くなかったが、『セントアンナの奇跡』に出演していた。この映画ではそれほど若い印象ではなかったが、本作ではまさに青春恋愛映画に相応しい2人。もともとこの手の映画は大好きなのですが、この俳優2人がお似合いでたまらない。私好みということで勝手に人気と決め付けて平日の早い時間に夫婦で観ることにしたが、意外に空いていた。
タイトルは原題をちょっと逆さまにしてそのまま訳したものだが、主人公がサマーという女性と過ごす500日、とも取れるし、彼にとっては彼女と過ごした季節は500日であろうとも「サマー=夏」ともとれる。ちょっとネタバレ入りますが、実際は500日というのは、出会った日が1日目。別れた日が500日目ではなく、別れるのは300日目付近。サマーを忘れられず主人公が悶々と過ごすのが200日あり、ようやく吹っ切れて次の一歩を踏み出すのが501日目、という次第。物語の展開ははじめの方はなかなか慣れない。つまり、1日目から500日目までを順にたどるのではなく、日付が前後してスクリーン上に登場するのだ。付き合うまでのドキドキの日々。付き合っている間の幸せな日々。その間も時折訪れる危機的な状況。別れた後の悶々とした日々。それらが交互に繰り返されるのだ。だから、2人の恋の進展の概要をつかめるまではちょっとのめり込むのは難しい。なので、前半は「ちょっと期待しすぎたかな?」と思ったけど、後半は予想とは違った展開でやはり十分に楽しめた。なんといっても、やはりこの主演の2人はまさにこの作品にぴったりで、魅力も存分に魅せてくれたし。そして、こういう男目線の物語はたまりませんな。日本映画でいえば『シュガー&スパイス』的な雰囲気。でも、女性的にはどうなのだろうか?

ここからは恋人と別行動。私が高橋ちかのチケットを購入してしまったのだが、実はイープラスの先行予約でビューティフルハミングバードのチケットも取っていたのだ。後者をmixiで売りに出していたものの、引き取り手がなく、恋人に行ってもらうことにした。ということで、彼女は新大久保、私はお台場へ。
お台場メディアージュのなかにあるレストランがライヴ会場。開演は20時なのに、開場は18時。18時過ぎについてしまったので、ちょっとお店をのぞいたらまだオープンしていないし、待っている人もいない。とりあえず、メディアージュのなかをウロウロ。まあ、平日だけど人はまばら。魅力的なお店も少ない。GAPで時間をつぶす。今年の冬にGAPで長袖Tシャツを2枚買ったが、そのうち1枚はかなり気に入ってよく着ている。これなら複数枚もっててもいいやとおもったのがセール時期。残念ながらそれはどこでも完売だった。気に入らなかった方はけっこう余っていたけど。すると、新作でそれと似た感じのものを発見。ついでにズボンを見ると、けっこう気に入ったのがあったが、私に目をつけている店員さんがいたので、その場で買うことは断念。でも、買うんだったら早めにしなきゃ。そうやってさんざん時間をつぶしたが、まだ19時前。観念してお店へ。

お台場cafe gigi 高橋ちか
お客さんはそれなりに入っていて、最前列はほぼいつものメンバーたちに埋められていましたが、ちかちゃんと個人的に関係がありそうな年配の方々が中ほどから後方に。私は前列のテーブルの一番後方に座る。ここでシードルとチキンカレーを食べ、後はレポートの採点をしながら過ごすと、20時はすぐだった。100人ほどは入る、意外に大きなレストランでしたが、お客さんもけっこう入っていて、ほぼ満席。いつもの7th floorだったら立ち見も出たかもしれません。女性客も多いです。
さて、この日はフルバンド編成。いつもの女性パーカッション松本ちはやさんに、ベースのあがつまさん。それにキーボードとドラムス。なんとドラムスは只熊良介氏だった。さすが、女性ヴォーカルにはもってこいのドラマー。それぞれがとびぬけてどうだっていうメンバーではないですが、ちょうどよい具合にちかちゃんの歌声を引き立てる、素晴らしい演奏でした。本当にこの日のライヴは彼女の意気込みを感じさせるものだった。まず、まあ私自身が彼女のライヴにそう頻繁に行っているほうではないのですが、MCで知らないことをいろいろ聞けたこと。彼女はまずギターが大好きで、彼女の音楽人生の始まりはギターだったということ。そして、以前にケーキ職人として働いていた経歴のあることは知っていましたが、それが3年。そして、それを辞めて音楽を始めてから3年。今年が4年目だということ。今年はCD製作の意欲を強めていて、ほとんど毎回のライヴで演奏している彼女の代表曲(1stアルバムのタイトル曲でもある)「present」を演奏しなかったこと。半分以上はCD化されていない曲だった。それがなかなかいい曲で、しかもこの日はヴォーカルの安定感も素晴らしかった。基本、ニコニコ表情の彼女ですが、歌っているときの表情がまたいいんです。音楽に真摯な姿勢が現れている、大人の女性です。いやいや、そういうことで改めて高橋ちかの魅力を確認するライヴでした。

