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2015年5月

編集専門委員について

日本地理学会の学会誌『地理学評論』の「フォーラム」という雑文のコーナーに以前「学会誌のあり方についての緒論」という文章を掲載した(この文章はまるごとこのblogにも掲載しています→こちら)。このコーナーは文字数も限られているので,以前からいいたかったことを連載のように継続的に投稿していこうと考えていたわけだが,そう,思うようにはいかなかった。

続編として書いた文章はけっこう苦労してデータを集計したりもしたのだが,掲載不可との通知を受け取った。しかし,会員の学会に対する不満を公表する場もないのも民主的ではないと思い,1年前の投稿から読み直し,こうしてこの文章も図付きでこのblogに掲載することとした。まあ,このblogの読者は決して多くはないし,地理学者ではもっと少なくなるだろうが,記録のためにも公にしておきたいと思う。

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編集専門委員について

成瀬 厚

前稿で筆者は他学会での議論を参考に,『地理学評論』の査読・編集のあり方に関していくつかの提言を行った(成瀬 2014).そのこととは直接関係はないと思われるが,20144月から電子ファイルでの投稿が原則となり,論文審査にかかる時間が短縮されることが期待される.よりよい学会誌を目指すために,前稿で指摘した3点のうち,本稿では2点目の編集委員会の役割について,そのなかでも,今回は各委員の状況について考えてみたい.

「閲読者に関する内規」によれば,閲読(いわゆる査読)を行うのは,「編集委員以外の2名の閲読者」(いわゆる外部レフェリー)および担当編集委員の3名となっている.外部レフェリーの選出に関しては個々の投稿論文から編集専門委員会が決定するため,編集専門委員の責任によるところが大きいといえる.「日本地理学会細則」によれば,各専門委員長は理事の内から理事長が指名し委嘱し,その他の委員は各専門委員長が指名し,理事長が委嘱する,とある.つまり,誰が決めるかについては規定されているものの,どのような基準に基づいて選出するかについては明文化されていない.

編集専門委員の氏名は毎号の『地理学評論』に掲載されている.歴代の委員について確認すると,副委員長が次期の委員長になっていることが分かり,上記の細則は字義通りのものではなく,副委員長の決定がすなわち次期委員長の決定となっている実態が分かる.また,委員長,副委員長以外の委員についても,引継ぎの関係からか,23名が2期(1期の任期は2ヵ年度)連続で担当していることが分かる.

日本地理学会は『地理学評論』誌上で各専門委員の活動を報告しており,編集専門委員会についても,現在では8月を除いて毎月開催されている編集会議について報告されている.その報告には毎回の出席委員の姓が記載され,出席率が確認できる.図1は『地理学評論』が隔月発行になってからの3期分6ヵ年度の編集会議への委員の出席状況について整理したものである.これによれば,出席率が6割未満の委員が6割を占めていることが分かる.

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1 編集専門委員の編集会議出席率

こうした傾向からか,編集専門委員の人数は2008-2009年度の17人から,2010-2011年度の18人,2012-2013年度の21人と増加している.日本地理学会では対面による編集会議を重視しているようで,委員は関東地方在住の会員から選出されている.編集会議を欠席した委員に対してどのような報告がなされているのかは不明だが,ほとんど出席しない委員が少なくないことや,委員長と副委員長を含めて4人で開催された編集会議(201312月,201110月,20102月)があったことも確認できる.

委員に選出された会員でも,編集会議への出席が難しければ辞退することも可能であろう.また,受諾後でも任期中に出席しにくい状況になれば退任することはできるのだろうか.『地理学評論』誌上で毎年報告される「地理学評論編集専門委員会から」によれば,近年の年間審査論文本数は130本程度(2011年約130編,2012年約130編,2013年約80編)とされている.委員長・副委員長を除いた16人程度の委員が均等に分担すると考えると,各委員は年間述べ8本程度の審査を行う計算になる.複数の論文を平行して審査することを考えても4割未満の会議出席というのは問題があるものと思われる.その分,出席回数の多い委員への負担が大きいということだろうか.

