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2011年11月

精神病

ジャック・ラカン著,ジャック-アラン・ミレール篇,小出浩之・鈴木國文・川津芳照・笠原 嘉訳 1987. 『精神病 上下』岩波書店,266+292p.,2300+2600円.

私は精神分析の考え方に惹かれる。しかし,困ったことに,実際フロイトやラカンを読んでみるとチンプンカンプンなのだ。多少なりとも理解できるのはジジェクぐらいなものだが,ジジェクも最近の方向性はまったく分からず,読まなくなってしまった。しかし,なんとか人文書院のフロイト著作集は少しずつ集め,数年に1冊ずつ読んでいる。ラカンは『エクリ1』と『テレヴィジオン』『二人であることの病い』『精神分析の四基本概念』を読んだだけ。とりあえず,岩波書店から出ている,ミレールが編集した講義録を古書店で安価で見つけた場合には買うようにしている。本書は上下巻だし,タイトルだけだと専門的すぎるかなと思っていたけど,なぜか購入していた。随分前に読み始めて,ようやく上下巻が読み終わった次第。こうして目次を書いてみると,おそらく目次をみて購入を決めたのだと思う。

上巻
精神病の問いへの序論
1 精神病の問いへの序論
2 妄想のシニフィカシオン
3 大文字の他者と精神病
4 「私,豚肉屋から来たの」
精神病現象の主題と構造
5 騙さない神,騙す神
6 精神病現象とそのメカニズム
7 想像的崩壊
8 象徴界のフレーズ
9 無意味,そして神の構造
10 現実界におけるシニフィアンと叫びの奇跡
11 原初的シニフィアンの拒絶
下巻
シニフィアンとシニフィエ
12 ヒステリーの問い
13 ヒステリーの問い(2)〈女であるとは何か〉
14 シニフィアン,それはそれだけでは何も意味しない
15 原初的シニフィアンとそのうちのあるものの欠損
16 狂者の秘書
17 隠喩と換喩(1)〈彼の麦束は欲深くなく,恨み深くもなかった〉
18 隠喩と換喩(2)シニフィアンの分節とシニフィエの転移
19 講演,フロイトの一世紀
穴の周囲
20 呼び掛け,暗示
21 クッションの綴じ目
22 〈君は私に就いてくる人だ〉
23 街道と〈父である〉というシニフィアン
24 〈君は〉
25 ファルスと大気現象

そう,精神病という特殊なテーマのタイトルがついていながら,ラカンの主要な概念がたくさん出てくるのだ。シニフィアンとシニフィエという記号論の話や,隠喩と換喩という比喩表現,象徴界・想像界・現実界という三項については当然といえるけど,大文字の他者やクッションの綴じ目など。
本書は1955年11月から1956年7月に至るまでの講義を記録したものだ。『精神分析の四基本概念』も講義録ではあるが,読みやすさでは断然本書の方が優れている。原著のセミネール集は全部で25巻分もあるようだが,講義年度によって,聴衆も違うのだろうか。本書の前半ではフロイトも分析の対象にしたというシュレーバーなる人物が書いた『ある精神病患者の回想録』についての詳しい説明と検討があったりして,論点が明確。上巻では何が精神病で何がそうではないのかという論点も明確だが,下巻になると,上述したラカン特有のテーマがいろいろ出てきて,精神病とどう関係しているのか分かりづらくなってくる。まあ,読みやすいといっても,読後明確な理解が残ったかというと自身はない。なので,この読書日記もこの辺で終了します。

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ロビンソン・クルーソー

ダニエル・デフォー著,平井正穂訳 1967, 1971. 『ロビンソン・クルーソー』岩波書店,416+423p.,620+620円.

