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2011年7月

ハイハイ開始

今日は私の誕生日。

そして,2日後に息子は9ヶ月を迎える。4ヶ月頃から生え始めた歯はすでに上下4本ずつで8本。前にこの日記にも書いたように,匍匐前進により一気に活動範囲は広がったが,それから間もなく急展開を遂げている。まずはつかまり立ち。足元はおぼつかないが,私たち大人と違って,足にかかる体重が軽いので,多少足の指や足首が曲がっていようと,捻挫したり指が折れたりはしないようだ。軽いだけでなく,間接が柔らかいということもある。
とりあえず,匍匐前進ができれば用は足せそうな気がするが,なぜか立とうとするのは,まさに人間だからだ。四足歩行と二足歩行のどちらが効率的かとか,二足歩行の方が手が空いて他のことができるとか,個々の個体の成長過程で考えて選択するわけではない。でも,つかまり立ちの練習は一生懸命やっても,相変わらず身体的な移動は匍匐前進が続いていた。このままだと,きちんとしたハイハイを経由せずに歩き始めるのではないかと思い始めたつい先日,息子は突然ハイハイをし始めた。匍匐前進というのは,二の腕を使ってお腹が地面についたまま,足は全面を地面につけたままで前に進むのだが,正式なハイハイは手の平だけを地面につけ,お腹は宙に浮いた状態で,膝から下だけで前進するもの。前に進む速度はハイハイの方が遅いのだが,やはり高度な技術を使いたがるというのは,人間の成長の不思議を身をもって実感する出来事。

さて,ということで,わが家の引越しは素晴らしいタイミングで,息子9ヶ月の当日に行うことになった。もうダンボール詰めはあらかた終わり,後は食器や靴,その他こまごまとしたもの。当日,雨が降らないことだけを祈る。

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時代の目撃者

ピーター・バーク著,諸川春樹訳 2007. 『時代の目撃者――資料としての視覚イメージを利用した歴史研究』中央公論美術出版,306p.,3600円.

『イタリア・ルネサンスの文化と社会』に続いて,バークの本を読んだ。『イタリア・ルネサンス』が初期の作品だったのに対し,本書は原著が2001年でかなり新しい。本書はとても読みやすく,なかなか面白かった。何となく,読む前から抱いていたこの歴史家に対するイメージがかなり正しかったことを確認する読書だった。歴史家はけっこう国民色がある。フランスはアナール学派の影響が強く,アラン・コルバンなどの最近の歴史家を取ってみても,その歴史記述はとても真似することのできない職人技というか芸術色が強いといえる。それに対し,米国のロバート・ダーントンやイタリアのカルロ・ギンズブルクなど,それぞれ独特の雰囲気がある(といいつつ,米国やイタリアの歴史家を複数知っているわけではないが)。それに対し,英国のバークはなんとなく,クリアで明晰,歴史の王道という気がする。
といっても,この2冊とも方法論としては独特のものがあり,個性があるのだが,論の展開や文体は凝ったところがなく,すーっと頭に入ってきやすい。といっても,目次を示してもいまいち分かりづらいかもしれない。

序章:視覚イメージの語るもの
第1章 写真と肖像画
第2章 図像学と図像解釈学
第3章 聖なるものと超自然的なるもの
第4章 権力と抗議
第5章 視覚イメージを通して見る物質文化
第6章 社会の姿
第7章 他者のステレオタイプ
第8章 眼で見る物語
第9章 目撃者から歴史家へ
第10章 図像学を超えて?
第11章 視覚イメージの文化史

本書は第2章のタイトルにあるように,パノフスキーやヴァールブルク学派流の文献を多く参照している。しかし,芸術作品の意味を歴史的文脈のなかで解釈しようとする美術史とは違って,あくまでもバークは歴史学の範疇で図像資料を扱おうとするのだ。確かに,私が読むような歴史書には多くの図版が掲載されていて,本文の歴史研究の補足として用いられているが,図版そのものの分析はもとより,解説すらろくについていない歴史書はとても多い。
それに対し,本書はそうした図版が歴史資料としてどれだけ利用できるのかということを素朴に探求したものである。かといって,あまり明晰ではないパノフスキーたちの図像解釈学に対し,それを明晰な方法論レベルで議論をしているのが本書の魅力。地理学でこの方面の研究を進めていたコスグローヴの編著も引用されているが(さすがに訳者はこの本の翻訳が出ているのは知らなかったようだ),地理学者たちはあくまでも方法を借用したにとどまって,それを洗練させることはできなかったと思う。といっても,バーク自身も第10章のタイトルにも示されているように,何かしらの分かりやすい方法を提示しているわけではないのだが。
バークはルネサンスを中心とした時代の研究者であるが,第1章からも分かるように,本書では現代までいたる連続性をかなり意識している。ある意味では現代の視覚イメージ(なかにはジュディス・ウィリアムスンの『広告の記号論』への言及もある)の歴史的起源を探ることも一つの本書の目的であるともいえるのかもしれない。そんな感じで,本書は歴史研究者にとって有用なだけでなく,いわゆるヴィジュアル・カルチャー研究者にとっても非常に役に立つ本である。ちなみに,文献一覧のなかで,私でも知っている翻訳本を挙げていないものが6冊もあったのはちょっと気になった。

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ここにキムサンがいた

岸ちあき 2009. 『ここにキムサンがいた』日本文学館,133p.,1000円.

