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2014年7月

新しい論文リリース(『人文地理』2014年)

雑誌そのものはまだ到着していませんが,抜き刷りが先に到着したのでお知らせします。

2011年の秋に学会発表してから少しずつ書き続けていた論文が雑誌に掲載されました。当初は「論説」での投稿でしたが,結果的に「展望」になりました。『人文地理』の「展望」での掲載は初めて。

成瀬 厚 2014. 場所に関する哲学論議――コーラとトポス概念を中心に.人文地理 66: 231-250.

人文地理学会会員の方には抜き刷りをお送りしませんが,その他の人で興味のある方はご一報ください。抜き刷りをお送りいたします。

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44歳になりました

726日が私の誕生日。

それから,今回は報告が遅くなりましたが,妻が第二子を妊娠中。11月1日が予定日です。すでに性別は判明しているとのことですが,私はまだ知りません。

713日(日)

シネスイッチ銀座 『マダム・イン・ニューヨーク

久し振りに訪れたシネスイッチ銀座。この映画館のセレクトは基本的に年配の人が好むようなヒューマンドラマが多いが、制作国に偏りがないのが魅力。ストーリーにさほどの奇抜さはないし、演出もストーリーどおりの有体な感じではあるが、こういう定番の映画でも魅力的な作品に仕上げているのはさすがインド。

主演女優の美しさはもちろんのこと、家族を演じるそれぞれの俳優(子役を含む)、そしてニューヨークのシーンでの国際色豊かな出演者。それぞれが独特の作品世界を作り上げています。

コテコテアクションのインド映画はほとんど観ませんが、こういう素朴なインド映画は今後もチェックしていきたいと思います。近いところでは『めぐり逢わせのお弁当』が楽しみ。

719日(土)

TOHOシネマズ府中 『プレーンズ2 ファイアー&レスキュー

私は基本的にディズニー嫌いなので、いくら子どもが望んでもこの種の映画は一緒に観に行きませんが、そうもいってられない時もあります。私の初映画館はおそらく『スターウォーズ』シリーズだったと思いますが、家族で行って、映画館で寝てしまった記憶があります。小学生1,2年位かな。

息子は3歳にしてすでに映画館は5,6回目。ほとんど妻が連れて行っていたので、たまには私がということで、『プレーンズ』は観ていないのに2を観ることになりました。息子はポップコーンとジュースをせがみましたが、お昼前の回だったので、我慢。こういうのを習慣づけてはいけません。

子ども向けの映画は短めにできています。なので、やはり大人にはストーリー的に不満が残りますね。家でDVDを観た『カーズ』の1作目はなかなかよくできていますが、その派生ものの第二段ともなればなかなか難しいとは思います。息子は少し疲れてしまった様子。まあ、それなりには楽しめました。

720日(日)

下高井戸シネマ 『ある精肉店のはなし

妻がネットで見つけた作品。ポレポレ東中野では昨年上映された作品のようですが、全国を回って、下高井戸に来ました。たまたま、知り合いの宮崎在住の地理学者とのメールで出てきたので、観ておこうと思った次第。

上映10分前に映画館に到着すると長蛇の列。通り過ぎる町の人も驚いています。私はもう観られないかなと思ったのですが、10:50上映開始に対して、開場したのが10:30ということで、受付に時間がかかっている様子。なんとか座席は確保して15分遅れになった上映を待ちます。

この作品は本橋成一氏のプロデュースによる纐纈あやという女性監督の作品。冒頭を観ているとまだまだ慣れない感じの撮影と編集。被写体へのアプローチもかなり素朴な感じを受けました。初監督作品でしょうか。

大阪の市街地のなかで肉牛を飼い、屠畜をし、販売するという商売を営む家族。私はなんとなく素朴に昔ながらの方法で今まさに評価されるべく職業にスポットを当てる作品だと思っていた。

しかし、この家族に話を聴くにつれ、だんだんこの家族の、この地区の、大阪の、そして日本の歴史が焙り出されてきます。まあ、これが研究論文だったら、その歴史の復元に関しては二次資料に依存しすぎな気もしますが、あくまでもこれは映画ですからその辺は置いておいて、まさにこの家族の生き様を称賛したくなる映画。

結果的には公営の屠畜場が閉鎖されることになり、この精肉店は一般的な店舗に変わってしまうのだが、とにかくこの家族は強い。自分たちが守り続けた伝統的な営業形態の変更が余儀なくされてもそれに打ちひしがれる様子は微塵もなく、次に自分たちがやれることを探して進んでいく。

