« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

2010年7月

30歳台最後の日

7月25日(日)

やはりこの日も暑いので、午前中に歩いて調布まで行き、図書館で涼む。といっても、この日の夜の勉強会のための予習だ。この日は私が担当になっているが、その文献のなかで出てきたもので、翻訳があるものをチェックする。1冊目がジェフリー・サックス『貧困の終焉』という本で、副題には「2025年までに世界を変える」とあるように、非常に希望に溢れる経済書だ。もちろん、ぱっと見ただけだが、冒頭の方で、米国の軍事予算に対して、そのほんの数パーセントを世界の貧困問題に回すだけで世界はよくなっていく、なんてことが書かれていた。至極当然。これだけは本当にどうにかならないものかと思う。そして、もう1冊はノーベル経済学賞受賞者のアマルティア・センの『自由と経済開発』という本。こちらも、論調は似ていて、現代社会では多くの人が貧困によって自由を奪われているという認識に立つ。ここでいう自由とは潜在能力capabilityのことであり、この用語は先日の日仏シンポジウムでセンに触れた中野氏の報告でも出てきた。「地理学」という言葉も出てきたりする。以前の受賞者のポール・クルーグマンも地理学という言葉をよく使っていたから、最近は経済学といってもグローバルで思考し、具体的な問題の解決を目指したようなものが好まれるのかも。
その後、妻の希望で吉祥寺に移動。こういう時は調布駅から吉祥寺駅まで直通のバスがあるから便利。休日なので道路が混雑しているかと思いきや、スムーズに到着。お目当ては台湾料理を食べさせてくれるお茶屋さん、月和茶。飲茶もあるが、この日はランチ。といっても、妻はちまきが食べたいとのことだったが、メニューにはそうした点心的なものは15時以降と書いてある。でも、諦めきれずにお店の人にお願いすると出してくれた。私はランチメニューを、そして2人でお茶をお願いすると、お茶菓子もついてきた。中国茶は何度も抽出することができるので(もちろん、お湯はおかわり自由)、本当にゆっくりできます。念願のちまきはというと、落花生などが入っていて、日本でありがちな五目ちまきとはちょっと違いますね。妻も満足。ついでに、マンゴープリンも。
ちょこっと古書店に寄って、妻とはここでお別れ。私は勉強会の前に新宿で映画を1本観ます。

新宿角川シネマ 『ロストクライム 閃光
数年前に宮崎あおい主演の映画『初恋』で三億円事件を扱ったばかりだが,本作もそう。そういえば,日本航空の墜落事故を扱った『クライマーズ・ハイ』と『沈まぬ太陽』が続けて映画化されたってのもありましたね。本作を観る気になったのは,主演が渡辺 大ってこと。『沈まぬ太陽』の渡辺 謙の息子さんです。最近まで知りませんでしたが,モデル・女優の杏さんは渡辺 謙さんの娘さんなんですね。
東京湾岸の架空の「勝鬨署」に渡辺 大演じる若き刑事は勤めている。その管内で起きた殺人事件。定年間近の捜査一課,奥田瑛二演じる刑事が担当するが,渡辺 大も所轄刑事としてチームに参加するが,この2人が組み,徐々にその事件の奥深さに引き込まれていく。なぜ,奥田瑛二がこの事件に興味を持ったかというと,その被害者が,彼がかつて担当した三億円事件の容疑者の一人だったからだ。といっても,この事件は実行犯の一人の死亡により,お蔵入りした。この作品では,三億円事件は大学生グループによる犯行だが,その犯人が警察関係者の子どもだったという設定。奥田はこの殺人事件をきっかけにして,三億円事件の真相を暴いて刑事人生を終えようという。
でも,正直いうと本当にそんなことで警察が事件をもみ消す必要があるのか。そのくらいの不祥事は現代ではいくらでもあるのに。まあ,たとえ時代からして仕方がないにしても,映画を観るのは現代を生きる人なのだから,この設定ではイマイチパンチに欠けるかな。そして,結局は三億円事件に関わった全員が死んでしまう結末ってのがちょっと無理があるかも。まあ,それはそれとして,渡辺 大君の役どころはなかなかよかったかも。観る前はもっと熱血で真面目で正義に燃えた若者を想像したが,そうでもなく意外にいい加減で,同棲しているのは川村ゆきえ演じる元キャバクラ嬢って設定はなかなか良かった。まあ,そのくらいかな。そこそこには面白かったです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

外の思考

ミシェル・フーコー著,豊崎光一訳 1978. 『外の思考――ブランショ・バタイユ・クロソウスキー』朝日出版社,140p.,800円.

特に理由もないが,続けてフーコーを読むことになった。朝日出版社が1970年代に出していた「エピステーメー叢書」の1冊。この叢書はすごいサイズがちょうどよく,デザインも素敵なので,古書店で見かけると思わず「おーっ」と唸ってしまう。
本書には「外の思考」というブランショ論,「侵犯行為への序言」というバタイユ論,そして「アクタイオーンの散文」というクロソウスキー論の3編の文学論を収録したもの。原著では単行本としては存在しない。といっても,私はクロソウスキーなど知らないし,ブランショは1冊ほど哲学書を読んだことがあるが,バタイユはない。ブランショもバタイユも哲学者・批評家でありながら小説も書く,ということらしいが,そもそもにして小説的な小説なのか。
まあ,ともかくそんなんだから,はっきりいってチンプンカンプン。ただし,1番目の「外の思考」で,ブランショの話が出てくる前の前半部分にはしっくりくる文章がいくつかあった。久しぶりにそんな,傍線を引いた箇所を引用することでお茶を濁そう。

「要するに,言語はもはや言説ではなく,何かの意味の伝達ではなくて,生な実体としての言語の開陳,露呈された純粋な外在性なのであり,話す主体はもはや言説の責任者(つまりその言説を支え,その中において明言しかつ判断し,ときにはこの目的のためにしつらえられた一個の文法形態のもとに自己を表明する人)であるよりは,非存在,その空虚の中において言語の無際限な溢出が休みなく遂行される非存在なのである。」(p.14)

「あらゆる主体=主権性の外に身を保って,いわば外側からその諸限界を露呈させ,その終末を告げその拡散を煌めかせ,その克服しがたい不在のみをとっておく,そんな思考,そして同時にこの思考はあらゆる実証性の入口に位置するのだが,そのことはこの実証性の基盤ないし正当化を把握するためであるよりも,それが展開される空間を,それの場となる空虚を,それが成立する距たり,視線が注がれるやいなやその直接的確実性の数々が身をかわしてしまう距たりをふたたび見出すためである,――この思考は,われわれの哲学的反省の内面性,およびわれわれの知の実証性との関係からみて,一言で言えば《外の思考》と呼び得るであろうものを形成しているのである。」(p.17)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地球儀の社会史

千田 稔 2005. 『地球儀の社会史――愛しくも,物憂げな球体』ナカニシヤ出版,185p.,1700円.

以前にも何冊か紹介した,「叢書地球発見」の第1巻。企画委員の3人のうち,今のところ自ら書いているのは彼一人。その辺はさすがだと思う。そう,千田 稔はもう地理学という枠におさまらない大きなスケールの地理学者で,われわれ小さな地理学者が他の分野にも誇れる研究者である。若い頃から,70歳近くなった現在まで,筆の勢いは緩むことなく,しかもその内容もどれもハイレベルだ。といいつつ,彼の本は数冊しか読んだことはない。前に読んだのは,なぜか彼から送られてきた『地名の巨人 吉田東伍』(角川書店,2003)だが,あまり関心がなかったのに,読み始めたら引き込まれてしまった,そんな魅力のある執筆家である。
そんな彼が地球儀に関する本を書いたってのはけっこう意外だった。まあ,なぜ意外と思ったのかはよく分からないが,基本的に彼の守備範囲は日本の歴史だからだろうか。といっても,その博識は疑いようもないので,どんな本を書いても不思議ではないのだが,地球儀となるとちょっとテーマが限定されすぎなような気もして,これがどれだけの拡がりを持つのか,それが楽しみでもある。とりあえず,目次を示しておこう。

序章 地球儀の新しい物語へ
1 地球儀の誕生――王権と海と
2 日本史の中の地球儀――世界への窓口
3 地球儀という表象
4 征服の野望と地球儀
5 地理教育と地球儀
終章 地球儀というメディア

そんな期待を持って読み始めたので,正直いって前半の1,2しょうはつまらなかった。羅列的に古い地球儀の話をしているだけ。3章は,ヨーロッパの歴史的な図像のなかの地球儀の意味合いを辿るもので俄然面白くはなる。しかし,2001年に出版されたコスグローヴの『アポロの眼』という著作に全く言及がなかったのはどういうことだろうか。私はまだ前半ちょっとしか読んでいないが,パラパラめくると本書と同じ図版があったり,また類似した図版もある。しかも,千田さんが私に著書を送ってきたというのは,彼が監訳したコスグローヴとダニエルズ野『風景の図像学』に私も参加したからだ。確かに,本書はそんなに明確な学説を提示するような内容ではないが,明らかに知らなかったような書きっぷりなのが残念だった。
3章から4章へのつながりももう少し工夫がほしい。でも,さすがに日本の状況を論じた5章は面白かった。でも,最後のまとめとして,最近の話で締めているが,ちょっと中途半端。まあ,ともかく,本書に関しては自ら編集に携わった叢書の1冊目ということもあって,ちょっと付け焼刃な感じは否めない。まあ,千田さんがこの程度の本も書くと知って,ちょっと嬉しかったりもする。でも,1冊も書いていない者がいうことではないよな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

4連休映画4本

7月23日(金)

