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風景の経験

ジェイ・アプルトン著,菅野弘久訳 2005. 『風景の経験――景観の美について』法政大学出版局,381p.,5200円.

著者は地理学者であり,本書は1975年に出版されたもの。翻訳されたのは1996年の改訂版だが,基本的に中身には手を入れず,第11章を書き足しただけ。景観研究を本格的に始めた私は本書を読まなくてはならないが,定価が高く,Amazonの中古でもなかなか安くならないので,地元の図書館で借り,返却期限までになんとか読み終えた次第。まずは目次から。

第1章 論点
第2章 探求
第3章 行動と環境
第4章 象徴性の枠組み
第5章 バランス
第6章 関わり
第7章 諸芸術の風景
第8章 流行,趣味,イディオム
第9章 場所の美の潜在力
第10章 実績評価
第11章 あとがき

1970年代といえば,英語圏の人文地理学では人文主義地理学というのが流行っていた。でも,本書ではトゥアンが多少引用されているが,その流行には染まっていない。むしろ,もう少し前の環境知覚研究の延長線上にあるようだ。読みたくはないけど,読まずに批判することもできないということで,読み始めたわけだが,これが意外にあなどれない本だった。さすがに,地理学者でもない訳者がこの21世紀になって日本語を出版しようと思い立つだけのことはある。
環境知覚研究はどちらかというと,例えば災害時の避難行動につながるような,社会工学的な意味合いを持つ,客観的に評価しにくいものを客観化する試みだったように思うが,本書における著者の試みは,私たちが風景を観て美しいと思うその判断の基準を探求しようというもの。そこでは,動物行動学やジョン・デューイの経験哲学が拠り所になっていて,それらは第3章で議論される。その結果,引き出されるのが「生息地理論」と「眺望-隠れ場理論」。つまり,人間の外向きの欲望と内向きの欲望を空間的に捉え,視覚的なものとして捉えられる風景が,眺望と隠れ場だという。人間が一生物として周囲の環境のなかで生きる以上(生息地),これらの風景を肯定的に捉えるのは本能的なものがあるという。しかし,著者はそれを全て生来的なものとはせず,むしろ風景の評価は後天的なものとしている。
そのことをエドモント・バークの美と崇高の議論や,ピクチャレスクについても論じ,さまざまな時代の数多くの絵画作品や詩作品,あるいは景観計画の実践などを検討することで,自らの理論の正しさを論証している。その説明はなかなか説得的なのだが,そうした検討材料が特定の時代以降のヨーロッパに限定されていることに疑問はないのだろうか。
20年後に書かれた第11章は本書出版後のことについて書かれているが,著者自身は基本的にその主張を覆すつもりはないらしい。1980年代以降の英国の地理学者で,風景研究の中心的人物コスグローヴとダニエルズ,そして『風景と記憶』のサイモン・シャーマまで引き合いに出しながらも,かれらの研究には著者が主張している観点が抜け落ちていると述べる。なぜ,かれらがそういう主張をしないのか,受け入れないのかということは考えないようだ。まあ,基本的には研究者たるもの,多少謙虚であるにしても,自分が正しいと思ったことを表現しているのだから,まあそれはしかたがない。

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