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2012年1月

風景と人間

アラン・コルバン著,小倉孝誠訳 2002. 『風景と人間』藤原書店,198p.,2200円.

著者はフランスの歴史学者だが,彼の本はとにかく厚く高い。私が読んだところでは,『浜辺の誕生』752ページ8800円,『音の風景』460ページ7200円,『人喰いの村』261ページ2800円(これは比較的薄くて安い),『においの歴史』390ページ5000円。そして,まだ読んでいないが手元にあるのが『娼婦』626ページ7800円。もちろん,こんなのは定価で買えないので,古書店で見つけては,値段が安いとき,そして持ち帰るのに支障がない時にしか買えない。しかし,彼の歴史書はどのテーマでもどこを読んでも面白いので,刺激的な読書体験をしたい時にはもってこい。しかも,彼の歴史研究はそのほとんどが地理学者にも関心のある内容を含んでいるので,ただの興味関心で読むのではない。
しかも,最近は風景に関して真面目に考えるようになったので,先日古書店で本書を見かけた時には迷わず購入した。実はこの本,きちんとした研究書ではなく,ラジオ番組として放送されたジャーナリストによるインタビューの収録である。私は昔はこういうのは好きではなかった。学者同士での対談でも,やはりその場の雰囲気というか,話の流れで偶然的要素が大きい状態で発せられる言葉に学的根拠を求めるのはどうかと思っていたからだ。そもそも,日本では対談やインタビューなどを受ける学者というのは真面目な研究をしなくなった人だったり,あるいは単発でのインタビュー記事などはあまりにも大衆に迎合する形で研究内容を希薄化しているように思えたからだ。しかし,フランスではそうではない。有名なデリダの『ポジシオン』とか,ラカンの『テレビジオン』などは立派な研究書と位置づけることができると思うし,そういうものに少し抵抗がなくなったのはデリダの日本公演の原稿を読んでからかもしれない。
まあ,ともかく風景に関しては『浜辺の誕生』でも『音の風景』でも,そして私は持っていないが『レジャーの誕生』でも考察を深めているコルバンだから,本書を彼の風景論の概説として読むこともできるし,それぞれの歴史書は特定の事例の特定の時代に限定されたものなので,もう少し一般的な内容も含まれると期待される。訳書には詳しく書かれていないが,5章からなる本書は5回分の放送なのだろうか。

第1章 いかにして空間は風景になるか
第2章 さまざまな影響にさらされる風景
第3章 空間をめぐる行動様式
第4章 風景と大気現象
第5章 人間と風景の保存

歴史家であるコルバンは自らの研究ではおそらく第5章のような現在に直接つながるテーマは扱わないだろうから,この辺は一般のラジオ・リスナーを考慮した内容だと思うが,この辺りはインタビューでしか聞き得ない内容という意味で興味深い。
本書には42の注があるが,本文ではそれ以上の研究者の名前が登場し,自らが手がけた風景にまつわる研究以上に,魅力的な他の歴史家の仕事を援用して論を進めているというのが特徴である。しかし,訳者が自らの著書で風景について論じたことから,コルバンの風景論を是非訳したかったと書いている割には風景研究の基本文献として日本語があるいくつかの本の日本語訳情報が記載されていなかったのはちょっと残念。注7はジョナサン・クレーリーの『観察者の系譜』,注13はサイモン・シャーマの『風景と記憶』,注23はバーバラ・スタフォードの『実体への旅』といったところ。訳者あとがきで地理学者イーフー・トゥアンの『感覚の世界』が紹介されているが,地理学者ではなく文化人類学者となっていたりするのは残念。
しかし,コルバン自体は,ヴィダル・ド=ラ=ブラーシュやエリゼ・ルクリュといったフランス人地理学者はもちろんのこと,私の知らない地理学者の名前を挙げていたり,ともかく地理学に対する知識は半端ではない。まあ,もちろんそれは歴史的な地理学者であり,コスグローヴなどの風景研究をする地理学者には言及がないが。
結局,内容についてはほとんど説明しなかったが,本書は非常に読みやすいので,詳しい説明はいらないでしょう。かといって,風景に関して知っていることだけだったかというとそうではなかったし,やはり読んでよかったと思える本でした。

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ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論

ゲルハルト・リヒターほか著,清水 穣訳 2005. 『増補版 ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論』淡交社,279p.,2800円.

