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2012年7月

42歳になりました

7月20日(金)

朝一で美容院に行き散髪し,調布で待ち合わせて家族で吉祥寺へ行く。ばったり,ギタリストの新美博允さんに会う。お互いビックリ。ちょっとお話をして別れ,コピス吉祥寺の子ども遊び場に行くが,息子はイマイチ。その後,家族と別れ私は一人で映画。

吉祥寺プラザ 『ワン・デイ 23年のラブストーリー
ここ最近,アン・ハサウェイがけっこう気になる。といいつつも,この作品,いつの間にやら公開最終日を迎えていて,なんとか観ることができた。この映画の監督ロネ・シェルフィグは女性で,デンマーク出身でありながら,『17歳の肖像』も撮っている人だった。本作品のストーリーは予告編で既に明かされている。きっかけは大学の卒業式。大して親しくもなかった主人公2人が,成り行きで夜を過ごすことになる。結局結ばれはしなかったのだが,それを逆手に取って体の関係を持たない親友として,年に1度だけ,7月15日にお互いのことを思いやることを決める。まあ,ラヴストーリーで驚くべき結末なんてのはもうなかなかありえないけど,そして『ラヴ&ドラッグ』ほどの露出はなかったけど,アン・ハサウェイの魅力がいっぱいつまった作品であることは確か。また,相手役のジム・スタージェスがバブル期のお調子者という役どころがぴったりだったのも,2人が20年以上の年齢を演じるという不自然さを気にならないものにしていたと思う。

ところで,7月26日は私の42歳の誕生日。2年前までは自主企画誕生日音楽ライヴ・イヴェントなどを開催していて,実はけっこう胃が痛かったりしていた時期。その重荷から解放されて,誕生日は何事もない穏やかな一日に変っています。
さて,ところで,42歳という年齢にはなぜか特別な印象がある。といっても,それが正確かどうかは分からないのだが。私が幼い頃,テレビで見ない日はないというほどビートたけしが活躍していた頃,彼の年齢は42歳だったように思う。時代的にはそれより前のはずだが,自分の両親の年齢を意識し出した頃に,かれらの年齢も42歳だった気が。私が生まれたのは父が33歳,母が34歳のはずだから,例えば母が42歳といえば,私は8歳の頃になる。当時としてはけっこう高齢出産だから,同級生の母親が若いことにちょっとコンプレックスを持っていたり。時間は経って,大学生の頃。私がいた研究室は,私が入学する数年前に教授が現役で急死したこともあり,数年間教授が不在だった。ようやく当時助教授だった先生が若くして教授に昇格したのがやはり42歳だった気がする。彼と私はちょうど20歳差なので,私が22歳といえば4年生の頃。これはけっこう合っていると思う。
何がいいたいかというと,42歳という年齢はこれまでの仕事が十分に評価された上で,次のステップに進んで光り輝いている,人生の最盛期という気がするのだ。さて,果たして自分はどうだろうか。確かに,1993年,すなわち23歳の時にはじめて論文が学術雑誌に掲載され,現在まで20本近くの論文を発表し,特定の分野において一定の研究蓄積を重ねて来ていると自負している。今,投稿中の論文と,執筆中の論文は10年前には書けなかった,私自身の知識と思考の集大成のような気もする。
しかし,残念ながらそう思っているのは自分だけだということだ。いまだに単行本は出版していないし,大学に常勤も就いていない。学会賞などにも縁はないし,地理学者仲間からの論文集への執筆依頼なども全くない。

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風景画の光

藤田治彦 1989. 『風景画の光――ランドスケープ・ヨーロッパ・美の掠奪』講談社,203p.,1900円.

ちょっと前まで,風景関係の本を読みまくっていましたが,その頃買った日本人が書いた風景画の本。私が探した限りでは日本語で読める風景画の書籍はそれほど多くない。本となるとけっこう当たり外れがあるので,図書館であらかじめ確認してからAmazonの中古で購入。図書館で借りられた数冊はほとんど外れなしだった。でも,本当のところは読んでみないと分かりません。ということで,まずは目次。

 風景画の意味
第1部 アルプスを越えて―西洋風景画の誕生
 第1章 イタリア・ルネサンスの曙光
 第2章 アルプスの北のルネサンス
 第3章 17世紀イタリア風景画の成立
幕間Ⅰ 風景画の太陽
第2部 海峡の両岸―西洋風景画の展開
 第4章 17世紀オランダの風景画の展開
 第5章 18世紀・風景の危機
 第6章 19世紀イギリス風景画――ターナーとカンスタブル
幕間Ⅱ 倒立像の風景
第3部 世界風景―風景画の近代・風景の現在
 第7章 19世紀フランス風景画―コローからセザンヌまで
 第8章 新しい世界の風景

