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2012年4月

3日連続渋谷

4月21日(土)

講義の後,『ドライブ』を観るつもりで急いで渋谷に移動。映画館に到着すると,調べていた時間に『ドライブ』はやっていない。今から別の映画を求めて渋谷の街を右往左往するのも疲れるので,当該時間に上映予定だったこちらの作品に急遽変更。

渋谷ヒューマントラストシネマ 『マリリン7日間の恋
主演のミシェル・ウィリアムズは好きだが,マリリン・モンローの実話を基にした作品というのが,この作品を観たいと思わなかった理由。私はマリリン・モンローの出演作を1度も観たことはない。でも,1996年の『ノーマ・ジーンとマリリン』は観た。ノーマ・ジーンとはマリリンの本名だが,この映画はノーマをアシュレイ・ジャドが,マリリンになってからをミラ・ソルヴィーノが演じたもの。どちらも最近は映画で観ることはあまりないが,当時はどちらも人気女優で私も好んで観ていた。しかし,この映画はイマイチで,やはりスキャンダラスな側面が強調されがちなマリリンものはあまり観る気にならない。
ということで,あまり期待せずに観たのだが,それなりに楽しめた作品だった。本作はやはり実話に基づき,マリリンがケネス・ブラナー演じる英国の名優と共演するということで,英国で過ごす1週間を描いたもの。一応主演はエディ・レッドメインということになる。名家の息子として生まれた意外はこれといって取り柄のない男だが,映画好きというだけでロンドンに職を求めて単身出て行く。そこでたまたま巻き込まれたのがこの作品の製作。結局第三助監督ということで,つまり雑用係としてこの作品に関わることになるのだが,彼のさまざまな利害関係に染まっていないところが気に入られたのか,マリリンと接近することになる,という感じの物語。それにしても,自ら主演・監督をするというこの英国俳優はケネス・ブラナーそのものだ。そして,本作ではミシェル・ウィリアムズにマリリンを投影することなく,彼女自身が演じるフィクショナルな人物としてある程度見ることができたというところも良かったのかもしれない。これが,しっかりとマリリン本人の演技を記憶にとどめている人はちょっと難しいかもしれない。そして,『美しすぎる母』でも年上女性と情事(?)を演じたエディ・レッドメインがはまり役というかなんというか。脇役にもよく見かける英国俳優が配されたりして,観て良かったと思える作品でした。

4月22日(日)

翌日も幸いなことに映画に行くことを許されたので,前日に観そこなった作品を観ることにした。

渋谷ヒューマントラストシネマ 『ドライブ
こちらは『ラースと,その彼女』のライアン・ゴズリング主演作品。別にどうしても観るべき作品だとは思えなかったが,相手役が『私を離さないで』のキャリー・マリガンだから観ることにした。物語自体は非常に古典的なもので,最終的に出演者のほとんどが亡くなってしまうという暴力もの。主人公が殺されるのかされないのか,主人公が愛した女性が先に犠牲になるのかどうなのか,というところで鑑賞者をハラハラドキドキさせるという,常套手段。でも,意外にもこういうベタなドラマは最近少ないので新鮮だったりする。そして,やはりキャリー・マリガンの魅力にやられてしまう。
同じ時期に出演していて,フルヌードも披露したという『シェイム』を観のがしてしまったのは非常に残念。なにやら,キャリーちゃんは最近結婚したらしい。そういえば彼女は『17歳の肖像』で女子高生役を演じた彼女だったんですよね。あの頃から魅力的だった。まあ,こういう作品もたまにはいいでしょう。

4月23日(月)

なんと,翌日も渋谷に来ることになっていた。そう,HARCOが15周年記念でカジヒデキさんとgoing under groundの河野丈洋さんの3人でコラボレーション曲を作り,今回はそのメンバーで春フェスなるものを開催した。会社から渋谷に直行し,駅ビルで食事をした後に行ったので,会場に着いたのは開場20分後だったが,かなり席は空いていた。しかし最終的には立ち見もかなり出る盛況ぶり。

渋谷duo music exchange
カジヒデキ
彼のステージはmona recordsが開催したお寺でのライヴイヴェント以来。この日はドラマーとサックス奏者の3人のステージ。数曲ピアノでHARCOが入ります。彼の曲は積極的にCDなどで聴こうとは思わないが,ステージはやはりさすが納得という感じ。基本的にアップテンポな曲が多く,ドラマーも座らずに立って叩くタイプの人で,かなり強めに叩いていたし,カジさんもアコースティックギターだったがなぜか違和感を感じない。最後には『デトロイトメタルシティ』の劇中歌として松山ケンイチが歌っていた「甘い恋人」も披露。
going under ground
やはりというか,フロア内に多かったのがこちらのファン。私は河野氏のソロは聴いたことがあるが,バンドとしては初めてのようだ。無口だが歌わせると甘い歌声の河野氏はドラマーで,長髪の長身,無口なベーシストはいかにもな感じ。それと対照的に背は低いけど妙にチャラい感じのギタリスト。そして,黒縁眼鏡のちょっと小太りな感じのヴォーカルには似つかわない感じのフロントというのが面白いバランス。正直好きにはなれない感じのバンドではある。とても歌いやすい感じのメロディラインにポピュラー音楽に使い古された感じの言葉の羅列。でも,どこにでもあるような楽曲ではなくやはり独自のサウンドを持っていて,それは初めて聞くのに安定して聞こえるのが,安定したファンを獲得している所以か。
HARCO
最後がHARCOかと思いきや,その3人コラボユニットがまずは登場。彼らが今回作ったというオリジナル曲やかつてカジさんとコラボした曲,そしてHARCO自身のアルバムにも収録されたgoing under groundの曲のカヴァーなど,HARCO自身のオリジナル曲は少ない。しかも,恐らく時間的に押していたものを自身の曲数の少なさで埋め合わしたような短めのステージ。HARCOを久し振りに聴くにはちょっと物足りないライヴでした。

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風景学

中川 理 2008. 『風景学——風景と景観をめぐる歴史と現在』共立出版,205p.,3300円.

