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親子で有料ライヴ

先日紹介したイタリア映画『あしたのパスタはアルデンテ』で書き忘れたことが2点。一点は相手役の女優さん。主人公がゲイだと知ってしまった唯一の人物である彼女は,主人公のゲイ友だち(そのうち1人が恋人)4人と海水浴に行くシーンがある。当然海水浴の帰りのシーンはスッピン。彼女が登場する冒頭のシーンではメイクばっちり,胸の谷間のみえるミニスカートのスーツにハイヒールという出で立ちなのに,惜しげもなくスッピンを披露するという当たり前のことが,一部のアメリカ映画や日本映画ではなかなかできない。女優はスクリーンのなかでは常に美しくあるべきというくだらない常識が日本映画のリアリティ喪失につながっていると同時に,多くの日本女性の価値観を支配しているように思う。当たり前のように高校時代にメイクを覚える女たち。男の手前ではなく,同性への手前でメイクをやめられない女たち。
まあ,そんなことはどうでもいいね。第二点。これはネタバレですが,主人公の最後の方のシーンでの台詞が非常に説得的だった。彼は数週間,父親の代わりにパスタ会社の人間としてその仕事に時間を割き,努力をしてきたが,楽しいと思えない。自分にとっての天職は作家なのだと。それだけの台詞だとなんの説得力もないが,「語ることよりも書き綴る方が真実を伝えられる」という台詞は私にとってはまさに共感すべきものだった。私はあまり「共感」という言葉を安易に使いたくないと思っているが,ここばかりはこの言葉以外に思い浮かばない。
以前に何度もいわれたことだし,このblogを読みながら実際の私も知っている人は分かると思うが,文章における私と対面して会話を交わす私とは別人らしい。そう,私がこうして研究者を志すようになったのは,学問というジャンルではあるが,書く愉しみを知ったからである。書くという行為は話す行為と違って,その場に相手はいないし,その分ゆっくりと時間をかけて考えることができる。だからそのことによって,まさに偽りない自分自身を表現することができるのだ。まあ,最近はそれほどほとばしるような書く愉しみを感じていないが,それを求めて書き続けるのです。

10月2日(月)

この日は朝から一人で映画。その後に昼間のライヴに親子3人で参加の予定。

渋谷ユーロスペース 『朱花の月
河瀬直美監督作品はできるだけチェックしておくつもりだが,段々期待というものは薄れてきているように思う。ただし,本作では音楽をハシケンが担当しているので観ないわけにはいかない。本作も彼女がライフワークとしている奈良県での撮影。奈良県といっても多様性を有する場所であることは彼女の作品を複数観れば分かる。というか,これが正当な場所の表象だといえようか。今回は万葉集からの言葉を時折用いながら,そして藤原京の遺跡発掘現場から映画は始まる。今回も段々畑など豊かな自然と共存する文化景観の映像が続くが,監督自らの撮影による本作はデジタルカメラによる撮影のようだ。男2人に女1人という物語で,その女性を演じる大島葉子は『ヘヴンズ・ストーリー』にも出演していたようで,見覚えがあるが,男を演じる「こみずこうた」など,見知らぬ俳優を使うのは河瀬監督らしいが,脇役では樹木希林や西川のりおなどを使ってもいる。ハシケンによる映画音楽だが,基本的に彼女の作品ではあまり出番はない。けっこうチェロが使われていたが,他にはピアノくらい。クレジットでは「フルート ヤマカミヒトミ」となっていたが,フルートには気づかなかった。そして,チェロは橋本 歩さんではなかった。これは音で分かっていたことではあったが。ピアノはハシケン自身が弾いているのだろうか。いやいや,けっきょくこの作品はどうだったのであろうか。現代を舞台にしながら,万葉集や藤原京など,この地の持つ歴史性を強調したかったようだが,時折太平洋戦争の記憶も呼び起こさせるような演出がなされる。俳優の演技をみせるでもなく,いまさら風景で土地の魅力を語るでもなく,かといって脚本は比較的平板だし,さまざまな偶然性が入り込む要素もそれほど多くはない。
まあ,こういう映画がもっと日本映画にあってしかるべきというメッセージにはなると思うが,ある意味ではこの種の映画は河瀬氏しか撮れないような状況になっていたりして。ちょっと中途半端な気がしないでもありませんけど,これはこれでよいのでしょう。

上北沢il sole Quinka, with a Yawn
渋谷で一人で食事をしてから上北沢に移動。上北沢は一度flex lifeのライヴで降りたことがあるきり,下車したことがない駅。この日のライヴは先日のタワーレコードと同様に,Quinkaが『コドモレコード』発売記念として,幼い子どものいる人も入りやすいお店で昼間の時間に企画されたもの。私はタワーレコードでも聴いているし,どちらかというとQuinkaオリジナル曲のライヴを聴きたかったが,妻がそのお店にも興味を持ち,このライヴだったらママ友たちも誘えるということで,行くことにしたもの。実際に,以前は近所だったママ友家族4人とご一緒することになった。
このお店は一応イタリアンレストランということだが,あまりカフェっぽくない雰囲気で,IKEAの子ども椅子も十分にあり,また窓際のスペースには滑り台もある子ども遊びスペースが設けられている。私が到着すると,既に2〜3歳くらいの多くの子どもたちが遊んでいます。まだ歩き始めたばかりの1歳過ぎの子どもも数人。そのなかに,大橋エリさんの2人の娘さんもいました。上の子が4歳で,下の子が6ヶ月。旦那さんの子どもの扱いは手慣れたものです。そんななかにわが息子も放り込みますが,かなり楽しそうに遊んでいました。
ほどなくしてライヴが始まります。この日はベースの鎌田さんも加わっての4人編成。最初の頃は子どもも集中して聴いていますが,やはり15分くらいが限界ですかね。徐々に脱落者が出てきます。泣き出す子,泣き出す前にプレイスペースに連れ出す親。そしてわが子は母親の胸に抱かれて眠りにつきました。それでも,ミュージシャンたちは集中力を切らさずに演奏を続けます。せっかくなので,自分のオリジナル曲をやってくれてもよかったかもしれませんね。終演後はエリさんとミッコさんとも少し長目におしゃべりしてお店を出ます。まだまだ明るい時間だったので,上北沢の駅前を散策。駅前に素敵な桜並木があって,なかなか魅力的な街でした。

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コメント

「ライブに行ったことがない」と知り合いのおもちゃ屋の店長に話したら地元のチャリティ寄席のチケットをくれました。でも、「別にライブでなくてもいいや。」っていうのが率直な感想です。

投稿: ムツダ | 2011年10月16日 (日) 19時29分

ムツダ君

私の行っているのは音楽ライヴであって,寄席ではありません。
いいじゃないですか!寄席もきっと楽しいですよ。
音楽でも落語でもライヴってのは行ってみないと分からないというのが一つの楽しみですから。

投稿: ナルセ | 2011年10月16日 (日) 20時11分

失敬、寄席は行ってきたのですが、その上での感想です。

投稿: ムツダ | 2011年10月17日 (月) 07時50分

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