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2013年3月

ご当地ソング,風景百年史

溝尾良隆 2011. 『ご当地ソング,風景百年史』原書房,242p.,2000円.

本書は1999年に東洋経済新報社から出版された『ご当地ソング讃』の改訂版である。1999年に『ご当地ソング讃』が出版された当時,私は手に取らなかったが,山田晴通氏が『地理学評論』に書評を書いていたので,この本のことは強く私の記憶に刻まれた。昨年,私はちょっとした音楽研究を書いていたので,この本を探してAmazonで検索してみると,出てきたのが2011年に出た改訂版だった。山田氏の書評は,この本が貴重なデータに基づきながらも,それを学術的なレベルまで高めていないことを嘆いていたので,今回の改訂版でその指摘にどの程度対応しているのかも気になって,購入することにした。とはいっても,まったく山田氏の意見を取り入れることはなく,単にデータのみを最新版に更新したものであることだけを確認して,きちんと読むことはしなかった。そう,実は読まずに文献表に挙げたのです。でも,購入はしたので読まなくては,ということで,今回読んだ次第。

序章 ご当地ソングの魅力と威力
第1章 魅力あるまち,日本列島うたの地図
第2章 ひとの集うあこがれのまち,うたのまち
第3章 うたによる文化おこし,まちおこし
第4章 ご当地ソングにひそむ果たせぬ心情
補論 日本の「うた」の定義,資料,時代区分

1999年の表題が「ご当時ソング讃」とあるように,基本的には批判的スタイルによって書かれたものではない。観光研究を専門とする著者は一般的な地理学に漏れず自身が旅行好きなようだ。研究も兼ねてさまざまな土地を訪れ,その土地の料理を食べ知識を増やす。その延長線上でその土地について歌った歌についての知識を増やしていく。そんな結果できあがったのが本書だといえよう。でも,それは質的なものではなく,きちんとしたデータに基づくものであり,補論にもあるように彼なりに「ご当地ソング」を定義づけてもいる。この辺が私とは正反対の立場だともいえる。歌の選出はなるべく客観的であろうとするのに,その評価はいたって素人的というか印象的なものにすぎない。時折学術論文への言及もあるが,これもまたひどい。著者名も示さなければ,雑誌名すら間違っている箇所もある。まあ,ただこういうテーマであればほとんどの読者は学術的なものを期待せずに単なる雑学自慢程度のものになるのだろう。

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文化とは何か

テリー・イーグルトン著,大橋洋一訳 2006. 『文化とは何か』松柏社,349p.,3500円.

日本語が出版された時にまた「やられた」という感じを受けたが当時は研究するモチベーションがひどく落ち込んでいた時で,ライヴ通いばかりしていた頃。もちろん,読書だけは欠かさずしていたわけだが,本書はあまりに私の研究に直接に関わってくるために,この時期に読むのは避けていた。というか,この頃はあまり書籍代もケチっていた頃で,読まずにいた蔵書を片付けていた次第。なので,本書の価格もさらに読まない理由にしていた。とりあえず,Amazonの「ほしい物リスト」に入れておいて,中古品が安くなったら購入しようと思っていた。
ようやく数年前に多少安い物が出ていたので購入し,読み終わったところ。一方,イーグルトンの本は『ポスト・モダニズムの幻想』の日本語出版が1998年,『アフター・セオリー』が2005年に出て,一応読んでいるが,なんとなくパッとしない印象を受けるようになった。その後も彼の著書の翻訳は続くが,自伝なども出すようになり,そろそろ晩年かと思いきや,ここ数年で立て続けに魅力的な本を世に出している。さて,2000年に原著『The idea of culture』として出版された本書はどうだろうか。まずは目次から。

