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2015年7月

分類思考の世界

三中信宏 2009. 『分類思考の世界――なぜヒトは万物を「種」に分けるのか』講談社,328p.,800円.

さて,池田清彦『分類という思想』に続いて読んだのが,講談社現代新書のこの一冊。池田氏の本のなかで,この著者である三中氏は,学術雑誌に掲載された論文が批判されていました。生物分類学としても池田氏が批判していた「分岐分類学」の立場にある三中氏が,この一般向けの本でどんな議論を展開してくれるのか,楽しみです。なお,著者は同じ講談社現代新書で『系統樹思考の世界』という本を既に出していて,前著が縦糸,本書が横糸ということで,姉妹編になっているとのこと。まずは目次ですが,300ページの新書判で12章は多い気もします。

プロローグ 生まれしものは滅びゆく

第1章 「種」に交わればキリがない

第2章 「種」よ,人の望みの喜びよ

第3章 老狐幽霊非怪物,清風明月是真怪

第4章 真なるものは常に秘匿されている

第5章 いたるところにリヴァイアサンあり

第6章 プリンキピア・タクソノミカ

インテルメッツォ 実在是表象,表象是実在

第7章 一度目は喜劇,二度目は茶番

第8章 つながるつながるつながるなかで

第9章 ナボコフの”ブルース”

第10章 目覚めよ,すべての花よ

第11章 時空ワームの断片として

第12章 「種」よ,安らかに眠りたまえ

エピローグ 滅ぼしものはよみがえる

また,目次のタイトルも凝っていて,わかりにくいですね。本書でも分類というものが生物学に限らず,また学術研究に限らず人間の基本的な思考だと位置づけ,さまざまな例を持ち出して議論を進めます。特に著者はクラシック音楽にはかなり詳しいようで,なにやら音楽関係の共訳本もあるようです。その他にも,本文で言及されない図版が多く掲載されているのですが,アルチンボルドの絵画や石川雅之氏の漫画作品などにも言及が及びます。非常に博学であることがわかります。

生物学に関しても,日本ではあまり知られていない歴史上の人物や,日本のなかでも顧みられない学説などにも言及する辺りは読み物としては面白いです。しかし,章が次々と分割されて展開し,その都度,著者自身が学術会議の出席で訪れた国々の話など,全く余計な話も多い。

さて,そんな展開でありながらも,池田氏の本にはなかった重要な議論があります。それが「種問題」というもので,分類学のそれぞれの立場において「種」というものをどう捉えているのか,あるいはそれに関する形而上学な議論をせずに済ませてきたのかということについて随分ページを割いて論じています。しかし,明確な立場を持つ池田氏に対して,本書ではその辺もあいまいに終わってしまいます。まあ,分類同様,分類の前提となる種を決定することすら難しいことはわかりました。しかし一方では分類に関してはあまりまとまった議論がなく物足りない印象です。

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分類という思想

池田清彦 1992. 『分類という思想』新潮社,228p.,980円.

「地名の政治学」というテーマで最近いろいろ読みあさっている。先ほどの読書日記でも地名が持つ「空間的内包的階層関係」ということを書いたが,要は,下位のものを集めて上位の実態に名前をつけるという事態は,植物分類が典型的なものだといえる。しかも,適当な分類体系ですまされるものとは違い,生物学において分類学はその下位分野に位置づけられる。

以前から関心はあったので,今回2冊ほど一般向けに書かれた本を購入。こちらは新潮選書の一冊。著者の名前はどこかで聞いたことがありましたが,調べてみたら,現在でも独自の活動をなされている人だそう。本書でも「構造主義生物学の俊英」と書かれていますが,かなり面白い人物のようです。

第一章 名付けることと分類

第二章 何をどう分類するのか

第三章 進化論が分類学に与えた衝撃

第四章 新しい分類学を求めて

第五章 まとめ

本書の後半は生物学の基礎から専門的な話までが中心になってきてかなり読みにくい部分があるが,導入としての前半部はかなり大胆な議論。フーコーの『言葉と物』も出てきますが,「なまえ」の話から,「コトバ」に関する議論まで,言葉への比重がかなり高い議論ではありますが,面白い。名前に関する議論はついには資本主義と社会主義にも及ぶ。1991年の湾岸戦争が本書が執筆された当時の最新の大規模な戦争だが,それを受け,「ハイテク兵器による軍事的勝利は,問題の解決ではなく,実は泥沼化のはじまりなのだ」(p.41)とまでいってのける。まさにテロへの戦争を予告しているかのように。