作者はちょっとした知り合いで,本人からいただいた。いつもだったらどんな知り合いか書くところだが,この作者名はペンネームではなく本名なので,一応伏せておくことにしよう。
今のところ,職業小説家としてではなく,会社勤めをしながら作品執筆をしているという。詳しくは聞いていないが,まだ世に出た作品はそれほど多くないようで,単行本としてはおそらく初めての作品。普段なかなか小説は読まない私だが,引越し準備であらかたの本を片付けてしまい,読みかけの本2冊も読み終わってしまったので,ちょうどよい具合にいただいてすぐに読み始めることができた。といっても,100ページあまりの作品なので,市ヶ谷への通勤電車でほぼ読み終えることができた。後で聞いた話では,作者は以前演劇をしていたこともあるらしく,常に登場人物たちの立ち居振る舞いを想像しながら書いたようで,それを知らずに読んだ私もちょっとした映画を頭のなかに想像しながら読むことができた,そんな作品。職業小説家ではないこともあり,前半は妙に言い回しが凝っているのが鼻についたり,シーンの切り替えがスムーズではなく唐突な感じがしたりしたが,さほど多くない登場人物のキャラクターと関係性がつかめてくるところで,話の展開がドラマティックになっていったりして,けっこう引き込まれた。作者は女性だが,男性読者として男性主人公にけっこう感情移入できるようにうまく書かれている。
小説を書いたこともない私が書くのも偉そうだが,文章はまだまだ改善の余地が多く残されているが,発想とプロット構成のうまさはなかなか。真面目な話,映画化しても十分楽しめる原作になると思う。次回作を楽しみにしたい。

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引越し前週

7月22日(金)

翌日,翌々日と妻の撮影の仕事が入っていて,私が息子の世話をする時間が長いため,この日は映画を観させてもらった。シネクイントでしか使えない『127時間』の前売り券を持っていたので,渋谷まで。しかも,講義後のちょうどいい時間は,本来レイトショー上映の『ムカデ人間』が上映中ということで,やむなく14:50の回。それまでの時間をどうするかとちょっと調べたら,なんと『あぜ道ダンディ』がこの日で上映終了ということで,市ヶ谷から新宿,渋谷と移動して映画を2本観ることにした。

新宿テアトル 『あぜ道のダンディ
『川の底からこんにちは』ですっかり有名になった(それに加えて主演女優の満島ひかりと結婚したからからも)石井裕也監督の最新作。実のところは同じ時期に満島ひかりが主演した『カケラ』の方が私的には数倍好きだったので,この監督だからと期待をこめたわけではなく,主演が光石 研だから。そして,その相方は田口トモロヲ。素晴らしい組み合わせではないですか。なんと,光石 研は33年ぶりの主演映画だという。
毎年,彼の出演映画を何本観ているかと思うほど,多くの映画に出演している名脇役。そんな彼の晴れ姿を観ずして映画ファンは語れない。ということで,冒頭から彼が自転車をこぐシーンなのだが,なぜかというか,やっぱりというか,観始めて20分で異変を感じる。そう,もちろん私は33年前の彼の主演映画を観ていないから,彼の出演シーンが15分続くと,逆に彼の役どころが捉えがたく思えてきたのだ。脇役の名手である光石 研はスクリーン出でてきて2,3分もあれば,その役どころを鑑賞者に伝えることができる。かといって,終始スクリーンに写っているこの映画における彼の役どころが捉えにくい複雑なものであるわけではない。でも,どうにもあの彼の姿がずーっと写っていることに不思議な感覚を覚えるのだ。この時点でこの映画は成功している。映画ファンにとっては冒頭30分でなんともたまらない喜びを感じることができるのだ。そして,もちろんそのまんまの配役関係で登場する田口トモロヲ。もちろん他にも,藤原竜也が出てたり,岩松 了が出てきて思わず笑ってしまったり,染谷将太がちょろっと出ているのもうれしい。そして,この映画での収穫は,主人公の娘役で出演していた吉永 淳。どうやら『リアル鬼ごっこ2』に出演していたので,本編は観ていないが予告編では見ていたあの少女だ。その時はかなり幼くて魅力を感じなかったが,本作では服装や髪型,ふとした仕草で表情がかなり違って見えて,演技はともかく女優としての資質を直感的に感じた。今後が楽しみです。
なんか,映画そのものについてはあまり書いていませんが,愛すべき作品ですな。

