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自然の社会地理

以下は投稿予定の書評原稿です。

淺野敏久・中島弘二編著:自然の社会地理

海青社,2013315p.3,800円(本体)

ISBN978-4-86099-275-0

本書は日本地理学会の「ネイチャー・アンド・ソサエティ研究グループ」から出版された全5巻本のシリーズのなかの1冊である。第5巻でありながら第1回配本で,以降予定通りの配本にはなっていないが,第3回配本分までは出版されている。

同研究グループは2007年設立となっているが,評者は一度もその会合に参加したことはない。成瀬(2001)では自然の表象をテーマの一部とし,その分野に関わる地理学文献もいくつか紹介しており,本書の編者の一人である中島弘二氏とは研究関心を共有していると考えている。本研究グループの発起人は人類学や民族学に近い立場から,海外にフィールドをもつ研究者も少なくなく,評者には遠い存在に感じていた。

本書に収録された論文のなかで,評者がイメージするこの研究グループの研究内容に合致するような海外フィールドの事例研究は第8章および第9章のみであった。また,中島(2005)に続き,序章では私が関心を寄せる研究領域のレビューがなされており,本書に期待を込めて読み始めた次第である。

 序章 自然の地理学(淺野・中島)

I部 自然と環境をめぐるポリティクス

 第1章 大地は誰のものか?(小野有五)

 第2章 原生自然の保全・保護と人種(石山徳子)

 第3章 ヨーロッパにおける広域自然保護地区と観光レクリエーション(フンク・カロリン)

II部 自然の社会的公正と地域

 第4章 環境運動における場所と空間(淺野)

 第5章 基地問題をめぐる人々と環境の関わり(中島)

 第6章 大型鳥類保全を軸にした地域づくり(菊地直樹)

III部 グローバル化のもとでの食と環境

 第7章 食のグローバル化とローカル食糧供給体系(伊賀聖屋)

 第8章 スリランカの有機農業にみる世界の「南北問題」とそれへの挑戦(河本大地)

 第9章 ベトナムのエビ養殖と漁村コミュニティの変化(金 枓哲,グエン・フ・ヌー)

 第10章 大都市近郊における廃棄物の堆肥化とその活用システム(佐々木 緑)

 索引・用語解説

編者2名による序章は,評者たちによるレビュー論文(成瀬ほか,2007)の目的と類似している。評者たちは特に英語圏の地理学で過剰視され批判が起こっていた言説分析研究の状況に対して,日本の地理学では素朴に言語資料を対象とする研究の増加を指摘した。編者の言葉を借りれば,日本の地理学研究は「英語圏の「自然の地理学」のように社会化された自然を主題とする研究はそれほど多くない」が,「自然と社会に関する研究は様々な分野にわたり多くの蓄積がなされてきた」(p.26)という。

つまり,編者たちは日本の地理学の状況を好意的に捉え,自然に関わりのある人文地理学研究を,自然をより意識した批判的研究へと導く方向性を,本書の編集をもって示していると思われる。ここでは評者なりに,編者の意図がどれだけ達成されているか,どういう点が課題として残されるのかを各章に沿って論じていきたい。

1章は非常にアクチュアリティに富んだ,発言力のある文章である。福島第一原発事故の例から始まり,北海道という大地を植民地化の観点から論じることを通じ,さまざまな問題を提起している。ただし,章の副題にも用いられ,本文でも多用されている「ポリティクス」という語については,カナ表記にしていながら明確な定義がなく,評者の理解とも異なっているように思われる。この語は著者の主張を理解するキーワードであるため,丁寧な概念規定が求められる。また,北海道は観光産業や農産物流通において「自然」が記号として用いられており,個人的には小野が論じる歴史を通して「北海道の自然」がいかなる社会的意味を獲得し,利用されているのかという議論への拡張を期待したい。

2章は米国デス・バレー国立公園を事例に,「原生自然を守るという国立公園の大義は,その場所を生活空間として使用する先住民族の排除を意味した」(p.70)ことから生じるさまざまな問題を論じている。ある意味では,第1章の事例である北海道におけるアイヌ民族と類似した事例ではあるが,アプローチの仕方は大きく異なる。この章は,これまでの研究成果と著者による聴き取り調査に基づいて,事実関係の丁寧な整理が中心となっている。評者としては,公園管理者と先住民族との間のやりとりの過程でなされた「原生自然の概念を再解釈」(p.83)するという事態についてより詳しい考察を期待したい。

3章は第2章に続いて国立公園について,ヨーロッパからその自然保護管理のさまざまな事例を紹介している。英国,ドイツの事例を紹介した後,近年の動向としてのヨーロッパ内の自然保護地区ネットワークやジオパークについて論じている。こうした動向に精通していない評者のような読者が学ぶことは多く,浅く広い知識を得ることはできるが,やはりそのような状況をどのように解釈するべきかという指針が求められよう。そして,観光レクリエーションの一環としての自然保護という場合に,自然に対する観念・思想の変容についての考察を期待したい。