本書の出版時点では,クリプキの『名指しと必然性』は日本語訳が出版されていたが本書での言及はない。しかし,固有名の議論で著者は固有名と一般名の区別はそれほど明確ではないと主張する。ただし,その決定的な違いは時間の非可逆性だという。

分類学というのは生物学に限定されず,基本的には複数の対象に対し,両者の類似性を比較するというもの。ある対象に対して似ているか違っているかというのはいろんな場面で直面する問題ですが,著者が「みにくいアヒルの子の定理」として紹介している議論は面白かった。真偽のほどは判断できないが,それによれば,類似性の尺度というのは基本的に得られないということらしい。

第二章からは本格的な生物分類に話が移りますが,アリストテレスから始まります。そしてもちろんリンネの話があり,第三章で進化論が登場します。進化論の登場で分類学は(1)表形学(数量分類学),(2)進化分類学(総合分類学),(3)分岐分類学と3つの学派に分れているという。そして,後者2者をあわせて「系統分類学」ともいうらしい。そういえば,私が大学時代に受けていたのは系統分類学でした。ともかく,これまで生物種間の際を分類するという行為は,神による創造をベースにしていたわけですが,進化論以降は元一緒だったものが,進化の過程で分れたと考え,分類はその過程の歴史を再現することによって精確に行えるということのようです。

そして,とりあえず著者はどの立場も,特に最後の分岐分類学の立場を批判していきます。私がもう一冊買ったのは三中信宏『分類思考の世界』という本ですが,本書のなかで著者はこの「若い分岐分類学者」をこき下ろしています。進化論に基づく分類というのは理念としては非常にもっともらしいのですが,人間が観察できるのはあくまでも化石と現在生きている生物にすぎない。長い時間をかけて進化を遂げ,別の種になったその歴史を人間は直接観察することはできず,あくまでも観察できるものから推測することしかできず,またその年代も推測の域を超えない。

ともかく,著者によると,分類という行為において,分類されるべき対象が自然にその状態であり,それを発見するかのように振る舞うことが誤りだという。考えるべきは分類すべき人間の側であり,それを認識すべきだという。本書の最後には「構造主義分類学の提唱」とあるが,かといって従来の分類学とは全く違う画期的な方法を著者が用意しているとはいえない。この辺りはある意味では堅実だといえる。

生物学者ではない私は基本的に著者の言い分に賛成する。しかし,最後に疑問として残るのは,生物学の話をするときの基本単位は「種」だと思うのだが,前半になされている固有名論との関係から,著者は種につけられた学名を固有名だとみなしているのか,ということだ。といっても,著者は固有名と一般名はそれほど違いないと主張し,一般名に非可逆性はないといっているので,おそらく種名は一般名なのだろう。

その辺りの議論,すなわち生物個体と種の関係についてはもう少し議論が欲しかった。ともかく,期待した以上の収穫のあった本でした。

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あで始まる映画3本

2015年6月30日(火)

新宿武蔵野館 『あん

先日も書いたように、カンヌ映画祭出品効果か、樹木希林効果か、上映館の少なさも手伝って、なかなかの混雑振りでしたが、ちょっと会社を休んで観に行くことができました。河瀬直美監督作品です。河瀬監督といえば、地元の奈良県を舞台にドキュメンタリー的手法でオリジナル脚本作品を撮ることが中心でした。

長谷川京子が主演した『七夜待』で奈良を離れ、いきなりタイでの撮影となったが、前作『2つ目の窓』でも奄美大島が舞台となった。本作は原作がある作品を東京で撮るというある意味では河瀬監督らしくない作品。さて、どんな作品になっているのでしょうか。

