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2011年6月

銃・病原菌・鉄 上巻

ジャレド・ダイアモンド著,倉骨 彰訳 2000. 『銃・病原菌・鉄(上)――13,000年にわたる人類史の謎』草思社,317p.,1900円.

著者は生物学を基礎としながらも学際的な研究をしていて,自らを地理学者とも自認している人物。そんな人の著者が,原著が1997年に出版された際にはピュリッツァー賞やコスモス国際賞を受賞したという。日本語訳は2000年に出たが,その後10年経過して,朝日新聞が選ぶ「ゼロ年代の50冊」のベスト1に選ばれたという。そんな話題が身近な地理学者たちで盛り上がり,4人で精読することになったのだ。このメンバーは昨年までかなり頻繁に会って,英語論文を一緒に読む「論文会」なるものをやっていた4人。そのメンバーの情報によれば,本書は原著が刊行された際,とあるマルクス主義系雑誌で論争もされたという。そんな,地理学内外,国内外の評判や批判も含めて本書を検討しようという試み。私的にはあまり気が進まない本なのだが,とにかく読むことにした。とりあえず,上巻の目次を辿ってみよう。

 日本語への序文――東アジア・太平洋域から見た人類史
 プロローグ ニューギニア人ヤリの問いかけるもの
第1部 勝者と敗者をめぐる謎
 第1章 13,000年前のスタートライン
 第2章 平和の民と戦う民との分かれ道
 第3章 スペイン人とインカ帝国の激突
第2部 食料生産にまつわる謎
 第4章 食料生産と征服戦争
 第5章 持てるものと持たざるものの歴史
 第6章 農耕を始めた人と始めなかった人
 第7章 毒のないアーモンドのつくり方
 第8章 リンゴのせいか,インディアンのせいか
 第9章 なぜシマウマは家畜にならなかったのか
 第10章 大地の広がる方向と住民の運命
第3部 銃・病原菌・鉄の謎
 第11章 家畜がくれた死の贈り物

なんとも中途半端な上巻の終わり方だ。11章は決して長くないので,普通だったら,第2部で終わりにするところだが,明らかに上巻予告的な章を最後に入れて下巻も買わせようという魂胆。そもそもこの出版社の本で私が持っているのといえば,『マルコ・ポーロは本当に中国に行ったのか』という,確かに真面目な歴史書ではあるのだが,安易な一般の歴史好きが興味を抱きそうなタイトルである。本書は,著者の他の日本語訳された著書,『人間はどこまでチンパンジーか?』や『セックスはなぜ楽しいか』ほど一般の人の関心を引くものではないが,内容的にはあきらかにそうだ。著者は地理学者といっても自然地理学者であり,本書は人類史ではあるが,人類という表現からも分かるように,一生物と捉えている感がある。そして,読んでみるとあまり目次のつけ方がうまくない人だなと思うし,第1部がなければ第2部はそれなりに説得的な内容だと思う。
まず,著者は冒頭で自分の立場を一応明確にしている。彼は後に『文明崩壊』という本も書いているのだが,人類における社会集団の勝敗を決めるのは人種や民族といった生物学的性質や能力であると論じるようなものではない。かといって,日射の強さや雨量などといった環境によって全てが決まるというような環境決定論という立場に対しても研究者になるための教育のなかで批判的な精神を持っている。けれどもある程度の環境決定論的な論調が否めないのが本書。でも,とりあえず私が読んだ第2部の内容は非常に詳細で,ある意味でその立場は貫かれているのだと思うのだが,やはり第1部の書き方が悪い。書き方というよりも前提だろうか。本書の日本語訳副題には「13,000年」と明確な歴史的時期が含まれているが,これは世界4大陸に人類がいきわたった時期を示している。しかし,本書の扱う範囲はもっと長い。日本語タイトルに惑わされてそこを間違えてはいけない。
第1部は要するに,一般の読者が興味を持ちそうなトピックが並んでいる。キーワードはもちろん「謎」。一般的な歴史好きな人(科学好きな人も)が好む言葉だ。宇宙は全て因果によって成り立っているという単純明快な論理。いかにも地理学者的なこんな問いの立て方。ある時代にA地域に住むa民族は定住し農耕を始めたのに,なぜB地域に住むb民族は相変わらず狩猟を続け定住しないのか。これをさまざまな自然環境の違いや隣接する地域との関係などで解明しようとする。第1部について書こうとすると愚痴ばかりになるので,第2部について書こう。
その前に,日本語版への序文に言及しておきたい。今日のグローバル化を論じる際に,1492年のコロンブス大西洋航海以降の時代を中心に,ヨーロッパ中心的に世界史を論じるというのが一般的である。しかし,本書は人類史ということでも13,000年という長い歴史を設定し,さらにいえば人類が全世界に広まっていったという前史についても言及している。また,その考察する歴史の長さからくるものではあるが,東アジアや太平洋地域を重視しているのだという。私が読んだ上巻ではその辺はまだ出てこないが,第2部と第3部のはじめについて書いておこう。
第2部はまさにタイトルどおり。人間が定住を始め,農耕生活を始めた頃のことが語られる。人類の世界的な広がりの方向と時代に対応して,その地域に存在する生物としての植物と動物。その生物学的特質(生育に関する特徴も含む)と人間の能力との対応が丁寧に考察される。人類史における農耕の始まりを人種の問題や気候の問題に単純に還元したりしない。ただし,第2部の記述はかなり生物学寄りのものなので,人文・社会科学系の読者には読みにくいのは確か。
第3部のはじまりは,本書のタイトルにもある「病原菌」についてなかなか興味深い説明がなされる。しかも,この第3部の冒頭は第2部の人間による野生動物の家畜化と大きく関係している。人間を死に至らしめる病原菌を,人間は人間の立場からしか考えようとしないが,そこはさすが生物学者。病原菌が生存するために,どのように動物や人間の身体を利用するのかという観点から,その病状の説明をするのだ。そして,第1部で先取りされたラテン・アメリカにおける16世紀の植民地支配に関しても,入植者がもたらした病原菌が現地住民を死滅させる大きな役割を果たしたというのは私がよく知らなかった事実である。