今年は私も40歳ということで、市から特別健診の案内が届いた。この日は一番最寄の診療所で一般的な健康診断を受ける。かなり古臭い感じの病院で、入るのは初めて。朝一9時に来てくださいということで行くと、すでにおじさん患者が一人。一通り書類に記載して、10分ほど待って診察室へ。その頃には椅子が窮屈にならないくらいの患者さんが集まっている。いわゆる町医者な感じのところ。問診をして血圧を測り、採血をし、心電図。そういえば、心電図ってとった記憶あるのかな。帰る前に尿を採取して終わり。9:40には終わってしまった。
一度帰宅し、法政大学の前期の成績をつけて、それを持って市ヶ谷へ。提出して渋谷に移動。スクリーンが1つになってしまったシネマライズに行く。以前も、一度上階のスクリーンがレストランに改装されてしまい、地下のスクリーンだけの営業になった時期があったが、その後復活し、程近くのスペイン坂中ほどに「ライズX」というスクリーンも作ったのに、そちらも閉鎖。今回は地下のスクリーンを閉鎖し、上階のみで営業中。この映画館は高校生の頃、埼玉から出てきて、その奇抜な建築に驚き「さすがに都会の映画館は違う」と、もう20年以上通っている好きな映画館だが、やはり映画館経営は難しいのだろう。短館上映ということもあって、最近ここの上映作品の前売り券は公開が始まるとチケット屋では手に入らないようだ。結局、当日券の1800円で観ることになる。

渋谷シネマライズ 『ガールフレンド・エクスペリエンス
作品はスティーヴン・ソダーバーグ監督最新作。出世作、『セックスと嘘とビデオテープ』以来、けっこう好きな監督で、特にジェニファー・ロペスの『アウト・オブ・サイト』やジュリア・ロバーツがアカデミー賞主演女優賞を獲得した『エリン・ブロコビッチ』などは大好きな作品。最近『オーシャンズ』シリーズや『チェ』3部作など、イマイチなメジャー作品も多いなか、久し振りにマイナーっぽい作品で嬉しくなった。サーシャ・グレイという23歳のAV女優を起用し、エスコート嬢という役柄を与え、ドキュメンタリー的な作りの作品。エスコート嬢というのは単なる売春婦ではなく、セックスは仕事の一部に過ぎず、基本的には時間制限ありの恋人ということだろうか。会う場所はどこでもかまわない。まあ、基本的にはレストランやホテルで食事し、バーで語り合い、ドライヴをし、ホテルや自宅で愛し合う、そんなコース。
本作がソダーバーグらしいのは、単にそうしたエスコート嬢の日常をドキュメンタリー的に追うだけでなく、彼女にインタビューするジャーナリスト役もそこに組み込んでいること。ともかく、まだ23歳だというサーシャ・グレイという女性は魅力的だ。AV女優といっても決してエロティックなボディをしているわけではなく、この役柄にぴったりな知性を匂わす顔立ちとスタイル。まあ、要はベッドで上手いだけではなく、クライアントの話し相手として相応しいように、さまざまな分野の話題に常日頃関心を持って、情報を入手していること。もちろん、クライアントは富裕階級の人々だから(といっても、単なる金持ちのおじさん方ではない)、その隣にいて不自然ではないファッションセンスを持っていないといけない。まあ、そんな感じのお話。

7月24日(土)

午前中は何をしていたのやら。もう数日経つと忘れますね。そんな暑さです。午後から出かけると移動中に妻に電話。われわれは渋谷で映画の予定だったが、その前に表参道まで歩いていって、台湾の友だちとお茶をする。映画までの時間をどうやって時間をつぶそうかと思っていたのに、表参道まで往復すると、時間はあっという間になくなり、友だちとご一緒できたのは15分ほど。

渋谷イメージフォーラム 『ザ・コーヴ
で、私たちが観たのはこちら。上映を予定していた映画館がキャンセルだの、大学での上映イヴェントもキャンセルだの、米国アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を獲得したにもかかわらず、日本でひどい仕打ちにあった作品としてすっかり有名となり、映画館が変わって公開された週は平日でもほぼ満席という状態が続いたと報じられたが、もうすっかり落ち着いていました。まあ、内容は多くの人が知ることになったと思うが、米国の写真家ルイ・シホヨスが、日本の和歌山県太地町で行われているイルカ漁を取材したもの。
ドキュメンタリー映画ではあるが、米国らしい作りできちんとしたストーリーがある。主役はリック・オバリーという人物。若かりし頃、『フリッパー』というテレビ番組でイルカの調教師役を務め、そのドラマの人気に伴って、米国のみならず、全国の水族館にイルカショーを広めた人物でもある。しかし、番組に出演していたイルカと自宅で共に生活していたものの、番組終了後は水族館に返す。そこから、ショーで使われるイルカの悲劇を目の当たりにするうちに、彼はイルカを野性に返す活動を長年してきた。そこで最近辿り着いたのが、全世界にショー用のイルカを輸出している日本の和歌山県太地町に目をつけたのだ。意外にも、その漁の様子は極秘ではない。イルカの群れを見つけると、漁船が取り囲み、聴力の敏感なイルカの嫌いな音を水中に流し、湾へとイルカの群れを追い込むというもの。そして、そのイルカの群れのなかから、各地から集まった調教師たちが品定めをして購入していく。そこまでのプロセスは誰でもその時間にその場所に行けば見学することができる。この映画に関わったかれらが知りたいのは、売れ残ったイルカたちの行く末だ。噂によると、すぐ近くの入り江で皆殺しにされ、食肉として販売されているという。しかし、その入り江は関係者以外立ち入り禁止とされており、外国人であるかれらが近づくと、猟師たちが監視にやってくる。少しでも怪しい行動をとろうものなら訴えるための証拠として、猟師たちはビデオカメラを向けている。
結局、監督率いるチームは極秘に入り江にカメラとマイクを設置するというゲリラ的撮影という手段をとる。この顛末は本当に最後のクライマックスにとっておかれ、前半や中盤にはIWC(国際捕鯨委員会)における日本の立場について語られる。日本は全く捕鯨とは関係のない国に資金援助をする代わりに、IWCに加盟し、日本擁護の票を入れるというもの。また、クジラ科であるイルカも当然IWCのテーマなのだが、イルカについての議論にならないようにしていることの謎。日本ではイルカ肉がクジラ肉と偽って売られているという噂。イルカ肉は多量の水銀を含んでいるということ。太地町ではイルカ肉を全国の学校給食に寄付しようとしているという噂。などなど。ともかく、日本の政治的なイルカ漁の隠蔽と、それをいいことに伝統的な日本文化だといって捕鯨と共にイルカ漁を続けている太地町の猟師たち、こういう人々を悪人と仕立てる根拠を次々と提示して、クライマックスに導くという作品。確かに、そのゲリラ撮影によって得られた映像はおぞましい。入り江に閉じ込められた大量のイルカたちが船の上から銛で次々と殺され、入り江の海水は真っ赤に染まる。
しかし、このような光景は以前も『いのちの食べかた』のようなドキュメンタリー映画で観ている。むしろ、それは私たちが普段から食べている食肉の処理のされ方を冷静に映し出している分、誠実だった。それに対し、本作品はさんざん、イルカは食べるべきものではないとか、イルカは人間に近い優れた知性を持っているなどといった先入観を吹き込むことで、その屠殺の光景を異常なものに見せようとしている。まあ、だからといって、『いのちの食べかた』と同列には語れないのも確かだ。ここで殺されるイルカは食肉用に育てられた家畜ではない。もともと野生のイルカであって、しかも漁の本来の目的はショー用だ。「フリッパー」と同じバンドウイルカが特に好まれ、もちろん姿かたちの美しさが優先される。そうではないイルカは沖に返されるわけではなく、結局どのくらいのイルカ肉がどうやって流通しているかは本作では明らかにされないのだ。
まあ、どちらにせよ、いろんなことを考えさせられる作品であることは間違いない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

幻想の図書館

ミシェル・フーコー著,工藤庸子訳 1991. 『幻想の図書館』哲学書房,143p.,2500円.

前から書いているように,フーコーの本は本書で6冊目,というほどしか読んでいない。そんな私が本書を古書店で購入したのは,まだ継続中のオースター研究の関連図書になりそうだったから。フーコーにも「図書館」にこだわった文章があったとは。しかも,訳者は工藤庸子さん。私は彼女のクンデラ本『小説というオブリガード』を読んで知ったが,戦中の1944年生まれの工藤さんは本当に精力的に次々と研究書を出版し,驚くばかり。他にもフローベール『ボヴァリー夫人』論である『恋愛小説のレトリック』は読んだが,フーコーの翻訳までしているとは。
とはいっても,それもそのはず。本書はフーコーがフローベールの『聖アントワーヌの誘惑』を論じた小文だからだ。しかも,フーコーの文章は73ページしかなく,本書の中ほどには『聖アントワーヌの誘惑』に掲載された挿絵が挿入されている。そして残りは工藤庸子氏による解説文。本文と解説文がほぼ同量です。さて,なぜフローベールの作品論に「図書館」なんてタイトルがついたのかというと,まさにこの作品が「事の始めから知の空間でみずからを形成してゆく作品であり,書物とある種の根本的な関係を保ちつつ,存在する。」(p.20)ものであるという。まあ,フローベールには『紋切型辞典』なんて文章もあるくらいだから,「書物に関する本」といった作品があってもおかしくないし,工藤氏の解説によれば,同時代の英国作家ジェイムス・ジョイスもしかりだという。そしてボルヘス。フーコーの本分にはボルヘスの名前は一度出るだけだが,工藤氏はもちろん,そこに大きな影響関係があるという。まあ,フローベールの作品は『感情教育』しか読んでいない私だから,本書の理解には限界があるが,フーコーの文章もさほど難しくはないし,なによりも工藤氏の解説が丁寧でうれしい本だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

猛暑日,一人の休日

7月19日(月,祝)