第1章 文化の諸相
第2章 危機にある文化
第3章 カルチャー・ウォーズ
第4章 文化と自然
第5章 共通文化に向けて

文化の語源が,耕作するとか,動植物の世話をするとかいうところからきていることは知っていた。それが人間を養う意味にも転化していくわけだが,教え養うという意味での教養を意味するようになる。つまり,はじめは隠喩として,生物学的な表現,すなわち自然を表す言葉が,人間に適用され,次第に自然とは対極にある意味を獲得したという。そのちょっとした発想にさすがイーグルトンと納得させられた。つまり,文化は今日自然と対比する言葉となっているが,近年の文化論者はその文化/自然という二元論を克服すべき議論をしていたが,改めて語源を再考すれば,この二元論がいかに「文化的」なのかがよく分かる。
さて,『ポストモダニズムの幻想』の時もそうだったが,イーグルトンは近年支配的になっていく社会構築主義的な思想にも一定の距離を取る。何でもかんでも社会の構築物とすることは,すなわちそれが自然なものではなく人為的な,言い換えれば文化的なものとみなすことだが,これもが行き過ぎると自然主義と同じ考えに陥ってしまうという。イーグルトンの立場は,いかにわたしたちの生活の多くの側面が人為的な,ある意味「第二の自然」的なもので満たされたとしても,自然的なものは残されるという。その典型がわたしたち人間でも避けることのできない「死」である。まあ,こうして私の拙い言葉に置き換えてしまうと,当たり前のことに思えてしまうが,イーグルトンの語り口はとても刺激的である。
最終章では英国人らしく,英国人の文化論者であったT.S.エリオットの詳細な検討が含まれ,ちょっと理解しづらくなってくる。そして随所でレイモンド・ウィリアムズも登場する。また,本文では文化概念を大文字の文化と小文字の文化などと分けて議論するところもあり,この議論はウォーラーステインの『ポスト・アメリカ』にもよく似ている。また,最終章の議論は西川長夫の『国境の越え方』にも近かったりする。まあ,ともかく文化の研究者には必読書であることには間違いない。

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ハウスメーカーの注文住宅を選んだ訳

今回は表題にした件について書いてみることにしよう。

実際、土地を探し始めて分かったこと。といっても、全部で10件程度しか実物を見ていないので、私的な感想程度のものではありますが。例えば、私も20歳で一人暮らしを始めるとき以来、今住んでいる所まで、賃貸物件を探すという行為は4回行っています。賃貸物件は仲介する不動産業者の力量や、探すわたしたちの根気や偶然でいい物件を探すことができる。もちろん、住む人が住宅に何を要求するかも変わってくるが、物件の価値と家賃とは必ずしも一致しないという感覚を持っている。
しかし、不動産業者によって扱う物件に差がある賃貸に比べ、土地はそうではないようだ。基本的に特定の業者だけが扱っている土地というのはないらしく、土地という商品の情報は、誰もがアクセスできるように開示されなければならないという。もちろん、売主から直接購入する場合が一番安く、仲介料は業者によって異なるが、基本的には一つの土地物件はどんな業者でも取り扱えるのだと、わたしたちの担当者は教えてくれた。
そして、実際に回ってみると、土地というのはかなり物件の価値と価格とが一致しているように感じた。例えば、新しく整地された開発地であれば、ほぼそのまま建設作業を開始することができる。その一方で、現在古屋が建っている物件は、それを解体する費用が生じる。また、長年住んでいれば、地盤にも変化が生じ、新たに地盤調査をすれば地盤改良費用が必要になってくる。わたしたちがお願いしていた価格帯の場合(土地だけで2000万円以内)、傾斜地に作られた造成地が多く、そういう場合は傾斜地の中で水平面を作るための擁壁が作られている。その強度は作られた時代の基準で、さらに劣化が進んでいる。こちらも場合によっては擁壁の作り直し、あるいはそれに負荷をかけないために建築側に工夫が必要になる。つまり、土地はもちろん場所によって価格が違うのだが、その時の販売価格というのは、そうした購入後に必要となる費用も含めると、ほぼ大きさ、日当たり、立地(駅からの距離など)などに見合った価格が決められているように感じた。
結論。土地を購入する場合にはこの3つの条件の何かを犠牲にする決断に迫られるということだ。最終的なわが家の金額はまだ決定していないが、この価格であればおそらくかなりいい立地のマンションが購入できるに違いない。つまり、立地を優先させるのであればマンションのほうがいいのかもしれない。ただし、価格面からいうと、もちろんマンションは比較的安いのだが、その後に支払う費用として生じる管理費というものは考慮に入れるべき問題だ。きちんと調べたわけではないが、マンションはあくまでも建物の一部を所有しているだけで、建物自体の維持管理費が生じ、さらにそれは建築年数が経てば経つほど高額になっていく。

さて、今度は一軒家の中でも建売と注文住宅の違い。住友林業も建売販売をしています。実際、わたしたちの近くでも販売中のものがあった。しかし、それは高額で手が出ないものだった。その分譲住宅は私の通っていた大学の近くだったので、それなりに土地勘があったが、それにしても高額だった。確かに、元はニュータウン開発のための土地が切り売り販売されていたものらしく、一区画の土地面積が比較的大きいということがあるが、現在私が住んでいる近所に次々と建っている建売はそれより随分安い。大手ハウスメーカーの人は大抵こういう業者を「建売業者」と呼んでいるが、かれらの話によると、こういう比較的安い建売物件は建物を1千万円程度で建ててしまうのだという。それに対し、例えば住友林業だとまあ最低2千万円程度、つまり建物に倍の金額が必要となるということだ。
なので、営業担当者の戦略は融資可能な金額をあらかじめ確認しておいて、住友林業での建築費用を差し引いた額で土地を探すというもの。その結果、わが家は実現に向けて進みだした。

