絵画における真理
ジャック・デリダ著,高橋允昭・阿部宏慈訳 1997, 1998. 『絵画における真理 上・下』法政大学出版局,314+384p.,3570+4200円.
デリダの著作を読むのは私のライフワークの一つ。というのはとても大袈裟である。読むといっても,日本語訳だし,彼はもう死んでいるので,これ以上著作も新しく生まれてこない。それでも,彼の本を1冊買うのは金銭的にも大きな勇気であり,日本語でも1冊読むのは私にとって大仕事である。デリダの著書の翻訳は一時期止まっていたように思う。それが,多分,東 浩紀の『存在論敵,郵便的――ジャック・デリダについて』(新潮社,1998)をきっかけに,翻訳化が進み,主著のほとんどが日本語で読めるようになった。本書も原著は1978年に出版されたものだ。
私がデリダを初めて読んだのは『エクリチュールと差異』だったが,正直さっぱり分からずに,彼の文章が地理学研究に役に立つなんて思っていなかったし,もう他の著作を読もうとは思わなかった。それが,たまたま『グラマトロジーについて』を読んで,それが私の研究テーマの一つである「場所の言語的構築」に深く関わることになり,1997年の英文論文に引用することとなった。その後,その続編である,2004年の『地理科学』論文では,デリダの隠喩論を使い,現在進行中のオースター研究ではデリダの翻訳論と『尖筆とエクリチュール』を,今後展開したいと考えている場所論ではデリダのコーラ論を利用する予定。今回も先日学会で発表し,現在執筆中の写真研究のなかで,本書がちょこっと使えそうだ。
本書は,タイトルによれば絵画論。しかし,上巻を読み進めると,『亡者の記憶』の時のような,明らかな絵画論ではない。それは美学論である。ヘーゲルの『美学に関する講義』およびカントの『判断力批判』がその主たる検討対象であり,時折ハイデガーの『芸術作品の根源』にも言及する。「パレルゴン」と題された章では,「エルゴン=作品」の「パル=外」について語る。つまり,絵画論といいながら,その中心である絵画作品自体について語るのではなく,その外部,その縁辺,それ以前について語るのだ。具体的には「額縁」についての議論があるが,もちろんそれ以外の「外部」についても。そして,この「パレルゴン」のなかに,「巨大なるもの」という節があり,ここでカントの崇高論の検討がある。私が最近関心を持っている崇高論。でも,意外にもデリダらしくなく,カントの議論を逸脱して斬新な解釈はなし。ということは,思ったよりも崇高という概念にはそれほどの深みはないということか。
下巻は2つの文章からなる。そのタイトルは,「カルトゥーシュ」および「返却〔もろもろの復元〕,ポワンチュールにおける真理の」というもので,相変わらず目次だけ見ても何が書いているかすら分からない。それでも読んでしまうところがデリダというブランド。前半の「カルトゥーシュ」はポンピドゥー・センターで1978年に開催されたジェラール・ティテュス=カルメルの展覧会「ポケットサイズのトリンギット族の棺桶とそれに続く61の最初のデッサン」の際に書かれたもの。もちろん,デリダの文章にこの作品の詳細が分かるような説明はないのだが,そこに掲載された作品の写真から,棺桶のミニチュアが実際に作られているということ,そして127に及ぶ棺桶のデッサンも作品に含まれていることが分かる。作品のデッサンは12しか掲載されていないが,さまざまな画材で,さまざまなタッチで描かれており,それらには全て日付がつけられている。それらは全て1975年のものだが,それと呼応するように,デリダの断章には1977年11月30日から1978年1月12日までの日付がつけられている。その日付の意味するところは分からない。そして,その文章の内容は極めて作品と関連するものでありながら,それは深すぎて,ある意味では作品から高く逸脱している。まあ,それがデリダらしいのだが。ただし,このカルメルの作品の抽象度と具体性とのバランス具合がデリダの文章と対応しているので,デリダの文章がほとんど理解できないにしても,その読書体験はある意味でとても楽しいものではある。
続く文章は,有名なゴッホによる農夫の靴の連作である。しかし,デリダが直接ゴッホの作品について論じるのではなく,その作品について言及しているハイデガーの『芸術作品の根源』と,ハイデガーに対して批判をしたシャピロという人物の文章とを巡っている。端的にいうと,ゴッホの絵は「古い編み上げ靴」や「短靴」とタイトルがつけられているのだけなのだが,ハイデガーがそれを農夫の靴だと断定し,そこに素朴な農村性を読み取っているのに対し,シャピロはそれは決して農夫の靴ではなく,都会人であったゴッホ自身の靴であるというのだ。それらに対するデリダの意見はこれまた複雑すぎて意味不明なのだが,ある意味ではそんなことはどうでもいいし,ある意味ではそれは単なる所有の問題を超えて根本的な哲学的問題へと飛躍する。そもそも,そこで描かれている2つの物体は本当に対として一人の人間が履く一足の靴なのだろうか,という根本的な問いを立ててみたり。個人的にはデリダがそれについて明白な解説を加えているのではないのだが,マグリットがゴッホの靴の絵をパロディー化した作品など,さまざまな他の絵画作品が掲載されていて面白い。そういえば,「カルトゥーシュ」の最後にも,カルメルによる他の作品が掲載されていた。
ともかく,毎回デリダの翻訳書を読むと,本当に訳者の労力には感服する。
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