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2015年11月

ナショナリズム入門

植村和秀 2014. 『ナショナリズム入門』講談社,283p.907円.

非常勤で「エスニシティ・地域・境界」というテーマを持った社会学の講義を担当しているが、最後の事例でヨーロッパの話をする予定である。国民国家という政治システムは近代期にヨーロッパで誕生した、みたいないい加減な話をしているが、じゃあ、実際にヨーロッパ内部で国境の変動がどのようなものであったのかという知識を私はあまりもっていない。

それこそ、最近は授業の補足資料として高校の世界史の教科書を使っているが、そこにそれぞれの時代のヨーロッパの地図が載っている。しかし、地図を見せただけではなんの説明にもならないので、これから勉強していくつもり。そんなつもりで手を出した、講談社現代新書の1冊が本書。別の大学では前期にナショナリズムをテーマとした講義をしたが、本書はナショナリズムについてはあまり書かれていないようなきがする。

以下、目次で分かるように、事例を挙げて説明されているのは「ネイション」についてである。

はじめに——ナショナリズムを見た日

第一章 ネイションの作り方

第二章 ネイションの自明性──日本の形

第三章 ネイションの多義性──ドイツの変形

第四章 人間集団単位のネイション形成(一)──ドイツと東欧

第五章 人間集団単位のネイション形成(二)──ユーゴスラヴィアの滅亡

第六章 地域単位のネイション形成(一)──アメリカ大陸の状況

第七章 地域単位のネイション形成(二)──ヨーロッパの西と南

第八章 ネイション形成のせめぎ合い──重複と複雑化

第九章 ナショナリズムのせめぎ合い──東アジアの未来

第一〇章 政治的仕組みとネイション

本書では、nationを国民とは訳さず、もちろん民族とも訳さず、ネイションというカナ表記にしている。ナショナリズムを考える前提としてのネイションの理解である。そういう意味では、本書のタイトルは相応しいが、一般的な理解としての「入門」とはいえないかもしれない。ともかく、内容をパラパラめくって購入した私の必要とする知識には十二分に応えてくれる内容だった。

ナショナリズムや国家論に関しては、著者の専門分野である政治学(法学部所属)が最も中心だと思うが、私が読んできたのは社会学や歴史学が中心だったので、本書はちょっと読みにくい。加えて、新書ということで「ですます」調を使っていることも、私のような読者には読みにくい点。しかし、読みにくい分、第一章で示される著者の立場、認識をさらっと読み流すのではなく、何か違和感が残るまま読み進めることができる。

その違和感は第二章以降の事例の話で解消されていき、説得されていきます。「おわりに」にも書かれているように、著者の専門はドイツと日本、多少の東欧ということですから、本書の第六章以降は専門外ということになります。ただ、だからこそ翻訳のある文献からの説明を中心とした内容は、それ以上知りたい場合には参考文献にあたるという形で理解を深められるようになっていて、新書らしい内容だといえます。

内容に関しては目次にほとんど示されているので、詳しく説明しませんが、国民国家は国土という空間的に連続する範域を必要としますので、地域というのは必須です。しかし、一方では国民を形成する人間集団はなるべく均質であることが望まれますから、人間集団単位でまとめることが要求されます。このある意味では相容れないものを整合させようという試みがさまざまな問題を生んでいるということになります。

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農地管理と村落社会

吉田国光 2015. 『農地管理と村落社会――社会ネットワーク分析からのアプローチ』世界思想社,202p.4800円.

1982年生まれの著者は私より一回り年下の地理学者。関西学院大学から筑波大学の大学院に進み、現在は金沢大学に勤務する。専門は私とはかなり離れているが、知人を通して個人的に知り合い、論文を読んでメールで感想を送り、などとやり取りをしたりしていた。そんなことで、謹呈していただいた本。

送られてきた本書は、私も何冊か持っている社会思想社から出版されたもので、ページ数は多くはないが、きれいな装丁で、また筑波大学の地理学らしい美しい図版が印象的だった。本書は既出論文を基本とする彼の博士論文である。彼の論文を読んだのは2本程度だったが、なかなか挑戦的で期待をこめて読み始めた。