本書は「造形ライブラリー」というシリーズものの6巻。カバーに印刷されている,既刊の5巻までを示してみよう。
古山正雄『造形数理』
エルウィン・ビライ『素材の美学』
加藤直樹・大崎 純・谷 明勲『建築システム論』
岸 和郎『建築を旅する』
栗田 治『都市モデル読本』
ちょっと私が書名だけで内容が理解できるようなものではないが,建築を含む都市工学的な分野が中心だということだけは分かる。この著者の中川 理という名前だけは知っていたが,読んだことはなかった。それが敗因。本書はたまたまAmazonでみつけて,「なか見検索!」(目次など,一部がPDFで閲覧できる)があったので,目次を確認できたのだ。それによると,私が把握している風景・景観関係の議論をかなり網羅していることが分かった。Amzonのマーケットプレイス(中古品)にはあまり安価なものは出なく,買いためらっていたが,風景研究をやるのに無視はできない存在だとは思っていた。当初よりも若干安くなった中古品が出たところで購入。もっとコンパクトな版かと思いきや,けっこう大判の変形でビックリ。とりあえず,目次を示しておこう。

1章 風景以前の「風景」
2章 風景の発見
3章 規範としての風景
4章 歴史が作る風景
5章 近代主義が作る眺め
6章 都市の風景化
7章 風景から景観へ
8章 集落と生活景
9章 郊外風景の没場所性
10章 仮構される風景
11章 生態的風景
12章 自分が風景になる

それぞれの章は4節か5節から成り立っていて,1節の長さは2〜4ページ。大判をうまく活用し(建築系の書籍にはよくあるが)下の余白に効果的に図版を掲載している。あとがきを読むと,本書の土台は半期の講義資料だという。最後にきて納得。前半はけっこう楽しめた。私がここ数年勉強している内容をおさらいするような形。しかし,後半になると段々その1節の短さが物足りない感じになってくる。
確かに,地理学者もアプルトンからベルク,トゥアンやレルフも登場するが,著者の基本は建築学であり,景観工学である。確かに,美学系の人が建築系の話を詳しくするのは難しく,一方で建築系の人はよく勉強をしていて,本書のように美学の話も一通りこなしているのは便利ではある。景観というのはその土地に住む人の見方ではなく,外部の人の価値観だという指摘は,ちょっと忘れていて新鮮だったことは確か。
しかし,やはり著者の得意分野は後半になって集中してくる建築や都市計画の分野であるが逆に私にとってはあまり楽しめない内容になってくる。そして,決定的に本書を読んできてちょっとだけ後悔したのは,著者はなんと『偽装するニッポン――公共施設のディズニーランダイゼーション』の著者だったということ。確かに,レルフの没場所性の議論の際に,レルフが没場所的な景観を批判した後に,何も解決策を提示していないことを「建設的ではない」といったりしていた。やはりあくまでもかれは住む人にとってよりよい建築物なり,町づくりをするということが責務にあるということだろうか。
まあ,それほど読むのに時間はかからなかったし,一応論文を書く際には本書に言及する必要はあると思うが,個人的な趣味からいうとあまり評価したくない本。

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新年度開始

以前こちらでお知らせした私の新しい論文がアップロードされました。無料でダウンロードできますので,よろしければどうぞ。
こちらです。


法政大学の非常勤での講義は昨年度でもって打ち切りになった。会社の方はこれまで週4日で契約していたが,年度末は会社も忙しいので,できるかぎり金曜日も出勤していたが,最近は私の作業は一段落してしまい,講義はなくなったものの,金曜日もお休みすることになることが多くなりそうだ。

4月6日(金)

この日は妻の以前の職場の知人と新宿御苑でお花見をすることになった。私は一足先に新宿に出かけて映画を1本。

新宿テアトル 『海燕ホテル・ブルー
実は若松孝二監督の作品はあまり観る気にならず,これまで観てこなかったが,本作は珍しく史実に基づくものではなく,純粋なフィクションということで観てみることにした。『実録・連合赤軍 あさま山荘事件』でも重要な役どころで出演していたという地曳 豪が主演。ARATAこと井浦 新も同じく共演していたらしい。やはり若松監督作品で三島由紀夫を演じるARATAはその影響を受けて漢字表記の本名で俳優をしていくことになったらしい。たしかに,この名前と甘いマスクを含め,これまで通りのチャラい感じではやっていけませんな。年齢的にもいい判断かもしれない。
さて,本作だが,やはりこの監督の作品は私の感性には合わないということが確認された。

