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新しい文章が発表されました

成瀬 厚 2014. 学会誌のあり方についての緒論.地理学評論 87: 73-76.

学会誌には発表されていますが,「フォーラム」という種別で,査読論文ではありません。当然抜き刷りも作っていませんので,全文掲載します。

まあ,こういう文章も著作権的には学会に属するので,こういうことはしてはいけないかもしれませんが,某Y先生もやっているし,学会員に限らず,多くの人に読まれていい文章だと思いますので,いいこととしましょう。

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学会誌のあり方についての緒論

成瀬 厚

「学会誌は学会の顔である」(竹山 1988: 45)という言葉は日本地理学会に当てはまるだろうか.この比喩は学会員の属性によって異なるだろうが,学会の何の役職にもついていない筆者のような会員にとっては,本会への入会意義は自らの研究を投稿し,また他会員の研究に触れる媒体としての『地理学評論』の存在なくして考えられない.

この比喩表現が意味するところが多くの会員の思うところであるならば,より良い学会誌を目指して会員同士が議論すること,あるいは一会員が自らの経験から何かしらの提言を行うことは,より良い学会のあり方を目指す意味でも必要だと思われる.その議論の場として『地理学評論』誌上を用いることも適切だと考える.東京地学協会の『地学雑誌』は1999年に「21世紀の地学関連学会誌を考える」という特集を組み,47学会58誌に対してアンケート調査を行っている(地学雑誌編集委員会 1999).この特集で,当時の日本地理学会編集専門委員長が『地理学評論』の状況について詳しく報告している(杉浦 1999).それから十余年が経過する間に,新たなwebジャーナルとしてのE-Journal GEOが創刊され(2006年),『地理学評論』が月発行から隔月発行になり(2008年),英文誌がwebジャーナル化された(2008年).『地理学評論』の掲載論文も掲載から数年後にJ-STAGEからダウンロードできる状況になっている.

しかし,杉浦(1999)が指摘した『地理学評論』が抱えていた以下の状況は今日でも改善されていないように思われる.すなわち,一つは完成度の低い論文が投稿されるが故に投稿から掲載までの期間が長くなり,それが原稿不足につながるという.完成度が低いのは投稿者の多くが大学院生レベルの若手であることを指摘しているが,杉浦は投稿者に若手が多く中堅が少ないということは問題視していない.もう一つは,『地理学評論』の誌面が学会員の構成を反映していないという指摘である.前者は投稿者に帰せられる問題とされているが,後者については「地理評の改組を検討する時期を迎えている」(杉浦 1999: 704)という提言として主張された.上記のいくつかの変化は改組の一部といえるかもしれない.

筆者は何度かの投稿経験を踏まえ,『地理学評論』の編集のあり方に疑問を抱くようになった.そこで,筆者が考えるより良い学会誌のあり方についての提言をしていきたいと思う.本稿では,他学会におけるこうした議論を紹介し,筆者が賛同するいくつかの提言を示すこととしたい.今日ではJ-STAGEという便利なツールがあるため,関連キーワードで検索することによって,本稿の主題に関わる資料を集めることが容易であると同時に,本稿の読者が同文献を入手することもできる.

まず,学会誌の編集委員長が就任時に所信表明をすることを恒例とする学会は少なくない(大河内 2013; 三野 2004).また,過去の編集長からの意見が寄せられる場合もある(小山 2006; 杉山 2006).そうした学会誌では編集委員長の権限が比較的大きいといえる.『地理学評論』は毎巻最終号に「地理学評論編集専門委員会から」と題し,査読者の名前とともに編集に関わる事項が報告されているが,これはあくまでも事後報告であると同時に,委員長名ではなく委員会名であり,それはある種の匿名ともいえる.また,その内容は定式化しており,編集専門委員会のメンバーが変わっても大きな変更はない.『地理学評論』は編集委員長の権限がさほど大きくないという印象を受ける.このことは,特定の人物が主導するような編集方針というものが,『地理学評論』には明確にはされていないということである.

『地理学評論』の誌面が学会員の構成を反映していないと杉浦は指摘したが,これは必ずしも掲載論文著者の構成が学会員の構成と一致することを意味しないと思う.自身の執筆した論文が掲載されなくても,学会誌を読むことで有用な知見が得られることを期待して入会している会員もいるはずである.そういう場合には,読者としての会員が読みたい内容が『地理学評論』に掲載されるかということが重要だといえる.つまり,学会員の意見を反映した誌面にすることが望まれるのではないか.いくつかの学会では,読者の意見を汲み取るためのアンケート調査を行っている(「エレクトロニクス実装学会誌」編集委員会 2011; 電気学会誌編集委員会 1996).

