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2014年8月

大分前のことですが、1週間映画3本

8月8日(金)

この日は妻の妊婦検診。大学も夏休みに入ったので,会社を休んで同行することにした。息子は保育園に預けたので,夫婦2人で出かけるのは息子が産まれてから初めて。検診後は新宿まで映画を観に行く。

角川シネマ新宿 『グランド・ブダペスト・ホテル
ウェス・アンダーソン監督作品はあまり観ていないけど,本作はレイフ・ファインズが主演ということや,シアーシャ・ローナンがヒロイン役で出演しているところなどが観たいと思っていた理由。といっても,6月の初旬に公開していたのでもう観られないかと思っていたが,「2人でどれを観る?」と妻に尋ねたところ,公開中の作品からこれを選んだ。妊娠中だから楽しい映画が観たいとのこと。最近やっている映画は暗いものが多いということも改めて分かった。 公開から日が経っていたので,前売り券は入手できなかったが,当日1800円でも損した気分にはならなかった,なかなかのでき。なによりも,キャストが豪華すぎます。しかも,単に贅沢に有名俳優を使っているというのではなく,俳優自身も彼の作品に出演できることを楽しんでいるのがスクリーンに出ていますね。そして,なによりもレイフ・ファインズ。これまで多くの作品でシリアルな役どころを見事に演じてきた彼ですから,こういう作品でコメディをやるとそのギャップがいいんですよね。といっても,本作中でも笑顔を出すようなコメディそのものではなく,シリアスな演技が笑いを誘うという演出。これぞ映画という作品です。

8月10日(日)

この週末は雨続きだったので,1日雨の日曜日は1人で映画を2本観ることにしてもらいました。

テアトル新宿 『2つ目の窓
河瀬直美監督の新作。彼女の作品は『萌の朱雀』以来,なるべく観るようにしている。今回は村上 淳の息子が主演であり,彼自身も父親役として共演し,「なぜお母さんと離婚したのか」という実生活にも重なる台詞があるということで話題になっていた。ちょうど公開前にカンヌ映画祭に出品したというニュースもあった。 しかし、東京ので上映はテアトル新宿だけだし、雨の日曜日のお客の入りもイマイチだった。『殯の森』の時はもっとお客さんが入っていたように思うが、やはり受賞するかしないかが大きいのかもしれない。基本的に楽しい映画を撮る人ではないので、観る方にもある程度の覚悟がいる。 さて、本作は彼女の地元の奈良県ではなく、鹿児島県の奄美大島を舞台とする。作品のウェブサイトを見ると、奄美は河瀬監督のルーツだと書いてあるが、詳しいことは分からない。
奄美大島を舞台にするということで、音楽は現在奄美大島に在住しているハシケンが担当している。ハシケンは以前は東京在住で、私もよくライヴを聴きに行ったシンガーソングライター。2012年に『地理科学』に発表した論文でも取り上げている。 そもそも、今回この映画の音楽を彼が担当しているのを知ったのは、彼からのメールである。私は論文を書き上げて2年も経ってしまったが、ハシケン宛に論文を送ったのだ。しばらく連絡はなかったが、メールが届き、なんと河瀬監督に同行してカンヌに行っていたので、連絡が遅くなったという。映画の感想もぜひ送ってくれと書かれていて、期待を込めて映画を観た次第。 河瀬監督の作品はいつもいろんなことを考えさせられる。でも、彼女の脚本や映像の構成はけっして難しいものではなく、基本的に直球勝負だ。ストレートに人間の普遍性を目指している。そういう意味では、本作は私にとってはあまり評価できるものではなく、かなり批判的なことばかり考えてしまう。
彼女の作品では演技のうまさという点で配役されていないと思う。今回の主演の2人、村上虹郎と吉永 淳は、『萌の朱雀』の尾野真千子とは違い、村上は俳優とミュージシャンの子どもで、自らも音楽をする。吉永はすでに映画に出演している女優。しかし、役どころとしてはよく似ている。『萌の朱雀』は正直いって細部まで覚えていないが、主演の男女関係がとてもバランスよかったように記憶している。それに対し、今回は積極的な女性に消極的な男性。まあ、この少年のどこにぶつけたらよいか分からないもどかしさを表現しているといえばそれきりだが、観る者をいらだたせるような演出で、しかもそれは段階的に解決に向かうのではなく、予定調和的にラストで急展開してしまう。とはいえ、もちろん2人の演技というか、役に立ち向かおうとする姿は美しい。
『萌の朱雀』では國村 隼の圧倒的な存在感と作品中での展開がとても良かった。しかし、本作では死に逝く女性を演じた松田美由紀やその夫の杉本哲太、少年の父親を演じた村上 淳などが出演しているが、イマイチぱっとしない。村上 淳のシーンなど、東京にしがみついて生きる刺青彫り師という設定や、息子から離婚の理由を尋ねられた時の返答の台詞も有体な感じ。せめて東京ではなく、大阪や福岡だったら良かったような気もする。かろうじて魅力的なのはやはり渡辺真起子の役どころと女優としての存在感。 舞台である奄美大島の描き方も気になった。空港のシーンでこの島が奄美大島だとは分かるが、沖縄の離島といわれても違和感はない。まあ、確かに河瀬監督は奈良県にこだわりながらも『萌の朱雀』は和歌山県の山間のようにも写っているし、場所の特殊性よりも一般性を描く傾向にあるのかもしれない。奄美大島も行ったことはないが、名瀬などはそれなりに栄えているように思うが、描かれているのは農村のみ。自然の力が圧倒的に描かれる。 生死をテーマにするのが好きな河瀬監督だから、本作も死をテーマとしているが、その追求は『殯の森』のような力強さがなかったように思う。