今年度の東京経済大学の「人文地理学」後期では,ヨーロッパにおける旅行記とユートピア文学の歴史を辿る講義をしている。本作も当然その講義に含めるべき作品であるが,岩波文庫版で上下巻800ページにわたるのでなかなか読み始める勇気がなかった。でも,今年度は思い切ってレポートの課題図書に選定したので,読まざるを得なくなって読んだ次第。
結局,上下巻読むのに3週間ほどかかってしまった。しかも,岩波文庫版では上下巻となっているが,実は上巻と下巻は別の作品であることが判明。上巻を読み終えたところで,あまりにも結末がしっかりしているので,これ以上同じ分量で何を続けるのかと思いきや,続編でしたね。上巻が『ロビンソン・クルーソーの生涯と冒険』,下巻が『ロビンソン・クルーソーのその後の冒険』として発表されたものらしいが,どちらも1719年に出版され,第3作として,小説の形はとっていないが『ロビンソン・クルーソー反省録』が1720年に出版されたという。
私も当然,ロビンソン・クルーソーの名前は知っていた。無人島に漂着して,自力で生活をするという物語として。しかし,『ガリヴァー旅行記』がそうであったように,実際の作品は非常に長く,学ぶことは大きい。いわゆる無人島での生活を中心にしたのが上巻であり,28年におよぶ無人島生活から英国に帰還したところで終わる。しかし,無人島に漂着する67ページまでにも波乱にとんだ人生が語られている。ロンドンから出向してアフリカはギニアで商人として一儲けし,海賊船に襲われて捕虜になり,脱出して助けられた船に乗ってブラジルに行き,農園を所有しまた一財産作り,再び航海に出たところで船が遭難し,彼一人だけが無人島にたどり着くという物語。
私が知っているいい加減なストーリーでは結末がどうなったかも知らないが,原作ではロビンソンが漂着した島は誰も知らない無人島ではない。野蛮人なる人々が登場するのだ。といっても,その島に住む住人ではなく,近くの大陸(それは後に大陸ではないことが判明するが)から時折島の海岸を利用して食人行為を行うという人々。作品中にコロンブスの名前が出てくるかどうかは忘れてしまったが,とにかく固有名詞は出ていないが,明らかにカリブ海に浮かぶ島々が想定されている。といっても,本作中の野蛮人は日常的に食人行為をするわけではなく,いくつかのいがみ合っている種族があり,小競り合いの結果捕虜になった他種族の人間を食べるのだという設定になっている。捕虜を数人,ロビンソンが住む島の海岸に連れてきて,数人の男たちがお祭り騒ぎで捕虜を食べるという現場が何度も登場する。そんな具合で,上巻の後半はそうした野蛮人からいかに身を守るかという方策にあてられる。しかも,続いてスペイン人の一行が出てきたり,島の近くにイギリス船がやってきたりと上巻の最後の方に急な展開があり,最終的にロビンソンはヨーロッパに帰還する。
さて,下巻はガリヴァーと同様に,元来の放浪癖から再び航海に出る,という始まり。船長になった甥の船に乗せてもらい,いろいろ物資を積んで再び彼が1人で生き抜いた島に行く。その頃は数人のイギリス人だの,十数人のスペイン人だの,野蛮人だのが住んでいる。この時点では,この島はロビンソン個人の植民地ということになっている。単独生活時代に家を作り,家畜を飼い,農産物を栽培し,とできうるかぎりの文明的生活の礎を築く。その後にこの島に住むようになった人間はすべてそういった彼が築いた物資やノウハウに頼らざるを得ない,というところがこの島が彼個人が統治する植民である所以である。そこでは明らかに奴隷制度が横行しているほか,男性だけが住む土地に彼は家畜と同様に女性を連れて行くのである。
ロビンソンは個人生活をしていた時に,漂流の結果彼だけが生き残ったことや,自然の恵みを食することについて,彼は有り余る時間で神に祈り,聖書を読み,プロテスタント派のキリスト教徒になる。そして,再び甥の船でその島に向かう途中,遭難しかけた船を救出し,そこに乗っていたフランス人のカトリック派の司祭とともに,島に向かう。島の住人たちをみた司祭は,かれらをキリスト教徒へと改宗することをロビンソンに提案し,かなりのページが宗教談義に費やされたりする。
結局,3週間ほどの滞在でロビンソンは島を後にし,甥の船の目的地である東インド諸島(現在のインドネシア辺りのことか?)へと向かう。しかし,ここでも災難は降り掛かる。その途中でブラジルに寄ったりもしているが,なんやかんやでロビンソンは乗組員から疎んじがられ,最終的には船から降ろされてしまう。そこで出会った人と共同して船を購入して中国方面への航海を始めるのだが,今度はその船が曰く付きの船で,オランダ人たちに海賊船扱いされて尾行されるのだ。なんとかかんとか,危機を乗り越えて中国にたどり着く。この辺りで最終的にその船は日本に寄ったりする話が書いてあるが,ロビンソンはその航海には参加しない。
結局,中国から陸路,モスクワ帝国を抜けてヨーロッパへ帰るという旅を実行するのだ。その道中では砂漠を横断したり,韃靼人(中央アジアのタタール人)の来襲から身を守ったり。ところで,この韃靼人が島の野蛮人に続いて差別的対象として登場する。キリスト教で禁じている偶像崇拝をかれらが行っているということだけでひどい仕打ちをするのだ。まあ,ここでは自ら危機を招いているわけだが,それも最後に切り抜けてヨーロッパへたどり着く。

訳者である平井氏はトマス・モア『ユートピア』も訳していたりするが,訳者あとがきで,本書がプロテスタントと資本主義精神の関係性を示した典型だと書いていることに妙に納得。といっても,ウェーバーは読んでいないのだが,本作でロビンソンはプロテスタントにこだわっているし,意外に金儲けにも固執している。やはり,いろいろと歴史的なことについて思いを巡らすことができる作品でした。

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銀座と日比谷,映画2本

11月18日(金)

前週は学会発表が日曜日にあり,金曜日,土曜日と映画を控えていたので,この日は妻に「2本立てでもしてきたら」と優しい言葉をもらったので,お言葉に甘えることにした。
講義を終えて有楽町線で有楽町へ。12時前だったけど,PRONTでランチ。といっても,パスタではなくパン。ここのパンはけっこう好きなんです。特別美味しいわけではないけど,味相応の値段,そして基本はコーヒー屋なので,コーヒーがけっこう量の多いMサイズで250円ってのも魅力。味も悪くない。

銀座シネスイッチ 『マーガレットと素敵な何か
まずはシネスイッチ。なんと,45歳になったソフィー・マルソーの主演作品。若かりし頃に日本で人気だった幾人かの女優さんが40歳を越えてけっこう頑張っていますよね。ジェニファー・コネリーやダイアン・レインなど。ソフィー・マルソーも本国フランスでは継続して頑張ってきたんだろうけど,日本では彼女の主演映画はあまり公開されなかったと思う。本作の監督は『世界でいちばん不幸で幸せな私』のヤン・サミュエルということで,予告編を観た時からワクワク感で早速前売り券を購入した次第。いやいや,素晴らしい作品でした。ここ数年,パンフレットを買っていなかった気がしますが,思わず買って帰ってきてしまったくらい。
ソフィー演じるマーガレットが40歳の誕生日に受け取った手紙がなんと7歳の頃自分が書いた手紙であった。当時家を出た父親が残していった借金で,母親と弟の3人家族は住んでいた家も追われ,結婚を誓った幼なじみとも挨拶もできずにお別れ,というどん底生活のなか,少女は未来の自分に対して手紙を書く。一方,40歳になったマーガレットはそんな貧しかった過去のことなど忘れて,仕事にいそしむ毎日で,仕事上のパートナーと婚約までしている。そんな大人のマーガレットは子どもの自分からのメッセージから何を受け取るのか。
監督自身によるオリジナル脚本の素晴らしさと,ソフィー・マルソーの魅力たっぷりの演出がたまりません。その1通1通の手紙が小細工たっぷりでとてもキュートだし,テンポもいい。でも,逆に前半はテンポの速さについていけなくて,映像もけっこうキラキラだし,その上字幕も追わなくてはならない私にはちょっと大変でしたが,これでフランス語が聞き取れてたらもっと楽しめただろうに。ともかく,愛すべき作品がまた一つ増えました。