ちょっと具体的な話に傾いてきたので、ここで軌道修正。
土地を先に購入して、その土地にあった住宅を設計していく場合、住友林業のように、注文住宅を請け負っている住宅メーカーか、地元の工務店か、あるいは設計を重視して建築家(あるいは建築事務所)を探すか、という選択肢がある。ちなみに、住友林業は住友グループという大きな企業体の一部なので、住宅建築に関わるいろんなことを一手に引き受けてくれる。例えば、土地探しは住友林業ホームサービスという不動産仲介の会社がやってくれた。社内でも営業担当者の次には設計を担当してくれる一級建築士の設計担当者、そしてインテリア担当者、こちらはまだ先だが、実際の施工に関しては現場監督の担当者がいる。さらに、わが家の場合にはけっこう外構(エクステリア)が重要なのだが、こちらは別会社で、住友林業緑化というところから担当者がつく。もちろん、土地の購入や外構はこれら関連企業にお願いしなくてはならないわけではないが、お願いしてしまえば全部ひっくるめて住宅ローンに組み込むことができる。
大手ハウスメーカーの場合は、その他のこまごまとした手続も代行してくれるというのがある意味ありがたいのだが、その辺はかなり余計なサービス料が発生していることも確か。また、注文住宅といっても細かな部分ではあまり自由が利かないということもあります。住友林業の場合は、建物そのものの品質の高さを売りにしているので、構造自体に費用がかかります。その結果、トイレやキッチン、お風呂、建具などに関しては、「標準品」というのがあり、そうでないものを選択する場合には「提案工事」といって、一気に値段が膨れ上がるということになっています。標準品として組み込まれたトイレやキッチンなどは住友林業で大量に仕入れているため、値段がかなり抑えられているという仕組み。
住宅の構造というのは、もちろん断熱や防音、地震や火災の場合、または長年住んだ場合の耐久性など、生活の根幹に関わるものではありますが、実際の住み心地という点では、あくまでも裏方的なところがあります。実際、新築マンションなどではキッチンやトイレの最新商品を組み込むことで、直接的な利便性を強調しているわけですね。
なので、いろんな注文を付けたいという場合はおそらく建築家を探してお願いする方がいいのかもしれません。その場合は建物の構造を犠牲にして内装や外装のデザインを優先させることも出来るでしょう。しかし、その場合発生した費用が全てローンに組み込めるのかということや、諸々の手続はどうするのか、など不明な点も多いです。でも、大手のハウスメーカーに負けじと、建築事務所や工務店も最近は頑張っているかもしれませんね。そういう選択肢を検討しなかったのは今更ながらちょっと後悔している点でもあります。

ただし、最終的には私が正社員でないという点がけっこう大きく、お願いする住宅ローンは「フラット35」というものなので、ある程度の建築物の品質が要求されるということで、他の選択肢の場合にローンがおりたのかどうなのかということはよく分からない。
ここまでが、わたしたちが大手ハウスメーカーの注文住宅を選んだことの後付の理由です。

さて,先日の『横道世之介』について書き忘れたことを一点。本作の音楽担当は高田 漣氏でした。彼はペダルスチール奏者ですが,有名なフォークシンガー高田 渡氏の息子さんでもあります。といっても,親の七光りなどではなく,独特の音楽センス(そしてファッションセンスがまた面白い!)で地道な音楽活動によって音楽ファンには広く知られています。まあ,この映画の音楽担当を彼がしているというのはエンドクレジットによって知ったわけですが,観終わってなるほどと思えるものでした。といっても,はじめからそのことを知っているのとは違って,意識して音楽を聴いていたわけではないのですが,振り返って思うと,映像の邪魔をしない音楽だったことは確かです。大抵のヒット映画は音楽が必要以上に場面を盛り上げてしまうものですが,本作はそうではありませんでした。そして,そんな彼の周りに集まってくる実力のあるミュージシャンたちが参加していました。ミュージシャンの名前を一人一人エンドクレジットに表示するというのも重要なことです。私はそこを見逃さないように,毎作エンドクレジットが終わるまで席を立ちませんが,大抵の映画は音楽担当者はもちろん示しますが,ここのミュージシャンまでは名前を挙げていません。この辺りも改善して欲しいところ。