主演は『KANO』に続いて永瀬正敏。樹木希林のお孫さんである、本木雅弘の娘である内田伽羅との共演も話題になっていますね。それにしてももっくんによく似ています。ハンセン病をテーマにした原作で、実際に国立の療養所が立地する東村山市が舞台になっています。この映画がどれだけ原作に忠実かは分かりませんが、やはり原作がしっかりしていますので、河瀬監督作品であることを意識せずとも楽しめる作品。そして、その町の日常的な風景を細部であったり、空であったり、全景であったりと人物が写らない映像が挟み込まれるのは河瀬作品ですね。この作品で一番の印象は浅田美代子の演技。可愛い顔して嫌な人間を演じるのは天下一品。

2015718日(土)

昭島MOVIX 『アリのままでいたい

怪しげなタイトルの映画を急遽みることになりました。夫婦の分の前売り券を購入していたジュリアン・ムーア主演作『アリスのままで』も公開しているということで、意外に近いことが分かった昭島にはじめて行くことになったのですが、こんな映画もやっていました。最近生物に興味を持ち始めた息子に観るかと聞くと大喜びということで、まずは妻が1人で『アリスのままで』を観て、交代で私と息子が観ることにしました。

ということで、この映画は昆虫の生態を探るドキュメンタリー作品です。タイトルは「ありのーままのー」のフレーズで子どもの記憶に植えついた『アナと雪の女王』と、アカデミー主演女優賞を獲得した『アリスのままで』の人気にあやかったあまりにもいかがわしいものですが、ここまであからさまだといいですね。

さて、本編はとある日本人昆虫写真家を撮影監督に迎えての、特に長崎県平戸市での撮影が多いようです。途中は昆虫博士のアニメーションも入ったりしますが、大人でもそこそこ楽しめました。特にカマキリの一生を描いたものはなかなかの感動もの。息子も満足したようです。来場者プレゼントで小さなブロック「LaQ」ももらえました。わが家にはレゴがそこそこあって、LaQも書店に行くと息子が夢中になってやることもあり、購入するかどうか迷っていましたが、これでとりあえず購入しなくても当分は遊んでくれそうです。

2015719日(日)

ということで、翌日は私が新宿で『アリスのままで』を鑑賞。

新宿ピカデリー 『アリスのままで

前にも書いたと思いますが、ジュリアン・ムーアは『42丁目のワーニャ』という作品で観ています。この作品は1994年のものですが、前年にはジョニー・デップ主演『妹の恋人』やロバート・アルトマン監督『ショート・カッツ』、ハリソン・フォード主演『逃亡者』などにも出ているんですね。それから、ともかく彼女の出演作はけっこう観ています。1960年生まれですからもう55歳になりますが、大抵の作品で惜しげもなくヌードを披露しています。

ということで、本作でようやくアカデミー主演女優賞を獲得しますが、私的には彼女のもっと素晴らしい演技は他の作品で何度も観ています。作品としてもなんとなくそれほどでもないかもと思えてしまう。そもそも、研究者夫婦という設定で、夫役がアレック・ボールドウィンというのもどうかな。この人は金好き女好きってのははまり役だけど。といいつつ、本作では若年性アルツハイマーを患う主人公に献身的に寄り添う夫を演じるわけではないのでいいか。

本作では娘役のクリステン・ステュワートがいい味出しています。

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町村合併から生まれた日本近代

松沢裕作 2013. 『町村合併から生まれた日本近代――明治の経験』講談社,222p.,1600円.

Amazonで廃藩置県関係の本を買った時に,「この本を買った人はこんな本も買っています」に挙がっていた本。目次もみられたので,そのうち読もうと思っていた。著者は東大出身の,私より若干年下の1976年生まれ。専門書としては『明治地方自治体制の起原』を持ち,本書はそれを一般向けに分かりやすくしたとのこと。

私がこれまで読んできた明治期日本の歴史書としては著者が若いこともあり,はじめにとむすびにで他にはない大胆なというか,スケールの大きな議論をしていてなかなか刺激的。歴史書はただでさえ知らないことが多く,ある意味刺激的なのだが,本書のような議論は私のような読者には親しみを覚える。