いうまでもないことだが,学会誌の編集は書店に並ぶような雑誌の編集とは異なり,その主たる機能は論文の審査である.よって,論文審査に関わる議論もなされている.中村(2012)は自身の経験も踏まえているが,一般的な論文審査の理想が整理されている.こうした議論は,初めて投稿する者に投稿規程に書かれない暗黙の了解とされているような重要事項を教えてくれる.江口(2001)は査読者の役割について,主に特定の外国語論文に依拠しながら査読する側とされる側への注意を促している.その内容は10項目にも及ぶが,そのなかから3点ほど列挙しておこう.まず,自分が査読者として適切かどうかを自ら判断し,不適切だと判断したら原稿を送り返す勇気を持つこと.次に,査読者と編集者の役割を明確に区分している.査読者は投稿原稿の採択か否かを判断するのであって,文章の校正をするのではない.最後に,投稿原稿に対する否定的な意見については,査読者が投稿者に対して詳細な説明をすべきだという.

論文審査について実名を挙げながら非常に厳しい議論を掲載しているのが『心の諸問題論叢』である.2009年のVol.4では「論文審査を検査する」という特集が組まれた(酒木 2009).この特集については,後半で詳しく紹介したい.『地理学評論』は論文著者に査読者名を知らせていないが,上述の地学雑誌によるアンケートによれば54誌中10誌は査読者名を著者に知らせている(地学雑誌編集委員会 1999: 747).恐らく,査読者名を知らせないというのは,実名では批判的な意見を出しにくいという風潮から,特定の個人同士の利害関係を生まない形での公正な審査を目指すものだと思われる.また,著者名が査読者に知らされる場合は公正とはいえないとも考えられ,『地理学評論』でも杉浦編集長の時期は投稿者名を外部査読者に伏せていた(杉浦 1999: 698).しかし,明らかにこれは名目上の公正であり,実質的には多くの場合投稿者名は文献表等から分かってしまう.近年のネット社会でも明らかになっている通り,時には人間は匿名の場合により凶暴性を増す.

以上,他学会における学会誌編集に関わる議論を紹介してきたが,それらから筆者は以下の3点について指摘したい.1点目は学会員によって学会誌とはどのような意義を持っているのかを学会が把握すること.2点目は1点目を把握した上で果たすべき編集委員会の役割についてである.3点目は論文審査についてである.

1点目は詳しく論じる必要はない.早急に学会員が望む学会のあり方を把握する必要がある.学会誌に限定しないところでいえば,年に2回行われる学術大会への参加者の動向を把握することなどは今すぐにでもできる作業だが,その情報は学会(集会専門委員会)に属する.学術大会参加者と発表者の関係,発表者の属性,学術大会で発表された内容のうちどの程度が『地理学評論』に投稿され,どの程度が掲載されるのか.後半に列挙したことは学会誌があれば誰でも集計できる.2点目については紙幅の関係上別稿に譲るものとし,本稿では3点目について『心の諸問題論叢』で提示された意見を詳しくみることにしたい.

この特集は心の諸問題考究会で開催されたシンポジウムで報告された内容である.多くの報告者が自らの投稿経験,そして査読者としての経験を提示しながら論を進めている.ただし,ここで提示されている事例は当該学会誌におけるものではなく,心理学を中心としたいくつかの学会誌におけるものである.報告者の多くが提言していることの一つが,「学会の責任において査読者の名前と査読内容を公表するべきである」(酒木 2009: 2)というものである.このことは,「誰に査読されているのか分からない不気味感」(田澤 2009: 14)を解消することとなるが,決して投稿者と査読者が対等な立場になるわけではない.「査読する側が優位にあり,される側が劣位にあるという権力的構造は,揺るぎのないものである」(田澤 2009: 15).つまり,投稿者と査読者は根本的に公正ではありえない.その上でお互いが責任を持った言動を行うことを可能にするのが,査読者の氏名と内容の公開ということになる.

別の観点では,「当該の論文が,その学会の対象としている学問領域の論文であるか否かの判定」(麻生 2009: 62)が論文の採択の大きな理由とされるという.この点は,心理学と地理学の類似点といえるかもしれない.『地理学評論』においても特に「論説」において,投稿論文にはオリジナリティが要求される.オリジナリティの定義については個々の査読者の理解に依存しており問題が多いが,オリジナリティとはいわばこれまでの地理学研究になかった何かを有するということである.よって,オリジナリティとは捉え方によっては「その論文は地理学ではない」という不採択理由にもなりかねない.