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引越し

前にも書いたように,息子は急速に行動範囲を拡げている。以前は彼の居場所である畳の部屋で満足していたが,匍匐前進を学び,進行方向を向いて移動できることを覚えてからは,目標物に向かって一直線に進めるようになった。すると,当然和室から脱出するのも簡単。むしろ,匍匐前進には摩擦抵抗の大きい板間の方が都合がよいのだ。その板間はダイニング。決して広くないので,料理をしている場所に彼を入れるのはいたって危険。ということで,今月に入って急速に引越し計画が浮上。買い物に行ったついでに,スーパーからダンボールをもらってきてはCDやら本やらを詰める毎日。
今度は少し長く住もうということで,借りる部屋は慎重に決めることにする。しかし,世間はそう甘くない。初めて訪れた不動産屋で欲張って5件の物件を内覧させてもらう。でも,なかなかこれといった決め手がない。今回は日当たり重視で検索しているので,その条件はほとんどクリアしているのだが,驚いたのが家賃の制限をつけたせいか,ほとんどの物件でエアコンが一台も設置されていない。借り手が購入して設置することを前提としている。そして,意外だったのが,調布市でもプロパンガスのエリアがまだまだあること。
結局,その日は持ち帰りで,改めてネットで調べたり,もう一件の不動産屋に行ったりしたが,どうやら私たちの考えている条件では似たり寄ったりの物件が多いとのこと。そして,ネット時代の最近では,同じ物件を複数の不動産屋で扱っている状況なので,独自の物件しか扱わない地元の小さな不動産屋でも回らない限り,どこも似たり寄ったりだとのこと。最後の決め手は担当者の熱心さや大家さんに交渉してくれる粘り強さといったところか。最終的によさそうな物件3つに絞って現在に至る。結局は府中市への転出となりそうだ。
決め手は便利さと新しさ。現在改装中の物件に申し込みをしたので,最終的なできあがりを見てみないと本契約はできないが,今のところ他の人が契約できないようにしてもらっている。3階建ての全9戸のマンションの3階の中部屋。もともと3DKを2LDKに改装中。改装を始めたばかりの状況でみせてもらった。1部屋は畳部屋をフローリングにしたりしているので,フローリングは全面的に張り替え。キッチンとお風呂と洗面台を新しいものに入れ替え,エアコンを1基つけてくれることになっているが,ということは新品。トイレは入れ替えではなく,玄関にシューズボックスを置くスペースがないのと,ベランダにつながるガラス戸がちょっと古い感じがあるのは多少気になるが,その外にも外装にも手を加えているようで,出来上がりが楽しみ。私の通勤電車からはそのマンションを見ることができるので(またもや線路が近い),毎日帰りの電車で見ています。

6月25日(土)

この日がその申し込みをした物件を見に行った日だったが,その前に今年3度目のライヴ。たまたまタワーレコード渋谷店に行って発見したtico moonの新譜。インストアライヴが土曜日にあって,サイン会まであるというので,かれらにわが息子を見てもらおうと,無理いって妻にも来てもらって,大学講義後に新宿で落ち合う。

タワーレコード新宿店 tico moon
tico moonとしてのタワーレコードでのインストアライヴは初めてだと思っていたが,実は吉祥寺店でありましたね。333discsミュージシャン同士ということで,naomi & goroと一緒,そしてtico moonのゲストでは湯川潮音ちゃんも参加して,なぜか彼女もサイン会に加わるという何か平和な時代という,遠い日の思い出に思えてしまう。さて,今回は吉祥寺店とは違ってかなりアウェイな新宿店ですから,かれらは今回もゲストを用意しています。この辺のつながりには事欠かない。ということで,遊佐未森さんがゲストでした。あまり,tico moonのディープなファンというのは知らないが,私よりちょっと年上のおじさんたちがかなり集まっていましたが,終演後サイン会に並んだ人は3割程度だったので,おそらく遊佐未森ファンが多かったと思われる。久し振りのtico moonでしたが,やはりああいう場での音響施設でアイリッシュハープを聴くと,なんか違うなあと思ってしまう。
終演後のサイン会では私が抱っこをして臨んだが,意外だったのは影山さんの方が息子を見て驚き,反応していたこと。友加さんの反応はイマイチだった。

この日も急いで調布に戻り,不動産屋に行く。この週は映画がおあずけでした。

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保険,そして妻の仕事

私は国民健康保険以外の保険というものに入っていない。独身時代も結婚してからも,あまり入るつもりはなかった。保険も株も,所詮はギャンブルだと思っているからだ。しかし,妻が出産し,当面の間は悔しいながら,大多数の家族がとるような生活形態を取らざるを得なくなった。妻が家にいて子どもの世話をし,私は妻の稼ぎがなくなった分も外で働いて給料をもらわなくてはいけない。私が学問的には批判的な性的分業の姿が自らのものとして存在している。
しかも,以前も書いたように,妻の出産を前にして,私が市の40歳特別検診で初めてやったバリウム検査でひっかかり,胃カメラを飲むことになり,これは書いてないが,今年の3月頃には胃痛を発症し,通院して投薬されたのだ。父親を胃癌で53歳で亡くしている私が,「いつかそのうち」と覚悟していたことが少しずつ近づいているような気がしてきた。しかも,今はそういったことで,私の体は私一人のものではない。焦っていくつかの保険にあたってみたが,この通院のおかげですんなりとは契約できず,保険について調べるのはやめてしまっていた。
そんな時になぜか私が契約しているプロバイダであるニフティから電話があった。なんでも,プロのファイナンシャル・プランナーによる保険相談を無料で受けられるという勧誘だった。いつもはこういう胡散臭いものはその場で断ってしまうのだが,今回は一応全くの無料ではなく,私が月々プロバイダ料を支払っている会社のサーヴィスということで,しかも本来は現在加入している保険の見直しというのがメインのようだったが,これから保険に入る相談もできるかという質問に対してはイエスという回答を得たので,そのファイナンシャル・プランナーという人に会ってみることにした。もちろん,ニフティ株式会社のなかにそんな人がいるわけではなく,別の保険コンサルタント会社ブロードマインドというところと提携しているとのこと。
保険の説明を受けるだけでなく,きちんとその会社がどういう仕組みで利益を得ているのかということとか,なぜニフティが無料で保険相談をしているのか,ということなどについても納得いく説明をしてもらったので,とりあえずこの人を信用することにした。で,結果的には保険のことも大分理解できて,彼が提案するプランもなかなか魅力的だったので,加入をお願いすることにしたのだ。ちなみに,この会社は外資系も含めて日本国内で営業しているかなり多くの保険会社の商品を扱っていて,それを顧客のニーズにしたがって組み合わせることができるということです。最終的には学資保険をあいおい生命で,私の生命保険を損保ジャパンひまわり生命で,私と妻の医療保険,そして私のガン保険をメットライフアリコでお願いすることにした。ちなみに,あいおい生命で学資保険?という疑問があるかもしれませんが,この人の提案では,いわゆる学資保険としての商品よりも,貯蓄型の生命保険を学資保険として利用するという方が戻りがいいとのこと。

6月19日(日)

さて,この日は妻が撮影の仕事ということで,半日息子を預かる。最近活動範囲の広くなってきた息子のために,手狭な今のマンションから転居することを検討中。ということで,断捨離ではありませんが,私の蔵書のなかから読んだものでも再読が全く考えられないようなものは処分することにした。また,CDも然り。現在の自分にとっておそらく数年先まで一度も聴くことがないだろうというものは処分。書籍はジャンルによって持ち込む古書店を考えているが,先週CDをまとめて下北沢のレコファンに持って行くついでに,厳選した14冊の研究書を下北沢の「ほん吉」に持っていった。残念ながらその日は買取の担当者が不在で,後日連絡ということになったが,4100円の値がついた。他は20冊で100円とか,15冊で1500円とかなので,それなりの値段だといえる。この日はそのお金をもらいに,息子と2人で下北沢まで行く。
それから吉祥寺に移動。早速,おむつ替え。はじめはPARCOにいったが,おむつ替え台がなんと女性トイレの中にしかない。こんなところで男女差別にあってしまった。しょうがないので,東急百貨店の授乳室へ。ここは広スペースにおむつ替え台がいくつも並んでいる。おむつを替えて,ここで粉ミルクも飲ませる。なかなか大変だ。吉祥寺では何軒かの古書店を回り,15時前に調布駅前行きのバスに乗る。途中停車場「西原」で下車して妻が撮影をしている公園へと向かう。