妻の会社は基本的に年中無休なので、平日出勤にしている妻には祝日というものがない。この日は一人で行動。昼間のライヴがあったので、行くことにしてその前に映画。もう新宿歌舞伎町の映画館はミラノ座の3スクリーンとシネマスクエアとうきゅうしか営業していない。その隣の映画館はもう改装を始めていた。何になるのだろう。
歌舞伎町映画館を閉館に追いやったのは明らかに最近新宿にできた2つのシネコン、ピカデリーとバルト9だ。上映作品数が多いし、特にバルト9は大作以外でもけっこう上映しているので、どちらも観に行くが、あまりもの混雑振りにうんざりするが、同じ作品がミラノ座でやっていたとしても迷うことなくこちらにやってくる客たちにもうんざりする。儲けている人たちをさらに儲けさせるような消費者行動もどうにかならないものか。ということで、私も久し振りのシネマスクエアとうきゅう。都内ではここでしか上映していない作品というのもいいなあ。

新宿シネマスクエアとうきゅう 『ねこタクシー
後で調べたら、この作品、テレビドラマでやっていたものらしい。お客さんも年配の人を中心にそれなりに入っています。実はこの映画、けっこう宣伝をしていたし、主演のカンニング竹山はあまり好きではないので、本当は観るつもりはなかったのだが、そんな映画館の事情やこの日のスケジュールの関係でちょうど良かったのだ。でも、観てよかったと思う秀作だった。というのも、配役が素晴らしい。まずは、彼の妻役に鶴田真由。その2人の娘に山下リオちゃん。その名の通り、主人公はタクシーの運転手なのだが、職場の上司に高橋長英さん、同僚に芦名 星と甲本雅裕。猫屋敷のばばあに室井 滋、保健所の役人に内藤剛志、ちょっとしたタクシー客に塚本高史や根岸季衣。私的に嬉しかったのが、盲導犬を連れたタクシー客で登場したのが柳沢ななちゃん。『うん、何?』や『やさしい旋律』に出演していた女優さん。調べていたら意外にも『真昼ノ星空』にも出ていたらしい。本作のなかでもけっこう重要なところでちょこっと出ています。カンニング竹山と鶴田真由が夫婦役ってのは、作品紹介で主人公が40歳の設定になっているし、2人の実年齢とほぼ同じなので、よしとして、山下リオちゃんがその娘ってのもね。でも、受験生ということで、18歳だとすれば、無茶な設定というわけでもない。が、一応、2人が教師仲間ということで結婚したことを考えれば、22歳という年齢は大学卒業前で、教育実習だとか教員採用試験だとかで忙しいはず。やはり現実的ではない。でも、相変わらず鶴田真由さんはキレイだし、リオちゃんもやはり存在感がいいのでよしとしましょう。いろいろ書きたいこともありますが、ともかくいい映画です。

高円寺に移動。南口の商店街のサンマルクカフェで軽く食事をして,お目当てのカフェを見つける。意外に早く見つかったので,目の前の西友でトイレに行ったり,ヴィレッジヴァンガードでフラフラしたりしても,なかなかオープンせず。なんども付近をフラフラすると,古書店を発見。結局,開演予定時間直前にお店に入ると,見知った顔の店員さんが「今日は予約席で埋まってしまって」とステージ近くに椅子だけ用意してくれる。そう,この店員さん夫婦(?)はプラッサオンゼでよく見かける顔。saigenji周辺のミュージシャンのライヴによく顔を出していて,私が奥さんに会ったことがあるのは,まだhitme & miggyが代官山のeau cafeでライヴをしている頃だった。その頃ドーナツ屋で働いているといって,大量のドーナツを持ってきていた。さすがに2人も食べきれないというので,お客さんにもそのおすそ分けがあってよく覚えていたのだ。そんな2人が以前私もプラッサオンゼにいったときに,なにやら店を始めたみたいな宣伝をしていたのだが,どうやらそれがこのお店らしい。そういえば,2日前にcasaが出演していたのも納得がいく。

高円寺mue nota ヤマカミヒトミ×平岡雄一郎
そんなこのカフェは,縦長の空間でけっこう食事メニューも充実しているらしい。予約客はhitmeさんのというよりは地元のこのお店のお客さんという感じで,すでにカフェも少なくない高円寺で一定の評価を得ている感じ。私たち夫婦も子どもができる前は,カフェをやりたいみたいな話もしていたのでちょっとうらやましかったり,粗探しをしたり。まあ,内装はこざっぱりとしているが,それほど洗練はしていない感じ。むしろ,それよりも親しみのある雰囲気を売りにしている。そんなことを思いながら,すっかりカフェ飽和状態の東京で新しく何ができるのか,ちょっとやはりカフェ営業という選択肢はあまり身近に感じなくなったりして。そんななか,トランペッターの島 裕介さんが奥さんと産まれたばかりの娘さんを連れて来場。さらに和やかな雰囲気になります。
さて,この日のライヴはそんな感じで,かつてからオーナー夫婦と仲の良いヤマカミヒトミさんがいつもの相棒,平岡雄一郎さんとのデュオ演奏。この2人が都内でやるときには下北沢のSUGARというかなり大人なバーでが多いので,まだお日様の明るい時間に,子どももいるような環境での演奏はちょっと新鮮。いつもよりブラジル音楽中心のセットでした。私は1セットでお暇してしまったのですが,hitmeさんはサックスのみ。ちょっとフルートも聴きたかったかな。後半では2曲,島さんも参加しての演奏。いやあ,3人とも楽しそうです。いいなあ,こんな風に自分の店で一流のミュージシャンがお金のことは度外視して(ちなみに,このお店も投げ銭制です)楽しんで演奏してくれる。理想ではあるけど,私の場合パーソナリティ的に無理かなと思ったり。まあ,そんなくだらないことを考えながらのライヴ鑑賞でした。
早めに帰って,この日勤務だった妻の要望で,ホワイトソースとミートソースを作って,初めてのラザニアに挑戦。うまくできましたよ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

風景の見方

コーニッシュ, V.著,東 洋恵訳 1980. 『風景の見方』中央公論社,180p.,1300円.

ちょうど今日で終わったけど,法政大学の講義「地理学」で,「景観=風景」をテーマにしていたから,古書店で見つけて思わず購入してしまった本。でも,地理学における景観=風景とはlandscape概念のことだけど,本書ではscenery。原題は「scenery adn the sense of sight」。英国で1935年に書かれた本です。なぜか訳者はNHKのディレクター。翻訳を薦めたのは串田孫一という人物,wikipediaによれば,哲学者で山岳家だとのこと。その串田氏による解説では,ここでも紹介した志賀重昂『日本風景論』にも言及しているように,地理学の立場から風景の見方,あるいは風景の美しさを説明した本,ということになっている。そういった意味では確かに志賀の本とよく似ている。
しかし,ある意味で志賀の地理学は独学だったのに対し,コーニッシュはそうでもない。といっても,純粋に学問的かといわれるとそうではなく,極めて素人地理愛好家ともいえるのだが,ともかく本書の一部はThe geographical journalに掲載されたもの。英国の由緒正しい雑誌で,あのマッキンダーがハートランド理論を提示したのもこの雑誌らしい。さて,そんな著者は基本的に多くの地理学者と同様,旅好きであり,登山好きである。色んな地域の風景を観,そうした風景の形態的魅力を普遍的な科学的知識を用いて説明しようというのが趣旨。まあ,ともかく私にとっては退屈な本。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

時間配分間違え、疲労

7月18日(日)

日曜日はお弁当を作ってピクニック。夜は祖師ヶ谷大蔵のムリウイでライヴがあるが、祖師ヶ谷大蔵はわが家から電車を乗り継ぐのがけっこう面倒なので、いっそ京王線の駅から散歩コースを探すことにした。すると、仙川の駅からまさしく「仙川」をたどっていくと、小田急線の成城学園前と祖師ヶ谷大蔵の間でぶつかる。そして、その川沿いには祖師谷公園なるものがあるということだ。以前にも千歳烏山駅からムリウイを目指して歩いたことがあったが、道を間違えて成城学園前駅についてしまい、そこから急いで電車でムリウイに行った思い出がある。
それにしても暑い。昼過ぎに家を出て、少し遅いランチと思ったが、思いの外祖師谷公園には早く着いてしまった。ちなみに、仙川はその西を平行して流れる「野川」とは違って、かなり深いコンクリートの護岸を流れる川で、その脇を散歩するのはあまり快適とはいえないが、木々や家の連なりによって、直射日光を浴びずに済むという利点はあった。そして、祖師谷公園は園内にさまざまなスポーツ施設もあって、かなり大きい。私たちは芝生の広場でサンドイッチのランチを食べたが、あまり人気が多くないので、上半身裸で日光浴をしている男性もちらほら。
ひとしきり休んでまた歩き出すが、またまた思いの外早く着いてしまいそうなので、進路を変えて成城学園前駅の方向へ。本家の成城石井や薬のセイジョーなどを冷やかしながら、駅ビルの「dean & deluca」でお茶をする。ここに入るのは初めてだが、一番安いお茶菓子がスコーンだったが、これがけっこう大きかった。再び歩き出すが、成城学園前から祖師ヶ谷大蔵までは歩いてけっこうすぐ。しょうがないので、早めの夕食をとることにした。以前、dois mapasがムリウイでやったときに遊びにきていた蕎麦屋のご主人。その蕎麦屋が美味しいとときわさんがいっていたので、いつか食べてみたいと思っていたお店。最近は、助産院のある深大寺周辺で蕎麦を食べることが多いけど、このお店の蕎麦はやはり美味しかった。妻がざる蕎麦で、私はきしめんを食べた。かなりのヴォリュームだったし、空腹でもなかったけど美味しかったので完食。
ようやく、開演1時間前ということで、もう時間のつぶしようもないのでムリウイに行く。まだライヴの準備もされていない通常カフェ営業。目の前に階段を上る古賀夕紀子さんの姿が。とりあえず、妻はハーブティ、私は黒ビールを呑んで、2人で読書。エアコンのないこのお店もやはり暑い。テラスでは、出演者2人がひっそりと歌いだし、そこにミュージックエンジニアの藤井さんがやってくる。

