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2012年11月

久し振りライヴはしご?

この日は高宮マキさんからシークレットライヴのお誘いがあって、はじめは家族で行こうと思っていた。しかし、場所が馬喰横山で開演時間が19時ということで、日曜日ということもあり子ども連れで行くことは断念。でも、一人で行くのも寂しいのでライヴ友だちのTOPSさんを誘っていくことになった。
TOPSさんはその日の午前中、アン・サリーさんなどが出演する日比谷公園のイヴェントに行くという予定を聞いていた。妻は一度アン・サリーさんのステージを観てみたいといっていたので、昼間で無料ということもあって、家族で出かけることにした。

日比谷公園「土と平和の祭典」 アン・サリー
オーガニック食材の通販団体「大地を守る会」が中心らしいイヴェントで6回目とのことだが、規模を拡大して今年は日比谷公園で開催された。大地を守る会は加藤登紀子さんの旦那さんが始めたらしく、その娘さんで歌手のyaeさんが実行委員長とのこと。当然、yaeさんも登紀子さんもステージに立ちますが、そのつながりということでアン・サリーさんが音楽ステージのトップバッター。10:55から始まります。まもなく、TOPSさんとも会いました。しかし、息子はステージには興味を示さず、あちらこちらへ。私は彼について歩きます。幸い、野外の割には音響がよく、ステージから多少離れても、きれいに音が聞こえます。
このイヴェントは音楽が中心ではなく、食が中心ということで、昼食を物色します。食材がオーガニックということで、紙皿ではなく、食器持参を薦めていて、プラスティックの容器をレンタルしています。おにぎりや水団汁、鹿肉のソーセージなどでは物足りなく、カレーも食べ、その他味噌やほうじ茶なども購入。息子は食事中も落ち着かず、親の行動に背く方向に関心を寄せてばかり。ここまでくる途中もおとなしく電車には乗らず、夫婦とも拾う困憊状態。
申し訳ないが、息子を妻に任せて私は映画館へ向かう。

11月18日(日)
有楽町スバル座 『その夜の侍
夜のライヴまでは時間があるので、映画を1本。前日から公開されている作品。予告編を初めて観た時に観たいと思い前売り券を購入した作品。なんといっても主演の堺 雅人がこれまでにない役どころ。予告編ではかなりダークな印象の作品だったが、本編は意外にもコメディ的要素が強い。さすがに、もともとは演劇作品であったとのこと。
妻を交通事故で殺された夫が、服役を終えて出所した犯人への復讐をするという物語だが、最終的には「復讐」というものが何も生まないということをポジティブに訴える作品だと思う。まあ、この物語の場合は基本的に殺意を持った事件ではなく、交通事故ではあるので、その人間関係は偶然的なものに過ぎないという前提はあるのだが。田口トモロヲや谷村美月などの出演も嬉しい。

さて、ライヴまで随分時間があったので、東京駅まで歩くことにした。丸善に行きたかったのだ。その後、八重洲口の地下街で夕食を食べようと移動したが、なんとこの辺りは東西線の日本橋駅までも近いらしい。地下街できしめんを食べ、ライヴ会場まで歩くことにした。時間は30分以上あったが、なかなか長い道のりだった。暗くなってきて自分の歩いている方向も見失いがちだったが、この辺りは地下鉄の駅がちょこちょことあるので、なんとか開場時間直前に到着。まもなく銭湯上がりだというTOPSさんとも落ち合えた。

東日本橋Lotus8 高宮マキ
以前も、ここでマキさんはライヴをしたことがあったが、ここはヨガスタジオ。座席はなく、全くの板張りのフロア。今回はお尻が痛くならないようにタオルケットが用意してあります。今回のシークレットライヴとは、彼女の身近な人や、私のように知り合いになったファンの人を呼んでの無料ライヴ。最終的には投げ銭制となったが、かなり自由な雰囲気の短めのステージ。
今回はマキさんが出産後、「月ペン」という名前で活動しているミュージシャンたちを招いてのステージ。ロンドンからクマ原田さんを呼んでの4人のステージ。非常にパワフルな歌声を聴かせてくれました。私の知らない間にこのメンバーでCDを出していたらしく、そこにも収録されたかつての名曲「ミス・ソルト&シュガー」も歌ってくれた。40歳を前にして私は穏やかな音楽が好みになってきたが、こういうステージを聴くと、音楽の放つエネルギーを改めて感じました。