3月22日(金)

さて,この日は前日に会社の仕事があまりないことが分かり,急遽お休みにさせてもらった。私の勤める会社は年度末が繁忙期。大学も春休みに入っているので,週4日契約ではありますが,この時期は週5日で勤務しています。それに加え,残業もけっこうしていたので,久し振りに一人で過ごす1日。映画2本と成分献血を予定しました。

東銀座シネパトス 『インターミッション
シネパトスという地下鉄の上の映画館が閉館になる。ということで,樋口尚文なる監督がこの映画館を舞台に最後の作品を撮影した。主演は秋吉久美子。若き夫に渋谷将太が扮する。竹中直人はフィクショナルな人物として出演しているが,多くの俳優が本人役で出演している。「インターミッション」とは舞台や音楽の「休憩」のこと。名画座宣言したシネパトスということで,歴代の名作が上映される合間の休憩時間に起こる些細なことをつなぎ合わせたという作品。まあ,実際カウンターでは本作のDVDを既に販売しているくらいだから,映画作品としての質よりも記念作品というところか。映画のなかでは,この映画館の閉館理由は耐震工事のためとされているが,本当の理由は分からない。まあ,ともかく長く続いた映画館の記録を映画という形で残すのは意義のあることだろう。

新宿に移動。今回も献血ルーム「ギフト」に行ってみる。新宿の街は休日と変らない賑わいだが,この献血ルームは閑散としている。予約なしで行ったし,次の映画の関係もあって,できるかどうか分からなかったが,全然大丈夫だった。

新宿シネマート 『マーサ,あるいはマーシー・メイ
続いて観た作品はこちら。アメリカ中西部(?)の独特の雰囲気を醸し出す作品で,予告編で非常に気になっていた。主人公のマーサを演じるエリザベス・オルセンはこの作品で注目され,出演作品が今後続くようだが,予告編でも非常に魅力的だった。そして,もう一人の中心人物を演じるのはジョン・ホークス。どこかで観たことがあると思ったら,同じような配役で『ウィンターズ・ボーン』にも出演していた。あまり細かい設定を語らない作品。
冒頭,マーサはある集団生活の場から逃走する。助けの電話をかけて迎えにきたのが姉。長期休暇の間過ごすという湖のほとりの一軒家で夫と過ごしているが,その家に居候になる。映画が進展するとともに,その事情がだんだん明らかになる。理由は分からないが,恐らくアルコール依存症になってしまったマーサは療養のためにある場所での集団生活に参加する。そこの指導者がジョン・ホークス演じるパトリック。彼はマーサが着くなり,名前を聞いて,「じゃあ,これからお前をマーシー・メイと呼ぼう」という。表向きは古来の地域社会のように皆が働き,健康で自給自足を目指すコミュニティのようで,参加する者は徐々に気を許していくが,実はそうではないというお話。まあ,よくありがちな設定ではありますが,なかなか面白いです。そして,エリザベス・オルセンがとても魅力的。今後も期待したい女優さんです。

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地下鉄のミュージシャン

スージー・J・タネンバウム著,宮入恭平訳 2009. 『地下鉄のミュージシャン――ニューヨークにおける音楽と政治』朝日新聞出版,373p.,2900円.

訳者は『ライブハウス文化論』の著者。私の下北沢論文の時はお世話になった著書で,論文発表後連絡も取ったが,なんと私が非常勤講師として通っている東京経済大学の大学院を出たとのこと。大学はハワイ大学とのことだが,大学院は日本だったんですね。まあ,本書のことは以前から知ってはいたのだが,宮入さんが訳しているということで,Amazonで安く中古を購入した。まずは目次。

まえがき
序章 地下鉄への冒険
パート1 地下鉄で音楽を奏でて
第1章 セットアップ
第2章 ビートがはじまる 歴史
第3章 パートナー 地下鉄のミュージシャンとオーディエンス
第4章 境界と架け橋 公共空間での関係
パート2 地下鉄の調和を求めて
第5章 ミュージック・アンダー・ニューヨーク 公式な援助
第6章 音楽と沈黙 地下鉄音楽の規制
第7章 巡回区域 交通警察
第8章 音楽と仕事 地下鉄の労働者
第9章 変化の期待
付録1 地下鉄のホームレス
付録2 ニューヨークのストリート音楽