日比谷シャンテ・シネ 『ウィンターズ・ボーン
続いて観たのは,『あの日,欲望の大地で』でシャーリーズ・セロンの幼少役を演じて,とても印象に残ったジェニファー・ローレンス主演映画。『あの日,欲望の大地で』もそうでしたが,舞台が合衆国の田舎町で,彼女の役どころは悲劇の主人公。まだ若いのに笑顔がない役どころがとても似合う女優さんです。今後はどんな役どころをしていくのか,楽しみにしたいと思います。

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風土学序説

オギュスタン・ベルク著,中山 元訳 2002. 『風土学序説――文化をふたたび自然に、自然をふたたび文化に――』筑摩書房,448p.,3990円.

私はきちんと読む本は手元に置いておきたいので,図書館で借りた本を読了するということは滅多にないが,本書はやむを得ずそうすることとなった。今回の人文地理学会の発表で,私は場所概念をプラトン『ティマイオス』のコーラ概念から検討することにしていた。本書の著者であるフランスの地理学者ベルクが,同様にプラトンのコーラについて論じていることは実はけっこう前から知っていた。ぺりかん社という出版社が出している雑誌『日本の美学』の1997年の号に掲載された「場所があるということ」という文章がそれだ。当時,大学院にいた後輩,荒木慎二君が日本の巡礼研究をやっていて,「霊場」の特集を組んでいたこの雑誌のこの号をチェックして気づいたのだろう。早速,私にも教えてくれたのだ。
それから10年以上の時が過ぎ,そのコピーもが紛失してしまい,急いでAmazonでこの雑誌を購入したのだが,近所の府中市立図書館に行った時,ふと目にとまったのが本書。ベルクの本は,講談社現代新書の『日本の風景・西欧の景観』(1990)や『都市のコスモロジー』(1993)は読んでいたが,日本研究者でもあり,日本の滞在歴もあり,地理学者以外の日本人にもけっこう人気のあるベルクの議論を私はあまり好きではなく,他の著書はあまり読んでいなかった。しかし,図書館で本書をペラペラめくっていると,上述の論文の記述が前半で利用されていて,つまりあの文章をきっかけとして書かれた本であることが分かった。しかも,その論文では特集の「霊場」に関連させて書かれていたのだが,本書ではもっと大きなテーマをもった壮大な著作だった。
プラトンのコーラは当然場所概念の起源として扱われているから,日本通のベルクにとって,それは西田幾多郎の論文「場所」が論じられるし,そこから最近の彼の主題である「風土性」へと議論を展開するために,和辻哲郎の『風土』も検討される。もちろん,彼はヨーロッパ人だからハイデガーの議論もあるし,デリダの『コーラ』についても言及がある。しかし,基本的にデリダ流の認識論には賛成していないようだ。「シニフィアンの物神崇拝」などと揶揄している。
私はやはり本書の議論にも全面的に賛成するわけではないが,面白い議論もけっこうある。やはりベルクも場所概念を含め,物事を静態的に捉えることを越えようとしていて,静態でも動態でもない,あるいは通時でも共時でもない,通態性(trajectivite)や封土=動性(mouvance),風物身体(corps medial)などという概念を提示し,時間・空間で変化しながらも,ある一定の方向性を有する「風土性」なるものを主張している。ちなみに,プラトンのコーラ概念とアリストテレスのトポス概念を明確に区別し,コーラ概念こそが私たちを取り囲む「環境」を場所概念に組み込むものだと主張し,そうした総体が「風土性」なのだが,風土を分離して,風性=コーラ,土性=トポスと表現したりしている。
でも,ともかく数々の哲学者や日本に住み日本語を使うわたしたちよりも日本について詳しい著者の博学的な議論展開には批判する余地はない。だからこそ,日本の地理学のなかで,ベルクを引用する人は少ないのかもしれない。

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人文地理学会大会

11月13日(日)

前にお知らせしたように,池袋の立教大学で人文地理学会の学術大会があり,出席してきました。知っている人は知っていると思うので,詳しくは書きませんが,今回の学会によって私のこのblogも有名になってしまったので,発表するという以外の妙な緊張感を抱いて会場に向かいます。
なるべく人通りのない経路をたどって大学へ。でも,行く途中にパンのテイクアウトができるカフェ,あるいはイートインを併設したパン屋(?)「CAFE TERVE!」なるお店を発見した。開店は10:30からだというので,後で買いにこよう。この日は昼休みに会員控え室でちょっとした打ち合わせがあるので,昼食持参とのこと。コーヒーはいつも通り家でタンブラーにいれて持参した。ちょっと早すぎる到着でしたが,朝一に発表を聞く予定の第3会場で待ちます。ちなみに,この日は大学を使って,「色彩検定」などもやっていて,休日の割にはキャンパスには人が溢れていた。
上記の理由(詳細は書いてないけど)で,この日のことはblogには書かないつもりだったが,今回はしっかり他人の発表も聞いたので,それらについて意見を書いておこうと思う。そもそも,研究成果というものに対して一般的な意見が公の場にさらされる機会はあまりない。論文や著書のなかで他人の研究に言及するという限定された状況では少なくないし,著書という形態で発表された場合には少なからずの書評やネット書店のユーザーレビューなどが出る可能性はあるが,論文はまだしも,学会発表への意見というものは直接的コミュニケーション以外にはほとんどありえない。一応,地理学系学会の多くが,学術大会で発表して多くの人に意見をもらうことが,論文として雑誌に投稿することの条件となることが多い。でも,実際に意見をもらえるだろうか。発表者の多くは質疑応答の時間まで発表時間にあててしまう。まあ,ともかく発表直後にその場で意見や質問をするというのはけっこう難しいので,こうして事後的だが,聞いてきた発表にもの申そうという密かな試みである。

