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公共性の喪失

リチャード・セネット著,北山克彦・高橋 悟訳 1991. 『公共性の喪失』晶文社、497p.,5800円.

本書は原著が1974年に発表されたもので、1991年に晶文社から翻訳が出ている。この頃の晶文社は私にとって非常に魅力的な出版社であった。大学4年に上がるか上がらないかの頃、自分のなかでは就職活動の心の準備をしていたのだが、卒業論文のテーマ探しの際に晶文社の本をいくつか読むことで、学問そのものへの興味を深めていった。もちろん、そんななかで本書の存在も知っていたのだが、もともと読書家ではない私にとって、本書は厚く、当時は読む有気がなかった。その後、セネットの本は『権威への反逆』を読んだが、その内容はあまり覚えていない。とりあえず、目次から。

第一部 公共性の問題
 第1章 公的領域
 第2章 役割
第二部 旧制度の「公」の世界
 第3章 観客――見知らぬ人たちの集まり
 第4章 公的な役割
 第5章 「公」と「私」
 第6章 俳優としての人間
第三部 19世紀における公的生活の動揺
 第7章 産業資本主義の公的生活への影響
 第8章 「公」の場における個性
 第9章 19世紀の公的人間
 第10章 集団的個性
第四部 親密な社会
 第11章 公的文化の終焉
 第12章 カリスマは不作法になる
 第13章 コミュニティは不作法になる
 第14章 芸術をうばわれた俳優
結論 親密さの専制

読み始めてまもなく、その魅力に取り付かれた。学部卒業から修士課程に入学した当時は、社会学的なものに非常に魅力を感じていたが、社会学自体の衰退(こんな風に書いたら社会学者に怒られますが)に伴って、私の関心も徐々に移行していった。一時期は精神分析に、そして継続的に歴史学に、さらにその関心は徐々に美術史の方にと傾いている。
なので、非常に社会学的想像力に溢れた本書はある意味で新鮮で、ある意味で懐かしい感覚を抱かせた。近代以降の人間の生活の変化、移動性の増加、都市の発達などに伴って、公私の区分の変容、見知らぬ他者に囲まれていかに生きるかということが変容していくという議論は、社会学にとって主要なテーマであり、本書が頻繁に言及しているゴッフマンや訳者あとがきで著者の師匠筋とされているリースマンのみならず、アルフレッド・シュッツやゲオルク・ジンメルなども思い出すような内容が前半では続きます。
いわゆる学術書的な感じの文献参照や史実に関する厳密さはないが、まさに博学的知識から繰り広げられる多彩な議論展開に圧倒され、これまである程度読んだことのあるような議論ですら、非常に新鮮に感じます。しかし、本書はともかく長く、途中でかなり集中的に取り上げられている「ドレフュス事件」などは私が無知なせいか、よく理解できずに読み進むのに苦労した。直接引用できるような文章はあまり見出せなかったが、実り多い読書であったことは間違いない。また、著者の『無秩序の活用』なども読んでみたい。

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