まずは目次から。

1部 研究の課題と方法

章 序論

2部 大規模化に向けた農地移動と社会関係

章 北海道十勝平野における農地移動プロセスと農業経営の大規模化

章 北海道十勝平野における大規模畑作経営とネットワーク

章 大都市近郊における農地移動と水稲単作経営

2部小括

3部 農地利用の集団的管理と村落社会

章 淡路島三原平野における農地管理と小規模経営

章 淡路島三原平野における集約的農業とネットワーク

章 熊本県天草市宮地岳町における集団的農地管理と村落社会

3部小括

4部 結論

章 結論――成果と課題と展望と

本書の課題は明確である。恐らく、学部から大学院に入り、最終的に博士論文にまとめるにあたって、紆余曲折があったと思うが、本書を読む限りでは、課題があらかじめ設定されていて、調査方法も確立した上で調査対象地域を日本全国から選定し、主課題に準ずる副課題にあった調査地と方法の組み合わせで着々と調査・分析を重ねていったような印象を受ける。それくらい、本書はコンパクトでありながら理路整然としている。

私はきちんと紹介できる立場にはないが、日本の地理学には農業地理学と農村地理学とが分かれている。前者は経済地理学の一分野として、後者は社会地理学の一分野として、その間に十分な対話がみられないという大雑把な印象がある。本書には、その対話に各分野の研究の発展の活路を見出そうという意欲が見出される。実際、本書のタイトルがそういうことを匂わせており、両者を結ぶ接点が「農地」であるという。農地は農民の生活の場でありながら、生産手段でもある。かといって、完全に生産手段とは割り切れないところがあり、それは自然を相手にするという農業生産のあり方とも関係していると思う。そして、本書は特に農地の所有権が移動する(けっして農地が空間的に移動するわけではない)という点に着目する。日本における農業は、米国のように効率的・合理的な大規模化はさほど行なわれていないが、第2部での調査対象地ではある程度起こっている。しかし、北海道のような大地以外では大規模化を妨げる自然環境があり、日本では小規模経営の農家が多い。しかし、日本経済の動向としては、あるいは後継者に悩む農業における労働者問題のなかで、農地を放棄する農家が現れ、それを引き受けることで規模を拡大する農家もある。そして、その農地所有権の移動には、地縁や血縁のようなかつてからの人間関係から、農協のような団体など、さまざまな主体が介在する。

まあ、大雑把な説明としては本書はそんな内容であろうか。もちろん、序論で議論されているように、そうした農業経営に関わる研究は、地理学以外にもたくさんあるようだ。しかし、地理学者として著者がこだわるのが空間スケールだという。また、農地管理・農地移動ということに関して、著者が方法論的に依拠するのが社会ネットワーク論だという。それは序論で明確に議論されているが、やはり文献サーヴェイの不十分さが否めない。とはいえ、事例研究でそのあたりは補足されるものかと期待して読み進めた。

しかし、一向に空間スケールの話は出てこない。せいぜい、個々の農家-集落-市町村-複数の市町村レベルの非常にローカルな話だ。もちろん、日本全国の動向の話は出てくるが、ダイナミックなスケール横断的な議論はない。また、ネットワークについても、社会システム論との関係などまで首を突っ込むことはなく、ノードとパスという用語で社会関係をいいなおしているに過ぎない。

もちろん、本書は博士論文であり、著者が学生時代の到達点である。著者は就職してからも精力的に調査・研究を進め、学術雑誌に論文を掲載し続けている。だから、本書以降の展開は現在進行形で続けられるのだろう。でも、私には、じっくりと思考して大風呂敷を広げるような学的展望を妄想できるのは大学院時代で、そのエッセンスを少しずつ形にしていくということになるのが実際だと思う。なかなか歳を取ると、目の前のものに追われてしまうということがままある。まあ、著者がそうなるとは限らないが、ちょっとこじんまりとまとまってしまって、私の研究領域にも侵食してくるような大胆さを感じられなかったのは残念であった。

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1ヶ月以上前に観た映画報告ですみません

最近バタバタしていて,1か月以上前の映画報告になりました。

2015年10月4日(日)

府中TOHOシネマズ 『バクマン。

なぜかどこかで部分的に読んでいた漫画が原作。といっても,基本的な設定以外よく覚えていません。でも,私の記憶のなかではかつて藤子不二雄の『まんが道』で描かれたような古風な作成風景ではなく,キレイな職場で現代的な印象があったのだが,映画では違っていた。私の記憶違いか。

今更で,映画の内容についてはいいですよね。ともかく,神木隆之介君の存在感がハンパないです。作品自体もうまくまとまっていて,続編を期待させるできでした。

2015年10月17日(土)

府中TOHOシネマズ 『図書館戦争 THE LAST MISSION

今から考えると,10月に映画が観られた日は貴重だったので,もっと作品を選べばよかったと思うけど,場所も府中以外で選べない状況だったし仕方がないか。本作は前作も観ていたので,まあ良しとしましょう。