こうやってみると,非常にオーソドックスな内容構成であるように思える。フリードリヒなどドイツの風景画家がでてこないことからも,決して網羅的とはいえないと思うが,美術史にそれほど詳しくない私のような読者には十分な内容である。
たしかに,図版が多く掲載されているものの,1人の画家に対してせいぜい2,3ページ程度で,詳しく知りたい内容については物足りなさを感じるが,それはさらに関心を持った読者が自分で調べればいいことであって,一通りの重要な作品を観ることもできるし,現代まで扱っていて,概説書としてはとても優れていると思う。
でも,具体的な作品の解釈のなかには美術史家の感覚としては当たり前なのかもしれないが,私的によく納得できない説明もいくつかあった。まあ,この辺はもう少し読み込んで,慣れるしかないのか。

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暑い日が続きますね

7月7日(土)

吉祥寺オデオン 『幸せへのキセキ
マット・デイモン主演映画。彼は個人的に容姿があまり好きではなく,出演作はあまり観ていない。でも,本作はスカーレット・ヨハンソンが「お色気封印」で出演しているというのも面白いし,なんといっても監督がキャメロン・クロウ。トム・クルーズ主演だが,レニー・ゼルウィガーの出世作『ザ・エージェント』や少女の頃のケイト・ハドソン主演映画『あの頃のペニー・レインと』はクロウ監督の素晴らしい作品。そういえば,これもトム・クルーズ主演だが,スペイン映画のリメイク『バニラ・スカイ』もオーランド・ブルームとキルスティン・ダンストの『エリザベスタウン』もクロウ監督作品だったとは。
さて,本作は妻であり母である女性をなくした家族3人が再起の場所として購入した新居が,動物園つきだったという事実に基づく物語。しかし,ちらっと原作本を立ち読みしたら,本当は動物園付きの家を購入し,開園するまでの過程で,この女性は亡くなったらしい。まあ,ともかくかなり脚色されたフィクションとして,それなりに楽しめる作品。『ザ・エージェント』もちょっとあざとい感じの盛り上げ方で涙を誘った作品だったが,本作もそんな感じ。映画で泣くのはちょっと久し振りだったが,主演2人のキスもちょっと無理矢理だった気もするし,長男と父親の和解はもうちょっと丁寧に描いてほしいきもする。でも,マット・デイモンはけっこうよかったかな。

7月13日(金)

久し振りに平日夜のライヴ。本当は金曜日は会社を休んでいるが,この週は水曜日に健康診断を受けて1日お休みしたので,この日は出勤。ちなみに,今回は府中市がやっている総合健康診査というのを有料で受けた。一応,この健康診断は人間ドックと称されている。普通人間ドックとなると行政ではなく,個人的に病院で申し込むもので,テレビドラマなどのイメージではCTスキャンなどもやるような1日がかりの大げさなものだが,そうではなかった。視力検査や聴力検査,肺活量の検査,胃のX線撮影などもあったが,調布市の時は40歳でこれとほとんど同じ内容が無料だった。ちなみに,これは一般16000円。私の場合は国民健康保険ということで,その半額。いやいや,バリウムがきつかった。前回はX線撮影前にコップ1杯を飲むだけだったが,今回は事前に小さなコップ1杯。いやいや,少なくて助かるなあと思ったら,移動するベッド(?)の横にも大きなコップがおいてあり,一通りグルグル回された後で,それを飲まされる。ほとんど拷問のようで,泣きながらやってました。その後の便も大変だった。
さて,そういうことで,会社で一働きした後で吉祥寺だったが,1時間ほど残業してしまい,19:30の開演時間には軽食を食べる時間しかなかった。しかし,stringの近くにヴェトナムのフォー専門店ができていて,なかなか美味しかった。日本ではベトナム料理屋の多くが飲み屋みたいになっていて,お酒を飲んだり,料理を何皿か頼んだりして,決して安く済ませることはできないが,このお店はファストフード的で,食事前に食券機で購入し,料理は5分ほどで出てくる。私は炒めた太めのフォーをいただいたが,他にもヴェトナム炒飯などのメニューもあり,またいきたくなるお店。