山口 覚「都市景観行政の30年―尼崎市都市美形成条例の事例―」
朝一に期待していたのは山口君の発表。彼は同世代のなかでも尊敬すべき存在。早々と母校に就職を決め,それでいて論文生産のペースは落ちず,著書も1冊あります。同業者と結婚して可愛い娘さんも産まれたようで,毎年娘さんの写真の年賀状が送られてきます。私は学会にはたまにしか参加しないが,たまに参加するとトイレなどでばったり会うことが多い。会うことは多いんだけど,まともにじっくりお話ししたことはない。しかも,彼の学会発表もあまり聞いたことがなかったので,今回はじっくり聞いてみることにした。私の世代は学会でもばっちりスーツで決めてくる人は少ないが,彼はそんななかでも黒いタートルネックを着ていることが多いような気がする。この日もそうでした。と,ここまで書きながら実は彼の研究テーマには興味はあるんだけど,なかなかきちんと読んだこともない。私のような捻くれた読者にはちょっと面白みがないというのが正直なところだろうか。それだけ,正攻法の研究者なのかもしれない。彼が尼崎に関わっていることは知っていたが,今回の報告はこんなタイトル。なにやら流行のテーマに関連づける用意はあるようですが,この日の報告の内容は事実の整理だけの印象。景観は地理学の主要なテーマではありますが,この報告ではあらかじめ決められた「景観行政」における景観概念は所与のもので,そこを議論する余地はなしという感じで面白くない。

川西孝男「ヨーロッパ聖杯騎士伝説をめぐる歴史地理学的考察―「ペルスヴァル」から「パルツィヴァール」,そして「パルジファル」へ―」
この報告は聞くつもりがなかったけど,自分の発表について精神的な準備ができる場所をみつけられなかったので,自分の発表会場で準備をするついでに聞いていた。京都大学の院生ということだが,どうにも地理学者という感じではなく,歴史学者だ。会場でもちょっと場違いな感じの発表でした。

北川眞也「ヨーロッパの境界における場所の政治―イタリア・ランペドゥーザ島へローカル化される移民の地政学―」
続いては,地政学研究期待の北川君。前に聞いた発表も同じフィールド,地中海に浮かぶ移民の島,ランペドゥーザの報告。前の発表はちょっと中途半端な気がしたけど,今回のは発表自体も非常に工夫されていて,興味深かった。表象や言説オンリーでやっているこちらからすると,こういう研究をやられると比較的分かりやすいし説得的なのでかないません。でも,正直なところを書くと,彼が現地のフィールドワークで得てきたオリジナルなデータというのはこの研究で何なのだろうか。おそらく,言説資料だけでも現地に行かないと手に入らないし,2次的資料でもどういうものがあるのかということ,そしてやはり場所の雰囲気を感じ取るためにも現地に行くことは必要だと思う。しかし,やはりせっかく現地に行ったのであれば,そこに居合わせた者しか知ることができないことというものが分析の中心であって欲しいと思う。まあ,これはフィールド調査をやらない人の無い物ねだりだろうか。

ここで,私の発表だったが,なぜか体は緊張を隠せず,口が乾いてしまい,うまくしゃべれなかった。でも,一応ちょうど持ち時間で話を終えることはできた。しかし,誰一人として質問や意見をいう人はいなかった。今回の座長はなんと加藤政洋さんだったので,それも緊張の原因の一つ。厳しいことをいわれることを覚悟していたが,うまくまとめてくれて,適切な質問をしてくれました。

大平晃久「記念碑の建立と比喩―文学碑を事例として―」
私の報告の冒頭にしゃべったのだが,北川君から続く4つの発表で「場所」がキーワードとして使用されていた。大平さんは私が彼が発表した論文に対してコメント論文を書いたような仲。「場所の言語的構築」というテーマにおいては,内田順文氏がきちんとした研究をしなくなってから,立場は異なるものの,私と大平さん(+泉谷氏?)が追求している。しかし,冒頭で大平さんがしゃべっていたように,今回の報告はその追求を先に進めるようなものではなく,ちょっとした事例報告。期待していなかった分,私には面白かった。そして,北川氏の発表に続いて(私のは飛ばして)質問をしたのは水岡不二雄さん。そんなこといわれても,ってコメントが面白いです。

ここで,お昼を買いにくる途中で見つけた「CAFE TERVE!」でパンを買う。残念ながら総菜パンのようなものはなかったけど,普通の何も入っていない丸いハード系のパンとブルーベリーのベーグルを買って戻ります。昼休みは『地政学入門』という英文教科書の翻訳メンバーとの打ち合わせ。私はいつも会社に行く時のように家でコーヒーを入れてタンブラーで持参しました。