K's Cinema 『こっぱみじん
一方、続いて観たのはスケールの小さい作品。『死に至る病』で強い印象を残した女優、我妻三輪子がまた主演するというので観ることにした。なぜか、妻も私好みだと勧めてくれた。群馬県桐生市というまたまた非常にローカルなロケーションでの映画。 さすがに『恋に至る病』ほどのはちゃめちゃ映画ではなかった。このタイトルが非常に魅力的ではあったが、まあ好きになった相手がゲイだったというどうしようもない失恋をこのタイトルで表現しただけで、たいした含意はない。しかし、このローカルさがこの映画の魅力。主人公が美容院に勤めるという設定や、その兄が小さなレストランを営むとか、そういうことがとても自然に、でも映画的に描かれている。こういうミニマルな映画はやはりいいですね。

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空間のために

ドリーン・マッシー著,森 正人・伊澤高志訳 2014. 『空間のために』月曜社,437p.,3600円.

数年前から、森 正人氏のウェブサイトで、翻訳が出ると予告されていた本。マッシーは1984年の出世作『空間的分業』が翻訳されていたのを始め、『思想』や『10+1』といった商業誌、『空間・社会・地理思想』という地理学雑誌でも論文が翻訳され、比較的その学説が日本で紹介されている地理学者。

かなり経済地理学よりの『空間的分業』は翻訳で読んだものの、イマイチ消化不良。彼女が勤めていたオープン・ユニバーシティの教科書を非常勤先で教科書として使っていたこともあり、彼女の場所論には比較的共感を覚えていたが、たまたま読んだ2つの論文がほぼ使い回しだったということがあり、ちょっと信用できないところもあった。まあ、多忙と高齢によるものだという偏見を持って彼女の文章をあまり原著では読んでいなかった。

本書も「空間」を全面に出していることもあり、場所研究者としての私はちょっと油断していたのだが、本書が出版され、書店で目次を見ていたら、やはり後半は場所論を展開していることもあり、読まないわけにはいかなくなった。装丁なども美しい月曜社ですから、手元に置いていてもいいでしょう。まずは目次。

第1部 舞台設定

 第1章 はじまりのための命題

第2部 見込みのない関連性

 第2章 空間/表象

 第3章 共時性の監獄

 第4章 脱構築の水平性

 第5章 空間の中の生

第3部 空間的な複数の時間に生きる?

 第6章 近代性の歴史を空間化する

 第7章 瞬間性/深さのなさ

 第8章 非空間的なグローバリゼーション

 第9章 (通俗的な見解とは反対に)空間は時間によっては滅ぼされえない

 第10章 新たなるもののための諸要素

第4部 新たな方向づけ

 第11章 空間の諸断面

 第12章 場所のとらえどころのなさ

第5部 空間的なものの関係論的政治学

 第13章 〈ともに投げ込まれていること〉――場所という出来事の政治学

 第14章 空間と場所の原則などない

 第15章 〈時間-空間〉をつくること〈時間-空間〉をめぐって抗争すること

いやいや、読み応えのある1冊でした。まさにマッシー地理学の集大成というか、それでいて、新たな領域を切り開こうとしています。彼女の場所論はいくつか翻訳もあり、「権力の幾何学」や「場所のグローバルな感覚」、「進歩的な場所感覚」など、第4部以降は知っている概念を使いながら論が展開されるので、比較的理解がしやすかった。

まだまだ消化不良なのは前半。しかも、最近私がまとめようとしている「表象」概念を空間概念と深い結びつきのなかで論じているため、しかもその関係を批判的に解体しようとしているのですから、なかなかとらえどころがありません。

そして、その前半の空間に関する考察は、場所に関する考察にも及び、空間と場所という概念の二分法をも打ち壊そうというのです。

原著が出たのが2005年ですから、もう10年ほど経とうとしています。最近の彼女は何を書いているのか、まだまだ先に進んでいくのですね。

この日本語訳がなかなか出版されなかったのは、最終的に共訳という形になったからのようですが、申し分のない日本語になっていました。この内容を日本語に置き換えるというのは相当の労力と能力とを要する仕事です。改めて,訳者に経緯を評したいと思います。

そして、それだけでなく森氏が書いた訳者解説はこれまであまり日本では語られていなかったマッシーの経歴についても書かれており、興味深い内容になっています。

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