「自然の地理学」における重要な研究視角の一つが社会構築主義であるが,そのことを意識しているように,第II部のタイトルには「社会的構成」という言葉が選ばれている。第4章は編者の一人である淺野が参加している韓国をフィールドにした共同研究の内容が報告されている。事例は韓国西南海岸におけるセマングム干拓事業である。1970年代から周辺地域で行われてきた干拓事業の一環として1991年にセマングム干拓が着工されたという。淡水湖も含め4haにも及ぶ広い空間と,20年以上にわたり続いている開発期間において,開発側の思想も開発反対派の主張も時間・空間的に異なることを明らかにしている。地理学の立場から長年にわたり環境問題に取り組んできた著者だけに,空間スケールの問題を明らかにして意義は大きい。ただそのことを「人と自然の関わりにはスケールの差がある」(p.140)と指摘するだけでなく,人間の言語認識における抽象化のレベルと結びつけて論じることで,より深い考察ができるのではないか。それは同時に自然という概念の多義性を理解することにもつながり,その多義性と地理空間との関連性にも興味が広がる。

続く第5章も,編者の一人である中島が近年フィールドとしてきた沖縄県の米軍基地の事例を報告している。本書のタイトル「社会地理」というよりは明らかに政治地理学的なアプローチではあるが,米軍基地をその開発が自然破壊をもたらすといったような意味における環境問題としてではなく,「地元住民の日常的な生活がこのような生命の危険と隣り合わせの環境において営まれている」(p.147)という意味における環境問題として捉えているところに重要な意義を見出すことができる。また,基地誘致から得られた税収入を財源とする地域復興策の詳細な分析は興味深い。最後に提起された「外的自然」と「内的自然」に関する詳細な議論が今後期待されるが,評者は筆者が地元住民の生命を強調していることに関心を抱いた。保護される自然とは一般的に人間の外部に想定されるが,生命という人間そのものの自然についても議論は拡張可能である。

6章は環境社会学を専攻し,兵庫県立コウノトリの郷公園の研究員としての活動も行っている著者によるものである。タイトルどおり,純粋な学術研究というよりも自らが携わってきた実践が詳しく報告されている。その実践は希少動物の保護であると同時に地域づくりであるという意味において重要なものだと評価できる。本章で事例となっているコウノトリとタンチョウはいずれも空港名の愛称として使用されているもので,本章の内容は成瀬(2013)に反映すべきものであった。こうした実践は自然と人間という二元論を複雑化するものであり,学術的な立場からも「自然の地理学」に相応しい事例を提供してくれるだろう。

III部は「食」をテーマとし,各章が興味深い事例を提供している。英語圏における自然をテーマとした人文地理学研究の盛り上がりは,その少し前に流行した「食べること」や「欲望」,「肉体」といったテーマの研究の存在が大きいと評者は考えている。「食」は人間の根源的欲求の一つであると同時に,必要以上のものを求める欲望の対象でもある。人工甘味料や遺伝子組み換えなど,食品材料にも人間の手が入り込むが,いまだに多くの食品は自然からとられており,また人間自体の自然の一部である肉体は食することなしには維持されない。さらに肉体から排出される排泄物は自然の一部となりえる物質である。食をめぐる地理学研究は第一次産業に関する研究として,日本でも以前から数多くなされてきており,「自然の地理学」にとっても貴重な研究蓄積となるはずである。そういう意味においても,第7章はまさに本書の目的に沿った形で議論が展開され,日本におけるローカルな食品生産として金沢市の味噌生産の事例が提示されている。二村(2013)と併せて読まれたい。

スリランカ産の紅茶は日本に多く輸入されているという。第III部は食とともにグローバル化をテーマに掲げているが,第8章はグローバル化の基礎をなす過去の植民地化と深く関わるスリランカにおける茶を含む農業生産の事例を報告している。英国の植民地として,宗主国の嗜好品だった紅茶の原料としての茶がプランテーションで生産されていたのが基礎となり現在に至るわけだが,世界規模での競争のなかで有機栽培という付加価値が導入される。もちろん,有機という価値は先進国のものであり,その導入は一筋縄ではない。本章は非常に丹念な調査に基づき,決して広くないスリランカ国土ではあるが,その生産地と企業の立地の差異など,詳しい実態が報告されている。

ベトナムにおけるエビ生産の変遷を辿った第9章も,19世紀半ばのグエン王朝時代からフランス統治時代,ベトナム戦争期,1975年のベトナム統一後の社会主義革命時代を経,現在までの経緯が辿られている。著者たちの観点は,調査地域であるタムジャン・ラグーンにおける船上生活を行う伝統的な漁民コミュニティの解体を悲観的に論じるものである。漁民の生活の場が大規模なエビ養殖場と化し,ベトナム政府が西洋的国民国家形成のなかで陸地での定住を前提とすることで,漁民コミュニティが消滅したという。類似した事態は日本も含め多くの地域で起こっており,評者としては対象地域であるベトナム中部東海岸という場所ののグローバル経済における位置および自然地理学的位置に関する考察を期待したい。