1月30日(土)

この日は恋人と、友人と3人で過ごす。その友人がOLYMPUSのデジタル一眼PENを購入したということで、撮影会を兼ねて谷中散策。ついでに谷中ボッサでランチライヴがあります。日暮里駅で待ち合わせて、まずは谷中ボッサに程近い、銭湯ギャラリー「SCAI THE BATHHOUSE」へ。この日も素敵な展示でした。そして、さっそく谷中ボッサでランチ。さすが、土曜日ともなれば満席。席が空いているうちに陣取って、ライヴ開始まで居座る。一旦、ランチのお客さんがはけて、われわれだけになりましたが、またライヴの時間が近づいて満席に。

谷中ボッサ 行川さをり
この日は行川さをりさんのライヴ。伴奏のギタリストは高田泰久さんといって、ガットギターなんだけど、なんと弦が7本あります。そして、われわれの席の隣に、アルトサックスとテナーサックス、フルートにクラリネットを持った男性が入ってきたのだが、なんと飛び入りとして演奏に参加。しかも、ビール呑みながらの演奏です。完全生音でやはりさをりさんの歌声は素敵だった。でも、正直いうとやはり前原さんのギターの方が彼女の歌が映える気がする。そして、飛び入りのフルートとクラリネットも、音はそれなりだが、指使いはイマイチ。やはり本職はサックス奏者なのだろうか。全部で3ステージあったが、1ステージでお店を後にしてわれわれは千駄木方面に撮影散策。

上町夏椿 三留 司「アクセサリーと小さなオブジェ」展
千駄木から地下鉄に乗ってそのまま小田急線で経堂まで。経堂から歩いて20分というギャラリーに三留さんの個展を観に行く。三留さんは一十三十一ファンということで知り合った友だちだが、金属アクセサリーの作家さんでもあるので、われわれの結婚指輪を作ってもらったのだ。昨年末に葉山でも個展があったのだが、世田谷の方が夫婦揃っていけるということで、新年の挨拶も兼ねて。夏椿というギャラリーは普通の一軒家。基本はいろんな陶芸作家さんの作品を展示販売しているようですが、その一室を借りて、三留さんの展示。お客さんはけっこう来ていて、しかもけっこう売れています。私は三留さんに教えてもらってTICAを知ったわけですが、最近CDもろくに買っていないという彼女のためにTICAの新譜を持っていったらかなり喜ばれた。