またリヒター関係ですみません。本書はドイツ語の原著『Gerhart Richter Texte: Schriften und Interviews』(1993年)の抜粋訳として1996年に出版されたものに2000年以降のインタビューを加え,そのなかで言及されているリヒター作品の図版を掲載したもの。Amazonで原著を調べたら,2009年に最新版が600ページにもわたる英語版として出版されているらしい。ドイツ語ができない私にはありがたいことだが,価格が3000円台で手に入るにしても,個人で所有するようなものか悩む。
しかし,図版も含めて279ページの日本語版がどれだけの抜粋なのかはちょっと想像がつく。研究上で彼の言葉を利用するのであれば,全文を入手するのは必死かもしれない。しかし,このリヒターという芸術家は多くの言葉を残している。これまで,リヒター関係の文章を読み続けているが,作品の真の意味を引き出すのに,彼自身の言葉を利用している人が多いことが分かる。彼自身は,言葉にできないものを視覚芸術にしている,というようなことを言っているのにだ。
いくら,芸術作品の解釈は観る者の自由であって,作者の意図が真なる作品の意味とは限らないといってみたところで,やはり作者の考えとは全く異なる解釈をしてしまわないかという不安から,作者の言葉は読んでしまう。

さて,前置きが長いが,本書は原著のタイトルにあるように,インタビュー集とノート集である。インタビューはともかくとして,記した年を記録したノートが1962年から存在するというのもこの芸術家の特徴といえようか。世界的な名声を得る芸術家だからこそ,哲学者でもあるわけだが,やはり彼の言葉は強い。これらを絶対視しないように作品に立ち向かうことが必要だ。

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オイディプス王

ソポクレス著,藤沢令夫訳 1967. 『オイディプス王』岩波書店,160p.,400円.

いわずと知れたギリシア悲劇だが,これまで読んだことがなかった。もちろん,この作品はフロイトの「エディプス・コンプレックス」,そしてそれを批判したドゥルーズ・ガタリ『アンチ・オイディプス』として有名で,男の子どもが母親を性愛の対象として欲望し,その障害である父親を殺害するという物語であることは知っていたが,まずは原典を読まなくては。
私は以前にアポロドーロスの『ギリシア神話』を読んでいたし,旧約聖書も『創世記』は読んでいた。わたしたちが「物語」という言葉で表現される文章を読む際に頭のなかにある文学形式は歴史のなかではかなり新しく形成されたもので,本書のように紀元前には当然当てはまらない。それを知りつつも,『ギリシア神話』や『創世記』のなかの多くの物語はわたしにとって意味不明だった。なので,本書もある程度は覚悟をして読んだのだが(だからこそ,今まで読むのを避けていたのかもしれない),その心配は無用だった。
この作品はまず演劇のために書かれたことを念頭に置く必要がある。この頃の劇の特徴として途中途中に合唱隊の歌詞が挿入される。もちろん,それも物語と関係するものだ。それ以外は台詞とト書きによって構成される。訳者によって冒頭に「劇がはじまるまでの出来事のあらすじ」が書かれてしまっていて,いわゆる「ネタバレ」なのだが,そのことは作品を読み進める上での興奮の妨げにはならない。さきほど私が書いた物語の短い概要によれば,父親を殺害するオイディプスはそもそも自身の性愛の相手が自身の母親であることを知り,殺害する相手が父親であることを知っているような書き方であったが,この作品では違っていた。オイディプスは人を殺したことがあることは認めていたが,その相手が父親であることは知らなかったし,その後結婚して子どもをもうけることになる相手が自分の母親であったことも知らなかった。だからこそ,その事実が少しずつ明るみになる過程で,自分が犯した罪の大きさを知る瞬間が読者に大きな衝撃を与えるのだ。もちろん,それはオイディプスだけでなく,その母であり妻である女性にとっても。

ともかく,この21世紀に読んでも全く遜色のない物語であった。先日観た映画『灼熱の魂』の土台にもこの物語があるのだと改めて知る。

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ゲルハルト・リヒター

金沢21世紀美術館・川村記念美術館 2005. 『ゲルハルト・リヒター』淡交社,174p.,2571円.