続いて,選出された委員の資格について考えてみたい.日本地理学会の学会名簿を用いれば委員の年齢を確認できる.それによれば,最年少の委員でも30歳台後半であり,大学院生での委員選出はおそらく例がないと思われる.また,委員の所属のほとんどは大学での常勤職である.

多くの者が指摘しているように,日本地理学会会員は大学への就職前の大学院生時代に学会誌に多く論文を掲載し,就職してからは学会誌への掲載は減少する.矢ヶ崎(2005)によれば,30歳台後半の会員による論文掲載数は20歳台後半に比べて半数以下となる.このことを踏まえれば委員の多くが論文の掲載先を学会誌から別の媒体に変更していると予想することはできる.図2では各委員が『地理学評論』に掲載した論説・総説・短報のうち,単著あるいは筆頭著者の論文本数を示した.

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2 編集専門委員の『地理学評論』掲載論文数 

これによれば,『地理学評論』への論文掲載数が1本以下の委員が6割強を占めていることが分かる.一度も掲載したことのない委員が2割弱いることも確認できる.一方,1995年以降の学会賞(特に奨励賞)を調べてみると,48人の委員のうち7人が学会賞受賞者であり,1965年以降生まれの委員25人の3割を占めることが分かる.学会賞受賞の実績が委員選出の一つの基準となるのだろうか.

もちろん,これは『地理学評論』に限定した論文数であり,各委員の研究業績を示しているわけではなく,当然『地理学評論』への論文掲載数が少なくても優れた地理学者は少なくない.ただ,ここで問題としたいのは,『地理学評論』に投稿された論文を審査するには,自らが投稿した経験をどれだけ有しているかによって大きく左右されるのではないかということである.

『地理学評論』には7つの論文種別がある.掲載論文数が少なければそれだけ執筆した論文種別数も少なくなる.理念的に論文種別について理解しているのと,実際にその種別で執筆した経験を有しているかでは大きな差がある.また,大学院生時代における投稿は,委員会とのやりとりを指導教官と相談のうえで進めることもできる.投稿規程も度々改定されることの意味合いも,継続的に『地理学評論』に投稿している経験を有しているか否かで大きく異なってこよう.

ここまで,最近の編集専門委員について,編集会議への出席状況と『地理学評論』への論文掲載について言及してきたが,筆者は決して委員選出の基準にそれらを盛り込むべきだとは考えていない.無償による編集専門委員の仕事は,年間8編程度と想定される閲読作業など,決して負担の小さいものではない.だからこそ,編集専門委員に対する厳しい意見は抑制されがちであるのかもしれない.しかし, J-STAGEのようなツールを用いれば本稿のような調査は会員誰にでも容易であって,それは毎年『地理学評論』誌上で閲読者の氏名を公表していることから,閲読者についても同様な調査が可能であるということを,編集専門委員や閲読者は自覚して査読を行って欲しいと訴えたい.

文 献

成瀬 厚 2014. 学会誌のあり方についての緒論.地理学評論 87: 73-76

矢ヶ崎典隆 2005. 地理学研究者の論文生産年齢.地理学評論 78: i-iii

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生きる喜び

倉戸直美監修,倉戸幸枝編著 2010. 『生きる喜び――誕生から小学校入学までの様子』聖公会出版,152p.,2000円.

著者の一人は神戸山手大学に勤める地理学者である橘セツさん。英国での留学経験があり,英国の風景式庭園の研究をしている。英国の英文学会誌にも論文を掲載している実力の持ち主だが,なぜか日本では所属する大学の紀要に継続的に論文を書いている。ということで,たまに大学レポジトリで彼女の論文をダウンロードして読んでいるわけだが,ふと彼女の名前で検索した時に,発達言語学の分野での論文を発見した。同姓同名かとも思ったが,共著者が同じ橘であったりすることから,地理学とは別にご主人との共同研究をしているのだと推測していた。