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シアターN閉館

11月10日(土)

府中TOHOシネマズ 『のぼうの城
この日は事情があって、府中で映画を観ることになった。TOHOシネマズでは公開して間もない邦画がいくつかあったが、どれにしようか決める決定的な魅力をどれも欠いていた。選択肢は4つ。『のぼうの城』、『北のカナリアたち』、『終の信託』、そして『黄金を抱いて翔べ』。迷った挙句、当初はこのなかでも一番観るつもりのなかった『のぼうの城』に決定。なんとなく、事前にもっていた情報が一番少なかったので、意外性にかけてみた。
結果としては正解だった。私はあまり日本映画にエンタテイメント性を求めていないが、近年私が観たなかでは最もエンタテイメント性に優れる作品だったように思う。しかも、史実に従っているというのだからまたすごい。ある意味では現代の事実を基にしたものよりも、製作側の解釈の幅が広いともいえる。実際、その舞台となった「忍城(おしじょう)」とは現在の行田市にあったらしい。私が通っていた高校は加須市にあって、行田市居住の友だちも多かったので、親しみがある。
私は時代劇好きではないし(嫌いというわけではないが)、野村萬斎主演というのもちょっと拒否反応を起こしていた。しかし、観てみれば、彼の出番は決して多くはなく、その少ない彼の出番は彼でなければ演じることのできない演出に仕上がっていた。むしろ鑑賞者が感情移入しやすいのは佐藤浩市演じる人物。上地雄輔という私の苦手な人物の出演もあったが、山田孝之の存在で何とか我慢。壮大な戦の場面はもちろんCGを使ってはいるが、さほど気にならない出来だったし、とにかく、マイナス面よりもテンポのいい進行と躍動感ある映像で引き込まれる作品だった。最後のエンドロールで、現在の行田市に残る忍城とその戦の痕跡の映像が流されるというのもとてもよかった。


11月15日(木)

この日も渋谷の献血ルーム「SHIBU2」で成分献血の予約をしていた。前回同じ場所で献血した際に、DVDで観たテレビドラマ『ホタルノヒカリ』をまた観たくなったからだ。前回は10時からの予約で、出かける前にバタバタしたので、今回は11時にした。しかし、そうなると渋谷で都合の良い映画の上映時間を探すのが大変で、なんとなく献血ルームに近いシアターNのスケジュールを確認すると、『トールマン』という映画が気になった。この映画館は最近ホラー専門館となりつつあり、あまり観ていなかったが、この作品だったら観ても大丈夫だと思い、とりあえず予告編を観ることにした。すると、最後に「シアターNクロージング作品」とある。調べてみると、なんとシアターNは12月で閉館とのこと。
この映画館はかつてはユーロスペースであり、その頃はよく通った。まあ、ミニシアターの初期の映画館だ。天井が低く、客席に高低差がないので、後方の座席では前方のお客の頭が気になるような映画館だった。でも、ユーロスペースが移転した後もつぶさないで、別の映画館となることが決定して嬉しかったことを覚えている。結局、シアターNとなって7年間の間に数えるほどしか観なかったけど、なくなってしまうのは残念だ。私はホラー映画を好きではないが、特定のジャンルに特化した映画館というのも面白いとは思ったのだが、やはり経営は厳しかったのだろう。