妻は写真の専門学校を卒業しているが,育児中でもできる仕事として,フリーランスのカメラマンとして働こうとしている。デジタル一眼レフカメラを新調し,プリンタも新調し,写真データの加工などで使っていたマッキントッシュではイマイチだというので,新しいパソコンも買った。私がかなりの資金を出資したという形。
そして,smile photosという名前でホームページも立ち上げました。まだまだ口コミでこれから顧客を広げようという感じではありますが,私のblogでもささやかながらそのお手伝いをしようということで,リンクを貼っていますので,是非観に行ってあげてください。
コンセプトは幼い子どものいる家族の家族写真。もちろん,子どもが生まれると親たちは子どもの写真を無数に撮影しますが,自分たちも入った写真は意外にない。かといって,スタジオで撮影する家族写真はそれはそれで記念になるものの,堅苦しいし料金は高い。そこで,妻は自宅への出張撮影をし,自宅でリラックスしたいつもの家族の姿を記録するというものです。その外,妊婦写真や場合によっては出産写真なども承ります。まあ,その他ご要望に応じて。

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月曜日の朝

山口 瞳(文),田沼武能(写真) 1976. 『月曜日の朝』新潮社,237p.,3800円.

私はいわずと知れた(?)田沼武能研究者だ。集中的に彼の作品に取り組んだのは私が修士課程2年の頃だから,1995年か。そのころはちょうど神保町でアルバイトをしていたので,古書店を廻って田沼さんの写真集を集めた。もちろん,古書で集めきれるはずもないので,手に入らないものは図書館を使ったのだが,本書は国会図書館で思わず読みふけってしまうほど魅力的だったにもかかわらず,その後古書店でも全くお目にかかったことがなかった,私のなかでは幻の作品。山口 瞳氏は直木賞も取った有名な作家なので,古書店でも彼の作品はよく見かけるが,本書は写真も掲載しているという特殊なものなので発行部数も少なかったのだろうか。それが,最近思い立って,Amazonで検索してみると,なんとけっこう安価で古書が出回っているではないか!嬉しいとのちょっとショックなのと,でもとりあえず購入した。
いやはや,やっぱり面白い。51のエッセイが収録されたものだが,もともとは1973年の『週刊朝日』に連載されていたものだ。この頃の『週刊朝日』といえば,先日とりあげた『マイ・バック・ページ』の著者,川本三郎が退職された後だろうか。まあ,それはともかく,編集者の提案にしたがって,国立に住む山口氏が,週に2回東京駅前の会社まで通っていたという,通勤日記的なエッセイになっている。泉 麻人の『地下鉄の友』みたいな感じで,車内で目にする耳にする他人のこと,また駅や電車でばったり会ってしまう知人のこと。ともかく,目の付け所がやっぱり違ってなんてことない文章なのだが,非常に興味深い。さすが『江分利満氏の優雅な生活』の著者。江分利満=エヴリマンであり,誰にでもあてはまるような,それでいてどこにも存在しない抽象的な「普通の人」を主人公にするという素晴らしい発想。山口氏の作品で,これだけは読んだことがあるのだ。ちなみに,山口氏は作家になる前に会社勤めをけっこうしていて,有名なのはサントリーでのコピーライター。近年再びブームの「トリス・ウィスキー」の有名なコピー「トリスを飲んで,ハワイに行こう」は彼のものらしい。そもそも,サントリーは広告活動に力を入れていて,日本における洋酒文化の普及に努めたといえる。そんな雑誌『洋酒天国』ってのが過去にあり,その写真を担当したのが田沼武能というつながりだという。もちろん,田沼氏の『文士』にも若かりし頃の山口氏の写真が載っているし,田沼氏の写真集の幾つかに山口氏が序文をつけている。ちょうど,私がそんな修士論文に取り組んでいた時期,1995年8月に山口氏は亡くなり,田沼氏は彼の追悼写真集を出版した。その写真展は観に行った記憶がある。
ともかく,文章も写真も,装丁も素晴らしい作品です。

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息子,8ヶ月

今週で息子は生後8ヶ月を迎える。私のblogも育児日記は少なくなってきたし,妻も前ほど頻繁には息子の写真を現像しにいかなくなった。その間も息子は着実に成長をしているのだが,以前より一つ一つのことが驚きではなくなり,気に留める間もなく過ぎていくという感じだろうか。
まだハイハイはできないが,和室のなかをかなり自在に動くことができるようになった。基本的には以前に書いたように,寝返りによる横方向の移動と仰向けで足を使って頭の方向に移動する縦方向とが可能なのですが,最近は匍匐前進的なものも少しずつ覚えるのと,うつ伏せになってお腹を支点にして方向転換するのが得意になりました。ということで,けっこう思い通りの方向に進むことができ,時には和室から外に出てしまうことも。
それから,完全にウンチが固形化しました。そのせいで,ウンチをするときには以前より踏ん張るようになり,踏ん張りはじめに気づけば,急いでおまるを用意し,おむつを脱がせて,おまるの座らせると,うまい具合にウンチをキャッチすることができるようになりました。なんと,初めて成功してからは8割がたキャッチできるようになったのです。最近は,ウンチの時間も安定していて,朝は大体必ず,そして時折夕方もします。残念ながらおまるにうまく座らせるのは私だけで,妻が成功したことはありません。しかし,幸いなことにウンチをするタイミングに大体私が居合わせる時間なのでうまくいっています。でも,ウンチが固形化すれば,紙おむつでもきちんとウンチをトイレにポチャンとできるし,布おむつもほとんどごしごし洗う必要はなくなったので,おまるでするメリットはあまりなかったりして。でも,この行為はいつでも嬉しいものなので,続けようと思います。

20110410_003母親に向かってハイハイするところを撮ろうと思いきや,寝返りをしてしまった瞬間。

ところで,私はなるべく息子と一緒に過ごそうと努めている父親ではありますが,さすがに最近は母親と過ごしている時間と私と過ごしている時間の蓄積に差が出てきているのか,私が間近にいても,母親の姿を探して号泣する場面が増えてきた。特に,あんなに好きだったお風呂でさえも,私と2人きりでは泣き通し。妻が入れると当然ご機嫌なのだが,先に彼だけ上がって,私が拭いたりおむつをつけたり衣類を着させたりしている間も泣き通し。この状態はいつまで続くやら。困ったものです。

6月18日(土)

翌日の日曜日は妻が撮影の仕事で半日家を空けるので,私が半日息子の世話をする。ということで,土曜日は講義後に映画を観させてもらうことにした。2時間以上のけっこう長い作品。