吉田国光ほか「焼畑山村における生業変化からみた自然環境と人間の関係―熊本県芦北町黒岩集落を事例として―」
午後はちょっと予定を変更して,国光君の発表を聞きにいく。彼は研究的に近いわけでは決してないのだが,以前地理学者の集まりで何度か会ったり,メールのやり取りをたまにしたりしていた。研究自体はオーソドックスな農村研究なのだが,その論文の語り口などが読ませる文章なのだ。ということで,関西出身の彼らしい独特の口調による口頭発表も聞かせる内容になっている。しかし,ある先生がその場でコメントしたように,この内容を「自然環境と人間の関係」という古典的な地理学的テーマで論じるにはかなり無理があると思う。奇しくもこの会場に入る時に中島弘二さんと一緒になったが,1989年の『地理学評論』に掲載された彼の論文などを参照すべきかもしれない。
ところで,やはりここでもフィールドワークに関する疑問が浮かんでしまう。この報告でその地域の数十年の暮らしぶりや年単位の作付けスケジュール(?)などが整理されているが,その多くが現地の人からの聞き取りによるものだと思う。すなわち,その地で数年生活して観察したような一次資料ではなく,あくまでも語りという表象である。その他にも,空中写真などのデータも表象の類いだ。まあ,そういう研究が悪いというのではなく,程度の問題であり,フィールドワークをしないと思われている私の研究もそう大きく違わないのではないか,と思う次第である。

香川雄一「琵琶湖の環境問題をめぐる新聞報道の地域性」
国光君の報告を聞こうと思った理由の一つは同じ会場の次の発表が香川君だったからだ。香川君はかつて共同で論文を書いたことのある同世代の地理学者。しかも,それは日本の地理学における言語資料を対象とする研究のレビュー論文だった。今回の香川君の報告は,そこから漏れるような言語資料の地理学的研究の典型ともいえる。なかなか手を付けづらい定性的研究ではなく,新聞記事の定量的研究。その研究手法も素朴ながら非常に工夫されていて,いい研究だったと思う。しかも,彼が現在所属する大学のある県をフィールドとして,自身のテーマ環境と政治を扱っている。やはり,彼は私が信頼のおける堅実な研究者だ。

神田孝治「与論島観光におけるイメージの変容と現地の対応」
次に聞いたのはやはり一時期共同で翻訳の仕事をしていた,ちょっと年下の神田君の報告。学生を連れた調査旅行で訪れたことからすっかり好きになってしまったという与論島がフィールド。この事例で理論的な進展はありませんと断りながらも,やはりこの島の観光にも掘り起こすと面白い過去が出てくるところがさすがの目のつけどころだし,そのまとめかたもさすが。ちなみに,そのきっかけは荻上監督の映画『めがね』だそうだ。

蘇 紋槿「観光の空間の生産と民俗文化の観光資源化―台湾の内門紫竹寺や南海紫竹寺を中心に―」
続いて,台湾ネタということで聞いてみた。神戸大学の大学院生ということで,フロアの前方には大城さんの姿もありましたが,あまり期待できる内容ではありませんでした。神田君からの孫引きでルフェーヴルの『空間の生産』の議論を枠組みにしているが,むりやり事例を当てはめている感じ。事例の紹介は特筆することはないが,座長からの質問が日本語としてあまり理解できなかったようだ。

山﨑孝史「大阪都構想をめぐる地政言説の構成―リスケーリングの政治とその錯綜―」
最後は最近話題の大阪府知事橋下氏と大阪市長平松氏の間で交わされた4時間半におよぶ討論の内容の言説分析。山﨑さんの発表自体が演説のようなエンタテイメント性を持っていて,さすがといわざるをえない。しかも,まだ日本では馴染みのない政治地理学をうまく取り込んでいるところもすごいです。

とうことで,最後の発表を聞いて,私は誰も知られずにそっと帰路につきました。

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県庁おもてなし課

有川 浩 2011. 『県庁おもてなし課』角川書店,461p,1600円.

実はけっこう前に読み終えたのだが,妻のママ友に貸していたために,読書日記を書くのが今になってしまった。まあ,小説だから気負いなく,記憶にあるままを書けばよいのだが,なんとなく放置してしまっていた。
そもそも,現代日本の人気作家の作品はあまり読まない私がなぜこの作品を読もうと思ったのか。それは,どこかで何かの雑誌を立ち読み(実際にはおそらく献血ルームだから立ち読みではないが)していた時に,本書を紹介する書評記事を読んで気になっていたのだ。本書のタイトルは高知県庁の観光振興部に実在する課であり,単に名前を借りているだけではなく,実在する高知県を舞台に繰り広げられる。観光は私の研究関心でもあり,単なるフィクションではなく,実在する場所を描いているとなれば読んでみたくなる。そんな時に,映画ファン友だちの「岡山のTOM」さんが本書を絶賛するmixi日記を書いていて,私も重い腰を上げた。TOMさんはそもそもこの作家が好きで,映画化された『阪急電車』は私も観ていて,やはり実在する路線を舞台にした(実在する大学も登場する)その作風は好感が持てた。
ということで,読んでみたわけだが,やはりなかなかどうして面白い。一気に引き込まれて3日くらいで読了した。元来読書にまとまった時間を使わない私だから,3日間でもかなり早い方なのだ。そもそも,なぜ私が現代日本のベストセラー作品が苦手かというと,その多くが決まって第三者的視点から書かれ,ページの多くは登場人物の発話と行動や心情の実況中継で成り立っているからだ。そもそも,小説とはその文体までもが創意工夫の一つであるはずなのに,ベストセラーの売りといったらプロットや物語展開,キャラクター設定の発想にある。そもそもが,映画化やドラマ化を前提としているようなものだ。本作もそうした一般的特徴から大きく外れてはいないが,ここ10年ほど日本映画を中心に観るようになった私にとって,こうした作品への抵抗は以前よりもなくなったといえようか。でも,この作者である有川 浩氏はやはり読書好きに評価されるように,丁寧な文体は好感が持てます。
さて,この手の小説に私がわざわざ粗筋を書くことはありません。恋愛沙汰はこの作品では副次的な役割しか果たさず,恋愛小説を求めて読む読者には不満が残るかもしれませんが,お役所の仕組みや個々の観光地の事情など,作者自身が高知県出身だというのはありますが,非常に細かく調査してあって,フィクションではありますが,ある種の実態を理解する意味では,中途半端な観光研究のモノグラフよりもよっぽど面白い。
ということで,学生への小レポート課題図書として指定してしまいました。どんなレポートが提出されることやら。