学術論文における文献の書誌情報には必ず著者か編者の記載が必要なので,この手の本は困ります。
さて,本書は2005年に本格的にリヒターの個展が開催された際に作成されたもののようですね。しかし,単なる作品のカタログではなく,いろいろな論考とインタビューのDVD付きになっている。目次はこんな感じ。

リヒター芸術の多面的展開 林 寿美(川村記念美術館)
ゲルハルト・リヒターの絵画 アルミン・ツヴァイテ

作品 1962〜1990年

ヂュシャンの網膜化 カラーチャート 清水 穣
灰色の絵画 林 道郎
ミラー,蝋燭,骸骨 清水 穣
フォト・ペインティング 《モーターボート》など 菅原教夫
残像の回帰 18. Oktober 1977 林 道郎
団栗と写真 畠山直哉

作品 1991〜2004年

ゲルハルト・リヒター,風景 ディートマー・エルガー
アトラス 雄弁なる写真群 大橋浩美
8枚のグレイ ミラー,ガラス 北出智恵子(金沢21世紀美術館)
鏡,ガラスから「窓」へ 林 寿美

執筆陣をみると,一人が2つの文章を書いていることが分かる。清水さんという人は,英文でリヒター論を書いている人で,畠山さんは写真家。美術館の人も文章を書いているから,世界的な芸術家といわれているリヒターだが,日本にリヒター研究者があまり多くないことが分かる。
本書は当初,Amazonの古書で購入するつもりだったが,あまり安価では出回っていなくて,結局新書で注文したが,在庫切れで入手できなかった。都内のいくつかの大きな書店を回ってようやく手に入れた次第。だから,その論考の内容にはけっこう期待したのだが,リヒターについての知識を得ただけで,彼の作品をどう解釈したらよいのかという指針を得ることはできなかった。ちなみに,前にも書いたように,私はリヒターの風景画を通じてある種の景観論を展開しようと考えているのだが,本書のなかで風景画について書いているエルガーという人は,1998年にリヒター作品の風景画を集めて展示会を編集した人。私の手元にはその画集である『Landscapes』がある。

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家族で風邪ひき

先日の日記で書いた,翻訳とか学会発表のエントリーとか,非常勤先の成績提出とか,諸々の作業が一段落してほっとしたのか,息子の風邪をうつされてしまった。体調も良くないし,あまりやる気がしない。ということで,先週見た映画は日本映画(?)2本。

1月13日(金)
新宿シネマート 『CUT
こちらは舞台が日本で,出演俳優も日本人だが,監督はアミール・ナデリというイラン人。脚本には青山真治が協力しているとか。そういえば,高崎映画祭で榮倉奈々が助演女優賞を受賞した,青山真治監督作品『東京公園』はすっかり観るのを忘れていた。
さて,本作は西島秀俊が殴られ屋として体を張った演技で話題になった作品。お相手が常磐貴子ってのも面白いかも。しかし,予告編から予想できる以上の作品ではなかった。殴られ屋といっても,新宿歌舞伎町のよく知られた男の物語ではなく,あくまでもフィクション。西島演じる主人公の兄が暴力団に所属していたが,組から借りていた膨大な借金のせいで最終的に殺されてしまう。主人公はその借金を代わりに支払うことになる。10日かそこらで1千万円以降。なりゆきで,暴力団員相手の殴られ屋として毎日毎日殴られる。彼のすがるものは映画だけ。彼は過去の輝かしい時代の映画をこよなく愛し,みずから監督をすると同時に,過去の映画の上映会をしているような人物。その設定がこの映画自体のハードルを高くしている。常磐貴子も似合わないショートカットに,いかにも無頓着なファッション。演技の善し悪しでいえば評価せざるをえないかもしれないが,映画そのものが面白くなくちゃね。

1月15日(日)
府中TOHOシネマズ 『ロボジー
次に観たのはそれとは非常に対照的な作品。ある意味では『CUT』の主人公が批判していた金儲け主義のエンタテイメント映画をコンスタントに世に送り出している矢口史靖監督最新作。彼の作品はフジテレビとタイアップを組んで,万全のプロモーション体制を取っているという点では金儲け主義はひていできないが,それでも毎作素晴らしいエンタテイメントを届けてくれていると私は思っている。
今回はミッキー・カーチスこと五十嵐信次郎を,彼のトレードマークの襟足の長髪を切り,ひげを剃り落して出演させている。ヒロインの吉高由里子が女子大学生役ってのはどうかと思うが,彼女が所属するロボット研究会の男子はけっこうかっこいいのでよしとしましょう。まあ,さんざん宣伝していると思うので,説明は不要だが,こんなネタでもしっかりと2時間の展開を飽きさせずに楽しませてくれるのはさすが矢口監督。まあ,ともかく毎回テーマを変えながらも,それについて徹底的に調べていくという意味でのオタクなんでしょうね。ともかく,観て損はない1本でした。

