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2015年1月

カルチュラル・ターン

フレドリック・ジェイムスン著,合庭 惇・河野真太郎・秦 邦生訳 2006. 『カルチュラル・ターン』作品社,295p.,2800円.

随分前に読んだまま,読書日記を書き忘れていた本。本書はジェイムスンがポストモダンに関して書いた既出論文をまとめたもの。すでに1と4は訳出されているようです。目次は以下の通り。

序文――ペリー・アンダーソン

1 ポストモダニズムと消費社会

2 ポストモダンの理論

3 マルクス主義とポストモダニズム

4 ポストモダニティの二律背反

5 「芸術の終わり」か,「歴史の終わり」か

6 ポストモダニティにおけるイメージの変容

7 文化と金融資本

8 レンガと風船…建築・理想主義・土地投機

本書が出た当時,確かに書店で手には取ったと思うが,ポストモダン論というよりは,タイトル通り文化論として期待していた本。同時期にイーグルトンの『文化とは何か』も出版されていたので,まとめて文化概念を考えようと思っていた。

さすがにイーグルトンは私好みというか,期待した議論がかなり学べたのに対し,本書は期待していたのとはちょっと違っていたという記憶が残る。ジェイムスンは『弁証法的批評の冒険』は読んでいるが,こちらも私的にあまり面白くなかった。やはり肌に合わないのだろうか。

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記念碑の語るアメリカ

ケネス・E・フット著,和田光弘他訳 2002. 『記念碑の語るアメリカ――暴力と追悼の風景』名古屋大学出版会,313p.,4800円.

本書は,大平晃久さんの論文か学会報告要旨かで引用されていることで知ったもの。私の知らない米国の地理学者の研究書が,日本の地理学者ではない人によって訳されていたという事実にちょっと驚き,チェックしていた。そのうち,古書で安く売られていたので購入し,読んだ次第。

本書は米国ではJ. B. ジャクソン賞を受賞したという。ジャクソンは一応地理学者ではあるが,米国的な独自の景観論者としてはまずは目次から。

第1章 暴力と悲劇の景観

第2章 英雄と殉教者の崇敬

第3章 共同体とカタルシス

第4章 英雄的な教訓

第5章 無垢な場所

第6章 恥辱の痕跡

第7章 記憶と伝統の景観形成

第8章 ナショナル・アイデンティティの刻印

第9章 見えない暗い過去

私は自らの地理学研究のキーワードに場所と景観を掲げているが,意外にも本書はまさに場所と景観の両方に関わる見事な研究だといえる。アカデミックな議論の深さという点では多少の物足りなさを感じるが,かといってそうした議論が全く欠けているわけではなく,本書に登場する豊富な事例からでも議論できるテーマとその深さを慎重に判断し,論理の飛躍や根拠のない議論は展開されていない。

まさに学会賞的なものを受賞するのに相応しい研究書。原著の副題が第1章のタイトルになっている。本書で論じられるのは,戦争や災害,殺人事件など,人命を失うという社会における負の側面を,社会がどう受け止めるかという問題。ここまでは社会学的なテーマとして論じられるべき問題だが,社会は単に集合意識的な受け止め方だけではなく,それを大地に刻み込むことによって多くの人に訴えかけ,また世代を超えて語り継ぐことになる。まさに,特定の場所に特定の建造物を立て,一つの景観をつくり出すのだ。それを訳書では「記念碑」という非常にポピュラーな単語で代表させ,そして本書の事例がアメリカ合衆国であるということを示している。原著の副題にも「アメリカの景観」とあるように,本書はそうした事例を積み重ねて,それがいかにもアメリカ社会のやり方だと控えめに主張している。

もちろん,記念碑といってもそう簡単にできるわけでもない。そもそも,悲しい出来事に対して記念碑を建てて追悼するという行為自体が,米国の歴史のなかで培われていったものだという。はじめの方にリンカーンの話があるが,リンカーンを偉大なる大統領と国民が認めていくまでに長い時間がかかり,その歴史的解釈の変遷と平行して彼を讃える表現をどうするのか,記念碑をどこにどのように作るかという議論と計画があったという。

リンカーンのような事例が目次にある「英雄」の事例である。「共同体」とあるのは災害や連続殺人のような事例で,コミュニティのなかの多くの成員を一度の悲劇で失った時の共同体の追悼の仕方を論じている。しかし,それは必ずしも記念碑のような形で,その場の痕跡を記憶としてとどめるようになるとは限らない。場合によっては,その悲しい出来事を隠蔽することで,その気持ちを押さえ込もうとすることもある。