新宿角川シネマ 『軽蔑
鈴木 杏を脱がせたとけっこう話題になっている廣木隆一監督最新作。私はこの監督のことを以前から知っていたわけではなく,寺島しのぶが日本アカデミー賞の主演女優賞を獲得して有名になった作品なので,あまり自慢にはならないが,それ以来なるべく観るようにしている監督。しかし,あまりにも多くの作品をてがけているので,過去の監督作品を調べてみると意外に観てなかったりする。
なぜ,私が彼の作品に一目置くようになったかというと,その音楽的センスによるのかもしれない。特に,『ラマン』では辻 香織がカヴァーする「少女」をテーマ曲に使ったり,その縁で辻 香織のプロモーションヴィデオを監督したりしている。ちなみに,『軽蔑』でも,美容室のシーンで店内にかかっているBGMはエミ・マイヤーの「登り坂」だったり,エンディングテーマがどこにもその情報が載っていないが,ハンバートハンバートの佐藤良成が新しく始めたバンド「グッバイマイラブ」の曲だったようだ。エンドロールが短くて,エンディングテーマはフルコーラス流れずに,途中でフェイドアウトしてしまったが,いい感じのバンド音とどこかで聴いたことがある歌声だったので,エンドロールを凝視していたら,「作詞・作曲 佐藤良成」の文字を発見した。他にも,日本の曲ではないがいい感じの曲が使われていた。しかし,冒頭にインパクトのある曲だったので,劇中に3回も使うのはどうかと思った。
さて,廣木作品は『M』以来の出演である高良健吾。鈴木 杏との恋愛物語。鈴木 杏演じるポールダンサー「マチコ」を目当てに夜な夜なお店に通う「カズ」を演じる高良健吾。ある日博打で作った借金を組の仕事でチャラにしてくれるというので,自分が通っているそのトップレスバーに乗り込み,店内を滅茶苦茶にしてしまう。そのドサクサにまぎれて,カズはマチコを店から連れ出して,和歌山県の熊野にある実家まで逃げる。そこはカズの実家がある町なのだが,そこではまた別の苦難がかれらを待ち受けている。まあ,そんな物語。
さて,この原作は中上健次のものである。彼は芥川賞も受賞しているし,青山真治によるドキュメンタリー『路地へ』というのもあるから,かなり有名な作家ではあるが,私が彼のことを知ったのは,友人の地理学者,若松 司氏が研究のなかで中上の作品を取り上げていたからだ。この作品『軽蔑』は中上が46歳で亡くなる時に書かれた最後の長編小説とのこと。1992年刊行。思っていたよりも新しいんだな。
さて,若い2人の絡みのシーン,役者としてはかなり必死な感じが伝わってくるが,それを作中人物の2人の生に対する必死さと解釈すれば,いいと思う。もちろん,暴力シーンもあり,観るのがかなり辛いシーンも一箇所あるが,廣木作品の不思議なところは,エロも暴力も一つの美学でまとめ上げていて,観る者に嫌な感じを与えないことだ。それをリアリティの欠如と批判することもできるが,私はこれが映画的リアリティであると思う。杏ちゃんの裸体はキレイです。小さすぎない乳房とクオーターらしいすっきりと伸びた足とウエストのくびれは少なく胴は少し太め。それにしても,高良君は24歳にして何人の女優との絡みシーンがあったのだろうか,そしてこの先も。ちょっといやらしい最後になりましたが,廣木作品常連(?)の大森南朋や田口トモロヲなども要所で出演していて見所満載です。さすが,廣木監督という感じの出来でした。

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『感情教育』歴史・パリ・恋愛

小倉孝誠 2005. 『『感情教育』歴史・パリ・恋愛』みすず書房,165p.,1300円.

みすず書房の「理想の教室」シリーズで,私が読むのは加藤幹郎氏の『裏窓』論に続いて2冊目。小さめで薄くて読みやすい。実際に講演があったのかどうかは分からないが,ですます調で,3回に分かれている。読書案内はついているけど,細かい引用文献などはなく,やはり一般の読者向けに平易に書かれているシリーズだといえる。しかし,もちろん著者は一流の研究者ですから,平易といっても中身は濃い。なかなか魅力的なシリーズです。
さて,本書の中心にあるのはフランスの作家,フロベール(1821-80)が1869年に発表した恋愛小説『感情教育』です。フロベールといえば1857年の『ボヴァリー夫人』が有名ですが,私は『感情教育』も読みました。岩波文庫で上下巻。なかなか読み応えがあった記憶と,読みながらパリの暴動のシーンが言葉ではなく映像で思い浮かびます。『ボヴァリー夫人』が田舎をも舞台に含めた女性の視点からの作品であるのに対し,『感情教育』は都市を舞台にした男性の視点からの作品です。さて,本書はタイトルどおり,3回の講義を以下のようなタイトルをつけて議論が進行します。

第1回 歴史
第2回 パリ
第3回 恋愛

といっても,基本的には19世紀の後半のフランスの状況を作品を通して理解しようというのが本書の狙い。まず,第1回では当時のヨーロッパ小説についての解説と,『感情教育』の歴史的背景としての1848年の2月革命について説明されています。特に,本書ではこの作品を歴史小説として位置づけ,それがいかに日本における歴史小説の一般的理解と異なっているか,ということを出発点にしています。日本で人気のある歴史小説には必ず歴史的人物が中心となって,歴史的事件を物語調に描くというものですが,『感情教育』は作者の綿密な調査に基づいて,歴史的状況が小説の舞台として復元されながらも,固有名詞はほとんど登場せずに,主人公を含む登場人物たちはフィクショナルな名前は付けられているものの基本的に匿名の一般市民です。
続いての第2回では空間的舞台としてのパリの当時の状況について説明されます。特に,この時期セーヌ県知事のオスマンによって,大規模な都市計画が実施され様変わりしたパリのことが解説されます。そして最後の第3回では,当時の社会関係が説明されるなかで,若き学生である主人公のフレデリックと,彼があこがれるブルジョア階級のアルヌー夫人が一般的にはどういう関係にあるのかが理解されます。当時の恋愛観と結婚観,性的な倫理などなど。もちろん,アルヌー夫人だけでなく,フレデリックが関係を持った,属性が違う他の女性3人についても解説されます。
本書にはいくつか当時描かれた風俗画なども挿入されていて,とても理解しやすい内容になっています。これだったら,先に『感情教育』を読んでいなくても理解しやすいし,逆に本書を読んでから『感情教育』を読むというのも楽しみが増えそうです。

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今年初めて有料ライヴ

6月8日(水)

この日は妻が息子を連れて栃木に一泊するというので,夜は自由。ということで,久し振りにライヴに行くことにした。夜の有料ライヴに行くのは出産後初めてである。いろいろ行きつけだったライヴハウスや,好きなミュージシャンのスケジュールを確認したが,なかなかいいのがなく,一人でおとなしく引越しの準備でもするかと思っていたが,月曜日になって下北沢leteで行きたいライヴを見つけたので,予約した。
ちなみに,現在借りているマンションは3年目になるが,息子が徐々に行動範囲を広げていることや,妻が衣替えの際に,カビが生えててしまった衣類を大量に処分してしまったことなどがあり,真面目に引越しを考えている。実際に物件を決める前に少しずつ荷物をダンボールに詰めていこうという感じです。

