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2016年1月

ユートピスティクス

イマニュエル・ウォーラーステイン著,松岡利道訳 1999. 『ユートピスティクス――21世紀の歴史的選択』藤原書店,162p.,1800円.

ギデンズの『揺れる大欧州』に続いて読んだが,ある意味ではどちらも世界的に有名な社会学者が今後の世界のあり方を問うというものだといえる。方や,リアル・ポリティクスに足を突っ込み,実名の政治家などを挙げながら短期から中期の具体的戦略を打ち出すのに対し,一方は年老いてもアカデミズムの立場から抽象的な議論で中期から長期の道筋を見通すという,かなり対照的なもの。

本書はニュージーランドでの1997年の講演を基にしたもので,ウォーラーステインの著書にしては薄い。

1 夢の挫折――失われた楽園?

2 困難な転移――この世の地獄か?

3 実質合理的世界――楽園の回復か?

1991年の『ポスト・アメリカ』もこれまでの自身の世界システム論の話題を総括しながら,その後の世界について言及するという内容だったが,『ポスト・アメリカ』は既出論文をまとめたもので,それなりの分量があった。でも,一方では文化や文明の概念の考察というウォーラーステインにとっての新しい展開もあった。

そういう意味で,本書はまとまった一つの文章になっていて,また1990年代以降の新しい話題もある。その上で,「ユートピスティクスというのは,ユートピアに対してわたしが考案した代用語であるが,それはユートピアとはかなり異なったことを意味する。ユートピスティクスは歴史的なオールタナティブについて真剣な評価を下すことであり,わたしたちに選択可能な史的システムが実質合理性をもつかどうかを判断する行為である」(p.10)と定義する本書の表題によって,わたしたちが選択すべき将来のみちすじに関して議論している。

著者は自分の立場を楽観的でも悲観的でもないとしながらも,やはり彼はマルクス主義者であり,平等な社会を夢見る楽観主義者である。楽観というより希望主義者というべきか。ともかく,いつも納得させられてしまうのだ。

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揺れる大欧州

アンソニー・ギデンズ著,脇坂紀行訳 2015. 『揺れる大欧州――未来への変革の時』岩波書店,241p.,2500円.

ギデンズといえば,最近1984年の著作『社会の構成』が翻訳された。この本は彼の代表的な理論,構造化理論の主著として知られているが,その理論的源泉の一つとしてスウェーデンの地理学者ヘーゲルストラントの時間地理学が用いられたというので,地理学者にはなじみ深い社会学者である。

私も一時期読もうと思っていたことがあるが,結局『社会学の新しい方法規準』と『近代とはいかなる時代か?』の2冊しか手元にない。そんなうちに,ギデンズはすっかり偉くなってしまったようで,英国ブレア政権の政策ブレーンを経て,現在は自身が上院議員も務めているとのこと。そういう彼も今年で78歳か。

本書を手にとったのは,明治学院大学の講義で最後にヨーロッパの話をしようと決めていた。1冊の参考図書は,梶田孝道の『新しい民族問題』だったが,新しいといいつつ出版が1993年でサブタイトルにECとある。ということで,新しいところでもっとざっくりとした話をしたいなと思って見つけたのが本書。あの理論社会学者のギデンズが今何を書いているのかという興味もあった。

序章

第一章 運命共同体としてのEU

第二章 緊縮政策とその影響

第三章 社会モデルはもうなくなったのか

第四章 世界市民に必要なこと

第五章 気候変動とエネルギー

第六章 EUの安全保障政策の行方

結論

前半は経済政策に費やされ,非常に読みにくい。かつては難解な哲学書を次々と検討するような書き方だったが,言及する文献には「Available online」というのが目立つ。形而上学の世界から形而下学の世界へと降りてきたようだ。

そうはいいつつ,第三章辺りになると社会学的な記述が増え,筆も進んでくるようで,読みやすくなる。やはり社会学者ですね。そしてどうやら最近力を入れているのが環境問題とエネルギー問題のようで,2011年には『the politics of climate change』なる本も書いているようです。個人的にはこれが読みたいかな。

まあ,とにかくしっかりと頭に残ることは多くありませんが,多数出ているギデンズの翻訳書くらいはしっかり読んでおきたいと思わせる読書でした。

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ヨーロッパ覇権以前(上)

ジャネット・L・アブー=ルゴド著,佐藤次高・斯波義信・高山 博・三浦 徹訳 2001. 『ヨーロッパ覇権以前――もう一つの世界システム(上)』岩波書店,264p.,2800円.