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727日(日)

シネマート新宿 『南風

ここのところ映画出演が続いている黒川芽衣。私はけっこう彼女の存在感が好きなので、けっこう嬉しい。しかも、本作は台湾が舞台ということで、シネスイッチに行った時に前売り券を売っていたので購入して観に行くことにした。

監督は西島秀俊主演の『帰郷』や松山ケンイチ×成海璃子『神童』の萩生田宏治。台湾側のヒロインは『九月に降る風』のチー・ペイホイ。本作ではテレサ・チーという名前の表記になっています。けっこう台湾では欧米風の呼び方をする人が多いようです。

まあ、基本的には日本人向けの台湾観光映画であり、リアリティの点からすれば突込みどころ満載ではありますが、それなりに楽しめる作品。やはり黒川芽衣ちゃんが魅力的です。

ところで、自転車に乗る主人公たちとともに移動しながら撮影された風景を眺めながら、けっこう劇中音楽が気になっていたのですが、音楽担当は「赤い靴」という名の日本のユニット。エンドロールで気にかけていたら、このユニットは東川亜希子と神谷洵平によるものとのこと。東川亜希子はピアノ弾き語りのライヴを何度か見ています。ドラムスとベースと組み合わせたピアノトリオの編成が好きなようで、下北沢のmona recordsや吉祥寺のmanda-la 2でのライヴを聴いています。その頃はけっこうアップテンポの曲が多く、高音が中心だった気がしますが、この映画のエンディングテーマはゆったりとした低音が中心の曲でした。こちらの方が私好み。CDも何枚か出ているようなので、チェックしてみますか。

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文化批判としての人類学

マーカス,G. E.・フィッシャー, M. M.著,永渕康之訳 1989. 『文化批判としての人類学――人間科学における実験的試み』紀伊国屋書店,366p.,2900円.

私はけっこう幅広く読書をしているつもりではあるが,読まず嫌いな分野もいくつかある。特に人類学は全般的に読まず嫌いで,必読書さえも避けてきた。最近は「表象」概念について再考する作業をしていて,そのなかで人類学の必読書の1冊を読まざるをえなくなった。それが本書。

地理学でも表象概念がもてはやされるようになった時期に,よく「表象の危機」ということがいわれたが,その発端の一つに1986年に原著が発表された本書への言及がある。翻訳がすでに1989年に出ているというのは素晴らしい。ともかく,一昔前のエポックメイキングな文献を読むというのもまた面白い作業だ。まずは目次。

第一章 人間科学における表象性の危機

第二章 民族誌学と解釈学的人類学

第三章 異文化の経験を伝えること――人間,自己,そして感情

第四章 世界的規模の歴史的政治経済の説明――社会を大規模システムとの関連で知ること

第五章 文化批判としての人類学の自国への回帰

第六章 人類学における文化批判の二つの現代的手法

いやいや,なかなかよく書けた本だ。まえがきによると,マーカスが一人で書いた原稿を元に2人で議論を重ね,フィッシャーが大幅な加筆修正を行い,関連する事例を付け加えていったという。

読み終えて目次を見直すと,各章できちんと論じるテーマが決まっていて,結論も得られている。まあ,当たり前の話ではあるが,それがきちんとできている本はなかなかない。

ということで,うすら認識の人類学の歴史も再認識できたし,また民族誌の役割ということについても再度考えることができた。

何よりもすごいのは,自らの学問を自己批判することが,それ以降の人類学のほとんどの実践で継続してなされていることだ。同様にフィールドワークを得意とする地理学において,日本でももちろん人類学の議論に感化された議論はいくつもあった。しかし,場合によってはそれは論文生産の動機として利用されている感があり,真面目に自分のしていることを反省する人はあまりいないと思う。

カルチュラル・スタディーズの影響などで行われた,フィールドを持たない地理学研究はある意味,フィールド研究への批判も含んでいたはずだが,今日でも日本の地理学では圧倒的にフィールド重視である。

最後に訳語について。表題の文化批判の原語は「cultural critique」である。読む前から「批判」という語には違和感があったのだが,通常は「文化批評」と訳されるところだろう。確かに,人類学の文脈だと「文化批評」一辺倒だと必ずしも正しくない文脈もあるが,訳者あとがきででも一言欲しかったところ。

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アップタウン・キッズ

ウィリアムズ, T.・コーンブルム, W.著,中村 寛訳 2010. 『アップタウン・キッズ――ニューヨーク・ハーレムの公営団地とストリート文化』大月書店,311p.,3600円.