下北沢lete TICA
久し振りのlete。返信が来ないので心配したが,前日に返信があり,ホームページで確認したら満席で予約を締め切ったとのこと。危ない。やはりここ数年は年に何度もライヴにいけないので,せっかくいくライヴであれば完璧なものを選びたい。この日のお店とミュージシャンのチョイスは最高。こういう時に過ごしたい店で,聴きたい音楽を聞けた喜び。
leteの店長とは顔馴染み。といっても,気軽に会話はしない。それがバーでありながらこのお店のよいところだと思う。「お久しぶりです」とだけ挨拶をして,このお店で覚えたカクテル,イエガーマイスタトマトを注文。ライヴ代と併せて3200円。最近の私には高額だが,居酒屋での呑み会などに参加すれば,最低でもかかる値段だし,夫婦で夕食を外食すればかかる値段。まあ,この位何ヶ月かに一回であれば贅沢とはいわないだろう(数年前は毎晩のようにこんな感じだったが)。
この日は珍しく登場した石井マサユキさんはいつもどおり,武田カオリさんも相変わらず美しい。とても,母親とは思えませんね。この日もたっぷり2ステージ。トークは比較的控えめで,演奏曲も多めに用意してくれていたようです。TICAの新旧曲に加え,スピッツの「ロビンソン」やポリスなどのカヴァー曲もあったり。いやあ,やはりこの2人はミニマルで完璧。しかも,このお店でやってくれれば他に何もいりませんという感じで,ライヴがこんなにもスペシャルでありがたいものだと実感。

でも,やはり帰りは23時を裕に過ぎてしまい,久し振りに日付が変わって寝ることになりました。でも,幸い翌朝は目覚まし時計なしに6時に起きることができました。

6月10日(金)

数日前から読み始めた川本三郎氏の『マイ・バック・ページ』。ちょうど映画館に入って予告編が始まる直前に読み終わることができました。原作を読んで映画を観るのは本当に久しぶり。さて,ノンフィクションの原作をどのように料理してくれるのか。

渋谷TOEI 『マイ・バック・ページ
この映画化は山下敦弘監督。以前から私の友人さくさんのお薦めだった監督で,私も『リアリズムの宿』以降は観ています。でも,おそらくさくさん的にはそれ以前の作品がいいのだというのだろうな。尾野真千子をヒロインに迎えた『リアリズムの宿』の頃から少しずつ一般受けする路線に走っているような気がして(といっても,私はそれ以前は『中学生日記』や『この男狂棒に突き』などのDVD以外知らないのだが),絶対的に好きな監督というわけではない。脚本は昔から山下監督と組んでいる向井康介。主演は知っての通り,原作者川本三郎を「沢田」と名前を替え,妻夫木 聡が演じ,最終的に事件をこす運動家Kは「梅山」という名になって松山ケンイチが演じる。その他,山下監督作品常連の山本浩司,長塚圭史,そして『この男狂棒に突き』の汁男優こと山本剛史氏まで出演している。山下監督ファンたちはそんな人々の登場にいちいちニンマリするのだろう。
原作にはほとんど女性が登場しないが,川本氏が『週刊朝日』の記者だった時代に表紙を飾っていた十台の女性モデル保倉幸恵を忽那汐里が演じる。彼女との関わりは原作では1章を割いて説明されているが,映画ではうまく事件の進行のなかに組み込まれている。実際の保倉幸恵は22歳で自殺してしまったようなので,その点は忽那汐里とちょっと違うような気もするが,配役としては贅沢だ。他にも石橋杏奈と韓 英恵といった若手女優が映画では出演しているが,なんだかもったいない配役。確かに,いかにもいかがわしい運動家を演じた松山ケンイチはさすがだったし,原作の主人公である川本氏よりもよりピュアな若者像という映画製作側にとって妻夫木君はちょうどよかったのだろう。でも,全体的にこの映画が良かったのかどうかは,よく分からない。やはり山下監督の作品は私にとって好きでも嫌いでもないというところだろうか。

ちなみに,青土社の批評雑誌『ユリイカ』は早速山下敦弘監督の特集を組んだ。なぜか有名な社会学者の大澤真幸に映画の粗筋を書かせ,『1968』という分厚い上下巻に及ぶ大著を書いた社会学者,小熊英二に原作と映画の違いを書かせるといった贅沢さ。でも,そうして1968年に最も詳しい研究者が観ても遜色のない映像だったらしい。また,実際にKが起こした朝霞自衛隊駐屯地事件は原作でその詳細は描かれていないのだが,映画ではその事件に関して当時書かれたルポルタージュなどを参考にして復元しているようだ。

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川本三郎『マイ・バック・ページ』

川本三郎 2010. 『マイ・バック・ページ――ある60年代の物語』平凡社,221p.,1200円.

先日,川本氏の『雑踏の社会学』を紹介する時にも書いたが,結局本書も読むことになった。ちょうど,大学の講義でウォーラーステインの『ポスト・アメリカ』を教科書で使っていて,5章のタイトルが「1968年」。その章の話をする前の週に,この映画を学生に紹介したこともあって,とりあえず映画を観ることにした。ちょうどその頃とある日本文学の研究会のお知らせをもらって,そのネタになる作品を考えていたところだった。ということで,映画を観る前に原作を読むことにした。原作が自伝的なものであるとは知っていたが,全くのノン・フィクションとは知らなかったのだ。
本書は創刊当初の『SWITCH』に1986~1987年にかけて連載され,1988年に河出書房新社から単行本が出て,その後文庫化もされたらしい。それが,映画化が決まって平凡社から新装版が刊行されたという次第。新装版のあとがきによれば,なんでも映画のプロデューサーが古書店で河出書房新社版の単行本を入手して映画化の話が進んだらしい。新装版が出た2010年には川本氏は66歳,プロデューサーは40歳台,そして脚本家と監督が30歳台ということで,1970年前後を生きてきた男の記録が,その時代を知らない世代の男たちによって映像化されるということになる。まあ,同じようなことは音楽界でも20年位前にあったことだ。1970年代初頭に活動していた「はっぴいえんど」というグループにあこがれた1970年代生まれのミュージシャンたちが新しい方向性を切り開く。本作でも,エンディングテーマを奥田民夫と真心ブラザーズが,ボブ・ディランの本作のタイトルと同名曲を歌っている。劇中音楽を手がけるのはクラムボンのmitoと,『婚前特急』でも音楽を担当していたきだしゅんすけ。かれらも1970年代生まれだと思う。ちなみに,演奏ではチェロ奏者の徳澤青弦と橋本 歩が参加していた。
さて,映画の話は映画の時に書くこととして,原作に話を移そう。雑誌への連載ということで,本書は12章からなっている。月刊誌だとして1年間分だ。