ある日,橘さんと同じ研究会でご一緒する機会があり,そのことを尋ねてみると,どうやらそうらしいことが分かり,本書を送っていただいた。本書の監修者と編著者も倉戸で同じだが,こちらは橘さんのご両親だとのこと。どちらも心理学の研究社で,ご主人の橘 弘文さんは民族学の研究者。大学に勤める音楽家のご親戚まで執筆者に名を連ねています。研究者一家ですね。

さて,本書は副題にあるように,1人の新生児を継続的な調査対象者とした研究である。そして,その新生児とは監修者・編著者の孫であり,執筆者のご子息である。「はじめに」に監修者が書いているように,これまで発表された7本の論文を基にしているが,それは特定の分野の学会誌ではなく,監修者の所属する大学の紀要に掲載されたものであり,監修者自身の専門は「発達心理学」とされるが,特段専門分野を限定していない。内容的には言語の問題や幼児の文字および絵画表現に特化したものである。

単行本化にあたっては,一般の読者を意識して,学術的な用語については簡単な注釈やコラムのような形で綴られ,全般的には学問的観点からの子育て日記といったところだろうか。以下のような構成になっている。

1章 乳児期の人間関係の構築――誕生から6か月

2章 乳児期の言葉の発達と人間関係――声の分析・誕生から3か月

3章 乳幼児期のjargonと人間関係――2歳までの言葉の獲得のみちすじ

4章 3歳児の人間関係と環境要因による言葉の発達――家庭・保育園の影響

5章 幼児の認知構造の獲得

6章 幼児はどのように生きる喜びを獲得するのだろうか

7章 幼児の発達と育児方針

この研究では,生後数ヶ月の頃はビデオ撮影と声の録音を行っている。さらには父母の観察記録や,保育園に入ってからは園との連絡帳もデータとして使用している。言葉を発するようになってからの記録もすごい。私も親であるが,ここまでの観察に時間と労力を割くのは容易ではない。

学術的な目的で本書を読むと,少し物足りなさは感じる。ただ,研究に用いた多くのデータは掲載されているので,読者が独自の考察をすることはできる。また,本書を育児日記とみなして育児に関する何らかの指針を求めても,得られるものは少ない。本書はあくまでも子どもの観察である。

それはそれとして,本書は研究対象であるこの男の子の個性でも十分に楽しめる内容でもある。言葉の発達は非常に早い。しかも,字の読み書きについては驚くほどだ。わが子は4歳半にしてまだ自信を持ってかける平仮名は一つもないが,本書の麦君は3歳の時にすでに漢字すら書いています。さらに,電車やバスに対する執着。私の息子も電車や車は好きですが,ここまでの執着心はみられません。麦君は保育園への通園を毎日電車かバスで行っていることもありますが,単なる好きを越えています。電車やバスの正面図を300枚も描き,バスの運転手に行き先を聞き,電車の時刻表を集め,自ら再現しという行為を就学前にかなり蓄積させているという。

本書では,麦君の母親である橘セツさんについて知ることもあった。彼女は英国で研究をしているが,英国への憧れは幼い頃からあったようで,その憧れを実現させている。また,息子さんもたびたび海外出張に連れ出していているという。わが息子はまだ新幹線にすら乗ったことがありません。

ともかく,いろんな面で楽しめる読書体験でした。

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品川初映画

201555日(火,祝)

今年のゴールデンウィークはカレンダー通りの休みをいただいたが(4月29日は大学出勤),どこにも出かけず,普段の土日のように家族で過ごした。5日はこどもの日だが,妻が子どもを連れて知人宅へ遊びに行くということで,私は映画を観に行かせてもらった。

渋谷ユーロスペース 『私の少女

事前に前売り券を購入していた韓国映画。日本でも『空気人形』でも出演などがある女優ぺ・ドゥナの主演作。私は2000年の『ほえる犬は噛まない』(ポン・ジュノ監督作品)と2001年の『子猫をお願い』などで注目していた女優。