まずは冒頭で「国家」と「市場」を対比させ,前者を境界を持たない暴力,後者を境界を持つ暴力と名付ける。タイトル通り,本書の中心テーマは町村合併なのだが,グローバル化との関連で議論される。そして,巻末でも同じ議論に戻り,国民国家論との文脈でも論じられる。大小の空間スケールにおける境界が生み出す世界においては,国境による国家間関係も,町村境界による町村間関係も同様に考えることができて,国家だけを特権化する必要はないという立場。

ちょっと前振りが長くなりましたが,目次は以下の通り。

はじめに 境界を持たない社会・境界を持つ社会

第一章 江戸時代の村と町

第二章 維新変革のなかで

第三章 制度改革の模索

第四章 地方と中央

第五章 市場という領域

第六章 町村合併

むすび 境界的暴力と無境界的暴力

これまで私が読んだ本は中心テーマが廃藩置県だったため,ある意味では都道府県の数が47(46?)で落ち着いた明治21(1888)年で一段落するのだが(歴史研究の多くが細かい県数・県境の変化や県名などには注意を払わない),本書は園途中だけでなく,その後の推移に注目している。というのも,ちょうどその年に市制・町村制が公布され,翌年に施行され,本格的な町村合併が進んでいくからである。本書の目的なむしろそこにある。なので,私も読んだような日本明治期の歴諸研究もいくつかは触れられるものの,廃藩置県そのものを扱った著書などにはあまり言及されていない。

とはいえ,視野の広い著者は,第一章で明治維新以前,江戸時代の地方自治について概観してくれます。それによって,明治期の行政改革によって,どれだけ日本の空間観が変化したのかが明瞭になっています。私たちは自らが住む市町村という地方自治体(私たちは地方公共団体とか地方自治体などという呼び方を当たり前のようにしていますが,市町村に自治があるのかないのかというところもしっかり考えなくてはなりません)が,他の市町村と同等に,同種のものとしてあり,町村の上部に市郡が,その上に都道府県が,日本における最上位に日本国があるという,私の言葉では「空間的内包的階層関係」が成立していると思い込んでいる。このことは本書では,江戸時代の「モザイク状の世界」に対して「同心円状の世界」と呼ばれている。

ということで,本書ではこの「モザイク状の世界」から「同心円状の世界」が出来上がっていく過程を丹念にたどっている。一般的にはこの「同心円状の世界」は「中央集権的な国土管理」のようにいわれ,廃藩置県によってそれが成立したというが,本書はもう少しミクロな視点で,短い期間の大区小区制を経て,政府のいう適正規模での町村へと落ち着いていくまでの政府の政策と地元役人の対応とのやりとりが解説されている。

うまく本書の魅力を伝えられませんが,なかなか魅力的な読書体験でした。これは是非,『明治地方自治体制の起原』も読まなくてはと思わされる一冊。

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対照的な映画的世界

2015614日(日)

新宿武蔵野館 『グッド・ストライプス

菊池亜希子ちゃんは初主演映画『森崎書店の日々』以降,女優としてけっこう注目している女優さんです。先日観た『深夜食堂』にも出演していたことを書き忘れましたが,本作および続いて公開される『海のふた』はかなり期待していました。

なんとなく予告編ではしっかりものの亜希子ちゃん演じる女と,だらしない感じの中島 歩演じる男の物語かと思いきや,初めて見る中島 歩という男性俳優はかなりかっこよく,劇中でもいいところのおぼっちゃんという役どころでした。岨手由貴子という監督のオリジナル脚本ですが,カノジョはぴあフィルムフェスティバルの準グランプリを受賞しているんですね。グランプリ受賞者は1本劇場作品の制作が約束されるわけですが,やはり準グランプリからもセンスのいい監督が生まれているんですね。

まあ,そんな感じで私好みの素晴らしい作品。特に脚本が気に入りました。タイトルの「グッド・ストライプス」のストライプとは平行線の意味。外国の姉弟バンドで「ホワイト・ストライプス」ってのがいますが,なんとなく思い出しました。平行線というのはつかず離れずの男女関係という意味で使っているとは思いますが,本作ではそれが主人公同士の関係だけでなく,全ての人間関係において使われているところがみそ。