渋谷シネクイント 『127時間
ということで,渋谷に移動してダニー・ボイル監督最新作。ジェームズ・フランコの演技がはまり役という評価だったので観たくなった。というよりも,予告編の作りがとてもよくて,思わず初期の段階で前売り券を買ってしまったのだが,公開前に予告編を何度も観てしまって,期待がかなり下がり気味。しかも,いくらダニー・ボイル監督だからって,岩に手を挟まれた青年が127時間の間になにをするか,という事実に基づく話をどうやって2時間前後の映画にするのか,という素朴な疑問。
確かに,ダニー・ボイルの作品らしく,前半はリズムのいいBGMに乗せてテンポのいい展開。しかし,予想以上に主人公アーロン・ラストンが岩に腕を挟まれて身動きが取れなくなってしまうシーンが早くやってくる。残りはひたすらジェームズ・フランコの一人芝居。まあ,これはこれでありだとは思うけど,私にはそれほど評価できない作品。まあ,こんなもんか。

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イタリア・ルネサンスの文化と社会

ピーター・バーク著,森田義之・柴野 均訳 1992. 『イタリア・ルネサンスの文化と社会』岩波書店,428p.,3700円.

岩波書店のニューヒストリーシリーズの1冊。このシリーズは,ロバート・ダーントン『革命前夜の地下出版』と,リン・ハント編『文化の新しい歴史学』に続いて3冊目。そして,意外にも多くの著書が翻訳されている,ピーター・バークの本を読むのは初めて。私が読むルネサンスものといえば,ネーデルラントなど,北方のものや,英国のものに偏っていたが,やはりルネサンス本場といえばイタリア。それを全般的に把握したいとは以前から思っていたので,ちょうどよい。本書は著者にとって2冊目の単著ということで,初版は1972年に出版されたもの。しかし,大幅に改定された1987年の版を翻訳したのが本書。まずは目次から。

序章
第1部 ルネサンスの問題
 第1章 イタリア・ルネサンスの芸術
 第2章 歴史家たち――社会史と文化史の発見
第2部 芸術とその環境
 第3章 芸術家と著述家
 第4章 パトロンと注文主
 第5章 芸術作品の用途
 第6章 趣味
 第7章 イコノグラフィー
第3部 社会的背景
 第8章 世界観――その主な特徴
 第9章 社会的枠組み
 第10章 文化的・社会的変化
 第11章 比較と結論

訳者あとがきによれば,本書と同時期に出版されたイタリア・ルネサンスに関する歴史研究といえば,バクサンドールの『ルネサンス絵画の社会史』であり,これも平凡社から翻訳が出ているので読み比べたいものだが,そのアプローチはかなり対照的であるらしい。バクサンドールの本は美術史の文脈のなかで,作品解釈に社会的要素を取り込んだものだと想像できるが,本書は個々の文化作品の分析をするわけではない。なぜ,ルネサンス芸術がイタリアで盛んだったのか,という素朴な問いに答えようとする,かなり視野の広い研究である。なので,美術史を中心に読んでいる私の読書歴からすれば,本書のアプローチはなかなか面白い。それこそ,先日読んだウィリアムズの『長い革命』と似た調査方法かもしれない。そもそも,ウィリアムズの主著『文化と社会』はタイトルからして本書に影響を与えているはずだし,実際に本書のなかでも言及されているので,分析方法の類似は不思議なことではない。
バークがいうところのルネサンス文化にはいわゆる芸術としての絵画や彫刻だけではなく,音楽や建築,文学も含み,さらにはいわゆる人文主義者という今日でいうところの人文・社会科学者も含んでいる。そして,イタリアといっても漠然と捉えるのではなく,それぞれの文化の担い手たちが活躍していた地方ごとに考察を加えているのが地理学者としては興味深い。かれらの出身,活動場所,そしてパトロンたちの存在などの地域差が論じられる。
そういった意味でも,第2部が本書の面白いところ。第3部はあまりにも背景の話に終始してしまっていて,文化との関わり合いがなかなか普通の読者には分かりづらい。でも,第8章はとても面白い。一方で,第2部でも第7章はかなり期待したもののイコノグラフィーについてあまり勉強にはならなかった。最後の第11章ではイタリアとの比較としてネーデルラントは分かりやすいとしても,なぜか江戸時代の日本が登場するのは謎。唐突に出てきて短い記述で,この本自体が結論へと至ってしまうのは,なんとも尻切れトンボ的だ。
そんな不満はあるものの,とかく過去の芸術を現代の感覚で考えてしまいがちな私たちに,その芸術が生産された社会的背景を改めて考えさせるという意味では,初版が出た時代としては画期的だったのだと思う。

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IKEA

7月15日(金)