本作は,ある出来事をきっかけにソウルから,海辺の片田舎に左遷になった警察官が主人公。若い女性警官でありながら所長として迎えられる。高齢化した小さなコミュニティでは警察は法の番人ではない。村で唯一の若者という男性がかなりやりたい放題に振る舞っていて,主人公と衝突するという内容。

なんとなく,西川美和作品『ディア・ドクター』を思い起こさせる。この作品は素晴らしい作品ではあるが,日本映画におけるそうした農村の描き方はどこかリアリティがないのだが,本作では不法滞在の外国人を雇って低賃金で働かせているという現代社会の問題をしっかりとさりげなく描いている。また,タイトルの「少女」に関しても,日本では児童(中学生だから呼び方は違うか)虐待としてステレオタイプ的に描きそうなものだが,そこはやはり韓国映画。暴力や狂気の描き方は卓越しています。

そんななかで,加齢したぺ・ドゥナの演技も光りますね。まだまだ優れた韓国映画は見逃せません。

2015年5月17日(日)

この日は妻が台湾の知人と品川で会うということで,家族で出かける。当初は一緒に品川に行って,私が映画を観ている間に妻と子どもたちはエプソン品川アクアスタジアムにでも行く予定だったが,直前に調べたらなんと休館中。

急遽,品川付近のアミューズメントを調べたら,渋谷駅近くに「文化総合センター大和田」なる施設が登場し,「コスモプラネタリウム渋谷」ができているとのこと。渋谷にはそれなりに行っていたつもりだったが,あんな巨大施設がいつの間にか建設されていたとは驚き。はじめてのプラネタリウムに息子がどんな反応を示すのか,子ども向けプログラムとはいえ,上映時間が50分と聞き,ちょっと心配ですが,私は品川に移動。

品川プリンスシネマ 『百日紅――Miss HOKUSAI

選んだ映画はアニメーション作品。事前に妻から情報を得る。なんでも最近葛飾北斎の娘の作品がみつかり,注目を集めているという。といいつつ,原作は杉浦日向子となっていて,彼女はすでに2005年に亡くなっています。まいっか,作品自体を楽しむことにしましょう。

主人公,お栄の声を演じるのは杏。お栄は父,北斎と暮らし,そこには弟子の男も一緒に住んでいる。北斎を演じるのは松重 豊,弟子を演じるのが濱田 岳。その弟子に連れられて北斎宅に遊びにくる絵師の声を高良健吾がやっていたりと,なかなか声だけでも楽しめます。本作は江戸も末期の物語ですから,わたしたちとは現実の感覚が違い,その辺も楽しめるようになっています。いうことありません。とても楽しめる作品でした。

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廃藩置県(講談社選書メチエ)

勝田政治 2000. 『廃藩置県――「明治国家」が生まれた日』講談社,254p.,1600円.

続けて廃藩置県ものですみません。2000年代に入っても本書によれば明治維新史研究のなかで廃藩置県が注目を浴びているとのこと。基本的には本書の構成や内容は,先日紹介した松尾正人氏の中公新書と似通っている。巻頭に日本地図があり,巻末に都道府県の推移の図がある。

まずは目次から。

序章 藩が消えた日

第一章 維新政権が誕生した時

第二章 版籍奉還と藩体制

第三章 中央集権化への道

第四章 一大飛躍としての廃藩置県

第五章 廃藩置県の衝撃

第六章 明治中央集権国家の誕生

終章 岩倉使節団の出発

本書で学んだ一番大きいのは,「藩」というものが明治以前には一度も公式に定められた行政単位ではなかったという指摘。確かに,廃藩置県によって中央集権国家が成立したという時,単に藩が都道府県に置き換わっただけでは大した変化ではない。都道府県という行政単位を全て横並びに政府が管理するというところに意義があるのだ。江戸時代における藩は幕府が管理する統一的な行政単位ではなく,個々で独自に独立した地方行政単位という色彩が強い。となると,廃藩置県の前に府藩県三治体制という時代があるのだが,そこで改めて,「藩」というものが因襲的な性質を継続しながらも統一的な行政単位をにらんだものとして公式なものとして再設定されていることに意義があることになる。