祖師ヶ谷大蔵ムリウイ
そんな感じで、開演する頃にはTOPSさんも登場し、ほぼ満席。私たちは珍しく店内の一番後ろの席に。照らすには石塚明由子さんのvice versaでの合い方、松尾さんの姿や、シンガーの宮崎幸子さんの姿もある。一つの失敗はテラスで煙草を吸う人がいたこと。一度はその後隣に座ることになった藤井さんがテラスの人に煙草を控えるように言ってくれたものの、それはその時だけだった。
石塚明由子:お客さんの前でじゃんけんをして、明由子さんがトップバッターになる。突っ込む相手がいないと意外にも彼女のMCは面白くない。でも、vice versaでも毎回やっている即興は1人でも凄かった。お客さん3,4人からキーワードをもらって、それを歌詞に盛り込んだ曲をその場で作るのだ。
古賀夕紀子:続いてはcasaの夕紀子さん。この2人の組み合わせは2回目とのことだが、2人とも基本的には男性ギタリストの伴奏で歌を歌うシンガー。それが自分でギターを奏でて歌うという企画。casaではアップテンポな曲や明るい曲もやるのだが、ソロの時は深いところに沈んでいくことがある。荒波の届かない深海の安定さ。
妻もかなり疲れてしまったので、TOPSさんと少し話して帰宅。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いよいよ公開です、『インセプション』

7月17日(土)

前日で大学講義は終了したので、夫婦で過ごす土日。両日とも散歩がメインです。先日、最寄の西調布駅から府中まで歩きましたが、今回も同じルート。府中で映画を観てランチをするというコース。選んだ映画は、なんと23日の公開を前に先行上映している『インセプション』。初日の一回目。果たして満席になる前に間に合うのか?
映画は13時の回のところ、9時過ぎに家を出る。前回は東府中駅前でお茶休憩をしたが、今回は駅を通り過ぎる。あまりにも暑いので、ドンキホーテで涼む。映画館に着くと、意外にも席はけっこう空いていた。受付をしてランチを予定しているお店を探しに行く。
開店は11:30だったけど、あっという間に満席。全部で座席は16席くらいでしょうか。予約の団体2組とわれわれを含めた男女2人が2組。客席中央の上部にあるモニターでは椎名林檎のライヴDVD放映中。2階が吹き抜けになっていて(客席はなし)、建物も内装もいい感じ。妻は前菜盛り合わせ+スープのセットで、私はパスタランチ。3種類のなかからタコミンチのトマトパスタを選択。どちらもドリンクをつけて1000円前後。パスタは美味しかったけど、前菜盛り合わせはちょっと物足りない感じ。コーンスープはヴォリュームがあって美味しかった。インテリアや料理はいいんだけど、何かが私たちには満足しない感じでした。

府中TOHOシネマズ 『インセプション
さて、映画です。バットマンシリーズの『ダークナイト』で洗練されたディープな映像世界を見せてくれたクリストファー・ノーラン監督のオリジナル脚本による最新作。主演にレオナルド・ディカプリオを迎えたのはどうかと思うが、その他のキャストがなかなかいいんです。まあ、渡辺 謙は、冒頭のシーンで日本が出てくるのと同様に、日本人へのサービスだといえるが、ディカプリオを中心に、亡くなった妻役にマリオン・コティヤール、仕事の相棒役に『(500)日のサマー』のジョセフ・ゴードン=レヴィット、大学での恩師であり、妻の父親でもある心理学教授にマイケル・ケイン、そしてその学生で、最後の事件でチームに参加する女性を『ジュノ』のエレン・ペイジが扮する。最後の事件のターゲットは渡辺 謙のライバル会社の社長の息子だが、それを演じるのはキリアン・マーフィー。なんと、ルーカス・ハースも出演していたらしい。
ここに挙げた出演者のなかで、ディカプリオは最近こんな役ばかりなのが残念(先日の台湾行きの飛行機で『シャッター・アイランド』を観たが、こちらも亡くした妻に囚われる役)、渡辺 謙はなかなかいい役どころだが、思ったよりも英語がスムーズではない。マリオン・コティヤールも死してディカプリオの夢に付きまとう役だから演技の見せ所がないし、キリアン・マーフィーはあまりにも素朴にいろんな人に従順なので、作中人物としての深みがほしい。そんななかで、光っているのはまさにちょっと頼りない上司を陰で支えるジョセフ・ゴードン=レヴィットと、すでに23歳ながら幼児体型があまりにも可愛らしいエレン・ペイジ。まさに私のなかで旬な俳優2人を観るだけでもこの作品には価値があります。なにやら、その他の俳優とその役どころには不満ばかり書きましたが、かといって、この作品の映画としての価値を評価していないわけではありません。非常に斬新な発想とそれを見事に映像化する技術。なんと、ノーラン監督は私と同い年で、誕生日も数日違い。そんな彼は、その能力を余すことなく発揮するべく大金を思うがままに費やし、更なる富を産む。一方の私は自分の才能が自分の手で発揮されるのかされないのかを見極めることの怖さから、身近な生活のためにその才能を発揮するための時間を労働へと費やしている。
ただし、夢というこれまでも映画表現のなかで登場してきたモチーフを難解な部分を残しながらも比較的分かりやすく、そして、アクション映画っぽいドンパチのシーンやカーチェイス、などなど。難解な部分が理解できなくても観客を喜ばせる要素がたんまり入っているところが映画的エンタテイメントだといえようか。同じテーマをもう少しヨーロッパ的に、娯楽よりも芸術を重視した作りにした作品も観たい気がする。そんな感じのリメイクを、フランスかスペインの監督がしてくれないものか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

先週平日の出来事

7月14日(水)

久し振りに橋本 歩さんの演奏でも聴こうと、夫婦で吉祥寺に出かけた。定時に仕事を終え、先に帰った私がスープを作り、昼食と一緒に買っておいた食事パンを焼いて、簡単な夕食。19時過ぎに電車に乗る。ここ最近は、妻の日課も増えていて、夜家にいないのは、それらができないことを意味するが、まあたまにはいいでしょう。夜の日課はお灸とストレッチ、それからあまり時間は長くなりませんが、半身浴。お灸は肩とお尻(片方4,5箇所)と三陰交という足首の上にある女性のためのツボ。ストレッチは私の夜の日課でしたが、最近妻もマタニティヨガに通い始め、いろいろやっています。

吉祥寺strings AYURI
AYURIとはチェロの橋本 歩さんとピアノの太宰百合さんのユニット名。この日はパーカッションの石川 智さんとベースの水谷浩章さん。水谷さんは歩さんが参加しているバンド、phonoliteの主宰者。この日は歩さんがMC担当。なぜか、水谷さんを「ウォーターヴァレー」、石川さんを「ストーンリヴァー」、そして自分を「ブリッジブック」と呼ぶ不思議なテンション。そして、当然「太宰」は難しくて英語にはできない...
まあ、そんなMCはよしとして、さすがのこの4人。けっこう音量たっぷりで盛り上がる曲もあったけど、それでも4つの楽器がきちんとバランス取れているんだよな、さすがです。そして、久し振りの太宰さんのピアノも格別。彼女はいつも落ち着いていて、余裕のある人ですが、ピアノを弾いているときほど穏やかな顔、楽しそうな顔なのだ。天性のピアニストなんだな。
妻も座りにくい椅子で辛そうではありましたが、この日は1stセットで帰ろうとはいわず、最後まで聴いていました。お腹の子も穏やかな曲が気に入ったらしく、ポコポコとリズムを取っていたらしい(?)。妻のお腹が触りたいといっていた歩さんの希望もかなえてあげて、気持ちのよい帰路でした。

7月16日(金)

ようやく、前期の講義が終了した。今年度の法政大学はこれまでの講義内容も多少流用するものの、毎回オリジナルの内容を作っているので、毎週が自転車操業。ようやく、これで一息つけます。やはり、こちらのやる気というか、そういうものは伝わるようで、学生の反応もまずまずだったけど、レポートのできは別の話。
この日は銀座界隈に移動。朝食がパンだったので、昼食は以前から気になっていた、日比谷よりの有楽町ガード下にある「名物カレーうどん」を初めて食べることにした。550円でご飯つき。マスターと一緒に汗だくになっていただく。最近の本格派カレーを使ったものではなく、旧来のいわゆるカレーうどん。なんだか新鮮でした。

日比谷シャンテ 『闇の列車,光の旅
この日の映画は、初めて予告編を観た時に絶対観ると思って前売り券を買ったものの、終了直前にようやく観られる。なんだか、ガエル・ガルシア・ベルナルが見出した若手監督というのを宣伝に使っていた、中南米を舞台にした作品。ホンジュラスに住む父と娘と従弟の3人がメキシコを横断して、家族の待つ米国に不法移民するというロードムーヴィ。この少女役の女優さんがめちゃくちゃキレイ。そして、もう一人の主人公はメキシコでギャングの一味。以前から居心地の悪さを感じながらも、ほかに何もできないし、一味から抜けるのも簡単ではない。そんな思いから、ある日少女たちが屋上に乗った貨物列車のうえで、とんでもないことを犯してしまい、一味から追われる身になる。それは強姦されそうになった少女を救うためにしたことであり、少女はそれ以来その男に近づき、行動を共にする。果たして2人の行方は...
といった感じのストーリーだが、なんと製作はユニバーサル・ピクチャーズの国際部門。そのせいか、ちょっと洗練された気がします。もっとローカルっぽい泥臭さが欲しかったが、むしろホンジュラスやメキシコの厳しい状況を他の国の人に知ってもらいたいという腹黒い感じがしないでもありません。まあ、悪い映画ではないですけどね。

