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明治地方自治体制の起源

松沢裕作 2009. 『明治地方自治体制の起源——近世社会の危機と制度変容』東京大学出版会,429p.9396円.

以前から廃藩置県の勉強をしていると書いていますが、新書や選書の類で勉強するなかで読んだ『町村合併から生まれた日本近代』が非常に印象的で、その著者の研究書に手を出すことになった。最近は4,000円以上になると買い渋り、Amazonの中古で安価になるまで買い控えている私だが、本書に限っては、このテーマに関する11月の報告までに読むべき本だと直感し、1万円近くする新刊で購入することとなった。結果としては、非常に刺激的かつ私が疑問に思っていたことに答えてくれる素晴らしい読書体験だった。

まずは目次から。

序章 移行期研究の視座と制度変容

I部 近世身分制社会におけるヘゲモニー危機

第一章 「組合村」から「大区小区制」へ

第二章 備荒貯蓄と村

第三章 勧業資金と蚕糸業

II部 近代的地方制度の形成

第四章 連合戸長役場から「行政村」へ

第五章 備荒貯蓄と府県会

第六章 地方税と道路

終章 近代社会における制度と権力

著者は歴史研究者である。近代という時代については歴史学者のみならず、現代に連続する時代であり、むしろ現代を逆照射してくれる素材として社会学者や地理学者も多くがその研究対象とする。

本書の著者はあとがきにも書いているように、史料どっぷりの実証史家というよりは、大きな話、抽象的な議論をしたがる性質のようです。しかし、いわゆる近代論としてのフーコーなどではなく、社会思想としてグラムシからヘゲモニー概念を導入し、それをラクラウ・ムフで徹底させる。さすがに歴史研究者であるが故に、歴史に対する態度は真摯です。

私がこれまで読んだ廃藩置県本はもっぱらその制度の成立までの経緯を説明し、この制度を持って明治日本が徐々に中央集権化されていくという論調だった。しかし、著者は『町村合併から生まれた日本近代』でもそうした廃藩置県本にはほとんど言及せず、その後の町村合併によって、現代へと連続する日本の近代社会が作り上げられていくことを主張している。廃藩置県という制度改革はあくまでも日本政府という上からの権力の行使であり、その権力が地域の末端の庶民たちに届かなければ意味がない。権力自体が社会の末端の個人にまで内面化することがヘゲモニーという状態である。

よって、本書はそうした上からの権力がどのような過程を経て、いわば近世には身分制社会であった村民たちに届いたのかということを検証している。その枠組みとして、序章では既存の歴史研究における「地域社会論」が検討される。もちろん、地域や場所という概念は地理学の中心テーマであるし、社会学においても地域社会学が存在する。にもかかわらず、ここで登場する地域社会論は歴史学の内部で議論されているもので、その到達点が非常に高く、驚く。まあ、例えば社会学においても前近代と近代の比較というのは社会制度について考察する常套手段のようなものですから、特に日本の歴史学において江戸から明治への移行という問題に関しては社会学や地理学よりも知見が深いので当然か。

本書では、廃藩置県を含む明治初期のいくつかの政策から、最終的に府県制、郡制が制定される明治231890)年までが議論の中心で、その途中にいくつかあった制度改革によって、段階的にヘゲモニー状態が達成されると論じる。第一章で登場するのは「大区小区制」。地名も伴わない、番号で名づけられたこの地域区分は確かに近代的ではあるが、その意義については私が読んだなかでも疑問視するものが多かった。そもそも、この制度が成立していた時期は短いし、『角川地名大事典』の各県の状況を読む限りにおいても、採用していない県も多い。しかし、本書では基本的に関東地方の事例を用いて、その辺りが詳細に議論される。上から強制される小区という単位と、近世からの継続である組合村(村連合)の関係を探る。大区小区制とは戸籍法の成立に伴ってできたものであり、五箇条の御誓文で表面的には版籍奉還によって領主から政府に返還された戸籍は政府が一括して把握するものとされた。よって、大区小区の戸長とはその名の通り、戸籍を管理する役人のこと。一方で、その当時の村という組織は現代の市町村のような明確な行政単位ではないため、様々な生活にそくした個別の課題に対して関係を結ぶような組織だったという。よって、旧来の近世的な村組織と、この近代的な大区小区というのがローカルレベルでどのような関係にあったかが問題となる。