本書はその内容がそうであるように,今の私の知的興味のさまざまな分岐の交差点で出会った本であり,その出会いに感謝して来年度大学の講義で教科書として使おうと予定している。

私は他の3人の研究者仲間と,ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』というベストセラーの批評論文を書いた。私の担当は英語圏地理学におけるこの本の扱いを調査したものだったが,そのなかで本書を知った。本書は西洋中心的な世界史の見方を乗り越えるような最近の1冊として挙げられていたもので,そのなかで翻訳されているものは他にアンドレ・グンダー・フランクの『リオリエント』があった。フランクの存在はそれこそ,ウォーラーステインを知った時に勉強した従属理論の代表的論者として知っていて,ウォーラーステインの最後の弟子といわれる山下範久氏が『リオリエント』を翻訳したことで知っていた。アブー=ルゴドのことはその時初めて知ったのだが,珍しい名前なので覚えていた。

最近,明治学院大学の講義のためにサイードの『パレスチナ問題』を再読した。その際に,アブー=ルゴドの名前に再会したのだ。どうやらサイードと仲がいいらしい。ということはやはりアラブ人の名前か。明治学院大学の講義では山川出版社の高校教科書『詳説 世界史B』にお世話になったのだが,この教科書は私が受けた高校の世界史の印象と随分違ってイスラームにそれなりに比重を置いたものだという印象を受けた。私も研究者のはしくれなので,教科書執筆者の名前を調べてみると,筆頭著者の佐藤次高氏はやはり「アラブ・イスラム史」が専門だという。そして,その後手にとった本書を見れば,彼が翻訳者の筆頭になっているではないか。

まずは上巻,目次から。

序論

 第一章 システム形成への問い

第一部 ヨーロッパ・サブシステム

  古き帝国からの出現

 第二章 シャンパーニュ大市の諸都市

 第三章 ブリュージュとヘント――フランドルの商工業都市

 第四章 ジェノヴァとヴェネツィアの海洋商人たち

第二部 中東心臓部

  東洋への三つのルート

 第五章 モンゴルと北方の道

 第六章 シンドバードの道――バグダードとペルシア湾

本書はウォーラーステインの世界システム論を根本から批判するわけではない。15世紀以降にヨーロッパを中心とした勢力が世界を覆っていくというウォーラーステインの議論に基本的に賛成しながらも,それ以前に決してヨーロッパが世界のなかで進んでいたわけでもなければ,ヨーロッパ文明なるものがヨーロッパで純粋バイオされたわけでもないということを,1250-1350年という時代のヨーロッパ,中東,アジアの歴史を辿ることで明らかにしようという内容。

そういう目的でありながら,ヨーロッパから先に記述していくってところがニクい。そして,市場という商業ネットワークの形成を描くことで,ヨーロッパがいかに中東とアジアと結ばれているのか,しかも資本主義が誕生する以前の商取引において,ヨーロッパはけっして中東やアジアに対して優位に立っていたわけではないという。

印刷の関係上,第二部の途中で上巻が終わってしまう。中東といいながらもモンゴルから記述するというのもありがたい。私も講義のためにマルコ・ポーロの『東方見聞録』とそれをめぐる2冊の歴史書を読んだことがあったが,それ以来,ヨーロッパと中国の関係を媒介するモンゴル帝国という存在が気になっていたのだ。

とりあえず今回はどうせ講義資料を作る際に再読する必要があるということで,あまり精読していない。そもそも精読できるほどの知識がないため,なかなか私にとっては難しい読書だった。この中途半端な理解のまま学生に伝えることのないように,9月までに関連する図書も読んで勉強したいところだ。

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ナショナリズムの発展

カー, E. H.著,大窪愿二訳 1952. 『ナショナリズムの発展』みすず書房,111p.,350円.