『サン・ソレイユ』を見た日
69年夏
幸福に恵まれた女の子の死
死者たち
センス・オブ・ギルティ
取材拒否
町はときどき美しい
ベトナムから遠く離れて
現代歌情
逮捕までⅠ
逮捕までⅡ
逮捕そして解雇

映画では最後の3章を中心に,他の章のエピソードが挿入された形で進行する。その辺のことは映画の予告編でもやっているが,川本氏はある運動家が起こした殺人事件に関与し,逮捕され,「証憑湮滅」の罪で有罪となる。逮捕されたのが1972年1月。彼は勤務3年で朝日新聞社をクビになる。これまで,川本三郎を映画評論家という立場を借りて古き良き東京の姿をノスタルジックに描く評論家と思っていたので,本書は私にとっての川本三郎の印象を大きく変えることになった。
彼はジャーナリストを目指したが,その道は閉ざされ,逮捕された新聞系雑誌記者としてのレッテルを貼られた上で,趣味を実益へと転化させた職業を手にしたということだ。映画は実際の時間の経過にしたがって進行するが,原作は同じ時代の話をさまざまなテーマに沿って書かれているので,けっこう繰り返しが多い。しかし,やはり最後にかけて活動家との関係と彼が起こした事件,そしてその関与による逮捕という展開は非常に生々しく力強い。映画の出来がどうだったかは別にして,この原作を映画化したいというプロデューサーの気持ちはよく分かる。

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日常生活批判2

アンリ・ルフェーヴル著,奥山秀美訳 1970. 『日常生活批判2』現代思潮社,285p.,850円.

2というくらいだから,1がある。ついでにいうと,序説もあります。ということで,ひとまず全体を見渡してみましょう。

『日常生活批判序説』(原著1947年,邦訳田中仁彦1968年)
1. きまり文句になった幾つかの言葉についての簡単な註解
2. 日常生活の認識
3. 日常生活の批判的認識としてのマルクス主義
4. マルクス主義思想の発展
5. フランスの農村で或る日曜日に書かれた覚書
6. 可能なるもの
『日常生活批判1』(原著1958年,邦訳奥山秀美・松原雅典1969年)
1. 回顧
2. この十年間に何が変わったか
3. チャーリー・チャップリン,ベルトルト・ブレヒト,その他について
4. 日常生活における労働と余暇
5. 《現代世界》の総体についての考察
6. 再び疎外の理論
7. 疎外された労働
8. 哲学と日常生活批判
9. 企図とプログラム
『日常生活批判2』(原著1961年,邦訳奥山秀美1970年)
第1章 問題の要約
第2章 形式的諸道具
1. 公理と公理化
2. 仮説の役割
3. 変導法と変導
4. 水準の概念
5. 連続と非連続
6. ミクロとマクロ
7. 標識 基準 変数
8. 諸次元
9. 構造の概念
第3章 特殊的カテゴリー
1. 全体性の概念
2. 現実性の概念
3. 疎外
4. 生きられるものと生
5. 自然発生的なもの
6. 曖昧性の概念
7. 挑戦と不信
8. 社会的空間,社会的時間
9. 実践
10. ロゴス,論理,弁証法
11. 論理と性格学
12. 全体的な場
第4章 意味の場の理論
1. 意味の場
2. 信号
3. 記号
4. シムボル
5. イメージ
6. 幾つかの混乱について
7. 意味の場の諸特性
8. 意識と意味の場
9. 意味の場の諸法則
10. 社会的テクスト
11. 対話,談話,会話
第5章 過程の理論(累積的過程と非累積的過程)
1. 進歩の概念にたいする批判
2. 不均等発展
3. 非累積的社会
4. 累積的過程の概念
5. 概念の一般化
6. 非累積的過程
7. 教育学的,文化主義的幻想
第6章 モメントの理論
1. 反復の類型学
2. モメントと言語
3. モメントの星座
4. モメントの定義
5. モメントの分析法
6. モメントの日常性

さて,ちょっとややこしいが,原著と日本語訳の構成は異なる。原著では,『日常生活批判1』には1から9までの序文に,『日常生活批判序説』が再録されたものらしい。しかし,日本語版の『日常生活批判2』には序説は採録せず,原著の『日常生活批判2』の第1章と第2章を収録している。つまり,本書日本語版の『日常生活批判2』には原著の第3章以降が収録されているということです。
訳者も1と2の間に1年が経過してしまって申し訳ないと書いているが,私が1を読んだのはもう10年位前のことだ。こうして,詳細な目次を書いていても,内容はすっかり忘れている。しかも,当初ルフェーヴルは『日常生活批判3』も予定していたようで,2まで読み終わってもすっきりした終わり方ではない。結局のところ,日常生活をどのように批判して批判の先に何があるのかは判然としない。とりあえず,2までの内容をきちんと把握するためにはもう一度序説から通して読む必要があると思うが,とりあえず本書のみで学んだこともいくつかある。
まず,最後の方で登場する「モメント」という概念はもともと剛体力学の概念だし,4章のタイトルは「場の理論」というやはり物理学の用語である(これについてはそれとの関係はないと本文でも否定されているが)。本書の論調のなかで時折,当時の自然科学の議論が登場するのが面白い。先日紹介したイリガライの本にも流体力学からヒントを得た議論があったが,人文科学者でも自然科学の最先端理論に敏感な人はけっこういる。
続いては,議論のなかでやはり「弁証法」が頻出するのはルフェーヴルらしい。そして,最も本書で興味深かったのが4章の10「社会的テクスト」という文章だ。この章の前半は今更ながら記号論のおさらいをするわけだが,それによって,社会や風景,都市をテクストと見做して認識,解読する方法がかなり素朴に示されている。これは現代の地理学においてもじっくりと検討に値する議論だと思う。ルフェーヴルの他の都市に関する著作の再読においてヒントを与えてくれるでしょう。

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測量の日

6月3日(金)

この日は京都に住む地理学者仲間,二村君が上京するというので,いつものメンバーで集まることになった。といっても,それは夜の話なので,講義後から新宿で時間を潰すことにした。映画+献血でちょうどよい時間だが,新宿東口の献血ルームは混雑しているので,映画の受付を済ませてから献血ルームに立ち寄り,混雑具合を確認。まだ時間があったので検査までを先に済ませて,映画の後に採血ということで準備万端。ところで,この新宿東口献血ルームは同じビルの6階から4階に移転した。吉祥寺の献血ルームなども同じビルで移転したのだが,内装は全く新しくなったのに対し,ここは以前とほとんど同じレイアウト。待合室のテーブルや椅子などは新しくなったかもしれないが,ほとんどのものはそのまま移動した感じ。ということは,一時期閉鎖していたのだろうか。

