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分類の発想

中尾佐助 1990. 『分類の発想——思考のルールをつくる』朝日新聞社,331p.,円.

分類学関係3冊目。池田清彦『分類という思想』が1992年、三中信宏『分類思考の世界』が2009年だから、本書が一番古い。でも、3冊ともいわゆる学術書ではなく、選書の類。本書は朝日選書の一冊。まあ、私は生物学者ではないので、ある程度一般読者を想定しているこういう本が複数冊あるのは助かります。

池田氏はかなり懐疑的な論調でしたが、本書の著者は分類という考え方は人間のみならず動物にも備わった基礎的なもので、普遍分類学的なものを妄想している。そのことは読む前から本書を紹介している文章で知っていたので、少し構えていたが、読み終わってみるとそんなに極端な主張ではない。本書の冒頭にも、本章が学術的に確実視されているもの以上の、自分自身でも妄想と思っているようなことまで書き込んだと書いているけども、そんなに過激な内容ではない。

構成も非常にオーソドックスなもの。

第一章 分類の始まり——アイデンティティ

第二章 タクソンとクライテリオン

第三章 類型分類

第四章 規格分類

第五章 系譜分類

第六章 動的分類

終わりに——総括と展望

本書が他の2冊よりも強調していて、読んでいて学ぶことが多かったのは第一章のアイデンティティの議論。本書においてアイデンティティとは自己アイデンティティのような用法ではなく、複数のものを同一視するという意味での広義のもの。本書で生物種の概念は生殖可能であるということをある程度前提としているが、そうした場合、生物個体は交尾の相手を無数の実態から選ぶ際に、自分と同じ種であることを認識しているということだ。こういう観点からのアイデンティティ論はなかなか新鮮で、面白い。詳細目次はつけていないが、第一章には動物の話の前に植物があり、受粉に関する私の知らない事実が書かれており、素朴に勉強になった。

本書は目次からすると、生物分類について、分類の種別ごとに説明されているように思われるが、途中途中で面白い事例が登場する。第三章で登場するのは、テレビ番組であったという、日本全国の鍋料理の分類である。生物分類を参考に、界種ときちんと分類されている。そしてこういう遊び半分の分類がいい加減で、学者たちが真面目にやっている生物分類が厳密かというとそうではないということが主張され、学者による生物分類も常に揺らぎ、変更を経て現在の形になってきたという。もう一つの事例は言語分類。こちらはもちろん大真面目に学者たちも取り組んでいる主題だが、鍋の分類と同様に、人間の文化の一部であると同時にその反映でもある複雑な過程を経て形成されるものであり、それを分類する基準(本書ではクライテリオン)の難しさが指摘される。他にも○○主義の分類や宗教分類などの話題がある。

著者は麦を中心とした生物を研究対象としていたようで、自らの研究事例に言及する際はかなり細かい話で読みにくい箇所もある。本書のいう「系譜分類」は通常系統分類と呼ばれるものだが、著者はその歴史性を強調しているのだと思われる。第三章でも登場した言語分類の話が再登場し、人類の歴史と併せて議論され、その議論は人種分類まで及ぶ。本書でも書かれているように、現代の人文・社会科学者は人種や民族というものを自然なものとして理解することを避けているが、自然科学者の著者は容赦なく切り込む。家畜やペットの類で猫や牛にまだら模様が多いのは、人間に飼い慣らされ、さまざまな交配をさせられた結果だという。そういう視点に立てば、歴史上移動と混血を繰り返した人類にもまだら模様が出てきてもおかしくないという議論はあまりにも無神経な議論で逆に新鮮というかすがすがしさを感じる。DNAの分析で人種・民族の系統分類をしている研究者もいるのだというから驚きだ。

第六章はとってつけたようなもので、ページ数は他章と比べて驚くほど少ない。著者は1916年生まれであり、本書は74歳の時の発行ということになる。いろいろ問題の多い著作だとは思うが、高齢になってもこういう挑戦的な文章が書ける研究者になっていたいものだ。

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