大学講義で使っているウォーラーステイン『ポスト・アメリカ』を今年度はいろいろと補足しながら授業をしているが,そのなかで出てきた本書を読み返してみた。読んでいると,どうやら私自身が引いたと思われる傍線があり,初めて読むのではないと知る。しかし,中身はほとんど覚えていない。しかし,『ポスト・アメリカ』のなかでは,ナショナリズムと国際主義という文脈で出てきて,本書の内容はほぼ『ポスト・アメリカ』でも踏襲されていてビックリ。原著は1945年ですが,なかなか重要な本ですな。

1. ナショナリズムの極点

第一期

第二期

第三期

極点

第四期は果たしてありうるか

2. 国際主義の展望

個人と国民

国際秩序における力

追記

1.のタイトルからも分かるように,本書は邦訳タイトルから想像されるようなナショナリズム論というわけではない。原著タイトルも「nationalism and after」ということで,第二次世界大戦でナショナリズムがなくなるかもしれないという含意も含んでいる。内容的には近代の国際関係史といったところか。

第一期は,フランス革命(1789年)とナポレオン戦争(1803-1815)をもって終わり,ウィーン会議(1814-1815)をその終章とする,とされる。終章であるウィーン会議は,ヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的としたもので,これ以降帝国や教会などの中世的結合が次第に分解し,国民国家と国教会とが打ち立てられたのに始まる。新しい国民単位で領土と宗教という原則の支配という世俗的軍事力が高まり,君主たる資格を持った個人間に結ばれた契約である国際法が誕生する。この時代の国民経済政策,主権者に体現される国家の力を強化する目的をもった重商主義の時代。

第二期は,フランス革命の所産であり,その基盤は1870年代以降崩れながら,1914年の破局まで続き,ヴェルサイユ講和(1919年)をもって終了するものだという。ナショナリズムとインターナショナリズムの諸勢力が微妙な均衡を保つ時代であり,ナショナリズムが新しい政治的,経済的環境のもとに活動し始めた。新しい社会層が生まれ,経済権力と政治権力が結合し,国家数が増加した。自由放任主義国家から社会奉仕国家へという流れのなかで,ナショナリズムの政治から経済への移行したという。ヨーロッパ国家は1871年の14から,1914年に20,1924年には26と推移し,世界に60以上の独立国家が成立する。

第三期は,1870年以降にその主要な特徴が形を成し,1914年から1939年のあいだに極点に達した時期だとされ,第一次世界対戦が起り,政府および軍隊に関する事件としての戦争観が放棄される。ここで,ナショナリズムが新しく不慣れな土地に移植された。ヨーロッパのナショナリズムはキリスト教,自然法,世俗的個人主義の伝統に基づくものであった。

第四期にすでに踏み入りつつあるかどうかを論断するのは早すぎる。これまでのナショナリズムの形とは異なり,世界政治の2人の新しい巨人である,米国とソ連は極めて多民族的性格を有する国家だからである。

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ブルボン王朝

長谷川輝夫 2014. 『図説 ブルボン王朝』河出書房新社,127p.,1800円.

非常勤先の講義で,ヨーロッパの国境の歴史的変化に関する話をしようと決めていた。そのなかで個人的に知りたいと思っていたのが,ハプスブルク家のような家系による支配に関する歴史。ハプスブルク家はあまりに有名で,日本語で読める書籍も多すぎてどれを読んだら手っ取り早いか悩んでいて,書店で目についたのが本書。私が知りたいのは具体的にその家系がどのような支配圏を持っていたかということや,政治体制との関わり合いという点だったので,あまりにも人間関係に関する描写や歴史小説的なエピソードが多い本だとこまるのだ。

著者はすでにフェーブル・マルタン『書物の出現』で知っていたので,ちょっと安心して思わず購入。なお,同著者に関する同テーマは講談社選書メチエでもあるようだ。本書は「ふくろうの本」の1冊。図版が多いということも講義に役立つかなと気軽に手にとった。

第1章 ブルボン王朝の誕生――アンリ四世

第2章 戦う国王――ルイ十三世

第3章 「偉大な世紀」の大王――ルイ十四世

第4章 繁栄の時代の国王――ルイ十五世

第5章 悲劇の国王――ルイ十六世

第6章 フランス革命と絶対王政の終焉

第7章 復古王政のブルボン家――ルイ十八世とシャルル一〇世

私はあまりにも歴史を知らなすぎた。最近,講義のために高校の世界史の教科書を読み直しているのだが,ハプスブルク家はいくつかの拠点でヨーロッパ内にいくつかの支配圏を持っていたが,ブルボン家は基本的にフランス王国との関わりを維持したにすぎなかったのだ。

