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リヒター関連文献:英語編

リヒターはドイツ人だから,ドイツ語の文献も多いと思うが,私はドイツ語は読めないので,英語だけ。しかも,英語に限定してもかなり出てくると思うので,私の関心事である風景に関連するもので,入手可能な文献だけに限定されています。まあ,読んだ結果風景にはあまり関係なくても,せっかく読んだので,記録しておくことにしましょう。以下,論文が発表された年代順に並べています。

① Gandy, M. 1997. Contradictory modernities: conceptions of nature in the art of Joseph Beuys and Gerhart Richter. Annals of the Association of American Geographers 87: 636-659.
一番始めに地理学者の論文を紹介できるのは喜ばしいことだ。私自身,リヒターの研究をしてみようということで,手っ取り早く検索でひっかかり,しかも本文がPDFでダウンロードできた初めての論文がこれだったのに驚いた。この雑誌は米国地理学会の学会誌で,通常は無料でダウンロードはできないが,この英国の地理学者ギャンディは,こちらの自身のサイトで自分の書いた文章をPDFでダウンロードできるようにしている。なんとオープンな研究者だ。しかも,その研究は多岐におよび,非常に魅力的。
さて,1997年というかなり早い時期に発表されたリヒター論だが,タイトル通り,リヒターとともにドイツの現代芸術家,ヨーゼフ・ボイスが取り上げられる。しかも,分量的にはかなりボイスに割かれた分が多い。そして,タイトル通り,かつ地理学的主題ということで,この2人の芸術家に共通するテーマは「自然の表象」だ。しかも,その表象の仕方はボイスとリヒターでは非常に対照的だという。それが,タイトルに込められたもので,近代性というのが複数になっている。どちらの芸術家もいわゆる近代的な自然概念(ヨーロッパ的な支配的意識)に挑戦するような自然表象を,その芸術作品のなかでしているという議論。リヒターは『アトラス』を中心に分析され,膨大な画像を何かしらの観点から統制することのないこの作品は,全ての対象を並列に扱うという意味において近代的な思考の代替的なものとなりうる。著者は地理学者だから,『アトラス』のなかから風景的なものを選び出すが,著者は風景論よりも自然表象を主題にしたがっている。

② Elger, D. 1998. Landscape as a model. Elger, D. (ed.) Gerhart Richter Landscapes. Hatje Cantz Verlag: New York, 8-23.
この文章が収録されているのはリヒターの図録。1998年4月から1999年の3月まで,ドイツのハノーファのスプレンゲル美術館で開催された展示の図録である。リヒターの展覧会は自ら企画したものは「アトラス」くらいで,大抵は誰かがテーマを決めて,作品を集め開催するということのようだ。この辺りの事情にはもう少し詳しくならなくては。まあ,ともかく,この展覧会はこの文章を書いたエルガーという人物によって企画されたものであり,文章の冒頭では,上記のギャンディも書いていたように,これまでのリヒターに対する批評では取り上げられることの少なかった風景関係の作品を一堂に集めた展示。リヒターのテーマは時代によって異なるが,風景的作品は1960年代から継続的に制作されているという。しかし,批評の対象にならないのは,他のテーマに比べてリヒターの風景画はなにか画期的な手法が試されたり,政治的含意がないということかもしれない。多くの批評家は,ある意味過激なリヒター作品のなかで,風景画はいかにも因習的でロマン主義的な例外的なものと看做してきたという。しかし,エルガーはリヒターの抽象画と風景画の関係性を強調している。それは,この図録に収録された作品群を観てもよく分かる。そして,私が「リヒター関連文献・日本語編」でも書いたように,リヒター自身が風景がについてもいろいろ発言をしている。この文章ではそうしたリヒターの風景に関する記述を引用しながら,リヒターの作品世界における風景画の重要性を主張している。
上述したロマン主義的な風景画として,リヒターの風景がについて語るとき必ず引き合いに出されるのが19世紀初頭のドイツの風景画家,カスパー・ダーヴィト・フリードリヒである。それは,単なるドイツの風景画家というだけでなく,フリードリヒがその人生の多くを過ごしたのが,リヒターが生まれたドレスデンという都市だったということも,何かしらの共通性を批評家が求めるのかもしれない。これについては,今私が読んでいる仲間裕子『C・D・フリードリヒ《画家のアトリエからの眺め》――視角と思考の近代』の読書日記で補足することにしよう。