渋谷シアターN 『トールマン
主演は新ヴァージョンの『トータル・リコール』のヒロイン、ジェシカ・ビール。日本映画でも子どもの失踪をテーマとした作品はあるが、本作は米国の炭鉱が閉鎖された田舎町が舞台。予告編を観ただけでは、本作がホラー映画かどうかは不明。そういう意味でも、子どもの失踪の謎がどのような形で解明するのか、期待と不安で観始める。
まあ、なんとなく途中で結末が読めてきてしまうが、展開はなかなか面白くて、最終的に私の読みが当たってしまったが、特に残念感はなく、そこにいたるまでの過程の描き方が良かったと思う。この映画館としてのクロージング作品としては相応しかったのかな。

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最近の息子

息子ネタ続きですみません。
現在の彼の状況など。言葉少なな私とは違って,ともかく息子はおしゃべり。生まれた後からよく泣いていたので,声帯が強いのだろうか。でも,私もよく泣いていたけど,喉は弱いし。まあ,ともかくよくしゃべるので言葉の発達はそれなりです(けっして良いわけではない)。今より小さい頃は男の子が夢中になりがちの電車や車にはあまり興味がなかった彼ですが,最近はすっかり電車好きです。訳もなく,「でんしゃ」「しんかんせん」などと口走り,毎日のように眺めている電車の本も,見るたびに何を驚くのか,「おっしんかんせんだ!」と叫んでいます。歌を歌うのも好きなようで,覚えた歌はもちろん,何の歌かよく分からないようなものまで歌っています。創作なのだろうか。言葉を覚えるといっても,間違えて覚えているのも多い。「おなか」を「おかな」,「おむつ」を「おつむ」,「おばけ」を「おかべ」。その間違い方が面白い。この時期は次の段階として2つの単語をつなげることができるというが,まあ標準的に「みかん食べる」とか「お父さん来ないね」などと話しています。私の目の前で「お父さん来ないね」というので,私のことを「お父さん」と認識している訳ではないのかと思いきや,まあそれなりには認識しているようです。
標準より背は低く,体重も少ないのですが,その短い足はよく発達しています。これまたよく走ってよく歩く。よく転ぶけど,きちんと手が先に出るので,運動神経,反射神経的には問題なさそう。でも,落ち着きがなく,親が行きたい方向に歩いてくれないというのは困る。けど,仕方がありませんね。トイレはまだまだ覚えそうにありません。最近は遊びに夢中だと,おむつ替えも「いらない」というし,「おしっこ出る」というからトイレに連れて行っても,言葉と行為は一致していません。
最近はクレヨンを買って,お絵描きをして遊んでいますが,わたしたちと一緒に遊んでいる方が楽しいようで,一人で夢中で遊ぶ時間もありますが,まだまだかまってもらわないと不機嫌になったりもします。
スプーンとフォークもそれなりにうまく使えるようにはなりましたが,毎回の食事がうまく一人でできるわけではない。よっぽどお腹が空いているか,よっぽど美味しいかでないとすぐに飽きてしまう。しかも,空腹に耐えられる訳でもないので,こちらの食事の準備と彼の空腹とが一致するというのが難しい。準備ができていないととりあえずなにか食べさせないと騒いでしまうし。「待つ」ということを覚えるのはかなり先のことですかね。

11月4日(日)

日曜日は妻がママ友の家に息子を連れて遊びに行くというので,私は映画二本立て。機会があれば観ようとは思っていた作品が夕方しかやっていないということで,この日は夕食を一人で外食することにした。