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遅ればせながら謹賀新年

読者の皆さま

今年もよろしくお願いいたします。
現在私は3月の日本地理学会春期学術大会の発表に向けて,モチベーション高く調査研究をしています。今回のテーマはドイツの現代芸術家,ゲルハルト・リヒター。彼の存在をどこで知ったのかは忘れたが,書店に並ぶ彼の画集を数年前から立ち観してはうなっていた。
芸術家として素晴らしいのはもちろんのこと,彼の主要作品である『アトラス』や,私が初めて買った彼のが集のタイトルが『景観』,そして昨年から欧米各国で開催されている彼の回顧展のタイトルが『パノラマ』と,どれも地理学者の心をくすぶる感性がそこにはあるのです。そして,文献を探し始めるといきなりみつかったのが,実は地理学者の論文。英国に住むMatthew Gandyという地理学者だが,彼が1997年にアメリカ地理学会の雑誌に掲載した論文でリヒターの作品が取り上げられている(ちなみに,この人のサイトにリンクを貼っておいたが,非常に多岐にわたる魅力的な研究をしている地理学者。そして,自分の論文を全てPDFで公開している!)。そこから,あまり知らなかったが,地理学者による芸術研究ってけっこう多くて,面白い論文がたくさんあることに気づく。個人的にはDenis Cosgroveの景観研究の現代版として展開するつもりだが,参考になりそうな文献はかなりありそうだ。
日本のリヒター研究者にもコンタクトを取り,メールのやり取りをさせてもらっている。やはり他分野の研究者との交流は非常に刺激的だ。3月の学会は私の出身大学,首都大学東京での開催なので楽しみだ。発表要旨の締め切りが1月19日だし,発表までも3ヶ月を切っているので,明らかに時間が足りないが,ともかく毎日知的刺激の洪水といった感じで充実している。

そんなこんなで,年明けに観た映画二本も非常に知的な刺激を受ける作品でした。

1月5日(金)
新宿武蔵野館 『サラの鍵
知的な雰囲気の漂う英国女優,クリスティン・スコット・トーマス演じるジャーナリストはフランス人の夫とパリに住む。今回,夫の祖父の時代から住んでいたアパートを改装して引っ越そうかという時期に,主人公は仕事で,パリにおける戦時期のユダヤ人迫害について調べることになる。ナチス・ドイツ占領下においては,フランスにおいても警察がドイツ政府に協力する形でパリに住むユダヤ人を検挙し,強制収容所に送るということをやっていたという。すると,その夫の祖父が手に入れたアパートもひょっとしたらそうして追い出されたユダヤ人がかつて住んでいた部屋だったのではないかという疑惑が出てきて,主人公は過去の旅へと出かけていく。あまりにもつながっていく人間関係はいかにもフィクションですが,史実をうまく物語に乗せることでリアリティを増していると思う。
最近はまだまだナチス関係の映画が製作され続けています。それらをあまり観ていませんが,本作はそのなかでも良質な作品ではないでしょうか。

1月8日(日)
日比谷TOHOシネマズ・シャンテ 『灼熱の魂
今度は中東が主たる舞台。こちらも,現代のカナダを生きる若者が,亡くなった母親の遺言に基づいて母の過去をたどる旅のなかで驚愕の事実を知るという展開。そういう意味では『サラの鍵』とよく似ています。しかし,『サラの鍵』の主人公がジャーナリストとして真実を積極的に知りたがったのに対し,『灼熱の魂』の主人公の双子の姉弟,特に弟は真実など知りたくもない,とはじめは消極的だった。劇中にテルアビブが出てくることから,私は初めこの母の故郷はイスラエルだと思ったが,そこで出てくる紛争はイスラエル−パレスチナのそれとはちょっと違う。原作者はレバノン出身者だというが,どうやら本作はフィクションらしい。実際に1970年代にレバノンで起きたことを土台にしていながらも,近年のイスラエル−パレスチナ問題も含め,いくつもの問題の共通項を抽象化して,フィクションとして具体化する,そんな映画。こちらも,人間関係があまりにも劇的すぎる気もしないでもないが,エンタテイメントとして楽しめると同時にいろいろ考えさせられる,という意味でいい作品だと思う。

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文明化の過程(上)

ノルベルト・エリアス著,赤井慧爾・中村元保・吉田正勝訳 1977. 『文明化の過程(上)——ヨーロッパ上流階層の風俗の変遷』法政大学出版局,426p.,4500円.