本書は一応,数多くの事例を一定の類型にあてはめようとはしているが,それを最終目的としているわけではなく,個々の事例の複雑さを捨象しないようにつとめている。そういう意味でも,非常に謙虚で堅実な研究書である。

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年始に観た映画

11日(木)

府中TOHOシネマズ 『ベイマックス

2015年1本目の映画は元旦に観ました。息子を連れてディズニーアニメ。ディズニーは基本的に嫌いな私ですが,仮想の都市サンフランソウキョウを舞台に,主人公ヒロとその兄タダシという設定で,日本がどのように表象されているのかという点も気になったので,妻の提案通り観に行くことにした。

『アナと雪の女王』では大泣きしてしまったという息子でしたが,泣かずに観ることができました。さすがによく作られている映画ですね。東京+サンフランシスコの風景はかつて『ブレードランナー』が東洋的な要素が支配的になっていくロサンゼルスを描いたのと似ていますが,やはりビジュアル重視という感じでしたね。

いい映画ではありますが,ラストはちょっとひどいなという気がします。タダシは天国でどう思っているのか。

1月4日(日)

新宿シネマート 『自由が丘で

韓国のホンサンス監督作品。主演に加瀬 亮を迎えて,またゆるーい感じです。主人公の女関係もけっこうゆるい感じで,確かにこういう映画は面白い。それ以上書けないのがもどかしいところですが,こういうのが映画独特の表現なんでしょうね。韓国映画にもこういうのがまだあるんですよ。

ちなみに,最近映画配給会社のビターズエンドは何をやっているんだろうとふと思いましたが,本作はそこの配給でした。

1月14日(水)

新宿武蔵野館 『薄氷の殺人

予告編を観た時に,中国映画でベルリン国際映画祭を受賞したとのことで,「おっ」と思ったのですが,なんと主演女優が私の好きな台湾のグイ・ルン・メイということで驚き,早速前売り券を買った次第。この日は水曜日で大学勤務の日ですが,朝一の東京経済大学は前の週で終わっていて,午後から恵泉女学園大学の最終日だったので,午前中に観ることにしました。平日なのに混んでる,と思ったら,武蔵野館は毎週水曜日がサービスデーで1000円でした。ガクーン。

気を取り直して映画に集中。いやいや,いい映画でした。舞台は恐らく北京近郊。常に雨の降りしきるハードボイルド映画よろしく,こちらでは雪が降り続きます。もちろん,タイトル通り殺人事件が中心ではありますが,予告編を貫くような全編暗い雰囲気ではありません。時折コメディの要素があり,また切ない愛が湧くような,そんな雰囲気を醸し出しています。ルン・メイちゃんもいいですね。いい女優さんです。

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昨年末観た映画

今年もボチボチな感じでやっていきますが,よろしくお願いします。

1214日(日)

新宿武蔵野館 『6才のボクが,大人になるまで

かなり前のことで,日付はいい加減ではありますが,どうしても観たいということで,お願いして観に行ったもの。米国のゴールデングローブ賞で主要部門を獲得したので,かなり有名にはなっていると思います。

リチャード・リンクレイター監督作品。彼の作品は『恋人までのディスタンス』は観ていたが,その後アニメーション作品『ウェイキング・ライフ』やほぼモーテルの一室で展開する『テープ』といった試験的な作品や,『スクール・オブ・ロック』のような一般受けする作品まで幅広く撮れる監督として注目している。

本作は原題を『Boyhood』というようだが,邦題はその試験的な試みが分かりやすくてよくできている。6才の子役を主演に起用し,彼が18歳になるまでの12年間,両親や姉などの配役を同じ訳者でとり続けた作品。

私は写真の研究を少ししているが,過去に書いたある論文で,自宅のさまざまな部屋で定点観測のように,毎年撮りつづけるような家族写真を提案したことがある。また,ポール・オースターの脚本映画『スモーク』では,ハーヴェイ・カイテル演じる男性が自分の店の前の街角を毎日ある決まった時間に撮り続けるという趣味を描いているが,同じような発想で制作された映画。映画館でパンフレットを立ち読みしたが,解説の一つを是枝監督が書いていた。詳しくは読んでいないが,彼も同じような発想をしていて,この映画を観て悔しがったのだろう。