その後,友人がわが家に遊びにきて,近所の有名なしだれ桜のあるお寺にお花見に行ったり,花見の機会の多い一週間でした。とりあえず,観た映画だけを報告。

4月13日(金)

府中TOHOシネマズ 『僕達急行A列車で行こう
急死してしまった森田芳光監督の最後の作品となったこの作品。昨年湯布院映画祭でいち早く公開された。このblogにもよくコメントをくれる岡山のTOMさんはこの映画祭の常連なので,当然本作をいち早く鑑賞し,監督も交えたトークセッションにも参加していて,その様子はネットのニュースにも流れていた。それによると,いわゆる一般受けしそうな恋愛映画には仕上がっていないが,それだからこそ映画ファンにはたまらない出来になっているという。期待を込めて臨みます。
主演は松山ケンイチと瑛太で,一応,貫地谷しほりや村川絵梨,松平千里といったヒロインも登場するが,基本的に恋愛はイマイチ発展せずに,主人公2人の鉄道マニアぶりが遺憾なく披露されるという物語。いやあ,何がいいと説明しづらいのだが,久し振りに胸きゅんきゅんいわせ,笑いながらの鑑賞になった作品。肩肘張らずに,周りを遠慮せずに笑える映画(でも,大笑いではない),こういうの最近なかったなとしみじみ。森田監督の作品は絶対に観るというほどのファンでもないが,やはり適宜その時々の社会の状況で,必要とされる雰囲気を読み取って作品にしている,そんな印象を受ける。
もちろん,「オタク」的なものは社会に浸透してすっかり日本が国外に発信する文化の代表みたいになっているが,本作は鉄道オタクと,オタクのなかでも古い部類のものを扱い,しかもそれが一枚岩的に捉えられずに,多様性をもっていることが示される。そして,そうした人々が特殊な人種なのではなくどこにでもいる普通の人であり,オタクになるにはそれぞれの事情と育ってきた環境,さまざまな人とのつながり,あるいは社会のなかでの自己主張,そうしたものから成立していることを知ることができる。恋愛的な事柄についてはリアリティに欠けるところがあるような気もするが,一応主人公たちを男性に設定したところにおいて,男性鑑賞者を念頭においた恋愛物語になっているような気もする。だから,成熟しない恋愛の展開は私のような鑑賞者にはむしろ胸きゅんしちゃうのだ。ちなみに,村川絵梨のことは2004年の『ロード88』の主演で知っていたが,それ以降はぱっとせずちょっと気になっていた。でも,本作ではなかなか魅力的な女性として登場してひとまず安心。松平千里というのは古風な感じのちょっとセクシーな雰囲気を持つ,なかなか本作でも魅力的な女優だが,まだ若いらしい。今後にも期待したい。
そして,本作にはまだまだ映画によく出演している松坂慶子に加え,なかなか近年映画では観ることのできない星野知子や伊東ゆかりなども登場するのはちょっと嬉しい。テーマは鉄道マニアということですが,映画マニアにとって大事なものがいくつもつまった作品をしっかりと森田監督は残していったんだと思える作品でした。

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風景の経験

ジェイ・アプルトン著,菅野弘久訳 2005. 『風景の経験――景観の美について』法政大学出版局,381p.,5200円.

著者は地理学者であり,本書は1975年に出版されたもの。翻訳されたのは1996年の改訂版だが,基本的に中身には手を入れず,第11章を書き足しただけ。景観研究を本格的に始めた私は本書を読まなくてはならないが,定価が高く,Amazonの中古でもなかなか安くならないので,地元の図書館で借り,返却期限までになんとか読み終えた次第。まずは目次から。

第1章 論点
第2章 探求
第3章 行動と環境
第4章 象徴性の枠組み
第5章 バランス
第6章 関わり
第7章 諸芸術の風景
第8章 流行,趣味,イディオム
第9章 場所の美の潜在力
第10章 実績評価
第11章 あとがき

1970年代といえば,英語圏の人文地理学では人文主義地理学というのが流行っていた。でも,本書ではトゥアンが多少引用されているが,その流行には染まっていない。むしろ,もう少し前の環境知覚研究の延長線上にあるようだ。読みたくはないけど,読まずに批判することもできないということで,読み始めたわけだが,これが意外にあなどれない本だった。さすがに,地理学者でもない訳者がこの21世紀になって日本語を出版しようと思い立つだけのことはある。
環境知覚研究はどちらかというと,例えば災害時の避難行動につながるような,社会工学的な意味合いを持つ,客観的に評価しにくいものを客観化する試みだったように思うが,本書における著者の試みは,私たちが風景を観て美しいと思うその判断の基準を探求しようというもの。そこでは,動物行動学やジョン・デューイの経験哲学が拠り所になっていて,それらは第3章で議論される。その結果,引き出されるのが「生息地理論」と「眺望-隠れ場理論」。つまり,人間の外向きの欲望と内向きの欲望を空間的に捉え,視覚的なものとして捉えられる風景が,眺望と隠れ場だという。人間が一生物として周囲の環境のなかで生きる以上(生息地),これらの風景を肯定的に捉えるのは本能的なものがあるという。しかし,著者はそれを全て生来的なものとはせず,むしろ風景の評価は後天的なものとしている。
そのことをエドモント・バークの美と崇高の議論や,ピクチャレスクについても論じ,さまざまな時代の数多くの絵画作品や詩作品,あるいは景観計画の実践などを検討することで,自らの理論の正しさを論証している。その説明はなかなか説得的なのだが,そうした検討材料が特定の時代以降のヨーロッパに限定されていることに疑問はないのだろうか。
20年後に書かれた第11章は本書出版後のことについて書かれているが,著者自身は基本的にその主張を覆すつもりはないらしい。1980年代以降の英国の地理学者で,風景研究の中心的人物コスグローヴとダニエルズ,そして『風景と記憶』のサイモン・シャーマまで引き合いに出しながらも,かれらの研究には著者が主張している観点が抜け落ちていると述べる。なぜ,かれらがそういう主張をしないのか,受け入れないのかということは考えないようだ。まあ,基本的には研究者たるもの,多少謙虚であるにしても,自分が正しいと思ったことを表現しているのだから,まあそれはしかたがない。