とにかく,こういう歴史ものは複数の著者によるものをいくつも読んで,少しずつ史実が身に付いていくという側面もあるので,同じ著者による角川ソフィア文庫版『廃藩置県』もあるようなので,また期間をあけて読むことにしよう。

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理論地理学ノート

私が博士課程まで所属していた東京都立大学地理学教室(現首都大学東京)の人文地理学研究室が発行していた『理論地理学ノート』という不定期刊の雑誌があります。他大学の地理学教室にも寄贈されているはずですが,広く読まれていないのは事実。私が2001年刊行の12号に論文を掲載していただいた際にも,『人文地理』の「学界展望」には取り上げられなかった。

私の手元には,在籍中にいただいていた7号,9号,10号,12号があるが,今回それ以降の号の在庫分を譲っていただいたので,目次だけでもここで紹介しておきたい。

なお,16,17号については,大学のレポジトリで公開されています。

7号(1990年7月1日発行)

山手線の認知地図再考:若林芳樹

INDSCALによる認知地図の個人差の分析――新潟市を事例として:矢野桂司

多次元尺度構成法(MDS)による認知地図研究の進展――1980年代を中心に:杉浦芳夫

9号(1995年7月25日発行)

エントロピー最大化法による不完全地理行列のデータ推定方法:矢野桂司

2時限回帰分析における統計的推論:中谷友樹

多摩ニュータウンにおける商業地区と消費者の購買行動――”第四の山の手”あるいはノン・カテゴリー・シティの相貌:小堀 昇・杉浦芳夫

10号(1997年12月25日発行)

土地利用と一般チューネンモデル:小長谷一之

「下北沢」という現代の盛り場の創出――若者の街考:三上恭子

モデルからマルクスへ――現代地理学の「再モデル化」に向けての計画に関するノート――デイヴィド・ハーヴェイ(鶴田英一訳)

人文地理学の実践――フォード主義からフレキシブルな蓄積への移行における理論と経済的特性:ハーヴェイ, D.・スコット, A.(鶴田英一訳)

現代資本主義社会におけるマルクス主義地理学の基礎的問題に関するノート――ハーヴェイ(1997),ハーヴェイ・スコット(1997)の解題にかえて:鶴田英一

12号(2001年12月25日発行)

美しが丘の主婦たちは幸せか?――多摩ニュータウン南大沢地区の主婦の生活時間調査から:杉浦芳夫・宮澤 仁

「湘南」イメージを利用した郊外住宅地の創出:天野みどり

この部屋を見て!!――女性一人暮らしのカタログ:成瀬 厚

地理情報科学における「認知論的転回」――NCGIAの研究プロジェクトを中心として:若林芳樹

13号(2003年12月25日発行)

イギリスの地域住宅市場と労働市場格差――地域住宅価格と地域間人口移動の相互関係:磯田 弦

山梨県大泉高原におけるペンション地域の形成と地域社会:大竹 裕

西東京市柳沢住宅にみる旧工場従業者住宅地の変遷と周辺地域への影響:橋本玲未

14号(2004年1月10日発行)

特集「日本の都市地理学と渡辺良雄の中心地研究」

渡辺良雄 都市地理学関係主要著作目録

都市地理学研究の一局面――W. クリスタラーの受容と中心地研究を通しての故渡辺良雄先生の先駆的業績の成立と継承:寺坂昭信

中心地研究への道のり――西日本のフィールドから:森川 洋

盆地研究から中心地研究へ――東北大学を中心とする1960年以前の都市地理学研究の動向:阿部 隆

ある都市地理学の肖像――木内信蔵に焦点をあてて:竹内啓一

1960年代までの京都大学における都市地理学の研究状況:山田 誠

1970年代の名古屋大学における院生の研究動向と渡辺先生の思い出:阿部和俊

渡辺先生の思い出:山本 忠

渡辺良雄と都市研究センター:中林一樹

戦前期の商圏研究――日本における中心地論受容前史として:立岡裕士

外国人地理学者による渡辺良雄の1950年代英語論文の引用について:杉浦芳夫

15号(2006年2月25日発行)