渋谷ユーロスペース 『よみがえりのレシピ
山形県庄内平野の在来野菜にスポットを当てたドキュメンタリー。在来野菜とは、例えば一般的に売られているきゅうりより色が薄く、太く短く、皮が薄く、苦味の強いきゅうり。同じきゅうりでもかつては日本全国地方によって、それぞれの特色を有していた。今でも京野菜や下仁田ネギなど、その土地固有の野菜がそれを一種のブランドとして市場に流通しているが、多くの在来野菜はそうした農産物市場の全国化、あるいはグローバル化の波に負けて絶滅していっている。上述したきゅうりも栽培しているのは一軒の農家。そのきゅうりは病気や環境の変化に弱く、手間がかかる。それに加え、形が揃わないことや苦味が強いなどで、その農家でも市場には出さず、自家用として栽培していたとのこと。それもそろそろやめようかというときに、地元の漬物会社がそのきゅうりの商品化に乗り出す。軌道に乗り出すには数年かかったようだが、消費者の嗜好の変化や有機野菜などへの関心から少しずつ広まっていく。
この映画では、その漬物会社の社長さんの他、在来野菜の保存に貢献したいく人かの立役者が登場する。一人の大学の農学研究者は自ら焼畑の実践に参加するなど、単にそこにあるものを研究するだけでなく、さまざまな実践を行っている。もう一人は地元でレストランを経営するイタリアンのシェフ。彼は地元産の野菜にこだわり、これまで漬物くらいしか調理方法のなかった野菜をさまざまな方法で調理し、生産者のモチベーションを高める。
まあ、そんな感じで、この映画は廃れていく在来野菜の生産が盛り上がりをみせている地域の成功例の紹介である。一つ、歯車がかみ合うと次々とそれは発展・拡大していく。それぞれの農家には後継者ができ、上述したきゅうりは地元の小学校で栽培されるようにまでなる。こうしたドキュメンタリー映画は野外調査に基づく研究に似ているとつくづく思う。現実社会には複雑な人々のネットワークがあって、研究者や映画監督がそのなかに入って過ごしているうちにそのネットワークの全容が見えてくる、といったような。
終映後、監督が登場した。けっこう若くて素朴な監督。若い割には腰を痛めているといっていたけど、今回は自分の地元を対象にしたようですが、次はどんな作品を撮るのでしょうか。

渋谷ユーロスペース 『恋に至る病
またやってきました、ぴあフィルムフェスティバルのスカラシップ作品。以前からこの日記でも、スカラシップ作品ははずれなしと公言していますが、本作はどうでしょうか。正直なところは予告編を観て、あまり期待していなかった。妻が「観てくれば」といわなかったら行かなかったかもしれない。でも、主演女優の我妻三輪子という子がなかなか魅力的だし、結局観ることになった。しかし、実はこの女優さん、『苦役列車』など、けっこう私も観た作品に出演していたとのこと。脇役でも映える俳優さんもいるけど、彼女はそうでもないのか。本作は、主人公が女子高生で、彼女が思いを寄せる理科の教師、そして染谷将太と佐津川愛美演じる同級生と、ほぼこの4人芝居。
ストーリーは予告編がほぼ全てなので、見ていただければ分かる(というか、こういう場で自分の言葉で説明するのは恥ずかしい)。確かに、いろんなディテールの設定は面白い。余計な登場人物も出てこないというミニマリズム的姿勢は素晴らしいと思うのだが、いかんせん上映時間が長い。この一言に尽きる。これが60分程度の中編映画だったら、さぞかし良かったのにと思う次第である。まあ、PFFスカラシップでの女性監督は珍しいので、今後もオリジナル脚本で頑張ってもらいたい。