銀座ギャラリーハウス 「工事現場フェチ」展
この日、映画を日比谷で観たのはもう一つ目的があった。シンガーソングライターRie fuこと船越里恵さんは、ロンドンの美大を卒業した画家でもある。最近、工事現場をテーマにした油絵を描いていて、今回はそのテーマオンリーの展示。会期終了が翌日となり、ギリギリで観に行く。さすがに平日の昼間ということで他に客はいませんが、なんと店番をRie fu本人がやっていましたよ。決して広くない空間に2人きりなり。後でゆっくり話そうと、とりあえず作品を観る。すでに予約済みのものも何枚か。前回、青山の個展にも行き、その時も工事現場の作品が数枚あったが、正直発想は面白いものの、絵はイマイチで、そんなことを書き込み帖に書いてしまった。まあ、そんな一人の言葉を気にしているわけではないだろうが、今回はタッチも随分変わり、私の好きな作風になっていました。そもそも、彼女の画風はけっこう好きで、大胆な筆使いはなかなか面白い。今回の工事現場は日本や世界、いろんな場所で描かれたようですが、ちょっと抽象度が増していて、さらに黄色いクレーン車をキリンに描いたり、冗談なのか何なのか、ほほえましいところもあります。
すると、そこにもう一人のお客が。里恵さんはその女性に挨拶している。どうやら音楽関係者ではなく、美術関係者のようで、ついていって説明をしたり。ああ、話す機会を逸してしまった。ちなみに、会場には彼女のCDが流れ、リリー・フランキーさんからのお花も来ていました。さて、また書き込み帖に書き込んで帰ろうかという時に、ちょっと話すチャンスがあったので、一言二言。でも、基本的に音楽のファンとは距離をとろうとしているのか、よく分からないが、必要以上に丁寧に「ありがとうございます」でかわされてしまった。まあ、こういう人が真の芸術家たるものか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

シンポジウム参加

7月10日(土)

この日はとあるシンポジウムに参加するために講義後,恵比寿まで。地理学者仲間とやっている論文購読会の次回の担当が私なのだが,「ポスト開発の空間」と題された論文を読む。取り急ぎ,「ポスト開発」とは何か,ということで検索をかけると,中野佳裕という人物がヒットする。そして,彼が注目しているのがフランスの研究者,セルジュ・ラトゥーシュで,近々中野氏の訳によりこのラトゥーシュの著書も日本で刊行されるとのこと。そして,もう少し調べると,ラトゥーシュが来日して中野氏も参加するシンポジウムがあるというので,非常にいいタイミング,行くことにしました。しかも,このシンポジウムは10,11日と朝から夕方まで開催されているが,土曜日の午前中は参加できないし,2日連続費やすほど私の関心にぴったりでもない。しかし,ちょうど中野氏とラトゥーシュが報告するのがこの日の午後のセッションということで,そんな都合のよいこともなかなかない。

恵比寿日仏会館 日仏シンポジウム:より良い共生が可能な社会を目指して

さて,ちょっと勘違いしていたのは,中野氏はラトゥーシュを含め,ポスト開発の議論を日本で展開している,ということですが,ラトゥーシュは自らの議論を「脱成長」と名づけており,ポスト開発論とは一致しません。ところで,日仏会館なだけあって,同時通訳も専門性を損なうことなく,フランス語のできない私にとっては大助かり。
ラトゥーシュの報告では,前半でどうしたら世界各国の成長の度合いを測れるのか,というところから始まり,GDPという単純な指標を補足するようなものがいくつも出されているけど,結局根本的には成長などというものを数値で測ることはできないのだ(場合によっては数値同士は矛盾する結果を算出する)というところが出発点。最終的には「経済とは宗教である」と断じ,そこから脱することが必要だと結論するほどラディカルな立場でした。でも,本人はいたって穏やかな人でした。
中野佳裕氏の報告ですが,まず彼自身の研究が,ポスト開発論やラトゥーシュの脱成長論を国際開発政治の文脈で考えるものであると説明していました。そして,アマルティア・センの正義の概念に関する近著を丁寧に検討しながら,今後のグローバル政治経済において必要なのは制度論よりも認識論だと主張しました。
中野氏は立命館大学に勤めていますが,先日紹介した『現代帝国論』の著者,山下範久氏も立命館大学。同世代の地理学者で加藤政洋君もいる立命館ですが,そこの地理学者たちも面白いことをしてくれるでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

蛇儀礼

ヴァールブルク, A.著,三島憲一訳 2008. 『蛇儀礼』岩波書店,204p.,560円.

岩波文庫の一冊。ヴァールブルクはカッシーラーやゴンブリッジ,パノフスキー,フランセス・イエイツのような人たちが関わっていたヴァールブルク研究所として名前がつけられた美術史の分野で名前だけ有名な人物。実際,ありな書房からヴァールブルク著作集も刊行されているが,どれも高いので,彼自身の文章はまだ読んだことがなかった。そこで,なぜ彼がこんなタイトルの本を,しかもアメリカ先住民と一緒に彼自身が写っている表紙をした本を残しているのか,そんな疑問もありながら古書店でみかけてついに買ってしまった。ちなみに,私はゴンブリッジの『アビ・ヴァールブルク伝』(晶文社)も持っているが,まだ読んでいない。
本書は,ヴァールブルクが1923年に行った講演会の内容であり,その内容はそれから30年以上前になる彼自身のアメリカ旅行での見聞録である。しかも,その講演会とは彼自身が入院していた精神科の病院におけるもので,彼自身のリハビリを目的にしたものである。そう,彼は長い間精神を病んでおり,結局1929年に亡くなっている。そんなことを知らずに読み始めた私だが,100ページに満たない本文の最後に,ヴァールブルク自身の手紙が掲載されている。それには,この講演の内容は「首を切られた研究者の醜い痙攣である」と書かれており,自身の許可なく公表しないことを依頼している。
本書の内容の前半はヴァールブルクのアメリカ旅行で観察した,いわゆるインディアンの生活における蛇の取り扱いの解説に充てられた,人類学的,民族学的な記述である。蛇は他の動物と異なり,生贄としてではなく生きたまま祭りに登場する。その他にも,さまざまな図像に蛇が用いられ,天からもたらされる雨や雷が蛇の形で描かれ,その部族においては極めて神聖な動物だとされる観察事実。そして,後半はヨーロッパを中心とした歴史歴図像のなかで蛇をモチーフにしたものがいくつも事例として登場し,人類の文化史における蛇の象徴性を探求しようというもの。
まあ,自身が書いているように,そこには驚くべき解釈や発見などはそれほど多くはないが,後半の100ページを費やしているウルリヒ・ラウルフという人物によるドイツ語版への解説と日本語訳者による訳者解説から学ぶことが非常に多い。いわゆるヴァールブルク研究所というのは彼が創設したような一般的な研究施設ではなく,裕福な家庭に育った彼が生涯集めた資料である「ヴァールブルク文庫」が発端にあるものだという。いつかは,ヴァールブルク著作集を読むことになると思うが,本書を読むか読まないかは大きな違いだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アートピック・サイト

暮沢剛巳 2010. 『アートピック・サイト』美学出版,272p.,1600円.

またまた外出先で携帯した本が読み終わってしまい,渋谷文化村の地下の書店で購入したのが本書。大抵,読むべき本というのは数年前に出版されたもので,一方ではきちんと雑誌に掲載すべき書評の対象となるのはせいぜい1,2年以内ということで,たまには書評を書かなきゃと思っている私は読む本をいろいろ考えてしまう。
文化村の地下の書店は基本的に芸術関係のものが集められているので,当然本書も出版者の名前もしかりだが,「アーツ アンド カルチャー ライブラリー」シリーズの4冊目だという。本書は美術批評家である著者(この肩書きに関してはいろいろいいたいところがあるらしく,あとがきに書いてあります)による評論集であり,1999年から2009年までの10年間に書かれた32の文章が収録されており,ほんの3ページの文章もあれば,30ページ近くのものもある。まあ,美術批評はけっこう出ているので,門外漢の私が読むべき本は他にもあるはずだが,本書はそのタイトルと目次に惹かれたのだ。
「アートピック」とは「アート」+「トピック」であるが,topicとは話題であると同時に,topos=場の形容詞でもある。だから,これに「サイト」をつけるのは冗長でもあるのだが,あえてカタカナにするのはsiteだけでなく,sightも含むことができるから。そもそも美術とは視覚重視のものである。そして,この造語「アートピック」は「アトピック」からヒントを得たものでもある。デリダがたまに用いるこの言葉はhistoryに接頭辞のaをつけることで「没歴史的」となるように,「atopic」は没場所的となるのだ。しかし,実際の辞書的意味はまさに皮膚炎の「アトピー」のことだ。この両者の関係についても論じたいと思っていたので,本書には関心を持った。しかも,その32の文章を分類した結果の目次は以下の通りである。

I cityscape――都市のなかのアート
II mediascape――メディアのなかのアート
III onumiscape――精神のなかのアート
IV modernscape――モダニズムのなかのアート
V humanscape――作家論とその周辺
VI technoscape――メティエのなかのアート

確か,アパデュライの『さまよえる近代』でも,○○scapeって造語でいろいろ説明していたような気もする。しかし,scapeというのはlandscapeの他に利用される接尾辞というわけでもないのに,都合よく使われる場合は多い。まあ,ともかく,美術批評としての本書は,美術の生産と鑑賞にまつわる場所と景観の問題を考えると銘打っているので,書評の題材としてはこの上ない。
しかし,本書に収められる文章は既に書いてあり,その上で,本書のタイトルや場所と景観の問題というのは跡付けに過ぎないといえないこともない。でも,現代芸術を専門とするこの著者であるから,逆にいうと現代美術自体が作品の生産と鑑賞に「状況」というものを考えるようになっているのだ,といえなくもない。かつての美術品といえば,油絵やブロンズ彫刻など表現の仕方は限定され,作者の方もそれ自体を疑うようなことはなかった。しかし,現代美術は既製の「モノ」を作品の一部として組み込んだり,表現形式それ自体の選択にもオリジナリティが現れているといえるし,現代美術でよくある「インスタレーション」とは「install」することであり,いわば作品の内外に「導入すること」である。あるものを作品に取り込むことと,作品自体を何かに組み込むことである。つまり,本書でもよく登場する「物質性」は現代芸術のキーワードでもあるのかもしれない。そして,「物質性」は近年の人文地理学のキーワードでもある。地理学の場合は芸術を含む表象分析なんて,もうやめてもう少し現実的な社会問題について考えましょうよという警笛でもある。しかし,どうなんでしょうね,ってのが私の考え。
本書のなかでもこの危機の時代に芸術をやったり,芸術について考えるなんて不謹慎だったり無駄だったりするのだろうかという問い。でも,少なくとも芸術家は芸術しかできないからやっているのだし,批評かも批評しかできないのだ。自分のできることで社会を変えてゆけると信じることも悪いことではないと思う。ちょっと話は逸れたが,作品における物質性だけではなく,すでに書いたように,その作品が鑑賞される場の状況というのにも現代芸術はこだわっている。また,それらを展示する場である美術館もそうしたこだわりがあるというのが近年の傾向であり,そのことは本書にも反映されている。しかし,やはり地理学者の目から見ればまだまだその辺りで論じることができることは少なくないと思う。是非,芸術に明るい地理学者の登場を願いたいものだ。
さて,これを元に雑誌に掲載させる書評原稿が書けるのだろうか...

