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つくられた自然

富山太佳夫編 2003. 『岩波講座文学7 つくられた自然』岩波書店,265p.,3400円.

最近、人文地理学のなかで「自然」のテーマがかなりホットだ。私も以前からこのテーマには関心があって、2001年の論文でもちょっとそうした人文地理学における自然論を紹介したことがある。でも、もちろん他のいろんな分野で論じられる「自然」は範囲が広すぎて、その語を関した本が必ずしも私の感心にあうとは限らない。しかし、本書は私の好きな富山氏の編集だし、目次を見ても、知っている著者は田中優子だけではあったが、かなり興味を惹かれ、私にしては珍しく新刊で買ってしまった。やはり書物とも一期一会があり、機会を逃すとそのまま記憶から消えてしまうこともある。本書を読み終わった今、本書は本当に買ってよかったと思える内容だった。この種の講座ものは基本的に嫌いだし、論文集というものが成功することはそれほど確率的に大きくない。さて、そんな感じで私のお気に入りの一冊になったので、各章を丁寧に紹介したい。本書は3部に分かれている。

まえがき  富山太佳夫
まえがきといえども、はじめから学説史的な話をしないのが富山氏らしい。英文学の小説の挿絵に描かれたちょっとした風景が,実はある理由をもってお決まりのレイアウトになっているというさりげない指摘。本書に納められた諸論文を読めば,このまえがきに気負った能書きのような理論的な話など要らないのだ。
〈自然〉の歴史
1 日本近代の風景論――志賀重昂『日本風景論』の場合  亀井秀雄
志賀重昂の『日本風景論』(1894年)の諸事情については地理学でも荒山正彦氏などが紹介していて,明治期日本のナショナリズムの高揚との関係についてもよく知られている。しかし,本章はその流布された議論を批判的に見直す。しかし,志賀自身はもともと国粋主義には批判的な思想を持っていたという点や,『日本風景論』がなぜ当時,そして現代まで多くの人に読まれているのかという点にこだわり,著者はより詳細なテクスト分析を,もちろん当時の学的な,あるいは社会的なコンテクストともに読み解いている。2010年度の法政大学の講義では前期に「景観」を,後期に「場所」をテーマにしようと思っていて,『日本風景論』の話もする予定なので,とても勉強になった。といっても,まだ『日本風景論』自体を読んでいないのだが...
2 江戸の自然  田中優子
田中優子氏はそれこそテレビなどにも出演する有名人だが,私は高山 宏氏と親しいというところから知って,『江戸の想像力』を驚きをもって楽しんだのだ。そう,以前から書いているが,私は日本史が苦手。せいぜい近代期がぎりぎりで,近世になるとまったくついていけない。そんな私に『江戸の想像力』は日本史の楽しさを教えてくれた。そんなこんなで,本章もとても楽しい。冒頭から,なぜ松尾芭蕉が斬新なのか,という身近な事例から始めてくれて,江戸時代の人々にとっての自然とは何だったのかを色んな角度から教えてくれる。
3 『源氏物語』の自然――カノンからの離陸  河添房江
引き続き,時代は遡り,『源氏物語』までいってしまうのだが,そこは心配いらない。本章は『源氏物語』がいかにその後の歴史を通じて,中世日本文学のカノンとして扱われるようになったのかということを明らかにしようとするものである。またそれは同時に,その『源氏物語』解釈によって,人間と自然の融合的な関係が日本人独特のものであるという固定観念を生み出したのか,ということを明らかにするヒントとなる。具体的には,時代時代の『源氏物語』研究が概観されるのであって,それが非常に興味深い。
〈自然〉を描く
4 自然のテクスト化と脱テクスト化――ネイチャーライティング史の一面  野田研一
ネイチャーライティングとはアメリカ文学独自のジャンルのようだが,以前からその概要だけでも知りたかった。でも,どこから入ればよいのかも分からない状態だったので,本章はとてもありがたい概説となる。ネイチャーライティングという呼称ができる前に,後のネイチャーライターの礎となるべき存在がラルフ・W・エマソン。このくらいは名前を聞いたことがあります。そして,エマソンの思想に基づいて,ネイチャーライティングの実践に移すのがヘンリー・D・ソロー。ソローの実践を「自然のテクスト化」と著者は呼びます。そして,最後がソローの実践を批判的に継承していくエドワード・アビー。その戦略を「脱テクスト化」と呼んで整理する辺りは非常に分かりやすくてよい。ちなみに,エマソンはもちろんのこと,ソローもアビーも日本語訳があるようなので,うれしいですな。そして,本章で紹介される文献のなかに,アラン・ロブ=グリエの小説論があってびっくり。これまた翻訳も出ているし,面白そう。
5 女としての自然  石幡直樹
自然を女性とみなすという言説についてはそれなりに論じられているので知っていることも多いが,圧倒的な文学的博学で議論が展開されるので,学ぶこと多し。
6 崇高の10年――蘆花・家庭小説・自然主義  藤森 清
本章と次章は扱っている素材の違いによって部を跨ぐが,双方とも「崇高sublime」を論じていて実は思わぬ収穫だった。ちょうど,3月に学会発表をするために,田沼武能写真の研究を再開しているところなのだが,どうやらアンデス地方の写真の分析に「崇高」概念が有効なのではないかと,本書を読んで思いついたのだ。そもそも,私は2000年の『人文地理』の「学界展望」で「文化地理」を担当させてもらって書いた文章で,1999年に再販されたエドマンド・バーク『崇高と美の観念の起源』を取り上げて,景観研究の基礎文献と紹介したのだ。しかし,その後は特にこの本を取り上げて研究に活かすような機会はなかったのだが,まさにその時が今回来たということだ。これはかなり嬉しい。ちなみに,日本の近代小説を論じた本章では,サブライム概念の日本での受容について論じている。日本の近代小説は,当然当時の日本社会全体と平行した経過を辿る。つまり,ヨーロッパ留学を経験した知識人たちが帰国して小説家になる。そして,用語や形式の輸入から始まり,作品制作を続けるうちに「日本文学」なる国民文学が成立していく。その過程についての研究はいろいろあるが,本章はサブライムという概念からその過程に新たな視点を提供しているといえる。
〈自然〉の用法
7 崇高とピクチャレスク  大河内 昌
本章はもちろん,バークの議論について考察してくれるのに加え,それに対し,その後の人たちが崇高と美というものをどう捉え,その過程でピクチャレスクという具体的な図的表象作用を伴う美的価値観の生成について論じている。今では具体的に思い出せないが,私が景観論の基礎文献としてバークの本を知っていたという事実自体が,どこかでそんな議論を読んだことがあるということだ。まあ,多分地理学者のコスグローヴかダニエルズだと思う。もちろん,ピクチャレスクも崇高も,この2人の地理学者が研究している「景観」という実在物とおおきく関係しているのです。
8 ペットワースのターナー――農業改良と風景の政治性  アラン・ハウキンズ
そして,次なる章の著者ハウキンズはこの2人の地理学者と仲の良い,英国の美術史家(本書の著者紹介には農村文化史となっている)であり,本文中にもコスグローヴとダニエルズの名前は出てくる。そして,実写的な絵画から印象派の先駆け的な風景画を多く残したJ.M.W.ターナーの作品のうち,ペットワースという領土に関わる作品群を取り上げる。それらの作品は,いかにもターナー的な風景画にしかみえないが,著者はそこから,ペットワースの領主であると同時にターナーのパトロンの一人でも会ったエグレモントという人物を,彼のその領土における農業改良やさまざまな社会活動とともに解釈する。この手法がいかにもやはりコスグローヴやダニエルズ的で面白い。
9 「写生」と「歩行」  武田信明
この章も思いかげず収穫のあったもの。「歩行」についてはオースター『ガラスの街』でいろいろと考えている問題。夏目漱石の初期の作品の冒頭が必ずといっていいほど主人公が歩くシーンから始まっているという。他にも,国木田独歩の『武蔵野』はまさに歩き回りながら武蔵野の風景を眺め,記述する作品なのだという。そして,歩くことが物語に時間の流れを生み出し,それが物語の時間的流れにもなっていくという。そして,タイトルにもなっている「写生」とは文学における自然主義とも関係するが,それを冒頭の漱石作品の特徴と対比させる。初期の作品とは対照的に,それ以降の作品では主人公は歩行をしない。そんな考察はもっとじっくり読み込むことで,『ガラスの街』分析にもいい枠組みを提供してくれるだろう。
10 動物と戦う、動物を食べる  折島正司
最後の章もアメリカ文学の事例だが,タイトルどおりかなりグロテスクだ。ヘミングウェイ作品を私は読んだことがないが,『老人と海』は個人としての主人公が巨大魚と格闘する物語だという。その他にも「動物を狩る」,「動物を殺す」,そして最後の「動物を食べる」と読むにつれて,映画『イントゥ・ザ・ワイルド』を思い出す。やはりアメリカ文学特有のジャンルなのだろうか。
まあ,そんな感じであとがきはありませんが,非常に多彩ながら,全体的にレベルの高い,そして私の個人的な研究にも結びついてくる貴重な読書体験でした。

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