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息子,2歳

10月28日は息子の誕生日。2歳になりました。わたしたちの2年というとたいした出来事もなく、いつの間にか過ぎているようなものですが、彼のことを思い出すと、遠い昔のことのように思える。今年の誕生日は日曜日ということで、前日の土曜日に私の母親がわが家に遊びに来る。今回は武蔵野線に乗ってくるということで、府中本町から南武線で分倍河原へ行き、さらに京王線に乗り換えるという面倒を回避するため、府中本町まで息子と2人で迎えに行く。そのまま散歩がてら府中駅まで歩き、京王線に乗ればいい。
途中に大国魂神社があるので、ちょこっとお参りに行くと、七五三の家族で賑わっています。こういうの、我が家もやるのだろうか。まあ、やらないだろう。上機嫌な息子はベビーカーを自ら押しながら歩いていく。伊勢丹の前の空間で操り人形のパフォーマンスをしている大道芸人の前で息子は立ち止まって動かなくなる。それ自身に興味があるというよりは、少し年上の男の子たちが楽しそうに見ているので、自分も同様にしたい感じ。私の母は昼食がまだということで、その様子を見ながら、購入してきた松茸のおにぎりをほおばる。その後、私の図書館の用事に付き合ってもらったりして、ゆっくり時間をすごして帰宅。妻は毎年手作りの誕生日ケーキを作りたいというので、お留守番。料理まで任せてしまうと張り切りすぎて疲労困憊してしまうので、私が料理番。外食という手もあるが、やはりなんだかんだで落ち着かないので、夕食は自宅で。
昨年は皆で東京競馬場に遊びに行ったが、今年はなんと天皇賞とぶつかってしまった。しかも、天気が雨の予報ということで、予定変更で聖蹟桜ヶ丘へ。駅ビルのショッピングセンターならば雨は気にならないし、母は息子への誕生日プレゼントを購入したいというので、決まり。昼食は程よく空いているMUJIカフェへ。なんだかんだで楽しく過ごし、息子への誕生日プレゼントは、私たち兄弟が長く遊んでいたのがブロックだったということで、LEGOの幼児版、デュプロを購入。売り場ではほとんど興味を抱かなかった息子だが、翌日から夢中でお風呂にも入りたがらず、寝るのも嫌がるという始末。まあ、いいプレゼントだったようです。母は天皇賞の客の帰りで混み合う前にと早めに帰宅しました。私たちも昨年よりも家でゆったりと過ごせました。

10月25日(木)
新宿シネマート 『最終目的地

ジェイムス・アイヴォリー作品だが、なんと2009年の作品とのこと。真田広之が出演しているというのに、なぜ日本での公開がこんなに遅くなったのか。アイヴォリー監督といえば、『眺めのいい部屋』や『モーリス』、『ハワーズ・エンド』といったE.M.フォースター原作作品を多く手がけ、ヘンリー・ジェイムズ原作を映画化した『黄金の嘘』などもあるから、当然英国の人かと思ったら米国の監督でしたね。そういえば、カズオ・イシグロなどともよく仕事をしています。
本作も2002年の小説を原作にしている。ストーリーの概略を書くのは難しいが、試みてみよう。とある大学に勤める文学研究者がいる。博士論文の提出によってその後の昇進や研究費取得などがかかっているのだが、その内容は、生前に1冊しか作品を残さずに自殺してしまった一人の作家の自伝を書くこと。当然、その研究は遺族の承認を得るか得ないかで大きく意味合いが変わってくる。しかし、書面での依頼は断られる。諦めかけた主人公に、同じ大学に勤める恋人は、遺族に会うことを薦める。しかし、その地はなんとウルグアイであった。ということで、主人公は未亡人が住むウルグアイの人里はなれた地所へと赴くことになる。そこには、未亡人と、作家の愛人、そしてその娘。作家の兄とその同性愛のパートナーが住んでいる。未亡人には『トゥルーマンショー』のローラ・リニー、愛人にはシャルロット・ゲンズブール、兄にはアンソニー・ホプキンス、そしてそのパートナーを演じるのが真田広之。なんとも豪華なキャストだ。一方で、主人公とその恋人は私も知らなかった俳優。この未亡人は、作家自身が彼女に宛てた手紙の中で、自分の伝記は認めないということを綴っていたということで、その手紙は既にないが、頑なに他人による伝記の執筆には承認を与えようとしなかった。しかし、ヨーロッパから第二次世界大戦でウルグアイに亡命してきたユダヤ人である作家の両親のことを伝記的に創作したその唯一の作品『ゴンドラ』の理解には作家自身の個人誌の理解が不可欠だというのが主人公の考えなのであろう。実際、聞くところでも、作家には妻の他に愛人がいて、兄は同性愛者であるというスキャンダラスな話題には事欠かない。まあ、だから本人たちは人里離れた地所で引き篭もって生活をし、そうしたプライベートを暴露するような伝記に対しては快く思っていないというのも事実。
そんな感じの訳あり家族の物語だから、予告編はけっこう深刻な雰囲気が漂い、ちょっと観る気が失せてきたのだが、最終的には観て良かったと思う作品だった。というのも、このタイトル「最終目的地」の意味が最終的に分かるような作品になっているからだ。妙に込み入った構成になっている原作はおそらく、この最後の落とし所のための伏線といったところだろうか。まあ、簡単に言うと、この家族(?)たちはさまざまなしがらみの中でお互いを縛り付けるように生活をしていたのだが、誰もが望む人生の最終目的地を持っていて、それに気づくことができれば、誰もが犠牲になることなく、その最終目的地に辿りつくことができる、という教訓を与えてくれる作品でした。