原著者はどうやら大学院時代辺りで偶然からニューヨークの地下鉄で演奏するミュージシャンを研究するようになった女性のようだ。本書は4年間くらいの調査が元になっているとのこと。私の下北沢論文を投稿しても,学会編集委員会は本書のことをなにもいってこなかったが,やはりその論文に反映したかった本。ポピュラー音楽研究のなかでもストリートミュージシャンなどを対象とする際の必読書だといえる。
本書はそれなりの厚さがあり,その記述は多岐にわたっている。パート1では意外に歴史は古い地下鉄での音楽演奏の歴史が語られるが,これは地下鉄の歴史そのものでもある。また,付録にはストリート音楽そのものについての記述もあるが,本書はさまざまな社会学的テーマの交差点に位置するものだといえる。地下鉄,音楽家,オーディエンス,そして公共空間でのミュージシャンがオーディエンスからの「施し」で生計を立てているため,ホームレスというテーマもそこに加わってくる。そしてまた,ホームレスと類似した存在としてのミュージシャンをめぐっては,公共空間の統制・管理という問題も生じてくる。そのテーマについてはパート2で論じられる。
ただし,本書は社会学的なテーマを深く掘り下げるという点からすれば多少物足りない。地下鉄のミュージシャンをめぐる問題については詳しく知識を得ることができるが,著者はやはりかなりかれらの立場に加担しており,根本的な社会批判にはなりえていない,というところは本書の限界だが,それ以上に本書の成果は大きいといえる。

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今,家を決めた理由

家について書くのは実は昨年10月にも1回あって,今回が4回目になる。毎回の日記で少しずつ書いていけたらと思う。
消費税アップということで,住宅業界はにわかに忙しいらしい。3%から5%にアップした時も同じような状況があったという。わが家の場合は,消費税ごときで一生の買い物を決めるなんてことは考えてなかったが,結果的にこの時期になってしまった。でも,これはやはりなんだかんだ偶然の重なりとはいえ,必然だったようにも思う。私は今年で43歳。もう,35年ローンを払いきるには十分歳を取りすぎている。私の母親が私を産んだのが34歳の時だから,ローンが払い終わるのは私が今の母親の年齢に達している時だ。その時まで今の給料レベルを維持できるとは到底思えない。まあ,ともかくそういう意味ではこれ以上住宅購入を引き延ばしにはできないということ。
2つ目の理由として,これも私の年齢に関わることだが,ここ数年,大学の公募に積極的に応募してきた。ライヴ通いをしていた時期はそれで忙しいこともあったし,研究よりも自分の楽しみを優先させていたので,あまり地方の大学には応募していなかったが,子どもが生まれて彼が物心つく頃までには,アルバイトという肩書きを外してしまいたいということもあり,かなりマメに応募してきた。しかし,昨年も全滅。どうやら国立大学の給与体系は基本的に公務員のそれに従うらしく,新規採用教員であっても,年齢に従って給料が決まるという。だったら,新規で採用するには若い方がいいに決まっている。ともかく,私は大学に就職するにも歳を取りすぎている。ということで,無理なものにしがみついて家族に迷惑をかけるのもそろそろやめにしようと思った次第。今後はせいぜい新居から通える距離の大学にだけ応募することにしようと思う(一応,まだ諦めない)。

3月10日(日)

住宅購入の顧客として,わたしたちだけが忙しいと思っていたら,やはりこの業界全体が忙しいのか,わたしたちの家の担当の人たちも忙しいらしく,なかなか打ち合わせの調整ができず,週末に意外と余裕ができたり。ということで,上映時間の長い映画を観にいくことにした(妻は既に鑑賞済み)。