2種の点分布間における空間的適合に関する一考察:石﨑研二

多摩ニュータウンの小・中学校校歌にみる地域性と時代性:藤田直子

ナチ・ドイツにおけるオーバーシュレージエン国境地域における中心地ネットワーク再編計画:杉浦芳夫

16号(2008年12月25日発行)

シチュアシオニスト・シティとしてのパリ――漂流,心理地理学地図,ドキュメンタリー映画:滝波章弘

高崎市中心市街地におけるバブル経済期以降の民間分譲マンション供給と人口推移:古屋泰大

都電をシンボルとした「ジョイフル三ノ輪」商店街の現状と課題:金原慎一郎・杉浦芳夫・原山道子

17号(2013年12月25日発行)

オルネ3000地区とサッカーをめぐって――パリ郊外のシテという領域:滝波章弘

井上 靖の自伝的作品にみる場所感覚――伊豆・湯ケ島の村から北へ:滝波章弘

2000年以降の東京郊外多摩市における民間分譲マンション供給とその居住者:古屋泰大・杉浦芳夫・原山道子

『理論地理学ノート』の発行元は「空間の理論研究会」となっていて,「空間の理論研究会と関わりの深いグレコ会」の活動報告が12号まで巻頭に記されている。私自身もそのグレコ会で初めて修士論文の研究構想を報告している(1994年4月6日)。

今年も日本地理学会春期学術大会の日程にあわせてグレコ会は開催されたが,そこに集まるのは首都大学東京地理学教室に関わりがあった人が中心となっている。ということで,そこで学んだ学生や院生が卒論や修論を掲載することもあったし,杉浦芳夫が中心となる科学研究費の報告を兼ねている場合もある。

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失われた景観

松原隆一郎 2002. 『失われた景観――戦後日本が築いたもの』PHP研究所,233p.700円.

以前、多摩市が企画した連続セミナーに参加したことがある。景観という概念は地理学でも主要な概念だが、そのセミナーは「〈景観〉を再考する」というタイトルで、有料のセミナーだったが、参加した。というのも、そのセミナーの初回は確か「メディア」がテーマだったと思うが、吉見俊哉、若林幹夫、大澤真幸といった東大社会学の面々が登壇した魅力的なもので、参加していたのだ。

「〈景観〉を再考する」には地理学者の荒山正彦氏も登壇していた。その第一回目の登壇者が松原隆一郎だった。その内容はよく覚えていないが、このセミナーの内容は青弓社ライブラリーとして出版されるようになっている。それ以来、私にとって松原氏の景観論は胡散臭いという印象を与えていて、本書が出版された時も読む気も起こらなかったが、景観をテーマにした講義で学生に読ませるレポート課題図書として設定することとし、読むことにした。

序章 生活圏における景観荒廃

第一章 郊外景観の興亡

第二章 神戸の市政と景観

第三章 真鶴町「美の条例」の理想と現実

第四章 電線地中化問題

終章 世紀末的景観のはじまり

まあ,予想通りというか,著者は日本における日常景観に不満たらたらで,その原因と解決法を突き詰めようとする。事例として挙げられているのが第二章から第四章までの三つで,一つ目が著者の故郷だという神戸。震災復興から高架のモノレール,六甲アイランド線の建設をめぐる論争。二つ目は,神奈川県真鶴町の景観条例の事例。真鶴町では,突然建ち始めた斜面に建つマンションを食い止めるために,独自の条例を作ったという話。三つ目はタイトル通り,電線地中化をめぐる現状と課題。

一応,レポート課題にしているのであまり詳しいことは書けません。私は著者の本業の文章を読んだことはないが,一応経済学者らしい。でも,不思議なことに本書の結論は日本は経済性を優先させたために景観が荒廃したのだという。なんかそこにつきるんですよね。

