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崇高の美学

桑島秀樹 2008. 『崇高の美学』講談社,254p.,1600円.

講談社メチエの一冊。前にも紹介したが,今回学会で発表した田沼武能の内容をどう面白くしようかと考えているときに,論文集『つくられた自然』で読んだ崇高論がヒントになると思い,調べていくうちに,議論の中心となる概念となることが分かった。一応,メチエの新刊は書店でチェックしているので,この本の存在も知っていたが,日本人によるこの手の本にはあまり期待をしないのだが,この概念について調べるほど,奥深いことが分かって,日本語で読める範囲でも今回の論文で全てカヴァーすることは不可能だと思い,手っ取り早くこの概念の全容を知るために,読むことにした。幸い,本書を読む前に,彼の所属する広島大学のレポジトリで,2本ほど本書にも含まれているような論文を2本読むことができた。すると,美学という日本ではあまりメジャーではない分野(美術批評や美術史はまだ名の知れた人はいるが)の研究者としてかなり優秀であろうことは,1本の論文を読めば分かる。そして,この著者は私と同い年。そして,単著としては本書が初めてというのも親近感を覚えます。
さて,予想したとおり,非常に読み応えのある1冊でした。こういうのがこういう叢書で出されるというのはいいことです。個人的には「ですます」調になっているのは気に入らなかったりしますが,私が読んだ論文も,単に語尾だけを変えて収録されているのではなく,きちんと筋書きを考えて組みかえられているのはすごいと思う。私はいったん世に出た論文を書き換えて本にするのはなかなかできないことだ。
さて,「崇高」概念は近年,フランスの哲学者リオタールによって復活し,流行しつつあるようだ。まあ,近年の動向は後半で詳しいとして,前半は古典的な歴史が押さえられる。私も今回学会で発表した内容を文章化する上でとりあげた,古典中の古典,エドモント・バークの『崇高と美の観念の起原』はバークの生い立ちや,政治的著作との関連も含めて詳細に議論されているし,私は今回読むのを断念したもう一つの古典,エマニュエル・カントの『判断力批判』についても丁寧に検討されている。そして,私は自分の論文のなかで,多少異なった文脈でとりあげた,ゲオルク・ジンメルがまさに崇高論の脈略として登場するのには驚いた。
さて,その辺は私も大まかには知っていたところだが,本書はそこへ導く冒頭の道筋が面白い。著者は幼い頃,無類の石好きだったという。それを個人的な昔話としてだけではなく,歴史的な石ころ好きたちの言説を取り上げながら,それがいかに「崇高」というものと関係するのか,しないのか,という問いかけとして序章が書かれているのだ。
そして,ジンメルが取り上げられたのは山岳美学の代表格としてだが,その議論の延長線上に,近代日本の話に移行するところも地理学者としてはたまらない。あ,その前にジョン・ラスキンに関しても多くのページが割かれているのは,英国の地理学者コスグローヴの『社会構成対と象徴的景観』とのつながりを感じさせる。日本の話が必然的に20世紀へと入っていくので,終章は現代の話となる。
最終章によると,現代アメリカでは,テクノロジーと結びついた「アメリカ的崇高」という概念がよく使われるらしい。その事例は次から次へと紹介され,それらのどこがかつての「崇高」概念とどうやって結びつくのか,思考が追いつかない。ちょっとこの辺りは著者も動向を追いかけるのに精一杯で,それをきちんと紹介するいはいたっていないようにも思うが,そこまではこの本では要求しないし,素材だけでも魅力的なものが十分に提供されていると思う。
そして,最後の最後は私が読んだ論文でも論じられていた内容だが,被爆都市としての「ヒロシマ」について。著者は大阪大学の卒業論文の時から崇高概念にこだわり続けているらしいが,現在は広島大学に勤める。ヒロシマに住むようになって「ヒロシマ」の問題を自らの研究の中心におくようになったのか,かつてから「ヒロシマ」について考えていて,広島大学に就職したのか,それは分からないが,こういうの,私も理想だ。地理学者の場合は自分が勤め,住むことになった場所について片手間に文章を書くようなことがあるが,本書の著者の場合はそうではない。しかも,過去にヒロシマで起こった悲劇を現代において芸術という形でどう伝えていくか,というところが主眼で,非常にアクチュアリティがある研究だと思う。中心に論じられるのは,先日亡くなった井上ひさし氏の演劇『父と暮せば』である。
ともかく,私はたまたま自らの研究として「崇高」に興味を持って本書を読むことになったが,本書にはかなり大きなテーマが潜んでいて,人文・社会科学に携わるものならば読んで損はない作品です。

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