講義の後,新横浜まで移動。引越し前の平日を使って,この日はIKEA港北でお買い物。そう,引越しは決まりました。リフォーム完成前に申し込みをしておいた物件を最終的に確認して,まあいくつか不満箇所もありますけど,賃貸だからこのあたりで妥協しないと。ともかく,最低限の条件としての日当たりと10㎡以上の占有面積の拡大を確保したし,リフォーム物件ということで,以前にも書きましたが,お風呂や洗面台,キッチン,そして畳の入れ替えも含めれば全ての床が貼りかえられたということで,賃貸にしては贅沢なニューライフの始まりです。
ただし,今借りているマンションが2部屋+ダイニングにあらかじめ照明が設置されているのに対し,今度のマンションは2部屋+リビング+ダイニングにも照明がなく,少なくとも3つのきちんとした照明施設が必要。そして,すっかり埋まってきてしまった私の書棚の拡張も必要ということで,いろいろ検討した上で,そのほとんどをIKEAで購入するという結論になりました。書棚は,大学の常勤が決まって研究室が割り当てられれば,蔵書の大半は持っていけるのだが,先日も一つ応募していた大学の不採用通知が届いたばかり。そんな不確定なものを当てにもできないし,まだ子どもも小さいのでもし,大学に決まったとしても大学にこもって研究というのもどうかと思い,自宅で研究できる環境を整えようということになりました。だから,今回は2部屋のうち,1つは和室で寝室&息子が動き回れる部屋,もう一つはフローリングで私の書斎。息子が歩けるようになっても本をいたずらされないように。そして,物件探しの際は妻の仕事部屋ということで,もう1室を考えていたのだが,決まった物件は3DKを2LDKにリフォームした物件で,妻はリビングスペースを仕事場にするということになった。

さて,せっかくIKEAに行くということで,いつもお世話になっているご近所さんをお誘いする。2人のお子さんを持つ彼女はなかなか遠出ができないということで,一緒ならば何かと心強い。
私は大学から直接なので,新横浜の駅ビル内の神戸屋キッチンで待ち合わせ。お昼を食べてから送迎バスでIKEA港北まで。あらかじめネットで必要な商品を確認していたが,妻が以前購入した拡張可能な書棚はネットにはなかった。しかし,お店にはそれがちゃんとあったのだ。ということで,購入決定。そして,照明器具が3セット。最後の難関が靴箱。これまで住んできたところは大抵靴箱が備え付けられていて,靴の収納にはさほど困らなかった。しかし,今度の部屋は靴箱なし,そして玄関自体が90cm幅しかない。ということで,あまり奥行きのある靴箱はダメだし,かといって奥行きが短いやつは靴を縦に収納するタイプで,大きい割に8足しか入らなかったりする。結局,本棚と同じタイプの木製の組み立て棚にしようと移動していると,それに似た随分安いものを発見。用途はガーデニングの鉢などを並べる棚のようだが,まあ,靴など所詮土のつくものだし,棚の微妙な位置調整なども不要ということで,こちらに決定。
思ったよりも時間がかかってしまったが,他にも諸々購入してしめて2万円強という驚きの値段。ただし,重量が30kg以上あり,送料が3000円近くかかってしまったが,まあよしとしましょう。引越し当日に新居に送ってもらうことにしたし,これでまた一つ準備が進んだ。

7月17日(日)

翌日が海の日ということで,世間的には3連休だが,また他の日は予定がいろいろだったので,この日に映画を観させてもらう。ついでに,すっかり3ヶ月弱分伸びてしまったので散髪に。

新宿シネマート 『水曜日のエミリア
選んだのは『抱きたいカンケイ』,『ブラック・スワン』に続いて3本目のナタリー・ポートマン主演作。さすがに,『マイティー・ソー』は観ずに終わりそうだが,本作は観ることができた。予告編で思わずほろっとしてしまったので,観ることにしたのだが,結局泣くことはできなかった。ナタリーは弁護士役。ある弁護士事務所に勤めることになって,初日に出会った先輩弁護士。妻子がいることを知りながらも気になる存在。とある日,2人きりの出張で体を重ねてしまう。そして,情事が始まるのだが,妊娠してしまい,離婚,結婚,出産。しかし,産まれたばかりのイザベルという女の子は三日目にして亡くなってしまう。その悲しみが癒えぬまま,8歳になる息子とうまくやっていかなくてはならないが,いろんなことが裏目に出て,元妻に敵意をもたれてしまったり。
原題は「Love and other impossible pursuits」というちょっと難しいタイトルだが,原作小説があるらしく,なかなか手の込んだ展開。ちなみに,邦題は,この家族にはお手伝いさんがいて,小学校へのお迎えは基本的に彼女が行うのだが,水曜日がお休みのため,ナタリー演じるエミリアが迎えに行くということで,水曜日の放課後は2人で過ごす日になっている,ということ。ナタリー以外で目立った俳優は出演していないが,演技もそこそこ。なのに,イマイチ感情移入できないのは,その編集にありそうだ。そもそも,原作小説のエピソードをいろいろ盛り込みすぎというありがちな映画化という感じ。おそらく,プロデュースも兼ねるナタリーたちスタッフは原作を読み込んでいて分かっていると思うのだが,映画だけ観る人にはちょっと展開が早くて,その感情の流れについていくことができない。ちょっと惜しい作品かな。

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かるかん

7月10日(日)

引越しをしたら本棚を買い足す予定。無印良品によさそうなのがあって,先日有楽町店に行った時に展示品の現品処分が半額であった。その時は即決とまで行かなかったが,やはり他のものと比べても半額だったらかなりお買い得ということで,すでに1週間以上経ってしまっているが,一応チェックしに行くことにした。ついでに,有楽町方面で映画を観るということで,久し振りにテアトルシネマで観ることにした。というのも,この界隈の映画館の初回が始まる時間はけっこう遅い。大体11時台だったりして,週末にはいろいろと予定が立て込んでいるわが家では,映画はできるだけ早く済ませるのが鉄則。ということで,10時の回を観ることにした。