中島君演じる男の両親は母親をバービーボーイズの杏子が,離婚したちちおやを子供バンドのうじきつよしが演じている。うじきつよしは俳優としてのキャリアもあるはずだが,どうにもぎこちない演技。まあ,そういう演出なんでしょう。亜希子ちゃん演じる妊婦が水路に落ちて怪我をするシーンに,この2人が駆けつけるシーンがあるが,その共演シーンが個人的には面白い。劇中ではもちろん離婚して離れて住む2人が久し振りに再会して,という設定なのだが,私には1980年代のバンドブームで活躍していたバンドのミュージシャンが久し振りに会って昔話をしているように見えた。

他にも,亜希子ちゃんの職場仲間であり,バンド活動もしている臼田あさ美演じる女性との関係も微妙で面白い。また,このバンドのドラムスをイトケンさんがやっているのにはビックリ。今回の映画音楽は『リトル・フォレスト』に続いて宮内優里。やはりセンスいいですね。主題歌は大橋トリオ。こちらもなにかと評判がいいが,ちゃんと聴くのは初めて。でも,エンディング曲はあまりにもキリンジに似ていてちょっとイマイチ。

さて,ストーリーに話を戻しましょう。映画的世界では,2人の人間の関係は極端に仲がいいか,悪いかということが多い。親友と呼ばれる2人はお互いのことを完全に知っていて,全てを許容する。でも,実世界はそうではない。いくら仲が良くたって,四六時中一緒にいるわけでもなければ,全ての行動や感情を知っているわけではない。かといって,時に仲が悪くなっても関係は続いていく。この映画では,その辺のリアリティがかなり強調されて描かれているように思う。登場人物間の人間関係を険悪にしそうなエピソードを組み込みながらも,それをさらっと流すことで,当人同士の関係はそのまま継続していく。

ということで,「グッド・ストライプス」と複数形な訳だ。今後もオリジナル脚本で勝負するのか,この監督には注目していきたい。

2015年6月21日(日)

立川シネマシティ 『海街diary

是枝監督作品だが,カンヌ映画祭に四姉妹を演じる女優を連れて行ったことで随分話題になっている。同じように樹木希林を連れて行った河瀬直美監督作品『あん』と並んで,映画館はけっこう賑わっていて,ちょっと早めに行かないと満席になってしまう状況。是枝作品は毎作それなりには売り上げていると思うが,河瀬作品はそうでもないので,映画ファンとしては嬉しい限り。やはりこういう監督は撮り続けて欲しいので,そのためにもたまにはヒット作があるといい。

さて,その四姉妹が随分宣伝しているようなので,内容の説明はいりませんよね。まあ,長女を演じる綾瀬はるかと次女を演じる長澤まさみはいいとして,三女の夏帆と私は初めてきちんとみる広瀬すずの演技はちょっと楽しみにしていた。夏帆は『天然コケッコー』以来,主演作が続いていたが,その後はイマイチぱっとしない。本作では四姉妹のなかでもちょっとキャラが強い役どころと聞いていたが,これがなかなかいい感じです。俳優としては文句ありませんね。主演よりもこういう感じがいいのかも。さて,広瀬すずはすっかり出ずっぱりな感じのようですが,私的にはお姉さんの広瀬アリスちゃん好み。すずちゃんはそうでもない。あまり似ていませんよね。と思いきや,本作で葬式の後,三姉妹が鎌倉に戻ろうと電車に乗り,長女がすずちゃん演じる四女に「わたしたちと暮らさない」と声をかけた後,四女は少し躊躇し,「はい」という。そして,扉が閉まり,走り出す電車を追いかけるシーンがあるのだが,ここが姉アリスちゃんに似ているんですね。やはり姉妹だなと思った一コマ。

映画全体としては,さすが是枝監督という感じです。『グッド・ストライプス』と比較すると,その違いが明白です。是枝作品は以前も書いたことがありますが,箱庭的というか,まさに映画的世界ができあがっているんですよね。そこで示される現実性は映画的リアリティというか,現実にはありえないんだけど,特定の時間に収められた映画のなかでは完璧に説得力を持つというか,そんな感じ。

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