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2014年10月

幕末・維新

井上勝生 2006. 『幕末・維新 シリーズ日本近現代史①』岩波書店,242p.,820円.

岩波新書の「シリーズ日本近現代史」は吉見俊哉『ポスト戦後社会』,成田龍一『大正デモクラシー』についで3冊目。

先の読書日記でも書いているが,北海道の近代化について勉強し,さらにはその内容で講義をするにあたって,日本自体の近代化についての知識不足を痛感し,急いで読んだ1冊。このシリーズは岩波らしい著者の選出で,一般的な広範な知識の伝達よりもより突っ込んだ歴史の本質を追究するようなところが面白い。といいつつ,先に読んだ2冊はその特徴故にか,いまいちな読書感だったのに対し,本書はなかなか楽しめました。

私は西川長夫氏の近代国家論で日本の近代化について知った気でいましたが,改めて読み返してみると,細かい史実についてはほとんど説明がなく,これでは学生には説明できないし,自分自身もそうした細かい史実の知識がいかに欠落しているかを思い知った次第。

はじめに——喜望峰から江戸湾へ

第1章 江戸湾の外交

第2章 夷攘・討幕の時代

第3章 開港と日本社会

第4章 近代国家の誕生

第5章 「脱アジア」への道

おわりに

最近の歴史学の特徴ではありますが,本書の特徴は,ヨーロッパの近代化に比べ,日本の近代化は開国・文明開化という形で急速に進んだのが特徴ですが,それを時代の断絶としてではなく,なるべく連続性のなかで捉えようとするところにあります。

また,欧米列強による強制的な開国として捉えるのでもなく,日本なりの正統性を持った対等な立場を貫こうとする外交が行われた事実も強調しています。その一方では,章のタイトルがあまりにも一般的な割にはそれ自体については詳しい解説がなされていないのも特徴。特に後半の「近代国家」というものが日本では具体的にどのような形を成したのかとか,「脱アジア」とは何かについては説明が不足しているような気がする。

ただ,著者なりのこの時代の理解はとても説得的で魅力的でした。著者がたまたま札幌農学校に関する論文も書いていたことも,今の私にとってはちょうどよかったのかもしれません。巻末の年表も便利です。

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近代日本とアイヌ社会

麓 慎一 2002. 『近代日本とアイヌ社会』山川出版社,96p.,800円.

「日本史ブックレット」購入2冊目。先に読んだ『アイヌ民族の軌跡』が良かったので,期待しながら読み始めた。

近世日本とアイヌ社会

近代日本アイヌ史研究の視点

1 「北海道旧土人保護法」

2 帝国議会における「北海道土人保護法案」

3 アイヌ社会と勧農政策

4 共有財産問題とアイヌ

5 「北海道旧土人保護法」制定後のアイヌ社会

冒頭ではアイヌ史研究の動向が解説され,「場所請負制度」の解明が大きな役割を果たしてきた,と書かれていたので,本書でも論じられると期待して読み始めた。しかし,本書は私が期待していた方向性とは異なり,目次の通り,アイヌ民族を「旧土人」と呼び,その不遇な扱いを法の下で禁止しようという法律の制定にまつわる細かい話が中心だった。

もちろん,この法律は非常に重要で,日本が国民国家となる過程において,日本人なるものがいかに「異なるもの」と接し,それを「内なるもの」としてみなそうとするのかということについて考えさせられる。またそれは同時に,日本という国家が新しく手に入れた北海道という大きな土地をどう扱おうとしてきたのかということは,地理学的にも興味深いテーマである。しかし,いかんせん法的な議論が中心でなかなか興味を持って読み進められないのも事実。

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アイヌ民族の軌跡

浪川健治 2004. 『アイヌ民族の軌跡』山川出版社,96p.,800円.

初めて購入した山川出版社の「日本史リブレット」シリーズ。前回の読書日記にも書きましたが,最近北海道の歴史について勉強しています。私がこれまであまり触れてこなかった日本史ですが,身近な地理学でも多くの蓄積があり,なかなか刺激的な読書体験をしています。

特に注目しているのが「場所請負制」という江戸時代の制度。私の場所論は卒論を発表した1993年の『人文地理』論文がはじまりですが,なんとその同じ号,私の論文の前に掲載されているのが,片上広子さんの「近世における石狩地域の動態——松浦武四郎日誌を中心に」という論文でした。タイトルだけでは分かりませんが,キーワードには「場所」が選ばれ,まさに「場所」という言葉が歴史上用いられていた事例を用い,ある人々(アイヌ民族)が和人(本土から来た日本人)に虐げられていたことを批判的に考察しています。松浦武四郎とはまさに,中南米のラス・カサスのように,その事態を告発するために現地へ調査しにいった人物とのこと。

まあ,ともかくそういう個々の研究論文をよりよく理解するためにも,本書のような短くて分かりやすく通史が学べる本は助かります。まずは目次。

アイヌ民族の今——民族と先住性

1 アイヌ文化

2 東北アジアのなかのアイヌ民族

3 アイヌ民族と近世日本

4 シャクシャインの蜂起

5 クナシリ・メナシの蜂起

6 民族文化の否定から「臣民」化へ

アイヌ民族の軌跡

蝦夷について,アイヌについて知らないことばかりの連続でした。さまざまな図版や地図も掲載され,理解を助けます。特に本書では,目次の後半にも現れていますが,抑圧されたアイヌ民族たちの抵抗運動に多くページが割かれています。