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チラシ

Photo

Photo_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

夕方から映画2本

7月9日(金)

この日は講義が終わって一旦帰宅する。この日は休みを取っている妻と一緒に昼食を食べる。
今年で40歳になる私だが、国民健康保険加入者である私はいろんな健康診断が受けられる。昨年は法政大学で受けさせてくれたが(なぜか今年は通知がない)、調布市では節目の年齢以外の人は勝手に自分で申し込むらしいが、今年は案内が来た。普通の健康診断も土曜日に開催される集団検診か、提携病院による個別健診かを選ぶことができるので、近くの開業医で受けることにした。それはまださきのことだが、もう一つは大腸がん検診。こちらは、その病院から検便容器を受け取って、自宅で便を採取し、再び持っていくというもの。そして、胃がん健診。これは市の施設でやってくれる。
そして、この日に受けることにしたのは歯周病健診。ここ数年は以前住んでいた街であり、現在でも会社に通っている街の歯科医に通っている。しかし、もちろんそれは市の提携病院にはなっていないので、近所の歯科医に予約を入れ、訪れる。とても清潔な病院で、近くに保育園があるせいか、子どもの患者や子連れの患者が多いのか、子どもの遊び場もあるし、診察室も個別に仕切られてはいない。ほんの5分程度の診察で、歯周病のほか、虫歯も調べてくれた。特に問題はなしで、よく磨けていますと褒められた。大抵は磨き方の不備を指摘されるものだが、ほっと胸をなでおろす。
妻とは夜の新宿で待ち合わせることにして、彼女は針灸へ、私はその前に1本映画を観る。

新宿バルト9 『瞬 またたき
もう普通の人気女優ですが、私はけっこう北川景子が好き。彼女の初主演映画(?)である『チェリーパイ』という作品も観たくらいだ。相手役は岡田将生。かなりの美男美女カップルですが、2人の恋物語というわけではない。まあ、実質的にはそうなのだが、2人乗りでバイクに乗っているときに事故にあい、男の方が死んでしまう。事故の記憶を失った主人公が、最後の彼の姿を覚えておきたいということで、自分の記憶を取り戻すという物語。まあ、ありがちなストーリーではあるが、事故の謎というのが予想通りの形で解明され、思わず涙を流してしまう。やはり北川景子、いいですね。彼女の精神的回復を手助けする精神科医を田口トモロヲが演じているのだが、この配役はどうなのだろうか。彼のよさがほとんど出ていないところは逆にギャグに思えてしまう。北川景子の兄役で深水元基が出ていたのは、けっこう良かった。こういう役は得意ですね。全体的な雰囲気は好きな作品ですね。でも、主題歌はもうちょっと考えて欲しかった...

新宿バルト9 『告白
別々に食事をした後、妻と落ち合って19:50という遅い回で観たのはこの作品。『嫌われ松子の一生』の監督、中島哲也の最新作。既に話題なので改めて説明する必要もないだろう。私の映画ファン友だちのなかでも評価は高い。映画の良し悪しは別として、その衝撃と存在感は強すぎて、その後観た映画のインパクトが弱まってしまうというほどだ。実は、私も原作をちょっと立ち読みした。それは映画でも冒頭で松たか子の台詞となっているが、かなり理屈っぽくて私の好きな文体。さすがに今は小説を読んでいる余裕がないので、冒頭の数ページを立ち読みしただけだが、その雰囲気が最終的にどうなるのか楽しみ。
ちなみに、1日に岡田将生出演作品2つを観ることになった。さて、冒頭は小説だと松たか子演じる主人公の独白として引き込まれる語りなのだが(あの文体が苦手な人は引き込まれないだろうけど)、映画では全く違う。ホームルームの教室でその教師が語っている一方で、生徒たちは好き勝手な行動を取っているからだ。最近の中学や高校の授業風景を映し出すドラマや映画ではお決まりの映像だが、果たしてこうした状況がどれほど普通なのだろうか。まあ、義務教育である中学校とほぼそれに準じている高等学校は、私の勤める大学とはかなり違うとは思うが、にわかに信じがたい光景。まあ、時にはあってもよいが、四六時中騒いでいるほどかれらのエネルギーは無尽蔵なのか?まあ、ともかくでもその次のシーンは意外にリアリティがある。つまり、騒いでいる生徒も意外に教師の話を聴いているということ。松たか子が自分の娘の話をし始めた途端、教室が静まり返って皆が耳を傾けるのだ。そう、私の講義でも寝たりボーっとしたりする学生が多くても、レポート評価の話など、自分に関係する大事な話となると急に聴きだすのだ。
さて、前半は面白かった。娘を自分が担任をするクラスの生徒に殺害されたと主張する松たか子演じる教師。その犯人2人をAさんとBさんと呼びながらも明らかにクラスメイトにはそれが誰だか特定できるような語り口で、彼女は夏季休暇を前に退職する。休暇中のことは描かれないが、新しく岡田将生演じる熱血教師が担任となり、犯人生徒のうち1人は不登校、1人はいじめにあう。そこまでは臨場感があって面白いが、そのいじめがエスカレートし、また不登校の生徒の家では木村佳乃演じる母親と生徒と2人暮らし。そのどちらの様子もなんだかリアリティを失っていって、私は観ていないが『バトル・ロワイヤル』のような雰囲気になっていく。まあ、それはそれで面白いけど、衝撃を受けるというほどの作品ではないかな。やはり興行成績が示すように、万人に受ける作りになっていると思う。でも、確かに松たか子や生徒たちの演技は特筆するものがあるが、ああいう極限状態の演技ってのは意外にもなりきるのは簡単なのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

現代帝国論

山下範久 2008. 『現代帝国論――人類史の中のグローバリゼーション』日本放送出版協会,268p.,1070円.

著者の山下氏は私より1つ年下だが,かつてお世話になったことがある。彼が東京大学の大学院生時代,彼が世話をしていた「近代思想史研究会」のような研究会があり,そこに呼ばれて発表したことがあったのだ。今考えると恐れ多いが,たまたまその研究会に参加していた山田志乃布(現在,米家志乃布)さんが,自身の発表の会に,もう一人地理学者を,ということで私に声を掛けてくれたのだ。
山下氏は修士時代にイマニュエル・ウォーラーステインの下に留学に行き,帰国した頃から,フランクの『リオリエント』という分厚い本を,そしてウォーラーステインの新しい本も次々と翻訳出版し,ウォーラーステインの翻訳書の出版元である藤原書店が新しく創刊した雑誌『環』にも関わっていた。その発表の会には著名な研究者や『現代思想』の編集長なども来ていて,その頃投稿前だった田沼武能の話などしたりして,皆さんは非常に有意義なコメントをくれたけど,今思うと,非常に申し訳なかったような気もする。その後ももちろん発表はしないが,その研究会には何度か参加させてもらったが,山下氏が北海道大学に就職が決まって,なんとなくその研究会はなくなってしまったようだ。
その後,2003年に講談社選書メチエから『世界システム論で読む日本』を単著として出版し,2006年には同じくメチエから『帝国論』を出版する。彼はウォーラーステインの世界システム論を基本とし,そのヨーロッパ中心主義を批判したフランクの『リオリエント』にヒントを得て,世界システム論の枠組みでオリエントに位置する日本を考えるというのが研究テーマだといえるが,実はそれらの著書はまだ読んでいない。しかも,つい最近『ワインで考えるグローバリゼーション』などという本まで出版し,驚いて書店であとがきを立ち読みした。そもそもワイン通だった彼だが,趣味を実益にしようというこの本の企画を相当な努力でしっかりとした本に仕上げたようだ(こちらも読んでいない)。
まあ,ともかく彼の本を読んでみたいと思っていたのだが,たまたま外出先で携帯した本が読み終わって,書店で物色したときに見つけたのが本書。ちょうどネグリとハートの『〈帝国〉』から発する帝国論が流行っているのに全く内容が分からず,しかもその分厚い本を読む気にはならないので困っていたところもある。
そんなことで読み始めたわけだが,前半は本当に勉強になった。前半はネグり・ハート流の〈帝国〉論が,世界システム論との相違を中心に分かりやすく解説される。そして『リオリエント』との関係,そしてフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』などが手際よく整理される。しかも,さすがだと思うのが,フクヤマのその後の議論もしっかりとフォローしていること。もちろん,フクヤマだけではなく日本で翻訳が出ているようなグローバル論もほどよく検討される。
しかし,後半になってくると名前も知らない論者が多く出てきたり,いきなりジジェク流の精神分析の議論が解釈に加わってきたりで,正直NHKブックスとしては複雑な展開過ぎないか。しかも一方では,さまざまな議論が命名され(例えば「ポランニー的不安」)訳がわからなくなってくる。この「命名」は彼にしか通用しないような独断ではないが,どうにも正直,私とは思考回路がちょっと違うんだろうな,と思ったりしたて。ともかく,引き続き彼の著書を読んで勉強させてもらうことにしよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

志賀重昂『日本風景論』精読

大室幹雄 2003. 『志賀重昂『日本風景論』精読』岩波書店,334p,1100円.