吉祥寺strings 大橋エリ
誕生日3日前に宮嶋みぎわさんによって企画された大橋エリさんの誕生日お祝いライヴ。私はみぎわさんにももう数年会っていないし,エリさんからお誘いのメールをいただいて行くことにした。stringsに行くのも2年ぶりくらい。2年くらいではほとんど変わりのない店内は落ち着きます。でも,ピアノを取り囲むテーブル席には禁煙のマーク。全席禁煙かは確認しませんでしたが,いいですね。
私は事前にお店のスケジュールで開演が19:30であることを確認して間に合うように到着したが,出演者よりも早かった。声で出演者の2人が戻ってきたことは分かったが,肩を叩かれ振り向くとみぎわさん。「後ろ姿で分かった。お久しぶりです」とのこと。みぎわさんの不手際で,お客さんへのお誘いメールなどの告知を20時スタートとしてしまったらしく,すでに来ているお客さんに確認を取りながら20時スタートに変更。
この日はゲストにウッドベースの高井亮士さんも迎えています。そして,この日はエリさんの誕生日というだけではなく,みぎわさんの壮行会も兼ねていた。といっても,本格的には彼女の主催するビッグバンドのライヴもまだあるけど,エリさんてきにはそんな感じ。まあ,私にとってもそんな感じ。みぎわさんはここ数年,ちょくちょくニューヨークに行っているので,はじめ話を聞いたとき「ああ,またか」と思ったが,今回はそうでもないらしい。なにやら国からお金をもらった正規の国費留学で一年間きちんと教育を受けてくるとのこと。覚悟も大分違うようです。
まあ,そんな感じのトークも交えながらのいつもながらの楽しいライヴ。しかも,お2人とも私がライヴに通いまくっていた全盛期によく聴いていたような懐かしの曲も多かったりして嬉しいステージ。お客さんのなかには私以上に久し振りにお2人と会うという人もいたし,エリさんへのお祝いのお花を持ってくる人もいたし,やはり女性同士はテンションの高い会話がはずんだりして,みぎわさんともいろいろ話したいこともあったけど,交わした言葉はわずか。でも,多くの言葉は必要ない的な感じで接してくれたことがなんとなく嬉しかった。そして,エリちゃんも自分の誕生日のライヴを他人が企画してくれるということが初めてだったらしく,少女のようにステージ上ではしゃぐ姿は素敵だった。

7月15日(日)

家族で立川に行って,お昼を改札なかのエキュートにある本屋のカフェで食べて,ルミネの上のキッズスペース。こちらはそんなに広くないけど,2歳までの年齢制限と玩具の充実さで息子もけっこうお気に入りの様子。立川は駅ビルや飲食店が充実していて,子連れだと新宿は敬遠がちだが,こちらだとけっこう楽しめる。献血ルームもあるし,映画館もある。ということで,14時まで遊んで疲れさせて,ちょこっとお茶をして私は映画館へ。

立川シネマシティ 『臍帯
たまたま映画チェックをしていたら見つけた作品。といっても,その頃にはすでに新宿武蔵野館での上映が最終日で,調べたら後日立川でやるというので,観たい作品は他にいろいろあったけど,家族で来やすい立川ってこともあってこの作品を観ることにした。市川 準監督作品『トニー滝谷』などをプロデュースしていた橋本直樹という人の長編初監督作品とのこと。『ハリヨの夏』で印象深かった於保佐代子さんが主演で,今井雅子さん共同脚本の『風の絨毯』の柳生みゆちゃんが準主演というのも魅力的。
作品ホームページには予告編もなく,ストーリーもごく簡単な説明しかない。臍帯(さいたい)とはいわゆるへその緒のことで,母親と子どもの結びつきがテーマ。ネタばれありで,少し詳しく解説しましょう。本編が始まっても,なかなか物語は進展しない。於保さん演じる女性が,高校生役のみゆちゃんがいる家庭の様子を日々観察しているという映像が続く。はじめは旦那さんとかつて関係を持っていたということをにおわせる。音楽もなく,台詞もほとんどなく,自宅と夫婦の職場である小さな漁港とを毎日行ったり来たり。ある日,主人公は女子高生の格好をして,みゆちゃん演じる女子高生に近づく。うまく騙して,監禁して,2人とも飲まず食わずの生活が始まる。娘の携帯電話に届いた母親からのメールに対し,「あなたの一番大事なものを壊してあげる。あなたが大事にしなかった娘より」というメッセージを返信する。ここから,回想シーン。要は,主人公はこの女性に捨てられた娘であり,その女性はその後今の旦那さんと結婚し,女児をさずかり幸せに暮らしていたという設定。娘の復讐はどういう結末を迎えるのか。
なんといっても,柳生みゆちゃんのがんばりがすごい。結局,飲まず食わずの生活は5日間続くのだが,あの可愛い顔がまさに死の直前を思わせる形相にまで変化するのだ。しかも,車に手錠で縛り付けられ,そこから逃れようとあがくシーンがあり,その後も体を張ったシーンが続くのだが,彼女の手足には多くのアザが。メイクによる演出家と思いきや,彼女のblogを久し振りに読んだら,なんと撮影の過程で実際にできたものらしい。朝ドラの『カーネーション』は珍しく女優としての本格的な仕事だったけど,あまり露出の多くない彼女。でも,高校を卒業して本格的に女優業に専念するのだろうか。そんな彼女の女優魂を観た作品だった。

