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地理学の本質

ハーツホーン, R.著,山岡政喜訳 1975. 『地理学の本質』古今書院,240p.,3500円.

ハーツホーンは20世紀半ばの地理学者。雑誌『地理』の連載「20世紀の地理学者」(後に,竹内・杉浦編で単行本化される)に竹内啓一氏が「ハートショーン」という表記にしてからはその表記も用いられるようになった。ちなみに,私は竹内氏本人が「彼に会った時に名前の読み方を聞いたら,「角」のホーンではないと説明してくれた」といっていたことを記憶しています。
まあ,名前の呼び方はともかく,私の世代だと,ハーツホーン地理学というのは実際に読むことのない過去のものだった。一般的な説明をすれば,シェーファーという人がハーツホーン流の地理学に「例外主義」というレッテルを貼り,その個性記述的な方法論に対し,これからの時代は地理学が法則定立的な空間科学となるべきだと主張して,地理学の計量革命が始まったということになる。そして,わたしたちが教育を受ける頃には計量地理学もすっかり勢いを失い,計量地理学的な認識論や方法論を批判する地理学が台頭して数十年が経過していた。つまり,自分が依って立つ立場が批判する相手のことはある程度知っても損はないが,批判する相手が批判していた相手まで遡る必要はないように思われていた。
しかし,だからこそ神保町の古書店「明倫館」で本書を見つけたとき,恐らく1500円くらいだったと思うが,私は読まないまでも手元に持っていてもいいかな,という思いで購入していた。それが,なんと意外に早く読む時期がやって来たのだ。私は今(といっても,学会発表したのは昨年の11月のことだが),20世紀前半はおろか,紀元前にまで遡ってプラトンやアリストテレスと格闘している。私のライフワークの一つに場所研究があるが,プラトンの『ティマイオス』やアリストテレスの『自然学』に場所的なものの議論があるということを,現代の哲学者ケーシーの『場所の運命』という大著が教えてくれたのだ。場所の概念に当たるものは,プラトンの「コーラ」,アリストテレスの「トポス」というギリシア語であるわけだが,なんとこれらは「地理学geography」と深く関係する学問として,「地誌学chorography, chorology」,「地勢学topography, topology」として連綿と現代まで続いているというのだ。これはケーシーが教えてくれなかったこと。
つまり,紀元前の地理学者ストラボンからプトレマイオスが議論していた「地誌学chorography」はルネサンスの時代に復活し,17世紀のワレニウス,18世紀の哲学者カントから近代地理学の父フンボルトを経て,19世紀のドイツ地理学でChorologieとして隆盛を極め,ドイツ地理学を取り込むことでアメリカ地理学をもり立てたハーツホーンが自らの地理学をchorologyと呼んでいた,という歴史がある。シェーファーが批判し,その論争を簡素化して教育の場で伝えられる頃にはchorologyという分かりにくい表現ではなく,計量地理学の「空間」に対して,ハーツホーンが「地域」概念を強調していたこともあり,地誌学は「地域地理学regional geography」と呼び代えられていたのだ。

前置きがすっかり長くなったが,ハーツホーンは1939年に「The nature of geography」という論文を発表した。それは後に単行本化されるのだが,驚くべきことに,米国地理学会の学会誌を2号分占拠して,この論文は掲載されたのだ。タイトルだけ見ると,本書はこの論文の翻訳だと思われるが,実はそうではない。上述したハーツホーンを批判したシェーファーの論文が掲載されたのが1953年。ハーツホーンはそうした批判に答えるべく,新たな本を1959年に出版する。これも出版元は米国地理学会であり,タイトルは『Perspective on the nature of geography』というものであり,本書はその翻訳となる。なお,原著の書誌情報は訳書にかならず記載するものだが,なぜか本書には原著タイトルさえ記載されていない。早速目次をみてみよう。