新宿ピカデリー 『横道世之介
本作は『南極料理人』の沖田修一監督作品。そういえば,本作の主演高良健吾君も『南極料理人』に出演していたな。『蛇にピアス』は観ていないけど,高良君と吉高由里子の共演がそれ以来と話題にもなっていた。吉高由里子のことは今や有名監督になってしまった園 子温の『紀子の食卓』で強烈な存在感を感じていたが,その後いきなりヌードということで敬遠して観なかった。
さて,いきなりネタばれではありますが,本作は以前新大久保駅のホームで起こった事件で犠牲になった日本人をモデルにしたフィクションが原作。この事件では同じく犠牲になった韓国人が取り上げられることが多いが,日本人というのは面白い。物語は主人公が大学入学を機に長崎から上京するところからはじまる。そのシーンの新宿駅では斉藤由貴がモデルとなったAXIAというカセットテープの広告が大きく貼られていることから,時代は1980年代後半のようだ。そして,主人公が入学するのが法政大学。
まあ,あまり細かく説明してもしょうがないけど,ともかくそういう細部がなかなか面白い作品。1980年代らしく,男子は皆シャツをズボンにイン。主人公はどんなことにも動じない,純真無垢で朗らかなイメージを醸し出しているが,常に汗をかいていて,意外にも自分の汗臭さを気にしている仕草など,言葉で語られはしないけど,映像はいろんなことを表現している。
一応ヒロインということになる吉高由里子はお嬢さん役ということで,どうかなあと私的には微妙だったが,他の女優陣で楽しめる作品。まずは江口のり子。ちょっとしか登場しないが,その存在感は素敵だ。個人的には朝倉あきという私は初めて観る女優さんが気になった。他にも,バブル期の髪型が妙に似合う佐津川愛美や水着姿を披露している黒川芽衣,なぜか吉高の母親役の堀内敬子。そうそう,伊藤 歩ちゃんの役どころは今までになく良かったな。女性陣に負けじと男性陣もなかなか良かった。
結局のところ,この作品の主人公は希に見る変った人間のようにみえながら,実は吉高演じる女性が後になって発する台詞にもあるように,「いたって普通の人間」でもある,というある種社会の本質をついているようなところがあるようにも思える。

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アカデミー賞受賞作を初日に観る

最近日記が滞っていたのは,週末が忙しいだけでなく,会社の業務も忙しかったから。まあ,今後は住宅ローンの支払いもあるので,家族との時間を多少犠牲にしても会社から解雇されない努力が必要となる。まあ,そもそもこの業界は年度末忙しいので仕方がないのだが。
さて,先日の日記で「家を建てる」と書いたのは,建て売りの一戸建てを購入するのではなく,注文住宅を建てるからだ。お願いするのは住友林業。まあ,日本全国で木造一般住宅の建設数は日本一だというから最大手ではある。注文住宅ということで,毎週のように建築士との打ち合わせがある状態。
そんななかで,連日残業も続いていたので,金曜日に午後半休をもらった。ふと思い立って仕事中にTOHOシネマズのスケジュールを見ると,なんと以前から観る気満々だった作品が初日を迎える日だった。通常は土曜日が初日で,初日に観るにはいろいろと大変だが,最近は金曜日という作品も多い。普段は私には無関係だが,これは観るしかないということで,12時に会社を出て,映画館のある街でパンを購入し,自宅から持参したコーヒーで映画館で昼食。

2月22日(金)

府中TOHOシネマズ 『世界でひとつのプレイブック
お目当ての映画とはこちら。後日,本作主演女優のジェニファー・ローレンスがアカデミー賞を受賞したことを知る。ジェニファー・ローレンスは『あの日,欲望の大地で』で初めて観て私好みの女優だったので,注目していた。ぱっちり瞳の美人ではなく,暗めの作品がよく似合う笑わない役どころ。しかし,きちんと芯の強さを持った演技。その直感は次の『ウィンターズ・ボーン』でも的中で,彼女の魅力は遺憾なく発揮された。そして,この作品でアカデミー賞ノミネート。こういう俳優はそれ以降意外にアカデミー賞には見放されたりするものだが,あっけなく本作で主演女優賞を受賞してしまった。でも,それも納得の存在感のある映画だ。
原題は『Silver Linings Playbook』で訳分からないが(調べたら何となく分かったけど説明するのは面倒),邦題はさらに意味不明。でも,そこがいいのかもしれない。主演は『ハング・オーバー』など,出演作の多いブラッドリー・クーパー 。私もけっこう彼の出演作は観ていますが,主演作品は初めてかも。以前から自分の感情を抑えきれないようなタイプの人間だったが,妻の浮気を目撃して精神のバランスが崩れ,躁鬱病に。そんな彼が立ち直るために近所の友人の妻の妹,これがジェニファー演じる女性だが,と出会って2人でダンスをすることになるという物語,その友人の妻を演じるのが,スクリーンで久し振りにみるジュリア・スタイルズ。なんとなく顔立ちや体つきもジェニファーに似ているし,なんといってもジュリアもダンス映画『セイブ・ザ・ラストダンス』で主演をしていたから,姉妹役にはぴったり,と一人マニアックな点で盛り上がる。
主人公の父親役にロバート・デ・ニーロってのが素晴らしい配役。その妻役の女優さんは確か,『アニマル・キングダム』という予告編しか観なかった作品で犯罪家族の元締めっぽい母親役を演じていてすごく怖かったので,それだけで笑えてしまう。まあ,ともかく主役の2人だけでなく,見所の多い作品。こういう作品がアカデミー賞で話題になるってのはいいことですね。そして,なんといってもジェニファーちゃんの魅力が存分に楽しめる作品。大げさに名作と呼ぶような作品ではありませんが,日常的なエンタテイメントという意味で注目すべき映画。

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暴力・戦争・リドレス

米山リサ 2003. 『暴力・戦争・リドレス――多文化主義のポリティクス』岩波書店,229p.,2400円.