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知的刺激

6月30日(土)

この日は講義を終え,大学の図書館で論文探し。いくつか読みたいものをコピーして,大学の購買部にあるパン屋で買って昼食。コーヒーとパン2つで340円なり。
この日はその後,駒場東大前まで移動します。東京大学の田中 純さんが企画した(?)シンポジウムに行くことにした。実は彼の文章はあまり読んでいないのだが,ゲルハルト・リヒター関係で読んだ『10+1』の文章に出てきたのが,リヒターと同じ作品名『アトラス』を残した美術史家アビ・ヴァールブルク。その『ムネモシュネ・アトラス』が田中さんを含め3名の手で,ありな書房から今年の3月に出版されたのだ。その出版記念シンポジウムということで,非常に楽しみにしていた。実は,前日の金曜日は息子を連れて渋谷に出かけた。この出版記念で東急百貨店本店7階の丸善+ジュンク堂に特設コーナーができていたのだ。これも田中さんが企画し,その他3人ほどのセレクトによる『ムネモシュネ・アトラス』を読むための○○册,といった感じの棚が出ていました。しかし,残念ながら『ムネモシュネ・アトラス』そのものはどこにも見当たらない。この出版情報を知ってから,大きな書店にいくたびに探してみたのだが,いまだ実物には出会えず,という感じでこのシンポジウムで見ることができるのも期待して。
私は開場間もない時間に到着しましたが,既にぼちぼち人は入っています。この感じだと混み合うこと必至だったので,最前列の席を確保。前方には『ムネモシュネ・アトラス』の全63のパネルをA4サイズに複写したものが螺旋状に立てかけられたり,一部のものがほぼ全寸大に拡大されたりと,楽しげな仕掛けがいろいろあります。この日本語版『ムネモシュネ・アトラス』の内容を私は勘違いしていましたが,ドイツ語版として出版されたパネルとそれぞれの図版の説明は翻訳されたものですが,それぞれのパネルに対しては田中さんを含む3人が分担して1パネル数ページにわたる解説文をつけています。よって,ページ数も相当たるもので,価格は24000円(税抜)。さすがに即決では購入できませんが,この日はその執筆者3人が登壇して,それぞれの『ムネモシュネ・アトラス』論を展開。その一部はやはり巻末に収録されたものだということで,単なる翻訳ではなく,日本におけるヴァールブルク研究書ということで,非常に欲しくなった次第。

7月1日(日)

翌日は朝一で映画に行かせててもらいました。久し振りに池袋まで。

池袋シネ・リーブル 『シグナル〜月曜日のルカ
なんとなく,どうしても観たいと思っていた日本映画。『愛のむきだし』の西島隆弘が出演しているというのはそれほど大きくなかったが,ヒロインの三根 梓が映画初出演で主演級ということもあって,その独特な顔に惹かれるところがあったのかもしれません。その彼女が映写技師として古い地方の名画座で働いているという設定も映画ファンとしては嬉しいのかもしれない。名画座といっても,日本映画が輝かしい時代のもので,私にはあまり馴染みはないんだけど。でも,ひとつ残念だったのは,彼女が台詞のなかで,「映画はみんなデジタル化されて映画技師なんて必要じゃなくなる」みたいなのがあるんだけど,この作品もきちんとデジタル上映だったのがかなり残念。ネタばれしてしまいますが,「月曜日のルカ」というのは彼女のこと。彼女の心に深い傷を負わせた男性を演じるのははまり役の高良健吾。この田舎でモテモテ役で7人の女性と同時に付き合い,それぞれ曜日を決めて会っていたという設定。なかなか非現実的な設定が面白い。本作は原作があるようですが,なかなかいい物語ですね。やっぱり観て良かった作品です。

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表象空間の近代

李 孝徳 1996. 『表象空間の近代――明治「日本」のメディア編制』新曜社,342p.,2900円.