ともかく,さまざまな試験的な映画を撮っているリンクレイターだが,本作には誰もが脱帽するだろう。まさに理想的なファミリー映画だ。映画のなかで12年間の経過を描くというのはよくあるが,その多くがダブルキャストや同一俳優の加齢メイク,あるいは逆に若返りコスプレなどによる違和感が必然的に伴う。この映画には当たり前のことだが,それが全くない。子役はそのまま年を取るのだし。両親役はパトリシア・アークエットとイーサン・ホークだが,やはり違和感がないような最善の努力を払っていて,さすがの仕事。まあ,そこまではある程度期待できることだが,やはり何よりも賞賛に値するのは監督の手腕である。

まず企画段階。この種の映画はまず企画の段階で実現させるのが難しい。撮影が長期にわたるということは珍しくはないと思うが,6才の子と12年間の契約を交わし,スポンサーたちを納得させる。もちろん,それは副次的なこと。やはり映画作品としては脚本の継続性だ。果たしてこの脚本は12年前に全て用意されていたのか,それとも毎年の撮影時にキャストとともに作り上げていったのか。ともかく,そういうところに興味のつきない作品。

12月22日(月)

新宿武蔵野館 『ストックホルムでワルツを

飛び石連休のようになったこの平日を休みにして映画を観に行った。予告編でとても魅力的だったスウェーデン映画を選んだ。時代は忘れてしまったが,ジャズ全盛期のスウェーデン。アメリカのジャズをスウェーデンで生演奏で届ける人たちがいて,そのヴォーカルが主人公。女手一つで女の子を育て,電話の交換手をしながら週末は夜行バスで都会まで出かけ,歌を歌う。ある日,ニューヨークから来た音楽プロデューサーの目に留まり,ニューヨークでの舞台を踏むが散々な経験をする。

その時にとあるバーで憧れの黒人歌手と出会うが,米国の黒人音楽家たちは自らの経験を音楽に託していることを知り,その後スウェーデン語で歌うことを決意。

いろいろあったが,徐々に彼女のオリジナルソングはスウェーデンで受け入れられていく,というある種のシンデレラストーリーだが,実在する人物に関する映画でした。成功して賛否両論あり,歌いたい歌と歌わされている歌,人気と孤独,酒に溺れといった,この種の物語にある展開で,思ったよりも楽しませんでした。

しかし,ラストは主人公がビル・エヴァンスにデモテープを送って,最終的にはニューヨークで共演を果たすという展開は涙が出ましたね。

12月27日(土)

有楽町角川シネマ 『おやすみなさいを言いたくて

2014年最後の映画はジュリエット・ビノシュ主演作でした。この日は多くの会社が仕事納めでしたが,私の通う会社は計画休暇とかで,保育園の最終日でもあったので,息子を預け,私は映画へ。この映画,予告編で存在は知っていたのですが,上映期間をきちんと確認していなかった。前週,『ストックホルムでワルツを』を観た時に,前売り券が売っていて,観終わった後にやっぱりあっちにしておけば良かったと思った次第。

幸い,年内にもう一本観ることができたので,迷わず選択。本作でジュリエットは戦場カメラマンを演じる。彼女には年下の夫と2人の娘がおり,アイルランドの田舎で暮らしている。ある日,アフガニスタンで自爆テロに巻き込まれ一命を取り留めるが,夫の我慢も限界に達し,一度は引退を決意する。そこから,家族を取り戻そうとする物語。戦争ものもまた難しいジャンル。本作では,そこを真面目に描いているので,脚本や映像にさほど目新しいものはなかった。しかし,ジュリエットの演技はさすが。長女を演じていた子役のそんざいもなかなか光っていました。

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ルネサンスの自然観

ディーバス, A. G.著,伊東俊太郎・村上陽一郎・橋本眞理子訳 1986. 『ルネサンスの自然観――理性主義と神秘主義の相克』サイエンス社,268p.,2300円.

