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地震

3月11日(金)

普段は大学の講義があるので,朝一で市ヶ谷に出かける。15時前といえば,帰る前に映画でも一本観ているか,観終わって帰路についている頃かと思う。しかし,大学は春休み中だし,私の行っている会社は役所仕事が多いので,年度末は忙しく,この日も出勤していた。数日前にも少し大きめの地震があったので,誰もが落ち着いてその揺れに身を任せながら仕事をしていたが,今回の揺れはそれではすまなくなった。遅すぎる感はあるが,部長が「皆さん多摩川河川敷に非難してください」とのアナウンス。でも,その切迫さは数ヶ月に一度ある避難訓練よりも小さいので,皆「本当に非難するの?」という感じだった。しかし,フロアの隣の部署では,非常階段を空けて出て行っているので,ようやく皆重い腰を上げて非難を開始した。私はすぐに戻れると思ったので,上着は着たが財布だけを持って出ることにした。
外は多少寒くはあったが風のない穏やかな天気。なかには携帯電話でテレビを見たり情報を集めるものもあったが,この時点で,多くの人に危機感は薄く,雑談している人が大半だった。しかし,なかなか会社には戻れず,外にいたのであまり感じなかったが,その後も余震は続いていた様子。私のいたフロアは6階だったが,8階では天井が落ちたとの情報も。間もなく風が吹き始めて寒くなってきて,河川敷で1時間弱過ごした後,荷物を取りにオフィスへ戻り,会社自体は業務終了,そのまま解散となった。しかし,河川敷から川を渡る線路を見てすぐに分かったように,京王線は止まっている。駅前の道は渋滞しているので,恐らくタクシーは捕まらないし,バスは走ってはいるがどうなることやら。
荷物を取りに戻った時点でメールを確認し,妻が子どもと何とか過ごしていることを確認。私も徒歩で帰ることを伝えて会社を出る。私はかつてその辺りに住んでいて,河川敷はジョギングコースだった。ジョギングでも南武線が川を渡るところまでは行ったことがあったので,歩いて行けない距離ではない。ということで,16時過ぎに歩き出す。このとき困ったのは花粉だった。鼻のムズムズは続き,一度くしゃみをしてしまうと癖になったように止まらなくなるし,かといって我慢するのも辛い。もちろん,鼻だけでなく目にもきます。とにかく,ひたすら歩くしかないので,河川敷のふきっさらしのなか,黙々と歩く。他にもけっこう歩いている人たちとすれ違ったり追い抜いたり。たまには走ってみたりとしながら1時間でどうやら明るいうちに帰宅できそうだと確信。私が歩いたことのない区間には発見もありました。水の流れを人工的に作り出した河川敷の公園や,府中市のプール。そして,河川敷にブルーシートの仮設住宅を建設して生活している人たちの多さ。
かなり疲労困憊して自宅に着くと,自宅から息子を抱えて出てこようとする妻がいた。「もう,怖くて家にはいられない」という。彼女は台湾出身だが,11年前の台湾の大きな地震の時にも台北でそれを経験している。さすがに幼い子どもと2人きりでは心細かったことだろう。怖くてガスも使えないからお弁当を買ってきて夕食にしましょうという。私はかなり疲れていたので,暖かい手作りのご飯が食べたかったが,妻の怖がりは尋常ではなく,一旦は彼女の意見に従ったが,私はこういうときこそ何か家事労働をしているほうが落ち着くと思い,私が作るからと説得。私が帰宅して妻もようやく少しずつ落ち着いてきて,結局は妻が作った夕食を食べることになる。私は河川敷を歩いてよく分からなかったが,その間にも余震は多かった様子。もちろん,帰宅してからも夜中中余震は続き,ほとんど眠れない。皆が口をそろえて「人生で一番揺れた」というが,私は意外に危機感がない。わが家にはテレビもないので,阪神大震災のときのようにイマイチ実感がないが,今回は東京でもかなり揺れたし,インターネットに接続したパソコンが自宅にはあるので,かなりの情報は入ってくる。それでも,どこか遠くで起きている出来事のように思えてしょうがない。幸いにして私の自宅付近ではガスも水道も電気も通じていて,私の大量の本棚の本もCDも無事だった。埼玉の母親にも妻が電話して安否を確認してくれたが,水周りのトラブル以外は大丈夫とのこと。

3月12日(土)

この日は午前中妻が映画に行き,その後青山のこどもの城に出かけ,地理学者仲間達と久し振りに合流する予定だったが全てキャンセル。映画館はやっていないし,妻は電車が止まって帰宅できなくなることを恐れ,かといって私だけ出かけるようなことは許されない。ともかく,家族3人で一緒にいたいという希望。結局,電車には乗らず,歩いていける範囲で散歩がてら調布駅前まで。調布市図書館はやっている。でも,PARCOもどこも休業しています。スーパーでは皆が商品を買い漁り,まさにパニック状態。
こういう状態を見ると,人間の浅ましさに嫌気がさす。私たちはなにも被災者でもないのに,何に備えようというのか。被災者のことを想って,余暇的なことを自粛してなんになるのか。例えば,自分が結婚してまもなく,余命いくばくかを告げられるとする。ドラマや映画ではないが,ほとんどの人が,自分が死んでもいつまでも悲しんでないで次の人生を生きてほしいと思うはずだ。だから,私は被災者のために私たちの日常生活を犠牲にすべきではないと思う。もちろん、自分の日常生活を犠牲にして被災者のために尽力できる人は素晴らしい。募金をするとか、募金活動をするとか、残業や臨時的なアルバイトをしてその収入を募金に回すとか。でも、考えられるのはその程度だ。多くの人は自分が被害に遭わないように注意するということだろう。

3月13日(日)

ずっと家にいるのもなんなので、妻が提案した外出計画。それは私の献血。けが人も多く出ていることを考えると、献血というのは一つの社会貢献だし、献血ルームであれば妻と子どもがいてもとがめられず、一緒に行動することが可能だからだ。都内の献血ルームの多くは都心の方に集中しているが、そちらへの移動を妻は躊躇し、場所は立川になった。行きは高幡不動からモノレール、帰りは南武線経由で移動することにする。午前中に到着したが、なんとかなり混み合っている。私は献血100回越えの常連だが、余暇的活動を制限され、自分にできることを考えて献血に来た人も少なくないらしい。その証拠に成分献血よりも全血献血の方が混み合っているとのこと。確かに、けが人への輸血は全血が必要だが、病院などの被災によって失われた血漿や血小板なども必要だと思われる。全血と成分とどちらにするか聞かれたが、私はどちらでも必要とする方を、と答えた。やはりかなり時間がかかりそうだし、献血ルーム内に席の余裕はないので、妻は子どもを連れていったん外へ。
結局、私の血液の濃度が大きいということで、全血になった。もちろん400mlですが、成分献血に比べるとあっという間に終了。妻と電話連絡を取り、献血ルームが地下に入っているビルの1階にあるカフェでランチ。その後、子ども服などを探して回ったり、お茶をしたり。帰宅する前に近所のスーパーで食材を購入しに行くが、すっかり混雑していて、かなりの品薄状態。卵や牛乳、お米といった基本的な食材がすっかりなくなっています。まさにパニック状態。冷凍食品なども品薄ですが、停電に備えるにはどうなの?と思いますよね。本当に困ったものです。

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