一応文化研究者でありながら,なかなか読む機会がなかった本書。翻訳が出たのがけっこう以前であるせいで,古書では入手しにくくなり,版を重ねると定価が高くなり,上下巻あわせるとけっこうな値段になるし,読書にも時間がかかるしということで,敬遠していた。しかし,本書の議論を土台とした論文の翻訳をしていて,なんとか上巻だけでも読んでおこうと思い,Amazonで中古品を購入した。すると,毎ページのように細かい字で書き込みがしてあり,それを消すのだけでけっこう苦労する。
ちなみに,ドイツ語の原著は吐瀉の大学教授資格論文であり,1939年に出版されているが,翻訳されたのは1969年に出版された第二版。第二版は60ページにもわたる序論が追加されている。その序論がなかなか興味深い。私が本書に関心を持っていたのは,第一部の「文明」と「文化」概念の考察である。西川長夫『国境の越え方』でも考察されているが,この2つの概念はヨーロッパの歴史のなかでも比較的新しく,しかも文明がフランス,文化がドイツの国民国家形成と深く関連しているというもの。そんな,内容は歴史的なものなのだが,この序論ではあくまでもこの研究は社会学研究だと著者は規定している。しかも,タルコット・パーソンズの昨日主義的な社会学研究をしつこいくらいに批判しているのだ。よほど当時の社会学ではパーソンズの影響が大きかったということだろうか。そして,パーソンズ流の静態的な社会観に対して,本書は動態的な社会のあり方を歴史的に解明するという研究の位置づけになる。これがなかなか新鮮。そういえば,一時期は社会学の著作に刺激をいっぱい受けていた時期があったが,最近は社会学の本は読んでいないなあ。
さて,ちなみに原著は上下巻というよりは1巻,2巻と大分内容も異なっているようだ。ともかく,上巻の目次を示しておこう。

序論
序言
第一部 「文明化」と「文化」という概念の社会発生について
 第一章 ドイツにおける「文化」と「文明化」の対立の社会発生について
 第二章 フランスにおける「文明化」の概念の社会発生について
第二部 人間の風俗の独特の変化としての「文明化」について
 第一章 「礼儀」という概念の歴史について
 第二章 中世の社交形式について
 第三章 ルネッサンスにおける人間の振舞いの変化の問題
 第四章 食事における振舞いについて
 第五章 生理的欲求に対する考え方の変遷
 第六章 洟をかむことについて
 第七章 つばを吐くことについて
 第八章 寝室における作法について
 第九章 男女関係についての考え方の変遷
 第十章 攻撃欲の変遷について
 第十一章 騎士の生活

結局,第一部だけで知りたいことは知れた。先ほど書いたが,とある論文を翻訳するなかで,フランスの階級社会と政治制度のあり方とドイツのそれとが違ったせいで,同じ国民国家としてであっても性格の違う国づくりがなされ,場合によっては両国が対立することが理解できた。
第二部は各章のタイトルをみるだけで大体の内容は想像できると思います。要は,わたしたちも当たり前として身につけている社会生活におけるマナーがいつ頃どこで,どのような価値観の変化で生まれたのかということが丁寧に記述されています。ちなみに,文明化というのは文明と同義で,civilisationのことですが,ここで礼儀と訳されているのはフランス語でciviliteのことで,17世紀あたりに「礼節coutoisie」に置き換わったといいます。この語は宮廷と関係しますね。ともかく,こうしたマナーというものの出発点は宮廷や貴族などの上流階級にあるということです。そして,知識人がそれを大衆化する役割を果たすわけですが,その一人がエラスムスであり,私は名前しか知らなかったこの人物の1530年の著作『少年礼儀作法論』がかなり詳しく紹介されます。
はなをかむ,という時のはなを漢字で「洟」と書くことも初めて知ったし,第二部は読み物としても楽しめる内容でした。ただ,けっこう読むのに時間がかかった。

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