I 序章――地理学の必要性とその目的
II 空間異相の岳としての地理学とは何か?
III ”地表”とは何であるか?
IV 異質現象の総合は地理学の特殊性であるか?
V 地理学における”意味”の尺度は何をもってするか?
VI 人文的要素と自然的要素の間に区別をつけねばならないか?
VII トピカルな問題の分野における地理学の分け方――自然地理学と人文地理学の二重構造
VIII 地理学における時間と発生
IX 地理学は”系統的”と”地域的”の2つにわけられるであろうか?
X 地理学は科学法則を樹立しようとするものか,あるいは個々のケースの記載をするものであるか?
XI 科学の分類からみた地理学の位置
XII あとがき

ちなみに,1939年の「The nature of geography」は『地理学方法論』として翻訳されているが,私はそちらはまだ読んでいない。しかし,当時の日本の地理学における反響とかを調べてみると,この本が相当のインパクトを持って迎えられたことは間違いない。近年では,この手の文献研究の成果というのは珍しくはないが,当時は地理学者がこの種の方法論的な議論に専念して一冊の本にまとめるということ自体が珍しかったようだ。おそらく,地理学史研究というのも一般的でなかったと思われる。なので,日本語訳のタイトルはその本の特徴をよくとらえているものだといえる。
実は,私は大学院に入学した頃,地理学史研究に一時期はまった。今では地理学史研究者といえば岡田俊裕さんくらいしかいないが,数十年前に書かれた竹内啓一,野澤秀樹,山野正彦などの論文が面白くて読みあさっていた。もちろん,古いところでは野間三郎さんの本もあったし,手塚 章さんの『地理学の古典』シリーズも持っている。地理学史にはロマンがあるなんていいかたもあるけど,私にとってはそれこそ国も時代も違う地理学研究から学ぶことは非常に抽象的な方法論であったり認識論であったりするということが,魅力的だったのだと思う。といっても,最近は地理学史研究が下火だし,そういうものを読む余裕もなくなってきたこともあって,久し振り。

でも,このハーツホーンの本はなかなか魅力的だった。しかし,実際私が知りたかったハーツホーン流のコロロジカルな地理学がどういうものかというのは,イマイチつかめなかった。やはり1939年の本も読まなくてはならないということだ。
ちなみに,索引では「コロロジー」の項目があり,15ページと35ページが示されているのだが,「地誌」と訳されているのがそうなのだろうか。でも,一方では「万有に関する知識獲得へのコロロヂカルな研究方法は,理論的にはさらに経験的知識の全分野にわたって拡大されることになる」(p.215)や「しかし,リヒトホーフェンにはじまる地理学の概念を地表の空間的な相異として復活したことから,再び(場所的に追求する)コロロジカルな接近としての考え方の必要が生まれたのである」(pp.217-218)という箇所もある。
また,VII章のタイトルにもあるが「トピカル」という表現を,ハーツホーンは単なる話題や主題としてだけではなく,アリストテレスの「トポス」,つまり場所的な概念でもあることを指摘しているのは素晴らしい。

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コメント

地理学史は,納得できるまで勉強したいとずっと思っているのですが,それこそ,大学の一般教育科目を担当する機会でもないかぎり,「おはなし」としてまとめるのは難しいのかもしれません…。放送大学の人文地理学の最終回に,杉浦先生が地理学史を講じられるということで,テキストをあえて買わずに期待しています。

投稿: やべ | 2012年9月 4日 (火) 22時10分

やべ君

あらそうでしたか。
私は納得できるまでというよりは,たまに興味が出た時に勉強して,飽きたらやめて,という感じかな。

勉強したことは直接研究に関わりを持たなくても損はないし,ここまでやったら終わりってのもないし,

それにしても,ハーツホーンを読んだら,それこそヘットナーとかラッツェルとか,翻訳が出てしまったからには読まなければならないですね。あの高価な本をどうやって入手するか...

投稿: ナルセ | 2012年9月 5日 (水) 18時50分

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