ということで,志賀重昂『日本風景論』に続いて読み始めた本書。本書は岩波現代文庫のなかの「精読シリーズ」の1冊。とりあえず目次を。

はじめに 日本ラインをめぐって
第1章 日清戦争 大日本精神 愛国心――同時代の人びとはどう読んだか(1)
第2章 科学と文学の融合――同時代の人びとはどう読んだか(2)
第3章 日本海岸の日本と太平洋岸の日本――志賀重昂の地理学(1)
第4章 南日本と北日本――志賀重昂の地理学(2)
第5章 「封建」と「郡県」のはざまで――地理学的な回顧(1)
第6章 もうひとつの地理学 内村鑑三『地人論』――地理学的な回顧(2)
第7章 『日本風景論』における文学――漢文くずれの散文と風景
第8章 風景受容の美学と作法――跌宕の変容と山水癖の残影
第9章 ナショナリズムと楽しい名士――日本ラインはどのように生まれたか
おわりに 登山奨励について

著者は『月瀬幻影――近代日本風景批評史』という著書も出している人で,その延長線上に本書もあるようだが,専攻は「歴史人類学」と書いてある。なにやら中国の歴史に強いらしい。本書は「精読」と書かれていながらも,基本的に著者が歴史家ということもあり,テクスト批評というよりもコンテクスト批評的な印象。でも,目次からも分かるように,前半では本書が同時代的にどう受け入れられたのかを論じ,続いて,地理学的な考察もかなりの分量を使っている。7章辺りは得意分野のようだが,『日本風景論』には漢文の引用が多いので,この辺りの考察は助かる。といよりも,これまで私が読んだ『日本風景論』関連の文章にはその辺りのことは書かれていなかったのでいいですね。
地理学的な考察も前半は石田龍次郎や野間三郎を読み込んだ考察だけでなく,福澤諭吉や内村鑑三なども地理学に物申した人物として論じられているので勉強になります。ただ,一つ気になるのは,これだけの言葉を費やしているのに,全体的な論調がどうにも卑屈っぽいところでしょうか。これはこの人の文体として諦めるしかないのか。まあ,ともかく読んでいて気持ち的にすっきりしない本です。でも,逆を返せば自分自身の論調はどうなんだろうとちょっと気になったりして。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日曜日、一人ライヴ

7月4日(日)

日曜日は台湾土産を持って助産師さんのお宅を訪ねる。午後からの訪問で、午前中は特に用事もないので、11時に出発、歩いて深大寺の先を目指す。途中布田駅近くで素敵なコーヒー豆屋さんを発見。なんと、カフェインレスの豆を売っています。妊娠中の妻には嬉しい。しかも、試飲できるというのでお願いすると、一人ずつきちんと一杯分が出てきました。もちろん、砂糖もミルクもついてきます。さすがにカウンターでの立ち飲みですが、紅茶やハーブティも充実していていいお店。それ以外の食器や食べ物など、いろいろ売っています。
昼食をとるよさそうなお店はなく、結局また深大寺そば。また違うお店に入ります。今回が助産師さんのお宅をお訪れるのは3回目ですが、深大寺そばも3回目。今回は炎天下のなかですっかり体内に熱をためてしまったので、2人ともざるそば。私はごまだれ。オーソドックスでおいしかったです。結局、時間に遅れることもなく、途中でめげることもなく、歩いた時間は合計2時間くらいで目的地に到着。今回は正式な診察ということではなかったのですが、体重が思うように減っていないので、たっぷり1時間弱をかけて叱咤激励を受ける。ちょっと私たちも甘く考えていました。当分は節制の日々です。

前回と同様、バスで吉祥寺に移動。前回いけなかった古本屋に行き、1冊購入。ちょっと早いが妻を初めてリトルスパイスに連れて行く。彼女にはレバーのカレー「ブナ」を薦める。私は新しいタイ風ポークカレー。こちらも美味しかった。妻とは明大前で別れ、私はそのまま渋谷を経由して代官山へ。

代官山晴れたら空に豆まいて カルネイロ
fonogenicoの高山奈帆子さんが、相方と別々になってしばらくはソロユニットとして活動していたが、ユニット名を「カルネイロ」に変更し、アルバムを発売する。そのCD発売記念ライヴ。開演10分前ほどに到着すると、すでに店内はかなりのお客でごった返している。幸い、私の到着した頃はまだ席に余裕があり、しかも、TOPSさんが座っている近くに一つ椅子が余っていたので、座らせてもらうことにする。ただ、この日はアルバムにも編曲などで参加しているmetro tripの青木多果さんがDJで参加しているので、われわれの目の前のスピーカーがうるさくて会話にならない。まあ、他の人たちはそれくらいのことにはめげず大声で会話をしているのだが、われわれ2人はそういうの、苦手なんです。TOPSさんにも台湾土産を渡して、開演を待ちます。
fonogenicoはもともとTOPSさんに教えてもらったんだけど、ライヴに行く前にミニアルバム『ねがいごと』を中古CD店で見つけて購入。かなり聴き込んでからのライヴでした。なので、今回カルネイロとしてのCDを購入する前にライヴ参加。しかも、彼女の単独ライヴは初参加ということで、ほとんど全てが初めて聴く曲。もちろん、ベースの高井亮士さんを含むフルバンドのメンバーの演奏も素敵で、曲や歌詞の雰囲気は大きく変わってないのですが、やはり彼女の場合には曲をあらかじめ知っている方がいいみたい。結局、fonogenico時代はBMGレコードだったのに、フルアルバムはなし。7曲入りは今回初ですね。じっくり聴き込んでからまたライヴに足を運びたいと思います。神戸出身の彼女のゆるゆるトークも素敵でした。やはり彼女はその声としゃべりと外見の雰囲気がいいですよね。ちなみに、1曲だけこの日はトランペッター島 裕介さんのゲスト出演があり、ビックリ嬉しいものでした。帰り際に子どもができた報告を。そう、彼にも最近娘さんが産まれたのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

帰国後

6月26日(土)から3泊4日で台湾旅行に行ってきました。
旅行といっても、妻の故郷ということで、妻の友人宅に宿泊し、主に妻の母親や友人、お世話になった人と会食するという日程。3日目の午後は彼女の思い入れのある土地を訪れました。詳しくは写真を掲載して後日報告します。

帰国し、翌日から2日間会社勤務。それに加え、講義の準備もあるので疲れがとれずのウィークデイ。

7月2日(金)
苦労して準備した割には、講義はイマイチうまくいかず、それがゆえに学生の反応も悪い。しかし、ようやく終わってほっとして、この日は公開最終日の映画を観に、先週に続いて恵比寿に行く。
恵比寿ガーデンシネマ 『マイ・ブラザー
トビー・マグワイアが兄を、ジェイク・ギレンホールが弟を演じる兄弟もの。優等生の兄に、強盗で逮捕され、出所したところから物語は始まる。弟の出所後すぐに軍人である兄は戦地へと向かう。邦題では弟に感情移入するように、「私の兄」というタイトルにしているが、原題は「brothers」。この映画はデンマーク映画『ある愛の風景』のリメイク。このデンマーク映画を観たか観ていないかは覚えていないが、同じような設定の作品は観たことがあるような気がする。兄が戦地に旅立って、少し経ち、兄の戦死の知らせが届く。葬儀を終え、職もない弟は父親を失った兄の娘2人たちの遊び相手になるために、そして妻を慰めるために頻繁に訪れるようになる。そのうち、ナタリー・ポートマン演じる奥さんとも距離が近くなっていく。一方では、戦地アフガニスタンで捕虜となっている兄の姿も映し出される。最終的に兄は米軍に保護されるのだ。
ようやく、夫、そして父親の死を受け止め、弟の存在によって新しい人生を歩み始めようとした母と娘2人のもとに、突如戻ってくる。戦地で地獄を見た兄はすっかり変わってしまう。そこから家族の関係、そして兄弟の関係、親子の関係をどう取り戻していくのか。最後まで見ると、やはりオリジナルの映画を観たような気もするが、がゆえになんとなくそのストーリーには新鮮味はない。そもそも、こういう形で優等生の兄と劣等性の弟、しかもその兄に不幸が訪れ、父親は嘆き、妻がそれを擁護するという構図のアメリカ映画はけっこう多いような気もする。ただ、役のためにやつれ、いつもは愛嬌たっぷりなトビー・マグワイアが悲愴な表情で演じる姿は見事だし、やはりナタリー・ポートマンはまだまだ美しく、それを長時間眺めることができるだけでも価値のある作品。

7月3日(土)

翌日も講義をし、その後急いで調布に戻る。この日は調布市が開催する「もうすぐママパパ教室」というのがあり、参加することにしていたのだ。昼食をとる時間がなく、国分寺のパン屋「キィニョン」で買ったものの、バスも電車も座ることができなかった。幸い、受付時間よりも早く着いたので、市の施設のベンチで食べる。
「保健センター」というところに行くと、すでに30組ほどの夫婦が集まっています。やはり若い夫婦が多いですね。一応、10~12月出産予定の妊婦とその夫ということですが、お腹の出方もまちまちです。今回わたしたちが参加したのは土曜日1回コースというもので、その他に平日4回コースなどがあるので、やはり1回に詰め込んだ感のある、慌しく少し物足りないものだった。でも無料だからしょうがありません。まずは沐浴。赤ちゃんをお風呂に入れる練習ですね。新生児の人形を使ってまずは看護師さんのデモンストレーション。そして、母親は実際に生まれて必ず学ぶので、夫の出番。たまたま私が扱った人形は他のよりも一回り大きい。でも、頭の重さなどよくできているんです。人形だと分かっていても恐る恐る。まあ、要領はつかめるものの、やはり実践でないとね。次はまた夫の出番で、いわゆる妊婦シミュレーション。おっぱいとお腹のおもりをつけた10kgのベストを着けて寝たり起きたり階段を上ったり。やはりどうしてもおもりである感覚が否めないし、数分体験しただけではよく分からない。本物の妊婦だって、いきなり10kg増になるわけでもないしね。次はNHKスペシャルのビデオ鑑賞。赤ちゃんはお腹の中にいるときから低音の父親の声を認識している(母親の声は体内の振動によって聞こえるだけなので、声自体は認識しないし、羊水のなかでは高音は聞こえないらしい)ということと、生まれてまもなく、赤ちゃんは母親に求めるものと父親に求めるものとを使い分けて、それを表現しているというお話。
続いて、なんと妊婦助産師さんによる骨盤運動のティーチング。現代人は骨盤を絞める筋力が弱いという話はよく聞きますが、100歳以上のおばあさんへのインタビューから、その頃の女性はなんと月経を排尿と同じようにトイレで流していたという話を聞いてビックリ。つまり、普段あそこの穴も自分の力で絞めることができたという。だからこそ、昔の女性は10人近い子どもをしかも医師の力を借りずに産むことができたのだという。気軽に助産院による出産を考えていた私はちょっと反省させられた。

