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クロノス・エロス・タナトス

マリー・ボナパルト著,佐々木孝次訳 1968. 『クロノス・エロス・タナトス――時間・愛・死』せりか書房,231p.,750円.

マリー・ボナパルトはフロイトと直接親交もあった精神分析研究者である。本書には「サド・マゾヒズムの精神理学的考察」(1951),「エロスの本質的アンビバランスについて」(1948),「無意識と時間」(1939)という3本の論文が収録されている。なぜか発表された年次とは逆の順序になっているが,私的には前の論文ほど興味があるものだった。本のタイトルは副題と一致している。どれもギリシャ神話に出てくる神の名前だが,クロノスは時間を,エロスは愛を,タナトスは死を象徴している。そして,3本の論文はそれぞれが,この3つの概念のうち,2つと関わりがある。
フロイトの精神分析は人間心理をほとんど性の問題として論じるところにその特徴があるので,本書も特に一番目の論文を中心に性の問題が論じられる。つまり,エロスとは愛である以上に,現代のわたしたちが意味するエロスである。サディズムとマゾヒズムについては,前にもどこかで書いたような気がするが,それぞれはマルキ・ド・サドとレーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホという作家の作品に起因している。まあ,サドはそれなりに有名だが,私も含めどれだけの日本人がサドを読んでいるのだろうか。読んだこともないのに,軽々しく人間をSとMに分けるやり方はどうにも気に入らない(まあ,血液型で性格を分けるのと同じ原理なのだろう)。しかし,その発想の根源はフロイトにあるらしい。第一論文は,そんなフロイトによるサディズムとマゾヒズムの軽々しい使用法を見直そうというものだ。そもそもフロイトはクラフト=エビングという人の説をそのまま使っていたらしい。といっても,基本的に著者はフロイト信仰者だから,サディズムとマゾヒズムによって性的倒錯を説明することを根本的に批判しようというのではなく,補足しようとしているのだ。しかも,その議論を深めるのは当のサドの作品からの引用で事足りるのだ。サドの作中人物が単なるサディストなのではなく,作品そのものが人間の本質としての性的倒錯的傾向についての哲学的考察なのだという。もちろん,著者独自の論理によっても考察が進められる。つまり,サディズムにしてもマゾヒズムにしても,暴力的な性的倒錯を性的快楽へと変換する心理というのはタナトス,すなわち死への志向である。
そして,それに関連して第二論文。愛や性的快楽というのは一般的にいえば生への志向を持つはずだ。しかし,場合によってはサディズムのように,性的対象を死へと近づける行為によって快楽を得るという逆説的な感情を私たちは有している。この論文の中盤から段々私は興味を失っていく。そして,最後の論文。訳者がなぜこの論文を発表順とは逆にして最後に掲載したのかについては理由が書かれている。つまり,それは完成された論文というよりはレジュメに近いものだからだという。確かに,ページ数は多いのだが,かなり断片的にいろんなことが書かれているように思う。最初のほうはフロイトの無意識概念を解説することも含めて,「無意識は時間と無関係である」というテーゼを説明する。例えば,理性を手にする前の幼児にとっての時間は,無意識と時間の関係と類似している。そして,人間にとっての時間は,人間が他の動物とは異なり,自らが死すべき存在だということを意識しながら生を営んでいるということだ。しかし,論が進んでいくといつのまにか無意識の問題は登場しなくなり,一般的な哲学的時間論者として,カントやベルグソンが登場する。それはそれで面白いのだが。
まあ,とにかくサディズムとマゾヒズムに対するモヤモヤした感覚が本書ですっきりしたかな。

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