確かに,きちんとした根拠に基づいて,整然と論を進めているところは研究者なのだが,どうにも結論ありきの感が否めない。景観概念についてもさほど深く議論するつもりはさらさらないし,根拠とされているデータも場合によってはスケール感などが適していないような箇所もいくつかある。やはり予想通りというか,否定的な私の印象を覆すほどの説得力はなかった。

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廃藩置県(中公新書1986)

松尾正人 1986. 『廃藩置県――近代統一国家への苦悶』中央公論社,247p.,600円.

廃藩置県のことを勉強し始めたことについては前の読書日記で書きましたが,まさにそのままのタイトルの中公新書。30年前のものですが,意外にもAmazonの中古で1,500円の値がついていました。こちらの著者松尾正人も明治研究者としてはよく聞く名前なので,とりあえず購入,読むことにしました。

第一章 新政権の成立

第二章 版籍奉還の実施

第三章 集権化への歩み

第四章 藩体制の動揺

第五章 権力の結集

第六章 波瀾の政局

第七章 廃藩置県の断行

第八章 廃藩置県の反響

第九章 府県制の成立

まあ,目次はいたって常識的なストーリーです。思ったよりは廃藩置県そのものよりも,それに至る政治的過程にページが割かれています。そして,本格的な歴史書というよりは一般的な読者を想定した新書ということで,書き方も歴史小説風です。もちろん,この頃は歴史的人物が活躍する時代ではありますが,大久保利通や木戸孝允,西郷隆盛などが登場し,誰がどうしたという話が続く。個人的にはこういうの苦手なんですよね。

それでも,やはり学ぶことは多かった。特に版籍奉還の理念や,藩毎に温度や事情が違えども,形式的には上から押し付けられたものではなく,藩の側から版籍を申し出たことなど。

廃藩置県に始まる地方自治の変遷については,地理学者であれば行政境界の変遷を個別に辿るわけだが,著者にはそういう関心はあまりなく,そういうことに関する事情は本文には書かれていない。しかし,巻頭には日本地図もついているし,巻末には藩から現在の都道府県に至る系譜が細かく記された図が示されていてとても有用である。

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ナショナリズムをとことん考えてみたら

春香クリスティーン 2015. 『ナショナリズムをとことん考えてみたら』PHP研究所,197p.,780円.

普段私はこの手のタレント本は読みません。といっても,本書はいわゆるタレント本とは違って,PHP新書から出ているし,著者の写真が全くないし,話題が政治ネタだしって意味ではかなり異色なわけですが,読み終わってみるとタレント本には違いありません。

今,とある非常勤先の大学でアンダーソン『想像の共同体』を教科書で使っていることもあり,学生にはレポート課題としてナショナリズム関係の本を読んでもらおうと思っているのですが,やはりその大学の学生にはいきなり研究者が書いた本は,新書レベルでも難しかろうということで,探してみて見つかったのが本書。

そもそもわが家にはテレビがないので,この著者については顔と名前くらいは知っていたが,冒頭にある「ヒトラー発言」も知らなかった。

でも,こういう機会にこういう本を読んでみるのも面白い。

序章 「ヒトラー発言」のあとで考えたこと

第1章 「ネトウヨ」の人たちはどうして怒っている?

第2章 そもそも「ネトウヨ」は「右翼」なのか

第3章 日本は「右」も「左」も大混乱中

第4章 キーワードは「グローバル化」という言葉

第5章 ナショナリズム,移民,そして「イスラム国」

第6章 メディアも「右」「左」にこだわる時代じゃない

終章 だから私は「右往左往」することを恐れません

政治を売りにする若い女性タレントがいてもいいと思う。本書はですます調で書かれ,明白な資料に基づいて論を進めるわけではない。幾人かの人物にお話を聞いた上で自分の意見をまとめている。登場するのは,まず2ちゃんねるなどの発言をきっかけに評論家になったという三橋貴明という人物。続いて,哲学者と肩書きが書かれている津田塾大学の萱野稔人。次に右翼団体「一水会」代表の鈴木邦男。最後がジャーナリストの田原総一郎。という面々。