銀座テアトルシネマ 『蜂蜜
選んだ作品はトルコ映画。最近,『卵』と『ミルク』という作品で日本でも少し有名になってきたセミフ・カプランオールという監督の作品。どうやら,本作を含めての3部作らしい。といっても,私はどちらも観ていない。
非常に素朴な作品でした。山間の村に住む3人家族の物語。夫は蜂蜜取りを生業としている。といっても,山に分け入り,よさそうな木の上に素朴な木箱をセットするだけ。最近は蜂蜜もあまり取れなくなったようで,最後のシーンでは,泊りがけで遠くの山まで木箱をセットしに行く。妻は基本的に家事をしているが,家計が厳しくなっているからだろうか,茶摘の手伝いをしている。子どもは小学校低学年の男の子。学校のシーンがけっこうあります。1クラス20人くらいの小さな学校。この子どもも山道をけっこう歩いて通学していると思われる。
いくつかエピソードはあるものの,全くBGMはなく,台詞も非常に少なく,淡々と映画は進行していく。ある意味では河瀬直美監督作品『萌の朱雀』ににているのかもしれない。いいですね,こういう作品。

映画が終わった後,有楽町の無印良品のカフェにて家族と落ち合う。私も所持金が600円しかなかったのだが,とりあえず落ち合う方を優先させた。しかし,妻も所持金がなく,カフェ内で席を確保したものの,食事ができないという。しょうがないので,私が外までお金を下ろしに行く。幸い,東京国際フォーラム地下のファミリーマートで手数料無料で下ろせて安心。いつの間にか,ファミリーマートでも三井住友銀行が無料になっていたんですね。普通のランチメニューだと恐ろしく待たされるので(隣の席の女性たちは「30分かかっちゃったね」といっていた),パンにする。まあ,私はもともとパンを食べるつもりだったけど。
ひとしきり食べて,3階の家具コーナーへ。やはり,残念ながらお目当ての品はなし。せっかく,ここまで来たのでシャンテ近くの鹿児島物産館に寄って,かるかんを買って帰る。先日観た『奇跡』のなかで,橋爪 功演じる男性が営業をやめてしまった和菓子屋さんの役で,九州新幹線開通による町の活性化をねらって,もう一度かるかんを作るというシーンがある。かるかんの主材料は自然薯(天然の山芋)だったんですね。ほんのりした甘さがいとおいし。

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長い革命

レイモンド・ウィリアムズ著,若松繁信・妹尾剛光・長谷川光昭訳 1983. 『長い革命』ミネルヴァ書房,307p.,3300円.

本書も長い間入手したいと思っていた1冊。私は修士課程2年の時,1994年にカルチュラル・スタディーズの影響を受けた地理学の動向の一端を紹介する文章を書いた。といっても,紹介するも何も自分自身が勉強するので精一杯だったが,その頃に読んだのがウィリアムズの『文化と社会』。この本は当時通っていた大学の図書館が所蔵していたので,それで読むことができたのだが,それとセットとなってよく引き合いに出される本書は所蔵していなかった。その頃は雑誌の研究をしていて,たまに国会図書館に行っていたので,ついでに請求して出してもらってパラパラめくったことだけはあった。その後,『文化と社会』は最近復刊になったが,『長い革命』は古書店でも一度もお目にかかったことがない。しかし,最近はAmazonのマーケットプレイスがかなり充実しているんですね。以前よりもかなり安値であったために,思わず購入。17年越しの夢がついにかないました。目次は以下の通り。


第Ⅰ部
第1章 創造する心
第2章 文化の分析
第3章 個人と社会
第4章 社会のイメージ
第Ⅱ部
第1章 教育とイギリス社会
第2章 読者層の成長
第3章 大衆新聞の成長
第4章 「標準英語」の成長
第5章 イギリス作家の社会史
第6章 演劇形式の社会史
第7章 リアリズムと現代小説
第Ⅲ部
1960年代のイギリス