ここで友人と別れて、われわれは上町から世田谷線に乗って山下で下車。小田急線豪徳寺駅に乗り換える前に駅前の居酒屋で定食をいただく。小田急線に乗って下北沢へ移動。

下北沢sugar ヤマカミヒトミ×平岡雄一郎
ここでも投げ銭制のライヴがあるということで、バーへ。ここは以前、hitme & miggyの時代からライヴをしているヤマカミヒトミさんが平岡雄一郎さんとのデュオで久し振りにライヴ。開演時間の20分ほど前に到着すると、まだ誰もいない。テーブル席に座り、恋人が赤ワイン、私がアイリッシュ・ウィスキーをいただくが、彼女がマスターとお話がしたいといって、カウンター席に移動。どうやら、このお店とマスターが気に入ったようです。なんでも、マスターはおじいさんの代から使っているというライカのカメラを持っていた。
そんなこんなでライヴ開始時間20時前になって、お客さんもボチボチ入ってきて、演奏者たちもようやく戻ってくる。この日のhitmeさんはなかなかシックで素敵。人生最長の長髪かもしれないというストレートヘアも大分馴染んできました。まあ、そんな外見の話はともかく、やはりこの2人はすごかった。昼間のライヴもギターとフルート、そしてブラジル音楽が中心だったが、こちらもブラジル音楽中心にギターとフルート・サックス・ピアニカ。でもまったく心地よさが違うのだ。しかも、単に心地よいだけではなく、心地よいリズムが体内で共振し、血の巡りが良くなるような、そんな感じ。もちろん、お客さんたちの盛り上がりも違います。1stセットで帰る予定でしたが、恋人もすっかりこのお店と音楽に酔いしれている感じ。全部聴いて帰ろうか、という話になったが、逆に心地よすぎてお酒が進んでしまう。そうなると翌日にもお財布にも影響するということで、お店を後にすることにしました。といっても、本当に1stセットだけで十分に満足できる演奏でした。

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Cultural Geography

Don Mitchell 2000. Cultural Geography: A critical introduction. Oxford: Blackwell.

ドン・ミッチェルは米国の文化地理学者。1980年代に「新しい文化地理学」なるものが提唱され,その後,人文地理学においても「文化論的転回」なるものがあったりして,地理学のなかでも文化地理学はかなり熱い分野だといえる。またそのなかでも,ミッチェルは若い世代で,「新しい文化地理学」を主導した前の世代の仕事を批判しながら新たな方向性を理論と実証の両面で推し進める重要な人物である。
彼が積極的に学術雑誌に論文を発表しだしたのが,私が大学院に進学する時期だったので,妙に気になっていたがあまり読まず。ようやく,1995年の「文化なるものは存在しない」という過激なタイトルの論文を読んだが,その後日本の地理学のなかでも急速にミッチェルへの注目が高くなる。その論文を含め,数本の論文を森 正人氏が『空間・社会・地理思想』に翻訳し,地理学者が招待して来日まで果たす。かといって,日本の地理学者で翻訳以外に彼の研究を積極的に取り上げる人もいなければ,彼流の研究をする人もいない。当たり前のように、竹内啓一氏が『駒澤地理』に本書の書評を書いたくらいだ。
まあ,ともかくミッチェルは私の好きなコスグローヴのような英国文化地理学者の表象分析はお好きでないようなので,私もミッチェルに対してはあまりいい印象はない。ただ,本書はたまたま紀伊國屋書店の洋書コーナーで発見してしまったのでやむを得ず購入したまま現在まで置いておいたしだい。たまにどんなことが書かれているのかペラペラ目次を眺めてみるのだが,隠喩についての章もあるし,景観についても書かれているし,場所placeの概念もが章のタイトルに使われている。まあ彼の批判の内実も知らなくてはいけないし,ということでやむなく読み始めた。英語で300ページ以上あると読み終わる頃にははじめの方に何が書かれていたかすぐに忘れてしまうので,読み終わる前に書き始めることにしよう。