新宿ピカデリー 『八日目の蝉
選んだ映画はこちら。4月末に公開だったので,そろそろ上映終了だが,妻も良いといっていたし,同い年の永作博美の活躍も見ておきたかったので,観ておくことにした。監督は『孤高のメス』で渋い演出をみせてくれた成島 出。原作は角田光代。井上真央演じる女性は,生後4ヶ月で永作博美演じる女性に誘拐され,4歳で保護されるまで,母親と信じて疑わず育てられたという設定。誘拐の過程を描いた部分と,女の子が大人になってからを描く部分とが交互に展開する。大学生(?)になって一人暮らしを始めた彼女を訪れる一人の女性。小池栄子が演じるこの挙動不審の女性はドキュメンタリーライターで,かつての誘拐事件を取材するのだという。なんだかんだで2人は仲良くなって,取材旅行と称して誘拐時の軌跡をたどる2人旅をする。おそらく原作は面白いのだろうと思うし,出演俳優の演技はよかったと思うのだが,『孤高のメス』ほど集中して作品世界に入り込むことができなかった。
まず,誘拐時のシーンだが,母親が生後4ヶ月の娘を家において父親と一緒に車で出かけるという,信じられない設定。いくら,柵のあるベビーベッドに寝かせてあるからといって,また後で母親の言葉にあるように,単に雨だから車で駅まで送りに行くだけだといっても,7ヶ月の息子を持つ私からみると信じがたい。それから,永作博美がその4ヶ月の子どもを抱きかかえて雨の中を走るシーン。あれも,あんな軽がると走るのはありえない。一つの目玉は誘拐犯が東京を離れて大阪のホテルで子どもと2人で過ごすシーン。子どもは本当に泣いている。哺乳瓶で粉ミルクを与えようと思っても咥えずに床に落としてしまう。そこで,永作は自分のおっぱいをあげようと思うが,当然吸ってもくれないというしーんだが,ここで永作が焦っている演技は本当だろう。自身子どもを持っていないからこそ,本当に泣いている子どもと2人にさせられれば誰でもこの世の終わりを感じるほど焦るはずだ。しかし,その何日かを彼女がどう乗り切ったのかは映画だから分からない。やはり私には乗り切れたようには思えないのだ。ちょっといやらしいが,ここでもし永作が本当に乳を出していれば説得力を増したと思うがそうではなかった。
またまたいやらしい話で恐縮だが,一方で井上が自宅で過ごすシーンはなかなかいい。本当はどうか分からないが,ノーブラでタンクトップに見えたり,劇団ひとりとのベッドシーンでは華奢な美しい背中を披露している。まあ,それはどうでもよいのだが,脇役は結構豪華。岡山のタクシー運転手でちょこっと出ている徳井 優とか,小豆島でそうめんやの夫婦として登場する風吹ジュンと平田 満,そして写真館の田中 泯など。そして,逮捕のシーン。なぜ,誘拐犯が子どもと一緒に写った写真が新聞に載ったことが逮捕につながるのか。まあ,おそらく永作演じる女は容疑者として指名手配でもされていたのだろうが,だとしたらなぜ警察は写真を公表しないのか。誘拐された子どもが殺害されることを避けてか。でも,もう何年も経っているのだから。この辺の展開は詰めが甘い気もした。ということで,私の評価は微妙な作品。

映画が終わって献血。やはり15時過ぎになるとかなり混雑している。でも,あまり待たされることなく採血開始。テレビはあまり面白い番組をやっていないので,国会中継などを見たりする。菅さん,いじめられています...

献血が終わって,二村君との待ち合わせに急ぐ。あまり時間の余裕がなかったですね。新宿駅西口地下を経由して歩いていくと,なにやら西口地下広場でイヴェントをやっています。この日は「測量の日」ということで,測量&地図関係の共同したイヴェント。二村君と落ち合って,戻ってちょっと見学します。もちろん,地理学と地図とは深い関係にありますから。すると,地図会社昭文社に勤めた私の大学の先輩がいました。会うのは18年ぶりくらい。二村君と名刺交換をしてしばし雑談。その後も,震災関係の展示などを見て,コクーンタワーのブックファーストに移動。私が一人で新刊チェックしている間に荒又さんが合流。1回のタリーズコーヒーに移動します。
一通り情報交換をしたところで杉山君登場。場所を移動して飲み屋を探す。この集まりでは,チェーン店の居酒屋には入らないという暗黙のルールがあり,客引きのお兄さんがしつこく寄ってくるなかで,20分ほど優柔不断に歩き回る。結局,生ビールの値段で決めた焼き鳥屋に入るが,店内はかなり空いていてちょっと不安になったが,料理は美味しかった。私はひとしきり食べて,20時の電車でお先に帰宅。

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児童館デビュー

5月29日(日)

日曜日は雨。私は一人で渋谷に出かける。映画館の受付をして,久し振りにタワーレコードへ。tico moonの新譜と,昨年10月に出た高橋ちかのアルバムを購入。

渋谷ヒューマントラストシネマ 『少女たちの羅針盤
この日選んだ映画は『西の魔女が死んだ』の長崎俊一監督による少女4人の物語。主演は成海璃子。なぜか彼女には親近感があり,しかも彼女の出演映画はほとんど観たつもりになっていたが,そうでもなかった。まあ,ともかく主演作だけは見逃さないようにしたいものだ。『神童』のピアノに始まり,剣道や書道,文科系も含むスポ根ものが定着している彼女だが,今回は演劇。まさに等身大といったところか。『書道ガールズ』でも多くの若き女優たちと演じたが,本作も『半分の月がのぼる空』の忽那汐里,『蘇りの血』の草刈麻有といった主役をはれる存在感の女優,プラス失礼な書き方だが彼女たちの引き立て役として活躍するであろう森田彩華という4人が,劇中劇でも女優魂をぶつけ合うという意味で,非常に見所満載な作品。
ただし,それだけに残念なのが,物語。まあ,基本的に原作が先にあるので,その基本的なプロットを映画で全く変えてしまうことはできないとおもうが,小説の方ではそれが目玉になるであろう,この4人のうちの1人が亡くなり,しかも自殺にみせかけた殺人という展開が随分この映画を安っぽくしてしまったと思う。小説であれば,正直いって劇中劇のリアリティは二の次である。しかし,映画の場合はそこが重要で,そこをいい加減に撮ってしまっては,鑑賞者の集中力を欠いてしまう。しかし,この映画はこの主演4人の女優がいい感じで魅力を出し合っていて,素晴らしい。まあ,成海璃子にこの手の熱血少女はちょっとマンネリな気もしないでもないが,やはり演劇部員というところでその演技が真に迫っていていい感じです。
ともかく,見逃さなくてよかった。

6月1日(水)

私が平日勤務している会社にはもう15年ほど通っている。博士課程に入って,週3日勤務で始めたアルバイトだが,修了しても就職が決まらず,個人契約という形で週5日勤務となる。その後,大学での非常勤講師が入るようになって,週4日勤務になり,最近はまたアルバイト契約に戻った。入った頃は羽振りがよかったが,主な取引先が国なので,ここ数年は受注が全く読めない自転車操業で,年度末が過ぎた今はかなり厳しい状況。しかも,今年はかなり深刻だ。ということで,私のような立場の人の仕事はあまりなく,有給休暇消化を薦められる。ということで,急遽お休みにした映画の日。