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人間の測りまちがい

スティーヴン・J・グールド著,鈴木善次・森脇靖子訳 1989. 『人間の測りまちがい――差別の科学史』河出書房新社,444p.,3900円.

本書は随分前から読んでみたかった1冊。確か,どこかのブックオフで発見して最近購入。ここ最近,執筆中の論文関連の書籍しか読めていないが,たまたま思い立って読んだ。前から観相学に興味があって,骨相学や優生学も学んでみたいと思っていた。観相学については高山 宏氏の文章をや彼が訳したウェクスラー『人間喜劇』も読んでいたが,これらの歴史は研究者としての興味というよりは,人間として知っておくべきことだと思う。21世紀の現代になっても根拠のない人種差別は後を絶たないが,歴史的には科学がそれに力を貸していたのだから,これほど怖いことはない。そして,本書を読んでみて分かったのは,こうした研究の多くが社会史的研究であるのに対し,本書は副題にもあるように,科学史という立場を貫いているところが他の人文・社会科学的研究と一線を画する。まずは目次をみてみよう。

第1章 序文
第2章 ダーウィン以前のアメリカ人における人種多起源論と頭蓋計測学――白人より劣等で別種の黒人とインディアン
第3章 頭の測定――ポール・ブロカと頭蓋学の全盛時代
第4章 身体を測る――望ましくない類猿性の二つの事例
第5章 IQの遺伝決定論――アメリカの発明
第6章 バートの真の誤り――因子分析および知能の具象化
第7章 否定しがたい結論

科学史というアプローチを採用しているが故に,本書の構成も非常に分かりやすい。本書に一貫したテーマは,人類の優劣を,人種や民族という単位で計量化する科学の歴史である。前半は人間の肉体的な性質の測定,後半は精神的な性質の測定に当てられる。もちろん,歴史的にも測定の容易な前者から難しい後者へと移行している。本書では主にアメリカ人の研究を中心に論じている(観相学や優生学がヨーロッパ中心であるところも異なる)が,頭蓋計測学は19世紀末にまで遡れる。
その頃のことだから,頭蓋骨の大きさの測り方も非常に素朴で,ある意味で面白い。なんと,頭蓋骨そのものにカラシの種子や鉛玉を入れて計測しているのだ。
そして,上記の社会史的研究はさまざまな社会的な言説を用いて論を組み立てるのが一般的だが,本書は歴史的な研究を,かれらが用いた資料をなるべく原データにまで当たり,それを同じやり方で計算し,データ作成の誤りや,その分析手法の誤りを一つ一つ検証するのだ。その根気には敬服する。ちなみに,本書の著者は個性物を対象とした進化論生物学者だが,単線的な進化論ではなく,それを複雑化しようということらしい。また,因子分析などの多変量解析にも長けていて,本書でもその詳しい解説がある。地理学でも一時期多変量解析を好んで使用していた時期もあり,私の学部時代にはそんな教育も受けたことがある。
そういう箇所などはなかなか読み進むのが大変だったが,やはり実りある読書だった。

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