米山リサさんの名前は1994年に日本語が出版されたフジタニ, T.『天皇のページェント』(NHKブックス)の訳者としてだった。当時修士課程にいた私は本書と西川長夫『国境の越え方』で近代国家批判研究というものに目覚めた。そして,その後米山リサさんが米国で研究活動をしながら,広島原爆に関する著書を書いたことを知り,その一部が岩波書店の雑誌『思想』に掲載されたので読んだ次第。
彼女の文章も少しずつ日本語で読めるようになってきたが,本書のタイトルはちょっと私には難解で,その値段にしては買い控えていた。とりあえずAmazonの「お気に入り」に追加しておいて,中古品が安くなっていたので購入した次第。ここのところ,私は論文執筆のために直接関係のある論文ばかりを読んでいたが,ようやく最近単行本を読む余裕が出てきたので,早速読んでみた。結論的には非常に刺激的な読書だった。まずは目次を。

はじめに
第1部 知の政治性を問う
 第1章 「批判的多文化主義」の考え方
 第2章 変革的知のために――他者性の学としてのカルチュラル・スタディーズ
第2部 トランスナショナリティと文化研究の可能性
 第3章 記憶と歴史をめぐる争い――スミソニアン原爆展と文化戦争
 第4章 批判的フェミニズムの系譜と女性国際戦反法廷
 第5章 旅する記憶・感染する正義――世界正義のアメリカ化とリドレス

私が本書のタイトルを難解だと書いたが,それは「リドレス」という単語だ。これはredressという単語で本書では(補償)という訳語を充てていて,私の持っている英和辞典には「賠償」の訳語があった。本書のタイトルに「戦争」ともあるように,いわゆる戦後補償の問題が本書にも含まれている。実は私は自分の研究でも政治性などを謳っていながらいわゆる政治問題は苦手なのだ。戦争はその最たるものだが,自身の研究テーマにすることは考えられないし,他人の研究でもなかなか読むことができない。
本書がそういう私の「読まず嫌い」を脱却させてくれればいいのだが。といっても,前半は「多文化主義」をテーマとして,カルチュラル・スタディーズの議論をしている。やはり日本の出版界はカルチュラル・スタディーズも一時期の流行として既に忘れ去ってしまった感がありますが,第1章は多文化主義という切り口からで非常に刺激的。多文化主義という言葉もすっかり使い古された感がありますが,それはそれとしての意義がまだあることを感じさせてくれます。
第2章はある本に対する書評論文。それは,私もちょこっと聞きにいきましたが,ストュワート・ホールが来日した際に東大の安田講堂で開催されたシンポジウムを記録したもので,『カルチュラル・スタディーズとの対話』という本。私は持っていません。日本の戦争問題を研究している著者ならではの切り口がこれまた非常に新鮮です。カルチュラル・スタディーズのあり方自体が地政学的に考察できるということでしょうか。
第2部に入ると,だんだん難しくなってきます。第3章は太平洋戦争をめぐる米国(本書では一貫して合州国と表記されています。これは私の記憶ではアメリカ合衆国が州を合わせた国だから合州国だと本田勝一と主張していたのだと思う)と日本の関係の考察です。米国の中でもこの戦争に対する考え方が複数あって,それは対日本政策のみならず米国自体の内的政策にも大いに関係しているという視点は非常に勉強になった。そして,これまで部分的に聞いたことがあったスミソニアン原爆展に関しても知らない事実をいくつも知らされた。
第4章は日本が戦時中に行った「慰安婦」問題をめぐる裁判を事例としながらフェミニズムの複数形について議論されている。そもそも私が知らない史実と学説とが次々と出てくることもあり,なかなかついていけない。最終章も私には難しかったが,戦争責任を担う主体の問題については私自身も素朴に考えることがあったので,これまた非常に勉強になった。ともかく,刺激的な読書体験だった。

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都市の記憶

トニー・ヒス著,谷村秀彦・樋口明彦訳 1996. 『都市の記憶――「場所」体験による景観デザインの手法』井上書院,299p.,2500円.