本書の一定の分量が彼ら(女性は一人もいない)の発言の引用で埋められている。この辺があまりいい印象ではない。難しいことは詳しい人に聞けば分かる的な発想が否めないし,彼らにしても,好奇心旺盛なキレイな若い女性が話を聞きにきて,「ああそうですか,お教えしましょう」的な感じが目に浮かぶ。

確かに本書には面白いことも書かれているし,スイス人の母と日本人の父を持つハーフとしての貴重な体験についても書かれている。しかし一方では,萱野氏の発言を流用した「パイ」という経済主義的な議論はひどいと思う。本書で著者は若い人たちが政治に興味を持ち,気軽に政治に関する議論をすることを望み,それに本書が一役買うことを期待しているようだが,なかなか難しいように思う。

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日本近代国家の形成

原口 清 1968. 『日本近代国家の形成』岩波書店,339p.,500円.

最近は廃藩置県の勉強をしています。地名が持つ政治性というのは,私の研究史上古いテーマですが,地名というのは,日本でいえば,国−地方−都道府県−市郡−町村−丁目−番地といった内包的な階層体系に名付けられたものだという前提が私にはありました。しかし,歴史上けっしてそうではなかったのではないかということに最近気づき,身近なところでは日本は明治維新後の近代化によって地方行政のありかたが変わったわけで,日本史に疎い私でも知っていることとして「廃藩置県」というのが思いついたわけです。

しかも,そこで最終的に確定した都道府県名はすでに100年ほど経過し,定着した地名となっています。さらには,日本においては国内について都道府県単位で考えるという基礎があり,県民性などは大衆文化や日常的会話の話題としてポピュラーです。その辺のことを再考するためにも,その歴史を知っておかなければという次第。

まずはネットで入手できる学術論文を読むことから始めますが,読んでいるうちに頻繁に引用される研究者や,書籍などが出てくるので,今度はそちらを当たります。3冊ほど購入し,そのなかでもより守備範囲が広いものを選択。以下のような内容です。

序説 日本近代国家の形成をめぐる問題点

第一章 中央集権国家の成立

第二章 国家の自立と近代化

第三章 明治国家権力の原型――「大久保政権」

第四章 ブルジョア革命への日本の道――その挫折

終章 日本近代国家の成立

目次からしても,現代の私のような読者が読むと,ああそうかと素直に納得してしまう内容ですが,1968年に発表されたものとしては一定のこだわりがあったようですね。それは明治期に成立した日本の近代国家がどのような性質のものであったか,ということです。すなわち近代的な国家として,それまで幕府という封建的な政治体制から一変はしたものの,相変わらず絶対王政的なものであるのか,あるいは民衆とまではいかないまでも一定の市民革命(ブルジョア革命)として民主的なものを手にしたのか,ということです。

本書では第四章のタイトルにもあるように,ブルジョア革命は挫折しており,結局成立した国家は絶対主義的なものだったと主張します。この点において現在の歴史学の定説がどうなっているのかはわかりませんが,私的にはかなり納得した。幕末から明治期のことを勉強する以前の私は単純に明治期に成立した近代国家としての日本は,君主制から民主制へと移行したと思っていましたが,大正デモクラシーはその名の通り大正だし,その後日本は軍国主義国家と突き進むしという時代の流れが理解できていなかったのです。

著者は成立した近代日本が絶対主義だと主張しながらも,その中央集権国家が成立する過程でのさまざまな抵抗について目配りをしている点が勉強になります。特に自由民権運動についてはそれこそ字面しか知らず,それがどういう背景で登場したのかということについては随分勉強になりました。

ともかく,まだまだ読まなければならない本が多いです。地理学とは違って研究者層と研究蓄積の厚さを実感するこの頃。

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