前作では戦争シーンがどうしてもお遊びにしか見えなかったけど,本作は不自然な協定も破られ,そこそこは観られるようになっていました。まあ,ともかく榮倉奈々ちゃん目当てだったので,そこそこ満足できました。ただ,ちょっと気になったのは以前から肌のキレイさが際立っていた奈々ちゃんですが,首の辺りの感じが少し気になりました。さすがに27歳ってことでしょうか。

2015年11月22日(日)

有楽町ヒューマントラストシネマ 『アクトレス

前売り券を夫婦2枚買っていたのに,なかなか行く機会がなく,最後のチャンスの休日に交替で行きました。

ジュリエット・ビノシュが有名女優を演じ,クリスティン・スチュワートがマネージャー役を演じる。主人公は20年前の出演映画の舞台でのリメイクに出演することになる。かつて自分が共演した20歳年上の女性役として。そして,かつての自分の役どころに配役されたの女優を演じるのがクロエ・モレッツ。私はクロエの出演作を観たことはないが,なかなか面白そうな女優3人の組み合わせ。監督はオリビエ・アサイヤスというので,展開も予測不可能。

思った通り微妙な展開。予告編から想像できるストーリーを逸脱するわけではありませんが,素直な物語展開ではない。とにかくジュリエットとクリスティンの2人の場面が多いが,2人の会話は噛み合わず,観る者はイライラします。でも,実は最近こういう傾向の映画は少なくない。つまり,以前は誰かの一言に一喜一憂し,人間が成長していくというストーリーが主流だったが,実際の人間はそう簡単に変わらない。そんなことのリアリティを映画が追求するようになった,という気がする。

ともかく,過去の栄光と自分の信念にしがみつこうとする中年女優の姿をジュリエットは見事に演じている。それこそ,地なのか,演技なのかは分からない。

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帝国主義

レーニン著,宇高基輔訳 1956. 『帝国主義』岩波書店,231p..778円.

以前からレーニンの帝国主義論は知っておきたいなと思い買っておいたが,ちょうど講義の補足資料として読むのにいい機会だった。本書は第一次世界大戦,ロシア革命ののただなかに出版されたようで,原題は『資本主義の最高の段階としての帝国主義』という。序言にも書かれているが,ツァーリズムという当時のロシア君主体制における検閲を想定し,社会主義を目指すような思想書としてではなく,資本主義の現状を分析する経済書としての形式を保っている。ということで,以下のような目次である。

第一章 生産の蓄積と独占

第二章 銀行とその新しい役割

第三章 金融資本と金融寡頭制

第四章 資本の輸出

第五章 資本家団体のあいだでの世界の分割

第六章 列強のあいだでの世界の分割

第七章 資本主義の特殊の段階としての帝国主義

第八章 寄生性と資本主義の腐朽化

第九章 帝国主義の批判

第十章 帝国主義の歴史的地位

本書は基本的に既存の経済研究を基に,データの提示と多くの引用がなされている。資本主義の大国として,イギリス,フランス,アメリカ合衆国,ドイツに関するさまざまなデータが提示されながら,議論が展開する。大企業への労働者,資本の集中,大銀行への資本の集中の状況が確認され,特に銀行に着目し,その資本を流動化させ,時間を利用し,金利から利潤を生むという資本主義における重要性が指摘される。それは商品の輸出から資本の輸出へと移行し,外国への投資は資本主義を帝国主義へと移行していく。自由競争の資本主義から過渡的な独占の資本主義へ,資本家たちの独占団体(カルテル,シンジケート,トラスト),資本主義諸国の植民政策と金融資本との密接な結びつきと展開し,19世紀末には地球上の未占有地の占取が終了する。

本書で帝国主義は資本主義の独占段階と定義され,1 高度の発展段階に達した生産と資本の集積,2 金融資本を土台とする金融寡頭制の成立,3 商品輸出と区別される資本輸出,4 国際的な資本家の独占団体が世界を分割,5 資本主義的諸列強による地球の領土分割が完了といった特徴が示される。

さすがに歴史的古典だけあって,とてもよく書かれています。勉強になります。

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江戸

玉井哲雄 1986. 『江戸 失われた都市空間を読む』平凡社,201p.,1800円.