本書にも1610年から1768年までのフランス王国の領土の変遷地図が掲載されているが150年間の領土の変更はごくわずかにすぎない。ということで,本書は王室からみたフランス史といったところだ。しかし,私にとってはやはり学ぶところは大きく,フランス革命の一般的なイメージも覆させられたし,なぜ民主化を求めるフランス革命後にナポレオンが登場し,さらには王政復古が起きるのかということについても少し分かったような気がしました。とはいえ,やはり人物中心の記述は非常に読みにくく,理解できなかった部分も少なくない。

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年末まとめて映画3本

20151228日(月)

この日は会社が計画休暇ということで,冬休みに入った。一方で,長男の保育園はこの日が最終日で,翌日も妻の勤務先の託児所が利用できるということで,この2日間は私の自由行動の日。できるだけ映画を観ておきたいと思う。

この日は久し振りに渋谷Bunkamuraル・シネマで2本立て。

渋谷ル・シネマ 『あの頃エッフェル塔の下で

若き男女の唯一無二の恋,という内容。単なるロマンチックな恋愛映画ではなく,史実に基づいた描写などもあって面白い。ちょうど講義でも教えていたパレスチナ問題。当時ソ連は自国からユダヤ人がパレスチナへ移住することを認めていなかったが,ソ連のユダヤ人組織がいろんな手を使ってユダヤ人をパレスチナに送り込むという計画に高校生の主人公が巻き込まれる。

表題にはエッフェル塔とあるが,基本的にはパリから遠く離れた田舎町が舞台になっているところも面白い。主人公は大学で人類学を専攻するため,地元の恋人と遠距離恋愛をするというのが物語の基軸だが,主人公が指導を仰ぐ人類学者が黒人女性であったり,主人公がレヴィ=ストロースなどを読みふけるシーンや現地調査をするシーンなどもの細部もなかなか凝っている。こういうウィットに富んだ恋愛映画,日本映画でも観たいものだ。

渋谷ル・シネマ 『アンジェリカの微笑み

続いて観たのはなんとポルトガル映画。ポスターは美しい女性の写真で洗練された印象を与えるが,なんと実際の映画はあまりにも野暮ったい。その野暮ったさの魅力以外には特にこれといったことがない退屈な映画。

しかし,この21世紀に新作としてこんなに古風な映画を観られるという経験自体が希有で素晴らしいと思う。ここで描かれるポルトガルの田舎町が理想化されたものなのか,現実なのか,そこが気になる。現実だとしたら,やはりそれがポルトガルという国の現状なのだろうか。

これまた最近講義のために読んだ文献によれば,ポルトガルはヨーロッパ内部で,他国に労働移住者を排出しているヨーロッパの辺境であり,またEU脱退の候補にも挙がっているような小国である,ということになっている。

12月29日(火)

この日も映画2本立てをしたかったが,家庭の事情や大学の業務の関係で断念。再び渋谷だが,イメージ・フォーラムで1本だけ観ることにした。

渋谷イメージ・フォーラム 『ミニルモンタン2つの秋と3つの冬

『女っ気なし』出演のハゲ,小太りという現実味のある俳優であるヴァンサン・マケーニュはどうやらフランス映画界のなかで一定の地位を築いているようだ。本作でも職なし女なしのダメダメ30歳台を演じている。でも,何気なくもててしまうところがやはり映画なんでしょうか。といっても,彼の顔も見慣れるとそんなに不細工とは思えなくなる。

まあまあ,そこそこユーモアとシリアスとが混じり合っている秀作。主人公の親友の顛末もけっこう描かれていて,観ていて飽きない。ちなみに,バスティアン・ブイヨンなる俳優が主人公の親友を演じているのだが,男性であるにもかかわらず顔立ちや表情がシャルロット・ゲンズブールにそっくりで思わず笑ってしまう。

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日本を再発明する

テッサ・モーリス=スズキ著,伊藤 茂訳 2014. 『日本を再発明する――時間,空間,ネーション』以文社,272p.,2800円.