先の日記で紹介した台湾映画『セデック・バレ』は時代的には下りますが,同じように日本という国が私利私欲による領土拡張でどのようなことをしてきたのか,よく知っておくべき史実です。

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先月のこと

ここのところ,会社の業務が激務で,私にとっては珍しく毎晩のように残業。休日出勤もしばしば,締め切り日前日は日付を越えての深夜残業などもあり,まったくblogが更新できませんでした。ということで,1ヶ月前の映画報告など。

915日(月,祝)

新宿K's Cinemaで開催されていた「台湾巨匠傑作選」。前日に妻が観たい作品を観に行ったものの,満席でやむなく帰ってきた。この日は私が別の映画を観る予定だったが,「台湾巨匠傑作選」はこの日まで。3回券が余ってしまうので,私が観ることになった。前日の教訓を活かして,かなり早い時間に新宿に移動。すると,なにやら映画館のビルの階段に長蛇の列が。この映画館は3階にありますが,列は1階どころかその外まで長く続いています。私はなんとか座席が確保できる位置で待ちます。

新宿K's Cinema 『セデック・バレの真実』

私が観たのはこちらのドキュメンタリー映画。『セデック・バレ』という日本統治下の台湾で起きた事件を基にした映画があったが,それにまつわるドキュメンタリー。『セデック・バレ』自体が二部作で合計274分に及ぶ大作で,それはこの「台湾巨匠傑作選」でも上映されたが,それを観ていないとこのドキュメンタリーを観る意味があまりないので,この人気には驚く。

さて,内容ですが,驚くことにこのドキュメンタリーは恐らく,『セデック・バレ』のメイキングなどではなく,『セデック・バレ』制作の事前準備から撮られていたように思う。というのも,『セデック・バレ』ではモーナ・ルダオという台湾先住民の指導者が反日本軍運動の指導者として始めから描かれているが,その史実は台湾でも日本でも通説ではなかったようだ。このドキュメンタリーのなかで示される新聞記事は日本のものだけではないようだが,特に日本の報道は日本の都合の良いようにねじ曲げられていたようで,通説は先住民のなかで日本の教育を受け,日本人の名前を与えられ,先住民たちを監視する警察官へと格上げされた「花岡一郎,二郎」の二人だとされていたとのこと。

ともかく,数多くの証人たちの声を聴くことで『セデック・バレ』という映画が肉付けされていったことがよく分かるドキュメンタリー。それと,『セデック・バレ』には描かれなかった後日談として,反日運動に参加した一族の生き残りは川沿いの村に強制移住させられたことなど,日本が行った残忍な行為がこれでもかと示される。

台湾は日本が植民地化した地域のなかでは反日感情が少なく,親日家が多いというのが一般的な理解だが,歴史上忘れてはならないことをしたことは変わりない。

新宿ピカデリー 『リトル・フォレスト 夏・秋

『セデック・バレの真実』終映から5分しかなく,急いで移動。ピカデリーの最上階までいきます。やはり観たかった橋本 愛ちゃんの主演作。監督は森 淳一で『Laundry』という作品を撮っています。主題歌がBONNIE PINKだということで,観に行きました。けっこう空気感は好きな監督なので,期待できます。

ただ,橋本 愛ちゃんが田舎でたくましく生きる姿を撮っただけかの作品と思いきや,コミックの原作があるんですね。主人公の設定は高校を卒業して一度故郷を離れ就職し,恋人と同棲し,別れて戻ってくるという設定で,三浦貴大が同じ高校の後輩というちょっと無理な設定以外は,愛ちゃんをたっぷり堪能できる作品。こういう作品好きです。冬・春編も楽しみ。

9月21日(日)

渋谷ユーロスペース 『物語る私たち

どうしても観ておきたかった作品。カナダの女優でアトム・エゴヤン監督作品などに出演し,日本でも『死ぬまでにしたい10のこと』で一時期は知名度もけっこうあったサラ・ポーリー。ちょっと憂いがあって知的な雰囲気が漂う彼女は女優としても好きですが,『アウェイ・フロム・ハー』(2006年)など監督業も務める。

本作は自らの家族を追ったドキュメンタリー作品。

両親共に舞台俳優ということで,単なる私的なファミリー・ムービーということでもないし,亡き母親が天国に持っていってしまったサラ自身の出生にまつわる秘密を探求する物語でもある。そして彼女の父親自身がナレーションを務めるということもあり,このタイトルがついている。単なる監督目線で語る真実の,あるいは個人的な物語なのではなく,一つの事実をその関係者がいかに理解しているかということを多声的に捉えた作品でもある。

そんなこともあり,本作は非常に開けっぴろげである。インタビューする前の準備段階もカメラに収め,それを本編で利用する。非常に面白いのは父親がホームムービーが好きで,多くの当時の映像が残されている。また,特に本作では母親がその中心にあるが,その姿はおそらく舞台だけでなく,ある程度の映像作品としても残されていて,それを利用している。しかし,それだけでなく実は母親や父親,そして最終的に明らかになる実の父親の若かりし頃の姿が,容姿の似た俳優を使った再現フィルムとして新たに8mmフィルムっぽく撮影され,作品中に利用されていることだ。それはあまりに違和感がないため,途中まで実際の映像だと信じてしまうのだが,あまりにも決定的な瞬間までもが記録していることに違和感を抱き始め,後半で,そのフィルムのメイキングまでもが使われることで,そこはフィクションであることが告げられる。

ただし,終盤で実の父親がサラ自身に話すことでもあるが,サラ自身の感情についてはあからさまになっていないのも本作の特徴。それがサラ・ポーリーなんでしょうね。

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