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パリ神話と都市景観

荒又美陽 2011. 『パリ神話と都市景観――マレ保全地区における浄化と排除の論理』明石書店,246p.,3800円.

著者は地理学者で,私の地理学者の知人のなかではここ最近一番頻繁に会う一人。ということで,本書は著者に直接いただいたもの。著者にとっても単著としては一冊目となる。本人によると,やはり本を1冊仕上げるということは1本の論文とは違って,さまざまな苦労があるとのことで,自身としてはその出来にまだ満足できていないという。本書の内容は彼女が2009年に提出した博士論文を元にしているという。まずは目次を示しておこう。

序 パリ神話と都市景観
I 歴史主義と衛生主義の相克
II 「保全地区」マレの成立
III 神話に基づいた景観の形成

副題にもII章にもあるように,本書は「マレ」という地区にまつわる話に限定している。パリに疎い私のようなものにはちょっとピンとこないが,本書をいただいた直後にフランス映画『サラの鍵』を観ていたので,かなりイメージがしやすかった。この映画についてはこちらでも書いたが,現代と第二次世界大戦期のシーンとがあり,戦時期はマレ地区がユダヤ人の集住地区として描かれ,フランス当局がドイツ・ナチス政権に協力する形で,この地区からユダヤ人を集め収容所送りにするという物語。そうしてユダヤ人が抜けた後に住むことになった主人公の義父がその歴史に葛藤する。
本書の最後でもこの作品は登場する。日本では昨年末の公開だったが,本国フランスでは著者が本書執筆中に公開されていたということだ。まあ,この映画が描いているのはマレ地区のごく一部にすぎないが,パリを一枚岩的に描くのではなく,都心に近いこの一角が特定の性格を持っているという知識は本書をより読みやすくしてくれた。
そして,本書はタイトルにパリとしか示していないが,基本的にはこのマレ地区に焦点を絞っている点において,なかなか貴重な社会学的・地理学的研究になっていると思う。著者から読む前にあまりよい出来ではないと聞いていたこともあるが,逆に私には非常に優れた研究書だと思った。確かに,序文は初めての単書だということで,どこかぎこちなさがある。著者の母校である一橋大学社会学部には地理学を専攻する教員は以前からいるが,地理学科はない。著者は地理学者の指導を受けているが,同時に教育環境的には社会学者だともいえる。実際,明石書店はあまり地理学書を出版する出版社ではない。本書は自らを特定の分野を主張しているわけではない。ということもあって,序文はちょっと中途半端な気がする。全般的に地理学を主張するわけではなく,かといって社会学に徹しているわけではない。むしろ,いかにも社会学的な文献はあまり登場しないように思われる。実は私の論文も1つ登場するのだが,それは私の文学研究であり,なぜかここで文学作品を取り扱う口実として用いられている。しかし,私の読書経験によればフランスの歴史学書では文学作品を資料として用いたり,表象分析として用いるのはごく当たり前のことでことさら断るまでもない。残念ながら,フランスの社会学研究というのはあまり読んだことがないので,そちらはどうだか分からないが。
また,タイトルに用いている「神話」についても,フランス流にするならばロラン・バルトやジャン・ボードリヤール,あるいはレヴィ=ストロースなどの名前が私の頭には思い浮かぶが,これらは一切登場しない。また,タイトルに用いられているもう一つの用語である景観についても,地理学の議論が紹介されてはいるが,これまた中途半端な気がする。英語圏の議論については私も現在少しまとめているところなので,その困難さは理解しているが,逆に開き直ってフランス語圏地理学に限定したら良かったのかもしれない。なお,英語では景観をlandscapeというが,フランス語ではpaysageという。その語源的な差異については興味があるところでもある。
さて,序文をさらりとやりすごせば,一気に面白くなる。文学作品を資料として用いることの説明は言い訳がましくても,実際の文学作品の用い方はかなり手慣れている。そして,「マレ地区」という言葉が指示するところの地理的範囲と意味内容とが時代によって変化するさまが,単なる表象としてではなく,実際の都市計画という実践とともに語られます。私はこの種の研究はあまり読み込んではいないけど,場合によってはそうした表象や思想の抽象的な部分が強調され,実際の地理空間における差異がみえにくかったり,逆に地図化できるような側面ばかりに終始していたり,とその具体と抽象のバランスで不満を抱くことがあるけど,本書はそのバランスがなかなかいい。著者が作成したと思われる地図はちょっと印刷の質も悪く,デザイン的にも工夫してほしかったが,まあその辺りは我慢しましょう。また,冒頭には古い絵はがきを掲載し,同じ構図で現在撮影した写真を併置している。しかし,これも本書を読む前に視覚的イメージを与えるだけでなく,読んだ後に本書の説明で理解したマレ地区に具体性を与えるために,本文の最後にもこれらの絵はがきの考察が欲しかった。
私は正直,海外調査をやるくらいの時間と費用,そして現地の言葉を学ぶ余裕があったら手近にあるものでできる研究を構想してしまう質である。しかし,本書を読んで,本文にも書いてあるが,現地でしか手に入らない資料を用いた研究というのはこうして出来上がるんだな,と妙に納得させられた。そして,なぜ日本人がわざわざパリに調査に,とも思うのだが,あまりに身近だと意外と調査がなされていなかったり,わざわざ調べるまでもないと思ったりするのかもしれず,こうして他者の目から素朴な疑問に端を発した研究というのも貴重なのかなと思ったりした読書でした。

