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パンドラの箱

ドラ・パノフスキー,エルヴィン・パノフスキー著,阿天坊耀・塚田孝雄・福部信敏訳 1975. 『パンドラの箱――神話の一象徴の変貌』美術出版社,214p.,3500円.

芸術関係の論文を書いていることもあり,古書店に行くとそういう本が気にかかります。ということで,やはりパノフスキーですね。本書は珍しく夫婦連名で出版されたもの(元妻らしいですが)。原著は初版が1956年に出版されたもので,この訳本は本文が半分で,後は図版と注なので比較的コンパクトな本です。まずは目次から。

I 中世伝承におけるパンドラ
II 「箱」の起源――ロッテルダムのエラスムス
III パンドラと〈希望〉――アンドレア・アルチャーティ
IV パンドラと〈無知〉――ロッソ・フィオレンティーノ
V ローマ・プリマ・パンドラ,エヴァ・プリマ・パンドラ,ルテティア・ノヴァ・パンドラ
VI パンドラ,「みんなの贈物」――エリザベス朝の人々とジャック・カロ
VII ピトイギア――ヘシオドス対バブリオス他
VIII 浪漫主義,古典主義者,ヴィクトリア朝の人々
 舞台のパンドラ――カルデロン,ヴォルテール,ゲーテ,および古代後期の寓意

本書は著者が掲げる「イコノロジー研究」の一事例として典型的なものである。現代日本に住む私たちの多くも知っているような「パンドラの箱」。それにまつわる図像を歴史的に蒐集し,その意味するところを解明していくという,この21世紀に発表されてもおかしくない内容。といっても,私たちはその神話を浦島太郎の玉手箱のように,箱の中身が知りたい故に開けてしまうと災いがふりかかるというように単純に理解しているが,「パンドラ」とは一人の女神の名前である。そして古代においてはけっしてその女神は禁断の箱など有していなかったという。パンドラにまつわる詩的既述のまとまったものは『神統記』の著者ヘシオドスによる『仕事と日々』であるという。
確かに,図像の歴史においては裸体の女神が何か容れ物を持ったようなものがあったり,しかしそれは特にイタリアにおいては蓋のある箱ではなく壺であったりと,現代の神話と一致するものは少ない。しかし,そこが図像と言説との密接な関係というか,歴史が進むなかでさまざまな図像表現と言語表現とが結び合うなかで箱を持った女神パンドラという物語が生成されていく,ということが見事に論証されます。
しかし,この本のすごいところは,原著が10年後に改訂されるに際して補遺が追加され(本書は第二版の翻訳である),初版の誤りやその後新たに発表された関連論文などについてきちんと言及していること。やはりこうした著書を発表すると,関連する研究社からさまざまな情報が集まるんでしょうね。
さて,訳者のあとがきがまたなかなか面白い。パノフスキーは研究社仲間から「パン」という愛称で呼ばれていたらしい。そして,共著者である前夫人の名前はドロシアだが,愛称のドラという表記になっている。つまり,「パン」と「ドラ」で「パンドラ」であるという,そんなウィットもある著作なのかもしれないのだという。

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