第Ⅰ部は「文化の政治学」と有体のタイトルで始まる。冒頭の「文化戦争culture wars」の話はさっぱり。本書の表紙にも「culture wars」と名づけられた絵画作品が使われている。これはロン・イングリッシュというアーティストの1997年の作品だそうで、ピカソのキュビズム作品をパロディー化し,人物をすべてディズニーのキャラクターに置き換えた図柄になっている。私は人文・社会科学の抽象的な議論であれば英語でも結構読めるのだが,時事問題など具体的な説明はさっぱりわからなくなってしまう。それは英語の聞き取りでもそうだ。日常的な会話文はさっぱり聴き取れない。
その導入部はたぶん読者の身近な話題から入る意味でも重要なんだろうが,私にはさっぱり。それが終わると比較的読みやすくなる。まずは文化概念についての整理があるが,西川長夫『国境の越え方』のような概念の歴史的考察はない。次いで、20世紀初頭の米国文化地理学者カール・サウアーの話になる。最近の文化地理学者は表象へのいきすぎの反省から,物質性を再主張する。といっても,かつてダンカンという米国の地理学者がサウアー流の文化地理学を「文化の超有機体説」といって批判したように,サウアーをもう一度再評価するってのはミッチェルだけではないだろうか。そして,もちろん話はそのダンカンによる批判と,それとは別に英国で登場した「新しい文化地理学」についての説明へと展開する。ここではさほどそれらに対する批判が強く主張されるわけではなく,あくまでも教科書的に解説される。それにしても,ミッチェルはかなり過剰文脈主義だということが分かる。サウアーについての解釈を、サウアー自身の生い立ちや彼が教育を受け,研究者として過ごした時代背景に論拠を求めながら説明するのだ。まあ,そのやり方は他に選択肢を許さないような決定論的ではないが,どうにも私には判然としない。じゃあ,あなたのその考えそのものもあなたの生い立ち,教育,研究暦,その時代背景から決定される唯一のもので,あなたにしか正しいものではないのではないか,と。2章ではカルチュラル・スタディーズの説明も若干あるのだが,そこでも冒頭に導入として身近な事例がでてくる。それはなんと,セックス・ピストルズ。ミッチェルはけっこう好きみたいですね。その後なんどもセックス・ピストルズの話題が出てきます。そして,それについて全く知らない私にとっては意味不明。
3章は「諸価値から価値へ,またその逆:文化の政治経済」と題され,文化のマルクス主義的な捉え方が強調される。行き過ぎた表象分析は「テクスト以外のものはない」などと主張していたが,そうした表象分析の対象となる文化テクストは経済的な土台がないと成立しないということだ。ここでイデオロギーの話も出てくるのだが、この辺もけっこう私には分かりにくい。人類学者ジェイムズ・クリフォードの概念として「クリティカル・インフラストラクチャー」というのを用いているが、いまいちよく分からない。政治経済学の話もいいけど、その認識論としての史的唯物論、あるいは文化的唯物論の分かりやすい説明はどこかにないのか。
第Ⅱ部は「政治的景観」と名づけられ、冒頭でミッチェル自身が育ったペンシルヴァニア州のジョーンズタウンの話がある。かつては鉄鋼業で栄えた街が、廃れてしまう。そして、現在ではその過去の産業遺物を博物館化し、という話はよくあるが、全米的にはこの街は大規模な洪水で知られるとか何とか。その後はけっこう他人の研究の紹介が続く。まずはサウアーの文化景観の話があり、続いてケイ・アンダーソンという地理学者が長年研究している北米のチャイナタウンの話。続いて、デイヴィド・ハーヴェイのパリのモニュメントに関するかなり古い論文の話。この論文の日本語訳は千田 稔氏が当時の奈良女子大学の学生を使って訳させた『地図のかなたに』という翻訳論集のなかに収録されている。それを発展させたハーヴェイの近著『パリ』も翻訳が出た。そして、最後にコスグローヴやダニエルズによる景観表象の話がくる。続く5章は「それによって生きる隠喩」と題されているが、景観の話。ダンカン流の「テクストとしての景観」か、コスグローヴ流の「見方としての景観」かあるいは、劇場や見世物、みたいな、景観をどのように捉えるかという意味での隠喩であり、目新しいところはない。後半にジェンダーの話が出てきて、ショッピングモールの話につながり、ジョン・ゴスの研究が参照される。その後に「調整形式としての景観」と題され,ちょこっとだけ,フランスのレギュラシオン理論との関係が論じられる。非常に中途半端。それにしても、彼の景観概念がドイツ概念を取り入れた米国文化地理学を基礎にしているため、それをわざわざ「景観」と呼ぶことにどれだけの意味があるのか、という箇所がけっこうある。地域や場所といった概念でも特に問題はないのではないだろうか。そういう意味でも、私は景観を視覚的画像に限定した(そこにはその画像を読み解く人間主体の認識も含むのだが)コスグローヴやそれをさらにフェミニストの立場から批判するローズの議論の方が分かりやすくて好きだったりする。でも、ミッチェルもローズの議論はかなり好きなようです。