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定本 想像の共同体

ベネディクト・アンダーソン著,白石 隆・白石さや訳 2007. 『定本 想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行』書籍工房早山,386p.,2000円.

今年度前期の「人文地理学」講義で教科書として使用する予定なので,久し振りに読み直した。ちなみに,私が十数年前に読んだのは1987年にリブロポートから翻訳が出たもの。原著は1983年で,1987年の日本語訳は本書の世界で初めての翻訳だったらしい。そして,1991年に新たな章が書き加えられた改訂版が出版され,2007年の日本語訳はそれを含むもの。まずは目次をみてみよう。

1 序
2 文化的起源
3 国民意識の起源
4 クレオールの先駆者たち
5 古い言語,新しいモデル
6 公定ナショナリズムと帝国主義
7 最後の波
8 愛国心と人種主義
9 歴史の天使
10 人口調査,地図,博物館
11 記憶と忘却
旅と交通――『想像の共同体』の地伝について

1991年の改訂版で新しく追加されたのは10章以降。特に,地理学者にとっては10章で地図の話が出てくるので,言及されることが多かった。なお,本書以降にポストコロニアル研究などで「クレオール」という語が一般的になったため,4章のタイトルが「旧帝国,新国民」から改められている。
リブロポート版を読んだ時,私にとって一番印象的なのは「出版資本主義」に関する議論であった。この議論は日本の明治期における近代化の話でもよくされるようになったが,国民という政治集団は,新しい国民国家という政治主体によって上から押し付けられるようなもの(義務教育や徴兵制)だけではなく,個人個人が好んで参加していくものだという議論。個人は新聞や雑誌,そしてそれらに掲載される小説を読みたいがために標準語を習得し,そこに描かれるフィクショナルな人物たちに自分を投影することで,見ず知らずだが同じ国土に住む人たちに共鳴し,共感し,同情し,それが共同意識につながるという考えだ。しかし,改めて読んでみると,出版資本主義の議論はそれほど印象的ではない。というのも,この議論はフェーヴルとマルタンの『書物の出現』にかなり依拠しているのだが,私はその後,翻訳されている『書物の出現』を読んだ。このことで,本書の斬新さはあまり感じられなくなった。
また,私にとって過去の読書はこの印象が強かったために,本書の重要な主張をあまりきちんと理解していなかったようだ。本書は,これまでナショナリズムの起源をヨーロッパとする定説を覆すことで注目されたのだ。著者によれば,ナショナリズムというのは植民地が独立する際の原動力として登場するものだという。著者の専門はインドネシアだが,かつてのオランダ植民地支配から脱するために,本来地域的なまとまりを持たない島々の間で共同意識が生まれることで独立運動が起こるという。しかも,それは支配のために入植者たちが現地の住民に押し付けたオランダ語やヨーロッパ文明の浸透としての出版資本主義。こうした手段を使って,独立運動が起こるという皮肉というか,時代の運命というか,そんなことが見事に描かれている。
と,分かったように書いてみたが,実はここが本書の難しさでもあり,それがゆえに今以上に知識が浅かった私が一度目に本書を読んだ時にはきちんと理解せずに,知識としても蓄積されなかったのである。これは,今後講義を行う上でも自分のなかで補足しなくてはならないことだ。つまり,植民地の歴史と独立の歴史を知ること。どの時代に,どこの国がどの地域を植民地化し,それがどのようにしていつ独立するのか。植民地化の歴史はラテンアメリカに始まって,アフリカに終わるともいえるが,その分かりやすい2つの大陸に比べ,実は植民地化に日本も加担した,アジアの歴史というのは意外に理解していないことを自覚させてくれた。
さて,それはそれとして,意外にも1991年に書き足された章はあまり目新しいものではなかった。でも,そのなかでも一番面白かったのは,あとがきともいえる「旅と交通」であった。これはいわゆる旅と交通の話ではなく,出版資本主義の議論をその一商品でもある本書自体について分析したものである。1983年に出版された本書は1987年に日本で初めて翻訳されたが,それはリブロポートという今はなき西武系の出版社だった。日本の場合にはいかにも思想を反映した出版社というのは少なく,多くの出版社の政治的思想は分かりにくい(まあ,政党すらも思想的にはっきりしない国だから仕方がない)。リブロポートの場合にはある意味,本書を知的流行として捉えていた感がある。実際に「社会科学の冒険」というシリーズの一冊として出版されている。それから始まった世界中での本書の翻訳は,時代によって地理的分布が異なり,またそれを手がける出版社,国によっては正規にではなく海賊版として,出版されたという。日本では,本書が発禁処分になるなんてことはありえないが,国によっては当然事情が違う。まさに,植民地後のこのグローバル世界において,本書の受け止められ方,また利用のされ方も違うという。その辺りの考察を原著者自身が行うということはすごいことだ。あらためて,アンダーソンのすごさを思い知らされる。
さて,日本では改訂版も聞いたこともない小さな出版社から出されたわけだが,これがまたけっこうひどい。リブロポート版にはなかったウムラウトの文字化けがあったり(28ページ),文献の日本語訳情報があったりなかったり。まあ,ちょっとこの辺は笑うしかない感じだが,きちんと読むべき人は原著に当たれ,ということで,原著もAmazonで購入した次第。