本書の読書日記を書くにあたって,新曜社という出版社について書こうと思った。大学院に入りたての頃は社会学関連の図書をよく読んでいて,新曜社の本もけっこう読んだ記憶があったからだ。しかし,書棚をよく見ると実はあまりないことに気づいた。本書で6冊目。せっかくなので,列挙してみよう。

バーガー,ルックマン『日常世界の構成』(1977)
ライター『エスノメソドロジーとは何か』(1987)
シャルチェ『読書の文化史』(1992)
西川長夫『地球時代の民族=文化理論』(1995)
ケーシー『場所の運命』(2008)

バーガー・ルックマンは最近新訳も出た名著で,私も1994年の論文で活用させてもらった。エスノメソドロジーはこの本で一時期はまってしまったが,結局研究には活かせていない。シャルチェの本を読んだ頃はアナール学派の歴史学にはまっていたころだ。日本でシャルチェの著作も相次いで翻訳されたが,最近はあまりされていませんね。西川氏の本の頃になるともう最近なので,この出版社をあまり意識するようにはなっていない。ケーシーの本は原著で読んでいて,読み返すのは大変だなあと思っていた頃に翻訳が出てありがたいと思ったが,この出版社でしたね。
ともかく,私の読書関心も変化するように,出版界でも分野のはやり廃りがあり,この出版社もそれに対応するように,社会学から歴史学,哲学の本も扱うようになっているのでしょう。西川氏の本は歴史よりだし,なによりもこの李氏の本が西川氏の本と同じ時期に出版されたというのもうなづけます。
と,前置きが長くなりましたが,本書の存在は出版当時から知っていたものの,日本の近代史を真面目に勉強するつもりはなく,そのままにしておいた。最近,古書店でたまたま安く売っていたので買ったところ,最近読み込んでいた風景・景観関係の文献のなかの一つで,その著者が風景の捉え方は本書に依拠するみたいなことを書いていて,この本は風景の本なの?と思い,手元のものをパラパラめくってみた。日本の近代期における風景というと志賀重昂の『日本風景論』の話だったり,柄谷行人の「風景の誕生」論が必読書とされたりで,視覚芸術としての話ではなく,文学における風景観という議論になりがち。でも,本書は冒頭に油彩による戦争画が掲載されていて,けっこう真面目に遠近法と風景画の関係などを論じていたりして,早速きちんと読むことにした。まずは目次を。

 序章
 第1章 境界と切断
第I部 「風景」の変容――「空間」の近代化
 第2章 アノニマスな風景の出現
 第3章 風景への視線――「風景画」の誕生
 第4章 言葉と風景――遠近法と言文一致
第II部 メディアの変容――経験の均質化
 第5章 「声」の変容――情報メディアと速記術
 第6章 視覚革命――複製技術の変容
 第7章 教育の変容――〈知〉の空間の均質化
 第8章 交通空間の変容――世界のパノラマ化
第III部 境界の変容――外部の顕現・内部の誕生
 第9章 権域の空間――近代国家「日本」の境界
 第10章 「国民」の輪郭――均質性と境界
 終章 表象空間と近代

こうして目次を打ち込んでみるとやたらと「変容」と「均質化」が使われているのに気づく。国民国家研究にありがちな日本の近代化におけるさまざまな分野の変容と,それに伴って国家内部が均質化するという議論だといってしまうと身も蓋もない。実際に読んでみるととても魅力的なので,目次は気にしない方がいいようだ。
本書は東京大学出身者ではたまにあるが,修士論文が本になったもの。現在は東京外語大学にいるようだが,なんと学部では生物学を専攻していたとのこと。といっても九州大学ですから,頭のできは違うんでしょうね。それが東大の表象文化論の大学院に入って,ちょっと所属は違いますが,木下直之や小森陽一,大澤真幸,佐藤健二,なぜか巻末の文献表からは抜けているが吉見俊哉や若林幹夫など,東大の先輩の業績を巧みに取り入れつつ,独自の論を展開しています。
私の修士論文もある意味でそうでしたが,やはり研究に対する熱意が違いますね。何か気になることがあるととことん調べ,しかもそれらを強引に自分の論理に引きつけていく。そして,それは研究内容だけでなく,「あとがき」に書かれていますが,研究自体を自分の人生の目的の一部とするような,そんな熱意を感じることができる本です。しかし,話がかなり大きいので,論を組み立てるのに用いた事例の多くは個別の経験的研究がなされているもので,一次資料によるものは少ないのも特徴ですが,まあそういう大風呂敷的な研究もあってしかるべきですし,そういう類の研究にしてはまだ修士論文ということもあって非常に謙虚であるともいえます。
また,すっかり内容の説明をしていませんが,是非本書は多くの人に読んでもらいたいですね。と出版後16年も経って読んだ私が偉そうにいえることではありませんが。そして,現在著者がどんな研究をしているのかも知りたいところです。