ちょっと期待しすぎましたね。第Ⅰ部では,彼の重要な概念「感情の構造」が出てきたりして学ぶことがあったし,今日では論じつくされたテーマのように思えても,原著が1961年の本書にあっては素朴である意味興味深い。
しかし,本書は同じウィリアムズの『コミュニケーション』と同様に,英国における状況の説明が多く,ちょっと読みにくい。しかし,主にマス・メディアの分析であった『コミュニケーション』に対して,文学や演劇,教育や標準英語などについて解説されていて,けっこう量的なデータも用いているのはウィリアムズらしい。文学史に関する分析のなかでも,個々の作家の話は少なく,時代によって文学作家が主要大学を出ているかとか,親の職業がなんだとかそういう分析は今日では避けられがちなので余計に新鮮。
ともかく,彼のいう「長い革命」とはかなり分かりにくい。おそらく2つの意味合いがあるのだろう。1つ目は産業革命やIT革命と同じ意味合いにおけるコミュニケーション革命である。そして,2つ目はフランス革命やロシア革命と同じ意味における民主主義革命である。そもそも,革命という語は「長い」という形容詞とは相容れないもので,短い期間に社会全体が大きく変化することをいうが,本書はここで私が2つ挙げたものについて,長い期間を通じて起こっている変化と,その変化を前提として長い期間をかけて達成していくよりよい社会を目指しているものと思われる。といっても,私が民主主義革命とあえて書いたものは,著者の意図とは異なるかもしれない。ウィリアムズの決して多くない日本語訳の文章のなかに「社会主義社会をめざして」(『社会主義の新展開』平凡社,所収)という素晴らしい文章があるが,やはり1960年代のマルクス主義者としては「社会主義」という語を使っているが,今日的にこの後は誤解を招きやすい。
ウィリアムズの目指す社会は本書では詳細にされていないが,21世紀に生きる私たちがそのヴィジョンを明確にし,それを達成すべき時期に来ていると思う。

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人生使用法

ジョルジュ・ペレック著,酒詰治男訳 1992. 『人生 使用法』水声社,731p.,5150円.

ついに読み終わりました。私の読書は外出先か自宅かによって分けられ,大型本や分厚い本は後者になる。自宅で本を読む時間は特別に作るものではなく,朝晩の歯磨きの間,大便のためにトイレにこもる時間,そんなものだ。だから,本書を読み始めてから読み終わるまで何ヶ月かかったことか。おそらく読み始めたのは2月中旬だから,5ヶ月かかったようですね。
ジョルジュ・ペレックは1982年に亡くなったフランスの作家だが,2003年に翻訳された『さまざまな空間』ですっかり気に入ってしまい,学術雑誌に書評を書き,翻訳者に手紙も送ったくらいだ。それ以降,『考える・分類する』と『眠る男』を読んでいる。しかし,それらはどれも短い作品だが,彼の代表作である本書は日本語版で700ページを越える,その厚さになかなか読み始められなかったが,意を決して読み始めた次第。
本文が長い分,いろいろ書き始めると長くなりそうだが,私の評論などたかが知れているし,巻末の訳者解説がさほど長くないながらもとてもよく書かれているので,短く済ませておこう。本書は,パリにある一軒のアパルトマンの居住者たちの顛末が描かれる,ある意味でのオムニバス作品。といっても,ヒッチコック作品『裏窓』のような現時点のみの話ではなく,登場人物一人ひとりの自伝的エピソードが何人も語られる。一部屋一人に限らず,その部屋の旧居住者まで。また,その自伝的描写はそのアパルトマンをめぐるローカルなものではなく,例えばアパルトマンにアトリエを持ちながらも年中スケッチ旅行に出かける画家の話や,若かりし頃にベビーシッターで子どもを死なせてしまい,その子どもを亡くした父親がそのベビーシッターを探して殺害することに残りの人生をかける話など,このアパルトマンは登場人物たちを結びつける一つのきっかけに過ぎない。いや,実際は結びついていない人物たちも多く,単なる空間的近接性にすぎない。
そもそも,人名がカタカナ表記の外国小説の翻訳はただでさえ人物を覚えるのが苦手なのに,裕に3桁の人物が出てくる本作で,私が一人ひとりの人物を覚えられるはずがない。しかも,全99章のなかに,特定の人物はばらまかれている。例えば,主たる登場人物の一人であるバートルブースであるが,彼の名前がタイトルについている章は以下の5章,つまり26,70,80,87,99といった具合。
ちなみに,巻末の追記によれば,本書には数多くの文学作品からの引用が含まれているという。そして,上に説明したように,本作における登場人物であるアパルトマンの居住者たちは99章のなかにばらまかれて登場するのだが,そのばらまき方にも数学的,あるいは幾何学的法則があるのだという。ともかく,さまざまな実験的要素が本作にはあって,しかし形式的には通常の小説をなしている。
正直いって,たまにはそのエピソードに感情移入することができて,楽しむ場面もいくつかあったが,本作の読書自体は私にとっては楽しいものではなかった。しかし,本作は私たちの通常の小説を読むという行為自体に対する何らかの問いかけがあるものだと信じて,読破することだけを目指して活字を追っていくという読書体験。まあ,これだけの作品を一度だけ読んで分かった気になるのは失礼というものだ。本作からどんな人生の教訓を学ぶことができるのか,今後も付き合っていかないといけない作品なのかもしれない。

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ティーチイン

7月3日(日)

この日は最近すっかり映画が観られなくなってしまっている妻を久し振りに映画館に送り出す日。やることがたまっているからといって,朝一でしかも近所の映画館へと出かけていった。ここ調布パルコ・キネマはけっこう私も思い入れのある映画館なのだが,今年の9月で閉館が決まってしまった。普通の昼間の回は子ども向け作品を上映していることが多いのだが,イヴニングショーやレイトショーなど,かなり映画ファンに嬉しいチョイスで過去の作品を観ることができたりする。さて,それはおいておいて,上映前に妻から電話。何でも,この日の昼間の回の上映後に,是枝監督が来場し,30分間のティーチインが行われるという。幸い,私はこの作品をまだ観ていなかったし,わざわざ調布まで是枝監督がやってくるという機会も珍しいし,閉館してしまうのだから,今後はない。私たち自身今度府中に引越して,近所の映画館がTOHOシネマズ府中になるが,そこではこういう機会はまず望めまい。ちょっと悩んだが,妻が夕方の回を観るのを薦めてくれたということで,その厚意に甘えることにした。