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学会発表

3月28日(水)

この日は,前にも予告したが,日本地理学会の2012年度春期学術大会。私の出身大学,八王子市南大沢にある首都大学東京で開催される。今回は初めて託児所が設置されるということで,事前に予約をして息子を連れて行く。私の発表は10:20からだが,今回はパワーポイントの資料を使うので,事前にファイルを会場のPCにコピーしなくてはならない。幸い,私の第8会場は朝の始まりが9:40からだったので,8:20の電車に乗り,9時前に南大沢駅に到着する。
託児所設置で,子連れOKのはずなのに,受付は階段上。しかも,その建物の入り口は一応スロープがあるが,無駄に階段が多い場所。さらに,託児所は階段を上り下りしなくてはならない奥まったところにあった。当然私も含めベビーカーで連れてくる人がいるというのに...
私が託児所を利用するのは私の発表がある10時から11時。そして,午後一で聞きたい発表があったので13時から14時の合計2時間。1時間1000円なので,合計2000円。まずは3階にある第8会場へと息子を連れて移動し,持参したUSBメモリでファイルをコピー。当然のように使用されているPCはWindows 7なので,すっかり操作が分からん。しかも,会場にいるスタッフは全く役に立たない。同じ会場の発表者である立岡さんに聞いたりして。
数日前からメールの交換をしていて,私の発表後にちょっとお会いするはずだった島津俊之さんに早速ばったり。10時前の時間はまだまだ発表を聞かずに会場をウロウロする人も多く,いろんな人に会う。なかなか10時にならず,息子を方々で歩かせるが,意外に託児所の場所が分からず,結局10時前後でバタバタし,預けてから急いで第8会場へ。私の前の発表は東京大学の学生さん。
山田彩美「東京多摩地区水道事業の統合」
まさに東京都多摩地区に住む私にとって身近な話題。自分の発表もあるので身を入れて聞くことはできなかったが,学生さんとは思えない落ち着きぶりで,質疑応答もしっかりとこなしていた。さて,私の発表。
成瀬 厚「塗りつぶされた風景:ゲルハルト・リヒターの風景芸術」
今回はなんといっても,作品を観てもらわないと話にならないので,私の研究人生2度目のパワーポイント。秋の人文地理学会の時と違って,声がよく出ていたので,迷わずマイクなし。しかし,会場の入りはあまりよくなく,後方に座っている人が多かったので果たして聞こえたのかどうか。欲張っていろんな作品を入れてしまったので,思いの外説明に時間を食ってしまった。結局,結論めいたことはほとんどしゃべれずに終了。質疑応答を待つ。
しかし,前回同様,会場は静まり返る。困った座長の山元貴継君が2つも質問してはくれたものの,イマイチ私の補足説明を促してくれるものではなかった。そもそも,この座長の選択はどうだったのか。質問がないとはじめから分かっていれば,私の結論をしゃべる時間をくれ,という感じ。タイトルに引かれて,次の発表も聞く。
熊谷圭知「場所論と場所の生成――他者化を越えた地誌のための覚書」
副題でちょっとどうかなとは思ったものの,一応私は場所研究者でもあり,前回の発表では「生成」という言葉も使ったので聞くことにした。しかし,やはり案の定パプアニューギニアの自分のフィールドの話。確かに前半の場所論はそれなりに勉強しているが,ケーシー『場所の運命』は読んでいないようだ。熊谷さんの論法は大体決まっている。地理学で話題のトピックがあると,それを自分のフィールドワーク解釈のキーワードにするのだ。最近は地理学雑誌に書いていないので,詳細は分からないが,恐らく調査の仕方を反省したり,従来とは画期的に異なる解釈を提示したりということはあまりなく,いかに自分の調査を正当化するかということを繰り返しているような気がする。
さて,11時前には息子を迎えにいかなくてはならないので,熊谷さんの発表が終わる前に席を立ち、移動。ちなみに,10時に預ける際には他に3人の子どもがいて,迎えにいった時は1人だった。今回の託児所の定員は5人だったが,もしかすると預けてがいなくて,学会での託児所設置は意味がないということで中止になりかねないと思って私は預けることにしたのだが,それなりに需要はあるらしい。そして,わが子は1時間くらいだったら何の問題もなく楽しく遊んでいたようだ。幸い,息子の好きなままごと用具がかなり揃っていて,案の定それで遊んでいた。
島津さんと話をするために,受付付近に移動。こちらでは,濱田琢司君や山口 覚君に会う。他にも東京都立大学時代の先輩や後輩,先生などはけっこう来ていて,息子の顔を見てもらう。いろんな人にかまってもらい,その後島津さんと立ち話で話し込んでいるうちにベビーカーで寝てしまったらしい。とりあえず一足先に食堂に移動。といっても,購買で私はパンと缶コーヒーを買い,息子のために持ってきた昼食を電子レンジで温め,まだ空いている学食で息子を寝かせたまま私が食べる。誰か知り合いがいるかと思ったが,結局誰も現れず,学食も混んできたので,外に出ると,午前中の発表を聞いていたと思われる地理学者たちがこぞってやってきて,幾人か知り合いにも会う。ちょうどここで息子が起きたので,食事をして,託児所に移動。午後聞いた発表は以下。
杉本昌宏ほか「大阪日本橋におけるサブカルチャーによる創造都市の研究」
なにやら,大阪の日本橋という街は元々電気街ということもあって,秋葉原のような状況になっているという。それを報告者たちはタイトルのように呼んでいる。ここの事例研究だけに話を集中すればいいのに,『らき☆すた』の鷲宮の話などして。結局,事例の日本橋の話もGISを用いてくだらないデータを地図化しているだけで表層を捉えているにすぎない。せっかく,フロアから同じ地区で調査をしている研究者から貴重な質問があったのに,その質問の意図すら理解していない様子。この種の研究は卒号論文のテーマとしては面白いかもしれないが,大学院に入ってまで続けるのであればもっと本腰入れてやってほしいところ。
山本健太・久木元美琴「東京における小劇場演劇観劇者の行動特性――劇場Aにおける劇団Hの公演を事例として」
報告は山本さんだったが,この人物がなかなか地理学者っぽくなくて面白い。しかし,けっこう期待していたこちらの報告も前半は期待はずれ。日本における演劇は東京に一極集中しているって話と,演劇界の簡単な戦後史が説明され,実際のアンケートの集計でも社会学的な属性の説明で,一向に地理学的なテーマに移行しない。ようやく,最後だけ数件の事例でその行動特性が示されたが模式図的な感じで説得的な分析とはいえない。
次の発表まで聞くと息子を迎えにいくのに遅れてしまうので,ここで会場から出ると,杉山和明君も一緒に出てきた。そして,しばらくすると山口 晋君が登場し,しばし歓談。すると,先ほどの報告者である山本さんが携帯電話で話をしながら会場から出てきた。しばらくすると,会場に戻ろうとしてわたしたちの前を通ったので,「成瀬です」と引き止める。実は,発表のなかのパワーポイント資料に私の下北沢論文が言及されていたのだ。まあ,話してみるとなかなか面白そうな人物。外見とは違って中心的な研究はプラモデル産業の地理的展開という地味なテーマで論文を書いているとのこと。今回の報告の共同研究者は同じ東京大学の大学院の院生時代の仲間とのこと。まあ,こういう研究もあっていいのではないでしょうか。
ということで,時間が来たので私は託児所に息子を迎えにいき,帰り際に寄藤晶子さんとお会いして抜き刷りの交換をしたくらいで私は帰宅。