この特集のなかで,本学会の編集専門委員にも是非一読していただきたいのは實川(2009)である.タイトルにあるように,心理学関係学会誌に投稿されて不採択となった2編の論文について,その内容と審査資料とを約9万字を費やして詳細に検討している.實川の信念は明確で,「論文の発表は学会員の基本的な権利なのだから,〈研究成果を発表したいという投稿者の願いの実現〉こそが編集者の使命であり,〈平等に会費を負担する学会員の委託に応える〉仕事なのである」(實川 2009: 38-39)というものである.より具体的には,「疑わしきは投稿者の利益に」(實川 2009: 56)という審査の原則の確立が提示されるが,実際の審査では「疑わしきは投稿者の不利益に」(實川 2009: 55)という原則が確立しているという.實川が検討した審査資料における「不採択をはじめ,不利な結論の所見には,不満,非難,要求があふれている.しかし,その根拠はきわめて薄弱であったし,一貫性がなく,矛盾さえ見受けられた」(實川 2009: 53)という.本文には用いられていないものの,キーワードには「アカデミックハラスメント」の語が含まれているように,こうした論文審査の現状を支えている背景には根深いものがあることを實川は指摘している.学会誌に掲載された論文が論文著者の「業績」となり,大学教員の採用基準に用いられる一方で,掲載されてしまえば内容は問われないという風潮があるという.

こうした検討を受けた實川の提言も明確である.「投稿論文の原則的な全編公開と公開での査読を,すべての学会が行えばよいだけである.(中略)これによって,論文の質は確実に向上する」(實川 2009: 55).実は2つ目の事例として検討された論文は2誌への投稿が不採択になったものだが,この『心の諸問題論叢』の当該号に4編の査読論文とともに掲載されている.この『心の諸問題論叢』はまさに實川の提言を実践している学会誌なのだ.

『地理学評論』の審査過程は比較的細かく規定され,明文化されている.しかし,筆者の投稿経験およびわずかな査読経験によれば,査読者(および担当編集委員)は採択を5段階で示すことになっているが,投稿者にはそれは通達されない.また,筆者は同一論文を複数回査読したことはないし,實川が審査途中から査読を依頼された時のように,他の査読者および担当委員の査読結果は通知されたことがないし,最終的な採択結果も知らされていない.

投稿者としての経験では,査読者からの修正意見に対して修正できない理由を細かく説明しても(編集委員会所見ではそれが要求されている),それに対して返答がなされることはあまりない.あったとしてもただ「それでは不十分ですから再度修正を要求します」といった類の意見である.つまり,『地理学評論』の査読審査の過程は細かく規定されているようでいて不明瞭な部分は多く,また「閲読に関する内規」の3項に示されているような,具体的な検討項目は挙げられているものの,その審査の原則については明文化されておらず,個々の査読者の裁量に任されているといえる.

『地理学評論』において審査内容をウェブ公開することは求めないまでも,査読者の氏名および判定結果を投稿者に通知することや,査読者が修正意見に対する投稿者の回答に真摯に対応し,採択が決定されるまでは査読者にもその経緯を報告するというような改善が審議されることを筆者は要求したい.

文 献

麻生 武 2009. “良い論文というものは査読つき学会誌に掲載されるものなのだろうか?心の諸問題論叢 4 (1): 62-65

江口和洋 2001. レフリーの役割について.日本鳥学会誌 50 (1): 46-50

「エレクトロニクス実装学会誌」編集委員会 2011. エレクトロニクス実装学会誌の今後の編集方針について――読者アンケート結果(実装誌Vol.13, No.7, 2010)を受けて.エレクトロニクス実装学会誌 14: 73

大河内 博 2013. 有益な情報提供と新たな発見につながる学会誌をめざして.大気環境学会誌 48 (1): i

小山 修 2006. 学会誌への期待.日本健康教育学会誌 14: 1

酒木 保 2009. 投稿論文審査を〈検査〉する――論文審査に際して起こっていることと体質.心の諸問題論叢 4 (1): 1-4

實川幹朗 2009. どんな論文がどのように不採択となるのか――二つの事例研究から.心の諸問題論叢 4 (1): 27-61

杉浦芳夫 1999. 地理学評論Ser.Aの現状と課題.地学雑誌 108: 696-705

杉山幸丸 2006. 学会機関誌の編集方針についての提言.霊長類研究 22: 29-36

竹山和彦 1988. 学会誌のあり方.図学研究 43: 45-48

田澤安弘 2009. 論文査読の政治学.心の諸問題論叢 4 (1): 11-16

地学雑誌編集委員会 1999. 地学関連学会誌に関するアンケートの結果から.地学雑誌 108: 746-750

電気学会誌編集委員会 1996. 電気学会誌はこう読まれている――13月号読者モニタ調査の結果.電気学会誌 116: 614-615

中村好一 2012. 公衆衛生分野の学術誌における査読のあり方:査読に対する一つの私見.日本健康教育学会誌20: 131-137

三野 徹 2004. 学会誌のあり方の点検と編集の活性化に向けて.農業土木学会誌 72: 273-274

(東京経済大学非常勤講師)

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