ちょっと前に読んだので内容はかなり忘れてしまいました。同様の建築的な場所論として『場所との対話』という本はとても面白かったので,本書を古書店で見つけた時はちょっと期待して購入。本書の原題は『The experience of place』というのだ。しかし,実際には著者が建築家や建築研究者ではなく,ジャーナリストだったこともあって,ちょっと期待はずれだった。目次は以下の通り。

はじめに
I 都市空間の体験
1 環境を同時に知覚する能力
2 「場所」体験の連結性
3 新しい景観デザインの可能性
4 豊かな「場所」体験の創造
II 田園空間の体験
5 農耕のつくり出す景観
6 高速道路の建設が引き起こすもの
7 次の世代へ何を手渡すか
8 共有できる価値の創造
9 自然・田園・都市の連合体で考える
新しい始まり

目次だけみると一般的な議論が展開されるかと思いきや,都市について書かれた第I部はほとんどニューヨークの話。というのも,著者は雑誌『ニューヨーカー』の記者だったというから仕方がない。確かに,研究書の類もかなり読んでいる勉強家ではあるが,本文はかなりエッセイ的で,目次はついているが,それに対応した議論が展開されているわけではなく,淡々と続く読み物的な本でした。

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アルバイター,都内に家を建てる

最近すっかりこの日記の更新が滞っていますが,そんな理由です。
ドラマ化もされた有川 浩の小説『フリーター,家を買う』というのがありましたが(原作を読んでなければ,ドラマも観ていませんが),現在42歳になってアルバイト契約で働いているこの私が,東京都内に家を建てることになりました。
持ち家については以前もこの日記で書いたように,私は昔からその手の夢は持たずにきました。私の両親はマイカーを持つこともなければ(父の死後,母が気晴らしに免許を取り,一時期乗っていましたが)マイホームも建てることなかったのに対し,兄は早くから車に乗り,30歳台前半で新築一戸建てを購入した。そんな対照的な兄弟でしたが,私も今の妻と出会ってから,人並みのライフステージを辿ることになった。出会って数ヶ月で交際を始め,交際を初めて1年も経たずに同居することになり,それから1年も経たずに結婚をした。すると,これまた1年ちょっとで子どもが生まれ,それから2年ちょっとで家を建てることに。

まあ,このことについては追々日記に書いていくことにしましょう。とりあえず,たまった映画の感想など。

2月16日(土)

渋谷ヒューマントラストシネマ 『しあわせカモン
2011年のお蔵出し映画祭でグランプリを取ったという鈴木砂羽主演作品。名脇役の鈴木砂羽が主演するというだけで随分と話題性があると思うが,それだけで劇場公開が約束されるほど映画界は甘くないということか。ともかく,この映画祭のおかげで公開が決まったということで,楽しみにしていた。
しかし,観終わった後,年配の男女2人の男性が「これはお蔵入りだな」とぼそっといった感想には私もそれなりに納得。それが狙いかもしれないが,非常に古くさい作りである。本作は実話を基にしており,1980年代辺りを描いてはいる。しかし,映画の作りそのものを古くさくする必要はない。けっこう無駄に長く,映画というよりドラマ的。鈴木砂羽さんが一人で頑張っているという感じの映画。でも,後半はなかなかいい感じでした。前半の退屈さが,後半を盛り上げているのか。まあともかく観終わった感じは悪くありませんでした。

2月17日(日)

新宿ピカデリー 『さよならドビュッシー
完全に橋本 愛ちゃん目当てで行った作品。以前も成海璃子ちゃん目当てで観に行ったピアノもの『神童』ってのがありましたが,そんな感じを予想。後で知ったのだが,なんと監督は俳優の利重 剛さん。いやいやなかなかいい映画でした。特に,主人公のピアノ教師役として登場する清塚信也は,実際にピアニストということで,演技的にはぎこちないのだが,その変人ぶりが素なのか,よく出ていて存在感抜群。愛ちゃん自身の演技はどうかというと微妙ではあるが,映画としてはとても観応えがある。そもそも,原作が「このミステリーがすごい」とかなんとかいう賞で話題になったものだが,何がミステリーなのか疑問に思いながら観ていたが,最後で明かされます。おそらくミステリー好きにははじめっから分かってしまうのだろうけど,そういうのに疎い私はまんまとショックを受けてしまいました。こういうところは素直なんだな。でも,愛ちゃんの美しさが堪能できるのは間違いない。

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