妻が観る回が終わる頃に調布PARCOに息子を連れて行く。チケットを取ってもらった代わりに,PARCO内にある少し洒落たカフェでランチをすることにし,妻の買い物にも付き合う。

調布パルコ・キネマ 『奇跡
ということで,是枝裕和監督最新作。オリジナル脚本にこだわり,一つ一つのシーンをじっくりと丁寧に撮るという映画監督の王道を行く稀有な監督だと思う。この精神は彼の下で助監督をいくつか経験した西川美和監督に引き継がれているが,映画ファンである以上,彼の作品は観続けなくてはいけないと思う。しかし,本作は既に随分話題になっている。それは,今回の大震災直後に九州新幹線が全線開通し,そのCMは日本に元気を与えると絶賛された。その九州新幹線の開通というのが物語の基礎になっているというタイアップ的作品。そんなタイアップ的作品であるというのは,是枝監督にしては珍しい。だからこそ,私は本作にはさほど期待をこめずに観た。
私が是枝監督の映画を知ったのは,かつて日本映画フリークだった友人による。それはちょうど『誰も知らない』公開の前後で,レイトショーで再映をやっていた『ワンダフルライフ』と『DISTANCE』を立て続けに観たのだ。もちろん,『誰も知らない』はロードショーで観ている。そんな3本で,私は是枝監督のことを重々しいテーマを数年かけて制作する人という印象で捉えていたが,やはりその友人からもう一人のある意味ではライバル的で,ある意味では対照的な監督が行定 勲。彼もけっこう重々しい作品を撮るが,自分の好きなことをやる作品と,そのためのお金儲けのためにやる商業作品とが明確に分かれるという印象があった。是枝氏は不器用だが,行定氏は器用。そういう意味では,今回のは是枝氏がお金儲けのために映画を撮ってもいいじゃないかと私的に想像した次第。
しかし,実際は違かった。本作はもちろん,九州新幹線全線開通記念という意味合いがあり,JRを中心に相当の広告費もかけていたようだが,オリジナル脚本だし,全編とても丁寧に撮られている。そういえば,是枝監督も最近は『花よりもなほ』や『歩いても歩いても』といった,決して重々しくない作品を撮るようになった変化からすれば,随所で微笑が漏れるような本作のような作品はその流れに位置づけられるかもしれない。しかし,実のところ私は『歩いても歩いても』はあまり好きではなかったので,今回の『奇跡』の出来には十分に満足している。まさに子どもたちが生き生きしている作品。そして,それを支える大人の俳優たち。奇しくも本作には,『歩いても歩いても』に出演した俳優が多数出演しているのだが,阿部 寛や長澤まさみをチョイ役で出演させるなど,なかなか贅沢でもある。

さて,上映が終わってティーチインが始まります。私は知らなかったけど,これは是枝監督が作品を作るたびに続けているものだそうだ。いろんな場所の映画館に行って,上演の前か後かというのがゲストのスケジュールによって決まるような形式的な舞台挨拶ではなく,必ず上映後に,観終えた観客と質疑応答形式で作品に関する意見を交換するというもの。舞台に上がった是枝さんは年齢の割には若く見えて目がキラキラしていて少年のようでいながら,同時に常に冷静に周囲を観察している,そんな印象。まあ,これは単なる見た目の印象ではなく,常に何かを求めて映画作品を作っていくクリエーターとしての魅力が彼の外見ににじみ出ているということだ。それでいて,華やかな世界の人間とは思えない素朴な人懐こさも持っている。
そんな感じで質疑応答。私は最前列の中央より一つ右の席に座ったのだが,それは最前列中央に既に先客があったからだ。第一番目の質問者は彼。群馬からこのために調布に来たという彼はかなりの是枝ファンと思われ,なかなか鋭い質問を浴びせています。他にも質問者の多くは,この作品を観るのが2度目という人たちで,かなりレベルの高い質疑応答が進み,私はとてもいい質問は思いつかなかった。他にも,映像関係の専門学生による質問など,30分では足りないぐらいの充実した時間。なかなか貴重でした。ちなみに,そこでのお話から知ったことを一つだけ書いておくと,是枝監督は『誰も知らない』から続けている子役への演出方法があるという。それは,脚本をあらかじめ渡すのではなく,撮影しながら,一つ一つの台詞をその場で伝えるのだという。また,場合によっては,子ども同士の会話においては,片方の子どもにはあらかじめ用意した質問を伝え,もう片方の子どもはその質問に対して,自分の役が置かれたシチュエーションを理解したうえで回答を考えるという手法だという。
これは有名な話かもしれないが,彼の作品の子どもが生き生きしているのはそのせいだと妙に納得してしまいます。そしてティーチインが終わった後も,是枝さんは控え室には下がらず,出口のロビーで観客たちと会話を交わしています。この人にしてこの作品か,とやはり妙に納得してしまう私でした。