第Ⅲ部は「文化政治学」と題され,前半は「抵抗」について天安門事件が登場し,パンク音楽,ドルボールのスペクタクル批判と続く。そういえば,ド・セルトーの有名な「戦略」と「戦術」についても論じられてたかな。第Ⅲ部の後半は性とセクシュアリティに議論が集中している。特に,サンフランシスコのゲイ・コミュニティについては詳細に説明されている。本文中にも出てくるが,この辺は映画『ミルク』を観ていたので,比較的分かりやすい。ミルクとは実在したゲイ政治家,ハーヴェイ・ミルクのこと。そうした、同性愛男性コミュニティの話から、今度はレズビアンへ、そして最後にはAIDSの話でとりあえず締めくくる。レズビアンの話から、8章はフェミニズムの議論に移行する。建築空間の事例や、社会運動の事例を通じ、男性と女性の性差を空間と活動の公/私に結び付けたがる社会の仕組みを批判するためにフェミニズム地理学はある。さらには、男と女という区別だけではなく、男らしさと女らしさにも議論が拡がり、この章の最後には上の景観のところでも書いてしまったが、視覚景観を眺める男性的視線を批判するローズの議論がかなり強調して取り上げられる。
そこから話は9章で人種へと移っていく。かつての文化地理学の教科書には必ず、世界の人種分布図が掲載され、環境決定論も含め、人類がいかにその地域の気候条件と呼応しながらその身体的特徴で分類できるのか、ということが研究テーマだった。もちろん、いまではそんな図は中学校の地図帳ぐらいでしか見ることができないもので、学術的に人種という概念が通用しているわけではない。しかし、ポピュラーサイエンスや一般的な社会通念ではまだまだ人種による人間の区別という発想は息づいていて、それらを地理学者としてきちんと論じているのは珍しいのかもしれない。本書のなかでもこの章は一番勉強になる。今日でも一般書としては人種差別を正当化するようなものがあるようで,その一冊,Herrnstein and Murrayの『ベル・カーヴ』(1994)という本が検討される。このヘアンスタインというは恐らく邦訳『IQと競争社会』の著者であり,ベル・カーヴとは正規分布のグラフの形状を指すらしい。つまり,この本は知性というものをIQのような数値化することによって,知性が人種のような人間の自然的特徴によって異なってくることを科学的に証明しようとするものらしい。当然,賛否両論の論争が起こったという。もちろん,人種差別を助長するようなものだから,反対意見のほうが多い。でも,もちろんといいながらも,日本では『話を聞かない男,地図の読めない女』なんて本がまかり通る(といってもこれも翻訳だが)くらいだけど。そんな大衆的な本から,その「人種差別的な地理学」を読み解くってのはなかなか面白い。そこから南アフリカのアパルトヘイトへと議論は進む。
10章はまた古典的な国民とナショナリズム,アイデンティティを取り上げます。ここも意外に素朴な観点からが逆に興味深い。そして,冒頭にはローズも英国オープン大学の教科書でとりあげたイングリッド・ポラードの写真を分析する。そして,ドイツの事例。これも同じオープン大学の教科書に20世紀を通じて領土を拡大縮小を繰り返していたドイツの国民アイデンティティに関する解説。そして,最近カステルなどが現代社会を捕らえるために使っているフローの概念や脱領域,ネットワークなどの概念,そして最後にはマッシーが使った「権力の幾何学」などの概念を用いながら,グローバル化の現代社会における国家とアイデンティティの関係について考察する。最終章は結論だが,最後に「正義」の問題を取り上げます。正義と対になるのが「権利」。結局,これらの問題を論じる社会科学者のアクチュアリティも同時に問われるわけですね。

ところで,本書はもうAmazonではひっかかってこない。当然,私がこのblog以外に書評記事に関してはアップしているブクログにもありません。読むまでに9年かかりましたが,買っておいてよかったかも。

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