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久し振り舞台挨拶

11月4日(金)

いつも通りの時間で法政大学に行くと,なんと自主学園祭をしていました。もちろん,前週からこのことは知っていたけど,もらっている年間予定表には学園祭で休講になるなんて書いてなかったし,とりあえず教員控え室に行くとこちらも終日閉鎖。他の大学事務所も全部閉まっています。念のため,私が講義で使用している教室に行っても学園祭で使っています。手元にある年間スケジュールを確認すると「11月上旬のスケジュールについては別途お知らせします」とある。そういえば,少し前に法政大学からのハガキが届いていたような。まあ,ともかく休講ってことですね。この日は妻から映画でも観て献血でもしてくればと,自由行動の許しをもらっていたので,講義の後に映画,そして献血の予定。
ということで,予定変更。ちょっと予定していた映画の1本前を観るのは間に合わないので,先に献血をすることにして,とりあえず有楽町に移動。献血ルームは10時から。映画は11:45からだから間に合うと思いきや,10時から採血ではなく,問診が始まり,やはり予約客が優先されるため,私が血液検査をしたのは既に10:30。血液検査の看護士さんが「時間に余裕はありますか?」と尋ねるので,映画の予定を伝えるとそれはちょっと難しいという。ゆっくり考える余裕も与えずにその看護士さんは「血液の濃さも濃いので,全血にしたらどうですか?」と畳み込んでくる。全血献血をすると,その後約2ヶ月献血できないので,なるべく避けたいのだが,まあ仕方がないということで,今年2回目の400ml献血。あっという間に終わってしまいます。でも,そのおかげでいろいろ特典をいただきました。
映画の前に昼食ということでブラブラしていると,かつて西武百貨店だった有楽町マリオンがルミネとして新装オープン。10月31日にオープンしたばかりだということで,平日なのに混み合っていました。といっても,私が行ったのは飲食店が集まっているところ。パン屋のアンデルセンのなかにイートインコーナーがあったのでそちらで軽くいただきます。スタッフさんもあまり慣れていない様子。

日比谷シャンテ・シネ 『幸せパズル
選んだ映画はアルゼンチン映画。予告編で観たいと思っていたものの,なかなか機会がなかったが,最終日に観られることになった。アルゼンチン映画はあまり日本で公開されないが,その分公開される作品のレベルは非常に高く,ここ数年で私が観た作品でつまらなかったものはない。
本作は,男の子ども2人を持った家庭の主婦がジグソーパズルに目覚め,これまで完璧にこなしてきた家事をおろそかにして大会に挑むというもの。冒頭のシーンは主人公自らの50歳の誕生日パーティ。祝われる身なのに,集まった多くの客のために料理を作っては出し,の繰り返し,最後にはバースデイケーキも自ら作ったものを自ら運び,ロウソクの火を消すという始末。まあ,要するにこの一家の図体だけでかい3人の男たちは妻であり母親である彼女がいなければ何もできないのだ。そんな彼女が密かに楽しみにしているのがジグソーパズルだったのだが,誕生日プレゼントのなかに本格的なジグソーパズルが入っていて,寝る間も惜しんで没頭する(なにせ,この家では彼女自身の時間は皆が寝静まった深夜しかないのだ)。そのプレゼントの主にそのパズルを買った店を聞き出して訪れると,なんと「パズルマニア」というジグソーパズル専門店だった。ということで,ジグソーおたくたちの集まる店で,そこには大会出場のパートナーを募集するチラシが。
まあ,そんな感じの展開。結末も含めて,映画としてはもう一捻り欲しいところでしたが,実際には50歳ではなく45歳だった主役の女優さんも裸体は披露しないベッドシーンがいくつかあったけど,それに無理のない魅力的な人だったし,そして音へのこだわりもなかなかよかった。箱に入ったジグソーパズルって,一つ一つのピースが奏でる音が独特なんですよね。冒頭の料理のシーンなども含めて日常の些細な音への注目というところにもこの監督のセンスの良さを感じます。

11月6日(日)

日曜日は朝から映画。モーニングショーのみ公開の作品を観に行きます。この作品は,妻が『家族X』をユーロスペースで観てきた時に前売り券を買ってきてくれたもの。というのも,この作品には一十三十一ちゃんが出演しているのです。しかも,チョイ役ではなく主演級で。で,この日はその夫役の大杉 漣さんが舞台挨拶のゲストだということで,少し早めに出かける。
すると,ユーロスペース手前のクラブ・エイジアに長蛇の列。しかも,そのほとんどは小学生くらいの女の子たちとその母親たち。このホテル街に異様な光景です。同時に向かいのO-Eastにも同様の人たち。どうやら,夜から深夜にかけてのみ営業のこうした店舗が土日の午前中に別の用途で利用することで稼働率を上げているようですね。すると,ユーロスペースの入ったビルにも長蛇の列。まさか,大杉ファンがこんなにいるのか,と思いきや,一部の人の手には試写会の招待状のようなハガキが握られていたので,同じビルの別の映画館で何か催し物があるようです。といっても,ユーロスペースもそれなりに混み合っています。私の整理番号は36番。なんとか安心して開場を待ちます。