最終章である第10章は日本の関東地域を対象とした食品廃棄物の事例が提示される。スリランカの紅茶やベトナムのエビもわれわれの日常の食卓にあがるものではあるが,本章の事例はより身近な出来事の知らない側面を明らかにしてくれている。しかし,本書の文脈で明らかにすべきは,図10-13p.297)に示されるような空間構造よりも,都市社会における食品廃棄物の意味を論じることではないだろうか。都市生活者にとって「自然」はある意味見えづらくなってくるものだが,食を通して自然との関わり合いは想像できるはずである。本章の調査対象である産業廃棄物の運搬・再生処理業者E社が扱う有機廃棄物は主に清涼飲料メーカーが排出する茶葉粕とコーヒー粕である。自宅で茶葉やコーヒー豆から抽出してお茶やコーヒーを飲み,生ごみを出すよりも,ペットボトルで購入した方が消費者は自然との関わり合いを感じない。しかし,その代替として大量に抽出処理を行って排出される有機廃棄物はまさにわれわれの生活空間を移動し,場合によっては再度われわれの食卓に上る野菜の肥料となる。

本書の文中のキーワードには印がつけられ,巻末の13ページに及ぶ用語解説へと導いている。モノクロ印刷ではあるが写真や図版も綺麗に仕上がっていて,とても読みやすい。編者による「はじめに」では各章での事例が世界地図および日本地図で示されているなど,丁寧な編集作業によるものだと分かる。体裁的にも内容的にも学術論文集としての本書の完成度はかなり高いといえる。そのことを踏まえたうえで,評者の高望みな要望を最後に示しておきたい。

本書に収録された論文の多くが,著者が継続的に取り組んでいる事例研究の報告を中心としている。本文中で著者自らの既出論文に言及する章も少なくない。とはいえ,各章に十分なページ数が与えられているため,以前評者が評した論文集のように既出論文の概要版という縮小再生産ではなく,むしろ過去の論文では書ききらなかった,あるいはその後の調査で明らかになった事柄が加えられているように思う。しかし,序章で一定の方向性を示した論文集であるのだから,事例の紹介は別の論文への参照を促すことで,本文での解説は最小限にし,編者が求める方向性に沿った形での考察に紙幅を費やすべきではないだろうか。序章で提示される,「自然の地理学」という研究動向における重要文献を共有し,事例は異なっても著者同士で共通の議論ができるような,そうした学術論文集であることを望みたい。もちろん,すべての著者が同じ方向性を有する必要はなく,一定の方向性に疑義を呈するような考察もあってしかるべきである。

編者が序文で書かれているように,「自然の地理学」という研究動向に資する事例研究は日本の地理学でも多く蓄積されている。恐らく,このシリーズの別の巻もあわせれば十分にすぎるのではないだろうか。自然という概念は,人間の外部に想定された「外的自然」と定義する限りはその対象は限定されるが,別の意味に捉えればどこにでもあるものである。そうした意味において,「自然」という対象は地理学に限定されたり,学術研究者に限定されるべきものではなく,「ジェンダー」のようにさまざまな形で誰もが論じることのできる対象である。古くから自然を扱ってきた地理学だからこそ,現代の地理学者は人文地理学,自然地理学の別を問わず,各人が自然の何を扱っているのか,自然に対してどのような観念を抱いているのかを自覚しながら研究対象に向き合うことが必要ではないだろうか。

英語圏の地理学では,こうした動向が人文地理学と自然地理学の区分を問い直すべき,両者の対話をもたらす場へと発展もしている(Castree, Rogers and Sherman,2005)。その試みは必ずしもうまくいっているとは限らないが,同じ学問領域に所属しながら共通の議論の場となるのはやはり「自然」の概念が相応しい。

文献

中島弘二(2005):自然の地理学.水内俊雄編『政治と空間』朝倉書店,85-108

成瀬 厚(2001):東京・武蔵野・江戸写真による地理的表象と自我探求—.地理学評論,74470-486

成瀬 厚(2013):地名を用いた公共施設のプロモーション空港名の愛称化を事例として—.E-Journal GEO8(1)78-95

成瀬 厚・杉山和明・香川雄一(2007): 日本の地理学における言語資料分析の現状と課題地理空間における言葉の発散と収束—.地理学評論,80567-590

二村太郎(2013):「グローバリゼーションと食の権利」.内藤正典・岡野八代編『グローバル・ジャスティス―新たな正義論への招待―』ミネルヴァ書房,117-129,

Castree, N., Rogers, A. and Sherman, D.(2005):Questioning Geography.Blackwell.

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