ルネサンスから近代期の科学史には元々関心がある。特に「自然観」となると思わず手にとってしまうのだが,本書を古書店で見つけて購入したのは,目次に「化学」とあったこと。物理学はニュートンがいるし,天文学はガリレオ,生物学はリンネからダーウィンといったビッグネームがあるが,化学は私が知っているようなビッグネームがなく,その歴史はあまり知らなかった。また,訳者に伊東俊太郎の名が入っているのも安心できます。

ちなみに,本書は「ライブラリ 科学史」というシリーズものの7巻で,伊東さんの他に,ダーウィンの訳者でもある八杉龍一さんも編集に加わっている。まずは目次から。

1章 伝統と改革

2章 化学という謎

3章 変化する世界における自然の研究

4章 人間の研究

5章 新しい世界体系

6章 新たな方法と新科学

7章 新哲学――化学論争

8章 結語と留保

文献改題

本書の原著は1978年で,1986年に翻訳されている割には,フランシス・イエイツの文献も引用されていて,出版当時から従来の正当な科学史よりも,魔術などの要素なども取り込んだ,一早い科学史(あるいは思想史)だったようである。

しかし,本書を21世紀に読んでしまうと,あまり新しさは感じない。

ちなみに,「化学」とあるが私の知っているところではパラケルススが登場する。化学というより医学だが,新しいパラケルスス派と古いガレノス派として描かれている。本書は化学(あるいは医学)だけでなく,天文学,物理学,生物学にも及んでいるので,そんなに分量のない本としては範囲が広すぎて,あまり細かいところまでは知ることができない。また,参考文献の類は本文ではほとんどなく,巻末の文献改題としてまとめられているので,本書は教科書的な読みやすさを重視している本ともいえる。

ただし,コペルニクスの辺りは知らない事実も多く,面白かった。また,著者はロバート・フラッドの研究もしているようで,その辺も詳しい。ともかく,これまで学んでいたことの復習になる本だった。

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星の処女神ガリアのヘラクレス

フランシス・A・イエイツ著,西澤龍生・正木 晃訳 1983. 『星の処女神ガリアのヘラクレス』東海大学出版会,225p.,3000円.

本書は『星の処女神エリザベス女王』と姉妹本になっており,それについてもかつてこの読書日記で紹介した。それはタイトル通り,英国のエリザベス一世に関する研究書だったが,本書は同時代のフランスを対象にしたもの。

http://geopoliticalcritique.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-1c7b.html

姉妹本の読書日記でも,その難しさについては書きましたが,本書もかなり難しいです。難しいというのは,イエイツの歴史研究は当時の歴史学としてはちょっと変わった視点からによるものだが,通常の視点から明らかにされている歴史の内容をある程度熟知していることが前提に書かれていると思われるから。その辺の知識のない私にとっては,彼女が何を論じようとしているのか判然としなくなることがしばしば。とりあえず,目次は以下の通り。

フランスの君主制

 フランスの君主制理念

 シャルル九世並びに王妃のパリ入城(1571年)

 ジョワユズ公華燭の盛典(パリ,1581年)

 パリの修道行列(1583-4年)

結論 星の処女神とガリアのヘラクレス

付論

 Ⅰ ハトフィールド館所蔵の女王エリザベス一世寓意肖像画群

 Ⅱ ボワサールの衣装画帳と二つの肖像画

 Ⅲ アントワヌ・カロンの凱旋門図

本書は一貫した歴史物語によって貫かれているものではなく,姉妹編の同時代のフランスの宮廷で行われた史実に関して書かれた論考を集めたもの。イエイツの研究歴においては,私も持っている『ヴァロワ・タペスリーの謎』と持っていない『16世紀フランスのアカデミー』辺りがかなり直接的に関連するようです。『ヴァロワ・タペスリーの謎』はまさしくフランス宮殿の祝祭を描いたタペスリーの図像学的研究であり面白く読んだので,関連する箇所はそれなりに理解できた。でも,一方で『16世紀フランスのアカデミー』はやはり必読だなと痛感した。

もう一つ,イエイツの代表作『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統』も大きく本書に関わっていて,この時代のフランスと英国の関係を論じているとのこと。こちらも数年前に翻訳されて,高額のためにまだ購入していないが,読んでおきたい。

なかなか理解がすすまないものの,本書における「パリの修道行列」に関しては,巻末に多くの図版が掲載されていて,それを見るだけでも充分に面白かった。パリを練り歩く修道行列は,そのさまざまに描かれる人物も興味深いし,当時のパリの都市風景を背景にしていたり,聖書のさまざまな場面を描いたり,また修道士たちがパリのなかで行う慈善行為の内容を示す背景があったりで非常に面白い。

もう少し歴史的知識を手に入れてから再読したい本。

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