渋谷ユーロスペース 『百合子,ダスヴィダーニャ
本作の監督,浜野佐知は知っている。もうつぶれてしまったが,下北沢の映画館シネマアートンで,彼女の作品『こほろぎ嬢』を観たからだ。私が観た時は特別舞台挨拶が計画されていたわけではなかったようだが,監督は大体映画館にいて,この日も衣装のスタッフか誰かとのトークが上映後に行われたのだ。この作品は尾崎 翠という昭和初期の女流作家の短編を映像化したもの。
今回の『百合子,ダスヴィダーニャ』も実在したロシア文学家湯浅芳子と女流作家宮本百合子という20世紀前半を生きた女性たちを題材としている。その強い意志からなる製作活動ゆえに,「浜野佐知を支援する会」などという団体も存在している。今回は菜葉菜という『ヘヴンズストーリー』に出演した若き女優を主演に迎え,一十三十一ちゃんの起用ってのは面白いが,大杉 漣もチョイ役ではなく出演しているし,何よりもモーニングショーながらもユーロスペースでの公開というのは監督にとっても嬉しいことに違いない。そういえば,舞台挨拶について書いてませんでしたね。公開してから毎週のように土日に舞台挨拶を入れているようですが,この日はさすがに大杉氏の登場ということで,ほぼ満席でした。そして,司会は監督自身がつとめます。大杉氏はスクリーンで観たまんまの人物ですね。そして,この日嬉しかったのは,大杉氏が登場するということで主演女優の2人が応援に駆けつけたこと。私は整理番号が36番だったのに,最前列の中央を確保していたのです。1年以上ぶりに見る一十三十一ちゃんは髪が短くなり,髪の色も薄くなってかなり爆発的なスタイルでしたがよく似合ってます。ライヴの時は必ず目が合いますが,残念ながらこの日は目が合わず。菜葉菜さんもスクリーンの印象とさほど変わらず。なかなか贅沢な舞台挨拶でした。
さて,映画の中身ですね。舞台挨拶の時にすでにしゃべってしまっていましたが,妻を女性に寝取られる(?)という役どころの大杉氏はかなりコメディタッチの演技です。この時代の日本における同性愛ですから,普通だったら暗く演出しがちですが,この作品はそうではありません。もちろん,深刻なシーンもありますが,主演女優2人の表情にはどこか明るい未来があるのです。そういう意味で一十三十一ちゃんの起用は正解だったのでしょうね。実際の百合子自身がニューヨークへの留学経験がある設定だったりして,「ワンダフルですよ」という何度も出てくる台詞は一十三十一ちゃんのアドリブとさえ思えるほど。洞口依子さんの存在感もいいですね。

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お知らせ

今週末に池袋の立教大学で人文地理学会の学術大会が開催されます。
人文地理学会は京都に事務所があり,年1度の学術大会のほとんどが西日本で開催されます。ということで,久し振りの東京での開催。

せっかくなので,私も発表することとしました。
学術大会の詳細は上のリンクから見ることができますが,こんな感じです。

2011年11月12日(土)
午前:地理学公開セミナー 10:30〜12:15 14号館201号室
午後:特別研究発表 14:00〜17:00 14号館D301・D401
18:15からは懇親会があります。

2011年11月13日(日)
9:30〜15:05 一般研究発表 14号館D201・D301・D401,11号館A301・A304
15:20〜16:50 研究部会 14号館D201・D301・D401,11号館A301

私の発表は13日(日)の10:45〜11:10で,第二会場(14号館D301)です。発表番号は204番
発表時間と題目は学会ホームページからPDFファイルでダウンロードできますが,発表要旨は当日参加費を払った人にしか配られません。なので,私のはこちら↓からダウンロードしてください。
「204100005.pdf」をダウンロード

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息子,1歳

10月28日(金)

この日は息子の誕生日。大学の講義を終え、新宿に移動。JR新宿駅構内で、湘南新宿ラインに乗ってくる母親と待ち合わせる。ちょうど1年前。妻が助産院に入院中に一度母に来てもらったのだが、新宿での乗換えで散々だったらしいので、今回は私がホーム下の階段までお出迎え。無事、指定したとおりの電車に乗ってきて階段から降りてきた。母は75歳になってついに携帯電話を持ったので、万が一の時も安心ではあるが、逆に新宿駅構内に公衆電話がなくなっているので、それはそれで困る。自宅の近所にしゃれたレストランを発見したので、そこのランチで家族4人で誕生日を祝うことにした。予約した時間よりも早くついたので、一度帰宅。
妻と息子と4人で再び出かけます。平日の昼だというのに、それなりに賑わっていた店内でしたが、料理は驚くような内容ではなくちょっと残念。そして、内容にしては値段が高かった。天気が良かったので、散歩がてら府中の森公園まで歩いていく。一時期は毎日相当な距離を歩いていた母だったが昨年交通事故で鎖骨を骨折してから、その治療が思うようにいかず、最終的に体内に埋め込まれたワイヤを取り除く手術が残っている。しかし、8月以来に会った母親だったが、携帯電話を万歩計にしてかなり歩けるようになった様子で、府中の散歩を楽しんでいたようです。私たちから見れば公園や空き地、畑なども残る田舎だが、さすがに埼玉と比べると見るべきものが多くて楽しいらしい。そのまま府中駅まで歩き、ちょこっと買い物。ここでもやはり伊勢丹が母親の買い物衝動をかきたてたらしく、明日帰りに寄りたいという。
帰宅し、夕食は妻が作る。当初は日帰りの予定だったが、無理いって泊まってもらうことにした。食後にやはり妻が前日に作ったケーキを食べる。息子も食べられるように、基本のスポンジケーキを作り、デコレーションは生クリームではなく、ヨーグルトを水抜きしたもの。季節柄生のイチゴはありませんので、冷凍イチゴをなかに挟んで、上部にはリンゴで作ったバラを添える。妻は「甘さ控えめで美味しくないよ~」といっていたが、私には美味しかった。逆に息子は手でつぶして遊ぶだけであまり食べなかった。
夕食を調理中、息子はずーっと母親と一緒に遊んでいた。母親の疲れが気になったが、とりあえず楽しいらしい。おかげで、ここのところ息子が夜中起きてしまうのが気になったが、息子も母もよく眠れたようだ。

