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Approaches to landscape

Muir, R. 1999. Approaches to landscape. Macmillan: London, 310p.

景観というテーマには長い間関心を持っている。場所というテーマに関しては卒業論文作成という時から、ある程度明確な問いと回答を持っていた。その卒業論文が1993年に学術雑誌に掲載されてから、場所というテーマに関しては継続的に論文を発表してきた。しかし、一方で景観というテーマについてはなかなか明確な回答どころか、問いさえも漠然としたものだった。2001年には『風景の図像学』という論文集の翻訳に参加して、1980年代の地理学における景観研究の第一人者であった英国のコスグローヴの研究をある程度理解できたと思っていたが、まだ自らの研究として具体的に何をしていいのか分からなかった。ただ、景観に関する文献だけは集めたり読んだりしていた。本書の著者であるミュアは短い雑誌論文で知っていたが、コスグローヴやダンカンの強い主張に対して、どうにもはっきりしない書き方だったことだけは覚えていた。たまたま、どこかの書店の要所コーナーで本書をみつけ、購入したものの、ずーっと本棚の肥やしになっていた。
一方で、私は修士論文のテーマとして写真を選び、田沼武能という写真家の研究を行った。かなり長大な修士論文の内容を、テーマごとに小出しにちょくちょく雑誌論文として発表していたが、田沼作品の特徴ともあいまって、なかなか写真の画像そのものの分析をすることはできなかった。ようやく、2010年に発表した田沼作品に関する論文のなかで、コスグローヴの図像学的分析の意義が少し理解できるようになり、その後手をつけたゲルハルト・リヒターの風景画の研究で、ようやくコスグローヴの主張の全貌が把握できるようになってきた。その論文は投稿時からかなり難航し、いまだに審査中だが、ともかく手元にある景観研究の文献を読み進めるしかないということで、ようやく本書を読むに至った。まずは目次を。

はじめに
1. 景観史および景観遺産
2. 景観史の実践
3. 構造と光景アプローチ
4. 心のなかの景観
5. 景観、政治、権力
6. 景観の評価
7. 象徴的景観
8. 景観に対する美学的アプローチ
9. 景観と場所
あとがき

あとがきに書かれているが、本書はできるだけ景観研究におけるさまざまなアプローチに対して公平に向き合おうとしたものである。著者の専門は1章と2章に関わるような、景観史および景観考古学だという。上記したコスグローヴらの研究は7章で詳しく紹介される。地理学研究を中心に紹介されているが、私が勉強してきたものよりもかなり広い視野でさまざまなアプローチが紹介され、非常に勉強になる一冊だった。
景観史研究というのは実は日本でもけっこう盛んである。といっても、英国や米国で盛んなそれとは異なり、かなり独特なものではあるが。さらにいえば、それらについて私が精確に紹介できるわけでもない。言葉だけ書けば、日本では歴史地理学の一動向として、「歴史的景観の復元」研究という。しかも、ここでいう景観とはコスグローヴ流の視覚画像としてのそれとは違い、かといってドイツLandschaft概念のようなまとまりのある地域といったものとも違うような気がしている。どういうものがどこに配置しているのかということを復元して、歴史地図を作成すること、のようなものだと勝手に理解しているが、そんな単純なものではないだろう。
日本の景観史研究が京都のような歴史都市を対象とするのが多いのに対し、1章や2章で紹介されるような研究には自然環境の復元のようなものも多いようだ。私は理学部地理学科に入学し、当初は自然地理学を目指していたが(人文地理学なんて分野は存在すら知らなかった)、大学の講義よりも面白く読んでいたのは安田喜憲氏の『環境考古学事始』(NHKブックス)のような本だった。そのころは安田氏が地理学者だとは知らなかったし、地理学界のなかでかなり特異な人物だったことは後から知らされた。しかし、この本には考古学的調査などから得られた知見に基づいて描かれた過去何万年前の風景図が掲載されたりして、まだ恐竜などに対してロマンを抱いていた純粋な私にとってはとても魅力的だったのだ。前置きが長かったが、景観史といった場合の歴史の時間スケールが長ければ長いほどそこには自然の要素と考古学との共同というものが関わってくる。もちろん、この辺りには米国の地理学者サウアーなどの研究も登場します。
3章のタイトルにある「構造」から勝手に構造主義的な記号論に基づくダンカンの景観研究を思い浮かべたが、まったく違う研究動向でした。こちらも、2章からの連続性で捉えられるような研究で、例えばデーヴィスの地形学のようなものと関係します。つまり、表層としての景観を生み出す要因には深層の構造の理解が不可欠といった具合に、こちらでも自然研究が大きなウエイトを占めます。表層の光景としての地形と、深層の構造としての地質といった具合に。
4章に関しては、全く同タイトルの翻訳論文集がありますが、その著者であるポーコックとポーティウスが研究していたような、文学における風景記述や、視覚に限られない聴覚や臭覚、妄想の中の風景などを想像しましたが、やはりこちらも違っていて、3章と5章をつなぐ役割を果たしています。要は、5章の景観の評価という人間の価値判断の話に移る前に、景観は物質的な要素だけではないということですかね。
5章でようやく私の馴染みのある研究に移るかと思いきや,確かに冒頭でコスグローヴやダンカンの名前は登場するが,どちらかというと,大文字の政治がテーマらしい。でも,はっきりしていないのも本書の面白いところ。いくつかある事例の一番目はナチスドイツ,二番目はイングランドの景観庭園,三番目が風景画とくるが,風景画についても私の知りたいことについてはいまいち触れてくれない。
再度,6章では私の関心から離れるが,けっこう重要な章。そして,前半の2,3章と4章なども関連してくる。そもそも,地理学が人間の感情や心理を研究するようになったのは,環境知覚研究が大きなきっかけだったともいえる。社会心理学でも災害時の非難行動に活かすような研究がある。人間-環境関係という古い地理学のテーマを有しながらも人間精神を問題とするという意味においては当時の地理学には新しい方向性だった。まあ,そんな歴史的なことは本書には書かれていないが,良いとか悪いとか,美しいとか醜いとか,なかなか明確な形で判断できない景観という存在を評価する方法を模索する研究が本章で検討されます。
7章ではまさにコスグローヴ的研究の紹介で,一番理解しやすかったところ。8章ではさらに突っ込んで,6章の比較的客観性を求める評価に対して,いかにも主観的な美的基準で景観をいかに捉えるかという側面が論じられる。
最終章の9章は,まさに私も考えている景観と場所の問題。私の考えに近いものはなかったが,多くの景観論者が場所の問題も平行して考えていることが,多くの引用から確認できる。

ともかく,冒頭に書いたように,著者はかなり価値中立的な立場を貫こうと努力しながら本書を執筆していて,非常に誠実である。あまりにも自信に満ちて,自分の考えを強要しがちな本が少なくないのに対して,本書の著者は非常に控えめで,それでいて守備範囲がとても広い。刺激の多い本ではないが,知識として踏まえておくべきことが多く記録されている。

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