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久し振り映画のハシゴ

借りるつもりの部屋は先日内装工事が終わり,明日最終的な出来上がりを確認し,問題がなければ本契約の予定。本契約を前に引越し業者は決定した。結局,5社に見積もりをお願いしたのだが,そのうち3社はほとんど同じ値段。まあ,それが標準ということでしょうか。で,結局決定した業者はなんと私たちが今の部屋に同居する際に,一緒にお願いした会社。東京都と神奈川県を中心に営業しているという「孫悟空」という会社。なぜ私が2年半前にそこにお願いしたかは忘れてしまったが,私の引越しが終わり,妻も同じ業者にお願いするから安くしてよ,みたいな感じでお願いしたのだ。そして,今回も他の業者とは違って,見積もりをお願いする際に,「以前もお願いしたのです」ということで,同じ見積もり担当の方に来てもらった。前回の引越しから結婚・出産ということで,「ご祝儀価格」とのことで,他の業者よりも2割ほど安くなりそう。

7月1日(金)

さて,この日は映画の日。先週は妻が台湾の高校の同級生に会うということで,成田空港の近くまで出かけて1日が終わったこともあり,この日は1日自由行動をさせてもらうことになった。というのも,前売り券を買ってあった『パラダイス・キス』は主要な上演館で最終日を迎えてしまい,またどうしても観たかった『クロエ』が本上映のシャンテ・シネでの上映が終了してしまい,シネ・パトスの夕方以降の上映を残すのみ。ということで,午前中の講義が終わった後に夕方まで,『パラダイス・キス』を観て,それでも余ってしまう時間で献血をすることにした。
講義が終わって急いで有楽町線で丸の内ルーブルに急ぐ。献血があるので,映画の後に昼食というわけにも行かず,近くのファミリーマートでサンドイッチと缶コーヒーを買い,既に予告編上映中の劇場に滑り込む。

丸の内ルーブル 『パラダイス・キス
最前列中央の席について,ちょうど本編が始まる。普段は本編上映中に食事をしたりする人ではないが,後方10列以上は誰もいないので安心して食事をする。さて,北川景子は特別に好きというわけでもないが,出演作はけっこう観ている。今が旬の向井 理君の演技もちゃんと観たことないし,急に向井君ファンになってしまったという友人がエキストラで出演しているというので,観ることにした。わざわざ説明する必要もないが,本作は矢沢あいの原作漫画の実写版。北川景子は高校生役で,向井 理は専門学校生役というかなり無理がある設定だが,デジタルカメラでの撮影を使った漫画的な作りはそれはそれで面白い。
特筆するほどの映画ではないが,一点だけ。原作漫画がどの程度の長さを持っているのか分からないが,映画を観る限りでは肝心なところの描写がひどすぎる。受験を目の前にした主人公は,渋谷で男に声を掛けられる。それが,向井演じる男の専門学校の友人で,かれらの卒業制作のショーのモデルに北川演じる女子高生をスカウトしたという設定。受験があるから遊んでらんないというが,ずるずると引き込まれてしまい,最後には「モデルくらいやってやるよ!」とタンカをきるが,「モデルになる」という努力をしているシーンは全くない。ショーの直前に自信をなくし,「モデルをなめていた」というが,なめるもなにもひどすぎる。その過程のなかでいくつかの場面でいくつかの人物から重要な忠告を受けるが,それらは何も活かされてない。そういうところを丁寧に描かない限り,結局は人気の原作,人気俳優以外記憶に残らない映画に過ぎないということだ。

落ち着いて献血ルームへ。成分献血もそれほど混雑しておらず,時間的にも余裕を持ってできました。

東銀座シネ・パトス 『クロエ
さて,今度は鬼才と呼ばれるほどのカナダの映画監督アトム・エゴヤンの最新作。正直前作の『秘密のかけら』は完璧とはいえなかったが,本作は主演にジュリアン・ムーアを迎え,若手注目株のアマンダ・セイフライドを正面からぶつけ,夫役をリーアム・ニーソンで固めるという徹底ぶり。期待は高まります。
振り返ってストーリーを反復すると大した物語ではないような気がするが,観ている間は全く無駄のない完璧な映画だと思えた。ジュリアン・ムーアは既に50歳になるが,相変わらず惜しげもなく裸体を披露し,アマンダ・セイフライドもこれから人気が出てくるというのに,こちらも惜しげない。嫉妬,裏切り,執拗な愛情,などなど相変わらず人間の負の感情を描き出す監督だが,その表現はどこかどれも美しいのだ。かといって,美でそうした負の感情を損ねてしまうのではなく,負の感情を誇張して絶対化しない,ということだろうか。ジュリアンの息子役として出演しているマックス・シエリオットも初々しくてよい。
こちらはこちらで,逆の意味でこれ以上言葉を重ねる必要はない作品。ともかく,見逃さなくてよかった。

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