4月1日(日)

渋谷イメージ・フォーラム 『はじまりの記憶 杉本博司
この日は映画の日。他にも観たい作品はけっこうあるのだが,前日にたまたまみつけたこの作品に急遽決定。この作品はレイトショー上映ということだが,前日から公開開始で,当分の間は午前中も1回上映があるという。レイトショーで映画を観るのは今けっこうきついので,午前の回があるうちに観なくては。タイトルにある杉本博司というのはニューヨークを活動の場とする現代芸術家。基本は写真芸術。私もつい最近まで全く名前も知らなかったが,リヒター関係の英語論文を読んでいて,名前が出てきたのだ。調べてみると,ニューヨークの自然史博物館に展示されている剥製を撮影した「ジオラマ」という作品や,蝋人形を撮影した「ポートレイト」という作品で知られるという。まさに,リヒターのフォト・ペインティングと通じるものがある。それなりに高齢の芸術家で,作品数も少なくないので,手っ取り早くその人物,その作品を知るにはこういうドキュメンタリー映画はありがたい。でも,場合によってはドキュメンタリー映画はへたな先入観を与えかねないが。ちなみに,ドキュメンタリー作品として本作は受賞もしているし,ナレーションを寺島しのぶがやっているというのも多少は信頼がおける。
ということで,結論からいうと素晴らしい芸術家だった。やはりこれもリヒターのように,写真家でありながらも画期的な芸術表現を求めて日々試行錯誤し,見事な形でそれを結実させる。ドキュメンタリーとしては彼が求めるものを明確にしすぎるところがあり,しかもそれを彼が日本人であるということに帰着させようとしすぎている感があるが,その辺を差し引いて観れば,なかなかよくできていると思う。寺島しのぶさんも,スクリーン上では視覚的に非常に存在感があるが,意外にも声そのものはくせがない。ナレーターとして,本作においては適役だったのではないか。

映画を終えて食事をし,献血ルームSHIBU2で成分献血。珍しく空いていて,予約もないのに午後の一番手だった。まあ,その後は混雑しない程度に入ってはいたが,最近はこんなものなのだろうか。