このあたりについては具体的な史料に基づき、第二章と第三章で議論される。第二章では備荒貯蓄を事例とし、天候不良などでもたらされる飢饉などの際にどのような形で被災者を救済するのかということにおいて、近代の新しい制度を検討している。第二章では江戸時代からの連続性の中で捉えられ、地租改正(明治6年)以前の状況(村請制)が論じられ、基本的に村内の富裕層が救済金を負担するという実態が把握される。第三章では蚕糸業を事例とした企業活動について議論される。今日では私企業による経済活動は基本的に政治とは独立しているが、当時は国をあげての近代産業化が目指されていたため、外貨獲得の手段としても輸出できる製造業に公的資金を投入するということは理解できる。ただ、第三章は比較的短く、何が議論されていたかイマイチ思い出せない。ただ、『町村合併から生まれた日本近代』でも領域的な政治権力と、領域に限定されない経済権力という議論があったが、本書でもこの時期の市場経済の発達を重視している。今日でも、これまで公的なサービスとして位置づけられていたものが次々と民営化されている。鉄道、電信電話、郵便に続いて、最近は空港の民営化も話題になっている。そうしたものは、やはりある種のインフラストラクチャーとして、国家による先行投資的な意味合いがあったが、整備が終わればそれらの管理やさらなる展開は民間資本に移行できるのだ。よって、市場経済が領域横断的なものとして構築されれば、領域に限定された行政の手が届かないところでも市場経済が補ってくれる、ということらしい。

第四章からは第二部に入る。それは明治111878)年に制定されたいわゆる「三新法」(郡区町村編制法、府県会規則、地方税規則)によって次なる段階へと移行する。このあたりは法律が制定された以降の法改正に関わる細かい話が多く、なかなか一読では理解できないが、要は新たな法律ができればそれで一気に物事が変わるわけではないということ。特に、新しい明治政府が作る法律は試行錯誤的なところが多く、施行後に生じるさまざまな問題に対処しながら上から下からの意見によってそれらに修正が加えられるということ。ともかく、郡区町村編制法により、「行政村」として自然発生的な小さなスケールの社会集団が行政単位となるということだ。といいながらも、大規模な町村合併がなされ、その行政単位は近世のものとは大きく異なるものとなる。第四章の後半では、他の文献でも出てきたモッセという人物が登場し、そもそも「自治」というものをどうとらえるかということや、「村」という社会集団のあり方、そして地方自治という考え方自体は多くの明治政府の政策と同様に欧米からの輸入であったわけだが、それを日本の状況に移植する際の問題をいかに解消していくかが詳細に論じられている。

第五章と第六章は第一部の第二章と第三章とセットになっている。明治期における地方自治政策の前半と後半で、天災時の村人たちを救済する方法としての備荒貯蓄と今度はインフラ整備としての道路に関わる問題が取り上げられる。道路の事例は第三章よりかなり理解しやすかった。このあたりの議論は私が会社の業務で携わっている空港整備とも共通する話で興味深かった。もちろん、空港というものは現代的な土木施設だが、それより身近な道路という存在でも、県の予算を使って整備する道路がどこを走るのかということで、受益権の問題が議論され、その公共性を人々が理解していく過程がこの時期にあったということは私にとっても大きな発見だった。

本書は、『町村合併から生まれた日本近代』の執筆動機としても書いてあったように、ある意味でかなり難解だが、できるだけ共通のワードで語るようにし、さらに各章のさいごにはまとめの文章がついている。当然、終章では全体をまとめていて、読書中はとてもよく分かった気になる。しかし、議論されている内容はとても繊細なものであり、思い出そうと思うと自分の記憶、理解が正しいものかどうかがよく分からなくなる。まあ、ともかく何度か読み返す必要があるのかもしれない。

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