私は団地育ちである。確かに私が懐かしく思う風景はいわゆる日本の公団による5階建ての団地の風景であるが,特別な思い入れはない。まあ,私自身もよくありがちな「こんな街から出て行ってやる」という感じで,自分の育った団地はむしろ嫌いである。

かといって,一昔前にあった一般的な団地否定論には懐疑的で,「団地にはもっと豊かなコミュニティがある」と主張したくなる自分もいる。まあ,どちらにせよ,団地という存在が私自身のアイデンティティを形成していることは間違いない。

そんななか,まあこういう世代がいろんな分野で中心人物として活躍している社会のなかで必然的に映画が注目を集めている最近。団地マニアや団地映画,建て替えやリノベーションなど。

こうした流れに乗り遅れた感はあるが,以前から団地という対象に関しては地理学からの研究が必要だと感じてはいた。

そこで出会ったのが本書。社会学のなかでも良質な民族誌(エスノグラフィ)はよくあるが,本書もそんな一冊に加えられるだろうか。とりあえず,目次を。

1 アップタウンの若者たち

2 コミュニティを築き,他者から認められること

3 知的営み――文化,ラップ,学校

4 ラップとコカ・コーラ文化

5 自制と誘惑

6 死と逃げ路

7 公営団地における家庭

8 生い立つ

9 公営団地の強さを糧に

日本語訳で300ページに及ぶ本書は,上記目次のような構成にはなっているが,先日読んだ『地下鉄のミュージシャン』よりもだらだらした印象。

本書は著者の一人であるウィリアムズがニューヨーク,ハーレムの公営住宅の一室に暮らし,そこに若者たちを集め,ワークショップを重ねるなかでかれらの話を収集するというスタイルが採られている。しかし,単に話を聞くだけでなく,食事を与え,仕事の世話をし,人生のアドバイスをし,などなどとかれらの生活に介入するソーシャル・ワーク的なものも含んでいる。その辺りは現代的というか,評価されるべきところ。

確かに,社会学や人類学としては素晴らしい成果だと思うが,地理学的にはかなり物足りない。本書に掲載されている写真は数枚で,団地の全容はほとんど把握できない。そもそも「団地」という概念自体がかなりあいまいで,それが原著でなんと表現されているのかもわからず,本書のなかでも規定はない。集合住宅であることは分かるが,何階建ての建物が何棟,どういう配置でどの程度の面積を持つ敷地に広がっているのか。

本書には1枚,ハーレムの地図が掲載され,20の公営団地の分布が示されている。それだけで,本文中には団地の名称が出てくるので,ワークショップが行われるウィリアムズの自宅がある団地が中心にはなっているものの,他の団地のこともそれなりには語られる。

本書の表題に「アップタウン」とあるように,もっとひどい状況は「ダウンタウン」にある。特定の団地が本書のなかで,非常によく管理されていることが強調されているように,本書の対象である公営団地は犯罪あり,時に殺人もあるような場所ではあるが,そういうものには全く関与しない大勢の人間が住む場所でもある。

数少ない被験者を通して,かれらが属する文化を全体的に把握しようとする記述は少なくないが,この場所自体がニューヨークという都市全体のなかで占める位置,また団地に住む人口全体のなかで被験者のような若者が占める位置を把握しようという努力はあまりみられない。

もちろん,日本の公団団地とは状況は大きく違うし,その研究を行う上で,本書は参考にはなるが,むしろ読んでいて足りないと思ったものを中心に自らの研究を組み立てていく感じになるのだろうか。

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大衆文化の地理学研究グループ

珍しく、研究上のお知らせです。
あまり学会活動をしていない私ですが、最近珍しく頻繁に参加している研究会があります。日本地理学会の「大衆文化の地理学研究グループ」といって、明治大学の大城直樹さんが世話人をしています。
研究グループといっても、堅苦しい研究報告会もありますが、たまに地理学者が集まってゆる〜く東京の待ち歩きなどもしています。
大衆文化の地理学といっても、かつての私の研究のようなメディア研究が主ではなく、むしろ文化経済学的な内容が中心のようです。といっても、さほど明確なビジョンがあるようではなく、来るものは拒まず的なところがあると思うので、興味がある人は気軽に参加したらいかがでしょうか。
検索してもあまりヒットしないようですので、ウェブサイトのリンクを貼っておきます。

http://www.kisc.meiji.ac.jp/~oshiro/pub_cul.html

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