2時間半に及ぶ講習を終え、帰宅。早めに夕食を済ませて、私は一人で映画を観に行く。

渋谷ヒューマントラストシネマ 『さんかく
『机のなかみ』と『純喫茶磯辺』で私のマイナー映画好き心をグッとつかんでいる監督、吉田恵輔氏の最新作。田畑智子が主役ってところも泣かせます。相手役は高岡蒼甫。東京で同棲している2人のもとに、AKB48の小野恵令奈演じる田畑の中学生の妹が田舎から出てきて居候するという設定。若くてピチピチな女の子に徐々にメロメロになってしまう高岡は妹が実家に帰ったあと、ちょっとしたことで田畑と喧嘩し、別れることになってしまう。そこからの、それぞれの情けない行く末が見所の作品。ナボコフ『ロリータ』的な作品を構想していた監督が、小野恵令奈を見て、物語化したというオリジナル脚本はまさにはまっている。まあ、物語自体は目新しくはないが、配役を念頭においてのオリジナル脚本というところが本作の強み。特にラストシーンの間に現れているような独特な雰囲気が素晴らしい。もちろん、ちょっとしたエピソードがこれまたホッコリして素敵。『純喫茶磯辺』はちょっとイマイチなところがあったが、オリジナル脚本にこだわる監督がまた現れましたね。1作にかかる時間は長くなるでしょうが、これからもこだわりの作品を撮っていってほしいと願う監督です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本風景論

志賀重昂著,近藤信行校訂 1995. 『日本風景論』岩波書店.

志賀重昂(1863-1927)が1894(明治27)年に出版したのが本書。1989年に『地理学評論』に掲載された荒山正彦さんの論文によってその存在を知る。そういえば,その論文が面白くて,大学院に入りたての私は,生意気にも掲載されたばかりの自分の論文への感想を要求する形で,著者本人に感想文を送りつけた。とても丁寧な返信をもらって,それ以来手紙や年賀状のやり取りをさせていただいている。
そんなことで,もう15年以上も読むべき本を位置づけながらも読まずにいた。私が購入した岩波文庫版には小島烏水による解説文が掲載されているのだが,昨年の映画『剣岳 点の記』で小島烏水を仲村トオルが演じてから,また本書のことを思い出し,今年度法政大学の「地理学」で景観をテーマに話をしているため,1回分を本書にあてようと考え,急いで購入した次第。『日本風景論』は講談社学術文庫版も出ているのだが,新刊ではどこの書店でも置いていなく,急いでAmazonで購入した。たまたま,プライム会員といって,注文当日に発送してくれるというサービスが無料体験をやっていて,本当に注文した日に届けてくれた。
本書を買いにいった新宿のジュンク堂で,本書がなかった代わりに購入したのが,大室幹雄 『志賀重昴『日本風景論』精読』。先んじて,ここに書かれていることも交えて本書について書いていくが,素朴に読みにくい本であった。というのも,私たちが書き言葉と読み言葉をそれほど違えずに使うようになったのは,明治期の「言文一致運動」があったからだといえる。しかし,本書『日本風景論』はその過渡期の時代,大室の言葉を使えば「漢語くずれの散文」であったという。もちろん,知らない漢字も多い。そして,その読みにくさは,それが本書の魅力でもあるのだろうが,その構成にもあると思う。以下に示すように,目次は単純明快な論旨を示しているのだが,本書には引用が多い。作者名が示された漢文や詩句などが引用され,漢文には訳文が併記されている。それから,季節ごとの植物一覧表があったり,火山の説明が一つ一つの山について羅列されていたり。ちなみに,火山と登山に関する記述は本書の約半分を占めるわけだが,そうした火山の形をスケッチした木版画も多数掲載されている。

1 緒論
2 日本には気候,海流の多変多様なる事
3 日本には水蒸気の多量なる事
4 日本には火山岩の多々なる事
〔付録〕 登山の気風を興作すべし
5 日本には流水の浸蝕激烈なる事
6 日本の文人,詞客,画師,彫刻家,風懐の高士に寄語す
7 日本風景の保護
8 亜細亜大陸地質の研鑽 日本の地学家に寄語す
9 雑感 花鳥,風月,山川,湖海の詞画について
〔資料〕
志賀重昂氏著『日本風景論』(内村鑑三)
〔岩波文庫初版〕解説(小島烏水)
解説(近藤信行)

そんなことで,明治時代のナショナリストである志賀重昂による本書とは,日本の自然風景の美しさを声高に歌い上げることによって,それが日本人の愛国心に質するというのが大まかなところ。日本列島の自然地理学的な特徴を,1~5までで明確に示し,それを1によって,瀟洒(しょうしゃ,さっぱりしているさま),美,跌宕(てっとう,のびのびと大きいさま)という3つの美的基準によって測る。特に3番目の「跌宕」という基準によって美しいとされるのが4の山々に対する想いであり,本書でも全体の半分ほどが4章にあてられている。また,この記述に影響を受けた小島烏水らが,日本山岳会を設立し,日本のアルピニズムを形成していったというのは荒山氏の論ずるところである。さらに荒山氏はこれまで漠然といわれていた,本書には英文の旅行案内書がネタ本としてある,ということを詳細に示している。
しかし,それは本書を非難することではなく,日本人がそれまで有していなかった山頂から見下ろすという風景の眺め方は外国人旅行者によって日本に持ち込まれたものではあるが,それを日本の独特の風景として論じ,本書がベストセラーとなり,日本にアルピニズムが定着していくことに貢献したといえる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画の困難を描く映画

6月25日(金)

講義後、渋谷に移動。翌日から夫婦で台湾旅行。帰国後、1ヶ月は献血できないので、献血ルームに行く。久し振りに全血400nlを勧められたので、ご要望に応じて全血採血。400ml献血をすると次にできるようになるまで2ヶ月かかってしまうが、まあちょうど良いでしょう。血液の濃さで褒められる。私は確かに水分補給が少ないが、正直なところ、どうなのだろうか。水を大量に摂取する人は、それによって、血液中の老廃物が取り除かれ、さらさら血液になるなどと信じているようだが、人間の身体はそんなに単純なものなのだろうか。私は古い人間だから、そもそも水や、自宅でも簡単に入れられるようなお茶をお金を出して買うことに抵抗がある。さらにいえば、「六甲のおいしい水」くらいは許せるにしても、フランスやスイス、アメリカからわざわざ輸入した水を飲むということを倫理的に許容することはできない。その輸送経路に、どれだけ飲料水に困っている国や地域があるのだろうか?もちろん、そんなことを考え始めたら、コーヒーや紅茶すら飲めないが、ともかく大量のペットボトルの使用など、リサイクルされれば大丈夫のような論理には賛成しかねる。まあ、ともかく心身の健康にはもっと別にやれることがあるのではないだろうか。
余談が過ぎたが、全血だったので予定した時間配分が余ってしまう。献血ルームでレポート採点。それから恵比寿に移動。

恵比寿ガーデンシネマ 『あの夏の子供たち
ある映画プロデューサーの家族を主人公とするフランス映画。なんと、監督は29歳のミア・ハンセン=ラブという女性。オリヴィエ・アサイヤス監督作品に出演したことのある女優でもあるそうだ。私の見覚えのある俳優はあまり出演していないが、いかにもフランス映画的雰囲気のある作品。
地味だがこだわりのある作品を制作してきた映画会社を運営する映画プロデューサ。冒頭から車の運転中も携帯電話が手放せず、家族には「携帯中毒」といわれるほど。長女は少し難しい歳だが、娘3人に恵まれた幸せな家族。好きな仕事を貫いているが、いくつかの進行中の映画を抱えながら、撮影所への未払い金や銀行への借金、どうにも八方塞になってしまい、彼は自殺する。予告編では「その後の家族の再生の物語」と書かれていたが、意外にも映画業界の厳しさを知らしめる前半部分が長い。後半も、頓挫した映画をどうするか、映画会社を存続させるにはどうすればいいのか、非常に具体的な方策や手続きが描かれ、ドキュメンタリーっぽい作りである。
さすがに興行収入よりも、質の良い映画を、ほとんどのプロデューサが嫌うわがまま監督などを一手に引き受けるという設定であるがゆえに、それを表現するこの映画自体の質の良さが問われる作品である。はたして、その基準はクリアするのだろうか。確かに、主要登場人物の一人が自殺するという事件があるものの、本作の展開はさしてドラマティックではないし、これといった目玉俳優も配していない。作品のホームページを読んでいると、監督を含め出演者もアサイヤス作品と関わっている人が多く、『夏時間の庭』のような雰囲気を醸し出していて、私はけっこう好きな作品です。ちなみに、長女を演じるアリス・ド・ランクザンは『夏時間の庭』にも出演していて、その若さ弾ける美しさはきちんと覚えていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »