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ポストコロニアリズム

本橋哲也 2005. 『ポストコロニアリズム』岩波書店、232p.,円.

たまたま古書店で見つけて購入。最近、私は写真家田沼武能のアンデスとカタルニアに関する写真集の分析をした論文を書いている。この2つを結びつける何かを考えていたところ、コロンブスの大西洋横断を発端とする、その後のスペインによる南米支配だというところに行き着いた。田沼が撮影のためにおもむいたアンデスの遺跡たちはスペインの入植者たちによって滅ぼされた帝国の残骸である。一方で、カタルニアはスペインの一地方。しかし、実はこの同じ時期にスペインでは国家統一がなされようとしていて、コロンブスがカリブ海の島に辿り着いた1492年に、カスティリア語の文法書が発行され、これによって、スペインはカスティリア語を標準語とする。そのことによって、一地方だったカタルニアでは、カタルニア語やその民衆文化を抑圧される。つまり、田沼が追い求めるのは、グローバル化の波によって破壊された土着の文化であり、風景であるといえる。私もコロンブスまでは気がついたのだが、この1492年の重要性については、ちょうど先日読んでいた、本橋氏の『映画で入門カルチュラル・スタディーズ』で知ったのだった。本書はこの議論をもっと推し進めたものだといえる。もちろん、岩波新書の一冊だから学術研究者に向けられたものではないが、それでも基本的な歴史的知識に疎い私のような者にとっては十分刺激的な本である。目次はこんな感じ。

第1章 1492年、コロニアルな夜明け
第2章 「食人種」とは誰のことか――カニバリズムの系譜
第3章 植民地主義からの脱却――フランツ・ファノンとアルジェリア
第4章 「西洋」と「東洋」――エドワード・サイードとパレスチナ
第5章 階級・女性・サバルタン――ガヤトリ・スピヴァクとベンガル
第6章 「日本」にとってポストコロニアリズムとは何か

第1章はそんな感じで、ヨーロッパでも当時の先進国、スペインにおいて同時期にさまざまな分野で近代への移行がなされるという事実は本当に興味深い。そして、第2章についてはトドロフ『他者の記号論』、ヒューム『制服の修辞学』、グリーンブラット『驚異と占有』などで学んだはずだったが、「カニバル」という語自体、コロンブスの発明品だったとか読み落としていたこともあるし、中南米植民地化の話だけではなく、その後の帝国主義の時代に「食人」というのがさまざまな言説で利用されたという点なども勉強になった。やはりモンテーニュの文章は読まなくてはならない。
そして、第3章以降は、1章に1人ずつ、ポストコロニアルの重要な論者が紹介されていく。まずはファノンだが、私も『地に呪われたる者』は一応読んだのだが、はっきりいってほとんど理解することができなかった。本書を読んで,それもそのはずというところがあった。やはりファノンの場合には彼がどんな人物で,なぜあのような書物を書かなければならなかったのかということを知らなければならないようだ。機会があれば,もう一度,今度は『黒い皮膚・白い仮面』から読んでみたいと思う。
続いてはサイード。サイードの本は研究書を中心に日本語で随分読んだ。残っているのは,『文化と帝国主義』下巻(上巻が出版されてから下巻まではかなり間隔があいている)と『パレスチナ問題』だけ。しかし,ここではあくまでも思想家のアクチュアリティについて問題とするために,この3人の思想家を選んでいるので,やはり『パレスチナ問題』を読まなくてはいけないと痛感させられる。
一番読んでいて勉強だったのがスピヴァクに関する第5章。スピヴァクは『文化としての他者』をかなり以前に読み始めたものの,あまりにも難しくて途中で挫折したきりなのだ。まずは,「戦略的本質主義」という立場について,著者の簡単な説明で妙に納得してしまった。常日頃から自分自身も含めて,社会構築主義的な,相対主義的な立場に立つと,自分の思想家としてのアイデンティティや立ち位置をどう置けばいいのかという矛盾に直面する。それはサイードのパレスチナ関係の文章を読んでいてよく感じたことだった。学問的には自分が日本人であるとか男性であるとかということは克服できる問題であるのに,グローバル化する学問世界のなかで,日本という社会で生活するという自分の立場を活かした発言をしようと思うと,その辺がひっかかってしまう。でも,そういう本質主義的な立場を戦略的に用いることは十分に可能だと思うし,多くの思想家がそうしているということを簡単に納得できたのだ。これは大きな収穫。そして,スピヴァクがいくつかの社会的活動もしているということを知って,しかもその内容に妙に納得したり。やはりすぐれた思想家はやることもすごい。
そして,なんといっても本書の読みどころは最終章。本橋氏も元は英文学者として研究者アイデンティティをもちながらも,戦略的に自らの日本人という立場を活かして,英国の文学研究やカルチュラル・スタディーズを吸収しようとしている。かつて,植民地支配も経験した日本でこの21世紀に暮らす私たちが考えるべきことは,このポストコロニアリズムという思想の延長線上にいくらでもあるということを考えさせられる。
ともかく,多くの大学生にも読んでもらいたい本。

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