10月29日(土)

わたしたちは母親が滅多に都心に出られないということで、帰り際に新宿でも池袋でも付き合うつもりでいたが、母親の口から出たのは「府中競馬場」。そう、わが家からは競馬場のスタンドが肉眼で見られるのだ。でも、わたしたちは競馬場はまだいったことがなかった。翌日の日曜日は天皇賞でとても行く気にはなれなかったが、前日なら問題なし。天気もいい。地図で調べると前日に行った公園よりも近いようなので、徒歩で行く。この朝ホームベーカリーで焼いたパンは母に持ち帰ってもらうつもりだったが、競馬場で食べる用のサンドイッチにすることにした。
入場料200円で、場内はかなりのアトラクションがある。わたしたちは東門から入ったが、その辺りには芝生で観戦できるスペースがあり、その下には子ども用の遊び場もある。この日も朝の10:10からレースが始まっていて、とりあえずレースを見ることに。この日レースがあったコースだけでも、内側から障害コース、砂コース、芝コースと3種類もあることにとりあえず驚く。レースによって走る距離も違って、その度にゲートが設置される。ゴールは観客席の目の前で固定しているので、当然ではあるが、ゴール直前に最高に盛り上がる。ベビーカーに座っていた息子が泣き出してしまうほど、観客席からの歓声は大きく、ある意味で殺気立っている。1レースを見た後にパドックに移動。こちらでは、次のレースで走る馬と機種がその姿をお披露目するのだ。でも、30分間隔でレースは続くので、ベビーカーと一緒にゆっくり移動していると(観客スタンドビル内はエレベータが少ない)とても一通りの流れをたどることはできない。ここで、母親と妻は1レース賭けることにする。母は単勝で100円のみ、一方妻はなんと単勝を500円ずつ、2頭に賭け、いきなり1000円の出費。賭け方は場内のスタッフが丁寧に教えてくれたらしいが、肝心のレースがどんなものか分からず。なんと、このレースは障害レースでした。内側のレーンなので、距離が短いのか、2周します。結局、賭けた馬は当たらず。しかし、妻が賭けた2頭は2着と3着だったので、単勝ではなく別の区分で賭けていたら当たったのかも。妻はこれに懲りてその日はもう賭けなかったが,母はその後も2回賭けて,地味に両方とも当たった。しかも,帰り際のレースも見事に1着を当てた。ということで,上機嫌の母親でした。
さて,レースの方はそんな感じで,その合間にコース内部の広場に移動して昼食を食べた。その辺りは小さな子ども連れも多く,そうした子ども向けのアトラクションもたくさんあった。また,こちらからはスタートの様子も身近に見れるが,やはりゴールと違って緊張感や盛り上がりはイマイチ。そんな感じで,母親にどうしたら楽しんでもらえるか少し不安だったがお互いにけっこう楽しめる2日間だった。

10月30日(日)

府中TOHOシネマズ 『ツレがうつになりまして。
最近の妻の映画選択は近くのTOHOシネマズ府中でやっているかどうかが,判断基準になる。ということで,本作も選択肢に入ったもの。以前は新宿や渋谷でよく観ていたので,前売り鑑賞券は当日,チケットショップで購入すればよかったけど,府中となるとそうはいかない。だから,選択肢に入った作品はあらかじめ前売り券を購入することが多い。私も観るかと聞かれたので,とりあえず2枚購入。しかし,いち早く観た妻の反応はイマイチ。まあ,私もそれほど面白いとは思ってなかったけど,とりあえず宮崎あおいの主演作は観ることにしているので。オフィシャルサイトで彼女の出演作のうち,観ているものを確認したら以下の通り(新しい順)。
「オカンの嫁入り」「ソラニン」「劔岳 点の記」「少年メリケンサック」「闇の子供たち」「陰日向に咲く」「初雪の恋 -ヴァージン・スノー-」「サッド ヴァケイション」「海でのはなし。」「ただ、君を愛してる」「初恋」「好きだ、」「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」「ギミー・ヘブン」「青い車」 「ラブドガン」「害虫」
彼女の映画での出世作『ユリイカ』は観ていないが,彼女を初めて観た『害虫』が2002年。『ラブドガン』の公開の際に開催された「宮崎あおい」オールナイトを観に行って,初主演の『パコダテ人』も観ている。これは今井雅子さんの脚本家デビュー作でもある。しかし,『パコダテ人』がオフィシャルサイトに載っていないのはどういうことか。
さて,本作は実在する漫画家によるノンフィクションエッセイが原作。最近西原理恵子作品の映画化ブームでちょっとこの手のストーリーにはうんざりだが,共演が堺 雅人ってのは魅力。といっても,わが家はテレビなしなので,当然『篤姫』でこの2人が夫婦役を演じたところも観ていない。まあ,結論からいえば,そんな私でもそれなりに作品には引き込まれ,時折涙もしたが,帰ってきて妻の意見を少し聞くとそれもわからないでもない。やはり映画ではかなり表面的で,単純化されて演出されている感があり,リアリティに欠ける。あおいちゃんの存在は魅力的だったが,堺氏の演技がどうだったかといえば,あまり深みは感じられないという他ない。まあ,そんなところの映画かな。ともかく,あおいちゃんにももう少し癖のある役どころを期待したいところだが,国民的女優になってしまった今となってしまってはそれも難しいのかもしれない。

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