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今年初ライヴ

私が『地理科学』に掲載した論文は,私の2004年から2009年頃までの年間100本を越えるライヴ通いの成果を2005年の下北沢を中心にまとめたもの。そのなかで,3組の実名ミュージシャンが登場する。それは,朝日美穂,ハシケン,HARCO。
ミュージシャンに抜き刷りを渡しても,よく分からないだろうから,雑誌を1冊2000円で購入し,本人たちに渡す予定。ということで第一弾。朝日美穂さんは現在妊娠中で,産休前のラストライヴだということで,久し振りに夜の有料ライヴにでかけることに。しかも,この日は朝日さんが大学時代のサークル仲間,戸田和雅子さんを呼んでご一緒するというから行かないわけにはいきません。戸田さんも2年前に出産。それ以来なかなかライヴができないということで,貴重。しかも,子どもネタでお話がしやすい。

3月25日(日)

新宿シネマート 『ゴーストライターホテル
まずは新宿で映画。阿部 力君の初主演映画。実は彼は「李振冬」という別名で,台湾でも活動しているということで,妻がいつも気にかけている。正直いうと,他に観たい作品はもっとあったのだが,ライヴの時間と場所との兼ね合いで適切なのがこれくらいだった。でも,なかなか面白い設定。
とある古いホテルには,作品執筆のために宿泊(カンヅメ?)していた文豪たちがゴミ箱に捨てたボツ原稿が保管されているという。それをたまたま知った主人公が,それを利用して作品を書くという物語。そして,文豪たちも幽霊として登場し,主人公に序言をするという。この映画自体が吉本興業制作ではあるが,文豪たちに扮するのはお笑い芸人たち。そこがいいですね。そして,ホテルの清掃係で主人公を助けるの男を演じるのが坂本 真ってところも私個人的にはいいです。ということで,期待していなかった割にはそこそこ楽しめた作品。

この日は学会の直前ということで,映画からライヴの間にできた空き時間にPRONTで発表内容を練る。ついでに,甘いパンも食べたりしてあまりお腹が空いていなかったので,そのまま十条へ。ライヴが予定されているお店には一応食事メニューもあるようで,そこでつまむことにしよう。

十条cinecafe soto
到着してびっくりしたのは,こちらのお店は映画を上映するお店。4月の上映作品は『ハラがコレなんで』。きちんとフィルムで上映する施設が整っています。500円で選べるドリンクにはワインもありましたが,200円足してフランスの瓶ビールをいただく。でも,その甘いビールはなんと発泡酒でした。期待したフードメニューはキッシュだけでしたが,こちらも500円でけっこう満腹。なんでも,キッシュはこのお店の名物だとか。
戸田和雅子
戸田さんのライヴは彼女が出産する前だから,2年半ぶりくらいになる。妊娠中は10kg以上体重が増えたというが,今は以前と見た目は変わらない。ステージの後ろには白いアイリッシュハープがあり,この日のサポートはtico moonの2人だと分かる。はじめは1人で演奏。私の前回のライヴは息子を連れて行った昼間のライヴだったので,こうしてゆっくり好きなミュージシャンのライヴを聴けるのがいかに貴重なのかを知る。毎日のようにライヴ通いをしてた頃にはかなり麻痺してしまっていた感覚だ。しかも,店内が禁煙かどうかは分からないが,この日のお客さんは全くタバコを吸わないし,非常に穏やかで素晴らしい雰囲気。何曲かは初めて聴く曲もあり,改めて戸田さんの作る曲,そしてその歌声の素晴らしさを堪能する。
朝日美穂
若干戸田さんの難点を書いておくと,やはりライヴ回数の少なさか。やはり歌い込んでいないことは聴いていても多少分かる。それに対して,産休前にレコーディングをやっておきたいと連日スタジをにこもっている朝日さんは素晴らしかった。ピアノ演奏も滑らかで,新しい曲たちも彼女の持ち味が存分に活かされた作品たち。アルバムの完成が楽しみ。なお,この日はベースの千ヶ崎 学さんが朝日さんのライヴでは初めてというウッドベースで,そしておなじみの高橋健太郎さんもギターで参加。ついでに,戸田さんも打楽器やコーラスで参加。新しいアルバムにも数曲参加しているようです。もちろん,最後にはtico moonも参加。朝日さんとtico moonのお2人も当然親しい。
なんだか,非の打ち所のない時間というのでしょうか。半年に一回くらいこういうのもいいですね。さて,この日のもう一つの目的は,私の論文が掲載されている雑誌を朝日さんに渡すこと。もちろん,ついでに戸田さんにも抜き刷りを渡す。この日ご一緒したTOPSさんの分も持って行ったのだが,tico moonのお2人に渡すことにした。というのも,私の論文では下北沢の再開発問題にも少し触れているのですが,その反対団体であるsave the下北沢のメンバーとtico moonとはけっこう関係しているのだ。そんなことで,まずは吉野友加さんとそんな話で盛り上がり,続いて戸田さんとは子どもの話,そして最後にちょうどよくそれまで話していた人たちとの会話が終わり,朝日さんに雑誌を渡す。気づいてみれば,お客さんはもういなくなっていました。こういうひと時もなんか懐かしくていいですな。

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