③ Batschmann, O. 1998. Landscape at one remove. Elger, D. (ed.) Gerhart Richter Landscapes. Hatje Cantz Verlag: New York, 24-38.
②の画集にもう一つ寄せられた文章がこちら。エルガーによる文章がかなり正統派だとすると,こちらはかなり独特な論の展開。なかなか風景画の話にならず,前半はリヒターのガラスを使った作品や,リヒターにしては珍しい彫刻作品などについて論じ,5ページ目でようやく風景画の話に移る。やはりフリードリヒとの対比があり,両者の風景画が低いアングル,何もない空,焦点の定まらない前景,地平線へと幾重もの層があり,そこに立つ建築物,といった共通する画面構成を指摘している。しかし,それは単なる共通性ではなく,明らかにリヒターがフリードリヒを意識し,模倣し,その行為自体がアイロニーに満ちたものである。この議論は,リヒターのグレイ・ペインティング(キャンバスを灰色に塗りつぶしただけの作品)にも拡張し,リヒターのグレイはある種,因習的な風景画に対するアンチテーゼだという。そして,最後はリヒター特有の「ぼかし」について,騙し絵との関連からその機能を論じる。

④ Hawker, R. 2002. The idiom in photography as the truth in painting. The South Atlantic Quarterly 101 (3): 541-554.
この論文はリヒターの風景作品を特別扱っているわけではない。ジャック・デリダの『絵画における真理』の「固有言語(イディオム)」という概念を頼りにリヒターのフォト・ペインティングを理解しようという試み。写真と絵画というメディアの特性を念頭に置きながら,それぞれが持つ固有言語を利用して,リヒターはどんな真実に辿り着こうというのか。
ちょっと辞書なしで読むには理解しにくい文章だったが,最後に杉本博司という日本人写真家の名前が出てくる。私は知らなかったので,早速調べてみると,2001年にニューヨークで開催された個展「ポートレイツ」はなんと蝋人形を被写体にした肖像写真だという。1970年代の有名な作品はアメリカ自然史博物館の展示を被写体にした『ジオラマ』だという。確かに,そうした説明を読むとリヒターのフォト・ペインティングの実践と近いかもしれない。いやいや,いろいろ面白いことをしている人がいるものだ。
一つだけ,下線を引いたところを引用しておこう。「リヒターは写真の固有言語を引用する。絵画において,写真の固有言語のこの引用は写真によるものとして,真理を表象することができるだけでなく,より一般的に,双方のメディアの,全てのメディアにおける表象の限界の真理を表象することができる。」(p.553)

⑤ Foster, H. 2003. Semblance according to Gerhart Richter. Raritan 22 (3): 159-177.
ハル・フォスターといえば,『反美学』や『視覚論』など編著で知られる人物だが,彼のリヒター論があるということで驚いた。博学の彼らしく(?),アドルノやデリダ,ラカン,ジンメル,バルト,クラカウアーといった思想家とか,フリードリヒやデュシャン,ウォーホール,ジャン=リュック・ゴダール,ジョン・ケージ,パウル・クレーなどの芸術家の名前が次々と出てきて,その関係性が論じられるが,あまり印象に残るものはなかったかな。

⑥ Rapaport, H. 2004. Gerhart Richter and the death of poignancy. parallax 10 (3): 99-112.
私が読んだ雑誌掲載論文としては,本論文がリヒターの風景作品を論じた最良のものである。といっても,風景作品のみを論じたものでもないし,辞書なしで一読しただけではあまり理解できたとはいえない。タイトルからして,「poignancy」とは英和辞典では「辛辣さ」と出てくるが,「辛辣さの死」といわれてもなんのことやら。本論文はいくつかの節から構成されていて,いくつかの立場からリヒター作品に接近しようというもの。2ページ半におよぶ前書きの後の節のタイトルは「脱構築テーゼ」と題し,デリダの名前も登場する。引用されている文献は,『テロルの時代と哲学の使命』に収録されている「自己免疫:現実的自殺と象徴的自殺」という対話であり,岩波書店から翻訳も出ているとのこと。確かに,リヒター作品を改めて脱構築とかポストモダンとかいう人はいないが,まあそういえないこともない。次の節が「辛辣さの死」と題されている。リヒターは『1977年10月18日』で有名になったこともあって,どちらかというと政治的メッセージが込められた作品と捉えられがちだが,彼自身の言葉には具体的な政治批判はほとんどない。むしろ,彼の膨大な作品群のなかではそうしたものはごくわずかであり,何の面白みのない肖像画や風景画,ただグレイのキャンバスや何もないガラス,意味を汲み取りにくい抽象画などのなかに,偶然的に政治的含意を読み取りやすい主題が同じような手法で制作されている。つまり,彼自身の制作活動は表向きとは違って,辛辣さというものとは無縁である,そんなことを著者はいいたいのだろうか。そして,最後の節には「屈辱のテーゼ」と題され,精神分析的立場から論じられる。後半に下線を引いた箇所を読み返すとどうやらこういうことらしい。リヒターの芸術は,脱構築という意味において,かつての芸術が最優先目標としていた「美」というものをリヒターは放棄している。また,ピカソの「ゲルニカ」のような政治的意図というものもリヒターは放棄している。それは精神分析を社会全体に敷衍するならば,現代ドイツが経験したさまざまな「消滅」と関わりがあるのだという。ナチス時代のユダヤ人の消滅,ヒトラーを含む戦犯の戦後の消滅,空爆による都市の消滅,統一後の東ドイツの消滅,などなど。つまり,歴史上ドイツという国が被ってきた屈辱の一端がリヒター作品に投影されている,という解釈。少し引用してみよう。リヒターが多用する「ぼかしは単なる概念的・美的装置ではなく,攻撃的で両義的な心理学的防衛以上のものかもしれない」(p.109)。ちょっと正確な引用ではありませんが,そんな感じ。ともかく,再読が必要。