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青空感傷ツアー

柴崎友香 2005. 『青空感傷ツアー』河出書房新社,174p.,470円.

妻の書棚にあった柴崎友香もの2冊目はこれでした。
『その街の今は』と本書は語り手が1人。『きょうのできごと』は語り手が交互に入れ替わる。『その街の今は』はタイトル通り基本的に場所は移動せず,主人公の日常的な範囲内で収まっている。『きょうのできごと』は大阪に住む人々が京都に引っ越した友人を訪ねる設定。どこか明示はされていないが動物園なども出てきて,関西圏にいくつか舞台を持つ。それに対し,本作は主人公ともう一人の女性の活動範囲が広い。冒頭では東京発新大阪行きの新幹線で,主人公の芽衣と音生(ねお)の2人旅が始まる。3年勤めた会社を辞めた芽衣と,東京で恋人の二股が発覚して別れてきた音生の感傷ツアーってことだ。突然トルコに出かけることになった2人。旅の途中で仲違いしてしまうのに,帰ってくるとその足で徳島の温泉に移動し,そこで長期滞在をする。そして,また急に思い立って石垣島まで辿り着く。
まあ,それだけでも柴崎氏の作品としては大きな出来事の連続なのだが,ある意味では相変わらずドラマティックな展開はなく,淡々と物語は進む。ある意味で,これら3作品で作品中舞台の空間スケールが異なっているのは,地理学を専攻していたという作者のこだわりだろうか。トルコ旅行における主人公の視点も単なる観光客目線とは違ったものを感じます。
そして,今回も文庫版なので,解説文がついています。今度は長嶋 有という人物の解説だが,『きょうのできごと』の保坂和志氏の解説文が気に入ったらしく,勝手に続編にしていて,タイトルは「ジャームッシュ以降の作家・その2」と題された。そして,長嶋氏は次の人にもバトンをつなげたいとこの文章を結ぶ。この解説文でも非常に的を射たことが書かれていた。それは,私の『きょうのできごと』の読書日記とも相通じるし,私の研究活動の意義にも類似している。というのは,作者が解説者とのインタビューでの一言を引用して次のように書いていることだ。「これから世界がどんどん(閉塞した)管理社会になっていくとか,そういうことを(私は)信じていない」という発言だ。そして,長嶋氏もそれにひどく同意する。簡単にいうと社会に対する楽観主義だが,驚くべきことに文学の世界でもそうした楽観主義はあまり受け入れられないと長嶋氏は主張している。同じことは学問でも,特に私が属していると考える人文・社会科学で特に似たような風潮を感じるのだ。近年顕著になっている政治的な問題や社会的な問題を取り上げ,ユーモアなど排除して,文彩も排除して論文を書くのが研究者だと,そんな風潮があるように思う。でも,実はそれは間違いで,ヨーロッパの難民を研究している人や日本の日雇い労働者の研究をしている人は私と同様に,なかなか就職できないでいる。結局,大学側が要求しているのはなににつけても社会に波風立てないような知的刺激がほとんどないような研究者なのだろうか。まあ,それにしても読む人が読めば上の例は具体的な地理学者のことを書いているのがバレバレなのだが,彼らは少なくとも出版界からはある程度必要とされている。それに対して,私のような研究は全く必要とされているように思われない。メディアを研究していても最新のものでもないし,思想ぶった文章を書いていても,それは1970年代くらいの思想家で最新でもない。自分では政治的な批判を込めているつもりだが,それは決して分かりやすいものではない。むしろ,何気なくやりすごしてしまうようなもののなかに,批判すべき社会の本質が潜んでいるのではないかと,しかも一方ではそういう作品は地味に楽しむことができるような。
なんか,書いていて自分だけにしか分からないような内容になってきたので,この辺にしましょう。

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