最近,通勤時間が長くなり,次々と未読の本を読み終えてしまう。講義用に新しく本を買ってもいるが,追いつかなかったり。そんななか,ある日の朝書棚で目についたのが本書。最近明治期のことを勉強するなかで,江戸時代の状況を理解しなくてはならないと思っていたので,ちょうどよいと思い読んだ次第。

本書は平凡社の「イメージ・リーディング叢書」のシリーズもので,同じシリーズの気谷 誠『風景画の病跡学』が素晴らしかったので思わず購入したもの。購入はしたが,なかなか読む機会はなかった。

序――江戸をどうとらえるか

第一部 初期江戸の町と町家

 近世江戸のはじまり

 角屋敷の三階櫓

 表長屋の町並

第二部 江戸町の発展と町家

 庇と「雁木」

 京間と江戸間

 穴蔵と土蔵

第三部 江戸から東京へ

 江戸町の繁栄と地価高騰

 「表」と「裏」

読み始めると,著者は歴史家ではなく建築学者でちょっと読みにくさを感じる。読み始めは歴史趣味のある歴史家のエッセイかと思ったが,読み進めるに従ってそんな穿った見方は薄れていった。下手に歴史を物語化してしまうような語り口よりも,冷静に歴史的根拠からいえることだけど重ねていく姿勢は素晴らしい。

そんなことで,期待したよりも江戸全体の様子,またそこに暮らす人々の様子は理解できなかったが,基礎的な事実で学ぶことは多かった。

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国家への視座

ダンドレーヴ, A. P.ほか著,佐々木 毅ほか訳 1988. 『国家への視座』平凡社,239.,1600円.

本書は「ヒストリー・オヴ・アイディアズ」という叢書の28冊目。原著はゴンブリッチなどが編者に入った1冊の事典のようですが,日本語訳ではテーマ別にいくつかの項目を選んで小さな本として訳している。

はじめにこの叢書を知った時にはなんだか嬉しくて,古書店でもかなり高価な巻もあるが,買える程度の値段のものはよく買っていた。今手元にあるのは以下の4冊で,本書が5冊目。

12巻『神の観念史』

14巻『進歩とユートピア』

21巻『愛のメタモルフォーズ』

22巻『イコノゲネシス』

正直いうと,これまでの本はさほど面白くなかった。ということで,最近はこの叢書を古書店でみかけても,すぐには購入しなくなった。そんななか,なぜか購入した本書は期待以上に面白かった。まずは目次。本書に収録されている項目です。

国家――国家観の過去・現在・未来(ダンドレーヴ, A. P.著,佐々木 毅訳)

中世・ルネサンスにおける民族=国家の概念――国民国家誕生への道程(ポウスト, G.著,佐々木 毅訳)

政治体のアナロジー――王は頭,聖職者は魂,兵隊は手,農民は足…(ヘイル, G. D.著,佐々木 毅訳)

マキアヴェリズム――悪の教師か?自由の擁護者か?(ギルバート, F.著,佐々木 毅訳)

ナショナリズム――近代史における普遍的推進理念としてのナショナリズム(コーン, H.著,木村靖二訳)

アナーキズム――強制なき社会を求めて(レーニング, A.著,長尾龍一訳)

「国家」では歴史上の国家論が,「中世・ルネサンスにおける民族=国家の概念」では,近代国家成立前夜のヨーロッパにおける状況を概観することができる。

私は最近『君主論』を読んだが,マキアヴェリズムが何たるかはよく分かっていない。本書によれば,それは『君主論』の解釈をめぐって歴史的に形成されたものであり,『君主論』そのものとは遊離しているし,マキアヴェリの思想の全体性を代表するものでもないという。この辺りは納得したし,その『君主論』解釈自体に,現代読むわれわれには理解できない歴史的特殊性が潜んでいるのだ。

さて,私が最も得ることが多かったのが,本書でも一番分量の多い「ナショナリズム」。本書はアンダーソン『想像の共同体』(1983)以前に書かれたものなので,ヨーロッパ中心のナショナリズム論だが,私の素朴な疑問への回答が含まれている。素朴な疑問とは,かつてはインターナショナルという組織名で行われていた社会主義思想が,なぜ1国の権力を掌握し,独裁的になっていくのか,ということである。まあ,簡潔にいうとナショナリズムとの結びつきである。

さて,私は実はアナーキズムにも興味を持っている。かつて,地理学者がロシアではクロポトキンが,フランスではルクリュがアナーキストであったという事実もあるが,なぜか「無政府主義」という響きに惹かれている。とはいいながら,アナーキズムに関して本格的に勉強する機会はまだなく,全く理解はできていない。そういう意味でも本書は勉強になった。しかし,訳者の解説では,本書の記述への疑義が呈されていて,分かった気になった気分が削がれたが,まあともかくアナーキズムは私の期待する思想の中心であることは確認した。すこしずつ関連書籍を読んでいくことにしよう。

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