⑦ Hell, J. and von Moltke, J. 2005. Unification effects: imaginary landscapes of the Berlin Republic. The Germanic Review 80 (1): 74-95.
landscapeの語がタイトルについているから期待して読んだけど,風景画という意味合いはほとんどなし。まあ,タイトルにリヒターの名がないので仕方がないけど,リヒター作品のみを論じるものではない。冒頭で『1977年10月18日』が登場するけど,映画や小説に関する議論にも紙幅を費やしている。日本でも公開された2003年の『グッバイ・レーニン』も登場するのは面白いけど。そして,タイトル。ベルリン共和国ってのが私にはよく分からなかった。まあ,要はドイツ統一前後のベルリンを描いた文化作品を検討することで,その想像的風景が政治的にどんな含意があるのか,ということを考察するような論文。

⑧ Godfrey, M. 2011. Damaged landscapes. Godfrey, M., Serota, N., Brill, D. and Morineau, C. (eds.) Gerhart Richter Panorama: a retrospective. Distributed Art Publishers Inc.: New York, 73-89.
これは最近の回顧展のカタログに掲載された一文。この著者はこの回顧展でも主要な人物で,テート・モダン美術館の館長らしい。リヒターの風景作品について総括的に書かれていて,非常に有用な文章。著者によれば,リヒターの風景作品は以下の四つに分類できる。
1.都市景観図
2.風景画と海洋画
3.雲と細部
4.新たな道筋
まずは都市景観図。これは矢守一彦『都市図の歴史』に詳しいが,ヨーロッパにおいては歴史が長く,ブラウンとホーヘンベルフの『世界都市図帳』が出版されるのが1570年。そして,この辺は私は詳しくないが,20世紀前半にも都市鳥瞰図の流行があり,ニューヨークの摩天楼などをイラスト的に描いたものなど見たことがある。そうした系譜のなかでリヒター作品を解釈するのも面白そうだ。ただし,リヒターの場合は図像的に20世紀の流行と似ているわけではない。リヒターの場合は航空写真を用いたフォト・ペインティングと,都市模型を撮影したもののフォト・ペインティングがある。しかも,それらに「ぼかし」が適用される作品も多い。リヒターには初期の作品に戦闘機を描いたものもあり,この「ぼかし」が空爆による都市の破壊を意図していると解釈されることも多い。また,戦時期の空爆後の垂直航空写真を忠実にガラス板に模写した作品なども存在する。
次に風景画。この文章のなかにもフリードリヒ作品の図版を再録し,両者の風景画の間の視点や画面構成などの共通性を論じている。そして,海洋画。これはあまりこなれた日本語ではないが,Seascapeのこと。海岸ではなく,画面の下半分が荒波の海,上半分が空という絵画。しかも,上半分にも海を上下に反転した「Sea-Sea」という作品もある。この作品には,ドイツ人抽象画家のブリンキー・パレルモとの関連性が指摘されているが,この解釈は面白い。
続いて雲だが,これは写真家,スティーグリッツがストレート・フォトグラフィの被写体としたものとしても知られるものだが,いわゆる自然風景のなかでもその図像はほとんど偶然性が支配するということで,抽象画にも近い。また,「ストロンチウム」など,物質の電子顕微鏡写真を拡大した原子配列の像なども,ある種の自然表象でありながら限りなく抽象画に近い,という極めて興味深い作品生産。

とりあえず,こんなところにしておきましょうか。

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