『辺境から眺める』についで,モーリス=スズキさんの著作2冊目。長らく非常勤講師をやっている東京経済大学ではグローバル化を意識した内容で「人文地理学」をやってきている。講義内容は何度も変更してきたけど,そろそろ教科書を変更したいと思っていた。

最近,別の講義内容で日本の近代化を勉強するにつけて,グローバル化もいいけど,そのなかでも日本の変容もしっかり押さえておかないとと思い,学生自身も日本のことをあまり知らないのではないかと,本書を2016年度の教科書として使うつもりで購入した。まずは目次。

第1章 はじめに

第2章 日本

第3章 自然

第4章 文化

第5章 人種

第6章 ジェンダー

第7章 文明

第8章 グローバリゼーション

第9章 市民権

いやいや,やはり素晴らしい本だった。この内容をどう補足して教えるのかというのは難しいが,扱っている内容と本書を貫く主張は是非学生に伝えたい内容だ。目次を見てお分かりのように,一般的な歴史記述の形式にはなっていない。さまざまな切り口から近代日本を解剖するという感じだ。

第3章の「自然」に関しては,同じように近代日本の政治における自然の概念を扱ったトーマス『近代の再構築』(法政大学出版局,2008)とはあまり重ならない内容。

第4章と第7章は文化と文明を扱っており,西川長夫『国境の越え方』(筑摩書房,1992)よりもしっかりと日本の史実に基づいておりしっくりくる。第5章と第6章の人種とジェンダーは私がこれまで読んできた日本近代史では抜けてきた観点。西洋近代史では触れたことのある議論を日本の独自性の下で考えさせられる。

そして,『辺境から眺める』でも一つのテーマであった市民権=シチズンシップはモーリス=スズキさんの主たるテーマなのだろうか,最近私も真面目に考えなくてはと思っていた概念。

本書は副題にもあるように,時間と空間を強く意識し,もちろんグローバリゼーションに関する第8章も用意されている。そうした意味においても人文地理学の講義に利用できる著作だと思う。そして,読んでいて新鮮だったのは,著者が「伝統」という概念を積極的にそして肯定的に使っていこうという主張だ。この概念はホブスボウム・レンジャー『創られた伝統』(紀伊国屋書店,1992)以降,否定的に捉えられがちな概念だが,この概念を流動的なものとして積極的に活用していくべきだという。他の著者の著作も読んで講義内容を固めたいと思う。

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辺境から眺める

テッサ・モーリス=鈴木著,大川正彦訳 2000. 『辺境から眺める――アイヌが経験する近代』みすず書房,262p.,3000円.

昨年度の恵泉女学園大学での「地理学」の講義で近代日本における北海道をテーマにして話を組み立てた。その時読むべきはずだった本書だが,アイヌのことをほとんど理解していなかった私は,歴史的事実が整理された本を優先して読んで講義資料を作成した。

恵泉女学園大学は昨年度のみだったが,今年度明治学院大学で「社会学6:エスニシティ・地域・境界」という講義を担当し,部分的に昨年の講義資料を利用することにした。せっかくなので,本書を読んだわけだが,これがまた素晴らしい読書体験だった。

男性と女性の研究のやり方,また文章の書き方に根本的な違いがあるとは思っていない。まあ,とはいってもフェミニズムの女性が書く文章は科学普遍主義を信じて疑わない男性が書く文章とはもちろん違うが,本書の著者はフェミニズムを前面に押し出す研究者ではないし,文体という意味では私が読んでいるのは日本人男性が翻訳したものにすぎない。しかし,やはり読書体験としては自分が書けないということもあるが,独特な魅力に取り付かれるようなものであった。まずは目次から。

序 辺境から眺める

第一章 フロンティアを創造する――日本極北における国境,アイデンティティ,歴史

第二章 歴史のもうひとつの風景

第三章 民族誌学の目を通して

第四章 国民,近代,先住民族

第五章 他者性への道――20世紀日本におけるアイヌとアイデンティティ・ポリティクス

第六章 集合的記憶,集合的忘却――先住民族,シティズンシップ,国際共同体

第七章 サハリンを回想する

本書はタイトル通り,日本と蝦夷(北海道)との植民地的関係を,支配者側ではなく,被支配者側の立場から描こうとする。それと同時に,植民地主義というのは本来はヨーロッパのものだが,そこから見て辺境ともいえる東アジアの日本の事例から。まあ,そうはいっても辺境の人々は自らの歴史を記録しているわけではないので,本書でも日本側の間宮林蔵やロシア側の探検隊などの記録に頼るしかないのだが。まあ,ともかくそうした立場性に関する前半の議論も魅力的。

いわゆる蝦夷島(北海道)の事例は私もそれなりに他の本で読んでいたが,樺太(サハリン)の事例がなかなか興味深かった。特に講義テーマの「境界」と直接に関わっていたので,今回読んで勉強になりました。もう一つはこの後読むことになる同じ著者の『日本を再発明する』でも1章が割かれていますが,シチズンシップ(市民権)に関する議論がなかなか新鮮です。

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