こういう時に,妻に平日でないとできない用事を済ませてもらい,私は午前中息子の面倒をみることにする。妻は普段よく「児童館」に行く。そこで出会ったママ友もいるし,子どもにも一日中家にいるよりいいし,お金もかからない。ちょうどこの日も,まだ児童館に子どもを連れて行ったことのないという近所のママ友から妻がお誘いを受けていた。その人は私も何度か会ったことがある人だったので,じゃあということで,私が一緒に行くことにした。
ところで,皆さんは子どもの頃児童館というものに行ったのだろうか。そういえば,映画『白夜行』では児童館が重要な役割を果たす。そこはもっぱら共働きの両親を持つ小学生が,下校後の時間を過ごすためのものだと私は認識していた。確かに,一度日曜日に妻と一緒に出かけた児童館は,小学生たちの遊び場になっていた。そこが,平日の午前中は保育園に通っていない乳幼児のために開放されているのだという。もちろん,単に空間を開放しているだけではなく,乳幼児用のおもちゃや絵本も多数ある。また,親子で楽しめるような遊びを教えてくれたり,定期的にイヴェントも開催されているとのこと。ちょうどその日は,主に産後ママを対象としたエクササイズをやっていた。残念ながら,同行してくれたママ友の都合が合わず,エクササイズが始まる前まで遊ぶだけの参加となったが。
この日はそのエクササイズが10組まで受付ということで,その準備が始まる11時までに10組前後の母子が集まっていた。当然父は私だけ。そこに,写真で見た女性がいた。そう,妻が児童館で知り合って,付き合いのある女性。そして,次々とやってくるなかにも見覚えのある人が。そんなつながりで妻が一緒に花見に出かけたママ仲間3人組が揃いました。もちろん,彼女たちも私のことを知らなくても息子のことは知っているので,「あー,昭君のパパだ!」という感じで挨拶をする。上は11ヶ月の子から下は4ヶ月の子まで,十数人の乳児が揃うと面白いです。その日は男の子率が高かった気もしますが,同じような月齢でもそれぞれ特徴があって見ているだけで面白い。この日はエクササイズの関係で出されたおもちゃは少なかったようだが,よく来る子どものなかには,ここで必ず遊ぶ特定のおもちゃがあったり,職員の人が手作りしたと思われるペットボトルのキャップを使ったおもちゃがあったり。そんななかで,気ままに授乳したり,おむつ替えしたり,なかなかいい空間です。
残念ながら,滞在時間が少ないこともあって,ママさんたちと会話が弾むほど溶け込むことはできませんでしたが,そんなに違和感はなかった。いい経験になりました。機会があればまた行きたい。

帰る頃に息子はちょうどおなかが空いていて,眠かったこともあり,粉ミルクを飲んでいる途中にバタンキュー。ちょうどその後に妻がパンを買って帰宅したので,一緒に昼食。私はその後映画を観に出かけます。

下高井戸シネマ 『死刑台のエレベーター』
映画の日ということでいろいろ観たい作品はあったが,なかなか時間的に都合がよいのがなく,再映作品を観ることになった。最近日本でもリメイク版をやったばかりのこの作品。リメイク版上映に併せてオリジナル版を上映する映画館もあったけど,結局観ずに終わってしまった。本作は『地下鉄のザジ』のルイ・マル監督が25歳の時,1957年に撮影したという作品。主演は若かりし頃のジャンヌ・モロー。今観ると飛びきり美人でもナイスバディーでもないような気がするが,確かにスクリーン上の存在感はすごいです。やはり当時の作品はスタイリッシュで無駄がなく,2つの殺人事件が絡む物語だけど深刻さがなくユーモアがあって,面白かった。一時間半ほどの短い上映時間もいいですね。

下高井戸まで行くということで妻に頼まれて買い物。世田谷線に乗って上町で下車。程近くの鹿港というお店で饅頭(マントウ)を購入。鹿港(ルーガン)とは台湾の地名。マントウとは肉まんの皮だけですな。これがうまいんです。蒸して,そのまま食べてもよし,サンドイッチのように何かを挟んでもよし。

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雑踏の社会学

川本三郎 1987. 『雑踏の社会学――東京ひとり歩き』筑摩書房,235p.,470円.

本書は1984年にTBSブリタニカより出版された単行本のちくま文庫版。でも,私が本書を買おうと思った「III 映画の東京地理学」など,いくつか単行本にはなかった文章も収録されているのとともに,文庫版にするのに東京以外の街に関する文章は除いたとのこと。川本三郎はいわずと知れたエッセイスト。一応本業は映画評論家ということになっている。しかし,先日公開された山下敦弘監督映画『マイ・バック・ページ』の原作も川本三郎。これで彼の知名度も一気にアップするか。
といっても,私が彼の本を読むのは初めて。といっても,彼が関わった本はいくつか持っていて,特に田沼武能の写真に彼が文章を寄せた『昭和30年代 東京ベルエポック』(岩波書店の「ビジュアルブックエイド東京」シリーズ)については当然分析を加えたことがある。本書はおそらく,泉 麻人に関する文章を書いていた時に,泉に似た文筆家として,しかもタイトル的に購入したのだと思う。さらには,上に書いたように,「映画の東京地理学」なんて章タイトルをつけられれば,地理学者としては黙ってられない。そういえば,私の出身大学の杉浦芳夫氏が『文学のなかの地理空間』を1992年に発表した際に,川本三郎がどこかに書評を書いたとか何とかいう噂があった。本書のタイトルには「社会学」が冠されているが,本文中には社会学の文字はほとんどなく,その代わりにけっこう地理学の文字が散見されたのはある意味で面白い。しかも,著者は学問分野としてではなく「地理学」という語を使っているのだから。
さて,といっても実は私はこの手の文章が好きではないのだ。日本の現代小説のほとんどが読めないのも同じ理由。脚本化されて映画化されたものは好きでよく観るのだが,活字としては素朴な実況中継的な文章が退屈で読み続けられないのだ。なので,本書も途中で嫌になったらやめようと思っていたが,意外にも抵抗なく読むことができた。目次を示しておこう。

Ⅰ 雑踏のなかにこそ神がいる
  東京は歩くのが楽しい
  デモから見た町
  不易の酒場のすすめ
Ⅱ 未完の町●新宿
  白い町●渋谷
  街と町●吉祥寺
  耐える町●池袋
  路地裏の町●赤坂
  歩ける町●銀座
Ⅲ 映画の東京地理学
Ⅳ 燃えていた町●阿佐谷
  わが町●荻窪
  若旦那になる町●麻布十番
  一つ目小町●神泉
Ⅴ 場末回遊
Ⅵ 地下鉄が変えた東京の「点と点」

まあ,こんな感じで生まれた頃から中央線沿線を生活の場としている著者の東京論だから,当然論じる町は西に偏っている。私も同様に西に偏っているので,もちろん本書が書かれた当時1980年代の町の姿は知らないが,現在知っている記憶と照らし合わせて読むことができる。そして,社会学や地理学という言葉を使っても,結局は自分の価値観をベースにしたエッセイに過ぎないので語り口はいたってシンプルだ。前半はサントリーの広報誌に掲載されたエッセイということで酒の話が多く登場するが,いかにもマスキュリンな都市の断片が見事に描かれているともいえる。

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